ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第三十四話

年末の中山大障害へ向けての最後のジャンプ重賞・京都ジャンプステークスを見るためにキョウコと一緒に談話室を訪れると、そこにいたウマ娘たちが一斉にこちらを振り向いた。

 

「あっ、エルサミラクルさん! ぜひこちらへ!」

 

ひとりのウマ娘がテレビの真正面、通称【アリーナ席】にわたしを手招きする。

そこでレースを見ることが許されるのは、その日行われるメインレースにゆかりがあって、なおかつ談話室にいる中で一番強いと思われているウマ娘だけである。

 

東京ハイジャンプでの勝ち方は、決して堂々と胸を張れるものではなかったけど……。

グランアンネリーゼさんを破ったあのレース以降、わたしは周囲からトップジャンパーの一人として扱われることが多くなった。

 

「うん、ありがとう」

 

本音を言えば今のわたしの実力でみんなからVIP扱いされることに、結構な気恥ずかしさや抵抗感はある。

しかしトレーナーからは『お前も重賞を2勝して障害界を代表するウマ娘の一人になったんだから、その自覚を持って相応の振る舞いを心がけるようにな』と言われていることもあって、わたしは謙虚な笑みを返しながらそちらへ向かう。

 

その際キョウコに『あなたもこっちくる?』的なアイコンタクト送ったけど、「私はここで大丈夫です」と言って輪の一番外側に移動した。

 

いろいろと放言の多いキョウコだけど、場の空気を読むのは苦手ではないらしい。

 

こういった状況での振る舞いは、幼い頃から勝ち負けとプレイヤーの序列がはっきりしている将棋の世界にいるだけあって自然と身についているのだろう。

 

「今日のレース、専門誌はリーチヨハンナさんとアクサナデイジーちゃんの一騎打ちって予想してるけど、エルサミラクルさんの見解は?」

 

平地を走っているシニア1年目の娘が、興味津々といった感じでそんなことを聞いてくれる。

 

「そうだね……」

 

わたしはあごに手を当て、少しの間黙考した。

今の立場上、あまり変なことをいうわけにもいかない。

 

どちらかのほうが強い、と言い切ってしまうとその声が反対側の陣営の耳に届いた時、余計な角が立ってしまう。

 

でも『どっちが勝つかわかんないや』みたいにテキトーなことを言って、この場を白けさせてしまうのも避けたかった。

 

今、障害レース界はかつてないほど盛り上がっている。

ファンやレース関係のマスコミだけに限らず、彼女のように平地を走っているウマ娘たちからも熱い注目を浴びるようになった。

 

そんな勢いにわたしがつまらないことを言って水を差したくない、という思いもある。

 

「9月の阪神ジャンプステークスではリーチヨハンナさんが先輩の貫禄を見せつけて勝利したけど、春はアクサナデイジーさんのほうが分が良かったわけだし……前走からの上積みがあれば逆転があっても全然おかしくないと思う。他の出走者を侮ってるわけじゃないけど、今日のレースは専門誌の予想通り、二人の一騎打ちになりそうだね。個人的には、同期のアクサナデイジーさんを応援したいかな?」

「ふーむ、なるほど。前走勝ちを評価されて今日はリーチヨハンナさんが一番人気になってるけど、エルサミラクルさんは二人の間にほとんど力の差はない、って見ているわけだね」

 

わたしの率直な意見を聞いて、彼女は納得したように頷く。

何人かのウマ娘たちも『ほう』といった感じで、首を縦に振ってくれている。

 

うまく言えたかは分からないけど、少なくても『もっと実のあることを言ってほしかったなぁ』みたいな空気にはならなかったらしい。

 

「……ふうっ……」

 

そのことにホッとして、みんなに気づかれないよう小さくため息をつく。

たったこれだけのやり取りだったのに、少しばかり気疲れを覚えてしまう。

 

重賞を勝利してそれなりの立場になるっていうのは、結構面倒なことのようだ。

 

以前なら競輪場や競艇場にいるファンのように『いや~、今回は2枠の娘が勝つっしょ』『返しウマ見てる感じ、今日あの娘は厳しいかもね』みたいに、無責任なことを言って勝ちウマ娘の予想を気ままに楽しんだものだったけど。

 

GⅡを勝っただけでこんなに気を使わされるのだったら、GⅠウマ娘なんて普段どれだけのプレッシャーの中で生活しているのだろう?

