一週間の、休養期間が終わってしまった。
が、わたしはまだ心身ともに疲れが回復してないから、とトレーナーに言い訳……というか、半分嘘をついて、休養をもう一週間延長してもらっていた。
お父さんはそんなわたしに何も言わず、そういうことなら仕方ない、ゆっくり休め、と言っただけだった。
いつまでもこんなことの繰り返しで、レースとトレーニングから逃げ続けることはできないってことぐらい、わたしにもわかっている。
お父さんだって、ボランティアや家族愛だけでわたしの面倒を見ているわけじゃない。
父は仕事として、わたしと専属トレーナー契約を結んでいるのだ。
わたしがレースに出なければ出走手当はつかないし、担当しているウマ娘が休養している間は、その分指導手当も差し引かれてしまう。
明確な故障があるならともかく、担当の自己申告だけで、いつまでもわたしを休ませておくわけにはいかないだろう。
それに多分、お父さんはわたしの今の状況や心境に薄々気がついていると思う。
それでも何も言ってこないのは、家族という近しい関係であるがゆえに、ビシッと厳しい言葉をかけづらいからじゃないかな……。
結局わたしは、娘という立場にあぐらをかいて、お父さんに甘えているだけだ。
そこまでわかっていても、走る意欲を失い、友だちを失い、レースを戦うことにまったく意義を見いだせなくなったわたしは、どうしてもまた走ろう、また頑張ろう! という気になれなかった。
*
今日も今日とて、トレーニングをお休みしているウマ娘はなにをするわけでもなく、ぶらっと中庭にやってきていた。
秋の陽光に照らされた、三女神様が持つ壺から噴水に落ちてゆく流水を見ながら、なにしようかなぁ……とぼんやり考える。
麻雀部屋は夕食が終わってからしかやってないし、スマホゲーやウマチューブの視聴はもう飽きた。
スマホを好きなだけいじり倒すということは、これを持たせてもらったときからの夢みたいなものだったけど、何日も一日4時間、5時間とスマホをいじっていれば、さすがにやることがなくなってくる。
夢も実現してしまえば、結局は退屈な日常の一部になってしまう、って言葉があったけど、それはまったくの真理だった。
トレセン生の休みといえばゲームセンターやカラオケに行くのが定番であるが、ゲーセンには興味が惹かれるようなゲームは置いていなかったし、残念なことに一人カラオケの趣味はない。
ってな感じで、どうにも時間を持て余しているのである。
今まで走ることしかしてきていないウマ娘がいきなりトレーニングをやめたら、こうなるのも当然か。
こんなことになるなら、なにかテキトーな趣味でも作っておけばよかったなぁ。
……特に趣味もなく定年を迎えた人が、何もすることがなくて暇を持て余す感覚ってのは、こういうものなのかもしれない。
ぼーっと噴水を眺めているうちに、小さい何かが興味の釣り竿に引っかかった。
あ、そうだ。
この前ちょっとアプリで遊んだテキサスホールデムポーカー、結構面白かったなぁ。
暇になっていいことは、その時間を潰せるちょっとした楽しみに敏感になることだ。
わたしと同じように、暇そうにしている娘に声かけて、寮の部屋でリングゲームやろうかな。
ポーカーの詳しいルールは知らないけど、興味はあるって娘もいるだろう。
……部屋はちょうど、同居人が出ていってわたし一人しかいないし。
そんな娘たちを集めて、ウーマーイーツで各自好きなものを注文して食べながらプレイすれば、きっと楽しい時間になる。
ポーカーの軍資金と出前代なら、10000マニーもあれば十分だな……と思いながらスマホに残っている電子マネーを確認してみると、なんと残りが2000マニーにまで減ってしまっていた。
あ~……。
最近麻雀とか食べ歩きとかで、結構お金使ってたからなぁ。
暇になることのデメリットは、その時間を潰すための出費が増えること、とも言えそうだ。
レースやトレーニングで忙しかったら、お金を使って遊び呆けている時間なんかないのだから。
わたしはため息をつきながら、8000マニーをネット銀行の口座から電子マネーの方に移し替える。
そっか。
当たり前だけど、遊ぶのにもお金がいるのか。
今はまだオープンを勝った時の賞金が口座に結構残っているけど、こんな調子で使い続けていれば、当然いつかはこれも底をつく。
う~ん……。
レースをやめると、そっちからの収入が0になってしまうわけか。
かといって、走ることしかしてきていないわたしが、世間一般のアルバイトを始めたとしても、とてもその職場でなにかの役に立てるとは思えない。
自慢ではないが、なんせ実家では皿の一枚も洗ったことがないのだ。
となると、レースを辞めるという選択肢は現実的ではないことになる。
いや、やめてもいいけど、遊ぶための軍資金を手に入れる手段が、なくなってしまうわけだ。
それは困る。
「…………」
わたしはウマ娘たちの始祖と言われている三女神の像を見据えながら、この先一体どうするのが一番いいのかを考え始めた。
レースを走るのはまっぴらごめんだが、小遣いはたくさん欲しい。
