お弁当、それは恋する乙女にとって重要な意味を持つ。
主に料理が作れて家庭的という、女尊男卑の社会においても未だ根強く残る女のアイデンティティを雄弁に示せる手段として用いられることが多い。
それも好きな男性に対して、だ。
クルヴィ・エレフセリアの長大な弁当箱が示した恋する男性への好意は、同じ男性へと好意を寄せる乙女たちを震撼させるのに十分なインパクトを持っていた。
(一体いつから作っていた・・・!?あの大きさだと大量生産できる一品だけだとしても軽く5~6時間はかかるぞ・・・!?)
(なんですのあの気合いの入れようは・・・!?まさかこの前の模擬戦での失態をここに来て取り返そうと言うんですの!?最近いつもに増して妙に控えめだと思ったらそういうことでしたのね・・・!)
出遅れた・・・!それが2人の己の慢心に対する後悔だった。
しかし彼女の行動は2人の想像をさらに越えてくる。
2人は失念していた。クルヴィ・エレフセリアがそこまで積極的なら、既にかの御仁は大人の階段どころか人生の墓場へとカウントダウンを始めている。
突発的で大胆な行動が目立っているが、普段の彼女は大和撫子もかくやな控えめでいじらしい態度でアプローチを仕掛ける情緒に溢れた少女だ。
そんな彼女が、直接的な好意を外聞もなく彼に現わせるはずがないのだと言うことに。
「ふんふん、了解だよクルルー!」
「・・・ッ!」ペコッ
「みんな~!クルルーがお弁当作り過ぎちゃったから、みんなで一緒に食べて欲しいって~!」
『ッ!!!』
そうだ、こうするに決まっている。
誰のために作ったかなどあからさま過ぎるほど態度で示して置きながら、あえてそれを建前と若干の本音で優しく包み隠す。
いじらし過ぎる彼女の恋慕に、2人どころかクラス全体にまで衝撃が突き抜けた。
その時皆の頭に過ったのはただ一つの共通した思考だった。
(か、可愛い・・・!)
優しく困ったように微笑みながら、頬を淡く染めて手を静かに重ねる姿は、子猫が一生懸命こちらを見上げてくるような錯覚を覚える。
もしこれが演技なら、彼女は相当な女優になれるだろう。
「そうだね!ちょうど今月のお小遣いもピンチだったのよね!」
「私も食べたーい!」
「ハァハァ・・・クルヴィさんの手作り弁当・・・ハァハァ・・・」
「くっ・・・!なぜ私は今日に限ってお弁当を作ってきてしまったの・・・!」
みんなから愛されるイジられ小動物、それが彼女の立ち位置だった。
どこかピンク色な空気が充満する中で、渦中の人物である彼がさらに波紋を広げる。
「あ、すまん。俺ちょっと一緒に食べる約束した奴がいるからさ、ごめんなクルヴィ?」
「・・・・・」フルフルッ
『ッ!!?』
なんということだ。この男、好意に気付かないばかりか今までの彼女の苦労を全て無に帰すような所業をさらりと口にした。
しかもそれを彼女は気にしてないとばかりに柔らかく受け止める。
ああ、なんていじらしさ。その想いを足蹴する男の朴念仁さに、彼に恋する2人は憎悪をせずにはいられなかった。
「地獄に堕ちろ、一夏」
「レディからのお誘いを断るなんて、騎士にあるまじき愚行でしてよ」
「い、いや、俺も悪いと思ってるって」
「ふん、どうだかな」
「一度冬のテムズ川で頭を冷やされるといいですわ」
「うっ、本当にすまん・・・」
項垂れて明らかに落ち込んでいる様子に、2人は彼が本気で悪いと思っていると今更ながらに気付く。
少し言い過ぎたかだろうか、いや、乙女の純情を弄んだ当然の報いだ、そんな矛盾した感情が心中を掻き乱し、2人はどちらの想いも素直に現わすことができずに戸惑っていた。
その時、入口のドアが開かれ、一人の少女がタイミング悪くこの微妙な雰囲気となった教室に現れた。
「一夏!話を着けに来たわよ!」
腰に添えて胸を張りながら鳳 鈴音の言い放った言葉は、動きの止まった教室内を虚しくこだました。
鈴は妙な雰囲気となった教室を見て気付く、自分がどうやら盛大にタイミングを外した事に。
目的の人物はおろか教室全体から何の反応も返ってこない状況に、鈴は若干頬を引き攣らせる。
この妙に駄々下がりな雰囲気の中を、彼女は自らの要求を推しとおすことができるのか?