 

お母さんなんて平地のGⅠを3勝もしていたわけだから、ああ見えてけっこう大変な現役生活を送っていたのかもしれない。

 

うちのお母さんは空気は割と読める方だけど、どう考えてもGⅠウマ娘の威厳を持って周囲に振る舞う、なんてことは無理なタイプだっただろうし……。

 

「あっ、始まるみたいだよ」

 

その声を聞いてテレビに視線を向けると、スターターが発走台に乗り込んでいるところだった。

 

ファンファーレが鳴り響き、スターターが赤い旗を振っている。

 

その間に歴戦の戦乙女たちが、次々とゲートへ収まっていった。

 

*

 

『京都ジャンプステークスもいよいよ最終盤! 先頭集団が今、最後の障害物を踏み切って次々にジャンプ!』

『しかし最後の直線、抜け出したのはやはり1・2番人気のこの二人!』

『アクサナデイジーか、リーチヨハンナか!』

『前の二人の激しい鍔迫り合い! 後ろをぐんぐん突き放していきます!』

『アクサナデイジー、リーチヨハンナ、今並ぶようにしてゴールイン!』

『ほとんど同時、ほとんど同時! どちらが勝ったのか、まったくわかりません!』

 

実況はその熱戦を大音声で伝えている。

ヒリつく最後の直線の競り合いは、まるで阪神ジャンプステークスの再演を見ているかのようだった。

 

「ん~、どっちだろう?」

「外のリーチヨハンナさんのほうが、勢いは(まさ)っているようには見えたけど……」

「外からくるウマ娘って、そう見えるからね」

 

息を呑む大接戦に、談話室にいるウマ娘たちも食い入るようにテレビを見つめて結果を予想している。

 

「ねぇねぇ。エルサミラクルさんはどっちが勝ってると思う?」

 

レース前、わたしに今日のレースの評論を求めてきたあの娘が目を輝かせて聞いてきた。

結果をはずすとカッコ悪いけど、答えないというのもこれまたどうにもきまりが悪い。

 

「……感覚的にはアクサナデイジーさんが残しているかなぁ……」

 

仕方がないので、わたしは小難しい顔をして当てずっぽうのような予想を口にする。

 

当事者ならともかく、写真判定が必要なぐらいの接戦を傍観者が100%当てられるはずもない。

それにちょっとだけ、前走微差で敗れているアクサナデイジーに勝っていてほしいという願望も入り混じっていた。

 

……今更ながらわたしはとことん、勝ち負けを競うレースに向いていない性格をしてるのかもしれない。

 

「あっ、確定ランプがついたよ!」

 

興奮したような声が、談話室に響き渡る。

 

テレビの画面は、確定の赤ランプが灯ったターフビジョンを一杯に映し出していた。

 

京都 8R 確定

Ⅰ  4 

Ⅱ  7 ハナ

Ⅲ 10  8

Ⅳ  6 1/2

Ⅴ  8 クビ

 

メインレースの結果を受けて、スタンドからは大歓声が上がっている。

 

勝ったのは、4番のアクサナデイジーさんだった。

 

阪神のときとは対照的に、今度はアクサナデイジーさんがその場で何度も飛び跳ね、小さな体全部を使って喜びを爆発させた。

 

微差で敗れたリーチヨハンナさんは前回のアクサナデイジーさんのようにターフにうずくまって泣き崩れるようなことはしなかったものの……可愛い系の顔をまるで般若のように歪めて脚元の芝を二度、三度と蹴り飛ばしている。

