ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第十話

パドックに足を運ぶと、すでに何人かの娘たちが円の中を闊歩していた。

パドックはウマ娘が一人ひとり舞台に上がってその仕上がりを見てもらい、自らの調子をアピールする場所だ。

しかし通のファンは舞台上でのパフォーマンスより、ウマ娘たちがパドックを歩いている様子を見て調子の善し悪しを判断し、勝ウマ投票券にポイントを振り込む。

 

舞台の上では虚勢を張っていても、歩様まで体調やメンタルの不調をごまかせる娘はそうそういないからだ。

 

せっかくだし、ちょっとここで勝ウマ投票券(通称バ券)というものに触れておこう。

 

勝ウマ投票券とはその名の通り、レースで一着になると思われるウマ娘を予想してポイントを投票する、投票券の一種である。

 

ポイントはURA公式サイトでウマ娘グッズを買うことで、購入した商品の価格の1%が得られるシステムになっている。

つまり一万円分のグッズをサイトで買い込んだら、100ポイントがもらえるわけだ。

 

他にもURAが主催するイベントに参加することでもらえたり、アプリのログインボーナスとして配布されることもある。

 

そうして獲得したポイントはURA公式アプリに貯まっていき、これをレースに出走しているウマ娘に投票することができる。

 

で、その娘が勝ったらオッズに応じてポイントが払い戻される、という予想遊びに使うことができるというわけだ。

 

オッズは競輪やボートレースと同じ方法で計算されていて、下位人気の娘が勝つと100倍以上配当がつくこともある。

 

そうして集めたポイントでいったい何ができるのかといえば、ポイントでしか交換できないURA公式限定ウマ娘グッズに交換することができるのだ。

 

となるとその限定グッズ欲しさに、欲しくもないグッズを買い込んでポイントを集めて限定グッズに交換する、なんて輩も出てきてしまうことが予想される。

 

そのような事態を防ぐために、アプリに付与されるポイントは年間100ポイント、つまり一万円の買い物分までと上限が決められている。

 

URAはバ券やポイントに関して『これらはあくまでレースを楽しむための一環として、ファンの皆様に提供させてもらっている。限定グッズはおまけ的なものと考えてもらいたい』としているのだから。

 

もちろんそれは建前……というか本音の1つで、ポイントはグッズの販促のために発行されている、ということもあるだろうけど。

 

ちなみにポイントで手に入れた限定グッズを転売することは許されず、もし事が発覚した場合は二度とバ券の購入ができないよう、アプリのアカウントに制限がかけられてしまう。

 

過去にはエイシンフラッシュさんやジェンティルドンナさん、それにメジロマックイーンさんやサイレンススズカさんといったレジェンドたちの水着写真集などが1000ポイントで交換できたらしいから、それぐらい厳しい処置が必要なのだろう。

 

……いやはや、男の人の好みというのはこうもポラライズドされているものなのか。

 

ついでに言っておくなら、お母さんにはなぜか水着写真集の依頼は来なかったとのこと。

 

そうだ。

お母さんで思い出したので、もうちょっとだけポイント余談を。

 

お母さんとこのポイントといえば、ひとつ伝説的な話がある。

 

お母さんが天皇賞・春を勝った年のこと。

菊花賞に続いてシニア級で天皇賞を制したお母さんは、上半期のGⅠ総決算である宝塚記念への出走を決める。

でも、当時まだ実力を疑問視されていたお母さんは、菊花賞に天皇賞・春という日本を代表するGⅠを2つ勝っているにもかかわらず、当日は6番人気とあまり注目を集めていなかった。

 

お母さんが勝ったGⅠはどちらも長距離で、中距離への適性に世間がハテナがつけていた、ということもあったと思う。

 

その宝塚記念の結果は、皆さんご存じの通り。

世間の低評価を覆して、ヒシミラクルはあの豪華メンバーを相手に見事優勝を飾った。

 

そんなお母さんに1200ポイントをつぎこみ、見事に的中させて約20000ものポイントを手にしたおじさんがいたそうだ。

 

様々な証言から、このことはほぼ間違いのないこととされている。

 

彼はそのポイントを、何に交換したのか。

ポイントの交換情報はプライバシー保護の観点から完全に守秘されているので、ここからはあくまで噂話になってしまうけど……。

 

