福島レース場から合宿所へ戻ってくると、もう薄暗い談話室にルームメイトで友人のルージュが待ってくれていた。
「おかえり、エルサ。初勝利、おめでとう!」
「ありがとう。おかげさまで、なんとか勝てました」
祝辞の返礼を返すと、ルージュは得意げに笑ってうんうんとうなずく。
「これでお互いプレオープンの立場になったわね。どちらが早くオープンに上がれるか、競争よ。負けないんだから!」
そう宣言してルージュはソファーから立ち上がると、わたしを指さして負けん気をあらわにする。
う~ん。
わたしをライバルだと思ってくれているのは嬉しいんだけど……。
「……その。なんて言ったらいいのかな……」
「? なによ、じれったいわね。言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ。今さらなにかを遠慮するような間柄じゃないでしょ?」
それはそうなんだけど、やっぱりウマ娘ってのは勝負事、特にレースのことが絡むとどうしてもセンシティブになってしまうものなのである。
なにせわたしたちは、自分の存在意義と人生を懸けてレースを走っているのだから。
「あのね。障害って平地とシステムが違うから、未勝利から脱出すると一応オープンウマ娘って扱いになるんだよね……」
「えっ!? なにそれ、ずるくない?」
案の定というか、人並み以上に負けず嫌いの気性を持つルージュは眉を吊り上げながら、彼女の中に生じた素直な疑問をわたしにぶつけてくる。
しかし、ずるいとわたしに言われても、制度がそうなっているんだから仕方ない。
「いやまあ、システムが違うから一概に平地のオープンの娘とは比べられないし……。そうだね、ボードゲームで例えたら、囲碁の強い人と将棋の強い人とどっちがスゴい?みたいな話で、比べること自体に意味がないと思うよ」
うまい例えだったかどうかはわからないが、障害と平地だったら、ジャンル的にそれぐらいの違いはあると思う。
障害と平地は同じようにレース場を走るというだけで、ほとんど違う競技といっていい。
「う~ん……そんなものかしら。ま、でも同じ一勝ウマ娘であることには変わらないし。それならどちらが早く2勝目を上げるか、勝負よ!」
ウマ娘というのは、これぐらいの上昇志向があって負けん気が強いほうが大成するという。
一回のレースの勝った負けたが人生を左右する世界なのだから、人を押しのけてでも、というタイプが成功しやすいのは当然と言えば当然である。
でも、こういうタイプが友人だと、少ししんどいなと思ってしまうことがあるのも正直なところだった。
特にわたしはルージュほど闘争心が激しいタイプではないから、なおのことそう感じるのかもしれない。
彼女のお母様のダイワスカーレットさんとウオッカさんが
「うん。まぁお手柔らかに……」
「なんだか覇気がないわねぇ。そんなんじゃアタシが先に二勝目をあげて重賞勝っちゃうわよ?」
根は本当に良い娘だし、ちょっと本音でモノを言い過ぎるところはあるにせよ、それは彼女がピュアな心の持ち主がゆえ、ということもわたしは知っている。
でもレース場以外ではもう少し、その競争心を控えめにしてくれたらなぁ、と思わないでもない。
「そうなったらわたしは、心からルージュをお祝いするよ。あ、そうそう。これ、福島のおみやげ」
わたしは苦笑しながら、ルージュへのおみやげが入った紙袋を差し出して話を打ち切るダシに使うことにする。
「えっ、ありがとう! 開けていい?」
「どうぞどうぞ」
さっきまでの闘争心はどこへやら、ルージュはゴキゲンにわたしからお土産を受け取ると、ソファーに座り直した。
そうして意外に丁寧な手つきで紙袋から二つのお土産を取り出すと、ガサガサと小さい方の包装紙からめくっていく。
「あっ、これ赤ベコってやつよね。なんだか小さくて可愛いわ!」
ミニサイズの赤ベコを手のひらに乗せ、キラキラとした大きな瞳で物珍しげに見つめた。
「福島の名産品で、ミニ赤ベコっていうらしいよ。普通サイズのもあったんだけど、そっちのほうが飾りやすいかなって」
「たしかにそうね! でも、なんで赤ベコって赤いのかしら? ベコっていうのが牛って意味なのは知ってるんだけど、牛のビジュアルって白地に黒い模様があるってイメージだわ」
