【完結】運命ではなく、わたしが選んだ。   作:Sakiru

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開花

 

『H.I.F』で益々の盛り上がりを初星学園がみせる中、俺と篠澤(しのさわ)さんの生活は何も変わっていなかった。

 

「──よし、合格だ」

 

 ダンストレーナーが言った直後、篠澤さんが「ありがとう、ございました……」とよろよろと地面に尻もちをつく。

 俺はタオルとスポーツドリンクを彼女に手渡す。今日のレッスンはこれで終わりであり、それは彼女が一度も倒れず完了させた事を意味する。

 

「トレーナー、どうでしたか?」

 

「でした?」

 

 一緒に総評を聞く。

 ダンストレーナーは「うぅむ」と難しい表情で言った。

 

「本当に少しずつではあるが、合格率が上がってきている。今日のように、途中でリタイアする事も、無くなってきている。ダンスも、まあ、基礎の基礎は修得したと言っても良いだろう」

 

「ふふ。前屈で前足を摑めるようになった。わたしは、人類を超えてしまったのかもしれない」

 

「そんな訳あるか」と突っ込みを入れたダンストレーナーは、溜息を吐くとこう言った。

 

「今篠澤が言ったのは確か、五月の課題だった筈だが」

 

「うん。二ヶ月遅れ。あと少しで、三ヶ月遅れになる所だった」

 

「堂々と胸を張るな」

 

 ダンストレーナーは再度溜息を吐くと、指導を始めた。俺はその内容をメモし、要領の良い篠澤さんはそれを記憶する。

 

「──と、まあ、このような感じだな。そして、次からは特別メニューから他の生徒が基本的に受けている通常のレッスンメニューに移行する」

 

「おぉ。……ふぅ」

 

「おい、何でそこで詰まらなさそうに溜息を吐く。嬉しくないのか?」

 

「ううん、嬉しい。ただ……ふぅ」

 

 眉を(ひそ)めるダンストレーナー。

 

「篠澤さん、着替えてきて下さい。此処で待ってますから」

 

「うん。行ってきます」

 

 今にも倒れそうに、しかし確かな足取りで、篠澤さんはレッスン室をあとにすると更衣室に向かった。

 俺は、片付けを始めているダンストレーナーに声を掛ける。

 

「ダンストレーナー。今日もありがとうございました。戸締りは俺が責任を持って──」

 

()()()()()()()()()()()()?」

 

 言葉を遮られる。

 硬直する俺に、ダンストレーナーは真剣な表情で言った。

 

「入学してからお前達コンビをずっと見てきたが、正直、このままだと『お遊び』で終わってしまうぞ」

 

「……彼女曰く、『趣味』だそうですよ」

 

「何でも良いがな。私が言いたいのは、さっきも言ったが、お前は本当にこれで良いのかという事だ」

 

 押し黙る俺に、ダンストレーナーは続ける。

 

「篠澤広に、アイドルの才能があるのかないのか。それはまだ分からない。才能どうこう以前の問題だからだ。だがな、プロデューサー。お前は違うだろう」

 

「……」

 

「容姿は整っているが、それ以外がゼロどころかマイナスの人間を、よくもまあ、ここまで育て上げたものだ。そしてマイナスはゼロになり、明日からは少しずつプラスになっていくのだろうさ」

 

「……それは本人の努力があったからこそでしょう」

 

「無論、それもある。だが、違う。私が言いたいのはな、違うのさ。──なぁ、プロデューサー。自覚している筈だ、自分は優秀であるという事をな」

 

 指導者のその言葉に、俺は何も言えない。

 

「私だけでなく、他のトレーナーもお前を高く評価している。それはそうだろう。お前が私達に提出してきた計画書に、ケチを付ける隙間は微塵もなかったからだ。だからこそ、疑問だ。何故優秀なお前は、こんな所で(くすぶ)っている?」

 

「……」

 

「このまま行けば、篠澤広はアイドル()()なれるだろう。だが、それだけだ。……これは推測だ。だが、私のトレーナーとしての勘が言っている。恐らく彼女は、お前の『夢』を──」

 

 その先の言葉を、俺は他人事のように聞いた。

 気が付けば、ダンストレーナーは居なかった。恐らく、帰ったのだろう。

 ……篠澤さんは、まだ戻ってきていない。俺は丸椅子に座ると、鞄からこれまでの経過記録を読み返した。

 そうしていると、紙に、俺とは違う影が射す。顔を上げると、そこには篠澤さんが立っていた。

 

「プロデューサー、だいじょうぶ? 顔色、悪い、よ?」

 

 琥珀色の瞳で、俺を覗き込んでくる。

 俺は顔を逸らすと、自分でも分かるくらいの事務的な口調で答えた。

 

「……申し訳ございません。暑さに少しやられたようです。節約で冷房を切ったのが仇となったようです」

 

「…………そっか。それなら仕方ない、ね」

 

「ええ。でも、もう大丈夫なのでご心配なく。さあ、行きましょう。寮まで送りますよ」

 

 鞄に経過記録を入れ、そのまま立ち上がる。襲ってきた立ち眩みを堪える。

 既に篠澤さんはレッスン室を出ていた。その彼女なりの気遣いに俺は感謝をしつつ、部屋を出る間際、消灯したのだった。遅れて、エアコンの稼働音が無くなった。

 廊下を歩く。歩きながらも、俺の頭の中では、ダンストレーナーが最後に言った言葉が何度も反芻されていた。

 

