ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第二十三話

冬の九州の地に集った14人のジャンパーは、みないつものように、落ち着き払って自分のゲート入りの順を待っていた。

 

そうしているうちに、全員のゲートインが完了する。

 

一瞬の静寂のあと、ガコン!という乾いたゲート音とともに、長丁場のハードルマラソンがスタートした。

 

きれいな、揃ったスタートになった。

横並びの隊列から飛び出してハナを切っていったのは、グランアンネリーゼさんだ。

 

彼女は元々、展開さえ向けば逃げることも辞さない自在性の高い先行脚質だったが、ここ数戦は【逃げ】の戦法に徹しており、そのスタートダッシュは完成の域に達しつつあるようだった。

 

そんな素晴らしい加速力を見せつけるジャンプの女王・グランアンネリーゼさんを見て、ふと思い出した。

 

逃げの戦法を確立させつつあるグランアンネリーゼさんのトレーナーは、あのミホノブルボンを育て上げた名伯楽なんだよね……。

 

ミホノブルボンさんは言うまでもなく、圧倒的なスピードと強さで無敗のまま二冠を制したレジェント級の逃げウマ娘だ。

 

っと。

 

堂々と先頭をゆくグランアンネリーゼさんに見とれていたせいか、つい余計なことを考えてしまった。

 

最初に出迎えてくれた生け垣障害を見て、わたしは意識と集中力をレースに戻した。

 

先頭のグランアンネリーゼさんが、いつも通り完璧な飛越で最初の障害をクリアする。

後続のウマ娘も彼女に続いて次々にハードルをジャンプしてゆく。

 

わたしも7番手の位置で、生け垣障害を飛び越えた。

 

隊列はグランアンネリーゼさんの単独の逃げとなり、その3バ身ほど後ろで先行の娘たちが一団を作っている。

 

先行集団の中でも積極的なレース運びをしているのは、実力と実績にまさるリーチヨハンナさんだ。

だが周りのウマ娘たちも彼女に楽なレースはさせまいと、静かながらシビアな序盤のポジショニング争いを繰り広げている。

 

そんな彼女たちを見るようにポツンとわたしが一人いて、ちらっと後ろを確認すると、2バ身ほど離れたところに差しのウマ娘たちが固まっていた。

 

今日がラストランになるクリスタルソナーさんは、その差し集団のちょうどど真ん中にいるようだった。

 

本日の二番人気、追い込み脚質のアクサナデイジーさんはさらにその後方からレースを進めている。

 

人気どころの有力ウマ娘たちは、みんな自分の形に持ち込んだらしい。

 

序盤に組まれた隊列は特に大きく変わらず、全員が2番目の生け垣障害を無事に飛び越えた。

 

それからは特に順位の変更もなく、みな第3・第4のハードルと順調にクリアしていく。

グランアンネリーゼさんの単騎逃げということもあり、レースのペースは平均的なようだ。

 

その第4障害を超えてすぐ、先頭のグランアンネリーゼさんが小高いバンケットにさしかかった。

 

小倉レース場のバンケットは高さ約2・7M、全長約81Mの起伏を横断するというもの。

京都レース場にあるバンケットは、距離が短い【台】をクリアするための体幹バランスが求められた。

それに対し、小倉のバンケットは距離がある分、しっかり登ってしっかり降りるためのバリキとスタミナが要求される。

 

幸い、わたしはその2つには自信があった。

なんせ母が名ステイヤーだし、あの地獄のような坂路3本トレーニングを毎日こなしているのだ。

 

坂の上りに脚を踏み入れると同時に少しギアを入れてスピードを出し、頂上を越えたあとは慣性に任せて速度を出しすぎないよう、パワーを調整する。

 

血統と日頃の練習のおかげか、京都のバンケットよりも楽にクリアすることができた。

その間にわたしは二人の娘を追い抜き、5番手の位置につける。

 

先頭は相変わらず、調子よくグランアンネリーゼさんが逃げている。

 

