数日後のことだった。
『人気アイドルグループのリーダー、伊達愛姫熱愛!! 雨の中、若い二人は熱く手を取り合う! 雨のキッスはどんな口どけか!?』
コンビニで買った週刊誌には、趣味の悪い文言がでかでかと載っていた。
記事内には、私と愛姫が雨の中、手を握り合っていた場面の写真が掲載されており、内容もその写真から推測されたであろう、恋慕的なものであった。つまり、それは愛姫の熱愛をスクープしたものであった。
あの時、あの雨の中、私たちは知らず知らずの内に激写されていたのだ。今にして思えば、愛姫を追っていたというストーカーの正体は、たぶん週刊誌の記者だったんだろう。どうして気付かなかったのか。
私は八つ当たりするかのように週刊誌を店の床に叩きつけた。怒りと後悔で、どうにかなってしまいそうだった。
「くそっ…」
いや、自分のことなどどうだっていい。問題は別だ。
スマホを手に持ち、ネットで関連のワードを検索にかけた。するとネット上に出てくるのは愛姫やアイドルグループ、事務所にまで向けられた言葉の刃の数々だった。SNSを眺めれば、人間の口から出てくるとは到底思えないような罵詈雑言であふれ、スクロールする手が自然と止まった。
ネットを閉じ、スマホのメッセージを開く。今朝交わした愛姫とのやり取りを眺めると、画面には一言『こっちは大丈夫!』とだけあった。
そんなことない。大丈夫の筈はないというのに…いつもあいつは平気そうな顔をする。
「くそぉっ……」
スマホに顔をうずめ、嘆声をもらす。心が押しつぶされそうな気持ちで、堪らなかった。
「ういっす、やってる?」
するとカランコロンと鈴が鳴った。父だった。のれんをめくる手振りをしながら、陽気な様子で店に入ってきたのだ。
「やってない」
「あ、そうか。まだ開店前には早ぇもんな」
「今日はもう閉めるから…」
「なんで?」
「なんでって…」
「まあなんでもいいや。朝から何も食ってなくてよ。取り敢えずなんか作ってくれや」
腹をコロコロと鳴らしながら、父はカウンター席に腰を下ろした。断りたかったし、作る気力なんて一ミリも沸かなかった。がしかし、父がテーブルを叩いて催促し始めたので、しぶしぶカウンターの中へ入り、料理を作るはめになった。食材を冷蔵庫から調達して、食器と調理器具を棚から出して準備に取り掛かる。
「何作ってくれんの?」
「ハムサンド」
「いいねぇー、喫茶店って感じだ」
「そうか」
「お前のこだわりの味だからな。楽しみだ」
「そうか」
ぶっきらぼうな返答をしてると、此方を見て、にやにやと父が笑っているのに気が付いた。
「なんだ?」
「むふー。嫌々やってるけど、なんだかんだ作ってくれんだね。俺の息子は優しいなぁ!」
「うるさい」
「もー素直じゃねぇな」
中年のだる絡みがうっとおしい。父を無視して、目の前のハムを丁度いい厚さに切るのに集中した。
「…ふっ、本当にもっと素直になってもいいんだぞ。お前はいつも自分の気持ちを伝えるのが下手だからな」
作業をしていた手が止まる。切れかけのハムは重力に逆らえず横に倒れた。
その言葉、どこかで聞いた気がする。そうだ。
「…イツキにもこの前、似たようなことを言われた」
「あら、そうなの? さすがはイツキちゃん、人のことをよく見てるな。お前は周りのことを優先して、本心を隠してしまう。そんなきらいがあるからな」
私は黙った。
『距離感の理由は分かったよ。けど、アキトシ君はどう思ってるの?』
雨の日。あの時。彼女の言葉を思い出す。
『私は…』
この後に続く言葉が何を意味するのか。私は分かってる。でも、言えない。言ってはいけない。