『最初の一年は、他の年よりも価値がある。お前の心構えなんてものは関係なく、その時は来るぞ。それを忘れるな』

 

 

 

 

§

 

 

 

 そして、トレーナーが言った『その時』は。

 トレーナーが言った通り──『あの時』と同じように、事前予告もなく、突然訪れた。

 月が、下界を照らしている。

 目の前に、暫く会っていなかった──否、避けていた親友が立っていた。

 

「明日から『H.I.F』の本戦が始まる。俺は、お前のアイドルが誰なのかこれまで調べて来なかった。当然だ。お前のプロデュースを受けた奴なら、絶対に本戦に来ると確信していたからだ」

 

「それは、買い被りさ」

 

 篠澤さんやトレーナー達には決して使わない、親友にのみ使う砕けた口調で、俺は答えた。

 

「そう言えば、言ってなかったな。『H.I.F』出場、おめでとう。お前とお前のアイドルならきっと、優勝出来るだろう」

 

「そんな事は今関係ない!」

 

 親友が叫ぶ。思い切り、腹の底から。

 長い付き合いになるが、彼がここまで怒っている所は見た事がない。そして、それを引き起こしたのが俺だという事実に、罪悪感と、小さながらも優越感があった。

 

「本戦出場を決めたアイドルは、その殆どが『プロデューサー制度』を利用している。でも、出場者リストの中に、お前の名前はなかった!」

 

「それはそうさ。出場していないんだから」

 

「違う、俺が言いたいのはそうだがそうじゃない! お前は、選抜試験(セレクション)にすら申請していなかった。つまり、最初からお前は勝負しようとすらしなかったんだ!」

 

選抜試験(セレクション)は四月から始まっていた。そこに一年生を間に合わせるのは難しいだろう」

 

「そう言うのなら、地力のある二、三年生をスカウトすれば良い!」

 

 親友は、続けて言った。

 

「お前のアイドルの事、調べさせて貰った。なぁ、何でよりによってあの子を選んだんだ?」

 

「色々と事情があったんだ。それとその言い方は、やめて欲しい。失礼だ」

 

 しかし俺の訴えも、親友には届かない。

 昔からそうだ。この親友は、一度熱くなると自然に冷めるまで止まらない。それは長所でもあり、短所でもある。

 ──そこまで考え、俺は自虐した。何を偉そうに評論家を気取っているんだろう。

 

「お前、『夢』を諦めるのかよ!? あれだけ、言っていたじゃないか! どっちが先に叶えるか、勝負しようって! そしていつか、ちゃんとした場所で、同じ立場で、会おうって! それなのに、お前は──ッ!」

 

 親友が胸倉を摑み、感情をぶつけてくる。

 

「何か言えよ! 何か、言ってくれよ!」

 

 ()()()

 本当はもう、俺の中で結論は出ているのだ。

 とうの昔に、天秤は傾いていたのだ。

 そして俺は、その事に気が付いていた。

 だが俺はそれを口にする勇気がなくて、一歩踏み出す勇気がなくて、それを隠して、此処まで来てしまった。

 だがもう、それももう、無理なのだろう。

 現実は動き、待ってはくれやしない。人生に於いて幾つかある、分岐点の一つ。

 それに、俺は立っているのだろう。

 俺は、胸倉を摑んでいる親友の手を、自身の手で取った。ゆっくりと退け、彼の熱い瞳を真正面から見詰める。

 

「俺、は──」

 

 

 

 

§

 

 

 

 星々が見下ろしている。

 そして、『一番星(プリマステラ)』になろうと、偶像が輝いている。

 

「みなさぁ────ん! ありがとうございましたぁ!」

 

 ステージ中央で、煌びやかな衣装を纏ったアイドルが、大量の汗を流しながら、しかし輝くような笑顔でお辞儀する。

 それに、観客達は大歓声で応えた。

 残る余韻に、身を焦がすような熱気。閉幕のアナウンスが流れてなお、それは続いていた。

 

「はぁ……っ……」

 

 隣に座る篠澤さんが、感嘆の溜息を吐く。

 そして珍しく年相応の表情を俺に見せると、興奮を隠せない口調で言った。

 

「これが、生のライブ。凄い」

 

「ええ、凄いでしょう。これはスマホやテレビといった画面越しでは感じられない、正しく、生の物です」

 

「うん」

 

 篠澤さんは大きく肯定した。

 

「連れてきてくれてありがとう、プロデューサー」

 

「どういたしまして」

 

 さて、あまり長居する訳にも行かない。

 俺は篠澤さんに声を掛けると席を立った。

 

「さあ、帰りましょうか」

 

「うん」

 

 篠澤さんは席を立つと、そのまま俺の右腕に抱き着いた。

 

「……あの、篠澤さん」

 

「人がたくさん。はぐれちゃう、よ?」

 

 夜の中でも、琥珀色の瞳はよく見える。

 俺は溜息を吐くと、受け入れる他なかった。はぐれて篠澤さんが人に潰されるよりかは、色々とマシだろう。

 

「とんでもないアイドルがいたもんだな!」

 

「それな! あれで一年生なんだろ!? 将来が楽しみだな!」

 