 

あふれる悔しさを隠し切ることができないでいる彼女に、あわてて飛んできた係員が注意しているようだ。

 

リーチヨハンナさんのああいった態度は、決して褒められたものじゃない。

だけどテレビに映し出されているその様子を見て、非難めいた視線をそちらへ向けているウマ娘は一人もいなかった。

 

レースに身をやつしているウマ娘なら、ああなってしまう彼女の気持ちは誰だって共感できるからだ。

 

『勝ったのはアクサナデイジー、アクサナデイジーです! 見事なレースぶりで阪神ジャンプステークスでの借りを返しました! いや~、これで障害界は群雄割拠の様相を呈してきて本当に面白くなってきましたね!』

 

実況アナが隣りに座っている解説者に、実況のハイテンションそのままに話しかける。

 

『そうですね。ここ2戦本当にいいレースを見せてくれたアクサナデイジーにリーチヨハンナ、絶対王者のグランアンネリーゼは言うに及ばず、東京ハイジャンプで彼女を破ったヒシミラクルの娘、エルサミラクルとまさに百花繚乱といった感じですね』

 

わたしの名前がテレビで出た途端、談話室にいるウマ娘の視線すべてがわたしの方へ集中する。

 

えっ……え~っと。

こういう場合、なんか言ったほうがいいのかな?

 

確かに面白くなってきたね、とか、見てる方は勝手なこと言ってくれるねぇ、とか……。

 

そんな感じで内心焦りまくっていると、いつの間にかキョウコがすぐ近くまで来ていて、クイクイとわたしの袖を引っ張った。

 

「すごくいいレースでしたね。じゃあ部屋に戻りましょうか、エルサ先輩。将棋トレーニングやるんで、一局教えて下さいよ」

 

わたしがキョウコに将棋で教えられることなんて、あるはずもない。

キョウコはわたしに恥をかかせないように、こうして助け舟を出してくれたのだ。

 

「あ、うん。もちろんいいよ。じゃあわたしは部屋に戻るね~」

 

キョウコの急なお誘いに、みんな呆気にとられている。

わたしはそんな彼女たちに軽く手を振りながら、二人で談話室をあとにした。

 

「助かったよ、キョウコ。ありがとう」

「いえいえ。ああいう時ってなにをどう言っていいもんか、なかなか難しいですよね」

「いや、ホントに。立場が人を作る、なんていうけど、人が作られる前にわたしの胃が壊れそうだよ……」

 

そんなことを言いながらわたしがお腹をさすると、キョウコは苦笑しながら首を縦に振った。

 

「人からの期待ってありがたいもんではありますけど、どうしてもそれが重荷に感じてしまうことってありますよね」

 

幼い頃からプロを意識するぐらい将棋が強かったキョウコは、きっといろいろな人の期待を背負って生きてきたはず。

そんなプレッシャーの中で、どのようにして将棋の勉強や対局を続けてきたのだろう。

 

「ねぇ、キョウコ。キョウコって小さい頃からプロを目指そうって考えるぐらい、将棋が強かったんでしょう? 親とか周りの大人たちも『いつかはプロ棋士に』みたいな感じですごく期待してると思うんだけど、どういうふうにそんな周囲の人たちの期待に対処してきたの?」

「ん? う~ん、そうですね……」

 

わたしの質問に、彼女は少し考え込む。

 

「私の経験って結局はレースの世界と無関係なことですからねぇ。私の話が何の参考にもならないとまでは言いませんけど、やっぱりレースのことはトレーナーさんに相談したほうがいいんじゃないでしょうか? きっとエルサ先輩のお母様や、過去に担当されていたウマ娘も同じようなことで悩まれたこともあったでしょうし。トレーナーさんもそういう相談に乗ったり、指導なさったりしたこともあると思いますよ」