有力ウマ娘の一人、リーチヨハンナさんは3番手の位置にいて、一人を挟んで彼女から4バ身ほど離れたところでわたしは追走していた。

後方のことは足音でしか距離感を判断できないが、おそらくわたしから2・3バ身後ろに3人ほどが固まっていると思う。

 

アクサナデイジーさんはバ群の最後尾近くにいるはずで、勝負どころはまだ先だろう。

 

バンケットのあと、2つの障害をクリアすると、今度は水濠障害が見えてきた。

 

うう……。

もしハマってしまったら、この時期の水は冷たいだろうなぁ……。

 

レース中に余計なことが頭によぎると、ろくなことがない。

 

その雑念のせいで脚に余計な力が入ってしまい、無駄に大きく水濠を飛び越えてしまった。

 

「……っ!」

 

着地した際、大きな飛越のせいで脚に結構な衝撃が伝わってきた。

そのせいで減速を余儀なくされ、危うく体のバランスを崩しかける。

だが、わたしはなんとか持ちこたえてフォームを立て直し、落ちてしまったスピードをもとに戻した。

 

その間、バンケットで追い抜いた二人の娘に再び抜かれてしまう。

 

わたしの飛越にはまだまだ、改善の余地がありそうだ。

 

しばらくは芝の平地が続き、ここで隊列が縮まってくる。

後ろの娘たちが、少しずつギアを入れ始めたのだ。

 

レースももう、中盤を超えた。

この平地を走っていてまだスタミナに余裕が感じられる間に、しっかりと終盤の戦術を考えなければならない。

 

この加速した流れに乗るべきか。

それとももう少し様子を見て、スタミナと脚を温存するか。

 

難しいところではあるけれど……。

 

んっ?

 

どうしたものか、と思考を巡らせていると、うしろからひときわ力強い爪音が聞こえてくる。

一瞬視線を投げると、最後尾あたりにいたはずのアクサナデイジーさんがもうわたしの真後ろに迫っていた。

 

彼女だけじゃない。

4番人気のクリスタルソナーさんも、どうやら進軍を開始したようだ。

 

「!」

 

これはもう温存とか言ってる場合じゃないらしい。

 

レースの流れが、完全に変わった。

 

「ふっ……!」

 

この流れにおいていかれないようわたしもギアを入れ直し、スピードアップして先行しているウマ娘たちを追う。

 

小倉の北風が速度を上げたわたしに、強く吹きつけてくる。

耳と頬に、今まで感じなかったピリッとした痛みが走った。

 

ペースが上がった中で障害を飛越するのは、流れが落ち着いているときよりも難しい。

 

それでもわたしはその速い流れの中、比較的短い間隔で配置されている2つの生け垣障害をなんとか無事に飛び越えることができた。

 

さぁ、残る障害はあと一つ。

このあたりで隊列は、完全に2つに別れた。

 

先頭を征くグランアンネリーゼさんを追うリーチヨハンナさんに、わたし。

そして追い込んできたアクサナデイジーさんに、淡々と先頭を見据えるクリスタルソナーさん。

 

クリスタルソナーさんから後ろの娘は、もうはるか後方だ。

 

優勝争いは、この5人に絞られたようだ。

 

第3コーナーをカーブして、ペースはさらに加速する。

ここまで2番手と5バ身ほどのリードを保って逃げていたグランアンネリーゼさんだったが、その差が3バ身ほどまでに縮まった。

 

先頭のグランアンネリーゼさんが、最終障害前のダートコースに脚を踏み入れた。

その瞬間、王者の衰えぬ脚色を誇示するかのように砂煙が舞う。

 

ここへきてのダートとは、なかなかに底意地が悪いと思う。

まるで最後に残しておいたスタミナを、搾り取ってくる罠のように感じてしまう。

 

それでもグランアンネリーゼさんを追うわたしたち4人は、いきなり変化するコースに脚元を取られることもなく、その砂塵の難所を通過してターフへと舞い戻った。

 

やはり多少のスタミナは奪い取られたが、それはみな同じ条件である。

 

だが、その【多少】の影響が大きかった娘もいたようで、リーチヨハンナさんが少し隊列から遅れ始めてしまった。

 

