わたしの問いかけに、ユイトくんはなんとも言えない難しい顔をして小さく笑った。
「あ~……見ないこともないんだけど。その、気を悪くしたらごめん。やっぱり、平地に比べるとレース数が少ないから、見る機会があまりなくて……」
彼は精一杯、気を使ってくれたのだと思う。
わたしはレースファンにこんな気遣いをさせるような質問をしてしまったことを、少し後悔した。
「障害競走って一日に1レースあるかないかだから、それは仕方ないよね……。札幌と函館じゃ、そもそも障害自体やってないし」
「そうなんだ……。あっ、そうそう。障害だとグランアンネリーゼって娘がすごく強いってのは聞いたことあるよ」
「グランアンネリーゼさんは知ってるんだ。彼女はすでにJ・GⅠを4勝してる、名ジャンパーだよ」
「そんな凄いウマ娘だったんだ! その娘の戦歴を知らなかった、というのはファンとしてちょっと恥ずかしいな……」
そう言いながら、彼は頬のあたりを右手の人差し指でポリポリと掻く。
障害競走にあまり興味のない人でも名前を知っているあたり、やっぱりグランアンネリーゼさんは超一流のウマ娘なんだと改めて思った。
例えば、将棋や将棋界のことがまったくわからない人でも、藤井聡太って知ってる?と聞かれれば『将棋のプロ』『将棋がすごく強い人』ってぐらいは答えられるはずだ。
そのジャンルに詳しくない人でも、名前を聞けばどんなことをしているかぐらいは思い出せる。
超一流って、そういうことだとわたしは思う。
「それにさ、わたしからするとグランアンネリーゼさんは天上人って感じなんだけど、障害デビューする前に『障害は厳しい世界だけど、お互い頑張りましょうね』って優しく声かけてもらって、すごく嬉しかったよ。こういうデキた人が自分のクラスタのトップにいると、なんだかそれだけでちょっと誇らしく思ってしまうよね」
「それはわかる。ただの願望だけど、ファンからしても自分が応援してるジャンルの第一人者には、やっぱり人格者であってほしいと思うもんなぁ」
そういうと彼は腕を組んで、ウンウン、とうなずいた。
「あっ、だからメジロラムさんよりライザ会長を推してる感じ?」
「いや、別にそれだけじゃないけど……言われてみれば、そういう一面もあるかな」
メジロラムよりシンボリライザを推しているような人は、きっと彼のように考える人が多いのだと思う。
その道の一流=人格者であってほしいと願うのは、人の本能というか、ほとんどバイアスみたいなものだろう。
ライザ会長やグランアンネリーゼさんみたいに、人格も素晴らしくて実績も超一流なんて人は珍しい……とまでは言わないにせよ、思っているほど数は多くない。
実際わたしも、人としてどうなの? という振る舞いをするGⅠを勝っているウマ娘やトレーナーを、それなりに知っているしね。
それからはグランアンネリーゼさん以外の障害界の強豪のことを話したり、普段ウマ娘がどんなトレーニングをしてどんな食事をしているのか、とかを聞かれたりして、会話が結構盛り上がった。
「聞いていると障害の世界も結構面白そうだね。せっかく障害競走を走ってるエルサミラクルさんと知り合えたことだし、これを機会に見てみることにするよ」
「ぜひぜひ! 障害の飛越の綺麗さとか、障害競走独特の長い距離を走った末の、ラストストレートの粘り合いとかは絶対見ごたえあると思うから」
これがセールストークであることには違いなかったけど、わたしの心からのオススメポイントであったことも確かだ。
「エルサミラクルさんのおかげで、またひとつレース観戦の楽しみ方が増えたよ。あ、そうだ。URAのアプリに、エルサミラクルさんのこと推しウマ娘に登録しておいてもいい?」
そう言いながら彼は、ポケットからスマホを取り出した。
URAはファンが様々な形でレースを楽しめるように公式からアプリを配信しており、そのアプリの一つの機能が【推しウマ娘登録】である。
推しウマ娘にはトレセン学園に所属しているウマ娘なら、まだデビューしていない未出走の娘からGⅠウマ娘まで、すべてのウマ娘を登録することができる。