「い、一夏、約束通りお昼食べに行くわよ」
例え空気が読めようと、自分には何の関係もないとタカを括った鈴は、若干ドモリながらもそう言い切った。
ピキリッ、と何かに罅が入った音が聞こえたような気がしたが、別にそんなことはなかった、ないんだ、ないはずだ、と鈴は思った。
「鈴・・・」
「い、一夏・・・!」
「昼飯、みんなも一緒じゃダメかな?」
「ッ!?ま、まあ、別にダメって訳じゃないけど・・・」
「本当か!?ありがとう!助かったぜ鈴!」
「べ、別にあんたのためじゃないわよ!?・・・・・・私もちょっと気になることがあるしね」
「・・・ッ!」ペコッ
「む・・・」
「あら・・・」
普段は我が強くて推し一辺倒だがいざとなったら空気も読めて気配りもできる女、それが鳳 鈴音だ。
一夏と共に久しぶりに会話することを楽しみにしていた鈴には一つの懸念があった。
朝一夏に会いに行った後、自分の教室に戻る際に目撃した箱に足が生えたような謎の物体。
実際には視線の先にいる少女が巨大な箱を運んでいるだけだったのだが、何やらいい匂いの漂ってくる箱の正体と一夏の天然ジゴロっぷりが頭を過ぎり、鈴は前に一夏を見かけた時の自分の懸念が当たっていることを確信した。
よく見れば一夏の近くに侍っている女共は、あの時見かけた奴らではないか。
早急に一夏を締めあげてキリキリと吐かせるつもりだったが、こうなれば虎穴に入らずんばなんとやらだ。
直接相手の事を見極めるしかない。
出遅れたアドバンテージを取り戻すのがさらに遅れることは痛いが、こちらにはまだ約束(プロポーズ)という名の強力な武器がある。
不敵に笑って意味あり気にそれぞれ視線を送ると、その意図に何となく気付いたのか、視線を外さずに挑戦的な笑みを持って返してきた。・・・・・・・・・約一名以外は。
一夏はようやく何となく自分の発言が爆弾を投下したのだと気付いたが、既に自ら築きあげた修羅場からは逃れられない。
後に一夏を巡る戦いの中で、“第一次恋の鞘当て合戦”と呼ばれることになる戦いが、今始まろうとしていた。
(気まずい……)
織斑一夏は時折、自分がこのような空気に放り込まれる状況を多々経験している。
にも関わらず、彼は自らがその状況を作り出しているという自覚が薄い。
これに関しては、自らが女子に対して特別な態度をとっているという意識がないからだろう。
一夏にとって女性といったら姉である織斑千冬が真っ先に思い浮かぶ。
彼女を基準にして考えた時、自分の取る態度がそこまで波紋を呼ぶことはないことを一夏は知っている。
むしろ積極的に想いを伝えた方が、彼にとって望ましい結果を得られるのだ。
思春期真っ只中の彼は、そういう家族間の常識と世間とのギャップを学ぶ時期だ。
これからじっくりとっくり女性関係での問題に事欠かないであろう彼がどのように成長するかは、それこそこれからの人間関係で変わってくるだろう。
自分のことを周りから好かれるだけの人間だと思うのは、あまりに傲慢であるからして。
そんな彼は、今自分の目の前で繰り広げられる乙女達の戦をどう捉えているのか?
(なんでこいつら時々仲が悪くなるんだ?)