これはさすがに現実味がないというか、わがままがすぎる。
働きたくないけど金がほしい、なんて言っている大人がいたら、懸命に生きている世間の善良な人々からどんな糾弾を浴びたとしても、文句は言えないだろう。
かと言って、家事も手伝ったことがないわたしに、アルバイトとして働いて人の役に立てるとは思えない。
そうなるとやっぱり、レースで金を稼ぐのがわたしにとって一番良い、ということになる。
というより、他に金を稼ぐ方法がない。
そうすると……。
「お父さんとの専属契約を打ち切って、どっかのチームに入れてもらうかなぁ……」
世間の目にも触れやすい、重賞に出てくるようなウマ娘は基本的にみんな専属トレーナーがいるものだ。
そのせいか、トレセン学園に通っているウマ娘全員がマンツーマンで一人のトレーナーに担当してもらってる、と勘違いしている人がたまにいるが、そんなことあるわけない。
もしそうだったのなら、トレセン学園は数千人のトレーナーを雇わないといけないことになってしまう。
いくらそれなりに資金力のあるトレセン学園とはいえ、そんな膨大な人件費を賄うことはできない。
だから専属トレーナーがついているウマ娘というのは、トレセン学園の中でも特に素質に秀でた娘とか……わたしみたいに、トレーナーとなんらかのコネクション(わたしの場合は父子関係だ)がある、といった娘だけだ。
じゃあ専属トレーナーがいない現役ウマ娘はどうしているのかというと、担当を持っていないトレーナーが主催しているチームというものに所属することになる。
これはチームを主催しているトレーナーがそこに所属するウマ娘たちの指導をし、そのトレーナーがウマ娘たちのレースの出走や生活指導に責任を持つ、というシステムだ。
こう聞くとチームに所属している娘は専属トレーナーに声をかけられなかった残念なウマ娘の集まりのように思えてしまうけど、チーム内で良い成績を上げて専属トレーナーを持つようになる娘もいるし、中にはチームに所属したままでGⅠウマ娘まで上り詰めた娘さえいる。
チームトレーナーも、専属を持てなかったちょっと残念なトレーナーというわけでは決してなく、自らチームを立ち上げて複数人のウマ娘を指導し、チームに入ってくれたウマ娘の素質をできる限り引き出してやりたい、と考える志の高い人もたくさんいるのである。
ただ、ごく少数ではあるがその逆のトレーナーもいて、指導内容はほぼ自主練、レースへ出走するときに名前とハンコを貸すだけ、出走手当と指導手当、あとはウマ娘がレースに入賞したときに運んでくるトレーナー報奨金にしか興味がない、というトレーナーもいたりする。
彼ら、彼女らは決して褒められた存在ではないのだろうけど、割れ鍋にとじ蓋という言葉もあるように、そういったトレーナーにも、ウマ娘たちからの需要があるのだ。
例えば、トレセン学園を辞めるわけにいかないけれど、トレーナーにスカウトされるどころか、チームへの入部も断られてしまうくらいの能力しかないウマ娘とか、トレーナーにあれこれ指図されるのが嫌で、自分のペースでやりたい娘などが【名義貸しトレーナー】のチームに所属するわけである。
もしわたしがお父さんとの契約を破棄してチームに所属するとしたら、そういったトレーナーが主催するところにするとしよう。
トレーニングは今の力を落とさない程度に自主練をやっていればいいし、レースも自分の走りたいとき(調子が良かったり、小遣いがなくなったとき)にだけ、トレーナーに言ってエントリーしてもらえばいい。
そうしてたまにオープン競走で入着にこぎつけることができれば、在学中の小遣い銭に困るということはないだろう。
メンツが楽なら、どこかで勝つことだってあるかもしれない。
……うん、悪くないプランだ。
明日にでも早速、お父さんに契約解除の話をしよう。
お父さんはああ見えて、GⅠウマ娘であるお母さん以外にもこれまでに2人の重賞ウイナーを育てている名トレーナーだ。
わたしとの契約がなくなったところで、いくらでも担当してほしい、というウマ娘がいるに違いない。
それに、走る気もやる気も失った才能のないウマ娘との契約を打ち切ることに、難色を示すトレーナーはいないだろう。
障害に転向してからたまたま勝利が続いたけど、わたしはもともと、平地で一度も勝てなかった残念なウマ娘なのである。
案外お父さんだって、娘だからという理由でわたしの面倒を見ていただけで、非才なわたしなんかとはどこかで契約を切りたいと思っていたのかもしれない。
おお、先のことを決めたらなんだか心が軽くなった気がする。
最近久しく抱いてなかったウキウキ感を胸に抱え、ベンチから立ち上がったその時だった。
「お、なんだか楽しそうだね。なにかいいことでもあったの?」
そんな声が、わたしの後ろから聞こえてきた。
聞き覚えのある声だけど、ここで聞くはずのない声。
「!?」
慌てて振り向くと、そこにはなぜかわたしのお母さん ――第63代菊花賞ウマ娘―― がにへら、と笑いながら立っていた。
「お母さん!?」
いったいなんで、こんなところに?
