ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第三十一話

「重賞初制覇、おめでとう~!」

 

祝福の声が、消灯後の薄暗い合宿所の談話室に響き渡った。

その音源はノートパソコンで、モニターにはパジャマ姿のお母さん――往年の名ステイヤー・ヒシミラクル――が映し出されている。

 

「ありがとう、お母さん」

 

いただいたお祝いの言葉にお礼を言いながら、わたしは照れ笑いを浮かべる。

身内からの祝辞というのは、いつもらってもちょっと照れくさいものだ。

 

「本当は会って直接お祝いを言いたかったけど、現役ウマ娘の母親が合宿中の娘に会いに行くっていうのもなんだか過保護っぽいかなぁと思ってね」

 

そう言ってお母さんは軽く笑った。

確かに娘におめでとうをいうためだけに、合宿所へわざわざ押しかけてくる母親なんて見たら、絆とか仲が良いとかいう以前に適切な距離が保ててない親子なのかな、と疑ってしまいそうだ。

 

「そうだねぇ。まぁ重賞に勝ったって言っても、J・GⅢだし。大げさに祝ってもらうほどのことじゃないかなって」

「そんなことないよ」

 

照れ隠しを言うわたしに、PC画面の向こうのお母さんは真面目な顔をして首を横に振った。

 

「トレセン学園に入学してもほとんどの娘は重賞に勝つどころか、出走することもできずに引退するんだよ。それに障害レースの重賞って、一年に10レースしかないでしょう? そういうことを考えたら、今回の優勝は本当に価値があることだと思うよ」

「そ、そうかな……」

「そうだよ。だからエルサも、自分が努力して勝ち取った結果に自信を持つこと。まぁそれが難しいっていうのは、よくわかるけどね」

 

そう言うとお母さんは何かを懐かしむような、それでいてちょっとビターな感じで微笑んだ。

 

「えっ。GⅠを3回も勝ったお母さんでも自分に自信が持てない、なんてことがあったの?」

「もちろん。アンタのお父さんに乗せられて、トレーニングはそれなりにがんばってきたつもりだけどね。今思い返せば、現役中は最後まで自分の努力や成績に大きな自信を持つことなんてなかった気がするなぁ」

「そうなんだ……」

 

お母さんから初めて聞いたその話は、少し意外な感じがした。

GⅠ勝利という立派な勲章を手に入れれば、自信なんて勝手についてくるものだと思っていたから。

 

「でもね。やっぱり自分のやっていることを自分で信じてあげる、ってことは大切だよ。わたしにもちょっとはそういう気持ちがあったから、現役生活を最後まで全うすることができたんだと思う」

 

お母さんの現役生活は、決して順風満帆というわけではなかった。

デビューから9連敗しているし、特に現役時代の後半はケガのせいもあって、勝利した宝塚記念以降は思うような成績を残せなかったようだ。

それでもお母さんは、ラストランになったシニア3年目の春の天皇賞で16着に敗れるまで、走り続けた。

 

お母さんほどのウマ娘が、そういうなら……。

 

「わかった。今回はがんばった自分を褒めてあげることにするよ」

「うん、それでいいと思う。今日はレースでエルサも疲れてるだろうし、もう夜も遅いからこのまま落ちて寝るね。合宿中のトレーニングは力が入るだろうけど、くれぐれもケガには気をつけるように。じゃ、おやすみ~」

「おやすみ」

 

就寝の挨拶を交わし、お母さんは手を振りながらグーゴルミーツからログアウトした。

 

「ん? ミラ子のやつ、もうログアウトしたのか」

 

少し離れた椅子に座ってこちらの様子を見ていた、わたしの父親でもありヒシミラクルの夫でもあるトレーナーは怪訝な表情を浮かべている。

 

「うん。もう夜も遅いから寝るってさ」

「そうか。俺にはお休みもおめでとうもナシか……。結婚して20年も経つとこんなもんか」

 

そんなことをぶつくさ言ってるお父さんの声と表情からは、既婚中年男性独特の悲哀が感じられた。

 

