NO GOLD   作:一貫

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雪下の出会い1

薄暗い路地に狼の遠吠えめいた風が吹く。

その直後、身を寄せ合って寒さに耐えていた浮浪者たちの耳に、ザクザクと雪を踏みつける音が入ってきた。

 

その足音の主が誰であるのかを正確に把握する必要はない。仲間であるか、そうではないか。それさえ分かっていれば良かった。

 

仲間であれば団欒に迎え入れよう。

鉛色の空の下、週に一度行われる教会の炊き出しを頼りに食い繋ぐ落伍者の集いに。

 

そうでないなら縋りつこう。

道行く人よ。どうか力無き我々に一欠片のパンを。恥も外聞もとうの昔に捨て去った。人のなりをした獣だと嘲笑われても構わない。明日の日の出を拝めるのなら、何にだって頭を垂れよう。

 

足音を聞けばどちらか分かる。

そして今回は──後者であると彼らは思った。

 

浮浪者の一人が顔を上げた。

しかし、彼が目にしたのはそのどちらでもない。腰に剣を佩いた青年であった。

 

背丈は百八十センチメルトを少し超えるくらい。細身ながら筋肉質な身体に、襤褸布同然のマントと垢に塗れて黒ずんだ皮の鎧を身に付けている。

襟足がやや長い灰色の髪と薄青色の瞳は、鋭い目つきも相俟って、見る者に狼を連想させた。

 

「なんだ?」

 

青年が問い掛ける。

浮浪者は答えられなかった。仲間とは言えない。されど施しを与えてくれるようにも見えない。餌を待つ水槽の魚のようにパクパクと口を動かして、何を言うでもなく黙り込んだ。

 

直後、青年が腰の剣に手を掛けた。ヒュッと誰かが喉を締められた様な声を出す。どこまで落ちぶれても、死の恐怖からは逃れられなかったから彼らは浮浪者になった。怯えるのは必然であった。

しかし青年は浮浪者の態度に首を傾げた後、剣を鞘ごと外してから壁に背中を預ける様にして座り込んでしまった。

 

暫しの沈黙が路地を包む。

黙って俯く青年を遠巻きにヒソヒソと浮浪者達が話をする中、 一人の老人が顔からは想像できない様なハリのある声を発した。

 

「珍しいねぇ。アンタみたいな若いのがこんな場所にいるなんて……訳ありかい?」

 

青年は虚な目を老人に向け「まあ、そんな所だ」と頷いた。

 

「ちょっと人生が詰まされたんだよ。どうしたもんかと途方に暮れてる」

 

青年は自分の髪をぐしゃりと掴んでから、再び顔を伏せた。

その姿に目を細めた老人は「さよか」と相槌を打ち、戯けるように言葉を続ける。

 

「若いのが弱音吐いちゃいけねぇな。どれ、俺にちょいと話してみろよ。今じゃあ寂れた路地の物乞いだがよ……こうなる前は、ニザヴェリルじゃあ名の知れた騎士だったんだぜぃ?」

 

腰の曲がった老人がニヤリと笑い、肩を揺する。伽藍堂の袖がそれに合わせてヒラヒラと踊った。

「じゃあ、ちょっと聞いてくれよ………」

 

 

 

 

 

俺はしがない傭兵団の構成員、つまりは傭兵だ。

傭兵という職業は恨みを買いやすい。例えやっている事の結果が同じでも、国の為に戦う正規兵とは違って傭兵ほ己が為にしか戦わない。

 

当然、傭兵には大義も正義もなく、あるのは首一つに付き幾らと決められた報酬を求める欲望だけだ。

そんな奴らが戦争とは言え人を殺せば、恨まれるのも無理はない。力を商材にして人を殺す事を生業とするというのは、そういう事だ。

 

だからこの命が、自分が奪った兵士の家族の呪いで潰えようとも文句はなかった。

だけど──ある日の晩、酒場で一人で酒を飲んでいる時だ。蛇の様な目をした男に声を掛けられた。

 

