NO GOLD 作:一貫
「あら、ごめんあそばせ。顔があまりにも情けなくて老けて見えましたの」
少女の歯に衣着せぬ言葉に涙が一瞬で引っ込んでいく。
豪奢な赤いマントを纏う少女───いや、よく見ると生地のほつれをどうにか繕っただけの使い古しの物だ。
粗末な装いと言ってもいい物が一瞬でも絢爛な衣装に見えたのは、少女の常人離れした風格故かもしれない。
「あら、そんなに情熱的な視線を向けられると………昂ってしまいますわ」
少女は舌で唇を舐めながら言った。
妙な色気を感じさせる見目麗しい少女からそんな風に言われれば、勘違いする男も少なくないだろう。
だが、俺は騙されない。
彼女の目は戦場で何度か見た戦闘狂のそれと同じだ。飢えた獣に欲情できるほど、俺の男としての生存本能はまだ生への執着を捨てきれてない。ここが街中でなければ躊躇わず剣を抜いていただろう。
俺の心中を見透かしたかの様に、少女が細面に花の咲いた様な笑みを浮かべている。
「抜いてくださらないのかしら? 困りましたわ。私と踊るに足る殿方をようやく見つけられたと思ったのに」
トントンと右脚のつま先で地面を叩く仕草。路地に甲高い音が反響する。細かい材質まではわからないが、少なくとも金属製の靴を履いているようだった。
少女はこちらの注意をそこに向けさせた瞬間、僅かに上半身を揺らした。
「……フェイントだな」
それも二重の。
上半身を揺らしたのは俺に拳打を匂わせる為だ。拳に対応しようとすれば本命の直撃は免れない───だが、俺とてそれにりに場数を踏んだ元傭兵。その辺りの予測には自信がある。
想定通り、少女の右脚から鋭い蹴りが放たれた。赤いマントが翻るのと同時に、少女の膝辺りまでを覆った分厚い装甲が露わになる。
そして、装甲の一部が少女の戦意に呼応するように展開され、そこから噴射された魔力が蹴りを加速させた。
豪快な風切り音を伴う一撃、狙いは俺の左側頭部だ。少女の蹴りを左腕の籠手で受け止めるべく、全身に魔力を漲らせる。
身体強化の魔術は俺の十八番である。家屋ほどある猪の魔獣に突撃されても小揺るぎする事もない。
しかし次の瞬間、大砲が着弾したかの様な衝撃と轟音が路地の静寂を吹き飛ばした。
「……マジか」
呆然と左腕の籠手を見る。最近手入れが出来ていなかったとは言え、見事に弾け飛んでいた。その上、まだ腕に痺れが残っている。
城門を粉砕する破城槌を魔術で人にぶっ放してきた奴が過去にいたが、その一撃を思い起こさせる重さと力が今の蹴りには込められていた。
素直に言うと───めっちゃ痛い。とても痛い。当たり前だ。何なんだよ比較対象が攻城兵器のお嬢様って。人間じゃねぇだろ。
「ほほほ………今のを受け止めて涼しい顔をしているあなたも大概ですけれど」
だが俺の不満を見抜いた少女は、それはそれは楽しそうにしていた。言葉尻が余りにも軽やかで今にも踊りだしそうなくらいだ。
そのワルツが俺にとっての死の舞踏になる可能性があるという点が無ければ、見惚れてしまっていただろう。
展開装甲がカシャンと音を立て、一人でに閉じられた。少女が脚を下ろすのに合わせて俺も腕を下ろす。
敵意はない。蹴りを放った少女にも、それを受けた俺にもだ。
「白狼傭兵団を国有数の傭兵団に押し上げた実力を見たかったのに………残念」と少女は口惜しげに言う。
「まあ、そんな事だろうとは思ったよ。というかその評価なに? 中堅傭兵には身に余るよ。勘弁して」
何せ噂話というのは馬鹿にできない。特に傭兵稼業なら尚更な。
『アイツ強いらしいぜ』
『じゃあ準備もっとしっかりやっておくか』
こんなノリで過剰に対策を練られて死んだ仲間や先輩傭兵を、俺は何人も見てきた。
まあ、俺はもう──
「もう傭兵ではないんでしょう? 借金の保証人になった上に呪われたせいでクビになったと……噂になってましたわ」
「やめてくれ。ハッキリと事実を並べ立てるのは。心にくる」
事実陳列罪だぞ。
そう視線で批難してみるが、少女は口元に手を当てて「ほほほ」と上品に笑うだけだ。
「にしても……もう噂になってんのか」
「迂闊にして浅慮。命のやり取りをする仕事で“呪われたんだけどどうしよう”なんて馬鹿正直に言ってしまえば、干されるのは必然でしょうに」
「それ以上言ったらぶつぞ」
俺が甘かったのは事実だとしても流石にそこまで言われると不快だ。
しかし少女は一切怯む事なく、笑顔すら浮かべて答えた。
「望む所ですわ」
両手を広げて抱擁を待つかのような仕草をしている。悪意はない。むしろ、俺の不平不満を受け止めてやろうという器の大きさを見せられたような、自分の狭量を責められた様な気がしてならなかった。
「悪いけど、君みたいな変人に関わってる場合じゃないんだわ………まあ気分転換にはなった。礼は言うよ」
早く去ろう。
明日は、そうだなぁ。教会で祈りでも捧げてみるか。いや、待てよ。金を返す以外に呪いを解く方法だってあるんじゃないか? それこそ教会は寄進額によっては高名な神官から特別な治療を受けられたりするんだ。借用書の原本さえ手に入れられれば、教会がどうにかしてくれるんじゃないか? 幾らゴレーノファミリーが裏社会で強い力を持っていても、厄祓いのスペシャリストに敵うのか?
