ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第二十話

12月も半ばを過ぎ、そろそろ年末年始の予定が気になりだす頃。

 

障害レース界に、大きなニュースが飛び込んできた。

 

なんと障害の絶対王者であるグランアンネリーゼさんが、有マ記念人気投票で8位に選ばれたのである。

障害レースを主戦場とするウマ娘が、有マ記念の人気投票で上位に入るという出来事はレース史の中でも非常に珍しいことであり、まさに快挙と言っていい。

 

現時点ではファン投票によって有マへの出走権を確保したというだけで、グランアンネリーゼさんの陣営からは出走するとも否とも発表はされていない。

 

当然と言えば当然だが、普段障害レースを走っているウマ娘が仮に平地の有マに出走したとしても、良い成績を収めることは難しい。

 

グランアンネリーゼさんに投票したファンだって、そんなことは百も承知しているはずである。

 

それでも彼ら、彼女たちは見たいのだ。

 

自分の推しているウマ娘が有マ記念という最高の舞台に立ち、当代最強のウマ娘たちと走り、競っているシーンを。

 

有マ記念というレースはファンたちにそう熱望させるほど、歴史と名誉の重みがあるレースなのである。

 

あのナイスネイチャさんも有マ記念で3年連続3着という珍記録を作ったからこそ、永遠に名前が語り継がれるレジェンドになったのであって、これが他のGⅠでの記録であったなら今のような知名度があったかどうかわからない。

 

ウマ娘にとっても、そのようなレースに出走できるというだけで、ひとつの勲章を得るようなもの。

 

グランアンネリーゼさんが勝ち負けを度外視して出走に踏み切ったとしても、何も不思議はないだろう。

 

だが、有マ記念の前日には障害レース界の年間チャンピオンを決めるにふさわしい、中山大障害という大レースが用意されている。

 

しかも今年のグランアンネリーゼさんには、中山大障害三連覇という大記録がかかっている。

 

その歴史的瞬間を見たい、と切に望んでいる障害レースファンも数多くいるに違いない。

 

グランアンネリーゼは有マ記念に挑戦するのか。

それとも当初の予定通り、中山大障害へ駒を進めるのか。

 

ここ最近、レースファンの話題はそのことで持ちきりだ。

 

有マ記念の出走登録締め切りまで、あと5日。

 

どちらの進路を選ぶのか、わたしもレース界に身を置くものとして注目していた。

 

*

 

「来たか。もうすぐグランアンネリーゼの記者会見が始まるぞ」

 

放課後トレーナー室を訪れると、すでにトレーナーはテレビの前に椅子を移動させて腰掛けていた。

 

「よかった~。小テストの答えがあと一つ間違っていたら、間に合ってなかったかも」

 

そんなことを言いながら、わたしも折りたたんである椅子を一つ持ってきてトレーナーの隣に並べてそこに座る。

 

「……父として、トレーナーとしてそのテスト結果には色々と言いたいことがあるが……まぁそれはあとにしよう」

 

しまった。

いらないこと言うんじゃなかった。

 

だがとりあえず、お小言は先送りになったらしい。

……記者会見が終わったら、『今日は会見を見ちゃったし、急いでトレーニングに取り掛からなきゃ!』とか叫んで、すぐさま練習場に逃げることにしよう。

 

練習場だったら他のウマ娘やトレーナーの手前、グチグチとレースに関係ないことをお説教できまい、という読み筋である。

 

そのあとはトレーニングが終わった瞬間に寮に逃げ込んでしまえば、トレーナーはもう追ってこれまい(トレーナーは寮に立入禁止である)。

 

もちろん、明日顔を合わせた時に小言を言われる可能性は残るけど。

 

人間、時間が経てば怒りも収まってくるものだ。

極端な話、1年前の怒れる出来事を当時とまったく同じテンションで怒り続けられる人間なんていないのである。

 