「本当に不憫な話なんだがねぇ、イリオスさん」

 

そこで紙切れが一枚、眼前で宙を舞った。

紙に書かれているのは借用書の文字と、長々と連なった文言。その末尾に師匠の名前と俺の名前が記されていた。

 

「アンタのお師匠さん。ウチにすんごい借金してたの。で、首が回らなくなってトンズラこいて………後は分かるよね?」

 

男が俺の肩に手を置く。

いつも鼓膜が破れないか心配するような喧騒に包まれている酒場が、葬式会場の様に静まり返っている様に感じた。

 

「俺たちも鬼じゃあねぇ。今回は特別に利子は無しにしてやる。連帯保証人のアンタには耳を揃えて払って貰って、これからも立派に生きて貰いたいからねぇ」

 

保証人の欄なんかに自分の名前を書いた覚えはない。だが、確かにそこには俺の名前“イリオス”の文字が刻まれていた。

 

「こんなの無効だろ。俺が書いたもんじゃない。筆跡だって違う」

 

そう言う俺に男が言った。

 

「書いたか書いていないかはこの際なんだっていいんですよ。問題はこれ」

 

問題は血判まで押されていたそれに、赤黒い文字でこう明記されていた事だった。

 

『指定した期限内に返済を完了出来なかった場合、借受人及びその保証人の魂はディースパテルの血盟約により回収される』

 

魂の回収とはつまるところ──払えなければ呪い殺されるという話。そして、契約は既に成立してしまっている。

 

俺は机に拳を叩きつけながら、嘘だと叫んだ。

同時に、腰に提げた剣の柄に手を掛けながら立ち上がる。

 

しかし殺意を見せる俺に対して、男は一切怯む事なく蛇の様に細い目を僅かに開けるだけだった。

 

「俺を殺したって何の解決にもなりゃしねーよ。それと……払うか死ぬかの前に、俺たちゴレーノを敵に回す事がどういう事か。分からんほど業界歴は浅くないだろ?」

 

男が淡々と自らの所属を明かす。

貸主はゴレーノファミリー。この国、ニザヴェリル最大のマフィアだ。傭兵としてゴレーノから仕事を受けた事も少なくない。

 

だからこそ知っている。

とてもではないが喧嘩を売れる様な相手ではないことも、売れば最後、報復で傭兵団が壊滅するだろうことも。

 

膝から力が抜け、俺は椅子に座り込んだ。

解決策は金を払う以外にない。けれど、とてもではないが、借用書に書かれた金額は一年やそこらで俺一人がどう頑張っても集め切れる金額ではなかった。仮に集め切れたとしても、それを得る為にした借金で自分の首を絞めるだけなのは目に見えていた。

 

「それではまた。金が用意出来たら連絡しな……出来なくても、な」

 

男が去っていく。

借用書とは違う、連絡先を記した紙だけを残して。

 

徐々に酒場へ喧騒が戻ってきた。

 

俺は呆然とその背中を見送った後、ポケットから引っ張り出した飲み代をテーブルにぶち撒けてから、酒場から飛び出した。

 

向かった先は俺が所属している白狼傭兵団の詰所だ。兎にも角にも金がいる。そうなれば、真っ先に相談する人は限られていた。

俺は一目散に団長の前へ転がり込んだ。

 

団長であるアルフレッド・ディノは、俺が傭兵団に下っ端として入った十三歳の頃から面倒を見てくれていた兄貴分だ。立場は変わってしまったが、何かと面倒を見てくれる所は変わっていない。こんな状況で頼れるのはこの男だけだ。

 

アルフレッドは部屋に転がり込んできた俺に、酒が入ったグラスを片手に「何事だ!」と怒鳴った。

当たり前の反応。それでも俺に謝る余裕なんてない。

 

「アルフレッド! 頼む、助けてくれ!」

 

「………落ち着け。何があった?」

 

アルフレッドは俺に水の入ったグラスを差し出しながら、そう尋ねてきた。

 

