【完結】運命ではなく、わたしが選んだ。   作:Sakiru

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ボーイミーツガール。或いは、ガールミーツボーイ。

 

 目の前で人が突然倒れたらどうするか。

 

 倫理的(りんりてき)には、助ける、のが正解だろう。

 親友から『変わり者』だと、そんな烙印を押されている俺だが、それくらいの分別は着く。

 

「…………………………きゅう」

 

 それ故に俺は、学園の廊下で今正に擦れ違おうとしていた女子生徒が小さな悲鳴と共に倒れた時も、その常識に従って冷静且つ迅速に動く事が出来ていた。

 

「……! だ、大丈夫ですか!?」

 

 訂正。

 全然、全くもって冷静ではなかった。

 だが待って欲しい。それは当然だろう。何せあと数年で二十歳にこそなるが、逆に言えば、俺にはたった十数年の人生経験しかない。そしてそんなたった十数年の人生に於いて、そのような経験をするというのが稀有ではないだろうか。

 声を掛け、慌てて駆け寄る。

 

「……ッ!」

 

 俺は、息を呑んだ。

 女子生徒は右向きで倒れていた。色素の薄い長髪に、同色の眉毛。(まぶた)は閉じており、一見しただけでは生死不明だ。

 こういう時どうすれば良いのだろうかと、俺は学校の授業で教わった事を振り返る。

 そうだ、まずは意識の確認だ。

 

「し、しっかりして下さい! 大丈夫ですか!?」

 

 教わった通り、ぎこちなくはあるが、耳元で叫び、肩を揺さぶる。

 だが返答はなく、沈黙が続いていた。

 まさか本当に死んでいるんじゃ……、つい、そんな事を考えてしまう。

 意識は確認出来なかった。次に行うのは、呼吸の確認だ。

 口呼吸でも肩呼吸でも何でも良い。息をしているのか、していないのか。もししていなければ、AEDを探して──いや、それよりも先に心肺蘇生を行う必要が……。

 

「…………すぅ…………すぅ…………」

 

 それは、とても小さな音だった。ともすれば、それは音楽にも聴こえた。

 結論を言うのであれば、女子生徒は、浅くはあったが呼吸を繰り返していた。素人の俺でも、それは分かる。

 

「よ、良かった……」

 

 ぶわっ、と全身から冷や汗が噴き出た。それと共に、身体から力が抜けてしまう。ヘナヘナと地面に座り込む。

 この学園に入学するにあたり、両親から餞別として貰い大事にすると約束していたスーツだったが、この非常時だ、仕方ない。小さな傷を付けてしまったが、きっと許してくれるだろう。

 

「さて、次はどうすれば……」

 

 自分を安心させる為の独り言を呟きながら、俺は辺りを見渡した。声を掛けている時、俺はかなりの大声を出していたと思うのだが、人が来る気配はない。

 それならば、と俺は携帯を取り出した。同じ『夢』を持ち一緒に入学した親友か、或いは、学園。事態が大きくなってしまうだろうが最悪、救急車に連絡しようと思いながら電源ボタンを押す。

 

「うん……?」

 

 俺は首を傾げた。

 何度押しても、画面が付かなかったのだ。カチカチ、とボタンを繰り返し押し、そこでようやく俺は思い出す。昨夜は充電するのを忘れてしまっていたのだ。親友と明るい未来について熱く語り合っていたら、寝落ちしてしまったのだった。

 エネルギー残量ゼロの、ただの固い板となってしまった物を俺は忌々しげに睨むと、ポケットの中へ乱暴に突っ込んだ。

 

「誰かー!? 誰か居ませんかー!?」

 

 声を張り上げ、俺は呼び掛ける。だが、返答はない。この棟には俺と、この女子生徒以外居ないのだろうか。

 

「……」

 

 俺は改めて、女子生徒を見た。呼吸は安定しており、表情も特別変わりはないように思える。

 緊急性はないと思いたいが、専門職でない俺には判断出来ない。

 助けは期待出来ない。

 それなら──少しの躊躇の後、俺は女子生徒を抱き抱えると、静かに立った。幸運な事に、保健室の場所は記銘している。

 俺は走りたく衝動を抑えつつ、なるべくゆっくりと、しかし早足で廊下を歩き始めた。

 少女の身体は、こちらが心配になる程に軽かった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 夕陽が、カーテンの隙間から射し込んできていた。あたたかな光が、夢の世界へ誘ってくる。俺はそれに全力で抵抗しながら、ベッドで眠っている少女を見詰めていた。