これは仕方がないっちゃ仕方がない。
友達と思っている人物達が、自分の預かり知らぬところで勝手に意思疎通されても原因など解ろうはずもない。
まだなんとなく空気を察しているだけマシと言えるだろう。
左にはファースト幼馴染たる武士っ娘、篠ノ之箒が黙々と卵焼きを口に頬張っている。
右にはセカンド幼馴染にして元気なチャイナ娘、鳳 鈴音が唐揚げを咀嚼。
正面にはクラスメイトで友人の2人、セシリア・オルコットとクルヴィ・エレフセリアがサンドイッチと紅茶を楽しみながら時折こちらに視線を送る。
そして周りを囲むように展開するクラスメイト女子一同による包囲網。一人一人が談笑しながらも一定の注意を中心に居る一夏達に集中させている。
昼食という憩いの時間の裏には、主に一夏を巡っての水面下の戦い。
一夏がいつもの食欲を発揮するには中々緊張感の伴う食卓だ。
「ねぇ、あんたがこれ作ったの?」
「……ッ!」コクコク
「ふうん、結構おいしいじゃない」
「……ッ!」ペコペコ
「当然ですわ、クルヴィさんはこのわたくしも認める立派な淑女でしてよ」
「別にあんたに聞いてないし、つかあんた誰よ」
「なっ!?こ、このイギリス代表候補生であるセシリア・オルコットをご存じありませんの?」
「あたし他の国のことってあんまり興味ないのよねー。一応国家代表くらいは覚えてるけど、候補生なんて一々覚えてられないわよ」
「な、なんですって!?」
「……ッ!?」ガシィッ!
「クルヴィさん!離して下さいな!この方とは一度お話を付けなくてはなりませんの!」
「……ッ!……ッ!」ブルブル
飾らないのは確かにいいんだが、余計に引っ掻きまわすのはやめてくれと一夏は思った。
「一夏、そろそろ説明しろ。その女はいったい誰だ?」
お茶を飲み干した箒が、横目でジロリと睨みながら尋ねてきた。
この雰囲気が箒の危険信号だということを察知した一夏は、咀嚼していたご飯を飲み込み、慌てて詳細を語り始めた。
「あ、ああ、鈴は箒が転校してきた時ちょうど入れ違いで転校してきたんだ。中学2年までは一緒だったから、箒はファースト幼馴染で、鈴はセカンド幼馴染ってとこかな?」
自分でもファースト、セカンドってなんだよと思いながら、必死に口を動かす。
皺の寄った眉間にエマージェンシーを感じる一夏だった。
「鈴、こっちは前に話したことがあったろ?篠ノ之 箒だ、仲良くしてくれ」
「へぇ、あんたが噂の……。そうね、ぜひとも仲良くしていきたいわ。一夏共々(・・・・)」
「……ッ!そうだな、こちらも友好を結ぶことに異論はない」
好戦的な笑みを浮かべながら互いに視線を交わす2人の様子は、好意的に見れば仲良く見えるだろう。事情を察しているものには争奪戦への宣戦布告にしか見えないが。
この場合、一夏が前者で、他の者が後者だ。
しかし、争奪戦の参加者はこの2人だけではない。
正面にも2人、彼に対して彼女達と同じ感情を持つ乙女がいるのだ。
その2人がこの状況を黙って見過ごすはずがない。
「お待ちください!一夏さんはわたくしの友人、一夏さんと友好を結ぶならわたくしとも手を取り合うべきでは?」
「別にいいわよ?あたしと一夏より仲良くなれるかは解らないけど」
「望むところですわ」
まずはセシリアが待ったをかけ、一夏争奪戦への参加を表明した。
鈴はこれを快く承諾し、互いにますます戦への想いをたぎらせた。
「それで?あんたはどうするの?」
「……ッ!」グッ!
どう切り出すか迷っていたクルヴィは、鈴の問いかけを受けてサムズアップで答える。
普段はホワンとのほほんさんと共に微笑んでいる顔が、いつもより引き締まって見えた。
「簡単に行くと思わないでよ?なんせこの私が居るんだから」
「フッ……それはこちらのセリフだ」
「オルコットの名にかけてお相手いたしますわ」
「……ッ!」ググッ!
乙女の戦にフェアな精神があるかどうかは知らないが、彼女達は相手を自らと同等として認め、力の限りを尽くして一夏を攻略するだろう。
そして彼女達の想い人たる織斑 一夏は……
(なんか解らんけど纏ったみたいだな。みんな千冬姉ぇみたいな顔してるし)
……彼に彼女達の想いを気付かせるには、このどうしようもないシスコン基準思考をどうにかせねばならないだろう。
こうして第一次恋の鞘当て合戦は、お互いを敵として認めあうことで決着した。
彼を手に入れるという本当の決着が着くかどうかは、未だ神のみぞ知るところだろう。