その翌日の、放課後。
俺は大学の授業が終わると、アイドル科のある棟に向かっていた。篠澤さんを迎えに行く為である。
アイドルを目指している彼女達は、とても輝いていた。
俺以外のプロデューサーも当然と言うべきかおり、スーツ姿の人間が見える。
「よう」
篠澤さんの教室目掛けて歩いていると、一人の男性が気さくに片手を挙げて挨拶をしてきた。その傍には、彼の担当アイドルと思われる女子生徒が居る。
「メール見たぜ。お前も遂に、プロデュース相手が決まったんだな。おめでとう。そしてようやく、俺と同じラインに立ったか」
とても嬉しそうに親友は笑った。
この親友とは、切磋琢磨しながら競い合ってきた。どちらが先に『夢』を叶えるのか、今はそれを勝負している最中でもある。
流石と言うべきか、親友は俺より数日も先に担当アイドルを決めていた。というか、入学初日に契約を交わしていた。その行動力、決断力は俺とは段違いだと言える。
話には聞いていたが、直接顔を合わせるのは初めてだ。
俺は挨拶を返しながら、ちらりと彼の担当アイドルを観察し、そして驚いた。
『トップアイドルの原石』とは、彼女のような人をきっとさすのだろう。
俺が絶句しているのを見て、彼は自慢げに口角を上げた。
「凄いだろう。彼女は、絶対にトップアイドルになる。いや、俺がそうなるよう、全力でプロデュースする」
何て答えたのか、俺は覚えていなかった。
早々に担当アイドルを見付けた親友を素直に称賛した気もするし、俺も負けないぞと虚勢を張った気もする。
気が付けば、友人とその担当アイドルは俺の前から姿を消していた。
隅とは言え、廊下で立ち尽くす俺は通行人にとってさぞ迷惑だっただろう。
「プロデューサー。ねえ、プロデューサー」
くいくいと袖を引っ張られ、俺は我を取り戻した。
目線を下に下げると、そこには俺の担当アイドルである篠澤さんが立っていた。俺を覗き込んでくる。
俺は琥珀色の瞳から逃げるように咳払いをすると、彼女に挨拶をした。
「……こんにちは、篠澤さん」
「うん、こんにちは。プロデューサー、大丈夫? ぼーっとしてたけど」
「……ええ、大丈夫です。少し、考え事をしていました」
咄嗟に吐いた嘘は、篠澤さんの目にどう映ったのか。
だが彼女は、「ふぅん」と言うだけで追及する事はしなかった。
「プロデューサーは、どうして此処に?」
「今後の事について話をしたいと思いまして」
「今後の事?」
「ええ、そうです。大事な話ですから、場所を変えましょうか」
「ん、分かった」
短く首を縦に振る篠澤さんを引き連れ、俺は移動を開始した。
──……した、ところまでは良かったのだが。
思いもしない
「ぜぇ……ぜぇ……待って……」
息を切らしながら、篠澤さんが呻き声を上げる。
「まさか、ここまで体力がないとは……」
男性と女性では、歩幅に差がある。その事を念頭に入れつつ歩いていたのだが、最初は真横に居た篠澤さんは、気が付けば後方に居た。
篠澤さんは今にも事切れそうな表情で、しかしどこか誇らしげに言った。
「……ぜぇ……ぜぇ……ふふ。わたしの、たいりょくの……なさ……を、あまく、みちゃ……ぜぇ……ぜぇ……いけない……うぷっ……」
うぷっ、だなんて、女の子が言っちゃいけないと思うのだが、そんな突っ込みを入れる気にもなれない。
俺は目眩を覚えつつ、篠澤さんに近付いた。
「……ゆっくり、向かいましょうか」
今の俺には、そう言うだけで精一杯だった。
そして何故か、篠澤さんはどこか嬉しそうだった。
「ここ、初めてきた」
「そうでしょうね。プロデューサーが居ないアイドル科の生徒には、縁のない棟でしょう」
本校舎とは離れた、別棟。その廊下を、俺と篠澤さんは歩いていた。
そしてとある一室の前で、俺は立ち止まる。
「この部屋で、話をするの……?」
数秒遅れて追い付いてきた篠澤さんが、小首を傾げて尋ねてくる。
俺はそれに頷きながら、懐から二つの鍵を取り出した。その一つを、篠澤さんに預ける。
「この教室の合鍵です。無くさないで下さいね」
「うん、分かった。それでプロデューサー、この教室は一体……?」
「そうですね。様々な呼び方があるとは思いますが──」
俺はわざと一呼吸間を置くと、扉を解錠してから言った。
「此処は、俺達だけの事務所です」
開け放たれた教室には、ノートパソコンに
「事務所……。聞いた事が、ある。へえ、此処が……」
興味深そうに室内を見回しながら、篠澤さんがそう言った。何か、感じる所があるのかもしれない。
俺は肩に掛けていたバッグを
「プロデューサー科の生徒には、一人ひとり、専用の教室が用意されているんですよ」
「へえ、そう、なんだ」
「とはいえ、貸出の条件は契約を結ぶ事ですが。学園に篠澤さんとの契約を申請し、正式に受理されました。その時に、この教室の鍵を貰ったんです」