あの時代、一番の高額ポイントグッズは当時トレセン学園に在籍していた三冠ウマ娘全員とトリプルティアラウマ娘全員の直筆サインが入った写真集だった。

 

恐れ多くも名前を挙げさせてもらえるなら、三冠ウマ娘はシンボリルドルフ会長、ミスターシービーさん、ナリタブライアンさん、オルフェーヴルさん。

トリプルティアラウマ娘はメジロラモーヌさん、スティルインラブさん、ジェンティルドンナさん、デアリングタクトさん。

 

写真集には制服姿や勝負服のようにトレセン学園のウマ娘らしいものから、私服や水着といった激レアショットまで、約60枚もの写真が収められているという、まさにレースファン垂涎なもの。

 

写真集は三冠ウマ娘ver.とトリプルティアラウマ娘ver.の2冊に分かれていて、限定各10部のみの頒布とされた。

 

それぞれのお値段が10000ポイント。

 

年間で最大でも100ポイントしかもらえないのに、それをレースの予想で100倍にするのはなかなかに大変なことだろう。

 

ゆえにどちらか1冊でも持っている人は、ファンの間から神様のように崇められていたそうだ。

 

で、件のおじさんは両方の写真集を手に入れるためにポイントを使ったのではないか、とまことしやかに伝えられている。

 

歴史的資料としても価値の高いその伝説的な2冊を一緒に保持・保管しているのは、日本中を探してもトレセン学園とそのおじさんだけなのではないか、なんてファンの間では言われているわけだ。

 

おっと。

よもやま話を思い出しているうちに、出走するウマ娘たちが全員集まったようだ。

 

さすがにオープン競走なだけあって、未勝利戦のときのように明らかに仕上げ不足という娘は一人も見当たらない。

 

1枠1番の娘が胸を張って舞台に登壇し、今日のために鍛え上げてきた肉体を披露する。

 

オープン競走という、レースの格のせいだろうか。

 

新潟レース場のパドックはもう何度も経験しているはずなのに、いつもより心拍数の多い心臓の動きを感じながら、わたしは自分が登壇する順番を待った。

 

*

 

12人のウマ娘が、ひとりひとりゲートに収まってゆく。

 

動画などでいくつかの障害レースのゲートインを注意深く見ていると、平地のそれにくらべてスムーズに進んでいることが多いことに気づく。

 

これは障害レースに出走しているウマ娘は平地を走っている娘に比べると、性格的に落ち着いている場合が多いからだと言われている。

 

障害レースは平地より長い距離を走るし、レース中はいくつもの障害物を飛び越えなければならない。

 

そんな過酷なレースを走り切るためには、スタミナを無駄に浪費しない落ち着きと、障害物を確実に飛び越える冷静さ、それに勇気が必要だ。

 

どれが欠けていても、障害競走というタフなレースを走り切ることはできないのである。

 

性格的に落ち着いていると聞くと大人しい娘、怖がりな娘をイメージする人もいるかも知れないが、そんなことはない。

 

障害界のトップに君臨するグランアンネリーゼさんは、普段は人当たりのいい温和な性格で生徒会役員を務める優等生であるが、レースともなればどんな障害でも恐れずに飛躍する勇気と、競り合ったらまず負けない勝負根性を発揮するウマ娘として知られている。

 

普段は理性的で落ち着いているが、レースでは闘争心と勝負根性を発揮できる。

グランアンネリーゼさんは、ウマ娘として理想的な性質を持っていると言えた。

 

最後の一人が、ゲートに収まったようだ。

 

一瞬の静寂のあと、スタートが切られる。

わたしの出足も、決して悪いものではなかった。

 

まず飛び出していったのは、戦前の予想通り3番の娘だ。

それに同じ逃げ脚質の8番の娘が続く。

 

1番人気のインペリアルダンスさんはハナを奪い合うふたりを見ながら、先行集団の前の方へ取り付いた。

 

本命を見て、わたしは彼女を観察できるバ群の真ん中らへんに陣取る。

 

2番人気に推されているアクサナデイジーさんは、後方待機の作戦のようだ。

 

