アテネス武芸帖 秘剣・簪(かんざし)   作:五十貝ボタン

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破 首斬り役人/かたち

 破の壱 首斬り役人

 

「そう、呼ばれているのか」

 男は夜闇を織って作ったかのような着流し姿だった。顔つきは頭巾に覆われてよく見えない。

「首斬り役は優れた剣士にしか務まらないという。悪くない」

 男が腰の刀を抜いた。赤い刀身は夜の闇の中で光を放っているようにも思えた。あるいは、周囲の夜闇よりもなお暗いせいで、浮き上がって見えるのか。

 

「どうして、人を襲うの……」

 ゴッホも腰の刀に手をかける。まだ抜かない。抜けば、戦いになる。その前に話を聞きたかった。

「俺は刀工だ。最も強く、美しい刀を作り上げたい。だが刀は人を斬る道具だ。だから、人を斬ったことのない刀は未完成品だ。私は完成させたい」

「その刀を?」

「そうだ。この『九腕蔵(くうでぐら)』は、今までに99人の首を落としてきた」

 九腕蔵。それが刀の銘らしい。

 

「芸術都市たるアテネスで百人目を探していた。先ほどの戦い……貴様こそ、この剣を完成させるのにふさわしい獲物だ」

「人の命をなんだと……!」

「芸術家は命を削って作品を磨き上げるものだ。それが他人の命でも、大差ないだろう」

 ゴッホが刀を抜いた。これ以上は問答無用、話が通じる相手ではなさそうだ。

 

「藝術魔法とやらを見せてみろ」

 首斬り役人が刀を振るう。太刀筋は鋭く、早い。赤い剣閃が夜闇にひらめく。フェイントや連撃はない。斬撃すべてが致命傷を狙っている。

「負けない……!」

 敵の剣には迫力はあれど、防ぐのは難しくなかった。ゴッホの腕なら受け止め、いなし、反撃に転ずることは難しくない……はずだった。

 

 ぞわり。

 肌が(あわ)立つ感触があった。理由は説明できない。しかし本能的直感に従って、ゴッホは飛びのいた。

 直後、ゴッホがそれまで立っていた場所のレンガが抉り取られた。まるで、見えない腕が伸びて握りつぶしたかのように。

 

「かわしたか。勘のいいやつだ」

「刀だけじゃない……目に見えない死の芸術の力を使っているんだ」

「俺は剣士じゃない。少しくらいハンデをもらっても構わないだろう」

 首斬り役人が踏み込んだ。まだ刃が届く距離ではない。だが、不可視の腕がゴッホを捕まえようと伸ばされることが感覚でわかった。

 

「させないっ!」

 ゴッホが刀を振るう。一振り、二振り。左右から迫ろうとしていた腕を切り払う。

 目に見えない腕は、しかし肌で感じることができる。腕が振れようとする直前に、肌に針を近づけたときのような、不快な感覚が沸き上がってくるのだ。その感覚を頼りに刃で切り払う。

「ククク……。いつまで保つか、見ものだな」

 こうして、奇妙な戦いが始まった。首切り役人は刀を上段に構えたまま、じりじりと距離を詰める。男が同時に使うことができる腕は二本だけのようだった。しかし、ゴッホが切り払って防いでも、すぐにまた別の腕が伸びてくる。

 反撃に転じることができないうえに、防御は肌に生じる感覚に頼るしかない。集中が切れればすぐに付け込まれる。ゴッホの神経は常に研ぎ澄まされ、集中を余儀なくされる。ただの斬り合いよりもずっと消耗が激しい。

 

「だいたい、貴様ら藝術家が気に入らない」

 首斬り役人が大きく踏み込んだ。ついに刃が振り下ろされる。

「っ……!」

 上段からの斬り下ろしを、ゴッホはすんでのところでかわした。だが、そのために大きく体勢が崩れる。見逃す相手ではなかった。

 

「こんな格好で、戦う気はあるのか!」

 怒りの声とともに、不可視の腕がゴッホの髪をつかむ。

「うあっ……!」

 長い髪を強く引っ張られて、ゴッホの体勢が崩れる。赤刃一閃、首切り役人がゴッホの刀を跳ね飛ばした。

「命がけで戦うときにこそ真の美は宿るもの。こんな格好で、髪をつかまれたらどうする!? 着飾って戦うなど、愚の骨頂だ!」

 つかんだ髪を乱暴に振り回され、ゴッホの体が高く投げ出された。レンガ敷きの道路に、全身を叩きつけられる。

「ああっ!」

 額をしたたかに打った。髪と腕をつかまれ、受け身が取れない。不可視の両腕がゴッホをがっしりと押さえつけていた。

 

