ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第一話

死んだ。

 

今結果が出たばかりの掲示板を悪夢の中の出来事のように見つめつつ、わたしは思った。

 

5月前期開催のクラシック級・未勝利戦。

 

エリートコースを突っ走ってきた勝ち組の同期が、ダービーを戦う今日の東京レース場で行われた未勝利戦に、わたしは勝つことができなかった。

 

雲一つない五月晴れの日差しが、なんとも恨めしい。

 

今日の未勝利戦が終わってしまえば、もうクラシック級の未勝利ウマ娘が出走できるレースはない。

 

いや、厳密に言えば地方に転校すれば走り続けることはできるが、少なくともトレセン学園に所属し、中央で戦う資格をわたしは完全に喪失してしまった。

 

だいたいわたしはお母さんに似て、ダートは壊滅的に向いてない。

地方では盛岡レース場以外、すべてダートで行われる。

確か入学前の適性テストではダートはG判定だったはずだ。

 

わたしは、小さい頃から今まで、中央の芝レースで勝つことだけを目標に生きてきたのだ。

そのために小学校に入る前から、厳しいトレーニングを積んできた。

 

わたしはそれ以外、なんにもしてない。

 

学校の勉強も、家事も、バイトも、遊びも恋愛もせず走ることだけに打ち込んできたのに、それがもうできなくなってしまった。

 

わたしは、死んだも同然だった。

 

もう、なにも考えられない。

もう、何も考えたくない。

 

もう、なにもしたくない。

 

かといって敗者がいつまでも、ターフの上にいることは許されない。

 

わたしはさながらリビングデッド(生ける屍)のごとく、ノロノロとした足取りでとりあえず控室に戻ることにした。

 

*

 

「……残念だったな」

 

控室に戻ってきてとりあえず椅子に座り込んだわたしに、腕を組んだトレーナーが沈痛な面持ちで声をかけてくれる。

未勝利のわたしを今まで見捨てずに面倒を見てくれたトレーナーになにか言葉を返したかったが、こんな時どんなことを言えばいいのか、わたしには分からなかった。

 

「エルサ。これからお前はどうしたい?」

「…………」

 

どうしたい、って言われても今は正直、死にたい以外の言葉が出てこない。

 

というか、ラストチャンスで勝てなかったエルサミラクルというウマ娘は、今日死んだのだ。

 

ただ、それを今まで面倒を見てくれたトレーナー兼今まで育ててくれた父親に言ってはいけないということぐらい、今のわたしにも理解できていた。

 

そんなわたしにできたことは、疲れと絶望のせいにして死人のごとく沈黙を保つことぐらいだった。

 

「特に意見がないなら、俺から一つ提案していいか?」

「はぁ……」

 

わたしは返事とため息がいりじまったような声を出して、トレーナーの顔を見た。

 

にしたって、ずいぶんと性急なことである。

こういう時、普通は『今は何も考えられないだろうから、後でゆっくりとお前のこれからのことを話し合おう』というのが、指導者というものではないのだろうか。

 

どうせ『もうレースでは戦えなくなったのだから、どこぞの高校に転校して、気持ちを切り替えてこれからは普通の高校生として勉学に励め』とかいうつもりなのだろう。

 

ウマ娘の指導者として、父親として、そういうしかないのかもしれないけど。

 

まぁもう、どうでもいい。

 

わたしはとりあえず、うなだれたかのように頷いた。

 

「もしお前に中央のレースを走りたいという気持ちがまだ残っているのなら……障害競走に転向してみるのはどうだ?」

「はぁ」

 

へ……?

 

しょうがいへ……?

転向……!?

 

「ええっ~!?」

 

同じ【てんこう】という発音でも、まったく予想だにしない進路を提案されて、わたしは死にたいどころではなくなってしまっていた。

 

*

 

現在、URAが主催するレースは大きく分けて3種類ある。

 

一つは、日本ダービーや天皇賞などが行われる芝のレース。

ファンが最も熱い視線を向ける舞台であり、いうまでもなくウマ娘であれば、皆が憧れてまず目指す花形の戦場である。

 

2つ目は、ダート。

芝に比べれば確かに注目度は劣るけど、ウマ娘が蹴り上げる砂の迫力とその砂塵の中を駆け抜ける勇姿に憧れ、適性があればダートで自分を試してみたい、という娘もたくさんいる。

ファンの中には熱心なダートウマ娘フリークがいて、その人達が彼女たちに向ける熱量は、時に芝で走る著名ウマ娘を軽く凌駕する。

それに近年、地方で開催されるクラシック級のダート三冠が新設されたり、ダートの本場・アメリカで行われるブリーダーズカップやケンタッキーダービーに挑戦する娘も増えてきて、注目度爆上がりの進路だ。

 

3つ目が、お父さんがわたしに提案した障害競走。

URAが主催する、函館と札幌を除く8つのレース場の一番内側で行われているレースで、正直注目度はあまり高くない。

 

