NO GOLD 作:一貫
その後も俺たちは次々に依頼をこなした。
薬草、もとい草抜きの次は年寄りが多く住む居住区画の雪掻きだった。
「仕事とは言え面倒だな」
積もった雪は重い。俺たち力自慢を支える“身体強化”はこの悩みを解決してくれるが、面倒である事には変わりない。
俺がそんな弱音を吐きながらシャベルで雪を退かしていると、クララが腰に備えたポーチへ徐に手を伸ばし始めた。
「フッ、これを見ても同じ事が言えますか?」
クララが取り出したのは瓶詰めにされた苺ジャムだった。何でジャム? と首を傾げる俺の前でクララは瓶の栓を抜き放った。
その瞬間、俺の頭を電流が走り抜けていった。
「まさかっ!?」
その“まさか”だった。
クララは雪に触れ、新雪であることを確かめてからジャムを垂らし、ポーチから取り出した大きなスプーンでその場所を掬った。
「おぉ……」
生唾を飲み込む俺の前にスプーンが近づいてきた。親鳥に餌をねだる雛鳥の如く自然に開いた俺の口に、クララがそれを差し込む。
口の中で苺の甘さが広がり、雪が体温で溶けて消える───不思議な感覚。
「うめぇ……」
甘露甘露。
「こうすれば空腹も満たせる上、ジャムに使ったお金は報酬金で十分元が取れる。一石二鳥ですわね」
「クララ、もしかして君は───」
俺が言葉を選んでいるとクララが目を輝かせて此方を見てきた。
「天才か? 俺ガキの頃からこれ一回やってみたかったんだよなぁ!」
「ほほほ、私も一度試してみたかっただけですわ……幼い頃からね」
「やっぱ考える奴は考えるんだなぁ」
これを考案したのは故郷の許嫁である。
もっとも、勘当された俺に彼女の許婚を名乗る資格はもうない。
懐かしい気分だ。故郷に居た頃の記憶にあまり良い物はないが、唯一彼女と過ごした時間だけは楽しかったと断言できる。
元気にしているのだろうか。もう結婚しているかもしれないな。確か少し年下という話だったから、今頃十六か十七歳くらいだろう。
故郷では十五歳で男女共に成人だ。許婚が決められている家の子供は成人して二、三年もすれば結婚しているのが常である。
俺が家を出たのが十歳の頃だから、まあ、新しい婚約者がいると考えるのが妥当か。
身勝手で迷惑を掛けてしまったのには違いないし、遠い空から幸福を祈るぐらいはしないとバチが当たるだろう。
「で、クララは何をそわそわしてるんだ?」
「……別に、何でもありませんわ」
舌打ちしそうな程に不機嫌になったクララは俺に何本かジャムを投げ渡し、黙々と作業を再開した。
流石にこの空気で甘露を味わう気にはなれない。名残惜しい気持ちはあったが俺も作業に戻る事にした。
「そう言えば、あの子も金髪だったな……」
──そんなこんなで一日に三つの雑用依頼をこなし、足元を見てくる商人から相場の五倍で買わされたマズイ干し肉を食べるひもじい生活を続けること十日。
遂に俺たちは、目標金額を貯める事に成功したのだった。
「さて、クララくん。これから俺たちはエーリアから“落星の坑道”へと向かう訳だが」
宿の一室、男女二人、何も起こらない筈もなく、作戦会議が始まった。
俺が地図を広げながら話を切り出すと、クララは凛とした眼差しを俺に返した。
「違います」
「あ、違うんだ」
「何事にも順序があります──先ずアナタが目指すのは冒険者、そうでしょう?」
「正論過ぎる」
クララは“落星の坑道”を指差したまま固まっていた俺の手を掴み、そのまま東の方角へと移動させる。
「私達の次の目的地は東の国境に最も近い街、リンザール。ここに設置された冒険者連盟支部でイリオスには冒険者資格を取得していただきます」
リンザールはニザヴェリルの中で最も発展した街の一つだ。国の中では比較的穏やかな気候で、隣国との貿易も盛んである事が一番の理由である。