スタートしてすぐに、最初の障害がやってくる。

新潟レース場の障害は、第5障害の可動式ハードルを除いてすべてが片面竹柵障害だ。

 

オープンのウマ娘ともなると、飛越に大きな欠点を抱えている娘なんていない。

 

みんな綺麗にジャンプして、次の障害へ向かう。

もちろんわたしも、難なく飛越してみせた。

 

それほど間も置かずに置いてある2番目の障害も、無難にジャンプ。

 

前走の福島レース場より、序盤の障害の位置がタイトである。

スタミナを消費しないよう、細心の注意を払ってコンパクトに跳ぶことを心がけた。

 

3つ目の障害までは、少し間がある。

 

このタイミングでもう少し前でレースをしたい娘が、何人か順位を上げていった。

先頭争いは、どうやら8番の娘が3番の娘を行かせる形で落ち着いたらしい。

 

ここらで、道中の隊列がほぼ決まったようだ。

 

3番めの障害も、無事にクリア。

 

その後は大きな順位変動もなく、淡々とレースが流れてゆく。

逃げの娘もそれほど飛ばしている様子もなく、ペースも平均と言ったところだろうか。

 

一人の転倒者を出すこともなく、4・5・6番障害もみんなうまく飛越していった。

 

6番障害を超えて少しあたりで、後ろにいたアクサナデイジーさんがわたしに並びかけてきた。

7番目の障害までには、少し距離がある。

残りの障害もあと5つで、レースは中盤戦。

そろそろ前との距離を詰めておこうという算段だろう。

 

わたしとアクサナデイジーさんが並ぶような形で、第7障害をジャンプ。

 

残る障害物は、あと4つ。

距離も半分を過ぎ、みんな疲れを感じ始める頃合いだ。

 

このあたりからペース配分に失敗した娘や、今日のレースに調整が間に合わなかった、調子の良くない娘たちが脱落してゆく。

 

実際、8番手の娘たちは以降は大きく後方に取り残されており、彼女たちはもうコースを回ってくるだけで精一杯だろう。

 

そんな中、わたしは4番手の好位置につけることに成功していた。

 

さぁここからは生き残った者による、温存してきたスタミナ配分とガッツが勝負の、サバイバルレースに突入だ。

 

平地のレース中のことを思うと、障害競走中は他のウマ娘のポジションをあまり気にしなくなったように思う。

というより自分のことで頭が一杯で、人の作戦や位置取りまで気が回らないのである。

 

障害に慣れてきたら、そのあたりにも気を回せるようになるのだろうか。

 

とにかくわたしは疲労で飛越のフォームが乱れないよう気をつけながら、8番目、9番目の障害物を飛び越える。

 

レースも、いよいよ終盤戦。

 

そう思ったときだった。

 

第3コーナー手前に設置してあるラス前の10番障害を乗り越えてすぐ、スタンドから悲鳴とどよめきの声が聞こえてきた。

 

この感じは……多分10番障害で転倒事故が起こったのだろう。

 

トレーナーが言っていたが、疲労がピークに達するラス前からその手前の障害での転倒事故が最も多いらしい。

 

反対に人間はゴールが見えると頑張れるのか、最後の障害での転倒事故というのはほとんど見られないそうだ。

 

転倒や競走中止は、障害競走を走っていれば当たり前のように起こること。

 

一瞬だけわたしは転倒したウマ娘の無事を祈り、すぐさまレースに意識を戻す。

 

第四コーナーをカーブし、スタンド前の最後の直線に進入する。

 

この時点でわたしは3番手につけており、先頭は一番人気のインペリアルダンスさん、二番手争いはわたしとアクサナデイジーさんがほぼ同じ位置にいた。

 

うしろからは、足音すら聞こえない。

他の娘たちは、もうはるか後方だろう。

 

優勝争いは、この3人に絞られた。

 

直線に入ってすぐに、最後の11番障害が見えてくる。

 

「はあっ!」

 

前走と同じく、ここまで走り抜いてきた体力はほぼ限界に来ていたが、わたしはラストハードルを気合で乗り越えた。

隣を走っているアクサナデイジーさんもなんとかそれを飛び越え、体を大きくよれさせながらも、なんとか着地に成功する。

 

「くっ……はぁっ……はぁ……」

 

