アテネス武芸帖 秘剣・簪(かんざし)   作:五十貝ボタン

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急 秘剣・簪/命と魂

 急の壱 秘剣・簪

 

 墨を溶かしたような空に星くずが放つ白光が広がり、紺と青のグラデーションが満天に広がっていた。

 風が路地を吹き抜け、獣のうなりに似た音を立てる。

 

 首斬り役人がそこにいた。頭巾をかぶり、むき出しの刀を携えて立っている。

「来たか」

 ゴッホはいま、二つの刀を佩いていた。どちらも小刀(しょうとう)である。

「俺の闇の手を防ぐため、二刀にしたのか。面白い」

 男が刀を構えた。妖刀・九腕蔵(くうでぐら)の赤い刀身が夜闇にぎらりと浮かぶ。

 

「髪を切らなくていいのか?」

 ゴッホの髪は今、首の後ろで結われていた。昨夜の髪型よりはつかまれにくいだろうが、その小手先の変化が男の神経を逆なでした。

「見栄えなど捨てなければ俺には敵わぬぞ」

 ゴッホは答えない。代わりに、腰の刀を二本とも抜いた。

 

「その刀……」

 左剣を前に、右剣を横に。じりじりと距離を詰めていく。

「その刀は、人を斬るためのかたち(・・・)をしている」

「何が言いたい?」

「切れ味を増すために頑丈さを捨てている。鍔迫(つばぜ)り合いになれば、たやすく折れるはず……」

「できるものならやってみろ!」

 

 男が踏み込んだ。見えない腕が迫る。肌に針を近づけたときのような感覚。それを頼りに剣をふるう。

 目には見えないまま、空中で伸ばされた手を払う。いなす。叩き落す。不可視の腕は一度つかまれれば剛力を発揮するが、その前に防ぐにはそれほど力を必要としない。小刀でも的確に対処すれば防ぐことができる。

(腕は男の体から伸びている。ある程度動かすことはできても、背後や横から私に攻撃することはできない。それに、狙いは私の動きを封じること。それなら、防ぐことができる)

 昨晩の戦いで、ゴッホは敵の技についていくらかをつかんでいた。不可視の腕は男の肩あたりから「生えて」きている。長さには制限があり、槍か鞭のような軌道で攻撃を仕掛けている。肌感覚でしか動きをとらえられないとはいえ、死の芸術家本体がいる場所が分かっている以上、攻撃の角度は絞り込むことができた。

 

「おのれ、小娘……」

 ゴッホの二刀が星明りを反射して青白く輝く。時には流星のように鋭く、時には風に揺れる花のようにしなやかに、闇の中の悪意を切り裂いてゆく。

 昨夜とは違って、今度はゴッホが押していた。

(やっぱり、打ち合いを避けている……!)

 ゴッホが一歩進めば、男は一歩退がる。不可視の手で攻撃できる距離を保とうとしているのだ。刀も使えば手数で優位を取れるのにそうしないのはなぜか。脆い刃を砕かれるのを恐れているに違いない。

 

(でも……)

 ゴッホとて、有利を確信できるわけではなかった。

 男の不可視の手は切り払うたびに新たに生えてくるようだった。間断なくゴッホを狙い、隙あらばつかもうとする。藝術家は肌で感じる感覚を頼りに、刀を振るって攻撃を防ぐ。体力や集中力は無限ではない。

 見えない腕を防ぎ続け、じりじりと前進する。それだけを続け、どれだけの時が経ったか。防いだ回数は、百や二百では足りないだろう。

 

「無限に戦うことはできんぞ!」

 ゴッホの顔に疲労の色を読み取ったか。男が刀を上段から正眼に持ち替え、脅すように刃を向けた。

「今……っ!」

 ゴッホは気迫とともに刃をひらめかせた。剣風により離れた位置から攻撃する技法(わざ)だ。

「むう……!」

 衝撃波となった剣風の狙いは、ほかならぬ妖刀である。ゴッホの一撃は鋭く、受ければ脆い刀をへし折るだけの威力があった。

 首斬り役人に迷いはなかった。男は刀を横に払い、代わりに左腕を突き出した。

 

 男の腕が高く跳ね上がった。死の芸術の力で生み出した不可視の腕ではない。生身の左腕だ。剣風の直撃を受けてねじれ、異様な方向に曲がっている。

「もう一撃……!」

「甘いわ!」

 斬撃を飛ばす技は連発できない。懐に飛び込もうとするゴッホだが、それは焦りによる失策であった。近づけば不可視の腕から身を守るための一瞬がなくなる。目に見えぬ腕がゴッホの腕をつかんだ。

 

「ぐぅっ……!」

 万力のような握力で、ゴッホの細腕がつかまれ、体ごと持ち上げられた。すぐにもう一方の腕にも不可視の腕が絡みつき、ゴッホの体がレンガにたたきつけられた。

「見事な戦いぶりだったぞ。やはりお前こそ、九腕蔵の百人目の獲物にふさわしい」

 ねじれた左腕をだらりと下げながら、痛みなど感じていないかのように男は笑っていた。

「私なんかが……まともにやって、勝てるわけなかった……」

 見えない腕によって、ゴッホは膝をつき、首を垂れる格好になる。見えない断頭台にかけられる姿だ。

 