「今年の『H.I.F』は一年生全体がダークホースだな!」

 

 熱に浮かされた観客達の声。

 

 ──遂に、『H.I.F』が始まった。学園は夜であるのにも関わらず賑わいを見せている。

 

 本会場である講堂だけでなく様々な場所でミニライブが行われ、売店には長蛇の列が並んでいる。

 

「プロデューサー。クレープ、食べたい」

 

 講堂から出ると、篠澤さんがそんな事をお願いしてきた。

 

「まあ、せっかくのお祭りですしね。カロリーの事を気にするのは無礼講というものでしょう」

 

「ふふ。大丈夫。わたしは寧ろ、太らないと行けない。ダンストレーナーも、そう言ってた」

 

 ダンストレーナーもまさか、アイドルの卵にそのような事を言う日が来るとは思っていなかっただろう。

 クレープ屋の屋台で目的の物を購入し、俺達は『H.I.F』用に設置されたベンチを利用する事にした。

 

「どうでしたか、佑芽さんのライブは?」

 

「大満足」

 

 ぱたぱたと両足を上下に動かしながら、篠澤さんは感想を言う。言葉通り満足気な表情を浮かべ、今も、その余韻に浸っている。

 

 ──そして、俺は一歩踏み込む。止まっていた俺の時間を、歯車を回す為に。

 

 篠澤さん、その琥珀色の瞳を俺は捉えて、問い掛けた。

 

「大満足、それは結構です。()()()?」

 

「……。……他?」

 

「はい。他に、何か思う事はないですか? そうですね──例えば、悔しい、とか」

 

 俺の質問に、篠澤さんはきょとんとした表情を浮かべた。顎に手を当てて、考え込む。

 それから、彼女は不思議そうに首を傾げた。

 

「どうして、わたしが佑芽のライブを見て、悔しくなるの?」

 

「入学してからずっと、同じグループでレッスンを重ねてきたでしょう? 合同レッスンも最初期は何度もやりましたしね」

 

「うん。わたしと千奈と、佑芽。ずっと、一緒だった」

 

「その三人の中で唯一、佑芽さんだけがある時を境に急成長を遂げた。初ライブを選抜試験(セレクション)に持ってきたのにはとても驚きましたが、見事成功させ、そして今日、『H.I.F』の本戦へ出場するのに至った」

 

 篠澤さんと、倉本さんと、佑芽さん。

 三人の成長速度は正しくどんぐりの背比べだった。

 しかしある時──佑芽さんにプロデューサーさんがついてから暫くして、彼女は水を吸うスポンジのように、歌も、ダンスも、急成長した。

 それは敢えて言葉にするなら、大器晩成なのだろう。否、もっと分かり易く言うならば──天才。

 

「何か、思う所があるのでは?」

 

 俺の質問に、篠澤さんは答える。

 

「佑芽は、最初から凄かった。本当は誰よりも早いのに、おっちょこちょいで、そそっかしくて。わたしがかめさんなら、佑芽はよーいどんで転んじゃったうさぎさん」

 

 篠澤さんは友人を評する。

 

「佑芽がわたしよりも早くデビューするのも。そして、ライブをするのも。当たり前だと思う」

 

「だから」と、篠澤さんは続けて言った。

 

「悔しいとか、そう言うのは、……──」

 

 ない、と篠澤さんは言わなかった。

 最後の言葉は形にならず、中途半端なまま。

 俺はその様子を、無言で見守った。

 ()()

 もしも、このレッスンに失敗するようであれば。

 あるいは、大成功するようであれば。

 俺も、覚悟を決められる。

 

「………………どうしよう、プロデューサー」

 

 困ったように、篠澤さんが俺の名前を呼ぶ。

 俺は目で、その先を促した。

 

「……わたし。わたし、ね。もしかしたら、悔しいのかもしれない」

 

「かもしれない、ですか」

 

「……うん。言語化するのが、難しい。おかしい。こんな事、初めて」

 

 初めての事に、篠澤さんは戸惑っているようだった。

 

「わたしの友達は、凄い。佑芽も千奈も、凄い。それなのに……わたしは、ちっとも凄くない……?」

 

 動揺を浮かべ、居心地が悪そうに身動ぎする。

 俺は、その感情を優しく押した。

 

「それが、『悔しい』という感情です」

 

「……これが、そう、なの?」

 

「はい。篠澤さん、あなたは悔しく思っている。友人の成功を祝福しているのは本当でしょう。しかし同時に、どうしてそこに立っていたのが自分ではないのかと嫉妬している」

 

「……矛盾してるね。変、じゃないかな?」

 

「決して変ではありません。あなたのそれは、あなただけのもので、大切なものです」

 

 暫く、無言の時間が流れた。

 そして、篠澤さんは呟く。嬉しそうに、慈しむように。

 

「そっか。これが、そうなんだ。分からなかった。負けた事なんて、一度も、なかったから」

 

「ふふ」と微笑を浮かべると、篠澤さんは俺を見上げて言った。

 

「ねえ、プロデューサー。負けるのって、悔しい、ね」

 

「そうでしょう」

 

「大好きな事だから、なのかな。凄く苦しくて、身体が痛くて、心臓が痛くて。何だか、ぞわぞわする」

 

「そうでしょう」

 