思い出し怒り、ってのはあるだろうけどね。

 

それはともかくとして、件の記者会見は学園の大会議室で行われるようで、会見の開始は16時だというのに、学園には朝の早くからたくさんの取材陣がつめかけていた。

 

障害レースを主戦とするウマ娘が有マ記念の人気投票上位に食い込むというニュースに、マスコミ関係者がそれだけの価値を感じているということだと思う。

 

「あ、グランアンネリーゼさんたちが大会議室に入ってきたみたいだね」

 

グランアンネリーゼさんがトレーナーとともに集まった報道陣の前に姿を見せると、彼女たちを撮影するためのカメラのフラッシュが一斉に焚かれた。

 

「グランアンネリーゼさん。ファン投票8位での有マ記念出走権獲得、おめでとうございます!」

「ジャンパーとしては異例のファン投票での有マ記念選出ですが、今のお気持ちをお聞かせください!」

「年末には中山大障害というJ・GⅠレースもひかえていますが、どちらへ出走なさるおつもりですか!?」

 

そんな質問の嵐が一段落してから、グランアンネリーゼさんは自分のトレーナーの方にアイコンタクトを送った。

 

黒い帽子にサングラスといった出で立ちの、一見するとアチラの世界の人にも見えかねない強面(こわもて)のトレーナーは、愛バのそれを受けてうむ、とだけ頷いたようだ。

 

「マスコミの皆さん。本日は私のためにお集まりいただき、まことにありがとうございます」

 

担当トレーナーの首肯を確認した彼女は、集まった報道陣を一瞥すると、まずは謝意を表明した。

 

今日のグランアンネリーゼさんの服装は、シワもヨレもない完璧な制服姿だ。

彼女はフラワーホールに書記と書かれた徽章を身につけ、その少し下に獲得した4つのGⅠの略章を佩用(はいよう)している。

 

レースに関する記者会見では勝負服姿で臨むウマ娘も多いが、グランアンネリーゼさんは現役のウマ娘である一方で、生徒会役員という学園の顔でもある。

 

生徒会の書記という、トレセン学園の生徒を代表する立場であることを思えば、記者会見という公の場では制服を着用するほうがTPOにあっているのだろう。

 

「それから、グランプリの投票で私にたくさんの票を投じてくださったファンの皆様方に、お礼を申し上げたいと思います。みなさま、本当にありがとうございます」

 

そう言って彼女は、もう一度深々と頭を下げた。

 

「本日皆様方にお集まりいただいたのは、私の有マ記念への出走の可否をお伝えするためです。グランプリ投票の結果を受けたあと、私は何度もトレーナーと話し合いを持ちました」

 

グランアンネリーゼさんはそこで一旦言葉を区切り、ゆっくりと息を吸い込んだように見えた。

そんな彼女の言葉を聞き漏らすまいと、報道陣たちがずいっとにじり寄る。

 

「熟考の結果、私は有マ記念への出走を断念し、当初の予定通り、中山大障害へエントリーすることにいたしました」

 

彼女の発表にカメラのフラッシュの勢いはいっそう強まり、たくさんのマイクが彼女の前に差し出された。

 

「それはやはり、グランアンネリーゼさんの適性を考えてのご決断ですか!?」

「中山大障害への出走をお決めになったのは、三連覇という偉業を見たい、というファンの声に応えたものなのでしょうか?」

 

記者たちからの質問を受けて、グランアンネリーゼさんは静かに首を縦に振った。

 

「はい。ファンの皆様に選ばれて有マ記念という平地の大レースへ出走するということは、身に余る光栄であり、魅力的なお話です。また、私に票を投じてくださり、そのようなチャンスを与えてくださったファンの方々のご期待に添えなかったということに関しましては、大変心苦しくも思います。しかし、私がファンの方々に最高のパフォーマンスをお届けできるステージは、やはり障害レースの最高峰、中山大障害の他にないと確信しております」