公式アプリに推しているウマ娘を登録しておけば、その娘が出走するレースを事前にお知らせしてくれたり、結果を通知してくれたりするのだ。
「もちろん、いいよ。この先もしわたしが勝ったりしたら、イイね押してくれると嬉しいな」
推しウマ娘には送られてきた結果にイイねを押したり、一言応援コメントなどを送信したりできるようになっているのだ。
他のSNSと同じで別にそれがどうした、というわけでもないんだけど、自分に注目してくれている人がいる、応援してくれている人がいる、と思えるだけでも力になるものだ。
「了解。応援してるから、がんばってね」
彼がスマホを操作すると、ピコン! と音が鳴った。
きっとわたしを推しウマ娘に登録してくれたのだろう。
「……エルサ。盛り上がってるとこ申し訳ないんだけど、そろそろ出ないと門限間に合わないかも」
なんだかわたしのことばかり話してしまったし、今度はこちらからユイトくんのことを聞こうかな、なんて考えていたら、隣に座っているイングリッドが小声で教えてくれた。
お店の壁掛け時計に目をやると、確かもういい時間になっている。
もう少し彼とお話していたかったけど、今日はどうやらここまでのようだ。
わたしたちはみんなに門限のことを説明して、今日の合コンをお開きにしてもらうことにしたのだった。
*
こうして思ったより楽しい時間が過ごせた合コンも終わり(会計は全部男の子たちが持ってくれた)、今日集まったみんなで連絡先を交換し合おう、ということになった。
正直一度会っただけの人、それも男の子に自分の連絡先を知られてしまうということに忌避感みたいなものがなかったわけじゃない。
でもこの流れで『今日ちょっと話しただけの男子に連絡先を知られるのは嫌なので、お断りします』とはさすがに言えなかった。
それに『こいつら、絶対わたしに連絡してくる気だよね』と思うのも、なんだか自意識過剰な気がする。
「じゃあアタシたちはこのあとカラオケ行くけど……ユイトくんはほんとに帰るん?」
ミサさんに聞かれた彼は、小さく頷いた。
「お誘いは嬉しいんだけど、このあと少し用事があって。今日は楽しかったよ。みんな、ありがとう」
それだけ言うとユイトくんは手を振りながら、駅前のバス停の方へ行ってしまった。
ファミレスではわたしたちのような外部の人間もいたから、普段のカーストの圧力もある程度は緩和されていたのだろうと思う。
でも今からは校外の人がミサさんだけ、しかもその彼女がカースト一軍のハルトくんの友人ともなると、ユイトくんとしてはそんな場所には一緒に行きづらく感じて、帰ってしまったんじゃないかな。
帰ろうとするユイトくんを、ハルトくんも今日の合コンに誘ったはずのリクくんも、引き止めるようなことはしなかった。
ハルトくんとリクくんでは引き止めなかった理由は違うのだろうなと、わたしは思ったけど、ホントのところはわからない。
「そんなら、今日はほぼ解散ってことで。エルサさん、今日は楽しかったよ。来てくれてありがとね」
「あ、うん。わたしも楽しかった。呼んでくれて、ありがとう」
最初にミサさんの服装を見て、しかも制服のことをツッコまれたときは失礼ながらあんまり仲良くなれそうにないな、なんて思ってしまったものだけど。
でも言葉の距離感さえ気にしなければ、彼女は気遣いができて気さくに友だち付き合いできそうなタイプで、また遊びたい相手だと思えた。
「イングリッドも、エルサさん連れてきてくれてサンキュな。またウマスタのDMにでも連絡するわ」
「それじゃな」
「今日は楽しかったよん。リッドちん、エルサちん、またね~」
三者から三様の別れの言葉を受け取ったイングリッドとわたしは、ふたりで手を振りながら繁華街へ消える三人を見送った。
「……ミサ、多分今日はどっちかの男の子と朝帰りになりそうな感じね」
「えっ?」
その瞬間、わたしはイングリッドが何を言っているか、分からなかった。
しかし、わたしもそっち方面に無知蒙昧というわけじゃない。