「ふふ。プロデューサー、してやったり、って顔してる。わたし、まんまと罠に掛かっちゃった」

 

「自分から誘い込んでおいて、酷い言い草ですね」

 

「傷心中の女の子に言う言葉じゃない。酷い男性(ひと)。鬼、鬼畜、悪魔。でも──そういう所が、好き、だよ」

 

 そう言うと、篠澤さんは笑った。

 

「わたし、アイドルが好きみたい」

 

 

 

 

§

 

 

 

 学生寮までの道程を、篠澤さんとゆっくり歩く。

 悟られないように、俺は左手で握り拳を作っていた。

 覚悟は決めた。

 明日から、より精力的に動かなければならない。

 

「──……プロデューサー」

 

「……」

 

「ねえ、プロデューサー」

 

 考え事をしていた為、篠澤さんが俺を呼んでいる事に気付くのが遅れてしまった。いつの間にか、学生寮の前に居る。

 

「失礼しました、篠澤さん。それでは、明日は朝の9時に迎えに上がりますので、宜しくお願いします。初めてのライブで疲れていると思いますので、今日はなるべく早く就寝するように──」

 

「プロデューサー」

 

 俺の言葉を遮り、篠澤さんがいつもよりも強く俺を呼ぶ。

 

「……? どうかしましたか?」

 

 尋ねる俺に、篠澤さんは真剣な表情で言った。

 

「ライブをする」

 

 ……。

 …………。

 

「………………すみません、今何と仰いました?」

 

 聞き間違いである事を切に願いながら、俺は尋ねた。

 しかし俺の想いは届かず、篠澤さんは即答する。

 

「ライブをする」

 

「誰が?」

 

「わたしが」

 

「いつ?」

 

「なるべく早く。出来れば明日が良い」

 

「歌う曲は?」

 

「課題曲の、『初』。あれならわたしでも、歌える。ボイストレーナーからも、人前で披露出来るって、評価をこの前受けた」

 

「それはギリギリのギリですよ」

 

 俺はいつものように突っ込みを入れ──ブンブンと頭を振った。

 あ、危ない。

 いつものペースに呑まれる所だった……。

 

「……一旦、話を整理しましょう」

 

「うん」

 

「出来るだけ早く──」

 

「明日がいい」

 

「──出来るだけ早く、あなたは、ライブをしたい」

 

「明日が良い」

 

「……それじゃあ、仮に明日として。どうやってやるんですか?」

 

 俺の質問に、篠澤さんはお前は何を言っているんだと言わんばかりの腹立たしい顔で言った。

 

「プロデューサーがどうにかする」

 

 何だそれは、と俺は叫びそうになった。

 叫んだら寮長が飛んでくるだろうから、そんな事はしないが。

 だが、目の前の篠澤さんは冗談を言っている雰囲気では全くなかった。梟の眼が、俺を射抜く。

 俺は、深呼吸をした。そして、静かに尋ねる。

 

「──何故?」

 

 篠澤さんは即答する。

 

「やりたいから」

 

「ライブが?」

 

「うん。面白そうだから」

 

「アイドルが?」

 

「うん。悔しいから」

 

「負けた事が?」

 

「うん。──ふふん。どう?」

 

 質問していたのは俺の筈なのに、気付けば質問されていた。

 俺は、長い、長い溜息を吐いた。

 

「なんて、ままならない仕事なんだ」

 

「でも、その方が、楽しいよ?」

 

 確かに、言った。

 困難な仕事は楽しい、と。

 ドヤ顔の篠澤さんを俺は半眼で睨むと、こほんと咳払いをし、最終確認をした。

 

「本当に、明日が良いんですね?」

 

「うん。()()()()()()()()()

 

「…………分かりました。何とか、してみせましょう 」

 

「出来るの?」

 

「それが、プロデューサーの仕事ですから。担当アイドルの度を越した我儘の一つや二つ、叶えてみせましょう」

 

「ふふ。今のプロデューサー、格好良い」

 

「ヤケになっているだけです」

 

 そう吐き捨てると、俺は篠澤さんに背を向けた。

「がんばって」と魔女の如く人をおちょくってくる篠澤さんにドロップキックを食らわしたいと心から思いながら、俺は夏の夜空の下を駆けた。

 懐から名刺入れを取り出し、そこから一枚の名刺を取り出す。そこに書かれている携帯番号を入力し、電話を掛けた。

 電話は、すぐに繋がった。

 

「やぁ。久し振りだね。どうかしたのかい?」

 

 画面越しの相手に、俺は精々強がって言った。

 

「『貸し』を返して下さい、先輩」

 

 

 

§

 

 

 翌日。

『H.I.F』本戦、二日目。本戦会場である講堂は、昨日に続き満員だった。

 

「凄かった。お客さん、沢山居た。びっくり」

 

 ステージ裏から此処──楽屋に戻ってきた篠澤さんが感嘆の溜息を吐く。

 そんな彼女は普段の装いではなく、煌びやかなヒラヒラとしたアイドル衣装を纏っていた。

 

「何? 今更怖気付いてるの? それなら今すぐ出ていってくれる?」

 

 アイドル衣装を完璧に着こなしている月村さんが不機嫌そうに言う。狼の眼差しで、睥睨した。

 そんな彼女に声を掛けるのは、彼女のプロデューサーだ。

 