「本心なんて…意味ない」
「んなこと無ぇだろ、大事なことだ…」
「どうでもいいんだ!」
つい、声を荒げてしまう。
「…お前はこだわりが強すぎるんだよ。強すぎるあまり、頭がカチンコチンだ。もっと気楽に考えても…」
「私はこだわりなんてない」
「いやそれは嘘だろ。喫茶店からして」
そう言いながら、父は店内を見回す。
「それにお前、一人称も変えて。昔は俺だったのに、今は私って…どうせ、マスターっぽいとかいう理由で、形から入ってんだろ。それがもう、こだわってるじゃん」
う。痛いところを突かれる。
「と、とにかく。個人の感傷なんてどうでもいいし、言う必要はないんだ。私は迷惑をかけたくないんだ」
だって…彼女はアイドルだから…。
すると、ふと床に落ちている週刊誌に目がいく。週刊誌が私の言葉に反論しているかのように思えた。
「でも結局、迷惑かけちまった…な」
自分に辟易して、私は目を伏せる。
グーと、音が店内に響く。
「…まあいいや、とりあえずはよ続き頼むわ」
と、うつむく私に意を介さず、父は料理をせかした。まあ確かに父には関係の無いことだからな。ゆっくりと顔を上げ、中断した作業を再び始めることにした。
バターと共に焼いたトーストに厚く切ったハムと、スライスした玉ねぎ、ちぎったレタスを乗せ、トーストではさむ。皿にそれを置き、線を描くようにケチャップをかける。これでようやく完成品がお目にかかれた。
父の前に皿を置くやいなや、直ぐにハムサンドをむさぼり始めた。トーストをカリっと、レタスやハムをがぶりと、美味しそうな音をさせながらむさぼり食う。よっぽど腹が減っていたのだろう。あっという間にハムサンドは皿から消えた。
「あー旨かった! やっぱハムサンドは格別だな。久しぶりだったし余計に」
父は腹をさすりながら、椅子に深く腰かけた。
「お前も慣れたもんだ。ずいぶん手際も良くなった」
「そりゃあ昔からやってたしな」
「…そうだな。こんな大きくなりやがって。…なあ、アキトシ、さっきはごめんな。色々と余計なこと言った」
「え」
なんか、珍しい。父が謝る姿を初めて見た気がする。
「い、いきなりなんだよ」
「俺は良い父親でもなかったのに、そんな資格ねぇのに、アドバイスなんかしちまったな…」
「なんだよ…」
ははは、と乾いた笑いと共に、父は言った。
急にどうしたんだ。私の暗さに当てられてか、父の語気に曇り空がかかっている。
「お前には一人で店を手伝わせて、ずっと寂しい思いをさせてた。もっといろんなこともさせてやりたかった」
「…店を継いだのは私の意思だ。継ぎたかったから継いだ。だから、お父さんがどうこう思う必要も何も無い」
「そうか…」
「こ、これは本当のことだぞ。本当にそう思ってるんだ。それに、ずっと側にイツキがいてくれたから寂しくは────」
『あたしは距離感を感じても、どれだけ遠い存在だとしても、いつもあの頃と変わらず店で喋ってたいよ? 傍にいたいよ?』
雨の日。あの時。彼女の言葉をまた思い出す。
中学の頃だっただろうか。小学校の時のようにいつもと変わらず、彼女と登下校を共にしていると、周りからの声が否応なしに聞こえてきた。内容はほとんど「なんであんなやつと一緒に…」だった。私に対する不審と嫌悪を含んだ声。でもいいんだ、別に。私自身のことなら単なる噂話として笑い飛ばせる。
だが、矛先は愛姫の方まで向けられた。
「あんな奴とつるむのはおかしい」と評され、近くにいる愛姫まで冷ややかな目で見られることとなった。一時、グループ内で愛姫の陰口が交わされ、浮いた扱いを受けたこともあったらしい。愛姫の方は平気そうだったけれど、私は本意の筈なかった。