「まぁそれはいい。そろそろ俺達も休むとするか。レース後でもあるし、明日のトレーニングは休みにするが、あまり夜ふかししないようにな」

「わかってるよ。じゃ、おやすみ」

「うむ、おやすみ。……改めて、今日はおめでとう。よくやったな」

 

言葉少なめに褒めてくれるお父さんを見ていると、なぜか目の奥が熱くなってくる。

 

「うん。じゃあ、部屋に戻るね」

 

わたしは短くそう応えると、その場から逃げるように足早に部屋へ向かった。

震えそうな声と潤んでいそうな瞳を、お父さんに感づかれたくなかったからだ。

 

*

 

寝室に入る前に、わたしはバッグからスマホを取り出した。

明日も朝早くからのトレーニングを控えている同室の娘たちを、スマホの明かりで起こしてしまったりしたくない。

 

暗い廊下で光る待ち受け画面を見ると、LANEからの通知が表示されている。

 

スマホをタップしてLANEを起動させると、そこにはたくさんの人からの、たくさんのお祝いの言葉で溢れていた。

 

イングリッドにミサさん。

クラスの友だちに、担任の先生。

麻雀仲間の、あのふたり。

それにルームメイトのキョウコも、レースが終わってわずか2分後には『新潟ジャンプステークス優勝、おめでとうございます』とメッセージを送信してくれたようだ。

 

もらった祝辞にわたしは一人ずつ、感謝の思いを綴って返信する。

重賞を勝ったことももちろん嬉しかったけど、こうしてわたしの勝利を祝ってくれる人がこんなにもいるということが、同じぐらい嬉しかった。

 

いつもはちょっと面倒に感じてしまうLANEの返信も、今日に限っては20人近くの人に返していたにもかかわらず、そんな気持ちにまったくならない。

 

さて、次が最後の一人だ。

 

「あ……」

 

トーク画面から彼女との会話をタップしてから、気がついた。

 

この娘からは、お祝いのメッセージなんて届いていなかった。

 

彼女から受け取った最後のメッセージの日付を確認してみると、今からちょうど一年ぐらい前になっている。

 

あの頃は毎日顔を合わせていて、今だって無意識に画面をタップしてしまうほど、頻繁にメッセージもやり取りしていたのに。

 

……ルージュ。

 

彼女は元気でやってるだろうか。

もう、レースはまったく見てないんだろうか。

 

……わたしのことなんて、もう忘れてしまっているんだろうか。

 

ううん。

 

新しい友達がたくさんできていて、その人たちと楽しくやってくれていればそれでいい。

なんなら彼氏でも作っていて、夏の恋を楽しんでいるならそれが一番いい。

 

さよならを言うこともなく、夢破れて去っていったわたしの友だち。

 

ルージュのことを思い出すと、心の奥がジクリと痛む。

 

その痛みは物悲しいものではあったけど……重賞制覇で浮かれていたわたしの気持ちを、ぐっと引き締めてくれもした。

 

*

 

8月も半ばを過ぎたと言うのに、相変わらず強い陽射しが容赦なく照りつけてくる。

初重賞制覇から2日後、わたしはまた合宿所近くの浜辺に戻ってきた。

 

今までと少し違うのは、周りでトレーニングしているウマ娘やトレーナーたちの視線を感じることだ。

 

「おっ、エルサミラクルがやってきたぞ」

「先週の新潟ジャンプステークスを勝った娘だよね」

「今日はどんなトレーニングをするのか、お手並み拝見だな」

 

そんな声があちこちから聞こえてきて、少しばかり居心地が悪い。

 

「なんだか結構、注目されちゃってるなぁ……」

 

ぼやくわたしにトレーナーはさもありなん、とばかりに頷いた。

 

「それは仕方ない。重賞を勝つ、というのはそれだけ価値のあることだからな」

「別に重賞を勝ってもわたし自身は何も変わってないのに、ちょっと不思議な感じもするね」

「地位や肩書ってのは、そういうもんだ。で、場合によっちゃそのせいで人に勝手に期待されたり、失望されたりする。恨まれたり、妬まれたりすることもな」

 

