ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第十四話

かなりの高低差があるバンケットに、グランアンネリーゼさんはまるで我が家の中の階段を登るかのような気楽さで脚を掛け、そこをセオリー通り三歩で駆け抜けて、まるでバランスを崩すことなく【台】から降りてゆく。

 

少し先を走るクリスタルソナーさんも経験豊富なベテランらしく、まったくスピードを落とすことなくバンケットに登った。

 

しかし。

 

「……あっ……!」

 

わたしはその【台】までの目測と歩幅を誤った。

 

このままじゃ、バンケットに躓いてしまう……!

 

大生け垣を飛び越えた際に、大きく取ったストライドを元に戻せなかったのが原因だった。

 

仕方なくわたしはスピードを落とし、少し歩幅を狭めてなんとかその【台】に脚を乗せる。

 

「っ……!」

 

……今度は歩幅を、少し狭くしすぎてしまったようだ。

 

本来、三歩で降りなければいけないバンケットをわたしは結局三歩半かけて横断し、なんとか無事に【台】から降りることができた。

 

わたしがバンケットの攻略に四苦八苦している間に、隣を走っていたはずのリーチヨハンナさんとは、かなり差をつけられてしまったようだ。

 

どうやら彼女はわたしと違って、このバンケットに脚を取られる、なんてことはなかったらしい。

 

彼女もこのコースを走るのは初めてのはずだけど、これが経験の差なのか、センスの差なのか。

 

わたしも跳び箱を使って、結構練習したのに……。

 

練習と実戦では状況もかかっているプレッシャーもぜんぜん違う、ということは百も承知していたが、練習の成果を出せなかった、というのはやはり悔しいものがある。

 

わたしはそんな気持ちを噛み殺して、意識をレースに戻した。

 

残る障害は、あと8つ。

 

レースは、淡々とした流れで進んでいった。

その後大きな順位の入れ替わりもなく、生け垣障害2つとレンガ障害を無事クリア。

 

レンガ作りの障害を越えると、ここからしばらくは障害のない芝のコースが続く。

そのためか、少しペースが落ち着いた。

 

レースの後半に備え、ここで少しでもスタミナを温存させたいとみんな考えるからだ。

 

それはグランアンネリーゼさんさえ例外ではなく、彼女がスピードを落としたことで二番手の娘との差が少し縮まる。

 

しかしわたしはあえて少し脚を使い、バンケットの飛越ミスで開いてしまった前との差を詰めにかかった。

 

障害レースの経験も、飛越経験も周りと比べて劣るわたしの唯一の武器は、母譲りのスタミナしかない。

 

ここで前との差を詰めておき、終盤の競り合いに期待する。

 

最後、残ったスタミナでの根性比べという展開になれば、グランアンネリーゼさんを負かせるかはともかく、他のメンバーとならいい勝負になるはず。

 

……それはなんの根拠もない、主観的で楽観的な思い込みであったが、わたしはそれを心の拠り所にしたのだ。

 

久しぶりにやってきた生け垣障害を超えたあたりで、わたしはリーチヨハンナさんに追いつき、5番手の位置につけることができていた。

 

ダートを横切る際にも脚を取られるようなこともなく、次の竹柵障害も、そのすぐあとに設置してある生け垣も飛び越える。

 

勝負も、いよいよ終盤戦に突入した。

 

ここまでかなりの数の障害をクリアしてきたことに加え、もう2000M以上走ってきたことによる疲れはそれなりにあったが、まだ限界を迎えるような感じはしない。

 

隊列は先頭から圧倒的一番人気のグランアンネリーゼさん、フリルドバレーさん、ミニセスナさん、わたしの少し前に二番人気を背負うクリスタルソナーさん、そして並ぶように今日の四番人気のリーチヨハンナさんとわたし。

 

そのすぐ後ろには、差を詰めてきたアクサナデイジーさんがいる。

 

残る障害は、あと2つ。

 

この調子で行けば、入賞争いには食い込めそうだ。

 

第三コーナーも半ばを過ぎ、ラス前の障害を踏み切ってジャンプ!

 

無事にそれを飛越し、わたしはここからスパートを掛けるための準備に入ろうとした。

 

ここからしばらく行くと、10完歩ほどの幅があるダートを横切るコースになる。

ダートの路面は当然パワーとスタミナを要求されるので、このあたりでエンジンのギアをひとつ上げておくのがこのコースの定石とされていた。

 

でも、前にいるクリスタルソナーさんも、隣りにいるリーチヨハンナさんも、その気配をまったく見せない。

 

……どういうつもりなんだろう?

 

彼女たちはレースの流れをハイペースだと考えていて、それであえてスパートを遅らせているのか?