彼女が言ったことの意味を理解した瞬間、顔が火照ってくるのと同時に、嫌悪感に似たような何かが胸の内からわき出てくるのを、抑えることができなかった。
「でも確か、ミサさん彼氏いるって……」
「あのコ、男遊びが激しいタイプだから。中学の時はそんなことなかったんだけど」
どうしたわけか、イングリッドは少しせつなそうな視線を3人が消えていった繁華街に向けている。
「ミサね。ああ見えて、A女子高校に通っているのよ」
「A女子高校!? マジで!?」
A女子高校といえばB女学院、C女子学園と並んで高偏差値で知られている、女子御三家と呼ばれる名門高校である。
学歴だけで言えば、トレセン学園なんかよりよっぽどのエリート高校だ。
ほんと、人は見かけによらないな……。
ってことは男子たちにわたし達を紹介した時の『この娘達はアタシよりよっぽどエリート』ってのは、イヤミというか、マウント取りだったのか。
「あ、勘違いしないであげてね。あのコが私たちを【エリート】って持ち上げてくれたのは、本心だったと思うわ」
考えていたことが顔に出ていたのか、イングリッドはそんなフォローを入れてくる。
「いやでも。A女子高校通ってる子に言われても、イヤミにしか聞こえないよ」
「そう言いたくなる気持ちもわかるけど。でもミサからすると、A女子高校は単なる滑り止めでしかなかったのよ」
「は? A女子高校が滑り止め? 彼女、一体ほんとはどこの高校行きたかったの? 海外の高校とか?」
留学の夢が叶わなかったばかりに、通える範囲にある高い偏差値の学校へ進学する、というのは秀才にありがちな話ではある。
「ミサが本当に行きたかった学校はね。私たちの通う、日本ウマ娘トレーニングセンター学園だったの。『トレセン学園に通って、尊敬するエアグルーヴさんのようにオークスで勝利する』。それがあのコの、小さい頃からの夢だったから」
「……そうだったんだ」
なるほど。
ミサさんがわたしたちを持ち上げてくれた理由が、なんとなくわかってきた。
彼女は本当は学力などではなく、ウマ娘としての実力で進路を勝ち取り、敬愛しているというエアグルーヴさんと同じように、トリプルティアラへ挑戦したかったのだろう。
「ミサはね、中学に進学するときもトレセン学園中等部を受験したんだけど、残念ながら不合格だったのよ。その時はもう泣いて泣いて、『中学生の間、学校にいる時間と寝ている時間以外は全部トレーニングに使う!』って息巻いてね。でもあのコの親はそれを許さなかった。ミサは小学校の時からむちゃくちゃ勉強ができたからね。やっぱり勉強ができるならそれなりの高校、大学に進学させて、娘には安定した人生を送らせてやりたい、と親御さんが考えるのは当然だと思うわ」
う~む。
わたしなんかはあまり勉強はできる方ではなかったし、走りに関してはもちろん小さいときからそれなりの努力はしてきたつもりだけど、トレセン学園に進学したのは、進路を決める時にたまたま合格水準のタイムを叩き出せたから、ということも大きい。
「そんなことがあったんだね。それで?」
わたしはイングリッドの話を傾聴しながら頷き、話の続きを促した。
……つい数ヶ月ほど前に平地競走という王道から叩き出されていたわたしにとって、ミサさんのその話が他人事とは思えなかったのだ。
「それでも夢を諦めきれなかったミサは、テストの順位が学年5位以下から陥落したらレースを辞めるって条件で走り続けたの。私たちが通っていた中学はそれなりの進学校でもあったから、レースクラブに通いながら勉強も手を抜かずに頑張るっていうのは、本当に大変だったと思うわ。テスト前なんかはたぶん、5時間も寝てなかったんじゃないかしら」
それは、壮絶な話だった。
わたしも一応レースクラブに通わせてもらってたけど、将来【プロ】を目指す養成所的な場所であるだけに、中学生といえども課されるトレーニングはそれなりにハードだ。
そんな厳しいトレーニングを続けながら、勉強も進学校の学年トップクラスを維持できるようにがんばっていたというのは、彼女がそれだけレースに対して本気だったということだろう。