彼女の激しい息遣いが、わたしのところまで聞こえてきた。

 

彼女も、疲労困憊のようだ。

わたしも人のことを言えた義理ではないが。

 

もう、飛び越えるべき障害物はない。

 

あとは3バ身ほど先にいるインペリアルダンスさんを、追い抜かすだけだ。

 

固く絞った雑巾からさらに水を絞り出すかのようにして、限界を迎えつつある体からスタミナを無理やりひねり出し、それを脚に込めてラストスパートを掛ける。

 

並んで走っていたアクサナデイジーさんとの差が、少しずつ広がってゆく。

 

「……くっ……まだっ!」

 

彼女も必死に食らいついてくるが、平地で鳴らした自慢のスピードを発揮できるほどのスタミナはもう、残っていないようだった。

 

わたしはようやく、単独二番手に躍り出た。

歯を食いしばり、先頭をゆく一番人気のウマ娘を追う。

 

インペリアルダンスさんも決して、楽なレースをしてきたわけじゃないのだろう。

脚色がわたしよりかなり悪い。

 

残り、100M。

 

インペリアルダンスさんにあと半バ身ほどまでに迫っているが、その僅差がなかなか縮まらない。

彼女の脚はもう一杯のはずであるが、さすがに前走のオープンを勝っているウマ娘なだけあって、そう簡単には譲ってくれない。

 

「……っ!」

 

焦りが募る。

 

相手がわたしより強いのは、分かっている。

でもここまで追い詰めて、負けるなんて絶対嫌だ!

 

「くぉおぉぉおっ!」

 

わたしは、無意識のうちに雄叫びを上げていた。

 

こういうレースになれば、あとは根性勝負だ。

叫べば無駄に酸素を消費するとか、そんなことはどうだっていい。

 

わたしの叫びは熱い鞭となり、疲労困憊の脚を目一杯ひっぱたく。

最後の気合を出したわたしの脚は、とうとうインペリアルダンスさんを捉えた。

 

二人が、並んだ。

 

「! 私だって、勝ち上がってきたばかりの娘なんかに、絶対負けられないっ!」

 

あちらも、自分に対して檄を吐く。

それは、彼女の魂の叫びでもあっただろう。

 

残り50M。

 

お互い一歩前に出ては相手を睨みつけ、そうはさせぬとまた並びかける、という鍔迫り合いが続く。

 

わたしの闘志は、折れていない。

 

でも3000M以上の距離を走り、11ものハードルを乗り越えてきた体は、もう限界だった。

 

「っはっ……はぁっはぁっ……!!」

 

体の奥底から湧いてくる激しい戦意とは裏腹に、脚が自分の思うように動かない。

 

もっと速く、速く走りたいのに。

 

隣を走るウマ娘に、絶対負けたくないのに……!

 

でも、もうダメだ。

 

そう思った瞬間、半歩ばかり相手に先を譲ってしまった。

 

くそっ!!

 

ここまでがんばって、ここまで追い詰めて、このわずかな差で負けるのか。

 

障害ってやつは無駄に距離が長くて苦しくて、マジでクソみたいなレースだ。

しかもファンの注目度は低いし、おまけにレースポイントも平地に比べて幾分安い。

 

いくらわたしたちがウマ娘だからといって、女の子にこんなメチャクチャなレースをさせやがって……!

 

「うぉおおおぉぉぉっ!」

 

謎の怒りが、わたしに最後の力をくれた。

 

わたしはその憤怒のままターフを思い切り蹴り上げ、その推進力に体を委ねる。

 

まったく、フォームもストライドもあったものではない。

 

とにかくわたしは、その勢いのままゴール板へ飛び込んだ。

 

「はっ、はっあ、はぁっ……!」

 

肺と心臓が暴れまわっていて、呼吸を整えることすらままならない。

それは、ほぼ同時にゴールしたインペリアルダンスさんも同じようだった。

 

「残り50Mでっ……完全に……はぁっ……競り落としたと思ったのにっ……はぁっ、はぁっ……なんてヤツなの……」

 

わたしの最後の伸びが予想外だったのだろう。

 

彼女は膝に手を置き、激しい呼吸を繰り返しながらこちらを睨んでいる。

 