プロデューサー科の生徒はアイドル科の生徒よりも数こそ少ないが、居ない訳ではない。その生徒一人ひとりに教室を与えるだなんて芸当、普通なら出来ないだろう。これも、一代で成功してみせた学園長の力があってこそだろう。
「さて、それでは話をしましょうか」
「うん」
琥珀色の瞳が、俺の事を見詰めている。
俺は鞄から一枚の用紙を取り出すと、彼女に手渡した。
「これは……?」
「俺なりに、現在の篠澤さんの状態をレポートしてみました。それが書かれています」
「わっ、凄いね」
「とはいえ、急造のものですが。粗も多いでしょう」
「それでも、昨日の今日で凄い」
篠澤さんはそう言うと、俺の目を琥珀色の瞳で覗き込むようにしてきた。
俺は顔を背けつつ、「確認を」と伝える。
彼女は頷くと、目線をレポートに落とした。そして読み終えたのだろう、彼女は機嫌が良さそうに声を弾ませる。
「わたしの事を、よく、わかってる」
その感想に、俺は困惑してしまう。恐る恐る、俺は尋ねた。
「怒らないんですか……? その、言葉こそ取り繕っていますが、かなり貶している内容ですよ?」
「ふふっ、そうだね。それを分かっていながら見せてくるだなんて、プロデューサーは、鬼畜」
「でも」と篠澤さんは真面目なトーンで続けて言った。
「とても、客観的な、データ。プロデューサーは、研究者に向いている」
予想だにしなかった返答に、俺は面食らった。
俺は改めて、自分用に保存しているレポートを見る。そこには、歌唱力、ダンス力、表現力といった、アイドルとして絶対に欠かせない評価項目がずらりと書かれていた。
そして軒並み、目の前の少女──篠澤広の数値は低い。
「……これを作って改めて思いましたが、篠澤さん、あなたはやっぱりアイドルに向いていない。そう思えてなりません」
「ふふ。そう、だね。今日もダンスレッスンがあったけど、最初の準備運動で力尽きちゃった」
「……それはアイドルどうこう以前に、人としての体力、筋力不足なのではないでしょうか」
「正解」
それはもう見事なドヤ顔で、篠澤さんは言った。
俺はこめかみを押さえながら、別の書類を取り出す。
「今度は、なに……?」
「勝手ではありますが、一部の座学授業を免除出来るように手続きしておきました」
「……おお。そんな事、出来るんだ」
「制度としてはあります。とはいえ、活用出来るのはほんのひと握りの生徒だけですが」
この学園は何も、アイドルにばかり重きを置いている訳ではない。寧ろその逆、定期試験などで悪い成績を取ってしまった際は一定期間のアイドル活動の縮小などが罰として与えられる程だ。
そして、その方針は正しいだろう。俺も同意見だ。
「篠澤さんの頭脳は素晴らしいですからね。本来なら、専用の試験などを受けて合格する必要があったそうなのですが、それさえも免除されました」
「わたし、凄い?」
「ええ、とても」
俺は素直に褒めた。
しかし。
「…………………………むぅ」
俺の予想に反して、篠澤さんは不満そうに唇を尖らせていた。心底詰まらなそうにしているのが、出会って一日も経っていない俺にも分かる。
……。
……普通、ここは照れたり喜んだりするところじゃないだろうか。
「……手続き、ありがとう。プロデューサーは嫌々引き受けてくれたと思っていたけど、実は、そうじゃない?」
「例えそうだとしても、それはそれ、これはこれです。全力を尽くすのは当然でしょう」
「ふふ。嬉しい。プロデューサーのそういうところ、好き、だよ」
琥珀色の瞳で、篠澤さんは言った。
俺は激しく咳き込みながら、不思議そうな顔をしている彼女に苦言を呈す。
「仮にもアイドルが、いえ、女の子が、異性に軽々と好きだなんて言わないで下さい」
「……? うん、分かった。気を付ける」
ちっとも分かってなさそうな顔で、篠澤さんは頷いた。
「それで、プロデューサー。空いた時間は、何をすれば良い?」
「レッスン……と、言いたい所ですが。それは今の篠澤さんには酷……というか、無理でしょうね」
「ん。絶対、倒れる」
自信満々に断言するのを、やめて欲しい。
「……ですので、体力をなるべく消費しない事を行いましょうか」
「例えば?」
「アイドルの動画を観る。学園の他の生徒のレッスンを見学する。ライブに行くのも良いでしょうね」
「おおっ、ライブ。わたし、アイドルのライブ、行った事ない。楽しみ」
本当にアイドルを目指しているのかと疑いたくなるような台詞が聞こえた気がしたが、気の所為だろう。
俺もいい加減、段々、分かってきた。一から十まで拾っていたら、キリがない。こっちが先に音を上げてしまう。
「ね、ライブには、プロデューサーも一緒に行こうね」
声を少し弾ませて、篠澤さんが誘ってきた。
「まあ、先輩方もよく敵情視察で担当アイドルとは他のアイドルのライブに行くとは聞きますが……しかし、単純に楽しみたいのなら、ご友人と行けば良いのでは?」
