『H.I.F』が終わった。
今年の『
とはいえ、それは既に過去の出来事。
アイドル達は今日も、厳しいレッスンをこなしている。プロデューサー達は彼女達の支えとなれるよう、動いている。
「──プロデューサー。来た、よ?」
事務所に入ってきた篠澤さんが、俺に声を掛ける。
俺はパソコンを閉じると、彼女に挨拶をした。
「お疲れ様です。突然連絡をしてしまい、申し訳ございません」
「ううん。それは全く、気にしてない。ただ、珍しいとは思った。プロデューサー、わたしの授業中に連絡してくる事は殆どなかったから」
篠澤さんの言葉に頷きながら、俺はソファーベッドへ座るよう促した。
「プロデューサーも、となり、くる」
「……それでは、失礼して」
左隣に座る。
俺はごほんと咳払いを打つと、本題に入った。
「今日お呼びしたのは他でもありません。今日はあなたに、大切な話があります」
「プロデューサー、それはまだちょっと早いと思う。具体的には、あと数ヶ月待って欲しい」
「……何の想像をしたのかは知りませんが、多分、違います」
「そう? 残念」と意味深に呟く篠澤さんに、俺は何故か恐怖を感じた。
再度咳払いをし、話を続ける。
「ヒントを出しましょう」
「それは良いけど。プロデューサー、本当に珍しい。こんなにも浮かれている」
「さあ、ヒントです。今日は、俺がずっと待ち焦がれていた日なんです」
興奮を隠せず俺が言うと、篠澤さんは暫く悩む素振りを見せてから答えた。
「わたしとの契約を解除する日?」
「そんな事しません」
「うん。そうだよね。だって『お試し契約』だなんて、わたしに嘘を吐いていたんだもん、ね?」
過去の黒歴史を掘り起こされる。
「手毬や他の人に聞いた。『お試し契約』だなんて、そんな物はなかった。プロデューサーは、最初から私のプロデューサーだった」
俺は思い切り舌打ちをした。
「ふふ。プロデューサー、段々わたしに遠慮がなくなってきている、ね。良いよ、もっとして」
本当に契約解除しようかと、俺は葛藤した。
だが、すぐに思い直す。
俺は邪魔されないよう目で牽制すると、正解を口にした。
「篠澤広さん。今日ようやく、あなたのソロ楽曲が完成しました」
「…………わ。流石にそれは、予測出来なかった」
「そうでしょう、そうでしょう!」
「プロデューサー、得意そう」と呟く篠澤さんを無視し、俺は歓喜に震えた。
「アイドルを『趣味』などと宣い、ちっとも向いていない篠澤さん」
「担当アイドルに言う事じゃない、ね」
「そんな篠澤さんが、ライブで、篠澤さんだけの歌を歌うんです。──ああ、ここまで、本当に長かった」
ふぅと脱力する俺の背中を、篠澤さんは優しく摩った。
「そっか。わたしだけの歌……──うん、嬉しい、な」
「同感です」
「早速、聞いてみたい。出来る?」
「無論です」
俺は、事前に準備しておいたポーターブルCDプレーヤーを操作した。
──4分34秒後。
聴き終えた篠澤さんが、感嘆の溜息を吐く。そして、琥珀色の瞳を俺に向けて尋ねた。
「この曲の名前は?」
「──『
即答すると、篠澤さんは何かを噛み締めるように頷いた。
「とても、素敵な曲。早く、歌いたい」
「そう言うと思いました。早速ですが、今日の午後からこの曲のレッスンに入ります。トレーナー達には既に伝えてあります」
「プロデューサー、本当にわたしの事、よく分かってる。そう言う所、好き」
俺はその言葉を、適当にあしらった。
さて、『光景』のレッスンに入った篠澤さんだったが、当然、順調とは程遠かった。
「──そこで一気に爆発させるんだ、篠澤! そうでなければ、この曲は完成しないぞ!」
ダンストレーナーが叱咤する。
篠澤さんは何とかそれに応えようとし──すっ転んだ。それはもう、芸術的な美しさだった。
「転んでもすぐに立ち上がる! そして踊れ! アイドルであるならな!」
「は、い……!」
息も絶え絶えの状態。
だが篠澤さんはレッスンに喰いついてみせた。
「──良い曲だな、これ」
レッスンが終わり、篠澤さんが更衣室に向かっている最中。
ダンストレーナーが俺に、そう声を掛けてきた。
「ライブチケット、如何ですか?」
「買おう」
「ありがとうございます」
ボーカルトレーナー、ビジュアルトレーナーにも誘うとの事で、こうして、ノルマ達成に三歩近付いた。
「プロデューサー。お前、良い顔になったな」
「……そうですか?」
「ああ、前のお前は何と言うか──何かに追われているような、そんな焦燥に満ちていた。篠澤への過保護なまでのプロデュースプランが、その裏返しだな。それが今じゃ、のびのびと楽しんで活動しているように見えるぞ」
流石専門職だと、俺は脱帽した。
俺はダンストレーナーに向き合うと、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました、ダンストレーナー。あの時の助言がなければ、俺は今でも、答えを出していなかったかもしれない」