序盤のシビアなポジション争いと厳しいマークが、彼女から余分にスタミナを奪ったのかもしれない。

 

いや、人のことに気を取られてる場合じゃない。

 

第4コーナーを曲がってすぐに、いよいよ最後の障害がわたしたちを待ち受けているのだから。

 

そのラストハードルを、グランアンネリーゼさんは完璧な飛越でクリアしていく。

彼女のジャンプからは、ここまで長い距離を走って10もの障害を超えてきた疲れをまったく感じさせなかった。

 

わたしとアクサナデイジーさん、それにクリスタルソナーさんが、ほぼ同時に11個めのハードルを飛び越える。

 

もう、わたしたちを遮る障害はない。

 

あとはゴールまで、鍛え上げたスピードとそれを支える残ったスタミナでの根性勝負だ。

 

横並びの3人だったが、王者へ向かって最初に抜け出したのはアクサナデイジーさんだった。

 

中山大障害で2着に入った実力は伊達ではなく、あの時の再現はゴメンだとばかりにグランアンネリーゼさんに競りかけてゆく。

 

「くっ……!」

 

わたしも負けじと彼女を追いかけたいところではあったが、もう、これ以上スピードが上がらない。

 

絶対王者に挑む同期の背中が、1バ身、2バ身と遠ざかってゆく。

 

これが、わたしの今の限界か……!

 

でも、自分の不甲斐なさに絶望している場合じゃない。

まだ、レースは終わっていない。

 

一つでも上の順位を、銅メダルでのゴールを諦めてはいけない。

 

しかし、そう考えているのは非才なわたしだけではないようだ。

 

「!?」

 

内ラチ側に、異様なまでの激しい闘志を感じる。

視線だけをそちらに向けると、そこには鬼の形相をしてわたしに食らいついてくるクリスタルソナーさんがいた。

 

思い出した。

確か彼女が制したGⅠの3つともがアタマ、ハナ、クビという接戦だったはず。

 

そう。

微差の競り合いになったときこそ、真の実力を発揮する。

それがクリスタルソナーというウマ娘なのだ。

 

彼女は経験の少ないクラシック級のウマ娘のように、気合の叫び声を上げるわけでもない。

 

ただ静かに、青い炎のような凄まじい闘争心を発しているだけ。

その熱量に、わたしは思わず圧倒されそうになってしまう。

 

……クリスタルソナーさんは、本当の本気でわたしを競り潰しに来ている。

前走をシンガリ負けして10番人気まで評価を落としている、ヒヨッコ相手に。

 

背筋が、震える。

 

大ベテランの気骨が、わたしの闘争本能に火をつけた。

 

「うぉおおぉぉおおっ! 負けるもんかっ!!」

 

わたしは未熟者らしく、大声で叫びちらして気合を入れた。

3000M近く走ってきてヘタレそうな両脚に、思い切り根性のムチを叩き込む。

 

一時代を築いた名ジャンパーと、本気で競い合える。

こんな光栄なことはない。

 

さぁ、勝負だ。

 

芝を踏み込み、ガッツと若さを見せつけて、わたしが一歩、前に出る。

すると今度はこのヒヨコが、と言わんばかりにわたしを睨みつけ、クリスタルソナーさんは裂帛の気迫で並びかけてくる。

 

肘が擦れ合うような距離で、わたしたちは壮絶な鍔迫り合いを繰り広げた。

 

そうしているうちに、大歓声が小倉レース場を包みこむ。

おそらく、優勝者が決まったのだろう。

 

だが、そんなことはわたしたちにとってどうでもいいことだった。

 

隣りを走るウマ娘に、打ち勝つ。

 

ヤツよりも、1ミリでも前に出る。

 

仇敵を、ただ叩き潰す。

 

それが今の二人のすべてだった。

 

どのぐらいの時間と距離を、そうして競り合っていたのだろう。

 

わたしたちは肘をぶつけ合い、お互いを視線の中に入れたままゴール板を通過する。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」

 

倒れこそしなかったものの、わたしは両膝に手を置いて、なんとか疲労困憊の体を支えた。

 