 

彼女の力強い断言に、マスコミ陣からの感嘆の声が聞こえる。

彼女はあくまで、自分が志した道で頂点を極めることを選んだのだ。

 

「わかりました。我々も偉業に挑戦されるグランアンネリーゼさんを、引き続き取材させていただきたいと考えています。最後に、ファンの方々に一言お願いいたします!」

 

そろそろ終わり的な会見の空気を感じ取ったのか、月刊トゥインクルの名物レース記者でもあり、古株トラックマンでもある乙名史さん(なんでもお母さんが現役だった時代から色々と濃い記者だったらしい)が、各社を代表してグランアンネリーゼさんに締めの言葉を求める。

 

「はい。中山大障害では翌日に行われる有マ記念に負けない、素晴らしいレースをファンの皆様にお届けするつもりでおります。レースファンの皆様。当日の中山レース場での観戦、動画のご視聴をどうぞよろしくお願いいたします」

 

グランアンネリーゼさんは柔らかく微笑み、その要望に応えた。

そんな彼女に、再びカメラのフラッシュが降り注ぐ。

 

「他に質問は?」

 

愛バと報道陣のやりとりを今まで黙って見守っていたトレーナーが、彼らに対して初めて口を開いた。

威厳を感じさせる低めの声のためだろうか、彼の言葉には人を圧する迫力がある。

 

そのせいというわけでもないだろうが、記者たちから追加の質問が飛ぶことはなかった。

 

「ふむ。では、これにて会見を終わる。リゼ、このあとはすぐにトレーニングだ。着替えてこい」

「はい。わかりました。記者の皆様方、本日はありがとうございました」

 

強面のトレーナーは取材陣に軽く会釈し、グランアンネリーゼさんは丁寧にお辞儀をして、彼女たちは大会議室を後にしたようだ。

 

「グランアンネリーゼは自分が王道と信じる道を選んだか。これまで障害一筋で来た、彼女らしい選択だったかもしれないな」

 

記者会見を見終えたトレーナーは感心したようにつぶやき、テレビの電源を切る。

 

「そうだね。有マを走るグランアンネリーゼさんも見てみたかったけど、中山でしか開催されないJ・GⅠにトップジャンパーの彼女がいないというのは、ちょっと寂しいもんね」

 

障害界には、平地のGⅠに相当するJ・GⅠのレースが2つしかない。

春に行われる中山グランドジャンプと、年の瀬に行われる中山大障害だ。

 

これらの大レースは、文字通り中山レース場の大障害コースで行われる。

 

ある意味今の中山レース場の障害コースはグランアンネリーゼのためにある、と言っても過言ではないだろうし、そのステージに彼女がいない、というのはトップアイドルが欠席してしまったライブのようなものだろう。

 

「その辺は人によって意見が分かれそうだな。俺としては走る本人の気持ちを尊重したほうが良いとは思うが。ところでエルサ。例の小テストのことだが……」

「あ~っ! グランアンネリーゼさんの会見見てたら、なんだか無性にジャンプの練習がしたくなってきたなぁ! じゃあトレーナー! わたしは先に障害コースの練習場に行ってるから!!」

 

当初の作戦通り、わたしはツインターボさん裸足のスタートダッシュでトレーナー室から飛び出した。

 

*

 

だが結果を言うと、この作戦はあまりうまくいなかった。

 

この年の瀬、障害練習コースでわざわざトレーニングしようというウマ娘はいなかったらしく、周りに誰もいない練習場はむしろ格好のお説教場所になってしまった。

 

「あのな、エルサ。確かにウマ娘にとってレースやトレーニングというものは、何よりも大切なものだ。だが学生の本分は学業ということも忘れてはならない。現役のウマ娘がレースと学業を両立させることがどれだけ大変なことなのか、俺はトレーナーとして理解しているつもりだ。だがトゥインクルを走るウマ娘はこのふたつを学生生活の両輪として、どちらも同じ熱量を持って真剣に取り組まないといけない。だからこそ……」