「何、気にするな。それが私達の仕事だ」
「姐さん……!」
「やめろ、恥ずかしい! ……お前、キャラが違くないか?」
「そんな事ありませんよ」
ダンストレーナーは暫く、疑い深く俺を見てきたが、溜息を吐くと、「それで?」と聞いてきた。
「チケットは捌けそうなのか? 今までは前座だったからあまり関係なかったが、今回はそうじゃない。篠澤が
学園の中にあるステージを使用してライブを開催する場合、アイドルとそのプロデューサーにはノルマが課せられる。
ステージの大きさやライブの規模によってそれは変わってくるが、ダンストレーナーが言った通り、達成出来なかった分は、その分、活動資金から引かれる事となる。
「私達以外には誰か声を掛けているのか?」
「そうですね……ファンの方以外ですと、篠澤さんのご友人や学園長にはチケットを渡しています」
「そうか。こういう時、横の繋がりというのはとても大切だからな──待て。最後何て言った? 学園長と言わなかったか?」
「初のメインライブ、成功すると良いのですが……」
「おい無視をするな。本当に学園長を呼んだのか? というか、学園長はチケットを受け取ったのか? 本当に?」
そんな風にダンストレーナーと談笑していると、篠澤さんが戻ってきた。
「ただいま」
「お帰りなさい。それではダンストレーナー、俺は篠澤さんを寮まで送っていくので、ここで失礼します」
別れの挨拶をすると、ダンストレーナーは疲れたように溜息を吐いた。
「全く、お前達コンビのレッスンはとても疲れる」
褒め言葉と受け取っておこう。
レッスン室をあとにし、そのまま外に出る。秋の到来を感じさせる肌寒さに、俺は、そろそろジャケットにするべきかと思案しながら、右隣を歩く篠澤さんに調子を尋ねた。
「ライブには間に合いそうですか?」
「分からない。歌詞と振り付けは完璧に覚えた、けど、ギリギリだと、思う」
「それはまた、綱渡りですね」
「ふふ。ほんと、ままならないね」
篠澤さんを微笑むと、頭上の夜空を仰ぎ見た。
「初めての、わたしが主役でのライブ。楽しみ」
「あぁ、そう言えば。伝えるのを忘れていました。前座のアイドルは勝手ながら、俺が決めさせて頂きました」
「良い、よ。多分、同じだと思う、から」
ライブの告知はまだしていないが、学園をざわめつかせる自信がある。
「さあ、頑張りましょう。その先に、ステージがあります」
「うん」
初星学園、講堂。
そこでは現在、一つのライブが開催されようとしていた。
そのアイドルの実力は、下から数えた方が早いだろう。だが確かに彼女はアイドルであり、今回のライブは、その実力とは関係なしに、注目を集めていた。
理由は幾つかある。
一つは、そのアイドルが初めて
一つは、前座として出るのが、『H.I.F』を大いに賑わせたアイドル、そのうちの一人であるという事。これには、そのアイドルのファンが大いに驚いた。何故ならば、そのアイドルはソロに転向してからは一度たりとて前座としてライブに出た事はなかったからだ。
そして本来であれば、このようなキャスティングはしない。
ましてや今回のような晴れ舞台に於いては、前座が主役を食い潰してしまいかねない。ファンはどうしても比較してしまい、それはライブ中、すぐに雰囲気として出る。
これは、プロデューサーの手腕が問われる部分である。
だが今回、主役アイドルのプロデューサーはそんな定石は知らぬと言わんばかりに無視した。
そしてそれはプロデューサーだけではなく──ライブの当事者たる主役も同じ。
何故、と聞かれたら彼等はこう答えるだろう。
「「その方が面白いから」」
と。
「それじゃあ、この後も精々楽しんでいって」
前座のアイドルがぶっきらぼうにそう言うと、観客達は大歓声で答えた。圧巻のパフォーマンスに、彼等の心は鷲掴みにされ、興奮は最高潮に達していた。
「お疲れ様でした」
ライブを終え、メインステージから舞台袖に移動したアイドルに、彼女のプロデューサーが労いの声を掛ける。
彼女はプロデューサーから手拭いを受け取ると、鼻を鳴らした。
「まさか前座で出るなんて……随分と久し振り。ねえ、プロデューサー。これじゃ私の市場価値、下がるんじゃない?」
「まさか。寧ろ上がりましたよ。これであなたのファンは、『友人の新人アイドルの晴れ舞台に駆け付けるだなんて、なんて友達思いなんだろう!』と思います。好印象間違いなしです」
「どうだか」
そう言うと、彼女──月村手毬さんは再度鼻を鳴らした。
俺は篠澤さんと一緒に、彼等へ声を掛ける。
「月村さん。改めまして、今日は来て下さってありがとうございました」
「手毬、ありがとう」
お礼を言うと、月村さんは不機嫌そうに「別に」と言う。