「俺を見ろ」

 首斬り役人が頭巾をほどいた。月光がその顔を照らす。

「……!」

 ゴッホは戦慄した。首切り役人の顔には、あるべきものがなかった。

 耳がない。鼻がない。瞼がない。それらはそぎ落とされ、血とも泥ともつかない黒いものがどろどろと傷跡を覆っていた。

「耳や鼻さえ弱点になりうる。瞬きも隙につながる。俺は戦いの中の美を求めて、無駄なものを切り捨てた」

 目玉は赤黒いものに覆われて、むき出しのままゴッホに向けられていた。

 

「無駄なんかじゃ……」

「だが現に、お前は髪のせいで俺に負けた」

 見えない両腕がゴッホの肩を押さえつける。

 まるで見えない断頭台にかけられているかのように、頭を持ち上げられる。

(動けない――!)

 不可視の腕は一度つかまれてしまえばあらがえないほどに力強い。万全の状態であれば、力を振り絞ってはねのけられたかもしれないが、今のゴッホは体力を激しく消耗していた。

 

「この瞬間だけ、この世に美しいものがあると感じられる。抵抗できない他者の命を一刀で落とす瞬間だけが……俺を救ってくれる」

 首切り役人の赤い切っ先が月を指した。

「負けない、私は、こんな、風にはっ……!」

 もがく。あがく。じたばたと、体を振る。だが腕はますます強くゴッホの体を押さえつける。冷たいレンガが熱を奪っていく。あの刃が振り下ろされれば、熱だけでなく命さえ流れ落ちていくだろう。

 

「お前の首でこの刀は完成する」

 男の声は愉悦とともに、目的が達成されることを寂しがるような色を含んでいた。

「人の命で完成する芸術なんて……!」

「お前の名声も高まるだろう。至高の刀を磨いた砥石としてな」

 そして、首切り役人が大きく息を吸った。「や」という、気合の声とともに刃が振り下ろされる直前……

 

「ゴッホさん! どこですか!」

 静寂の中に声が響いた。ネイトの声だ。とつぜんいなくなったゴッホを探しに来たのだろう。

(ネイト、来ちゃダメ……!)

 首斬り役人は、ゴッホを手にかけた後で彼女のイマージュすら殺そうとするだろう――そう思えたが、男の行動は予想に反していた。

 

「明晩、この場所に一人で来い」

 そう告げて、刀を収めたのだ。

「どういうつもり……」

「お前は戦いの後。俺もお前を引きずり込むための結界術で力を使った。百人目の記念は、お互いに全力勝負で飾りたい」

 不可視の腕の圧迫が途絶える。代わりに、男の本物の腕がゴッホの髪をつかんでぐいと引っ張った。

 

「お前が現れなければ、他の誰かを殺す。仲間を連れてきても、アテネスの中で誰かを殺す。必ず一人で来い」

 その言葉を残して、男は闇の中に姿を消した。ネイトが路地にぐったりと倒れているゴッホの姿を見つけたのは、数秒ののちだった。

 

 

 

破の弐 かたち

 

 夜が明け、日が昇る。アテネスを麗らかな日差しが照らしても、ゴッホの心には言い知れぬ闇に覆われていた。

(私が行かなければ、誰かが私の代わりに百人目の犠牲者になる……)

 美術館の窓辺から市街を見下ろす。なぜかその景色がどこか遠い場所に感じられた。この窓枠の向こうの世界は自分とはまったく関係がないもののように思えてならなかった。

 この街のどこかに凶悪な殺人者が潜んでいる。その男はゴッホとの戦いを望んでいる――あるいは、ゴッホの代わりに何の罪もない誰かを手にかけることを。

 

「でも、私なんかが勝てるのかな……」

 剣技なら互角だろう。だが、死の芸術家には不可視の腕がある。腕に対処をしていては、攻撃ができない。攻めねば倒せない。隙を見出そうにも、腕に対処するための消耗で、先に疲労してしまう。

 どうすれば先手を取り、切りかかれるのか……頭の中で何度も考えたが、イメージがわかない。

 

(私がもっと強ければ……)

 何度思い直しても、同じところに意識が向かう。

 逃げることはできない。代わりの誰かを殺すという言葉は掛け値なしに本気だろう。かといって、立ち向かってゴッホが百人目の犠牲者になれば、その刀を使って更なる凶行に及ぶに違いない。

 止めるなら、今夜しかない。だが、ゴッホには止める力がない。

(それならいっそ、誰かに託して……)

 もっと力のある藝術家なら、あの腕への対処法を考え着くかもしれない。ゴッホが逃げ出せば、首斬り役人は別の誰かを手にかけるだろう。

(でも、もし私が命をかけて託せば……? それなら、犠牲は私ひとりで済むかも……)