「手毬さん、駄目ですよ。一緒にライブをする仲じゃないですか。もっと友好的にしましょう」

 

「プロデューサーが、それ言う!? 言っておきますけど、私は納得していませんから!」

 

「そうは言っても、これは決定事項です。ほら、学園長の捺印(なついん)がされた紙もここにありますし」

 

 言いながら、先輩が一枚の書類をひらひらと見せる。

 

「つまり、その紙を破れば良いってことだね」

 

 言うや否や、月村さんは俊敏な動作で接近すると、先輩から書類を奪い取ろうとする。しかしそれは事前に予測していたのだろう、先輩は澄まし顔で華麗に避けてみせた。

 唸り声を上げる月村さんに、俺は意を決して近付いた。

 

「申し訳ございません、月村手毬さん。ご迷惑をお掛けします」

 

 頭を下げる俺に、月村さんは厳しい声で言う。

 

「ええ、本当にそうです。ワンマンライブの予定だったのに、ライブ前日に連絡を入れて、前座をやらせて欲しいだなんて。そんな話を持ち掛けてくるのもおかしいし、受け入れるのもおかしいです」

 

「手毬さん、何度も言っているでしょう。これは、前回私達が彼等に作ってしまった『借り』をチャラにする為の措置なのです」

 

「だからと言って! 何でよりにもよって、『H.I.F』なんですか! 選抜試験(セレクション)なら、兎も角、本戦だなんて! 信じられません! ましてや、一番の関係者である私には当日の朝に伝えるだなんて! 相談してくれたって良いじゃないですかッ!」

 

「反対するだろうと思いましたからね。何せ、急に決まりましたから。関係各所への連絡や謝罪、観に来てくれるファンへの告知、その他諸々を考慮すると、無駄な時間を浪費する余裕はなかったのです」

 

「私と話をする時間が浪費って言うんですか!?」

 

 吠える、月村さん。

 

 ──あの後。

 

 俺は先輩に電話をし、先輩が言った通り、『貸し』を返して貰うよう要求した。

 その要求内容は、『月村手毬の『H.I.F』本戦ライブに於いて、篠澤広を前座として組み込む』事。

 前座──別名、オープニングアクト。

 アイドルに於いてのそれは、メインのアイドルの前にライブを披露する事で、会場を盛り上げるという役割がある。

 先輩が、月村さんを諭す。

 

「気持ちは分かりますが、これは私達にも利がある事ですよ、手毬さん。だから私は、彼の提案に乗った」

 

「利? そんなの、あるようには思えない。 ライブ経験が皆無で素人未満のアイドルを『H.I.F』という大きなステージの前座にして、どうなると思う? まともに動けるとは思えない。大失敗して、冷めた空気になる可能性の方が高いと思うんだけど?」

 

「これは手厳しい。──しかし、利はありますよ」

 

 先輩が強くそう言うと、月村さんは聞く耳を持った。目付きはそのままに、先を促す。

 

「まずですが、篠澤さんが前座を務めて下さる事で、その分、ライブの時間はそちらに割かれます」

 

「だから、それが問題だって──」

 

「そうなれば、あなたの負担は減る」

 

 先輩は続けて言った。

 

「確かにワンマンライブの効果は凄まじい。高い評価を得られるでしょう。しかし手毬さん、『H.I.F』はまだ続きます。私達の目標は『一番星(プリマステラ)』。それ以外眼中にない。そして、たかが初戦で無駄な体力を使う必要が、何処にありますか?」

 

「……プロデューサーの言わんとする事は、分かるよ。でも、相手のアイドルに、そんな悠長な事を言っている余裕は……」

 

「余裕はありますよ。もし仮に篠澤さんが失敗したとしても、そんなのハンデですらない。あなたは、こんな所で負けるようなアイドルじゃない」

 

 プロデューサーから担当アイドルへの、絶対的信頼。先輩のそれに、月村さんは目を見張る。

 

「体力の温存だけではありません。手毬さん、あなたは非常に友人が少ない」

 

「……それは、プロデューサーも同じだと思うんだけど」

 

「ええ、そうです。そんな私達には、同業者との繋がりが圧倒的に不足している。これまではあなたの実力でねじ伏せて来ました。しかし、全く同じ実力の持つ相手とぶつかった時にどうなるか……そして、もし相手に頼りになる助っ人がいたとしたら? 味方の居ない私達がどうなるか説明しなくても分かるでしょう?」

 

 月村さんは暫く押し黙り、それから、溜息を吐いた。

 

「分かりました。癪ですが、認めます」

 

「うん。偉いですね、手毬さん」

 

「子供扱いやめてくれる!?」

 

「実際、私から見たら子供ですし」

 

 じゃれ合う二人を見て、俺は最悪の展開は防げたと安堵した。

 そして二人が俺達に近付いてくる。

 

「改めまして、本日はよろしくお願いいたします。良いライブにしましょう」

 

「安心して。会場が冷めきっても、私には何も関係ない──痛い!? プロデューサー、どうして頭を叩くんですか!?」

 

「問題発言を未然に防いだだけです」

 

 先輩はそう言うと、俺に片手を差し出してきた。遅れて月村さんも、篠澤さんに片手を差し出している。

 俺は篠澤さんは、それに応じた。

 そのタイミングで、楽屋の出入口の扉がノックされる。

 

