そして、数ヶ月後。
「武道館なんじゃーい!!」
店内に声が響いた。
数ヶ月ぶりに店にやってきたかと思えば、アイドルらしからぬ蛮声を上げ、愛姫は入店してきた。普通の入り方を覚えるべきだ。
「いらっしゃい…って誰?」
「ふふふ、完璧な変装みたいね」
彼女の見た目は、サングラスにニット帽、野暮ったい服装と、一見すると十代の女の子には見えない様相を呈していた。
正直、不審者。
「それが最先端の…ファッションか」
「オシャレじゃないよ…。あたしも有名になってきちゃってねー。マネージャーさんから、外出歩く時は姿を隠すよう言われてね。だから、こうよ。二十面相も怪盗キッドも驚きの変装でしょ?」
サングラスをサッと外し、整った顔を覗かせた。
外に出歩くだけでわざわざ変装を施さなければいけないとは。これが有名税というヤツか。
「…そして、もっと有名になるのです! つまり武道館なのです!!」
「武道館?」
「あの武道館で、あたし達はとうとうライブをすることになりました! どーん!」
「武道館……それは凄いのか?」
「わかりません!!!」
自信満々。意気揚々。
そう堂々と言われると、私も言葉がない。
「武道館は凄ぇだろ…」
「いたんですか、最上のおじさん」
「いるよ。一応言っとくけど、まだ、俺の店だから…。ほぼ執権政治だけど」
すると、カウンターの奥から父が出てきた。目の焦点が定まっていなかった。
「武道館っていったら、かなりの人気と知名度…それに集客力もねぇとそもそもライブなんてできねぇからな。ビートルズのライブ以降、ミュージシャンにとっては憧れの舞台らしいし。たったの数年でそこに立てるイツキちゃんたちはかなり凄っ……あいてて」
と言って、痛みに耐えるかのように、頭部に手を押し当てていた。理由は朝帰り。父は近所の人と徹夜で麻雀を繰り広げ、居酒屋をはしごし、たった今帰ってきたばかりだった。その年齢で学生みたいな振る舞いをしてたら、身体に支障をきたすに決まっている。自業自得だ。身から錆が出まくっている。
まだ辛そうにしたいたので、しょうがなく、私はキッチンでくんできた水を渡した。
「武道館…」
ボソリと呟く。
武道館ライブとはそれほどの偉業なのか、と考える。
すると、ふと遠い記憶が思い起こされた。滑り台のてっぺんで、アニメの主題歌を歌う光景。下校中、田園畑を背に聴こえてくるハミング。幼い頃から、
「本当にと…………」
「と……?」
「あ。い、いやなんでもない…」
幼い記憶に思いをはせると、ついつい言葉になってしまう。私は咄嗟に自分の口に手を当て、なんとか制止。言いかけた言葉は昔、愛姫に言って怒られたものだった。またも口を滑らせそうになった。危ない危ない。
私の慌てる姿を、彼女は不思議そうに見つめていた。
「…あ。そうだ、この前のライブすごく良かったよ、イツキちゃん。おじさん、後方父親面しながら観てたよー」
「ありがとうございますー!」
「後方父親面ってなんだ」
コップの水をグイっと飲み干したら、父は思い出したように愛姫に話し掛けた。話している内容は、この前のライブについてだった。
Malty ☆ Kissは、センスのある衣装や振り付けに反して、ほんのりダサい歌詞がネット上で話題になり、数年で人気アイドルグループの仲間入りを果たした。ライブを開けば、チケットもすぐ売れて、いつも盛況らしい。
「あれだね。アイドルのライブって初めて行ったけど、凄かったよ。観客の熱気が特にね。なんか、みんな光る棒持って、躍り狂ってたよ、観客なのに」
「そうですね。ライブを盛り上げてくれるので、感謝しかないです」
「昔、交通整理のバイトしてたから、俺も持ってこれば良かったなー、あれ」
「あれ、誘導棒じゃないだろ」
「ペンライトっていうんです、あれ」
ライブに行ったことのない私でもペンライトの存在は知っている。
「…ふふん」
すると、此方に振り返り、ニヤけた表情の愛姫。
「ど、どうした?」
「アキトシくぅん。ね? あたし、すごいでしょ? 見直した?」
「あ、ああ。まあ、すごいよ。すごいすごい」
「もー何そのしけた反応………あたしはねー…っと、電話が」
ポケットから取り出したスマホを耳に当て、いそいそと店内の隅へ足を向けた。愛姫は私達からは聞こえない程度の小声で喋っている。大事な電話なのであろう。
「ごめんね! あたし、今からちょっとメンバーのみんなと告知配信があって……」
電話を終えると、両の手を合わせて、申し訳なさそうに言った。
「アキトシ君、ごめんね、ホント」
「謝らなくても」
「今度来たときは珈琲40杯くらい注文するからね!」
「そ、そんなには淹れられない…」
「あはは、覚悟しといて! それじゃあね! あと来週、ニューシングルでるから」
満面の笑みで快活っぷりを見せつけた後、愛姫は店から出ていった。最後に告知の
「あいつ、わざわざ…」
「忙しいのに来てくれたんだろうなぁ……良い子だねえ、イツキちゃんは。だから、お前も一度くらい」
「父さん。豆が無くなった」
私はグアマテラというラベルの貼られた、空の瓶を手に取った。
「あ? ああ…じゃあ倉庫から取ってきてくれ」
そう言われて、私はバックヤードに向かった。
逃げるように。早々と。