俺はグラスを引ったくるように受け取り、その中身を飲み干した。そして、ゴレーノファミリーから借金を払うか死ぬかの二択を迫られている事を端的に話した。

 

「なるほど。状況は分かった。大変だったな」

 

話を最後まで聞いたアルフレッドは顎髭を撫で、どこか遠くを見る様な眼差しを俺へと向けた。

 

「お前が剣一本だけ持ってここに来た時は………ウチはまだ弱小傭兵団だった。それから六年。昨日笑い合っていた仲間が次の日には居なくなってる世界で言えば、かなり長い付き合いだろう」

 

アルフレッドは自分のグラスをテーブルに置き、立ち上がった。

それからゆったりとした足取りで自分の得物である斧槍を手にした。

 

「残念だイリオス。お前には俺の右腕として、行く行くは副団長に……俺が死んだ時には団長なって貰おうと思っていた」

 

斧槍の先が眉間に突き付けられ、訳もわからず俺は尻餅をついた。

 

「なんで……!?」

 

「傭兵は命のやり取りをするお仕事だ。そんな場に呪われている様な奴を連れて行けるか? 運気が下がるだろ。無理だ」

 

「運、気?」

 

「ああそうだ。運気。大事だよな、大事なんだよ……だがな。それでも相手がゴレーノじゃなければ助けてやれたさ。だって金さえ用意できりゃあ解呪できるんだからな。だが、ゴレーノはこれからウチが取引していく事になるお得意さんの商売敵だ。そんな所に大金を流せるか? えぇ?」

 

──俺が傭兵団に入って六年。

不利な戦いでは幾度も殿を務めて仲間が撤退する時間を稼ぎ、時にはクライアントからのオーダーを通す為に無茶もした。

 

傭兵団の主軸を担う従魔隊の教練や新人教育も、勉強が苦手な俺なりに、優秀な後輩の手を借りながらとは言え必死に行ってきた。

傭兵団は家族だ──そう教えられて、そう接してもらったから。だから誰にも死んでほしくなくて、苦手な事でも一生懸命にやってきた。

 

「俺たちはなイリオス。この国で一番の傭兵団になるんだよ。これからはなぁ、商売する相手も選ばなくちゃならない」

 

アルフレッドは俺に斧槍を突きつけながら、くどくどと恨み言にも似た説教を続けた。

しかし結局、アルフレッドの言葉は俺の頭には何一つとして入ってこなかった。

 

唖然としたまま固まる俺に、アルフレッドは話をこう結んだ。

 

「出ていけ。もう俺たちに関わるな」

 

俺が大切にしてきた物は一夜にして瓦解した。

自分がこさえた訳でもない借金で、これまでの全てが嘘であったかの様に、たった一言で終わらせられる関係だったと突きつけられた。

 

俺は目の前が真っ暗になった。

 

 

 

 

 

「……師匠の借金は俺から全てを奪った。居場所も、職も、何もかも。呪われているという理由で宿にも泊まれなくなった。それから噂が広まる事を恐れた俺は、追われる様に街を出て、気がついたら冬だ」

 

この国、ニザヴェリルは大陸有数の豪雪地帯。

命辛々、冬が本格化する前に滑り込む様にして辿り着いたのがこのエーリアという街だ。再起を誓うには少々寂しい。金の匂いも戦いの気配もない長閑な街である。

 

「………けっ、何だよ。偉そうに先輩風吹かしてた癖に、もう居ないじゃんか」

 

物乞いの老人はいつの間にか俺の前から居なくなっていた。それどころか路地にいた他の物乞いも皆、姿を消していた。

まあ、白金貨二千枚の借金を背負わされていた男と積極的に関わり合いたいと思う人間はいないだろう。

 

白金貨二千枚となると、国に仕える文官の生涯年収に相当する額だ。白金貨を八十枚から二百枚ほど投資された裕福な家の子供達が、大学を卒業して二十歳かそこらから四十年働いてやっと手に入る賃金である。