 保健医曰く、体温や血圧、脈拍といった、所謂バイタルサインに異常はなく、緊急性はないとの事だった。今はこうして、眠り姫のようにすやすやと寝息を立てている。

 

「何をやっているんだろうな……」

 

 パイプ椅子の背もたれにもたれ掛かりながら、俺は呟いていた。

 俺が此処にいるべき理由は、もうない。今の所ではあるが、彼女の命に別状はないと分かった時点で、俺も帰宅すべきだろう。

 

 それでは何故、俺はまだ此処に残っているのか。

 

 少しの時間一度席を外すと言った保健医からは、帰って良いと通達されている。だが俺は、俺の口は気が付けば彼女が目覚めるまで付き添うと言っていたのだ。その言葉に、俺自身が一番驚いた。

 そうしていると、保健医はあっさりと許可を出した。自分が居ない間、様子観察を頼むとまで言われてしまった程だ。どうやら俺の対応方法は間違っていなかったようで、当時の話を聞いた保健医から信用されてしまったらしい。

 

「――出遅れたなぁ……」

 

 深々と、溜息を吐く。

 今こうしている間にも、ライバル達は『才能の原石』を見付け、声を掛け、そして契約を結んでいるのだろう。この学園に入学して、既に数日が経っている。

 俺が目星を付けていた生徒も、中にはそうしているだろう。

 人としては、俺の行動は間違っていなかっただろう。

 だが、俺個人としては、どうなのだろうか。

 もしかしたら、今日という日が、俺の人生に於ける分岐点だったとしたら。もし悪い方に進んでしまっていた場合、俺は、俺の夢を叶える事が出来るのだろうか。

 そんな悲観的な事を考えてしまう自分自身に、俺が苛立ちを覚えていると。

 

「ん……んん……」

 

 呻き声が聞こえた。

 ハッと見ると、少女が眉毛を震わせながら、瞼を開ける所だった。それまで閉じていた瞳が現れる。

 そして、その瞳は天井からゆっくりと横──俺に向けられた。

 

 その時。

 

 俺は、ゾッとした。

 その美しい琥珀色(こはくいろ)の瞳は、異彩な輝きを放っていた。その引力は、俺の心臓を鷲掴みにしていた。

 

「……目が覚めましたか?」

 

 少女は、儚げな雰囲気を纏いながら、こてんと首を傾げながら聞き返してきた。

 

「……何処?」

 

「保健室です。覚えていませんか? あなた、廊下で歩いていたら急に倒れたんですよ?」

 

 経緯を伝えると、少女は納得したようだった。小さく頷く。

 

「覚えてる。力を使い果たして、倒れた」

 

 ……。

 …………。

 

「すみません、今何と?」

 

「あなたが、運んでくれたの?」

 

「ええ、そうです。それよりも、今、何と仰いましたか?」

 

「ありがとう。命拾いした。あなたは命の恩人」

 

 は、話が通じない。

 少女は、とてもマイペースな性格のようだった。

 ここまで個性的な人間と話す事は中々ないだろう。そう思っていると、彼女がジッと俺を見詰めている事に気が付いた。

 何やら言いたい事がある様子だが、俺も伝えるべき事がある為、彼女には悪いと思いつつも先に口を開ける。

 

「保健医は今席を外しています。しかし安心して下さい。すぐに戻ってくるそうです」

 

「そう」

 

 少女は短くそう言うと、依然として俺の顔をジッと見てきた。

 居心地悪く思っていると、おもむろに、小さな口が開く。

 

「あなたは、プロデューサーの人?」

 

「そうですが、何故そうお思いになられたのですか?」

 

「スーツ着てるから。そうかなって」

 

 この場合に於いては、的を射ている回答。

 俺は居住まいを正すと、自己紹介をした。

 

「申し遅れました。プロデューサー科一年の──」

 

 少女は「そう。素敵な名前、だね」と全然そんな事思ってなさそうな無表情で言うと、自身の手を胸に当てて言った。

 

「わたし、アイドル科一年の篠澤(しのさわ)……(ひろ)。あなたと同じ、新入生。初めて、プロデューサー科の人と会った。はじめまして」

 

「こちらこそ、はじめまして」

 

 何となく、互いにぺこりと頭を下げる。

 俺がプロデューサー科、彼女がアイドル科と名乗った通り、この学園は普通ではない。

 この学園──初星学園(はつぼしがくえん)は、国内有数のアイドル育成校として有名だ。

 中高一貫、さらには専門大学が一体化されている私立学園である。

 俺のようなプロデューサー科の生徒は、一定の成績を収めて学園から認可されれば、彼女のようなアイドル科の生徒と契約を結び、プロデュースする事が可能だ。一応、普通科もあるが、アイドル科としての知名度の方が遥かに高いだろう。