距離感を違えば、周りからの軋轢を生む。傍にいれば愛姫に被害を与える。でも、突き放して、愛姫の悲しそうな顔をさせるのも違う。
『アキトシ君!』
遠くもなく、近くもない、適切なピントの合わせ方がきっとあるのだろう。
そう思っていたのに───
「……イツキは」
ずっと傍にいてくれた。
「どうした…?」
「お父さん。ホントに、本心が大事なのかな?」
父は驚いた表情を私に向ける。
「当たり前だろ。お前が、何をしたいか、何を望んでいるか、それだけが大切だ。お前の幸せだけが、俺の願いだ」
父の言葉を真摯に聞き、私は少しばかり考える。そして、床に落ちた週刊誌を拾い上げ、机の上にあるスマホを手に取る。
「…ありがとう。ちょっと行ってくるよ」
スマホにメッセージを入れ、エプロンを脱ぎ、椅子にかけてあるジャケットを羽織ると、すぐに店を駆け出した。
「ホント…大きくなったな…」
父は息子の後ろ姿を眺めながら、そう呟いた。
「……はぁ…はぁ」
走った。一心不乱に。足を止めることなく。
もしも、この気持ちを嘘偽りなく言ったとしても、どんな結末になるのか分からない。たぶん言ったところでどうもならない。そんな可能性の方が大いにある。
…でも。
『あたしはこう思ってるってことだよ!』
本音には本音で返したい…!
──────────────────────────
そして現在。
私は22歳になった。
父から喫茶店の経営権を貰い受けて数年。常連客もでき、賑わうこともしばしば。なんとか閉店もせずに維持できていた。
そして今日も今日とて、いつも通り私はキッチンで珈琲カップを洗っている。
「あぁー、負けたあっ!」
すると、カウンターの方からドンと鈍い音が聞こえた。ちらと覗けば、父がスマホ片手に机に突っ伏していた。ブツブツと文句を垂れていて、たぶんまた競馬か何かで負けたのだろう。常連のお客が「またやってら」と笑っている。これはいつもの店の光景だった。
「…」
カップに視線を戻す。汚れが水と共にすすぎ落ちていき、カップはきらめきを取り戻した。そうすると、カップ本体に反射した自分の顔と目があった。厚い雲に覆われたような表情を私はしていた。
どうやら、まだ、後悔してるみたいだ。
あの時の選択が正しかったのか、これで良かったのか。
いつまでも悩んでいる。いつまでも自問している。
「イツキ────」
私は目を閉じる。
「呼んだ?」
後ろから聞き慣れた、声が聞こえてきた。
「ねー…看板ってこれでいいのかな?」
そこにいたのは愛姫だった。看板を持って、登場する。
「聞いてる? 昨日頼まれてたから、デザインし直したのに」
「おぉ~、イツキちゃんが作ったのそれ?」
愛姫に父は声をかける。
「お義父さん、来てたんですね! そうですよ。新しいメニューのこともあるし、看板を書き直そうってアキトシ君の提案なんです。だからあたしが新しくデザインしたんですよ、かわいいでしょ! ここの猫の絵とか!」
嬉々として看板を掲げる愛姫の姿を、カウンター越しに眺める。
あの瞬間。
店を出たあの後、愛姫の家へ向かった。そして愛姫と対面し、開口一番に自分の気持ちを伝えた。
『イツキ!』
『ど、どうしたの…?』
『私と結婚してくれ』
『へ…』
『勝手なお願いだって分かってる…イツキはアイドルだし、色々と責任も背負ってるよな。…でも、それでも伝えに来た! 正直な気持ちを伝えに来た! 私と結婚して一緒にあの店を営んでくれ! そしてずっといよう、99歳くらいまで一緒に!!』
『え、えぇ~!?』
『…ごめん、これが私の伝えたかった気持ちだ。本音だ。急に来て迷惑だよな…でもこれを逃したら一生言えない気がしたから、本当にごめん』