 

あくまでわたしの体感だが、今日のレースはグランアンネリーゼさんが一人だけでバ群を引っ張っていたということもあり、ペースは平均的か、やもすると少し遅いぐらいに感じていた。

 

いくらグランアンネリーゼさんとはいえ、3000M以上ある障害コースを一人ハイペースで飛ばして勝利する、なんてことはできない……はずである(そんなマネされていたら、もう諦める)。

 

彼女たちがなにか思い違いをしているのか。

わたしの体内時計が、狂っているのか。

 

普通に考えれば、わたしの体内時計より経験豊富な彼女たちのそれのほうが正確であるはずだ。

でもわたしに残っているスタミナと脚を鑑みるに、このレースの流れが実はハイペースだった、ってことは考えにくい。

 

となると……なにか思惑があるのか。

 

まるでいきなり理不尽に暗闇の中へ放り込まれたような焦燥感と苛立ちが、お腹の奥からせり上がってくる。

 

超えるべき障害物はあと1つで、残っている距離は600Mもない。

 

ロングスパートを武器にしているわたしとしては、もうそろそろ仕掛けておきたいところなのに……!

 

気持ちは急くが、前と横が開かない限り、わたしにはどうすることもできない。

これがレースの中盤ぐらいなら少しスピードを落として外を回る、なんてこともできただろうが、この最終盤の局面でそんなロスが許されるわけもない。

 

ダートを横切り終えても隊列は変わらず、アクサナデイジーさんがついにわたしたちに並んだ。

 

そのまま第四コーナーを曲がり、最後の障害物をわたしたち3人はほとんど同時に飛び越えた。

 

残り、200M。

 

先頭を征くグランアンネリーゼさんの脚色はまったく衰えることなく、むしろ後続をぐんぐん突き放してゆく。

 

ここでようやく、クリスタルソナーさんがギアを開放した。

一瞬、彼女がわたしの方を振り返ったのは気のせいだろうか。

 

クリスタルソナーさんだけじゃない。

 

リーチヨハンナさんもアクサナデイジーさんも、ここが勝負どころと言わんばかりに一気に末脚を繰り出し始める。

 

残り150M。

 

こんなところから全力を出したって、グランアンネリーゼさんに届くわけがない。

 

一体、彼女たちにどんなレースプランがあったんだ?

 

いや、そんなこと今考えたって仕方ない。

ようやく隊列がほどけ、わたしも自由に脚を使えるようになった。

 

しかし……レースの流れ的に仕方なかったとはいえ、ロングスパートを掛けるタイミングを逸してしまったのは痛すぎた。

 

それほど切れる脚を持っているわけじゃないわたしが、どこまで前に迫れるか……。

 

「!?」

 

それは、遅まきながらラストスパートをかけようと思ってギアを上げた瞬間だった。

 

どうしたことか、まるで沼に脚を取られたかのように、まったく脚が進まない。

 

それに……

 

「っ……! はぁっ……はっ……はぁっ……!」

 

急な息苦しさが、肺に襲いかかってきた。

吸っている酸素より、出ていっているそれが、はるかに多いような気がする。

 

「……!!」

 

まさか、もうスタミナが切れたの……?

今日のレースは流れが厳しい重賞ということに加え、今までで最多の障害をクリアしないといけないということは分かっていた。

だから、スタミナ配分には十分に気を配っていたつもりだった。

 

レースのペースも平均的なもののはずだったし、重賞というレースの流れに、それなりについていけていたはずだ。

 

なのに一体どこで、スタミナを消耗してしまったのか。

 

「ぁ……」

 

ひょっとして、道中隊列の中に閉じ込められている間に、無駄に体力と精神力を消耗させられていたのか……!

あの時のいらだちと不安のせいで、メンタルの方からスタミナが奪われていたのだ。

 

そんなことに気がついても、もう後の祭りだった。

 

脚が、まともに上がらない。

肺が、心臓が、爆発しそうだ。

 

それでも、走らないと。

一つでも上の順位を目指さないと……!

 

たくさんのファンが、わたしを推してくれているんだから。

 

なのに。

 

「あ……」

 

後続が、わたしを追い抜いてゆく。

 

ひとり、ふたりと、わたしを、追い抜いてゆく。

 

そんな中、スタンドが大きく湧いた。

おそらく、はるか先でグランアンネリーゼさんが一着でゴールしたのだと思う。

 

勝者は、決まった。

 

でも、わたしのレースは終わっていない。

 

追わなきゃ。

追いかけなきゃ。

 

追いかけて、追いついて、前にいるウマ娘を追い抜かないと……。

 

なのに、脚が思ったように動いてくれない。

 

また一人に抜かれたところが、ちょうどゴール板だったらしい。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁ……」

 

息が、苦しい。

疲労のせいか、頭がぼーっとする。

 

経験したことないような、ひどい倦怠感が全身を包みこんでいた。

 

そんな状態だったが、わたしはなんとか倒れることなく、立ち止まることができた。

 

いや。

 

息苦しいとか疲れが酷いとか、今はどうでもいい。

わたしは一体、何位でゴールインしたのだろう。

 

順位を確認しようと後ろを振り返ってみると、そこには誰もいなかった。

 

どうやら、わたしは殿(しんがり)でゴールしたらしい。

 

「…………」

 

殿負けなんて、平地を走っていたときにも食ったことなかったのに。

 