 学生時代中にアイドルとしてデビューが決まると、この学園の学園長、十王(じゅうおう)邦夫(くにお)が経営している芸能プロダクションとの専属契約も可能になる。

 

「……」

 

 自己紹介が終わって尚、何を考えているのかさっぱり分からない琥珀色の瞳で、少女──篠澤さんは俺を見詰めてくる。

 俺は俺で、どう対応したら良いか分からず困惑していた。篠澤さんが目覚めた以上、今度こそ俺は退室すべきだろう。知らない相手に看病されても困るだろうし。

 だがしかし、俺が動くよりも、篠澤さんが動く方が早かった。

 

「わたしを、プロデュースして欲しい」

 

 恐らく、俺はとんでもない間抜け面を晒しているだろう。そんな確信が俺にはあった。

 

「きゅ、急ですね……」

 

「うん。それで、返事を聞かせて欲しい」

 

 早い早い早い。

 展開があまりにも早すぎる。

 俺の当初の計画では、もし自分がプロデュースしたいと思える相手と出会った場合、こういった話はもっと段取りを踏もうと考えていた。

 だが、篠澤さんはそんな俺の計画なんぞ知らんと言わんばかりに、さながら特急列車のように話を進めてしまっている。

 俺は深呼吸をしてから、冷静さを取り戻すと、頭を下げて言った。

 

「申し訳ございません、そのお話はお断りします」

 

 それは、俺なりの誠意だった。

 例え向こうが思い付きで話を振ってきたのだとしても、誠意を以て対応した方が良いだろう。

 だがしかし、篠澤さんは少なくとも思い付きで言ってきた訳ではないようだった。

 

「もしかして、他の人と契約を結んでいる?」

 

「……いえ、そういう訳では。それに仮にそうだったとしても、掛け持ちは可能です」

 

 中には軽々と複数のアイドルをプロデュースしている先輩もいると聞く。

 ……とはいえ、俺にそれは無理だろう。破綻するのが目に浮かぶ。

 

「じゃあ、何で?」

 

 篠澤さんが、琥珀色の瞳で尋ねてくる。

 俺はそれに真正面から返しながら、それが、残酷な事だと分かっていながら、されどプロデューサー科の生徒の一人として、言わざるを得なかった。

 

「篠澤広さん。あなたは、アイドルに向いていない」

 

 アイドルを夢見る少女にその言葉は、鋭利な刃物のように突き刺さった筈だ。

 ところが、篠澤さんは俺の言葉に対して、怒る事も悲しむ事もしなかった。

 それどころか、

 

「ふふ。そうなんだ。わたし、アイドルに向いていないんだ。そうだろうと思っていたけど、面と向かって言われたの、初めて」

 

 篠澤さんは、上機嫌に微笑んだ。

 これに、俺は困惑してしまう。俺の想像とは違った反応を見せる、目の前の少女が得体の知れない存在に思え始めてきた。

 

「ねえ。プロデューサー科のあなたは、アイドル科の生徒の事を把握している?」

 

「……ええ、ある程度の事は。あなたの事も、知っていますよ。有名ですからね」

 

「……有名? わたしが?」

 

 心当たりがないと言った表情で、篠澤さんは首を傾げた。

 

「弱冠十四歳で海外の大学を卒業してみせた、天才。日本有数の頭脳を持つのが、あなたです」

 

「うん、そうだね。他には?」

 

「……初星学園が創設されてから初めて、実技試験でゼロ点を叩き出しています。筆記は満点だったそうですが、正直な所、何故それで合格出来たのか疑問です」

 

 全プロデューサー科の生徒の総意を口にすると、篠澤さんは、やはり、他人事のように答えた。

 

「えっと、ね。面接の時、変なおじいちゃんが」

 

 変なおじいちゃん──改め、学園長曰く。篠澤さんに対して、『見込みがある!』と言ったそうだ。

 学園長とは俺も面識がある。

 ()()学園長が本当にそのような事を言ったのか、正直、半信半疑であるが、この学園に入学しているという事は、そういう事なのだろう。

 学園の上層部の力が作用していると説明された方が、納得出来るというものだ。

 俺は改めて、篠澤さんを見詰めた。

 眠たげに細められている琥珀色の瞳。色素の薄い、亜麻色の長髪。顔は、整っていると言えるだろう。それこそ、トップアイドルと比べても遜色ない。

 だが、それ以外が駄目だった。歌唱力については分からないが、線は細く今にも折れてしまいそうな身体は、激しい踊りが出来るとは思えない。

 力尽きて倒れたという先程の言葉通り、生きているのに精一杯の彼女が、アイドルになれるとは到底思えない。

 