そう言うとトレーナーは、遠い目で沖の方を見つめた。

お母さんを担当していたお父さんは、キャリア2年目でGⅠトレーナーになっている。

23歳の若手が、いきなり最高の栄誉と肩書(と多額のGⅠ報奨金)を得たのだ。

けどきっと手にしてしまった立派な肩書ゆえに、人間の暗黒面と向き合うことも多かったんだろう。

世間知らずのわたしでも、それぐらいは想像できた。

 

「いや、すまん。妙に意味深な言い方になってしまったな」

 

俯いて話を聞いていたわたしの方を見て、トレーナーは小さな苦笑いを浮かべた。

 

「ま、肩書にふさわしい人物になるのはそれなりに大変だということだ。それじゃあ早速ステークスウイナーの名に恥じないウマ娘になれるよう、トレーニングを始めていくぞ。まずは持久力と根性を養うための巨大タイヤ引きからだ。引っ張るタイヤの重さは今までの1・5倍あるからな。気合い入れて取り組むように」

「了解」

 

トレーナーの指示を受けて、わたしはすでに準備されてあった巨大タイヤに繋がれている縄を手に取る。

それからすぐにトレーナーは巨大タイヤによじ登っててっぺんに座ると、100Mほど先にある赤い旗に向かって手にしたメガホンを向けた。

 

「よし、エルサ。あの旗が置いてる所まで、全力で引っ張れ!」

「はいっ!」

 

トレーナーの檄に、わたしは力いっぱい返事する。

 

一歩踏み出すと、いつもより脚が砂に深くめり込んだ。

一足一足が、ずしりと重い。

 

全身に感じる負荷は、今までのタイヤ引きトレーニングとはまったく比べ物にならなかった。

3歩も動くと、もう顔中が汗みずくになってしまう。

 

これは……思っていたより、全然キツい!

 

でも今までしてきたこと、できていたことをなぞっていただけでは、自分の限界を超えることなんて不可能だ。

 

未知への挑戦こそが、自分の限界を押し広げてくれる。

 

そう自分を励ましてわたしは少しずつ、ゴールに向かって歩を進めた。

 

*

 

昼間はトレーニングに励むたくさんのウマ娘で賑わう海岸も、夕暮れ時の今では静かな波の音が聞こえるだけ。

 

湿った潮風が、髪の間を吹き抜けてゆく。

 

夕陽が照らす海面はゆっくりと波打ち、優しいオレンジ色をたたえている。

そんな海の光景はどこかうら寂しくて、わたしの心をうずかせた。

 

「改めて、重賞初制覇おめでとう。エルサ」

 

隣りに座っているイングリッドが、手にしたビンのサイダーを軽く掲げる。

 

「ありがとう」

 

わたしも同じように持っていたビンを、彼女のそれにコツンとぶつけた。

静寂に包まれた海岸にいるのは、わたしたち二人だけだ。

 

トレーニングが終わった後、イングリッドに「重賞優勝、おめでとう。お祝いってほどのものじゃないけど、ジュース奢るからレースのときのこと聞かせてよ」と声をかけられて、ここへやってきた。

 

「新潟ジャンプステークスはすごいレースだったわね。厳しい展開だったのに、よく巻き込まれずに勝ちきったものだわ」

 

尊敬しているステークスウイナーの友人にそうストレートに褒められてしまうと、こちらも得意げな笑みを浮かべるのを我慢できなかった。

 

「まぁね。途中でなにか変だな、って運良く気づくことができて、走りを修正できたおかげかな」

「それも、日々のトレーニングの賜物ね」

 

イングリッドはそう言うと、よく冷えているサイダーのビンに口付ける。

わたしも同じようにサイダーを喉に流し込むと、冷えた炭酸がしゅわしゅわと喉を刺激して心地よかった。

 

「ところで、秋のローテーションはどんな感じになりそうなの?」

 

イングリッドの質問に、わたしは一瞬息を飲み込んだ。

秋の目標はもう決まっていたけれど、それを人に伝えるのは少しばかり勇気が必要だった。

 

「しばらくは基礎を中心に鍛え直して……秋はJ・GⅡの東京ハイジャンプから始動するつもりだよ。その結果次第では、年末の中山大障害に出走することになると思う」

 

わたしのローテーションを聞いたイングリッドは、驚いたように目を見開く。

 