「私もミサと同じレースクラブに通ってたけど、あのコは私よりよっぽど熱心にトレーニングに取り組んでたわ。というより、クラブにいる誰よりも練習時間を長く取ってたし、練習量も多かったと思う。……でも、ダメだった。トレセン学園に合格したのは、死ぬ気でがんばったミサじゃなくて、それなりにやっていた私だったり、他のクラブ生だったりしたわ」
努力と才能というのものは、残酷だ。
努力は普通に嘘をつくし、持って生まれた才能がその努力に応えてくれるとは限らない。
ウマ娘がレースの世界に挑む、ということは、その現実とイヤというほど向き合うということなのだ。
「トレセン学園から不合格通知が来たとき、ミサは泣かなかったわ。というより、もう感情が死んでたんだと思う。軽く笑って『ま、仕方ないね』って肩をすくめただけだった。それからも私とミサの付き合い自体は変わらなかったんだけど、あのコ、女子校に進学したのにすぐ彼氏ができてね」
「まぁ、恋人ができる人って男子校とか女子校とか関係なくできるっていうよね」
ほぼ女子校みたいなところに通っているわたしとしては、耳の痛い話ではある。
「もちろんその時はおめでとう、って言ったんだけど、それをきっかけにしてあのコの異性関係はどんどん乱れていったわ。最初はそれとなく注意というか、そういうの良くないと思う、みたいなことは言ってたんだけどね。私の余計なお世話に、ミサはヘラヘラ笑ってるだけだったわ。そんなミサに正直、ちょっとムカついてた時期もあった」
恋愛は個人の自由とはいえ、友人のあまりに奔放な異性交友を知ってしまったら、ひとこと言いたくのは当然だろう。
「でもね。ある時不意に『アンタはいいよね。男以外に夢中になれることがあるんだから』って言われて、はっと気づいた。ミサの男遊びはあのコなりの挫折との戦い方、叶わなかった夢との折り合いのつけ方なんだって。それに気づいた瞬間、もう私からは何も言えなくなっちゃって」
ミサさんに言ったら怒るかもしれないけど、わたしには人が聞いたら眉をひそめるほど恋愛やセックスにのめり込んでしまった彼女の気持ちが、多少なりとも理解できた。
わたしもお母さんと同じように、菊花賞や天皇賞といった平地のGⅠの舞台に立って勝利したいという夢を、小さい頃から10年以上追いかけていたのだから。
それにわたしだって、もしトレーナーが障害競走という道を示してくれていなかったら、もう二度と夢を叶えられないという現実から目を背けるために、なにかに異常なほどのめり込んでいたかもしれない。
ミサさんの場合、それがたまたま異性だったというだけだ。
自分の心に抱えた挫折は、誰かにどうにかしてもらえるものではない。
わたしのように周りの人が道を示してくれたり、助言をくれたりすることはあるけど、自分の中にある挫折感だけは、なんとかして自分なりに折り合いをつけるしかないのだ。
夢を追いかけるという行為は美談にされがちだが、夢を追うリスク、そのために支払う代償といううものは、確実に存在するのである。
「ごめん、ちょっと余計なこと話しすぎたわね。次の電車乗り遅れたら、本当に門限に間に合わないわ。急ぎましょう」
イングリッドが聞かせてくれた話は、わたしにとって決して余計なことではなかった。
ミサさんのようなことは、ウマ娘がレースを走っている限り誰にでも起こり得ることなのだ。
今は障害競走の未勝利を脱出して前途が明るそうに見えるわたしも、いつかまた大きな挫折や失敗を経験する時が来るかもしれない。
そんなとき、今聞いた話は『挫折や失敗でつらい思いをしているのは、自分だけではないのだ』とわたしを奮い立たせてくれると思う。
そう考えられたとしても現実が変わるわけではないのだが、少なくとも【辛くてかわいそうな自分】から視線を変えることはできるだろう。
貴重な話を聞かせてくれてありがとう、というのもなんか違う気がしたわたしは、イングリッドの言葉に無言でうなずいて、改札口へと急いだのだった。