「篠澤広さん。そろそろ出番です」

 

 俺は篠澤さんと顔を見合わせると、最終確認に入る。不足はない。

 スタッフに案内され楽屋から出ようとした、直前。

 

「篠澤」

 

 月村さんが、篠澤さんを呼び留めた。

 振り向く篠澤さんに、月村さんは「その……えっと……」と、口をモゴモゴとさせてから、意を決したように口を開く。

 

「その衣装、似合ってる」

 

 その激励に、篠澤は頷く。

 

「ありがとう。やっぱり手毬、親切だね」

 

「〜〜っ! 早く行きなよ!」

 

 赤面する月村さんと、にこやかに手を振る先輩に見送られ、俺達は今度こそ楽屋をあとにした。

 本来であれば、プロデューサーである俺も楽屋で待機となる。だが今回は、同伴出来るギリギリの所まで一緒に行く事にした。

 

「プロデューサー、凄いね。まさか本当に、ライブが出来るなんて思わなかった」

 

「こんな我儘はこれで最後にして下さいよ」

 

「ふふ。それは、どうだろう」

 

 楽しそうに笑う、篠澤さん。

 そんな彼女は、真面目な顔になると、俺に尋ねてきた。

 

「プロデューサー、無茶してない?」

 

「無茶をしましたよ、当然。言っておきますが、あれから俺、文字通り一睡もしていませんからね」

 

「それは、ごめん。これでもしプロデューサーが、保健室送りになったら責任を取って看病するね」

 

 そう意気込む篠澤さんに、俺は絶対倒れてなるものかと誓った。

 

「でも、手毬のプロデューサー、どうして良いって言ってくれたんだろう」

 

「先輩が言っていたでしょう。『貸し借り』を無しにする、と。他にも、月村さんに言っていた理由が──」

 

「それは、嘘」

 

 俺の言葉を遮り、篠澤さんが強い口調で断ずる。

 黙る俺に、彼女は推測を展開する。

 

「あの男性(プロデューサー)は、それだけで動かない。手毬の事をとても大切にしているのが、分かる。そんなあの男性(ひと)が、こんな話を引き受けてくれる筈がない」

 

「……」

 

「ねえ、プロデューサー。本当の事を、教えて」

 

 琥珀色の瞳が、俺を真っ直ぐ射抜いてくる。

 ……本当に、変な所で鋭い女性(ひと)だ。

 

「篠澤さんの言う通りです。話を持ち掛けた当初は取り付く島もない状態でした」

 

 それは、当然の話だ。

 自分の大切な担当アイドルの大事な局面で、誰が余計なリスクを背負うと言うのか。

 

「何度か説得を試みて、話を聞いてくれる状態にはなったのですが、やはりと言うか、決定打に欠けると言われました」

 

 それはつまり、篠澤広の魅力がそこまでであるという事と同義だった。

 

「……それじゃあ、どうして?」

 

「簡単な話です。俺はあなたではなく、自分自身を交渉材料に入れました」

 

 あの先輩はどういう訳か、俺の事を高く買ってくれている。そこを突いたという話だ。

 

「このライブは篠澤さん、言うなれば──俺というプロデューサーの、信用と信頼を担保にしたギャンブルなんですよ」

 

「もし、負けたら?」

 

「その時は、俺は今後先輩の下で動く事となるでしょう」

 

 俺の話を聞き、篠澤さんは顔を伏せた。

 ライブ直前の……ましてや、初ライブを直前に控えているアイドルに、こんな話はするべきではなかったかもしれない。

 だが、彼女に言った通り、これはギャンブルだ。

 

「篠澤さん、俺はようやく覚悟を決めました。──あなたはどうですか?」

 

 顔を俯かせたまま、篠澤さんは聞いてくる。

 

「もしわたしが失敗したら、プロデューサーとはお別れ?」

 

「恐らくは」

 

「プロデューサーだけじゃなくて、他の沢山の人にも、迷惑を掛ける? お客さんや手毬、おじいちゃんやトレーナー達にも?」

 

「ええ、そうなりますね」

 

 その確認に俺は頷く。

 そして、篠澤さんは──琥珀色の瞳を輝かせて、顔を上げた。

 

「そっか。それなら失敗は、許されない、ね」

 

 緊張。興奮。

 だがそれ以上の、ともすれば狂っていると思わせるような、無邪気な笑み。

 

「篠澤さん、あなたはようやく、まともなレッスンを始めたばかりです。多くの欠点があり、それは克服の目処さえまだ立っていません」

 

「うん」

 

「前座とはいえ、『H.I.F』に出場するのには圧倒的に実力が足りていません」

 

「うん」

 

「観客達は、誰もあなたの事を知りません。皆、この後の月村さん目当てで来ています。あなたは、眼中にない」

 

「うん」

 

 篠澤さんは頷いた。

 そして、俺に尋ねる。

 

「これはギャンブル、プロデューサーは、そう言った。それなら、どうして今のわたしに、賭けてくれたの?」

 

 その質問に、俺は晴れやかな笑顔で答える。

 

「やりたいからです」

 

 ずっと、夢見てた。自分の担当アイドルが、ライブをする姿を。ずっと、やりたかった。

 

「面白そうだからです」

 