 

キョウコはそう言って上目遣いにわたしの目を覗き込みながら、にっこりと微笑んだ。

 

……しまった。

 

いくら普段は親しくしていると言っても、先輩相手に自分の経験を滔々(とうとう)と語るなんてことはやりにくいに決まってる。

キョウコにはどうやら、いらない気遣いをさせてしまったらしい。

これは完全に、キョウコに甘えて聞いたわたしが悪かった。

 

「ごめん、変なこと聞いちゃったね。明日のトレーニング前にでもトレーナーにちょっと相談してみるよ」

「それがいいと思いますよ。さ、エルサ先輩。部屋に戻って将棋一局教えて下さいな」

 

そう言いながらキョウコはわたしの背中をグイグイと押してくる。

いや、将棋を指すのはいいだけど。

 

「後輩に飛車角落とされてる先輩が、一体何を教えればいいんですかね……」

「え~と、そうですね。勝利の喜びとか?」

「それ、わたしが負ける前提になってない!? ってか飛車角落としてる相手に勝って、上手って嬉しいもんなの?」

「はい。最近エルサ先輩と指す時は指導将棋じゃなくて、2枚落ちの真剣勝負だと思って指してますから。勝ったらそれなりに嬉しいもんですよ」

「最近全然勝てないと思ってたら、そうだったんだ……」

 

近ごろ『なにもそこまで追撃しなくても……』という手を指されて負けることが多かったのだが、その謎がきれいに氷解した。

そりゃお稽古と真剣じゃ、指す手が全然違ってくるよねぇ。

 

そんなやり取りをしているうちに、キョウコへの罪悪感と立場からくるプレッシャーが少し軽くなっていくのを感じていた。

 

*

 

翌朝、トレーナーはいつもと同じようにダートコースの前でわたしを待ってくれていた。

 

「おはよう、トレーナー」

「おう、おはよう。じゃあ今日も早速始めていくか」

「あ、ちょっと待って」

 

朝の挨拶もそこそこに、コースのスタート地点に向かって歩き始めたトレーナーを呼び止める。

 

「? どうした」

「実はトレーナーにちょっと相談したいことがあってさ……」

 

振り返ってくれたトレーナーに、わたしはステークスウィナーらしい振る舞いや周囲の期待への応え方、それらからくるプレッシャーへの対応なんかをお母さんにどう指導していたのかを端的に聞いてみた。

 

「ふむ。ミラ子に指導していた、重賞を勝ったウマ娘の振る舞い方や周りから与えられるプレッシャーへの対処方法か」

 

わたしの質問を受けたトレーナーは、少し困ったかのように片眉を上げてあごに手を当てる。

 

「うん。そういうことをトレーナーはお母さんにどう指導していたのかなって」

「……そういや、ミラ子にはそんなこと教えなかったな」

「えっ、そうなの?」

 

トレーナーから返ってきた答えは、意外なものだった。

 

「ああ。若さゆえと言うか……あの頃は周囲の期待や立場とか、それにステークスウィナーの権威なんかもくだらないものだと決めつけていたんだ。それに、ミラ子にはいつもミラ子らしくいてほしいって気持ちもあったしな」

「じゃあなんで、わたしには『ステークスウィナーらしい振る舞いや言動を心がけるように』なんてことを言うわけ?」

 

腕を組んで訝しげな視線を向けるわたしの目をまっすぐ見ながら、トレーナーは続けた。

 

「……それはな。レースファンや取材してくれるマスコミたちといった、レースに打ち込むウマ娘を支えてくれる人、ひいてはトゥインクルシリーズというレースの世界のためだ」

「ファンの人や記者さんたち、それにレースの世界のため?」

 

トレーナーの言葉を反芻(はんすう)しながら首を傾げるわたしに、トレーナーは小さくうなずいた。

 