基本的に2800M以上の距離を走り、コースに設置された障害物をぴょんぴょん飛び越えるという、ちょっと趣向の変わったレースである。

 

こういっちゃなんだけど……芝でもダートでも勝てなかったウマ娘が【仕方なく】選ぶ進路の一つ、という見方もできなくもない。

 

レース体系も芝やダートといった平地(・・)のものとまったくの別物となっていて、障害を専門とするウマ娘のクラス分けは未勝利とオープンの二つしかない。

 

障害競走の重賞も実施されているけど、J(ジャンプ)GⅠという表記で芝やダートなどの平地の重賞競走とは明確に区別されている。

 

去年の有マを勝ったウマ娘は、レースファンであれば誰でも言えると思う。

じゃあ同じ時期に行われたJGⅠの中山大障害を勝ったウマ娘は?と聞かれてすぐに答えられるファンは、ぐっと数が減ってしまうにちがいない。

 

障害を専門としたウマ娘の中にも、中山大障害を5連覇(!)したウマ娘とか、レースポイントを3億ポイント以上稼ぎだした伝説のウマ娘とか、凄いウマ娘が結構いたりするんだけどね……。

 

そうはいっても三冠ウマ娘やトリプルティアラウマ娘、それに歴代の年度代表ウマ娘たちに比べると、影が薄いことは否めない。

 

*

 

障害競走が未勝利とオープンのクラス分けしかないのは知っているけど……。

 

「平地の出走制限に引っかかったわたしが、障害の未勝利戦に出走できるの?」

「お前も知ってるかもしれないが、平地競走と障害競走のクラス分けは完全に別物で、障害には未勝利とオープンの二つのクラスしかない。で、障害競走の未勝利戦にクラスによる出走制限はないんだ。ただ、障害競走は距離が長い上にコース上に設置された様々な障害物を越えるという、体への負担が大きいレースだ。そのことを考慮して、まだ十分に体が出来てないジュニア級のうちは出走できないルールになっている」

「そうだったんだ」

 

障害競走も平地と同じように、今日までに勝たないと出走資格を喪失するものだと思い込んでいた。

 

どうやらわたしは、完全に死んだわけでもないらしい。

 

少し悩んで、わたしはゆっくりと視線をお父さんの方へ向ける。

 

「ってことは障害に転向すれば、トレセン学園に残ってレースを戦い続けることができる……?」

「ああ」

 

トレーナーの力強い首肯に、わたしはもう迷わなかった。

 

まだ、わたしは中央で戦える。

 

そう考えると死んだはずの体に、生気とやる気が漲ってきた。

 

「それならわたし、障害に転向する。明日からわたしは、障害競走ウマ娘になるよ」

 

わたしの決意に、お父さんはゆっくりとうなずいてくれた。

 

それにしても……。

 

ヒシミラクルという一流ステイヤーの娘が、障害競走へ転向か。

周囲は、そしてあの母さんは、一体なんて言うだろう?

 

*

 

わたしのお母さんのような母親を持つと、誰だってきっと『ふつーってなんだろう?』というような哲学的な疑問を抱くようになると思う。

 

わたしのお父さんはトレーナーという珍しい仕事をしているが、両親の話や子どもなりに我が家の経済状況を鑑みるに、そんなむちゃくちゃ稼いでいるというわけではなさそうだし、お母さんは普通にスーパーでパートをしている。

 

わたしはそんなごく普通の世帯収入の家に、ウマ娘として生まれた。

 

ウマ娘と言えばやたら美少女が多いことで有名だけど、その見た目もわたしの場合特に垢抜けているわけでもなく、かといって見れないほどひどい顔つきというわけでもなくて、ウマ娘の中では、まあ、ふつーのほうだろう。

 

強いて特徴を挙げるとすれば、お母さん譲りの芦毛であることぐらいだ。

 

普通の世帯収入、というのはわかりやすい。

家庭での稼ぎ手のお給料総額が、自分の住んでいる地域の中央値に近ければ近いほど、普通の収入の家庭ということになる。

 

見た目の普通はもう少し好みの幅が大きいけど、ある集団の中で特に目立つ容姿でなければそれはきっと普通のルックスなのだろう。

 

そんな普通の家庭で生まれ育った普通のわたしは、小さい頃から思っていた。

 

ふつーなわたしはきっとふつーにトレーニングして、ふつーにトレセン学園へ入学し、そしてお母さんと同じようにふつーに菊花賞とか天皇賞に出走して勝つんだろうなって。

 

だって、お母さんも自分のことを『わたしはふつーのウマ娘』っていつも言ってたもんだから、同じくふつーのウマ娘たるあたしも、お母さんと同じようにふつーの競走人生を歩むんだろうなって勝手に思ってた。

 

でもですね、歳を重ね、トレーニングを重ね、レースに身をやつしていると、嫌でも気付かされるんですよ。

 

うちのお母さん、全然ふつーじゃない!!

