NO GOLD 作:一貫
ちょっとしたアクシデントはあったものの、以降は襲撃もなく俺たちの旅は順調に進んだ。
しかし、雪に覆われた平原のど真ん中にある巨大な街が視界に入る頃には、既に日は傾き始めていた。
「着いたな」
「呆れるほど速かったですわね……」
「えへん」
鼻息の荒いハイディの頭を全身でわしゃわしゃと撫でてから、その身体の湾曲に沿って滑り降りる。クララも俺に倣ってハイディの身体から降りた。
俺はハイディの顔を見上げながら言葉を探した。
「……しばらく、お別れだな」
何か言葉を掛けようと思ったのだが、上手く口に出せない。
するとハイディが前足を持ち上げて俺の頭をグリグリと撫でる様に擦った。
「やめ……やめろ! 泥だらけになる!」
「辛気臭い顔をしているからなのだ。今日から俺様も街に入ることにしたのだ」
「へぇあ?」
「従魔契約した魔獣は街の防御結界をすり抜けられるし、あれだけ大きな街なら二回り小さくなるくらいで問題ない──クララ、間違いないのだ?」
「その通りですわ」
「まったく……ご主人には困った物なのだ。それに比べてこのヒトメスは優秀過ぎる。長生きするにも、出来のいい子供をこさえるにも丁度いい。ご主人は死ぬ気で捕まえるべきなのだ」
思わず素っ頓狂な声を上げそうになったが、息を吸うタイミングで不意に唾が気管に入り、俺は盛大に咽せた。
派手にえずく俺の背中を、クララは割れ物に触れる様な優しい手つきで撫でてくれた。
一方ハイディは眉間に皺を寄せ、口角を下げながら吐き捨てる。
「うわバッチィ。やめろご主人、俺様に唾を吹きつけるんじゃないのだ」
誰のせいだ、誰の。
非難する俺の視線など無かったかのように振る舞うハイディに、がっくりと肩が落ちる。
「一つ、よろしくて?」
背筋を正して凛とした声で、クララがハイディに話しかけた。
憤る気持ちは分かる。出来のいい子供だの何だのと、彼女を何だと思っているんだ。
言ってやれ、クララさん!
「淑女をヒトメス呼ばわりはやめてくださいまし」
そうだそうだ!
「お前も俺様をオオカミメスとでも呼べばいいのだ」
「そういう問題じゃ……まあ、いいです。価値観の相違ですわね」
「そうなのだ」
一人と一匹の会話はそこで途切れた。
そして、俺が肺の辺りに感じていた違和感を吐き出し終えたのを見たクララが「では街に向かいますわよ」と言って歩き出す。
「え? 終わり?」
「何が?」
「いや、あの、もっと言うことあるんじゃ……?」
クララはニッコリと笑っていた。
しかし、何故か目は笑っていなかった。
地雷──最近、戦争で使われるようになった魔導兵器にそういう名前の爆弾がある。読んで字の如く地中に埋めて効果を発揮する物で、地雷が埋まった地表を特定の物体が通過した際、それに反応して起爆するという兵器だ。
対処方法は魔術師の基本技能である魔力探知。これの範囲を地中にまで広げ、踏まないようにするしかない。
「……何でもないです」
「よろしい」
何が言いたいかと言うと、見えている爆弾を踏むなんてのは竜の逆鱗を磨きに行くような物だ。
一体、何が彼女の琴線に触れてしまうのか──俺はまだ、クララという少女の事を何も知らない。
「大人になったら結婚するって約束したんだから、そりゃ子供くらい作りますわよね?」
「人間も狼も生物である以上、生存本能からは逃れられない──種の保存は必須なのだ。ご主人の番はクララがいいのだ。強いし賢いから」
「ほほほ……良い子ですわね。資金に少し余裕が出来たら牛を一頭買って差し上げますわ」
「わーいなのだ。ワギューがいいのだ」
度々仲間外れにされている事に対して俺が疎外感を覚えている内に、街の正面入り口のすぐ側までやってきた。
「昔と変わらず立派だなぁ」
街をぐるっと取り囲む巨大な石造りの防壁は、間近で見るとその迫力に腰を抜かしそうになるほど勇壮だ。
「しかもこれ、古代魔法文明の遺跡を利用した物らしいですわね」
「よく知ってるなぁ」
「ふふふ、冒険者ですからね」
クララの言う通り、この防壁は現代人が作り上げた物ではない。元は今より奇跡や神秘と呼ばれる物が身近だった時代に造られた、古代魔法文明の遺跡なのである。