 

おっしゃることはもっともなので、こちらとしては『うん』『そうだね』『次からはがんばるよ』ぐらいしか、言い返す言葉がない。

 

結局、師走のからっ風が吹きすさぶトレーニングコースで(お父さんも寒かっただろうに)、こんな感じのお説教をきっかり30分賜った後、ようやくトレーニング開始となった。

 

「よっ……! はっ……!」

 

小テストの成績が少々悪かったぐらいで、なにも30分もお説教食らわせなくてもいいじゃないか、という思いを抱えつつも、わたしは指示された障害コースを忠実にこなしてゆく。

 

わたしはたぶん、グランアンネリーゼさんのようにJ・GⅠで大活躍するウマ娘にはなれないだろうけど。

 

彼女と同様、この道を自分で選んだからには、精一杯頑張らないとね。

 

そんな殊勝な気持ちを抱きながら、わたしは設置してある障害を一つずつ、丁寧に飛び越えていった。

 

*

 

「もーいくつねるとーおしょうがつー♪」

 

なんて鼻歌を歌いながら、わたしはトレーナー室の床に掃除機を掛けていた。

 

トレーナー室の火元責任者はもちろんトレーナーであるお父さんなわけだけど、ウマ娘もミーティングやら何やらで、結構お世話になる部屋だったりする。

 

そんな場所を1年間使わせてもらった感謝を込めて、トレーナーと一緒に大掃除をしているというわけだ。

 

「エルサ。床掃除はそれで十分だ。すまんが次はあそこの棚の整理を頼む」

 

執務机で大量の書類やら資料やらを片付けているお父さんは、そう言って窓の近くにおいてあるわたしの背より少し高い棚を指さした。

 

「了解~」

 

わたしは掃除機の電源を切ると、それを定位置(部屋の隅っこだ)に戻して棚の整理に取り掛かる。

 

棚の中身はほとんどがレースに関する本や資料のようで、それらが雑多に、乱雑に積み重なっていた。

おそらくは何冊かその時に必要な本を取り出し、重要な箇所だけ目を通して後できちんと元の場所に戻そうと思って適当なところに置き続けているうちに、今のような状態になったのだろう。

 

お父さんは割と几帳面で、家では使ったものはもとの場所に戻すタイプだったんだけど、トレーナーなんて忙しい仕事をしていると、そんな時間も取れなくなるんだと思う。

 

本を整理する時のコツは、とりあえず本棚からすべての本を出してしまって、ジャンルや読む頻度別に分けてしまうことだ。

 

「お父さん。この棚の本、とりあえず全部長机の上に出してしまっていい?」

 

こんな作業中まで、トレーナーと呼ぶのに固執することもないだろう。

お父さんもそう思ったのか、特にそのことを咎めることもなく「ああ、頼む」とだけいって、自分の作業に戻る。

 

「それじゃあ……よっと。でも、レース関係の本って色々あるんだなぁ……」

 

手に取ったものをパッと見ただけでも、『ウマ娘の血統について』『距離別フォーム研究』『地方レース場完全攻略ガイド』……。

 

ちょっと開いてみたくなる面白そうな本もあったが、掃除中にそれをやってしまうと色んな意味でおしまいになってしまう。

 

そんな誘惑と戦いつつ本をどんどん長机の方に移動させていくと、棚の奥の方からなにやら古ぼけた写真を収めたフォトスタンドが出てきた。

 

なんでこんなものが、こんなところに?