心臓が潰れそうなぐらい、激しく脈打ち動き回っている。

窒息しそうな肺が、短い間隔で何度も酸素を貪る。

 

ふと同じように隣を走っていたクリスタルソナーさんに顔を向けてみると、彼女はふぅっ……とだけ大きく息を吐き、静かに掲示板を見つめていた。

 

なんて、タフなウマ娘なんだ。

この息遣いの違いが、積み重ねてきた鍛錬の違いをそのまま表しているようだった。

 

わたしもなんとか顔を上げて掲示板の方に視線を向けると、1着でゴールしたのはやはり、グランアンネリーゼさんだったようだ。

 

優勝した彼女は笑顔で手を振り、観客の大声援に応えるかのようにウイニングランを披露していた。

 

その2バ身あとに、アクサナデイジーさんが入賞したらしい。

 

2着という結果は彼女にとって本意ではなかったと思うけど、あの絶対王者相手に2バ身差まで詰め寄ったのは善戦したと言っていいと思う。

 

少し離れたところで、わたしたちと同じようにアクサナデイジーさんは電光掲示板を眺めている。

 

激戦の疲労が色濃く残っている彼女の顔には、負けた悔しさとあの化け物相手によくやったんじゃないか、という2つの感情が同居しているような、複雑な表情が浮かんでいた。

 

わたしのほうも、ゼイゼイと乱れていた呼吸が少しばかり落ち着いてくる。

そのタイミングで掲示板を見上げると、そこにようやく、3着と4着が表示されていた。

 

3着は……。

 

「ハナ差で、わたし……」

 

それを見た途端、疲労感を上書きするような、言葉にできない感情がせり上がってくる。

 

わたしは、J・G1を3勝もしている名ウマ娘に競り勝って、3着に食い込んだのだ。

 

ひょっとしたら、わたしもこの世界でやっていけるのかもしれない。

 

彼女との本気の競り合いは、わたしにそんな自信を与えてくれた。

 

……ラストランでわたしのようなヒヨッコに僅差かわされたクリスタルソナーさんは、今どんな表情をしているのだろう……。

 

そう思ったわたしは、クリスタルソナーさんの方へそっと視線を移す。

彼女は結果を確認してふっ、と短い息をつくと、それだけで控室に通じる連絡口へ脚を向けた。

 

その後ろ姿は、勝つことも負けることも知り尽くしたベテランらしい、実に淡々としたものだった。

 

……やっぱり、あのひとはすごいなぁ……。

 

わたしは彼女の落ち着きに、驚きと感服の気持ちを抱かずにはいられなかった。

 

レースを終えたあとは、勝者を称えるためのウイニングライブの準備へ向かう。

 

勝ったとしても負けたとしても、たとえ今日が引退レースだったとしても、それがレースを走るウマ娘のかけがえのない『仕事』であり、応援してくれたファンに対する返礼でもある。

 

最後の最後まで彼女は『職人』らしく、その仕事をまっとうするだけのようだった。

 

そんな大ベテランに、ウイニングランを終えたグランアンネリーゼさんが駆け寄ってきた。

 

「クリスタルソナーさん!」

 

思ったより大きな声で、彼女は先輩を呼び止める。

 

「なんだい?」

「その……」

 

少し言い淀んだようだったが、グランアンネリーゼさんは顔を赤くし、まるで生まれて初めて異性に告白する乙女のような表情で、続けた。

 

「私、オープンを2連勝して初めて重賞に挑んだ時、正直ちょっと障害レースを舐めていたんです。なんだ、お母さまから障害レースは厳しいって聞いてたけど、こんなものか。私なら、先輩たち相手でも十分楽に勝ち負けできるって」

 

自分に引導を突きつけてきたと言っていい後輩の告白を、先輩はただ黙って耳を傾けている。

 

「でも、それはとんでもない思い上がりだった。あなたに負かされた時、障害レースのレベルの高さと厳しさを身を以て教えられたと思います。あの時のクリスタルソナーさんは、本当に強かった。今のままじゃ一生、あなたにかないっこないって思い知らされたんです」