「それって、グランアンネリーゼさんと同じローテーションを歩むってことよね?」

「そうだね」

「いよいよ挑むのね。あの無敵の絶対王者に」

 

GⅠ出走経験者のイングリッドは、超一流の実力を肌で体感している。

そんな彼女が覚悟を問うかのように、真剣な眼差しでわたしを見つめている。

 

わたしはイングリッドの目をしっかり見据えて、うん、とうなずいた。

 

「どこまでやれるか分からないけど……限界まで鍛えた自分で、当代最強のジャンパーにぶつかってみたいんだ。分厚い壁に跳ね返されるだけかもしれない。どんなに努力しても、グランアンネリーゼさんには勝てないかもしれない」

 

それでも。

 

「わたしは、挑戦するって決めたんだ。挑まないことには何も始まらないし、ミラクルも起こりようがないから」

 

決意を表明したその声は少し震えていて、少しカッコがつかなかったかもしれない。

 

「……そうね。私がローズステークスに出走しようか迷っていた時、エルサはそう言って背中を押してくれたものね」

 

でもイングリッドはそんなわたしをからかうでもなく、力強い笑顔を見せてくれた。

 

「がんばって、エルサ。私はあなたの挑戦を、心から応援しているわ」

「……うん。ありがとう」

 

自分の挑戦を後押しして、エールを送ってくれる友だちがいる。

ただそれだけのことなのに、どうしてこんなにからだが熱くなって、胸が高鳴るのか。

 

ウマ娘がこの感情を表現する方法は、ひとつしかなかった。

 

「イングリッド、併走しよう! あの海の家まで競走ね!」

 

ジャンプするように立ち上がってそれだけ言うと、わたしは力いっぱい、脚元の砂を踏み込んだ。

 

きついトレーニングの後なのに、脚が軽い。

 

このまま、どこまでも駆けていけそう!

 

「えっ!? ちょっといきなりずるくない!?」

「平地のGⅡウイナーがせこいこと言わない! ここまでおいで~!」

 

一旦立ち止まってイングリッドを煽り立てるようにブンブン手を振っていると、彼女はなぜか面白そうにニヤリと笑った。

 

「……ふっ、まぁこのぐらいはちょうどいいハンデね。この夏、再起をかけて鍛え上げた脚力を見せてあげるわ!」

 

イングリッドは声を張り上げると、大きな砂埃を舞い上げながらビーチを蹴り込み、洗練されたストライドでわたしを追いかけてくる。

 

げっ!

マジで速い!!

 

この夏、イングリッドも本気で自分を鍛え直したようだ。

どうやら立ち止まって彼女を煽り散らかしている場合ではないらしい。

 

「捕まってたまるもんですか!」

 

そう叫んで、わたしは再び砂を蹴って猛烈な勢いでダッシュする。

 

晩夏の太陽が、水平線の向こうに沈んでゆく。

でもわたしたちふたりはそんなことをつゆも気にせず、ゴールと定めていた海の家をはるかに超えて、ウマ娘の本能が赴くままに海岸線をいつまでも駆け回っていた。

 





読了、お疲れさまでした。

今回は文量的にも、一息で読めてちょうどよかったのではないでしょうか?

ハーメルンでは一話の文量がだいたい6000字から7000字くらいが、一番読者様に読んでもらいやすい長さと言われています。

きっとそれぐらいの文量が昼休みや通勤時間など、ちょっとしたスキマ時間に無理なく読んでいただける最適な文量なのだと思います。

でもまぁ、レースシーンなどの物語の中でも特にクライマックスな場面を描いていると、そんなことすっかり忘れて長文になってしまうんですけどね(笑)。

重賞を勝利したことにより、周りからも一目置かれるウマ娘になったエルサ。
そんな彼女の走りと成長を、これからも見守っていただけると嬉しいです。

それではまた、近いうちにお会いしましょう!

※X始めました。
こちらの小説の更新情報やウマ娘をプレイしている様子(主にストーリーを楽しんでいるカジュアル勢ですが…)などをポストしてしますので、よろしければフォローお願いします。

X:@sosukeumamusume

あと、下手なウマ娘イラストもたまに載せていますので、よかったら見ていってください。
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