『迷惑ではないけど…いやまあ、記者も周りではってるし、熱愛記事の張本人が来るなんてひどいタイミングだよね』
『ご、ごめん…』
『ふふん、別にいいよ。アキトシ君の淹れた珈琲で許す。だから、今から行こ』
『え…』
『お店にだよ。いっぱい飲んで、味覚えないと! 淹れ方のレクチャーしてくれるんでしょ?』
『あ、ああ…!』
そうやって、私の心配とは裏腹に、あっさりと私たちは夫婦になった。
愛姫はアイドルを引退し(色々と辞めるのは大変だったらしいが、なんとか円満に)、父のサポートはありながらも、こうして共に二人で店を営んでいた。
「ねー…」
目の前に愛姫の顔が現れる。
「ど、どうした」
「どうしたはあたしのセリフなんだけど、ボーッとしてどうしたのよ。眠いの?」
「……いや」
ふと、テレビに目がいった。テレビの中では人気アイドルがぴょんぴょんと飛びはね歌っていた。その光景が私の心を強く突いた。
「……今でも考えるんだ、本当にこの選択が正しかったんだろうかと」
「後悔してるってこと…? 何を?」
親指を立て、愛姫の方を指す。
「え。あたし?」
「イツキは才能にあふれていた。誰も持ってない才能。でも、私と一緒になることを選んでくれた…選ばせてしまった。イツキはアイドルでもっと覇権を取っていた筈なのに。イツキの本来立っているステージはこんな場末の喫茶店じゃなく、もっと違う、光輝く場所があるんじゃないかって…いつも思ってる」
「……そんなの可笑しい」
「…そうかな」
「そうだよ。アイドルを辞めたのはあたしの意思で選択だよ。あたしがアキトシ君と一緒にいたかったから、アイドルを辞めたんだよ! アキトシ君が選ばせた訳じゃない!」
…私は俯く。
「それにね」
愛姫はぴょんと一歩前に出る。
「あたしがアイドルになった本当の理由は、アキトシ君に振り向いて欲しかったからなんだよ!」
私の目と鼻の先に立つと、口に人差し指を当てながら、愛姫はそう言った。嘘偽りの無い、透き通るような目だった。
「ずうっと、アキトシ君はあたしを見てくれなかったから。アイドルにでもなれば流石に振り向いてくれるだろう…ってそんな安直な理由でね!」
知らなかった、と小さく私は呟く。にししと、愛姫はいたずらな笑みを浮かべ、此方を見た。
「安直すぎる…」
まさかそんな不純な動機でやってたとはな。呆れつつも、なぜか、自然と口角が上がっていた。
「おーいせっかくだから、イツキちゃん歌ってくれよ!」
「はーい!」
父に呼ばれると、愛姫はお玉をマイク代わりに歌い始めた。ホールにいたお客さんは歌に合わせて身体を揺すったり、手を叩いたり、盛り上がりを見せていた。スナックじゃ無いんだからそんなに騒がしくなくてもいいのに、どこか居心地がよかった。
ここは喫茶店「ミヤシロ」。
最寄りの駅から徒歩約20分。ガラス張りの窓から見える緑艶やかな観葉植物と色鮮やかな花々が目印のお店。昔ながらの珈琲や素材にこだわった軽食の他には、見た目にこだわった映える甘いスイーツもおすすめだ。店内に流れるゆったりとしたジャズピアノの音楽と元アイドルが奏でる歌声。ユーズド感のある家具と都会的なモダン家具たちは昭和レトロと現代を上手く融合させた、独特の雰囲気を醸し出している。
もしも俺たちの喫茶店を五感で味わいたくなったなら、「ミヤシロ」に足をお運びください。
「アキトシ、珈琲おかわり!」
「おかわり~」
「はい! アキトシ君! 注文だよ!」
「…かしこまりました」
幼馴染は
完!
以上です。長らくありがとうございました( ノ;_ _)ノ