何も俺である必要はないだろう。
そして俺の疑問に、篠澤さんは悲しい事を誇らしげに言ってきた。
「ふふ。わたし、友達少ない。この学園に入学するまでは、一人も『友達』と呼べる人は居なかった。そういう意味では、友達が出来ただけで、この学園に来て良かったと思う。友達って、良いね」
「…………そうですね」
俺も友人が多いとは到底言えない為、そう返すので精一杯だった。
ゴールデンウィークが終わった、五月の上旬。
朝のHRの前、生徒たちが談笑を交わしている中、幽霊の足取りで廊下を歩く女子生徒が居た。送られてくる奇異の眼差しを無視し──というか、反応する余裕がないだけである──その人物は、一年二組と書かれた表札の所で立ち止まる。
「おは……よう……」
息も絶え絶えな状態で、篠澤広はクラスメイトに挨拶をした。登校するだけで絶命し掛ける篠澤を見て最初は混乱していたクラスメイトも、この頃になるとすっかりと見慣れていた為、特別、反応を示す事はなくなっていた。
「おはよう、篠澤さん。今日も大変そうだねー」
「うん」
「ねね、篠澤さん。もし良かったら、後でで良いから勉強教えてくれない? 数学の課題が難しくてさー」
「分かった」
「おはようございます、広さん。もし良ければ、一緒に日向ぼっこしませんか」
「良いね。でも、また、今度」
自分の机に、ノロノロとした亀の足取りで向かう広。そんな広に、クラスメイト達は声を掛けていく。
そしてようやく、広は自分の机に辿り着いた。そのまま机に突っ伏そうとした所で、二人の女子生徒が近付いてくる。
「おはよう、広ちゃん!」
「おはようございます、篠澤さん」
「うん。おはよう、
篠澤は何とか顔を上げ、友人達に挨拶を返した。
入学して出会ってから今に至るまで、広は二人と学園生活を送っていた。
「今日も死にそうな顔をしているねー」
「花海さん!?」
全く悪びれずに失礼な事を宣う佑芽に、千奈が素っ頓狂な声を上げる。
広は全く気にしていないが(事実である為)、この花海佑芽という愉快な人間はナチュラルに毒を吐くきらいがある。しかも本人は、その事を自覚していない。あと、高校一年生にしては破格の、とても大きい物を胸部に持っている。広や千奈とは雲泥の差である。
「でも、珍しいね。いつもは広ちゃん、もっと時間掛けて登校してくるのに」
佑芽が下敷きでパタパタと広の事を扇ぎながら、疑問の声を上げる。
そして、甲斐甲斐しく額の汗を手巾で拭いながら、千奈も同じ意見を口した。
「確かにそうですわね。登校時間を早めたんですの?」
「うん、そんな所、かな」
広は肯定した。
佑芽がさらに質問を投げる。
「そうなんだ! でも別に、時間は掛かってても広ちゃん遅刻した事はなかったよね?」
「うん」
「何か理由でもあるの?」
「わたくしも気になりますわ。もしあるのでしたら、是非お聞かせ下さい」
佑芽の千奈が好奇心を隠さず、広に近寄る。
広は少しだけ二人から距離を取ると、質問に答えた。
「プロデューサーが、わたしを心配、してくれて。今日から、一緒に登校するようになった」
表情を少しだけ緩ませて、広が言うと。
佑芽と千奈は顔を見合わせて、次の瞬間には叫んでいた。
「「プロデューサー!?」」
大音量を直接喰らい、広は意識を刈り取られる所だった。堪える事が出来たのは、奇跡に等しい。
広が目を回していると、佑芽が、広の両肩をガシッと強く掴んだ。
ゴギッ。
「ふぎゃ……!?」
悲鳴を上げる広に、佑芽が言う。
「広ちゃん、プロデューサーが付いたの!?」
「う、うん」
「プロデューサーって、あのプロデューサーですわよね!?」
「う、うん。そうだと、思う」
佑芽と、一歩遅れて参戦してきた千奈の迫力に押されながらも、広は頷いた。
それを見た二人のテンションは益々高まり、広は集中砲火を喰らう。
「いつから!? いつから!?」
「つ、ついこの前から」
「男性ですか!? 女性ですか!?」
「お、男の人、だよ」
黄色い声をあげる、佑芽と千奈。
そして二人は笑顔で言った。
「プロデューサー、おめでとう広ちゃん!」
「おめでとうございますわー!」
「うん。ありがとう」
広は薄く微笑んでお礼を言った。
しばらくして、落ち着きを取り戻した千奈が悔しそうに言う。
「とても、とっても悔しいですわ。先を越されてしまいましたもの。これまで、落ちこぼれ仲間だと思っておりましたのに。この中でプロデューサーが付くなら、花海さんが一番先だと思っていました」
「えっ、あたし!?」
「ええ。花海さんはとても明るくて、真っ直ぐで、夢に向かって全速前進ですから。きっと良いプロデューサーが付くだろうな、と」
千奈の言葉に、広は同意した。
「そうだね。わたしも、そう思う」