相手の負けん気にこちらも言い返したかったが、わたしの方はまだ、なにかしゃべれるほど呼吸が回復していなかった。

 

わたしもインペリアルダンスさんと同じような格好でゼェゼェいいながら、電光掲示板に目をやる。

 

3着から5着まではすでに確定しているようであったが、肝心の1・2着がまだ表示されていない。

 

いったい何分、そうしていただろう。

 

ようやく少し呼吸が落ち着いてきたところで、着順掲示板に確定の赤ランプが付いた。

 

新潟 6R 確定

Ⅰ 4

Ⅱ 12 ハナ

Ⅲ ・・・

 

その瞬間、スタンドから大歓声が上がる。

 

勝ったのは、ゼッケン4番のウマ娘。

それは間違いなく、今日わたしが身に着けていた番号だった。

 

「勝った……」

 

凄まじい疲労感のせいか勝利の実感はまったく湧かず、そうつぶやくのが精一杯だった。

 

ふとインペリアルダンスさんの方へ目をやると、彼女はなんと大の字になってターフの上に倒れ込んでいた。

 

「マジか……あれだけしんどい思いして走りきってハナ差負けとか……やってられないっての……。障害レースって、やっぱクソゲーだわ……」

 

心の底から漏れ出したであろうインペリアルダンスさんの繰り言は、無念と憤慨にまみれていた。

 

うん……。

結果が逆だったら、わたしだってそう思っていたに違いない。

 

泣いているわけではなさそうだが、彼女はこの世の無常と理不尽をすべて無理やり口に詰め込まれたような、そんな表情をして秋晴れの新潟の空を睨みつけていた。

 

*

 

優勝のご褒美にお父さんが連れてきてくれたのは、いつもの回転すしではなく、なんと回らないお寿司屋さんであった。

 

というか、わたしの中でお寿司屋さんといえば、イコール回転すしだったりしたのだが。

 

海の幸が豊富な新潟県の回転すしなら、東京より美味しいものが食べられるのではないかと思っておねだりしておいたのだが、これは思わぬ僥倖だ。

 

「おおお。回らないお寿司屋さんなんて、はじめて来たよ。ところでお父さん。支払いの方は大丈夫?」

「……娘に家計を心配されるほど、うちは貧乏ではないつもりだぞ」

 

お寿司より先に注文していた日本酒を口にしながら、お父さんは苦笑いを浮かべた。

 

「いや、それは分かってるけどね。こんな贅沢していいんだろうかって」

「まぁ、初オープン挑戦で見事に勝利したんだ。これぐらいのお祝いをしたっていいだろう。金のことなんか気にせず、好きなものを食べなさい」

「そういってくれるなら、遠慮なくごちそうになろうかな~」

 

もともと遠慮なんてするつもりはなかったけど、わたしはカウンターの中にいる職人さんにとりあえずマグロとたまご、それにいくらとイカをお願いする。

 

わたしたちが一見(いちげん)さんにもかかわらず、職人さんは笑顔でハイ、と返事してくれると、慣れた手つきでお寿司を握った。

 

「へい、お待ち」

 

そう言って職人さんが眼の前に置いてくれたマグロは、まるで赤い宝石のように輝いて見えた。

わたしはそれをそっと箸でつまみ、すこしだけ醤油をつけて口に運ぶ。

 

「うっわ、うまっ! こんな美味しいマグロ、食べたことないよ」

 

まるで小さな子供のように大喜びする私を見て、職人さんもお父さんも笑ってくれる。

 

「それはよかった。今日は好きなものを好きなだけ食べて、英気を養え。次走はいよいよ、重賞の京都ジャンプステークスに挑戦する予定だからな」

「……本当?」

 

わたしの驚きに、お父さんは無表情で首を縦に振った。

 

わたしが重賞へ、出走する。

ほんの5ヶ月ほど前。

平地での出走制限にひっかかって引退を覚悟していたわたしが、そんな大舞台に挑戦しようとしているだなんて。

 

こういうことが、現実として起こり得る。

 

本当に勝負の世界、レースの世界というものはわからないものだ。

 

「それと、これはまだ噂の段階だけどな……」

「うん」

「10月後期に行われる東京ハイジャンプへ出走予定のグランアンネリーゼも、疲れがなければそのレースに出てくるそうだぞ」

「!」

 