「己を卑下するな。ここまで俺を追い詰めたものは初めてだったぞ」

 右腕一本で、男は刀を振り上げた。赤い刃が星明りのもとで不気味に光った。

「ついに俺の最高傑作が完成する! 百人の血をすすり、最高の刀となれ!」

 今度は、邪魔をするものはなかった。

 妖刀が振り下ろされる。ゴッホの黒髪ごと、(くび)()ねるために……

 

 がきんっ。

 

 硬い金属の音が響いた。

 そんなはずはない、と首斬り役人は思った。これまで九十九度繰り返してきて、こんなことは一度もなかった。聞こえた音、刀から伝わる手ごたえ、どれも経験と合致しない。

 妖刀九腕蔵はゴッホの首を落としてはいなかった。その直前、わずか一寸の位置で何かに阻まれている。

 髪。ゴッホの黒髪の隙間から、銀色の光が見えた。

 その光が九腕蔵に食い込んでいる。妖刀の刀身に(ひび)が入っていた。

 

「髪の中に刀を(かく)していたのか!」

 おどろきのあまり、男は術の集中を解いた。ゴッホの体を押さえつけていた不可視の腕の力が緩む。

「私なんかが勝つためには、勝てる(かたち)を作るしかない」

 ゴッホは素早く身をひねり、男の足を払った。形勢逆転。男が膝をつき、ゴッホは自らのうなじに手をやって、そこから柄のない、鍛えたばかりの短刀を取り出した。

 黒髪が広がる。その髪が風になびく間にすべてが終わっていた。

 

「やあっ!」

 裂ぱくの気合とともに刃を振り下ろす。首斬り役人はすんでのところで第三の刃を受け止めたが、すでに罅が入っていた刀身は、もろくも砕け散った。

 最高傑作が完成を目前に砕ける様を目にした男は、けしてあげなかった悲鳴を上げた。

「馬鹿なああああ!!」

「あなたは必ず、私の首を刎ねる(かたち)を作るはずだと思った。それも、首の後ろから。だから、その型を破るための(かたち)にこの刀を打った」

 乱れ髪をかき上げながら、ゴッホは涙を流した。失われた九十九人の命のために。

「あなたが捨ててきたものはぜんぶ、無駄なんかじゃない」

 

 アテネスの空は朝焼けの(だいだい)に染まっていた。

 

 

 急の弐 命と魂

 

「どうして一人で戦いに行ったんですか!」

 それが首斬り役人を逮捕したゴッホに対するネイトの第一声だった。

 美術館の中庭は今日も明るい光に包まれている。ここでは空気まで明るくなっているような気がする。

「館長にも同じことを言われちゃった……」

 ゴッホは少し気まずそうに眼を泳がせている。

 

「死の芸術家が、そうしないと他の人を殺すと脅したんでしょう?」

 と、さつき。

「おかげで一人も被害者は出なかった。お手柄じゃない」

「ううん、もっと強い藝術家なら、もっと早く解決できたはず……」

「たった一人で倒すことができたのは、ゴッホさんが強かったからです!」

「ネイト、怒るかほめるかどっちかにしてほしいな……」

 家族も同然の相手が、黙って殺人鬼と戦っていたのだ。ネイトの心労は痛いほどに伝わっていた。

 

「作戦のためとはいえ、髪が傷ついたのは残念ね」

 さつきがゴッホの後ろ髪に手を添える。気をそらせようとしてくれているのだ。

「見た目では、ほとんどわからないと思うけど……」

「そういう問題じゃないの。あんなにきれいな髪だったのに、もったいない」

「髪は女の命……っていうやつ?」

「そうよ。美しくなければ、強くても仕方ないじゃない」

 と、話していると、横合いから別の声があがった。

 

「武士の方々は、刀を『男の魂』と呼ぶそうです」

 巻き角を生やした小柄なイマージュ。スキッピオだ。相変わらず、ここで主人たるラファエロを待っていたようだ。

「……男の人のものなの?」

「昔の言葉です」

 そう言って、スキッピオはまどろみ始めた。

 

「ふうん。命に魂を(かく)すとは、洒落た技じゃない?」

 さつきが微笑む。

「私は、そんな……夢中だっただけで」

「今は館長さんがいないから、代わりに私が言います」

 ずい、とネイトが胸を張る。

「ゴッホさんは命と魂、両方を持っているということです」

「それから、守ることも」

「うん……」

 

 ゴッホは顔を上げた。山茶花(さざんか)が咲いていた。

「ネイト、さつき……それにスキッピオも。私ひとりじゃ怖かったけど、一緒にいてくれたから戦う勇気を出すことができた」

 にじむ涙をぬぐう。温かい涙を指先に感じると、生きている実感がした。

「少しだけ、自信が持てた……かも」

「かもは余計でしょ?」

「いいんです、ゴッホさんはこれで」

 

 こうして、死の芸術をめぐるひとつの事件が幕を閉じた。

 人知れず戦ったゴッホの名が人々に知られることはない……今は、まだ。

 

(了)

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