「えへへー、そんなに褒められると照れちゃうよぅ。でもさ、入学試験の結果を考えると順当な気もするよね」
入学試験の結果では、篠澤広、倉本千奈、花海佑芽の順番だった。
とはいえ、と広は冷静に指摘する。
「それは、どんぐりの背比べでしかない。わたしはワースト二位、千奈がワースト一位」
「そしてあたしは、補欠合格!」
「胸を張って言う事じゃないですわ、花海さん!?」
千奈が悲鳴を上げる。入学試験の結果は、学園の生徒全員が知っている。アイドルとしての競争意識をより強くする為である。
他クラスではあるが、篠澤広、倉本千奈、花海佑芽の事を『落ちこぼれ』と揶揄する生徒も居る。とはいえ、
「それで、そのプロデューサーはどんな人なの? 男の人なんだよね?」
「うん。歳はわたし達とあんまり変わらないみたい」
「えっ、それって凄くない!? この学園のプロデューサー科って、下手したらアイドル科以上に狭い門だって、お姉ちゃんが前に言ってたよ! 現役合格するって、中々ないって!」
「まあっ、そうなのですわね。篠澤さんのプロデューサーさんは、とても優秀な方なのですわね」
キラキラとした瞳で、佑芽と千奈が広を見詰める。
アイドル科の生徒全員にプロデューサーが付く訳ではない。母数は、プロデューサー科の生徒が圧倒的に少ないのだ。
その為、プロデューサーと契約を結ぶというのは、アイドル科の生徒にとっては他者に自慢出来る一種のステータスとなっているのである。
「広ちゃんから見て、そのプロデューサーさんはどうなの?」
「わたしにとって、すごく、いいプロデューサーだと思う」
おおっ! と佑芽と千奈は益々盛り上がった。
そしてそんな二人に、広は続けて言う。
「好き」
「「……えっ?」」
佑芽と千奈は顔を見合わせた。ややあって、千奈が恐る恐るといった具合に尋ねる。
「その、篠澤さん。今、何と仰いました?」
「……? 『好き』って、言った」
「うぇええええええええええ!?」
佑芽が驚愕の声を出し、千奈が無言の悲鳴を上げて口をわなわなと震わせる。
「篠澤さんのお口から、そんな甘酸っぱいお言葉が聞けるだなんてぇ!?」
「どどどど、どうしよう千奈ちゃん!? 胸がドキドキのワクワクしてきたよ!?」
「わたくしだって同じですわ!?」
キャーキャーと言い合っている佑芽と千奈を、広は不思議そうに見ていた。
「ねっ、ねっ! もっと聞いても良い?」
「うん、良いよ」
「そのプロデューサーさんの、どんなところが好きなの!? スカウトされた時に、格好良い言葉を言われたりしたの!?」
「えと……スカウト? は、わたしの方から、した。ふふ。プロデューサー、とても嫌そうだった」
「「……えっ」」
硬直する友人達を気にせず、広は言う。
「プロデューサーの好きな所は……この学園の中で、一番、わたしの事を低く評価している所」
「「…………えっ?」」
「今は、お試し期間中なんだけど。もしかしたら、月末になる前に契約を断ち切られるかもしれない」
「「………………えっ?」」
「あと、時々。わたしの事を、宇宙人を見るような目で見てくる。そういう所も、好き。ふふ。来月の今頃は、どうなっているかな。全く、予想出来ない」
「「……………………」」
笑みを浮かべ、広は自身のプロデューサーへの想いを語った。
佑芽と千奈。我に返ったのは全く同じタイミングだった。
広に聞こえないよう、ヒソヒソと囁き合う。
「広ちゃんのプロデューサーさん、大丈夫かな? 変な人じゃないよね?」
「ど、どうでしょう……。今のお話を聞いた限りでは、判断出来ませんわ。
「あたしもだよ。進学組は知っているのかな。ほら、あたし達は外部受験だったし」
「そうですわよね。──それで篠澤さんのプロデューサーさんですが、全くの悪人という事はないと思いますわ」
「な、何で?」
「心配だからと、わざわざ篠澤さんを迎えに行っているのですわ。放課後はよくスーツを着たプロデューサーさんがこの本校舎にいらっしゃるのを見掛けますが、朝の忙しい時に、自分の時間を割くというのは中々出来る事ではないと思いますの」
「おおっ! 千奈ちゃん、名探偵みたい! そ、それじゃあさ。広ちゃんはそのプロデューサーさんの事を好きなのかな?」
「そ、それは異性として、ですわよね?」
「うん!」
「……それは、分かりませんわ。篠澤さんは掴み所のないふわふわとした性格ですから。先程仰っていた『好き』も、何か別の意味があるのかも……」
「だよねー」
会話を終え、佑芽と千奈は広を改めて見た。二人と視線が合うと、広は小首を傾げた。
代表して千奈が、力強く宣言する。
「いつでも相談に乗りますわ。わたくし達、お友達ですもの!」
「うん、ありがとう」
広は友人達にお礼を言うと、柔らかく笑った。
それからHR開始の鐘がなるまで、三人は和やかに会話を楽しんでいた。