「そうだ。ステークスウィナーには、そういった人たちが期待する『らしさ』を見せるという役割があると俺は思う。そういう【らしい】立ち振る舞いが、ファンたちや記者たちに『このウマ娘をもっと応援したい』『この娘のことをもっと世間に知ってほしい』という気持ちにさせるんだ。その思いが、レース界全体の盛り上がりにつながる。ファンの応援や記者の取材なしに、この興行は成り立たないからな」

「それはそうかもしれないけど……じゃあどうして、お母さんにはそのことを言わなかったの?」

 

わたしのささやかな疑問に、トレーナーはかすかに苦々しい表情を浮かべた。

 

「駆け出しだった俺は、そのことをまるで理解していなかったんだよ。ウマ娘はその娘らしくレースを走って結果を出していればそれでいい。そんなふうに考えてしまっていたんだ」

「それじゃダメなの?」

「もちろんダメってわけじゃないが、それだけじゃそのウマ娘の魅力や、ウマ娘のパーソナリティが生み出すレースの面白さのすべてをみんなに伝えることは難しいんだ。例えるなら……そうだな。良い野菜はそのまま食べてももちろん美味いが、素晴らしいシェフの作ったドレッシングを掛けて食べたほうがより美味しく、味わい深くなるだろう。ステークスウィナーらしい振る舞いというのは、そのウマ娘の魅力を際立たせる調味料みたいなもの、と考えてほしい」

 

う~ん……。

わかったような、わからないような……。

 

「じゃあファンやマスコミの前ではいつも、みんなが求める『理想のステークスウィナー』を演じ続けなければいけないってこと?」

「それもまた違う。例えば生徒会長のシンボリライザのように、周囲にGⅠウマ娘らしい威厳を感じさせながらも謙虚に振る舞え、とエルサに言っても無理があるだろう?」

「ムリムリ、絶対無理!」

 

シンボリライザさんはシンボリルドルフさんの娘で、現職の生徒会長だ。

彼女は偉大なる母と同じようにGⅠをいくつも制していて、学園においては生徒会長としての辣腕を振るっている。

そういった忙しい日々の中でも、彼女はマスコミへの対応やファンサービスなどにも余念がない。

 

ふつーなわたしが、そんな完璧超人のマネなんてできるわけがない。

 

「そうだろう。だから普段通りの言動に少しの味付け……記者からの質問に少しだけ前向きなことを答えてみるとか、落ち込んでいたり悩んだりしている普段は声をかけないウマ娘たちに希望が持てそうなことを言ってやるとか、そういうことからでいい。そのうち『エルサらしいステークスウィナーの振る舞い』ってものが身についてくるはずだ」

「ふ~む……そういうものですか」

 

正直、トレーナーがわたしに伝えようとしていることがどれだけ理解できているか、自分でもわからない。

でも、取材してくれる記者さんたちにちょっと高い目標を言ったり、元気のない娘たちを励ますことぐらいのことならできそうだ。

 

「わかった。無理のない範囲でわたしなりに意識してみるよ」

「ああ、今はそれでいい。あと現実的な話をしておくなら、そういった振る舞いは結局は自分のキャリアのためになる」

 

キャリアのため?

ステークスウィナーらしい振る舞いが、わたしの進路にどう関係してくるのだろう。

 

「というと?」

「周囲の評価ってのは、意外とバカにできないものだ。『人への対応が丁寧』『後輩を引っ張っていくリーダーシップがある』って周りから思われていると、進路を選ぶ際にも色々と有利なことが多い」

「なるほど。それだと確かに大学に進学するとき、推薦の調査書にいいこと書いてもらえそうだよね」

「進学の際もそうだし、この学園から就職するつもりならやはり『ステークスウィナーらしい振る舞い』をしていた、ということはプラスに働くぞ。『あの重賞勝ってる娘ウチに来てほしいって考えてるんだけど、どんな感じの娘なの?』と、トレーナーや記者たちから情報収集している経営者も少なくないからな」

 