その防壁を構成する石材は一つ一つに無数の防御呪文が刻まれている。
「確か有名な錬金術師が研究して、街の防壁に転用したんだよな?」
「ええ。アレクサンドラ・ディ・カリオストロ、錬金術の始祖にして“始まりの冒険者”の一人ですわ」
「へー」
冒険者の歴史はあまり知らないが、防壁は別だ。
リンザールの防壁は神話の時代、青空を揺蕩う入道雲ほどある竜の吐息を防ぎ切ったという伝承が残っている。
その真偽を確かめるべく、かつての力自慢や魔術師たちがこぞって技をぶつけてみたが──無傷。耐久検証に攻城兵器なども使われたらしいが、終ぞこの防壁に擦り傷すら負わせる事が出来なかったという。
「もっと間近で見れないかしら」
頬を紅くして目をとろんと惚けさせるクララ。
冒険者特有の知的好奇心というやつだろう。
「そこの君たち! 街に入るならこっちへ来なさい!」
「おっと、検閲の時間か」
防壁に設置された関所に足を向ける。
さて、ここでは職業や逗留目的を問われるのだが──俺は何と答えるのが正解なのだろう。軽く脳内でシュミレートしてみる。
「無職です」
「怪しい奴だな。立ち入りは許可できない」
「魔獣使いの元傭兵です。冒険者になりにきました」
「傭兵を辞めて冒険者になる理由は?」
「借金を背負わされた時に呪われました。相手はゴレーノファミリーです」
「どうして街に入れると思ったんですか? 怪しい奴め! こっちによるな!」
だめだ、断られる未来しか見えない。
エーリアに入った時はまだもう少し見綺麗だったが、今はかなり装備もへたってきている。冒険者志望というよりチンピラや騎士崩れの方が印象としては近い。これでは多少弁が立った所で門前払いを受けるだけだ。
俺が首を捻っていると、クララが手を引っ張ってきた。
「イリオス、早く街に入りますわよ」
既にハイディは街に入り、身体を魔術で大型犬くらいにまで小さくしていた。
「……あれ? 検閲は?」
「三級冒険者を舐めないでくださる? 無職と従魔の狼くらい、簡単に通してみせますわ」
クララが両手を広げて肩を引いて胸を反らした。たゆんと揺れるそれに目が行きかけるが、鋼の理性と鉄の意志で耐え、言う。
「君が居てくれて本当に、本当によかった……!」
師匠に借金を背負わされた不運は、彼女と出会う幸運の為の布石だったのかもしれない。
ちょっと出来過ぎで心配なくらいだ。
「じゃあ、これで俺も冒険者に──」
「まだなれませんわ」
何でや! と俺の心の中で、オリエント出身の後輩傭兵の妙な訛りを伴うツッコミが炸裂する。
クララは泣いている子供をあやすかの様な優しい声で言う。
「言ったでしょう? 連盟支部で冒険者資格を取得するためには試験に合格する必要がある、と」
嫌な予感がする。
俺は自分の直感を信頼して生きてきた。病める時も健やかなる時も、いつだって“心の声”に従い、選んできた。
そんな俺の心が叫んでいる。耳を塞ぎなさい、と。
しかし無情にもクララに両腕を掴まれた。俺の反応速度を遥かに上回っている。見てから反射で動いた訳ではない。俺の動きを予測していたのだ。その上めちゃくちゃ力が強い。
そして、彼女はその態勢のままぐっと俺の方へ身体を寄せて、耳元で囁いた。
「見られてますわ」
「君が大胆すぎるからか?」
「おばか……アナタも気付いてるんでしょう?」
ごめん。俺の神経は今、胸板と腹筋の狭間に生息しているスライムに集中している。魔力感知など働かせる余裕はない。
しかし妙だな。流石に敵であれば殺気や敵意の類で何となくは分かるのだが──
「ああ、今分かった。多分大丈夫だ」
屋根の上からこちらの様子を伺っている鉄の鴉に気付き、合点がいった。
「知り合いですか?」とクララが訝しげに尋ねてきた。
知り合いというより友人に近い。
出会ったのは仕事がキッカケだが、会う時は酒場が殆どだった。飲み友達というのが一番しっくりくる。
しかしそれを一から説明するとなると話が長くなってしまう。
「まあな……ひとまず場所を移そう。ここじゃ目立ち過ぎる」
冷静になって思う。公衆の面前でこの体勢はまずい。長話は無理だ。
離れていく感触に一抹の名残惜しさを覚えつつも、俺はクララとハイディを連れて歩き出した。