 他とは違う、アイドル。

 そんなアイドルが、どのように歌って、踊って、可愛いを魅せてくれるのか。これだけ面白そうな事は、ない。

 

「悔しかったからです」

 

 自分の道を迷う事なく、一直線に突き進んでいく親友が羨ましかった。置いていかれるのが、怖かった。何より、中途半端に足踏みしていた自分自身に腹が立ち、悔しかった。

 

「あなたと同じですよ、篠澤さん。今やるべきだ──と、思ったんです。理由なんて、そんなもので良いでしょう」

 

「非合理だね」

 

「合理的に考えていたら、篠澤広のプロデュースなんて到底出来ません。最近、その事に気が付きました」

 

 そう言うと、篠澤さんはくすりと笑った。

 

「わたしのプロデューサーは、酷い。これから戦いに行くのに、悪口ばかり言う。プレッシャーが増えるような事ばかり、言う」

 

「不満ですか?」

 

「ううん、全く。──わたしのプロデューサーが、あなたで良かった。あなたを選んで、良かった」

 

 そして、遂に、『その時』は訪れる。

 開幕を告げるアナウンス。期待を孕んだ大歓声。

 

「行ってきます」

 

 アイドルが、ステージに立った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 それは劇的な、観客の誰をも魅了するようなライブではなかった。

 事前に告知されていたとは言え、観客の何割かはこのライブが月村手毬によるワンマンライブだと思っていた。しかし実際に始まったのは、それとは違い、顔と名前も知らないアイドルが前座としてステージの上に立ったのである。

 初星学園の校歌にして課題曲でもある『(はじめ)』を歌う彼女に、観客達は困惑を隠せないでいた。しかし『H.I.F』という大きな環境要因が、何より、拙いながらもステップを振り、ポージングを取り、一生懸命に歌うアイドルのその姿に、観客達は戸惑いを払拭させると楽しむ事に移行する。

 そして、一番の盛り上がりであるサビ。

 花道を歩きながら「一緒に楽しもう」と声を掛け、メインステージからセンターステージからへ歩き──アイドルは小さいながらも確かな変化を見せる。

 

 開花。

 

 それを感じ取れたのは、ごく僅か。

 彼女を見込みがあると言った人物はニヤリと笑った。

 彼女を指導してきたトレーナー達はその変化に目を見張り、祝福をした。

 彼女の友人達は、手を取り合ってその姿に黄色い歓声を上げた。

 彼女の後に出番を控えているトップアイドルの原石は小さいながらも笑みを零し、プロデューサーに揶揄われた。

 そして。

 彼女のプロデューサーは──。

 

 

 

 

§

 

 

 

「ただいま」

 

「お帰りなさい」

 

 

 

 

§

 

 

 

 身を焦がす熱気が、時間の経過と共に溶けていく。

 片付けも終わり、照明の消えた観客席。その最後列に腰掛ける篠澤さんを、俺は探し当てた。

 

「こんな所に居たんですか」

 

 声を掛けると、篠澤さんは視線をステージに向けたまま答える。

 

「あそこで、わたし、ライブをしたんだよね」

 

「そうですね。あまりにも早いステージでした」

 

 しかし、と俺は続けて言った。

 

「前座として、必要最低限の役目は果たせたと言えましょう」

 

「そっか。それなら、良かった」

 

 篠澤さんはそう言い、微笑んだ。

「となり、空いてるよ」と誘ってくる彼女に、俺は苦笑いを浮かべる。そろそろ俺達も出なければならないが、まあ、あとほんの数分なら構わないだろう。

 左隣に腰掛け、俺は篠澤さんと一緒に時間を過ごす。

 

「今日のライブには、大きな収穫がありました」

 

「収穫?」

 

「はい。篠澤広の『アイドルの才能』についてです」

 

「聞かせて」

 

「普通のアイドルなら、あんな風にはなれません。──しかしあなたは、あの逆境に対して臆さなかった。揺るがなかった。投げなかった」

 

「当然。その為にわたしは、アイドルになったのだから」

 

 俺は、ステージを凝視する。そこで歌って踊る一人のアイドルを、幻視した。

 

「篠澤さん、あなたは窮地であればある程に実力を発揮する稀有な才能を持っています」

 

「それって、珍しいの?」

 

「正直、自覚してないのが末恐ろしいです」

 

 俺の言葉に、篠澤さんは「そっか」と呟いた。

 

「でも、もし窮地で無くなったとしたら? 一生懸命レッスンをクリアして、成長したら? そしたら、窮地じゃなくなるんじゃない?」

 

 そんならしくない不安を、俺は笑って吹き飛ばした。

 

「まさか。断言しましょう、あなたに安寧は訪れない。あなたはこれからも、ギリギリの綱渡りをしますよ」

 

「……どうして?」

 

「他ならないあなた自身が、先程仰っていたではないですか。仮にあなたが優れたアイドルになったとしても、あなたは満足しない。安寧は自分から捨てるでしょう。だって、その為にあなたはアイドルを選び、『趣味』としたのですから」

 

「……ふふ。今日のプロデューサーは、凄い自信家」

 

 篠澤さんは可笑しそうに笑うと、顔を俺に向け、静かに尋ねた。

 

「それじゃあ、ままならない日々は終わらない?」

 

「そうです」

 

「絶対?」

 

「絶対です」

 