 

トレセン学園に入学できた時点で、自分で言うのも何だけど結構なエリート(ちなみにわたしは補欠合格である)だよ!

 

菊花賞と天皇賞と宝塚記念を勝っているようなウマ娘は、ふつーにチャンピオンウマ娘だよ!

 

時代を代表する名ステイヤーだよ!

 

もしもう一回天皇賞勝ってたら、ほとんどメジロマックイーンさんじゃん!

同じ芦毛だし。

 

でも母親の凄さに自分で気づけたのは幸運だった。

その名ステイヤーに少しでも近づこうと、トレーニングに一層励めるようになったのだから。

 

【スタミナは努力で補える】

 

これはミホノブルボンさんの名言だけど、この言葉がどれだけ支えになってくれたか。

 

少なくともスタミナだけは、お母さんの域に自分の努力で近づくことができる。

 

*

 

東京レース場からトレセン学園に戻ってきたわたしたちは、障害競走へ転向することをある人にさっそく相談してみることにした。

 

『そっか~。未勝利戦に勝てなかったのは残念だけど、エルサは障害でもう少しがんばってみたいと思っているんだね』

 

トレーナー室に備え付けてある、お父さんのノートPCの前にわたしは座っていた。

 

そのPCのスピーカーから、どこかほわわんとした声が聞こえてくる。

画面に映し出されているのは、GⅠ3勝を誇る名ウマ娘・ヒシミラクルだった。

 

わたしのお母さんはこういっちゃなんだけど、名ウマ娘のオーラがあんまり感じられない。

こうして見ていると本人の言う通り、本当にどこにでもいそうな普通のウマ娘だ。

 

「GⅠを3勝もしてるお母さんの娘が障害に転向、っていうのもどうかなと思ったんだけど……」

『いやいや、エルサは運動会とかでハードル走得意だったし、長い距離も苦にしないタイプだから障害っていうのは良いチョイスだと思う。それにそんなことを気にして、エルサが進路を選ぶことはないよ。エルサはエルサ、わたしはわたしなんだから』

 

本人にあまり自分が名ウマ娘にして名ステイヤーという自覚がないからだろうか、お母さんはわたしに自分の栄光を重ね合わせたり、わたしのウマ娘としてのキャリアに口を出すようなことはまったくと言っていいほどしたことがなかった。

 

「……ありがとう、そう言ってもらえるとわたしの気持ちも楽だよ。チャンスがあるなら、もうちょっとがんばってみたいなって」

『うんうん、エルサはわたしに似なくてがんばり屋さんだからね』

 

そんなことをいいながら、お母さんは何度もコクコクとうなずく。

 

『がんばるのはいいけどね、障害競走は普通のレースと比べるとケガしやすいって聞くし、十分気をつけて走ってね』

「うん、わかってる」

『じゃあわたしはそろそろ、夕食の買い物に行く時間だから。エルサもしっかりごはん食べるんだよ』

 

そう言ってお母さんはログアウトした。

あいかわらず、マイペースなお母さんである。

 

「予想通りと言えばそうだけど、特に何も言われなかったね」

 

後ろで母娘のやりとりを見守っていたお父さんに、わたしは思わず苦笑をもらしてしまった。

 

「ミラ子はお前が生まれたときから『元気に育ってくれればそれ以上は望まない』って母親だったからなぁ」

「ふ~ん……」

 

ふつーの親は生まれた子どもが赤ちゃんの時はそうでも、『立てば歩めの親心』というように、少しでも上等な人間に育ってほしいと望むものではないだろうか。

 

子どもに対するささやかな願いはお母さんらしいと言えばお母さんらしいんだろうけど、逆に言えばわたしに大した期待もしていない、ということなのかもしれない。

 

ウマ娘の世界に限ったことじゃないんだろうけど、親の期待がプレッシャーになって思ったような成績が残せない娘や親子関係がギクシャクしてしまっている娘もたくさんいる。

 

だからわたしがちょっとぐらい期待してくれても……と思うのは、子どもらしいぜいたくだということは自分で理解していた。

 

ぜいたくというか、ないものねだりというか。

 

「トレーナー、PC使わせてくれてありがとう。もう少し自主練して寮の方へ戻るとするよ」

 

アプリと電源を落として席を立つと、お父さん(学園の中とレース場ではトレーナーって呼んでいるけど)は少し眉をひそめた。

 

「おいおい、レース直後なんだぞ。悪いことは言わないから、今日はもうトレーニングは止めておけ」

「わかってる。だから脚元に負担のかからない上半身の筋トレとプールにしておくよ」

「それなら、まぁ……。でも、ほどほどにしておけよ」

 

それぐらいなら大丈夫と判断してくれたらしく、お父さんはようやく首を縦に振ってくれる。

 

トレーナーから自主練の許可を得たわたしは、バッグを手にとってトレーナー室をあとにした。

 

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