あ~、それで年が明けて3月ぐらいまでの間にスーツを着た、ちょっと威厳のある大人を見かけることが多いのか。

 

「その人たちはきっと、雇おうとしているウマ娘の人となりを調べているんだろうね」

「そういうことだ。いくら重賞を勝っていても目上の人との接し方がなってないとか、挨拶もろくにできないとかでは、勤めてから本人も上司も困るだろうからな」

「確かに。もしわたしが雇う立場だったら、やっぱりしっかり人とコミュニケーション取れる人を雇いたいと思うかな」

 

そうだろう、とお父さんは首を縦に振る。

 

「まぁミラ子に関して言うなら、当時から意外と普通に世渡り上手だったから、そのへんの心配はしてなかったんだが……。それでもGⅠウマ娘らしい振る舞い方を当時の俺がしっかり指導できていたら、あいつは今以上にファンの記憶に残るウマ娘になっていたかもしれないし、もっといい進路に進めていたかもしれない。そのことを思うとな……」

 

お父さんは少し表情を曇らせて、まだ薄暗い西の空に視線を向けた。

その先が、お母さんがGⅠを3つ勝ったレース場のある方角だったのは偶然だったのだろうか。

 

「トレーナーがその時のお母さんにどう指導していればよかったか、なんてわたしにはわからないけどさ」

 

そんな前置きをして、わたしは笑う。

 

「現役時代のお母さんは、本当にたくさんのファンたちから愛されたウマ娘だったわけだし。それに家でのお母さんを見てると、なんだかんだで今の生活に満足してそうな感じはするよ」

「……そうか。そうだといいんだがな」

 

そう言うお父さんは、めったに見せない柔らかい微笑みを浮かべていた。

 

「それにしても、エルサに励まされる日が来るとはなぁ。時の流れは早いものだ。この前までランドセル背負っていて、中学生の時には『わたしの服とお父さんの下着を一緒に洗濯しないでよ!』とか言ってたエルサが……。こうやって子どもってのは、ちょっとずつ大人になっていくんだろうな」

 

なんだそれ。

この前まで『大人になれば時の流れの速さの残酷さが分かる』みたいなこと言って、わたしのことを子供扱いしていたくせに。

 

「なに急に感慨深げに変なこと言ってるの。なんなの? もうすぐお花畑に行くの?」

 

わたしのブラッククエスチョンに、お父さんは苦笑する。

 

「バカ言うな。最低でもお前の花嫁姿を見るまでは死ねんよ。もしお前が結婚してウマ娘を授かるようなことがあれば、その娘のデビュー戦を見るぐらいまでは生きながらえるつもりでいるぞ」

「そんな野望があるなら、しばらく元気でいてくれてそうだね。でも結婚しようと思ったら、その前に彼氏作って恋愛しないとなぁ」

 

わたしが冗談っぽく言うと、お父さんの顔が面白いぐらい思い切りひん曲がった。

 

「なに? 彼氏? そんな存在は許さんぞ。そんなものを俺の前につれてきてみろ。空き缶鳴らして地獄の果てまで追いかけて、血の池プールに追い落としてやる」

 

お父さんが空き缶を鳴らしながら、わたしの彼氏を追いかけている。

もう、そのあり(よう)がすでに地獄なのではないだろうか。

 

「……それだとわたし、ウマ娘を授かろうと思えば処女懐妊しないといけないわけですが。思い切り言葉が矛盾していませんかね?」

 

わたしの鋭い指摘を、お父さんはどうあっても受け入れるつもりはないらしい。

 

「とにかく彼氏を作るなんてバカなマネは絶対許さん。バカなこと言ってないで、さっさとトレーニング始めるぞ」

 

バカなことを言っているのはお父さんのような気がしたけど、ここで口論してもわたしの脚が速くならないということだけは確実だ。

カシコイわたしはうん、だけと返事して、ダートコースに脚を踏み入れた。

 