わたしの間抜けな驚き顔でこちらの言いたいことが伝わったのか、なぜか得意顔でお母さんはわざわざ説明してくれる。
「どーも最近、エルサが元気なさそうだってお父さんから聞いてさ。仕方ないから愛する娘のために激励に来てあげたってわけだよ」
あ~、なるほど。
そういうわけね……。
「いや、別にわたしは激励に来てくれなんて頼んでないけど……」
というか、直接わたしに何も聞かない、言えないお父さんは一体何なんだよ。
お父さんがトレーナーとしての仕事を放棄してお母さんに頼ったことに幻滅したし、今日のお母さんの行動に至っては、完全に余計なお世話である。
「くぅ~っ、いいね。反抗期真っ盛りの、娘からのカワイクないお言葉! 子育てしてるなって実感が湧くよ」
「いや。もう反抗期なんか、ほとんど終わってるよ……」
単にマジで余計なお世話だって思ってるだけで。
今思えばわたしの一番ひどかった反抗期は、ご多分の思春期の子どもに漏れず、中学2年生ぐらいのときだろう。
と言っても、親の言うことに何でもとりあえず反対してみたり、ちょっとしたケンカで2・3日口を利かなかったりってことがあったぐらいで、言ってしまえばどこのご家庭でもある標準的な反抗期だったと思う。
「うんうん。そういうナマイキ盛りの子どもには、言葉なんて通用しないだろうね」
「…………」
子ども子どもと言われて腹が立つのは、やっぱりわたしが子どもだからだろうか。
まぁ、わたしがおばあちゃんになってもヒシミラクルの子どもってことは変わらないんだけど。
「そんなお子様にはもう、身体で解らせるしかないでしょ」
「な、なに? まさか暴力でわたしに言うことを聞かせるつもり?」
「そんなわけないでしょ。一体わたしをなんだと思ってるの」
わたしの不安に、お母さんは眉を吊り上げて呆れたため息をついた。
じゃあ一体、どうするつもりなんだ。
「ウマ娘が身体で解らせる、と言ったら走って競うしかないじゃない。ダートで一本稽古つけてあげるから、さっさと着替えてきて」
「……は?」
何を言ってるんだ、この芦毛は。
いや、わたしも芦毛だけど。
「え? なに? わたしとお母さんが併走するってこと?」
「そうだよ。GⅠウマ娘のわたしが自ら稽古をつけてあげようって思ってね」
「ぷっ……あははははっ!」
お母さんの冗談に、わたしは笑いが止まらくなってしまった。
アデダスのジャージにまで着替えてきてて、手の込んだこの冗談にはすっかり参った。
「いやいやいや。腐ってもわたしは現役のウマ娘だよ? いくら昔GⅠ勝ったといっても、ソファーでせんべい食べて、ネットプリックスみながらケツの穴ボリボリ掻いてる今のお母さんなんか、練習相手にもならないよ」
「ケツの穴は掻いてない! おしりのほっぺた掻いてたの!」
わたしが伝えた真実に、母君はどうやらお怒りのようだ。
まぁケツの穴云々、という下ネタは女子校独特の悪ノリである。
というか、怒るのそこかい。
そこは娘に走力をバカにされたことを怒れよ。
なんとなく的はずれなことに怒りを感じるあたり、ああ、やっぱりお母さんはお母さんなんだな、と思ってしまった。
「ふふん、それにあんまりおばさんだと見くびらないことね。最近、ジムに行って鍛え直しているんだから。見よ、この鍛え上げられた腹筋を!」
お母さんはそう言うと、ペロン、とジャージの裾をまくりあげてわたしに白いお腹を見せつけてきた。
「う、う~ん……」
確かに四十路を迎えたおばさんにしては、鍛えられているような気はする。
少なくとも脂肪と贅肉でタップタプ、なんてことはないようだ。
でもそもそもお母さんって、現役当時からそれほど腹筋バッキバキ、ってタイプじゃなかったような……。
わたしは一度、お母さんがスターティングフューチャーを着てウイニングライブで踊っている動画を見たことがある。
あの衣装はオヘソが見える結構セクシーな作りだから、わりとしっかりお腹周りの筋肉のつき方が観察できるわけだけど、特に何か印象に残った記憶がない。
まぁ、お母さんの腹筋のことなんてどうでもいいや。
正直、このおせっかいなトレーニングのお誘いにはあまり気乗りしないけど……。
わざわざこうしてわたしのもとへ来た以上、お母さんも『今は走る気になれないから、もう帰って』と言っただけでは引き下がらないに決まってる。
こんなことで母娘で言い合いになるぐらいなら、ちょっと譲歩して茶番に付き合ってあげたほうが、後腐れがなさそうだ。
「わかったよ。着替えてくるから、先にダートコースに行って待ってて」
わたしがめんどくさそうにそう言うと、お母さんはなぜか嬉しそうにうなずいてダートコースの方へ脚を向けたのだった。