牛にもたくさん種類がいるけれど、わたしたちが牛と聞いて真っ先に想像するのは、北海道にたくさんいてそうな乳牛(ホルスタイン)だ。
あか牛って種類の牛さんもいるけど、それでも赤ベコほどまっかっか、というわけではない。
全然関係ないけど、北海道って聞くとなぜか郷愁の思いに駆られるのは、どうしてなんだろう。
いつぞやにクラスでそんな話になったことがあって、北海道を想起させるものに出会うと、ノスタルジー的な感覚にとらわれるウマ娘はどうやらわたしだけではないらしい。
話を赤ベコに戻そう。
「あ~、それはね……パンフレットに書いてあったことの要約みたいになっちゃうんだけどね。昔、福島で大災害があって、そのせいでお寺が倒壊してしまったんだって。そのお寺を修繕するための木材を運ぶのに牛が使役されたんだけど、そのさなかにたくさんの牛が死んでしまったらしいんだ」
「へぇ……なんだか、悲しいいわれがあるのね」
手の中の赤ベコを見つめながら、ルージュが少し声を詰まらせた。
うん。
彼女は共感性が高くて、人と喜びや悲しみを分かち合える優しい娘なのだ。
それにわたしのような、決してトークや説明がうまいわけでもない人の話でも、きちんと最後まで聞いてくれる。
そういう彼女だからこそ、負けず嫌い過ぎて多少疲れる一面があったとしても、いい友だちでいられるのだ。
「でもそんな状況でも最後まで働いてくれた牛さんもいて、その牛さんが赤かったことから赤ベコって呼んでその子を敬愛したそうだよ。その言い伝えにあやかって『忍耐強く壮健であれ』って願いを込めて、赤ベコが作られるようになったみたい」
「なるほど。民芸品一つにも、深いお話があるものなのね」
ルージュは赤ベコの伝説に感銘を受けたようで、さながら赤ベコのように首を縦に振ると、手の中にあったそれをそっとテーブルに置いた。
「それにね、赤ベコの胴体に丸い模様があるでしょ」
「ああ、このグリ丸みたいなやつ?」
いや、赤ベコの胴体はレース専門誌の予想欄じゃないんだから。
よほどのレースバカでも、その発想はなかなか出てこないだろう。
どうやらこの娘は、骨の髄までレースを走るウマ娘らしい。
「まぁその例えはウマ娘らしくていいんだけど……。それはともかく、その斑点は疫病から治った傷跡を表現しているらしくてね。赤ベコには無病息災、疫病退散の願いも込められているそうだよ」
そう言ってわたしも、ルージュとおそろいのミニ赤ベコをバッグの中から取り出した。
「あっ、あなたも同じものを買ったのね」
「うん。勝つことももちろん大事だけど、無事是名ウマ娘って言葉があるぐらい、長く健康で走れるってことは大切だとわたしは思う。だからお守り代わりに、わたしも買っちゃったんだ」
もちろん先の赤ベコ伝説にあやかって、レースとトレーニングを忍耐強くがんばれますように、って思いもあったけど……。
それと同じぐらい、もしくはそれ以上にルージュもわたしも、ケガも病気もせず壮健に走り続けられますように、という願いを込めて同じ赤ベコを買ってきたのだ。
「なんていうのかしら。エルサって優しすぎるっていうか、勝負に対して甘い所あるわよね」
ちょっと照れながら赤ベコを見せたわたしに、ルージュは少し呆れたような苦笑いを浮かべた。
「……そうかな」
まぁ確かにルージュや彼女のお母様ほど、レースというものにシビアに取り組めていないのは自覚している。
「でもアタシ、エルサのそういう優しいところ、とても好きだわ!」
こうもまっすぐ、相手に対して好意を向けられるというのもこの娘の大きな長所だと思う。
「……うん、ありがとう」
わたしも、ルージュのそんなところが好きだった。
「それに甘いのなら甘いまま、トップ取っちゃえばいいし。そうなったら、すごくかっこいいと思わない?」
「甘いなら、甘いまま……か」
なるほど。
レースがそんな甘い世界かどうかはともかくとして、それはそれで一つの考え方である。
GⅠを3つ勝っているうちのお母さんだって、レースやライバルに対してそんなむちゃくちゃメラメラだった、ってわけじゃないしね。