「──篠澤さん、もう少し声を出せませんか?」
「これが、限界……! これ以上出したら、喉仏が爆発する……!」
「──おい篠澤、もっとキビキビと動け! 関節も固い! お前、今までどんな生活を送ってきたんだ!?」
「身体から、鳴っちゃいけない音が鳴ってる……!」
「──篠澤さん、とても整った顔をしているわ。もっと可愛くなりましょうね」
「うん、分かった。ところで、この化粧品はどうやって使うの?」
放課後の事務所。
そこで俺は、篠澤さんと向かい合っていた。否、向かい合うというのは誤った表現だろう。篠澤さんは椅子にこそ座っているが、目は虚ろで、生と死を揺蕩っていた。
果たして現世に戻ってくるのはいつになるのやら。
俺は溜息を吐くと、ただ待つだけなのも時間の無駄なので、ノートパソコンを開くのだった。
──篠澤さんが息を吹き返したのは、それから一時間が経った頃だった。
「此処は、事務所……?」
「正解です」
「プロデューサーが、此処まで運んでくれたの?」
「ええ、そうです」
「ありがとう」
「礼には及びません。今の間に、ソファーベッド設置の申請をしておきました。届いたら、次回からはそれを使いましょう」
「それは、助かる。でもそれ、通るの?」
「学園から毎月、活動費用が出されています。余程の物じゃなければ、通りますよ。手痛い出費でしたが、長い目でみた時に今のうちに購入しておいた方が良いと判断しました」
俺の説明を聞き終わると、篠澤さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
俺は咳払いを打つと、「さて」と話を始めた。
「この初星学園には幾つかの『レッスン』がありますが、その根幹となっているのは『ボイスレッスン』『ダンスレッスン』『ビジュアルレッスン』の三つです。この三つから、より専門的な『レッスン』へと繋がって行きます」
「うん」
「そして、今日。俺はプロデューサーとして、篠澤さんの『レッスン』中の様子を見学していました」
「うん。他の子のプロデューサーも居たから、驚きはしなかったよ」
「担当アイドルの能力値を把握する事は、プロデュースするにあたって当然の事ですからね」
俺が一度間を置くと、篠澤さんが「それで、どうだった?」と聞いてくる。
俺はそれに、即答した。
「論外」
「ふふ。手厳しい、ね」
「……喜ばないで下さいよ」
「ごめんなさい」
全くそう思ってない顔で謝罪されても、こちらが困るだけなのだが。
篠澤さんの価値観。思想。そう言ったものが、俺にはまだ分からない。俺は溜息を吐くと、今日のモニタリング結果を言った。
「まず、『ボーカルレッスン』。トレーナーも言っていましたが、何ですか、あれは。声は全然出てないし、抑揚もないし、歌ではなく朗読劇を聞かされている気分でした」
「音楽記号は覚えたよ。でも、身体がついて行かない。歌って、歌っているとあっという間に進んでいくね」
「『ビジュアルレッスン』も酷かった。篠澤さん、あなたの顔は非常に整っています。それこそ、容姿だけならこの学園でもトップを狙えるでしょう」
「わっ。嬉しい。わたし、可愛い?」
「そのドヤ顔をやめて下さい、腹が立ってきます。今回は自分で化粧を行う内容でしたが、まさか化粧品を何一つとして知らなかったとは思いもしませんでした」
「基本的には、自分の部屋から出る事、なかったから。それに、アイドルのお化粧は、メイクさん? がやってくれるんじゃないの?」
「それはそうですが、必要最低限は出来るようになって貰わないと色々と不都合が起こりますよ。アイドルどうこう以前に、女の子なんですから」
「ふふ。プロデューサー、わたしの親みたいだね」
「お黙りなさい。そして、最後に『ダンスレッスン』ですが……これが一番駄目でしたね。準備運動で力尽きようとしていましたし、基本的なステップはおろか、関節が固すぎで何も出来ない。俺の方がまだ柔らかいと思いますよ」
「この前も言ったけど、わたしは、体力、筋力不足。ずっと、勉強ばかりしてきたから。身体を動かした事は、全くない。自信あるよ」
そのドヤ顔、本当に腹立たしいからやめて欲しいのだが。
俺はそれから、努めて冷静にモニタリングを口にする。篠澤さんはそれに相槌を打ったり、言葉を挟んできたりした。
「──以上です。初日だけでこんなに課題が見付かるとは、俺は呆れを通り越して感動さえ覚えています。しかも難題ではなく、簡単なものばかりです」
「容赦ないね。この短い時間で、プロデューサーの態度、百八十度変わってると思う。遠慮という言葉が見えない」
「取り繕うのも馬鹿馬鹿しいですからね」
そう、言葉を濁らせて伝えても意味はない。
例え残酷だとしても、ありのままの事実を伝えなければならない。それで篠澤さんが怒ったり、俺に不信感を抱いたりするようなら、それまでだったという話だ。