グランアンネリーゼさんは去年も一昨年も、J・GⅡの東京ハイジャンプから年末に行われるJ・GⅠの中山大障害へ出走、というローテーションを取っている。

 

なのにわざわざキツイローテでJ・GⅢの京都ジャンプステークスに出てくるということは、今の彼女はきっと体調も万全で、調子も絶好調なのだろう。

 

グランアンネリーゼさんはシニアの二年目で、血統的にも今年、来年あたりがまさに全盛期のはず。

障害で成功するウマ娘は晩成型であることが多いが、彼女のお母様もお祖母様も例にもれず、シニア以降に活躍した大器晩成のウマ娘だった。

 

障害競走の重賞の数は平地と比べるとかなり少なく、現役のうちに挑戦できる機会も自然と限られてくる。

 

たとえ厳しいローテーションであっても、全盛期の間に重賞という勲章をできるだけ多く手に入れたい、という思惑があるのだろう。

 

それにグランアンネリーゼさんは、ファンのことをとても大切に思っているウマ娘だということもあると思う。

 

動画などで彼女を見ていると、どんなに激しいレースのあとでも、ウィナーズサークルでファンにサインを求められれば時間の許す限りサインしているし、ウイニングライブを欠席したこともない。

 

ライブを休まない、なんて当たり前のことのように思えるかもしれないが、障害レースは平地に比べて体力の消耗が著しい。

 

今日も3人の娘がレース後の体調不良、疲労困憊を理由にライブを辞退している。

 

わたしはレース後、少し休憩してわずかながらもなんとか体力が戻ったおかげでセンターを務めることができたが、疲労のせいで何度かステップで転びそうになった(あ、観客は結構いて嬉しかった)。

 

いくら現役最強のグランアンネリーゼさんだって、レース後の疲れを感じていないはずがない。

彼女が二連覇している中山大障害なんて、4100Mのマラソンレースだ。

 

極度の疲労を理由にライブを辞退したとしても、誰も彼女に文句は言うまい。

実際中山大障害のウイニングライブは、疲労困憊の勝者の辞退によって何度か中止になっている。

 

ちなみに平地でも勝者がウイニングライブを行えないようなときは、ウイニングライブ自体が取りやめになってしまう。

 

仕方がないこととはいえ、応援していたウマ娘がセンターを務めるはずのウイニングライブを見られないというのは、ファンにとって残念極まりないことだろう。

 

グランアンネリーゼさんはファンにそんな思いをさせないよう、レース後の疲れをまったく感じさせない笑顔とパフォーマンスで、ウイニングライブのセンターをいつも務めている。

 

そのような彼女の言動が、どれほど障害という目立たないレースのアピールになっていることか。

現にグランアンネリーゼさんが障害の重賞戦線で活躍しだしてから、障害レースの観客動員数は確実に増えていた。

 

そんなライブやサイン会などはファンと触れ合える貴重な機会であるし、レースファンに感謝を伝えるためのイベントではある。

 

しかしやはり、ウマ娘がレースに出走して勝利することほど、レースファンに喜んでもらえることはないのだ。

 

障害レースの魅力を、ファンに届けるために。

自らの血統を証明するために。

 

彼女はきっとそのために、トレセン学園に身を置きながらも平地競走には見向きもせず、厳しい障害レースを走り続けているのだと思う。

 

「そうなんだ。グランアンネリーゼさんのような超トップの人と同じレースを走れる、というだけでもなんだか誇らしいよ。もちろん最初っから勝利を諦めて走るわけじゃないけど、今回は彼女の胸を借りるつもりで初めての重賞挑戦、精一杯がんばるよ」

「そうか」

 

わたしの決意表明に、お父さんは静かにうなずく。

担当ウマ娘が……自分の娘が重賞に挑戦するというのに、お父さんは至って平静だった。

 

まぁ、お母さんを担当していた時にGⅠを制しているトレーナーからすると、担当しているウマ娘が重賞に出走することぐらい、大したことではないのだろう。

 

なんだかちょっと拗ねたくなるような、残念なような気持ちを忘れるために、わたしは数ある寿司ネタで一番大好きな中トロを職人さんに追加注文した。

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