ルージュは何気なく言っただけかもしれないが、そのマインドはわたしにぴったりかもしれない。
モノの見方と言い方がストレートなせいだろうか、彼女がなんの気なしに言った言葉の中には、すっと心に染み渡ってくるものも少なくないのだ。
「で、もう一つのお土産は……羊羹ファンタジア? 名前もそうだけど、なんだか包装紙のイラストも幻想的ね」
感心しているわたしの様子に気づくこともなく、彼女はもうひとつのおみやげの包装紙に
「でしょ? 有名なお菓子で見た目も綺麗だし、しかも美味しいらしいから買ってきたんだ。賞味期限も2ヶ月ぐらいあって結構持つから、ゆっくり味わって食べてみてよ」
羊羹は賞味期限が長くて、お土産向きのお菓子だ。
……もしもらった人があまり羊羹が好きでなくても、他の人にあげやすいという利点もある。
所属しているクラスタに一人か二人は、羊羹好き、和菓子好きはいるものだから。
羊羹ファンタジアは地味に見えがちな羊羹らしくなく、ビジュアルも華やかで、目でも楽しみながら食べることができると思う。
「じゃあ今から少し、食べちゃいましょうか」
「えっ、この時間に!? 太っちゃわない?」
絵を破かないように包装紙を開きながら、ルージュがアスリートらしからぬ事を言い出した。
談話室に備え付けてある壁掛け時計に目をやると、もう10時を回っている。
こんな寝る前に甘いものを食べるのは、アスリートじゃなくてもまずい気がする。
「大丈夫大丈夫。今は合宿中で激しいトレーニングしてるんだから、これぐらいのカロリーあっという間に消費しちゃうわ。というより、むしろ少しぐらいカロリー補給しておいたほうが、きつい練習にも耐えられるってものよ」
「そうかなぁ……」
そうかも……。
ちょっと我田引水っぽい言い訳な気もするけど、この罪悪感を明日のトレーニングのモチベーションに変えれば、結局自分のためになるよね、うん。
「そうそう、きっとそうよ。じゃあキッチンを拝借して……ちょっと季節外れだけど、お茶請けが羊羹だったらやっぱり飲み物は熱い緑茶よね。エルサも緑茶でいい?」
「もちろんそれでいいけど……あ、わたしも手伝うよ」
「いいわよ、レースのあとで疲れているでしょ。ここで待ってて」
そういや、遠慮することも大事だけど、人からの厚意をきちんと受け取るのも礼儀のうち、なんてお母さんに教わったなぁ。
どこまで遠慮して、どこからは受け取ってよいのかまでは教わっていないけど、それは実社会の中で学べってことなんだろう。
「そう言ってくれるなら、お願いしていい?」
レース後のわたしに気を使ってくれている友人からの厚意を、母の教えに従って素直に受け取らせてもらうことにする。
そう言うわたしにルージュは大きな瞳でウインクすると、羊羹ファンタジアを手にキッチンへ向かった。
*
初めての夏合宿は、思っていたものよりかなり厳しいものだった。
なんせ、基本的にトレーニングは炎天下で行われるのである。
特に超巨大タイヤ引きは地獄の苦しみで、真夏の太陽の下、自分の体重の何倍もタイヤを引かされるというハードすぎる練習に『ひょっとしてわたしはトレーナーにいじめられてるのではないか?』という疑問を、最後まで払拭することはできなかった。
しかもタイヤの上にデン、と座っているトレーナーに『スピード落ちてるぞ!』『もっと根性出せ!』とかメガホンで怒鳴られまくるのである。
このご時世に、こんな時代錯誤なトレーニングがはたして許されるのだろうか。
これなら水の中にいる分、苦手な水泳のほうがまだマシだった。
あ、ちなみにクロールはなんとか形になって、みんなの前で高速犬かきをしてスタミナを鍛えるという羞恥プレイは回避することができた。
ただ、トレーナー曰く『もう少し早く泳げないとプールトレーニングの効果が薄れるから、学園に戻ってからもしっかり練習するぞ』とのこと。
確かに他の娘と比べると、わたしのクロールの速度は明らかに遅いからなぁ……。
でもせっかくクロールで泳げるようになったことだし、トレーニングでいい成果を出せるぐらいまではがんばりたいと思う。
そんな感じで合宿中は色々な練習メニューを頑張ったけど、わたしが主に取り組んだのはスタミナと根性を強化するトレーニングだった。