 

「んん……? これ、お母さん?」

 

不思議に思って手にとってよく見てみると、それはちょっと意外な写真だった。

写真の中のお母さんは勝負服を着ているから、おそらく現役時代に撮った写真だろう。

写真の雰囲気から、どうやらウイニングライブの最中に撮ったものだと思われる。

 

位置的にセンターではなさそうだから、GⅠを勝ったときのもの、というわけではなさそうだ。

 

その写真を見て疑問に思ったのは、着ている勝負服のことだ。

写真の中のお母さんは、なぜかスターティングフューチャーの衣装を着ている。

 

確かお母さんは、自前の勝負服(上を白、下は薄い青色を基調にした、かわいいデザインのものだ)を持っていたはずだけど……。

 

「お父さん、この写真……」

 

相変わらず大量の書類と格闘していたお父さんにそのフォトスタンドを見せると、お父さんは作業の手を止めて少し驚いたような顔を見せた。

 

「懐かしいな。どこにあったんだ、それ」

「いや、この棚の奥の方に」

「そうか。いつの間にかなくなっていたから、ミラ子が引退した時に勝手に持っていたのかと思っていたよ。そういや、そんな写真も撮ったな」

「ってかさ。なんでお母さん、スターティングフューチャーの勝負服着てるの? お母さんは自分の勝負服持っていたはずでしょ」

 

あのお母さんのことだから、うっかり勝負服を忘れてきたとか、レースの前日に洗濯してしまって乾いてなかった、なんてことがあったのだろうか。

 

「う~む……。なんと言ったらいいか」

 

わたしの疑問に、どういう理由か難しい顔をして黙り込んでしまう。

もしかして、そこに込み入った事情でもあったのだろうか。

 

「まぁもう20年以上も前の話だし、別に構わないか」

「うんうん、構わない構わない」

 

その理由が気になったわたしは、お父さんがそのことをしゃべりやすいように、わざと軽薄な感じで先を促す。

 

「確かあれは、二年目の秋天のときだったかなぁ。ミラ子のヤツ、レース当日になって急に『今日はスターティングフューチャーで出走したい』とか言い出したんだよ」

「そりゃまた、どうして?」

「俺ももちろん理由を聞いたんだが、一度着たいと思っていた、とかフクキタルさんに占ってもらったら今日はスターティングフューチャーで出走するのが吉って言われた、とかどうにも要領を得ないことしか言わなくてな」

「ほうほう……」

 

聞けば聞くほど、謎は深まるばかりである。

 

「スターティングフューチャーはどこのレース場でも貸してくれるから、衣装を用意するのは別に難しいことじゃなかったんだ。だがいきなりそんなこと言われると、トレーナーとしても困惑する。でもどういうわけか、その時のミラ子はこちらが納得できるような、合理的な理由を言わなかったんだよ」

「結局、どうしてだったんだろう?」

 

お母さんがそんなことを言いだしたのは、案外本当に、一度スターティングフューチャーを着てみたかった、という牧歌的な理由だったのかもしれない。

 

「謎が解けたのは、結婚した後だよ。何かの拍子にその時の話になって理由を聞いたら、『前の日の処理に、急に自信がなくなってきてさ』って笑いながら話してくれてな」

「ん? 処理って?」

「俺も一瞬、意味を測りかねたんだが……ほら。あのミラ子の勝負服って、脇の下がバッチリ見えてしまうだろ」

「……ああ……」

 

思ったより、しょーもない理由だった。

 

確かスターティングフューチャーの衣装なら、脇を見られる心配はなくなる。

前の日にある程度処理したなら、そんな目立つほど残ってるってことはないだろうけど。

 

「ってかお母さん、そのあたり結構気にするタイプだったんだ」

「うむ。俺もちょっと意外に思ったもんだよ。普段は意識することもなかったんだが、やっぱりあいつも思春期の女の子だったんだなって」

 

乙女にとっちゃそのことはある意味、レースの勝ち負けより深刻な問題に感じられたに違いない。

 

いくらお互いに信頼すべきトレーナーとはいえ、男性にそのあたりのことは言いにくかっただろうしね。

 

そういうところは、天下のGⅠウマ娘だったお母さんも【普通】の女の子だったわけだ。

 