「トレーナー達と、今後について相談しました。ダンストレーナーからは、『お前、正気か?』と言われてしまいましたが、無理を言ってお願いして、篠澤広専用の育成計画書を作成しました」
「凄い。この短い時間で、よく出来たね」
「言ったでしょう。あなたの課題は、簡単なものです。少なくとも他の生徒からしたら、これは出来て当然のものです」
「なるほど。何も無いわたしだから、出来る事、だね」
「そういう事です」
頷きながら、俺は書類を篠澤さんに手渡した。「ありがとう」とお礼を言った後、篠澤さんは早速、読んでいく。
「それはあくまでも簡易的なものです。数日中に、正式なものをお出しします」
その速読力は素晴らしいの一言だった。みるみるうちに読んでいく。これは武器と言えるだろう。
「うん、読んだ。とても合理的なものばかり。わたしは、これで異論ないよ」
「それは良かった。無理とか嫌とか言われたらどうしようかと思っていましたから」
ホッと俺が胸を撫で下ろすと、篠澤さんは不満そうに唇を尖らせた。
「プロデューサーは、一つ、誤解をしている」
「誤解、ですか?」
「そう捉えられても、仕方ない、けど。前にも、言ったけど」
琥珀色の瞳が、俺を真正面から射抜く。
「──わたし、本気で、全力で、頑張るよ」
「……ッ!」
俺は、自分を恥じた。
いつの間にか俺は、担当アイドルの事を偏見の目でいたのだ。
「申し訳ございません」
頭を深々と下げ、謝罪する。そうする事しか、俺には出来なかった。
「ううん、わたしも、ごめん」
篠澤さんは俺と同じように頭を下げると、続けて言った。
「プロデューサー。わたしはね」
「はい」
「アイドルにこれっぽっちも向いていなくて、何をやっても上手くいかなくて。周りから見たら、わたしは、とても変なんだと思う。その自覚は、ある」
「はい」
「でもね」
「はい」
「心配されるばかりで、誰からも期待されていない、今が」
「はい」
「一番下から、一歩ずつ上がろうと足掻いて、
「はい」
「とても、しあわせなの」
それは、篠澤広という人間を形成する大事な要素なのだろう。誰にも譲れない、自分だけのものなのだろう。
「……改めて、謝罪を。篠澤さんの言う通り、俺は誤解していました。そして、続けて謝罪を。篠澤さん、あなたはきっと、自分の胸の内を打ち明けてくれたのでしょう。でも俺は、あなたの事がまだ分かりません」
「うん。それは、仕方ない。わたしも、プロデューサーの事、知らないから。お互い様」
篠澤さんが慰めてくれる。
だが、俺の言葉はまだ終わっていなかった。
「ただ、一つだけ共感出来る事があるとするのなら」
「……するのなら?」
俺は、琥珀色の瞳を真正面から見詰めて、言った。
「困難な仕事は、とても楽しい」
「……っ! ふふっ、そうだね」
笑みを浮かべ、篠澤さんは同意した。
俺は、右手を差し出した。篠澤さんはきょとんとした顔で、俺の手を見る。
そして俺と篠澤さんは、握手を交わした。
握った篠澤さんの手は、アイドルを目指している者とは思えない程に細く、頼りなく、されどあたたかった。
激動、とは言い難い日々が始まった。
朝、俺は女子寮の前で篠澤さんが来るのを待つ。同性なら兎も角、否、同性であっても、プロデューサーが担当アイドルにここまでの事をする者は滅多に居ない。
最初は他の生徒から訝しげな目で見られたものだが──特に寮長の誤解を解くのには苦労した──、今ではすっかりそういうものだと受け入れられている。何だったら挨拶もされる程だ。
「あっ、広ちゃんのプロデューサーだ! おっはようございまーす!」
そう言って明るく元気な挨拶をしてくれたのは、花海佑芽さん。篠澤さんの友人だ。
「今日も広ちゃんを待っているんですか?」
「ええ、そうです。そう言う花海さんは、この時間に登校するのは珍しいですね」
移動に時間の掛かる篠澤さんを考慮し、登校開始時間は早めに設定している。
今の時間で登校している生徒は、早朝レッスンがある生徒か、何か予定がある生徒かのどちらかだろう。
出会った当初こそ何故か警戒されていたが──心当たりは全くないのだが──花海さん、そしてこの場には居ないが篠澤さんのもう一人の友人、倉本千奈さんとは知人となっており、世間話をする間柄になっていた。
俺が質問をすると、花海さんはとびきりの笑顔で答えた。
「聞いて下さいっ! 実はあたしにも、ついにプロデューサーが付いたんですよっ!」
「おおっ。それは、おめでとうございます」
俺は心から祝った。ぱちぱちぱち、と拍手を送る。
「えへへ、ありがとうございます」とはにかんだ花海さんは、やる気に満ちた目で言った。
「最初が、広ちゃん。それから千奈ちゃん。……あたしが一番最後になっちゃいました。けど、スタートダッシュに遅れただけ。すぐに追い抜きます!」