それを泣く子も黙るゴレーノファミリーから借り受けたなんて知ったら───然もありなん。

 

腕っぷしで飯食ってる傭兵団がビビって追い出しに掛かる程だ。冷静に考えて、これに怯まない物乞いがいる訳がなかった。

 

「いや……それだけじゃないか」

 

気が付けば日は傾き、雪が舞い始めていた。

傭兵として鍛え上げた身体は少々の寒さなど物ともしないが、襤褸を纏うだけの物乞いには厳しいなんてものじゃない。俺も立ち上がって屋根がある場所を探すことにした。

 

だが、良さげな場所はどこも先約があった。俺は早々に諦めて元の路地へと戻ってきた。

 

「座ってた場所が濡れてやがる」

 

当たり前だ。雪が降ってるのだから。

本当に気が休まらない。常に心がささくれ立っていて、些細な事で苛々するような───そんな感覚が消えない。どうして俺がこんな目に。そう考えてしまう。

 

師匠の借金など知った事ではないのだ。

剣を教えてくれた事には感謝しているが、俺だって師匠の世話をしていたしな。

 

思い返せば、師匠は碌な男ではなかった。

唯一尊敬出来るのはそれこそ剣の腕のみ。私生活は酒、女、賭博に染まっていたし、何度賭場を取り仕切る無法者から「このおっさんを連れて帰ってくれ!」と連絡を受けたか分からない。

 

普通に考えて借金だって無効だ。俺が寝ている間に勝手に血を抜いたのか、修行中にぶち撒けた物を使ったのか定かではないが、呪いさえなければ無視していた。

本当に腹が立つ。

 

「こんな死に方、嫌だなぁ」

 

雪の冷たさが沁みる。

溜息が白く染まる。

俺はその場に座り込んで腕を組んで俯いた。

 

傭兵団の閑散期とは戦の発生しない時期───収穫期と冬になる場合が多い。つまりフリーランスの傭兵として一人で活動しようにも、そもそも仕事がない。

無理難題な試練にカスの条件の上乗せだ。笑えてくる。

 

確かに凄腕の熟練傭兵なら、一人であっても三年程の期間があれば白金貨二千枚を稼ぐことはできるだろう。だが、それで可能性がなくはない程度の話だ。しかもその稼ぎから武器のメンテナンスや日々の食事、宿の代金など諸々の経費を捻出する必要がある。考えれば考える程、無理難題が過ぎる金額である。

 

まあ、俺はもう傭兵と名乗る事さえ厳しくなってしまっている。オリエントの諺に取らぬ狸の皮算用というのがあるが、それより酷い。

 

「死にたくねぇ……」

 

どうしようもなくて泣き言が口を衝く。こんな風に人生が詰むなんて考えもしなかった。死ぬ事に対しての恐怖はあれど、仕事が仕事だ。覚悟はしていたつもりだった。

だが、あまりに理不尽な理由でいきなり死ぬとなると話は違うらしい。みっともないとは分かっていても、震えと涙が止まらない。早く金を稼がないと死ぬのも分かっている。それでも不条理に足が竦んだ。こんな事は初めてだ。

 

藁にも縋りたい──正にそんな心境の最中。

 

「どうして泣いていらっしゃいますの?」

 

鈴を転がすような声が俺の耳朶を打った。

思わず俯いていた顔を上げてしまう様な、そんな声だった。

 

「ごきげんよう。月が綺麗ですわね」

 

顔を上げた先で、すらりと背の高い少女の長く艶やかな金髪が夜風に靡く。路地の暗闇にあって尚その存在を主張する白金色の髪は夜空に浮かぶ満月の様だった。

少女は金糸の縁取りが施された赤いマントを纏い、端正な顔に凛とした表情を浮かべていた。そして翡翠色の瞳に俺を映し、ぬける様に白い手を差し出して言った。

 

「立てますか? おじ様」

 

「誰がおじ様だ。俺はまだ十八だ」

 

俺は少女の手は取らずに自力で立ち上がった。

 

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