「ふふ。物凄く、わたしの事を低く評価しているね。そんな目をしている」

 

「申し訳ございません。しかし、そうですね。俺には、学園長の言う『見込み』がさっぱり分かりませんでした」

 

「ううん、それは、きっと正しい。自信を持って」

 

 そう言って、篠澤さんは俺を勇気付けるように微笑んだ。

 ……駄目だ、会話の主導権を握られていると思えてならない。俺は深呼吸すると、尋ねた。

 

「あなたは、周りから沢山の期待をされていた筈です。そして、その期待にずっと応えてきていた」

 

「うん。みんなが、わたしを沢山褒めた」

 

「しかしあなたは、その約束された将来を捨てて、今この場に居る」

 

「うん、そうだね」

 

「アイドルに拘る理由が、何かあるのですか?」

 

 それ相応の理由がなければ、そのような決断は出来ないだろう。

 それまで俺の質問に即答していた彼女が、ここで初めて、ワンテンポ遅れて言った。

 

「……えっと、ね。わたしに、いちばん向いてなさそう、だから、かな」

 

 ……。

 …………。

 

「ふふ。ちっとも分からないって、顔をしてる、ね」

 

「ええ。ちっとも分かりません」

 

 普通、ある程度適正がある事を人は行う物だ。それは仕事であったり、スポーツであったりと形は様々であるだろうが。

 所が、篠澤さんは『自分に向いていない、だからアイドルをやる』と主張している。

 その行動原理が、俺にはさっぱり分からない。これは、俺が凡人で、彼女が天才だからなのだろうか。

 価値観の相違が、今、起きていた。

 

「しばらく一緒に居れば、分かる、かも?」

 

 その可能性はあるだろう。

 同じ時間を過ごす事で、分かる事は確かにある。

 

「あなたの事情。興味が全くないとは、言いません」

 

 しかし、と俺は続けて言った。

 

「それでプロデュースをしろ、という話なら引き受ける事は出来ません」

 

 きっぱりと俺はそう言った。しかし、篠澤さんは引き下がらなかった。

 

「それなら、お試し」

 

「……お試し」

 

「そう、お試し。あなたが嫌になったら、契約解除してくれて構わない」

 

 何だ、それは。

 解除する前提の契約など、聞いた事がない。

 俺はしばらく絶句した後に、膨らんでいた違和感を口にして尋ねた。

 

「どうして、そこまで俺に拘るんですか?」

 

 篠澤さんは、琥珀色の瞳で言った。

 

「あなた以外にプロデュースしてくれそうな人が居ないから。それに、わたしのプロデューサーはあなたが良い。何となく、そう、思ったから」

 

 何だ、それは。

 まるで、愛の告白みたいではないか。

 初対面の人間に、どうしてそこまでの事を言えるのか。

 

「何より──わたしがアイドルになる為には、プロデューサーは絶対に必要」

 

 中にはセルフプロデュースするアイドルも居るが、篠澤さんにはそれが出来ないだろう。

 客観的にそれを分かっているのは、立派と言えるのか、そうではないのか。

 

「えっと……返事を、聞かせて欲しい」

 

 琥珀色の瞳が、俺に注げられる。僅かに揺れているのは、不安に思っているからだろうか。

 

「…………」

 

 俺は、長い、長い沈黙の末。

 大きな溜息を吐きながら、言った。

 

「……分かりました。()()()()()()()()()()()()。一ヶ月だけ、プロデュースを引き受けましょう」

 

「ほんとう?」

 

「嘘は吐きませんよ。契約を更新するかどうかは、月末にその都度話しましょうか」

 

「わっ。嬉しい」

 

 僅かに喜色が混じった声で、篠澤さんは微笑を浮かべた。

 

「あのね。わたし、アイドルにちっとも、全然、向いていないけど。本気で、全力で、頑張るよ」

 

 琥珀色の瞳が、一瞬、確かな色を放ったのを俺は見た。

 

「……そうでないと困りますよ」

 

 憎まれ口を叩いた後、俺は今後について篠澤さんと簡単に話し合い、幾つかの書類に記入して貰うと、保健室をあとにした。

 道中、用事を終えた保健医と会う。俺は彼女に、篠澤さんの容態を告げた。保健医から感謝の言葉を受け取り、校舎から出る。

 そして、思った。

 

「スカウトする側が、スカウトされてしまった……!」

 

 溜息を吐いた後、俺は空を見上げる。

 陽は沈み、穏やかな夜が訪れようとしていた。

 

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