「早々に追い抜かれたくはないですが……追い抜かれそうです」
「ええっ!? そ、そんな事言ったら、広ちゃん悲しみますよ?」
「それは絶対にないので大丈夫です」
俺が断言すると、花海さんは少し引いた様子を見せた。
……? 何か変な事を言っただろうか。まだまだ篠澤さんの事を理解したとは言えないが、それはないと断言出来るのだが。
「それにしても……──」
俺は、失礼にならない程度に花海さんを観察する。
整っている顔立ち、そして何よりも、肉体が素晴らしい。
「あなたのプロデューサーは、とても良い
心から、そう思う。
花海佑芽。補欠合格だった為、入学当初は学園が公開しているデータに記載はなかった。
もし入学当初の俺が彼女と出会っていても、プロデュースする気にはならなかっただろう。例え向こうからお願いされても、断っていただろう。
だが、入学してからひと月が経ち、現在は五月。彼女のずば抜けた身体能力は、俺をはじめたプロデューサー科の生徒の間に激震が走った。こと身体能力に於いて、彼女は上位一パーセントに入るのだ。何でも、この学園に来る前はアスリートだったらしい。
俺の担当アイドルとは対極に位置すると言えよう。
その時俺は既に篠澤さんと契約を結んでいた為、類は友を呼ぶくらいの感想しか抱かなかったのだが──天才性の伝播という意味で──、彼女をプロデュースしようと動いた生徒は何人か居た。とはいえ、その生徒はすぐに諦めたようだが。
「あたし、あたしのプロデューサーと一緒に、お姉ちゃんに勝ちます!」
ふんす、と意気込む花海さん。
彼女には、お姉さんが居る。そのお姉さんに、佑芽さんは一度たりとも勝った事がないらしい。
何だそれはと聞いた当初は思ったものだが、事実だと言うのだからそうなのだろう。
そして、お姉さんとは俺も何度か面識がある。というのも、俺の担当アイドルのお弁当を作っているのが、佑芽さんのお姉さんなのだ。
事の発端は、篠澤さんが佑芽さんに健康面について相談した所から始まる。相談を受けた花海さんは、専門家からお墨付きを貰っていると言うお姉さんの料理を自慢し、お姉さんに篠澤さんを紹介した。
その結果、篠澤さんのお昼のお弁当は佑芽さんのお姉さんが作る事になったのである
栄養を追究したあれを料理と言うのかは甚だ疑問だが、篠澤さん曰く、味は悪くないとの事。そして栄養バランスが良いのなら、健康維持の為に食べるのに躊躇はないと、篠澤さんは言っていた。
「あっ、そろそろ時間。それじゃあ、広ちゃんのプロデューサーさん、あたし行きますね!」
「ええ、また今度。篠澤さんをこれからも宜しくお願いします」
「あはは! それいつも言ってますけど、それだと、家族みたいですね!」
「なっ……!?」
驚愕の声を出す、俺。
そんな俺を気にせず花海さんは笑いながら、手を振って走り始める。流石は元アスリート。すぐにその背中は見えなくなった。
「一回、落ち着け」
深呼吸を行う。
それから何人かの生徒が、俺に挨拶をしてくれる。金髪三つ編みのダンスが得意な生徒や、最近やる気を出し頭角を見せ始めた生徒などである。
それから程なくして、寮の出入り口から篠澤さんが現れた。俺の姿を認めると、とてとてと少しだけ早足になる。
「おはよう、プロデューサー」
「おはようございます、篠澤さん。体調は如何ですか?」
「ん。問題ないよ。べすとこんでぃしょん」
……言い方に不安は残るが、それはもう、いつもの事だ。諦めているとも言う。
「それなら良かったです」と相槌を打った俺は、篠澤さんに声を掛け、歩き始める。
五月の、下旬。沖縄、九州地方では梅雨入りが始まったとニュースで言っていた。此処も直に、そうなるだろう。
本来、プロデュースには大まかな一連の流れがある。多くのプロデューサーはこれを採用し、そこから調整をしていく。
だが俺は、その基本的なプロデュース方法を採用しなかった。
篠澤広というアイドル適性皆無の人間を、通常のプロデュース方法でプロデュース出来るのか。
そんな疑問と不安を、俺は覚えたのである。
そして結論を言うと、やはりと言うべきか、俺は王道を取らなかった。俺は各専門のトレーナー達に無理を言ってお願いし、専用の育成計画書を作成したのだ。
そして作成するにあたり、俺は担任教師から以前講義で教わった、介護分野に於いて使われているという、『PDCAサイクル』を参考にした。
『PDCAサイクル』。
これは本来、介護に於ける本人(被介護者)の「より良い生活」「より良い人生」を実現するという目的の為に使われる理論である。
「(アセスメント →)計画の立案(P)→実施(D)→評価(C)→改善・見直し(A)」の流れを系統的に捉え、根拠に基づ く介護を実践していき、そしてこれを継続的にサイクルする事で、目的を達成していくのだ。