 

「ゴッホちゃん、どうしたの?」

 声をかけられて、ゴッホの意識は暗い淵から現実へ引き戻された。

「さつき……」

 和装のイマージュの肩が手に触れる。暗がりに沈みかけていた感覚が、自分の肉体に戻ってくる気がした。

「やっぱり、昨日の夜……何かあったのね?」

「ごめんなさい、何も言えなくて……」

「ううん。理由があるんでしょう?」

 忽然と消えたあと、傷を負って路地に倒れていたゴッホのことを周囲は心配した。治療は藝術魔法によって迅速に行われたが、何が起きていたのかを語ろうとしない彼女の様子は、ただ事ではないと思わせるのに十分だった。

 

「どうしても、話せないことがあるのね?」

 さつきがなんとかして助けになろうとしてくれているのを痛いほどに感じた。それだけに、話すことはできなかった。死の芸術家と決死の立ち合いに向かうことなど。ましてや、命を絶って誰かに託そうとしていたことなど。

「そう……」

 返事を返せないゴッホの様子から何かを悟ったのだろう。さつきは懐から櫛を取り出した。

 

「髪が乱れているわよ。きれいにしておかないと」

 椿の櫛がゴッホの髪を梳いていく。首斬り役人に髪をつかまれる感触が思いだされたが、恐怖に身をすくませないように、ゴッホは会話に意識を向けた。

「いつもはネイトが整えてくれるから……」

「ネイトは?」

「刃こぼれした刀を直してもらってる。エグゾディ地区の施設がないと直せないんだけど、私は……今は、動く気になれなくて……」

 さつきの手がゴッホの長髪を持ち上げ、櫛で梳かしていく。心の傷が少しずつ癒されていくような気がした。

 

「刀といえば……」

 さつきの言葉を聞いて、ゴッホはびくりと震えた。昨日は、同じ言葉から首斬り役人のことを聞いたのだ。無意識に、呪いのような響きに感じている。

「ゴッホはどうやって剣術を身に着けたの?」

 それを察してか、さつきは死の芸術家を話題には上らせなかった。

 

「どうやって……って?」

「エグゾディにもいくつか道場があるけど、 どこかに弟子入りしたの? それとも、剣術の秘伝書を手に入れたとか?」

「ううん。弟子入りなんて、考えたこともなかった……」

 人とコミュニケーションをとることにさえ苦手意識があるのだ。文化が違う場所に一人で飛び込んで、剣の始動を受けるなんてもってのほかである。考えただけで落ち込みそうだ。

「それじゃあ、どうやって?」

「それは……」

 ゴッホはしばし考えた。どう説明するべきかを考えて、両手が空中をさまよう。

 

「かたち」

 なんとか思いついた説明が、それだった。

「形?」

「刀を手に入れることはできたから、それを見て考えたんだ。これを武器として使うなら、どういう風に扱えばいいか。どんな太刀筋ならものを斬れるのか、どんな風に体を動かせば使いこなせるのか。ものの形には必ず意味がある。人の手で作られたものなら、なおさら。筆によって使い方が違うのと同じで、刀にも使い方があるはずだって思った。だから、観察して、手に取って、自分の体で感じて……きっとこう使うんだって確信できるまで、何度も繰り返して……。私、人に聞くのがすごく下手だから。ぜんぶ、自分で考えたんだ」

 さつきはあっけにとられて、櫛をいれるのも忘れてぽかんと口を開けて聞いていた。

 

「誰にも教わらずに、あれだけの剣術を?」

「うん。……やっぱり、変かな?」

「まあ、誰にでもできることではないわね」

「うう……」

 縮こまるゴッホの髪に、再び櫛が通される。

「想像力があるってこと。ふつうなら目に見えるものの形だけしか見えないけど、あなたにはその形が持つ意味や理由を見通すことができる。形に宿る力を引き出すことも」

 

「かたちの意味……」

 ふと、その言葉がゴッホの心の中に吹き込んだ。脂のにおいがたちこめたアトリエに窓から入る風のように、涼しさを思い起こさせた。

 冴えた頭の中に、ひとつのひらめきが宿った。

「そうか、正しいかたちさえ作れれば……」

 ゴッホは立ち上がった。両足が床を踏みしめているのが分かった。

 

「行かなきゃ」

「何か分かったの?」

「うん。ありがとう、さつき。もう大丈夫」

 窓の外の景色を見つめた。枠の向こうの景色は、今や遠いどこかではなかった。

(ここがアテネス。私の街だ)

 ゴッホは歩き出した。

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