「約束、してくれる?」

 

「約束しましょう」

 

 俺の言葉に納得したのだろう。篠澤さんは安心したように頷いた。

 そして、琥珀色の瞳で俺に問い掛ける。

 

「プロデューサー。ライブ前に、『ようやく覚悟を決めた』って、言った、よね。それって、どういう意味?」

 

「……。…………自分のプロデューサー人生を賭ける覚悟です」

 

「ふふ。嘘」

 

 篠澤さんはドヤ顔で俺の嘘を看破した。

 

「教えて」

 

 俺は、長い、長い溜息を吐いた。

 

「俺の話を聞いてくれますか」

 

「うん。聞かせて」

 

 篠澤さんの瞳を直視しながら、俺は自身の話をした。

 

「『夢』があったんです」

 

「『夢』?」

 

「ええ、そうです。その為に俺は、この初星学園に入学しました」

 

「その『夢』の内容は?」

 

「自分の手でトップアイドルを育てる事」

 

 少しの間を置いて、篠澤さんが「そっか」と呟いた。

 

「ありふれた『夢』でしょう?」

 

「ううん。素敵な夢だと、思う」

 

「ありがとうございます。──さて、そんな『夢』を持つ俺には一人、親友が居ました。同じ『夢』を持つ同士であり、ライバルでもあります」

 

 話を続ける。

 

「前、ラーメン屋で先輩と月村さんと食事していた時の事を覚えていますか?」

 

「うん」

 

「先輩が言っていた、『入学と同時に『プロデューサー制度』の利用が認可された生徒』。そのうちの一人が俺で、もう一人がその親友です」

 

 横で、息を呑む気配。

 

「親友は、入学式の日に早速アイドルをスカウトしていました。その行動力の高さには改めて驚いたものです。──一方、俺は、中々それが出来ずにいました。決め兼ねていたんです、最初のプロデュース相手を。そして、そんな時に出会ったのが──篠澤広さん、あなたでした」

 

「……そっか。だからプロデューサーは、時々、傷付いた顔になっていたんだね」

 

「そうならないように気を付けていましたが、やはり、気が付いていましたか」

 

「……うん。プロデューサー、その時は迷子みたいだった。どっちを進んだら良いのか、ううん、進む事が正しいのか。それが、分かっていないようだった」

 

 本当に、この女性は人の機微に鋭い。

 

「篠澤さん、あなたはこの前俺に聞いて来ましたね」

 

 篠澤さんが、その時を再現する。

 

「『どうしてわたしのプロデューサーになってくれたの?』」

 

「『そんなの俺が知りたいくらいです』。今は、その質問に答えられます──『綺麗だったから』と」

 

 俺の言葉に、篠澤さんは目を見張った。

 動揺する彼女に、俺は当時の出来事を思い返しながら言う。

 

「保健室であなたの、その琥珀色の瞳を初めて見た時に思ったんです。『ああ、綺麗だな』って」

 

「……初めて、聞いた。そんな事」

 

「初めて言いましたからね。……この感情(おもい)に気が付くのに、随分と長い時間を掛けてしまいました」

 

 ともすれば、それは、一目惚れだったのだろう。

 最初は本当に、分からなかった。プロデュース中に、何度も思った。何故俺は彼女からのスカウトを引き受けてしまったのだろうと。

 それは彼女と過ごすうちに、ゆっくりと、時間を掛けて自分の気持ちに向き合い、分かっていった。

 だが、それをすぐに認める訳には行かなかった。

 俺の『夢』を、彼女が叶えてくれるとはどうしても思えなかったからだ。

 

「でも、もう、良いんです」

 

「良いの……?」

 

「良いんです。だって、俺は思ってしまったのだから。自分の『夢』よりも、あなたとの『趣味』の方が価値があると──そう、思ってしまった」

 

 俺は、心から笑っていた。自分の気持ちに正直だった。清々しくさえあった。

 

「覚悟を決めたというのは、そう言う事です。これで、俺の話は終わりです」

 

 長い、長い静寂の末。

 篠澤さんは、月明かりの下、微笑みながら小指を差し出してきた。

 

「……? 篠澤さん、これは?」

 

「指切りげんまん」

 

 首を傾げる俺に、アイドルは言った。

 

「新鮮で、苦しくて、ままならない。そんな日々を。プロデューサー、あなたに届ける」

 

「だから、ね」と篠澤さんはいつもよりも大きい声で言った。

 

「これからも、ずっと一緒に居てくれる?」

 

「……何だか、愛の告白みたいですね」

 

 俺は照れ臭さを誤魔化す為にそう揶揄ってから、自身の小指を、彼女の細い小指を絡ませた。

 

「何処までも付き合いますよ、俺達の『趣味』に」

 

「うんっ!」

 

 

 

 

§

 

 

 

「お前のアイドルのライブ、観たぜ」

 

「そうか。ありがとう」

 

「……お前は、そっちの道を行くんだな」

 

「ああ、そうだ。……ごめん」

 

「謝るなよ。俺も、この前は悪かった。正直、どうしてあの子なんだと思っていたが──ああ、やっぱり。お前は、凄い奴だ」

 

「ありがとう」

 

「それじゃあ──」

 

「それじゃあ──」

 

「「次は、一緒に仕事をしよう。約束だ」」

 

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