冒険者連盟の支部があるというのは聞いた事が無かったが、設置するとしたら首都とリンザールの二択になるだろう。
「久しぶりだなぁ、リンザールに行くのは」
「あら。そうなんですの?」
「国境付近で暴れ回ってたそれなりに大きい盗賊団をぶっ潰そうて事で、何年か前にな」
隣国との国境にもなっているベルグリザ山脈を中心に、白狼傭兵団のみならずリンザールの領主の私兵も動員された大規模な山狩りが行われた。
三日三晩、寝るまもなく働かされたのはこの任務が最初で最後だった。思い出すだけで背筋を寒気が走り抜けていく。
「ちょっと楽しみだ」
「いい事ですわ……ただ、向かうとなると強行軍です。残念ながら春まで待っている訳にはいきませんから」
「借金が分かったのは冬入り前だったしな。ざっくり十ヶ月後までに借金が返済できなかったら死ぬ訳だし、異論はないよ」
そして、春になるのは半年先だ。
落星の坑道がある都市、ニザヴェリルの北側に位置するユルグの寒さはエーリアの比ではない。ハイディの力を借りたとしても、春になるまで向かうのは厳しいだろう。
タイムスケジュールを考えると雪解けが始まるまでに冒険者資格を取得し、その後可能な限りユルグに近い街まで移動しておく必要がある。
でなければ、期日までに目的の錬金素材を手に入れ、それを加工して貰うまでの時間が確保できない。
ただ、まあ。
「何かおかしな事でも?」
「いや、びっくりするくらい良い調子だなってさ」
借金を背負わされてまだ一ヶ月半程しか経っていない──その割にもう返済の見通しが見えてきている。白金貨二千枚。高給取りの生涯年収だぜ。笑えてくる。
それもこれも全部、クララのおかげだ。
「ありがとな」
「……その言葉は、借金を返し切ってからにしていただけますか?」
「謙虚だねぇ」
俺には彼女からここまで尽くされる覚えがない。
お気楽に考えれば、彼女が俺に一目惚れでもしたって所だろうか。
だけど、俺はそこまでお気楽にはなれない。
だからクララが俺を騙していたとしても、甘んじて受け入れる事にしている。
だまして悪いが仕事なんでな──傭兵なら一度は耳にする言葉だ。クライアントからやたら詳細な情報が来たり、逆に何の説明も無かったり、報酬がやたら高額だとかなり怪しい。
傭兵は恨みを買いやすいというのは、そういう実体験の積み重ねだ。俺が殺した者の中にはクララくらいの年齢の妹が居そうな若い兵士や、娘持ちの指揮官なども少なくなかった。実際、父の仇! と叫びながら年頃の娘が短刀を構えて突撃してきた事もある。
だが、それは師匠の借金が由縁の呪いで死ぬより一千倍はマシな死に方だ。むしろ死ぬならそっちが良いよ。命を金にしてきた因果応報だ。納得できる。
俺が物思いに耽っているとクララが「どうかしました?」と首を傾げながら尋ねてきた。
「……いや、何でもないよ」
出来ればただの良い子であって欲しい。
そう思うくらいは許してくれ。
いい加減気付いてくれと叫び出しそうになるのをぐっと堪え、引き攣る頬の筋肉を気合いで捩じ伏せて、私は笑みを作った。
イリオスと再会して半月ほどが経った。依頼の最中や移動時、食事中の何気なく会話で私の正体を匂わせては見たが、依然として彼が気づく様子はなかった。
一応、許嫁だったんだけどな。
流石に辛い。溜息と一緒に涙が溢れそうになる。
八年も会わなければ分からないか──幼い頃とは見た目も随分と変わった。背も伸びたし胸も大きくなった。筋肉も付いた。だから仕方ない。そう思うことで、どうにか心の安寧を保つ。
実際、彼は私との想い出を全部忘れた訳じゃなかった。雪にジャムをかけて食べてみたいと話していた事を、ちゃんと覚えていた。