「ま、ともかくそんなわけで、スターティングフューチャーを着たミラ子ってのも珍しいから、一枚撮っておこうと思ったんだろうな。おっと。こんな無駄話してたら、時間ばかりが過ぎてしまう」

 

そう言ってお父さんは、壁掛け時計に目を向けた。

 

「もう5時半か。エルサ。この部屋の掃除が終わったら、晩飯は好きなもの食べに連れて行ってやるから、もう少しがんばってくれ」

「ホント!?」

 

おお、好きなものとは豪気なものだ。

お父さんが連れて行ってくれる外食といえば、いつもは回転寿司かファミレスなのに。

 

「ああ。本来なら俺一人でやらなきゃいけないこの部屋の大掃除を手伝ってくれたからな。本当に助かったよ、ありがとう」

 

お父さんがこんなふうに、面と向かってお礼を伝えてくるのは珍しい。

いつもはなにかちょっとしたことをしてあげても、『すまん』『助かった』って言うだけなのに。

それだけトレーナー室の掃除と整頓というのは、忙しくて手が回らないけどいつかはやりたいと思っていたタスクだったのかもしれない。

 

「そう言ってくれるなら……じゃあわたし、焼肉食べたい!」

 

贅沢を言うわたしに、お父さんはちょっと顔をしかめたけど。

 

「焼き肉なぁ。よし、わかった。そのかわり残りの作業、気合い入れて手伝ってくれよ」

「もちろん! で、この写真どうするの?」

「そうだな……捨てるのも何だし、家に持って帰るか。これをネタにして、またミラ子をからかうのも一興だろう。すまんが俺の鞄の中にでも放り込んでおいてくれ」

「了解」

 

懐かしの写真をネタにして、嫁さんをからかうつもりなのか。

まぁいいけどね。

お父さんも昔の話で、お母さんからイジられていることも結構あるし。

 

お互い様と言うか、うちの父と母はそんな感じで割とうまくやっているのだ。

 

からかわれるお母さんのことは気の毒に思わないでもないが、ふたりにとって、この写真が思い出の一葉であることには違いない。

 

わたしはお父さんの鞄の中に、そっとそのフォトスタンドを入れてから、本棚の整理を再開した。

 

*

 

年末に行われた中山大障害は、当然のように一番人気を背負ったグランアンネリーゼさんの圧勝だった。

 

二着を5バ身ちぎっての、圧巻のレコード勝ち。

 

レースの観客動員数こそ翌日行われた有マ記念に及ばなかったものの、グランアンネリーゼさんのウイニングライブには、冬のグランプリを勝利した『皇帝の子』シンボリライザさんのライブとほとんど変わらない人数が押しかけた。

 

グランアンネリーゼさんの大活躍は、確実に障害レースファンを増やしている。

今まで平地とくらべてどうしても地味な印象が拭えなかった障害レース界にとって、このことは朗報だった。

 

わたしも障害レース界に身を置く一人として、それを素直に嬉しく思う。

 

二着にはわたしと京都ジャンプステークスを走った同世代のアクサナデイジーさんが入り、来年シニア1年めを迎える世代も、確実に力をつけてきていることを証明した。

 

同世代のトップに躍り出たアクサナデイジーさんと比べると、わたしはちょっとつまずいてしまったけど……そこにうずくまったままというわけじゃない。

 

友だち、トレーナー、そして……お母さんの手と脚を借りて、わたしはなんとか不格好ながら立ち上がることができた。

 

来年はわたしも、お母さんがGⅠを2勝したシニア1年めを迎える。

血統的にもスポーツ医学的にも、わたし自身の全盛期を迎えるはず。

 

きっと来年は、勝負の年になる。

 

同世代のトップクラスに少しでも食らいつけるよう、そしていつかはJ・GⅠの大舞台に出走できるよう、わたしなりに精一杯、がんばるつもりである。

 

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