 

胸に手を当て、敬意に満ちた眼差しで現王者は続けた。

 

「あの時あなたにこてんぱんに負かされたおかげで、私は目が覚めた。本気で、障害レースという厳しい道を極めようと覚悟を決めることができました。ありがとうございます。そして……長い間、お疲れ様でした」

 

そう言ってグランアンネリーゼさんは深く、深く偉大な名ジャンパーに頭を垂れた。

 

「そうか」

 

自分から王座を簒奪(さんだつ)した後輩の言葉を聞き終え、彼女は小さく頷いた。

応えた言葉は短かったが、クリスタルソナーさんの端正な顔には優しい笑みが浮かんでいる。

 

「私の方こそ、君に礼を言わねばならん。知っているとおり、私は人付き合いが苦手で、とっつきにくいウマ娘だ。私にできることと言えば、走ることと跳ぶことぐらいものだった」

 

今度は、後輩が去りゆく先輩の言葉を傾聴する番だった。

 

「応援してくれたファンにもろくにサービスできなかったし、取材してくれた記者たちに気の利いた言葉一つ言えやしなかった。でも、君は違った。天性の才能と明るさで、たくさんのファンの目を障害レース界に向けさせてくれた」

 

そして、クリスタルソナーは右手をグランアンネリーゼさんに差し出した。

 

「私の愛する競技を、こんなにも盛り上げてくれて本当にありがとう。これからもがんばってくれ」

「クリスタルソナーさん……」

 

グランアンネリーゼさんがうっすらと涙を浮かべて優しい先輩の右手にそっと触れると、ファンからは大きな拍手が沸き起こった。

 

二人の握手を見ていると、鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなってくる。

 

わたしも自然と、二人の先輩に拍手を送っていた。

そしてそれは、今日同じレースに出走したウマ娘全員がそうだった。

 

偉大な先輩たちが見せてくれたこの光景を、わたしは一生忘れない。

 

*

 

ウイニングライブはJ・GⅢのものとは思えないぐらい盛り上がった。

 

曲が終わった後、引退式を辞退したクリスタルソナーさんにイベンターが最後に一言だけ、お願いしますとマイクを向けたが、『敗者は静かに去るものだよ』とだけ言って、最後の最後まで彼女らしく綺麗に舞台から身を引いた。

 

それが名ジャンパー・クリスタルソナーのラストライブだった。

 

「いいレースだったし、いいウイニングライブだったな」

 

制服に着替えて控室から出てきたわたしに、トレーナーがそんな話を振ってくる。

レースの内容のことはともかく、トレーナーがウイニングライブのことを話題にするのは珍しかった。

 

「でしょ? 最高のメンバーが揃ったレースだったし、最高のメンバーが作り上げたステージだったらね」

 

おそらく今日のレースとライブは、トゥインクルシリーズファンの間で長く語り継がれる伝説になる。

 

その中にわたしがいられたことは、本当に僥倖だった。

 

「うむ。今日のレースぶりを見ていると、お前もなんとか障害の重賞路線でやっていけそうだな」

「そう思いたいけどねぇ」

 

楽観的なことを言いながらエントランスへ向かい始めたトレーナーに、わたしも苦笑いを浮かべながら並んでついていく。

 

クリスタルソナーさんに競り勝ったことである程度の自信を得られたのは確かだったけど、それはやってみないと分からない。

 

彼女やグランアンネリーゼさんのような偉大な先達に少しでも近づけるよう、努力だけはしていくつもりだけどね。

 

「まぁまぁ、そんな先のことは後で考えようよ」

「言いたいことはわかるが、妙な日本語だな……」

 

わたしの言い回しに、今度はトレーナーが苦笑いを浮かべる番だった。

妙であろうと何であろうと、言葉なんて伝わればそれでいいのである。

 

「わたしの日本語はさておき。せっかく小倉に来たんだし、なにか食べに連れて行ってよ。昨日の夜いろいろと調べてたんだけどさ、小倉って焼きうどんが名物らしいよ。ちょっと食べてみたいな~」

「変わったやつだ、九州まで来て粉モンが食べたいのか。やっぱりお前はミラ子の娘だな」

「変わったやつって……」

 

うちの父親は、こんな感じでちょっとイラッと来る余計な一言が多い(それが原因でたまに夫婦ゲンカになる)。

 

トレーナーはわたしの粉モン好きをお母さんのせいにして変わり者呼ばわりしたけど、わたしの血の半分は、あなたのものが流れているということを忘れてはいませんかね?