フッ───希望、見えてまいりました。
やはり人間、落ち込んでいる時は嫌な事ばかりが脳裏を過ぎる物だ。 そういう意味では少女に感謝しかない。あの蹴りが俺を掬い上げてくれたと言っても……過言か、それは。まだ痛いし。
何より。
「俺、さっきサヨナラしたよね? 何で着いてくるの?」
「まだ話は終わってませんから」
「いやだから………ありがとう! 君のおかげで前を向けた!」
「礼など結構。この私がただの善意でびーびー泣いている軟弱者に声を掛けるとでも?」
チラリと背後を見る。
少女は口の両端を上げた満面の笑みを浮かべたまま、俺の後を着いてきていた。怖い。これでは背中に大砲を突きつけられているような物だ。
だから俺は歩くのをやめた。少女もピタリと動きを止める。
振り返れば、満面の笑みに勝ち誇ったドヤ顔を上乗せした少女が、胸の下で両腕を組んで仁王立ちしていた。
「私の話を聞く気になりましたか?」
「話をしたいと最初から言われてたらしてるんだけどね」
「生憎、軟弱者と交わす言葉は持ち合わせが殆どございませんの」
「嫌味ったらしいお嬢様ですこと……で、結局何なのさ」
では、単刀直入に。
少女はそう言って咳払いしてから言った。
「お金、欲しいのでしょう? 私と共に来なさい。巨万の富と比類なき名誉を約束しましょう」
「鏡で自分のことよく見てから言おうね」
間髪入れずに言葉を返す。巨万の富を約束する人間がそんなボロっちい服着てる訳がない。
少なからず少女にも自覚があったのだろう。「ゔっ!?」と顔を歪め、余裕を失った。
演技にしてはわざとらし過ぎる。交渉とか苦手なタイプか。
「それじゃあ」
「待っ、待ってくださいまし」
えっと、えっと、そんな風に少女が頭を悩ませている。先程までとは違って随分と幼い。
少女は咳払いをしてから襟元を正した。
「巨万の富と比類なき名誉とは言いましたが、お察しの通り今すぐにという訳には参りません。それを得るためには時間と労力を要します」
「俺に時間はないって話、しなきゃダメか?」
噂を知っているなら細かい説明は要らない。
少女はキッパリ「それは結構」と言って俺の不幸自慢を拒否してきた。そして。
「ですがそれこそ、今日明日で死ぬ訳ではないでしょう? 何事においてもせっかちな殿方は嫌われますわよ」
「……違いないな」
「つまるところ私には計画があるということです。貴方に巨万の富を与え、更に上手く行けば巨万の富はそのままに、借金を無かった事にも出来るでしょう」
借金を無かった事に出来る。それはつまり。
「この国最大のマフィアを敵に回すって?」
「場合によってはそうなります………が、回避は簡単でしょうね。何せ互いに利がある話をするだけですから」
「話が見えないな。俺はせっかちなんだ。結論から教えてくれ」
「簡単ですわ。ゴレーノファミリーが欲する物を、白金貨二千枚以上で売りつければいい。そして私はゴレーノファミリーが白金貨を数千枚を叩いても欲しがる物を知っています」
少女のギラついた目に覚えがあった。
戦場で見た戦闘狂。一瞬の攻防、命のやり取りに興奮と価値を見出す変態。しかし今のそれは少し違う。
「ニザヴェリル北西にあるカルデラの下に広がる迷宮“落星の坑道”。その最奥に湧く星のエーテルを大量に含んだ水、“星の雫”。これが何の素材になるかはご存知?」
「万病を癒すとされる霊薬……だったか?」
「その通り! 現人類が生み出せる最も高位の物とされる霊薬であるローエリクサーですわ。それさえ手に入れば、私たちの勝利……ここまで言えばもう分かりますわよね?」
少女が獲物を狙う肉食獣の様な目で俺を見ている。
「私と共に冒険しましょう。イリオス」
この世界の腕自慢には三つの道がある。
一つ目は正規兵、騎士。国の為に戦う者達。
二つ目は傭兵。己が利益の為に戦う者達。
そして、三つ目。未知を求めて危険を冒す者達。遺跡や迷宮、未開拓領域の調査や都市近郊の魔獣討伐、商隊の護衛、様々な素材の収集の代行を行う職業。
この子は───冒険者だ。
「……なるほど」