「プロデューサーがどうしても出ろって言うから、仕方なく出て上げただけです」
「おっと、嘘はいけませんよ手毬さん。とても乗り気だったじゃないですか。『私以外に前座をやらせるだなんて許さない!』とまで言っていたではないですか」
「〜〜ッ! プロデューサーッッ!」
吠える月村さんを、先輩は軽く笑っていなした。そんな彼へ、俺は話し掛ける。
「先輩も、ありがとうございます」
「何、礼には及びません。先輩として、後輩を助けるのは当然の事ですからね」
「うっわ。思ってない事をよくもまあそんなスラスラと言えますね。プロデューサーこそ嘘を吐かないで下さい」
「手毬さん。この後はソフトクリームでも食べに行きましょうか。勿論、奢りますよ。だから暫くお口をチャックして下さい」
言われた通り、すぐに口を閉ざす月村さんを見て、俺は遅まきながら思う。
俺と篠澤さんは、とんでもない人達と関わりを持ってしまったのかもしれない。
これなら、佑芽さんや倉本さんにお願いした方が良かったのかもしれない。
「さて、話は後で幾らでも出来るでしょう。これ以上の長居は無用です。それでは篠澤さん、健闘を祈りますよ」
そう言うと先輩は先に舞台裏から出ていった。
月村さんはすぐにその後を追わなかった。篠澤さんに話し掛ける。
「衣装、新しくなったね」
「うん」
初のソロ曲という事を記念し、『光景』専用の衣装を仕立て上げたのだ。
「プロデューサーが、用意してくれた。ヒラヒラしてて、好き」
新しいおもちゃを与えられた子供のように、篠澤さんはその場でターンしてみせた。
本人には口が裂けても言わないが、初めて着ている所を見た時は妖精のようだと思ったものだ。
「場は私があたためて上げたよ。これで失敗したら、あなたの所為だから」
「うん。ありがとう、手毬。心配してくれて」
「だ、誰が心配なんか!」
「ふふ」
「でも、大丈夫」と篠澤さんは言うと、琥珀色の瞳を輝かせて堂々と宣言した。
「そんな事には、ならないから」
「……へえ、言うじゃん。それじゃあ、見といてあげる」
月村さんは口角を上げると、舞台裏から出ていった。待っているプロデューサーと合流するのだろう。
俺は、自身の担当アイドルと向き合う。
「ねえ、プロデューサー。今日、わたしのファンって、どれくらい、居るのかな」
「さあ、どうでしょうね」
「むぅ。プロデューサーは、いじわるを言う」
拗ねたように口を尖らせた篠澤さんは、視線を観客席に向けながら言った。
「わたしに、ファンって、居るのかな」
「他ならないあなたが、知っているでしょう。居ますよ。居なければ、ライブは出来ない」
「うん、そうだね──わたしこれまで、自分にファンが出来るって事を、あまり深く考えた事がなかった」
俺は視線で、続きを促した。
「知っての通り、わたしは、自分の楽しみのだけに、『趣味』の為にアイドルになったから。そんなわたしを好きになってくれる人が居るとは、思えなかったの」
「当てが外れましたね」
「うん。当てが外れた。──わたしには、わたしのファンが居る。他のアイドルのファンからは、『変わり者』って言われている、ファンが。そしてみんな、それでも良いって、言ってくれている」
類は友を呼ぶ、とでも言うのだろうか。
事実、篠澤広のファンは、普通のアイドルのファンとは違い、個性的だった。
だが確実に言える事がある。彼等は皆、篠澤広というアイドルが好きなのだ。そうでなければ、『変わり者』を自認しないだろう。
「わたしも、プロデューサーも、ファンの皆も。みんな、みんな。『変わり者』」
「……俺は『変わり者』ではないですが」
苦言を呈するも、篠澤さんは可笑しそうに笑うだけで訂正しなかった。
「……話は分かりました。つまり、自分の事しか考えず様々な方々に散々迷惑と心配を掛けてきたあなたは、ようやく、他者に目を向け、考えるだけの成長を遂げたという訳ですね」
「ふふ。そうなる」
「それで、どうですか?」
「複雑。これまでシンプルに考えていた事が、
「不安ですか?」
「ううん。わたしは、独りじゃないから。わたしは、それを知っている。だから寧ろ、楽しい」
そう言って笑う彼女は、言葉通り、実に楽しそうだ。
「今日は、ね。わたしの、晴れ舞台」
「そうですね」
「わたしがこれまで見てきた、『光景』。そして、これから視る、『光景』。それはきっと、わたし独りだけで視ても、とても詰まらないから」
「だから」とアイドルは宣言した。
「今日はわたしだけじゃなくて、みんなの事も楽しませる。そんなわくわくする歌を、歌ってくるね」
「ただいま」
「お帰りなさい」
「どうだった?」
「そうですね──」
「──ふふ。そっか。ねえ、プロデューサー。明日、デートに行きたい。嫌そうな顔、しないで。遊園地。遊園地に行きたい。ご褒美が欲しい、な。あっ、そうだ。わたしから一つ、渡したい物がある。初めては、あなたにあげたい、な」