 

ちっ。

そんなこというなら……。

 

「じゃあやっぱり焼きうどんやめて、関門ふぐ食べさせてよ!」

「いや、なんでちょっと怒っているんだよ。それに、さすがにふぐは安月給のトレーナーにはちとキツいな……」

 

わたしがふぐのように顔を怒りで膨らませながら、トレーナーとそんなバカな会話を繰り広げていると、レース場の出口付近で意外な人物に声をかけられた。

 

「エルサミラクルだね。少し、いいかな?」

「あっ、クリスタルソナーさん!? お疲れ様です!」

 

ラストランを終えたばかりの大先輩に話しかけられたわたしは、慌てて顔面をふぐからウマ娘のものに戻した。

 

「ああ、おつかれさん。君に伝えたいことがあってね。待たせてもらっていたんだよ」

「えっ!? あっ、はい。一体なんでしょう……」

 

10番人気で初めて重賞で掲示板入りした、しがないオープンウマ娘にJ・GⅠを3つ勝った名ジャンパーが伝えたいことなんて、想像もつかない。

 

固唾をのんで、わたしは先輩の言葉の続きを待つ。

 

「最後の直線で見せた君の勝負根性には、目を見張るものがあったよ。飛越もまだまだ改善の余地はあるが、素質を感じる。君はきっと、いいジャンパーになる。がんばって」

「あ……」

 

あれだけの実績を持つ名ウマ娘が、わたしの走りとジャンプを認めてくれた。

そのことにわたしは驚き、思わず交互に大先輩の顔とトレーナーの顔を見てしまった。

 

「よかったな」

 

わたしの視線を受けて、トレーナーが小さく頷きながらそれだけ言う。

 

「あ、ありがとうございます! クリスタルソナーさんの期待に応えられるよう、がんばります!」

「うん、その意気だ」

 

わたしの誓いに、彼女は満足気に頷いてくれる。

それから先輩はなぜか目元を緩めると、いたずらっぽい笑みを浮かべた。

 

「あとな。障害で成功するウマ娘は、必ずケツがでかい。君もそうだし、私もそうだ。あのデカパイに目を奪われがちだが、グランアンネリーゼも意外にケツがでかいんだぞ」

 

あ。

あなたもそんな冗談を言うんですね。

 

大先輩が見せたおちゃめな一面に、わたしは愛想笑いを浮かべるよりない。

 

グランアンネリーゼさんもそうだったけど……障害を走っているパイセンたちは、こういうちょっと叡智なことを言うのがお好きなんだろうか。

 

で、彼女の御高説を聞いたトレーナーはと言えば、肩を震わせて必死に笑いをこらえているようだ。

 

くっそー。

人がちょっと気にしていることを笑いやがって……。

 

帰りの新幹線の中でお母さんに『お父さんがミラ子のケツはでかいって悪口言ってた』ってLANE打っといてやろう。

 

「ま、そのデカケツが素晴らしい跳躍力を生み出すというわけだ。しっかり鍛えて、障害レースを盛り上げてくれ。それじゃ」

 

偉大なる名ジャンパーは自らのお尻論を語り終えると、ラストランを走った小倉レース場から颯爽と去っていった。

 

「グランアンネリーゼの素質を予見したように、クリスタルソナーの相マ眼は確かなものがある。それを信じて、明日からもしっかり鍛えていくぞ。もちろん、ケツだけじゃなくて体全体の話だぞ?」

 

マジでいらない一言をつけ加えたオヤジ兼トレーナーの足を、わたしはオルフェーヴルさんを彷彿とさせる脚力で、思い切り踏んづけてやった。

 

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