迷宮や遺跡から発掘される道具類の中にはそれ一つで城が立つ様な金額が付く物もあるという。
そんな物は全体の発掘量から見て極々僅かだろう。砂漠から一粒の砂金を見つけ出す様な物だ。
だが、場所も必要数も把握できている錬金素材の採取ならばそんな博打にはならない。少女の理屈は筋が通っている様に思える。ローエリクサーには白金貨二千枚の価値があるし、仮にゴレーノファミリーに買わせる事が出来なくても借金の完済に必要な金は稼げる筈だ。
しかし、この作戦には見過ごせない問題が少なくとも一つ存在している。
「この国にローエリクサーを作れる人間がいるのか?」
霊薬の作成は錬金術師の領分である。
俺も魔術には多少の心得があるが、錬金術に関しては門外漢だ。傭兵団にも錬金術師は居らず、ポーション等の下位霊薬は外注していた。
大体の怪我や病気は下級霊薬で治るし、それで無理なら教会に寄進して法医術師に治して貰えば良いというのが一般的な考えだ。
そんな事だから、作成に才能と膨大な修練を求められる高位霊薬以上の物を作れる錬金術師は非常に少ない。そこまで頑張らなくても働いていけるからな。
傭兵団がポーションの作成を依頼していた錬金術師曰く「高位霊薬は変態の趣味でしかない」という。その難易度は推して知るべし、だ。
「リンザールにある錬金術師協会に伝手があります。そこで高位錬金術師を斡旋してもらう予定ですわ。支払いもローエリクサーの代金から引いて貰えばいいので、損はありません」
俺の懸念に対し少女は胸を張ってそう言い切った。
「最後に……何で俺なんだ?」
少女は強い。俺の判断基準はどうしても傭兵団になるが、蹴りの威力は徒手での戦闘を得意とする傭兵の中でも間違いなく最上位。
冒険者の階級などには明るくないが、上位帯にいる事は間違いないだろう。素性の知れない傭兵崩れの俺を迷宮に連れて行くより、同業者と共に攻略へ向かう方が建設的だ。
何を企んでいる? 素直に答えるとは思えないが、それでも問わずにはいられない。
俺の質問に対する少女の答えは──蹴りだ。
「危なっ!?」
再び左腕でそれを防ぐ。
鈴を転がすような笑みを浮かべ、少女は言う。
「私の蹴りを受け止めらる人を貴方くらいしか知らなかったから……ですわ」
それは少し、引っかかる言い方だった。
「どっかで会ったことあるのか?」
「さあ?」
問い掛けてはみたが、案の定はぐらかされる。
少し前ならこんな怪しい案件、絶対に信用しなかった。しかし、俺にはもう彼女の手を取る以外の道が残されていない。
「……信じるからな」
「素直ですわね、お可愛らしいこと。ですが、ええ───良くってよ。必ず貴方の信頼に応えてみせますわ」
「そりゃ嬉しいね。じゃあ自己紹介とするか」
「そうですわね……では、私のことはクララと呼んでくださる?」
本名というより愛称なのでは? 俺は訝しんだ。
「俺はイリオス、白狼傭兵団では」
「結構。色々と知ってますから」
「……やっぱ絶対会った事あんじゃん。まあいいか。それより悪いけど、頼みがあるんだ」
「何でしょうか?」
「金がなくて宿が取れないんだよね。飯も三日は食ってない」
冬を越せるくらいの預金はあったが、気が付いたらゴレーノファミリーに差し押さえられていて引き出せなかった。
水は雪から得てどうにかしているものの、食糧と寝床はそういう訳にはいかない。食糧はただでさえ冬価格で高止まりしているし、雪を固めて風雨を避ける簡易拠点を作る事も傭兵生活で無かった訳ではないが、それは冬が本格化する前の時期の話。今やったら生き埋めになるし、長期間ともなれば寒さで死ぬ。
「という訳で、お金を貸してください!」
不本意ではあるが女の子に養ってもらうしかない。俺は地面に頭を擦り付ける様な勢いで頼み込んだ。
俺の言葉にクララは微笑んだ。
「なるほど───奇遇ですわね」
嫌な予感しかない。
だって「奇遇だね」って同意の意味でしか使わないじゃないですか。
「私も無一文ですわ」
どうすんだオメェ……
──こうして、元傭兵のイリオスと“謎の少女”クララの前途多難な冒険生活は幕を上げた。