三番人気を背負っておいて、このザマか……。

 

あまりの情けない結果に、わたしを推してくれたファンにも一緒に走ったウマ娘たちにも合わせる顔がなかったわたしは、フラフラの体を引きずりながら、逃げるように下を向いてバ場連絡口へと向かった。

 

*

 

這々(ほうほう)の体で控室になんとか逃げ込んだわたしは、とりあえずソファーに体を投げ込み、腕で顔を覆った。

 

それは疲労のせいでもあったし、不覚にも溢れ出る涙を誰にも――たとえトレーナーであっても――見られたくなかったから。

 

「すまなかった」

 

トレーナーが発したのは、慰めの言葉でも叱責の言葉でもなく、謝罪の言葉だった。

 

「お前の能力的に、グランアンネリーゼはともかくとして、あのキツいメンバーとでも十分やりあえたはずだった。変に気負わせたくなかったから口にこそ出さなかったが、今日のお前の状態なら、2着3着を拾ってもおかしくないと思っていた」

「……」

 

わたしは呼吸を整えるふりをして、トレーナーの敗戦の弁を聞き流す。

 

「だが、強いウマ娘たちにあれだけのプレッシャーを与えられ続ければ、激しい消耗は避けられなかっただろう。お前には重賞というレースの重みと、そこに出走してくるウマ娘たちの覚悟とレベルを、もっと言い聞かせておくべきだった。今日のレース結果は、俺の指導不足だ。本当に申し訳ない」

 

そう言ってトレーナーは、教え子であり実の娘である私に、深く頭を下げた。

 

トレーナーの謝罪を受け入れる前に、さっきのレースを脳内で再生してみる。

 

あの妙な展開。

有力ウマ娘たちの、明らかに遅い仕掛け。

今日のレースの奇妙さは、道中でも薄々感じ取っていた。

 

ってことは、わたしを囲っていた彼女たちは……。

 

「じゃあ、なに? わたしの周りにいた娘たちは、自分の勝利を捨ててまでわたしをマークし続けてたってこと?」

「いや、決してそうじゃない。彼女たちは今日のレース展開や出走しているメンバーの力量差を考えて、【自分がもっとも良い順位でゴールできる可能性】を追求していたに過ぎない」

「それって結局、グランアンネリーゼには勝てそうにないから、弱いヤツ潰して一つでも上の順位を(かす)め取ってやろうって考えてただけじゃないの!?」

 

わたしのかすれた怒鳴り声に、トレーナーは静かに首を横に振った。

 

「……それは捉え方の問題だ。彼女たちは、ルール違反を犯したわけじゃない。有力なウマ娘をマークするという作戦も、普遍的に行われていることだ。強いウマ娘は、それをものともせずに勝っているということだ」

「なによ! 負けたのは結局わたしが弱かったから、っていいたいわけ!?」

「そうじゃない。今日の敗戦を糧にして……」

「そんなありきたりな慰め、聞きたくないっ! もう着替えるから出ていってよ!!」

 

わたしは勢いだけで立ち上がるとソファーの上に置いてあったタオルを鷲掴みにして、トレーナーに向かって投げつけた。

でもそれはトレーナーにぶつかることもなく、ひらひらと力なく床に落ちる。

 

分かってる。

これが単なる八つ当たりで、わたしはトレーナーにではなく、お父さんに甘えているだけだってことぐらいは。

 

それにトレーナーの言う通り、今日の負けから教訓を得て、次に活かせばいいだけの話だ。

初めて挑戦した重賞で惨敗するウマ娘なんて、珍しくともなんともない。

お母さんだって、初めて挑んだGⅡ・神戸新聞杯では着外に敗れている。

 

わたしだって、頭ではそのことを理解していた。

 

でもそんな無味乾燥な情報と、惨敗してしまったという現実に直面している感情はまた別物である。

 

そして、そんな感情を激しく揺さぶってくるのは、今日の負け方だ。

今日のわたしは大勢のファンの期待を裏切り、最下位という屈辱的な負け方をしてしまった。

 

その逃げようのない現実を前に、わたしは言い表せないほどの恥ずかしさと悔しさで、胸も頭も、どうにかなってしまいそうだった。

 

「わかった」

 

トレーナーはそれだけいうと、静かに控室から出ていく。

 

それから、どれぐらいトレーナーの出ていった控室の扉を睨みつけていたのだろう。

 

もう何もかも疲れたわたしは、膝の力を抜いてかかる重力のまま、お尻からどかっとソファーに腰掛けた。

 

レースで大負けし、その悔しさをトレーナーに八つ当たりするような駄バ娘ができることと言えば、自己嫌悪に駆られて頭を抱えることぐらいだった。

 

「……わたし、ほんとに弱いウマ娘だ……」

 

情けなさ過ぎて、もう涙も出てこない。

 

もうなんか、疲れたな……。

 

わたしはトゥインクルにデビューしてから初めて、走ることにうんざりした気持ちを抱いた。

 

<続>

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