「もしかして君は」何て言われた時には、内心で「やっとキタか!」と叫んでいたが、二の句は「天才か?」である。
そうですよ、私は天才です。史上最年少三級冒険者ですから。未来のA級冒険者と期待されていますから。
ぐすん。
「どうしたクララ。元気ないな」
「別に、どうという事はないのです。お気になさらず」
切り替えなくては──兎にも角にも、イリオスが背負わされた借金をどうにかしない事には、この十年の恋を実らせる為の話を進められない。
そういう訳で私は作戦会議もそこそこで切り上げ、イリオスと共にリンザールへ向けて出発することにしたのだが……
「ところでイリオス。何故、私たちは目的地の反対方向へ進んでいるのですか?」
この有様である。特段、難しい道ではない。
確かに降り積もった雪のせいで道は見えないのだが、エーリアとリンザールは位置関係がハッキリしていて、門からまっすぐ東に突き進むだけで良い筈だったのだ。
時間は有限だ。ミスがあれば直ぐに報告、相談し、修正していくのが最良である。
この工程は早ければ早いほど良いとされている。間違えた事を恥ずかしいと思う必要はない。間違えたと素直に言えない方が恥ずかしいのだ。
しかし、イリオスは「もう少し進んだら分かる」と迷いのない足取りで雪を踏み分けて進んでいく。
何か考えがあるのだろうか? 私が小首を傾げていると、前を歩いていたイリオスがピタリと足を止めた。
「イリオス?」
「少し待ってくれ……今、呼ぶから」
呼ぶ? とオウム返しをしそうになった次の瞬間、狼の遠吠えが雪原を駆け抜けた。
イリオスの声真似である。あまりに似ていて思わず身構えそうになってしまった。
「──来るぞ」
イリオスが声を弾ませる。前方から遠吠えが返ってきた。何かしらの合図だったのだろう。
そして、降り積もった雪の表層を風が浚い、細氷が宝石の様に視界で煌く中──それは現れた。
魔獣……大気に満ちる魔素、私達の体内にある魔力の源にもなるそれの影響を受けて変質した獣。その中でも上位に分類される魔狼種の中でも、殊更に強い種族。
銀雪の如き体毛に見上げる程の巨軀。四本の足で雪原に立つその姿は、思わず見惚れてしまいそうになるほど美しい。伶俐な瞳と獰猛で鋭い牙を此方に向け、腹の底にまで響く様な唸り声を上げている。
凍土の覇者──ヴァナルガンド。
街から出て直ぐの場所で相見えるような存在では断じてない。禁足領域と呼ばれる人類未到の地にいるとされる怪物の一種だ。
何十年も昔、そこから出て来たとされる怪物が街を荒らし、一級冒険者を含む大規模討伐隊が編成された事があったが、その際には作戦に参加した冒険者の大半が死亡したと聞く。
「元気だったか、ハイディ」
イリオスが語りかけると魔狼はゆっくりと身を屈め、額を彼の上半身に擦り付ける様にして甘え始めたではないか。
信じ難い光景だ。獰猛な魔獣が大型犬の様な仕草を見せている。
「リンザールまで歩くのはしんどいだろ? 途中まで乗ってこう」
それを乗り継ぎ馬車の様に使おうとしているのが、私の懸想している青年である。
よーしよし、この娘は敵じゃないよ、大事な味方だよ、牙仕舞おうねぇ。そう言ってイリオスはヴァナルガンドを撫で回している。
私は口元が引き攣りそうになるのを堪えた。
違う、そうじゃない。犬みたいに接するな。宗教によっては魔王と同じ扱いをされている魔獣なのよ。
「もしかして、白魔狼を見るのは初めてか?」
「は?」
「は? じゃないが」
私は白魔狼と呼ばれたヴァナルガンドを見た。
すると、ヴァナルガンドは先程まで威嚇していたのが嘘みたいに大人しくなっていた。
「やっと俺様を知ってる蘊蓄のある奴が来たのだ……」
そして疲れ切った口調で、伝説の魔獣は私にそう言った。