前走の未勝利戦のように、障害競走は毎回、最低でも3000M近い距離を走る。
JGⅠの中山グランドジャンプなどは、なんと4100Mの超長距離で行われるマラソンレースである。
そんな大レースにわたしが出走できるようになるかは別にして、障害競走特有の長距離に適応するための持久力の強化は必須だった。
それに、背の高い障害物に立ち向かったり、長い距離を走り切るための精神力を身につけることも重要だ。
どんなにスタミナがあったとしても、設置されている様々な障害が恐怖のせいで飛べなかったり、疲れ果ててしまったときにもうひと踏ん張りが利く根性がなければ、障害で勝つことはできない。
その根性を鍛えるためのトレーニングに有効とされているのが、あの超巨大タイヤ引きだったりする。
タイヤ引きを始める前に、トレーナーからはなぜそのトレーニングが必要なのか、超巨大タイヤ引きという練習にはどんな効果があるのか、しっかりとレクチャーされていた。
トレーナー曰く、練習前に効果を理解して取り組んでいる競技者とそうでない競技者とは、スポーツ心理学の研究において、トレーニングの成果に有意な差がつくことが分かっているらしい。
当然、トレーニングの効果を理解してそれに取り組んでいる方が、良い結果が出やすいってわけだ。
しかし、そうしてトレーナーの説明を受けて頭で理屈を理解していても、キツいものはどうやったってキツい。
超巨大タイヤ引きが予定に入っている日は、朝から憂鬱で仕方なかった。
わたしは練習が終わったあとの食事はしっかり摂りたいと思うタイプのウマ娘であったが、超巨大タイヤ引きを行った日の夕食だけは、ほとんど口にすることができなかったぐらいである。
それぐらい、心身が参ってしまうのだ。
かといって、サボるわけにもいかない。
これぐらいのトレーニングで音を上げているようでは、これから先、厳しいトゥインクルシリーズで戦っていけるわけがない。
『みんなやっていることだ』『あのトレーニングが終わったあとのスポーツドリンクは世界一うまいんだから、それを楽しみにがんばろう』と、自分を励ましながら、なんとかあの地獄を乗り切ったのだった。
*
冷房が効いた合宿所から出ると、まだまだ夏らしい強い陽射しと、肌にまとわりつくような熱気が感じられた。
2ヶ月間お世話になったこの合宿所とも、今日でしばしのお別れである。
「俺が子どもの時は、8月の終わりにはもう秋の気配を感じられたものだったがなぁ」
この合宿中にすっかり日焼けしたトレーナーが、太陽光を遮るように掲げた手で庇を作りながらそんなことをぼやく。
「そうなの? 毎年9月が終わるぐらいまでは、なんだかんだ暑いって言ってる気がするけど」
「お前ぐらいの歳の子たちは、そういう季節感覚かもな。特にここ15年ぐらいで、すっかり気候が変わってしまった気がするよ」
「ふ~ん」
高等部のわたしに、ここ15年ほどの気候変動が実感できるわけもない。
わたしは生返事をしながら、ここへ来たときより軽く感じられる荷物を持ち直した。
荷物が軽くなったのは、合宿中に中身が減ったからというわけじゃなくて、この夏のハードトレーニングのおかげでしっかりと全身の筋肉が鍛えられたからだ。
体型もいい意味で一回り大きくなり(ホントだからね!?)、練習は厳しかったが、充実した夏合宿だったと思う。
「エルサ、この夏はよくがんばったな。秋からはオープンウマ娘として本格的に活動していくぞ。オープンに出てくる娘達は、未勝利戦とはまたレベルが違う。これからが本番だと思って、トレーニングに一層励むようにな」
そうだ。
オープンに出てくるようなウマ娘は、少なくとも未勝利という壁を突破してきている娘ばかりのはずだ。
……未勝利戦のときのように、まったくやる気がなくて、まともにトレーニングもしないまま出走してくるなんて娘は、きっと一人もいなくなる。
「もちろん。むしろ、その本番が楽しみなぐらいだよ」
わたしの強がりにトレーナーはどう思ったのか、いつものように無表情でうむ、とうなずくと、「じゃあ、学園でな」とだけ言って、トレーナー専用のバス乗り場へ足を向けた。