俺はこの理論を、篠澤広という人間に当て嵌めた。
その結果出来たのが、篠澤広だけに特化した育成計画書である。ここまで王道から逸脱した物はないだろう。
話を戻そう。
「それでは篠澤さん、教えて下さい。今週の課題はクリア出来ましたか?」
週の終わり、事務所にて俺は篠澤さんとミーティングを行っていた。
篠澤さんは得意気な顔で両腕を組み、自信満々に口を開ける。
「ふふん。『立てるようになる』、何とか出来るようになったよ」
「それは良かった。ちなみに、方法をお伺いしても?」
「千奈がとっても綺麗だったから、動画を取って何度も見返した。あと、筋肉とか、関節とか、そう言った物も仕組みを言語化。そうしたら、出来た」
「見て欲しい」と、篠澤さんは席を立つと実際に立ってみせた。
「おお、本当に出来てますね」
「うん」
立つ、という動作は日常生活を送るに当たって何気なく行っている動作である。だがアイドルに求められるのは、『品位』。トップアイドルはただ立っているだけで、ファンの視線を釘付けにし、魅了してしまう。
成長を感じていると、「あっ」という音と共に篠澤さんの身体が揺れた。
それまでの安定した姿勢は瞬く間に崩壊し、篠澤さんはそのまま椅子に落ちる。
「はあ……はあ……!」
荒い呼吸を繰り返す、篠澤さん。
「出来るようにはなったけれど、維持はもって数秒。そんな所ですか」
「はあ……うん……はあ……はあ……」
やはり、基礎的な体力の向上が真っ先に求められるだろう。
とはいえ、達成は達成だ。
俺は篠澤さんに水を差し出すと、彼女が呼吸を整えるのを待った。
「その他の特別メニューは如何でしょうか? 何か意見があれば、遠慮なく仰って下さい。検討します」
「言う事は、特に、ないよ。プロデューサー、怖いくらい、わたしの事、分かってる。わたしの事、好き過ぎるくらい」
「いえ、篠澤さんの事は相変わらず全く分かりません。ただ、常に最低の能力値だと仮定して考えているだけですからね」
俺は篠澤さんに、特別な期待はしていない。
だが、見放してはいない。
期待していないからこそ、俺は主観に囚われず客観的に動く事が出来る。
「でも、ダンストレーナーは言ってた。プロデューサー、わたしの事を大切に思っている、って。違うの?」
琥珀色の瞳が尋ねてくる。
「他のプロデューサーは、そうじゃないって」
「……そんな事ないですよ」
「うん、そうだと思う。でも、わたしのプロデューサーはそれとは違う。──準備運動の回数や時間、休憩時間を取るタイミングとか時間、細やかなレッスン内容にまで口を挟んでくるのは珍しいって、トレーナーが、言ってたよ」
「……力尽きて倒れられるのが怖いだけですよ。あれは俺のトラウマですからね」
「それは、ごめん」
「だから俺のプロデュース中は、篠澤さんを倒れさせない。それが俺の一つの目標です」
ぱちくりと、篠澤さんは瞬きを繰り返した。
「わぉ。初めて聞いた」
「初めて言いましたから」
「プロデューサーの目標、達成するのとても至難だね」
微笑を浮かべ、篠澤さんがそう言う。続けて、言った。
「……うん、分かった。わたしも、それを目標の一つにする」
「…………本気ですか?」
「うん、本気。だって、その方が、面白いから」
「………………そうですか」
篠澤さんの事が、分からない。
俺なりに彼女の事を知ろうとはしているのだが、その本質、思想が全く掴めないのだ。
プロデューサー科の女性教師は、プロデュースの秘訣は担当アイドルの事をよく知る事だと言っていた。相互理解がなければ、失敗すると。
それには俺も同意見だ。
だが、篠澤と出会って一ヶ月が経っているというのに、俺は彼女の事を知った気に全くなれない。
嫌われてはいないと思う。自信を持って言えるのはそれくらいだ。
「あっ、そうだ。プロデューサー」
「……何でしょうか?」
聞き返すと、篠澤さんは琥珀色の瞳で言った。
「明日、プロデューサーは何か用事ある?」
「……? 用事ですか? 特にはありませんが……」
俺の返答に、篠澤さんは何処か安心したように息を吐くと、やや緊張した面持ちで口を開けた。
「明日、お出掛けしたい」
「……それは構いませんが、何か買いたい物でもあるのですか? 申請しますよ?」
申請していたソファーベッドも、つい先日届いた。篠澤さんが主に使っているが、俺も仮眠時に使わせて貰っている。
それとも、レッスン用のシャツとか、シューズとかが欲しいのだろうか。それなら実際に目にした方が確実な為納得だ。
俺が勝手に自己解決していると、篠澤さんは、琥珀色の瞳を細めて言った。
「……違う。欲しい物は、特にない。備品もあるよ」
「それなら、何故?」
疑問を口にする俺に、篠澤さんは嘆息すると言った。
「デート」
「…………はい?」
「プロデューサー、デートに行こう」