*

 

トレーナーがくれた短期休養明けの、月曜日の早朝。

吹き付けてくる師走のからっ風を全身に受けて、わたしは思わず身を震わせた。

 

「ううっ、寒っ……」

 

12月に入ってから、朝の冷え込みが一層厳しくなったように感じる。

お休みの間、暖房の効いた暖かい場所にいることが多かったせいでよけいそう思うのかもしれない。

 

いくらウマ娘が寒さに強いからといって、冬場の(特に冷え込む朝晩の)トレーニングがへっちゃらというわけじゃない。

特に朝起きたときの『今日はトレーニングに行きたくねぇ……このまま二度寝してぇ』の誘惑の強さは異常で、それに打ち勝つことは重賞を勝ったわたしでも容易ではない。

 

かと言ってその国際GⅠの二度寝誘惑ステークスに毎回負けて、実際にトレーニングをサボるわけにもいかない。

今年は……年末にJ・GⅠの中山大障害という大目標が控えているのだから。

 

冬のトレーニングがどんなに辛くとも、目標を持つとがんばりたくなるのは人の習性のようなもの。

今日はいつもの練習の前に、障害のトレーニングコースで自主トレをするつもりで早起きしてきたのだ。

 

雪にも夏の暑さにも負けぬ(雪は降ってないけど)丈夫な身体を持って、しっかりトレーニングしないとなぁ、なんて宮沢賢治の心持ちで目的地に向かって歩いていると、10人以上のウマ娘が集まっているのが目に入ってきた。

 

遠目に見た感じ、集まっている娘たちはみんな障害レースをメインにしているウマ娘のようだ。

 

ここにたくさんのジャンパーが集合しているのは、かなり珍しい。

障害レースを走っているウマ娘といっても毎日ハードルを跳ぶ練習をしているわけではなく、普段は坂路やダートなどの平地の練習コースでトレーニングするものだからだ。

 

その中にはアクサナデイジーさんにリーチヨハンナさんといった、ジャンプ重賞の常連も混じっている。

 

彼女たちの様子を見るに、どう見てもみんなで集まって楽しくおしゃべりしている、という雰囲気じゃない。

 

「おはよう。どうしたの、みんな集まって」

「あっ、エルサミラクルさん!」

 

わたしが声をかけると、普段礼儀正しいアクサナデイジーさんが朝の挨拶もすっ飛ばしてこわばった声で返事してくれる。

 

緊張しているのは、彼女の声ばかりではない。

リーチヨハンナさんは困惑したような表情で地面をじーっと見ているし、集まっているウマ娘達も動揺しているのを隠せない様子だ。

 

どうやら、わたしの休養中になにかあったらしい。

 

「みんな結構深刻な顔して……なにかあったの?」

「エルサミラクルさんは聞いてないんですか?」

 

そう言われても数日ぶりにトレーニング場へ顔を出したわたしが、なにかを聞いていたり知っていたりするわけもない。

彼女の逆質問に、わたしはただ首を縦に振るしかなかった。

 

「その、土曜日ぐらいから噂になっていたんですが……グランアンネリーゼさんが学園から失踪して、担当のトレーナーさんもグランアンネリーゼさんを探すために学園から姿を消したそうですよ!」

 




いつもご愛読ありがとうございます。
長文の読了、お疲れさまでした。

いつもは読んでくださった方々の読後感を損ないたくないので、あとがきは書かないようにしているのですが……今回はどうしてもみなさまにお伝えしたいことがあったので、蛇足を承知でこうして書かせていただいている次第です。

この度、お気に入り登録してくださった方々が300を超え、自己最高記録を更新しました!
まことにありがとうございます!

好きで書いているだけとはいえ、やはり読者の皆様のお気に入り登録や感想はとても励みになります。

これからも精一杯エルサたちの物語を紡ぎたいと思っていますので、引き続き応援していただけると嬉しいです。
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