ミラ子の娘。   作:宮川 宗介

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第九話

人生初合コンの翌日。

 

別に合コンに出席したからといって人生や生活がガラッと変わるわけでもなく、わたしは今日も早朝から朝練に勤しみ、1時間目の授業の準備をしていた。

 

昨夜合コンから帰ると同室のルージュはまだ起きていて、『合コンってどんなことしてきたのよ。教えなさいよ』と聞かれたんだよね。

なのでふつーに飯食って集まった人たちで喋って終わり、みたいなことを言うと、せっかく説明してあげたのに『え、それだけ? つまんないわね』で一蹴されてしまった。

 

一体、どんな話を期待されていたんだか。

 

1時間目は英語か。

あんま好きじゃないんだよねぇ……。

 

でも授業中当てられても困るから、うろ覚えの英単語でもちょっと見直しておきますか、とノートを見開いたところで後ろからぽむ、と肩を叩かれた。

 

「おはよ、エルサ。昨日はお疲れ」

「おはよう、イングリッド。昨日はお疲れ~」

 

いつものように挨拶をしに来てくれたのは、イングリッドだった。

 

「昨日は付き合ってくれてありがとね。どうだった?」

「ああ、うん。思ってたより、ずっと楽しかったよ」

「それはよかったわ。じゃあこれからも機会があれば誘っていい? ミサもエルサのこと気に入ったみたいで、また今度一緒に遊びたいって言っててさ」

 

イングリッドのお誘いに、わたしは苦笑いをしながら首を横に振った。

 

「ごめん。ミサさんと遊ぶのはオッケーだけど、合コンはしばらくもういいかな」

「えっ? やっぱり、そんなに楽しくなかった感じ?」

「いや、逆」

 

わたしはそう言って、英語のノートをそっと閉じる。

 

「昨日さ、男の子たちとお話したの、すっごく楽しかったんだよね。最初はちょっとヤな感じなヤツだなー、って思ってたハルトくんも、話してみるとすごくいい子だったし。トレセン学園にいるとなかなか異性とお話する機会ってないから、余計に楽しかったんだと思う」

 

レースを走っているということ以外、わたしたちウマ娘も、普通の女の子と何も変わらない。

面倒な女同士の付き合いもあるし、恋愛だってしたいし、エッチなことにだって興味もある。

 

ただ、今は恋や性的なことよりも大切なことに打ち込んでいる、というだけなのだ。

 

「こんな楽しいこと、何回もやってたらハマっちゃいそうでさ。そうしてるうちに彼氏なんかできちゃったら……きっとわたしは、トレーニングにもレースにも力が入らなくなる。わたしって不器用な方だからさ、恋とレースの両立なんて絶対にできないと思うんだ」

 

わたしはなにかに熱中してしまうと、それ以外が見えなくなるタイプだ。

 

そのことを自覚しているからこそ、意図的に趣味らしい趣味も作ってこなかった。

 

なにか趣味を持ってしまったら、そちらに力を注いでしまってレースとトレーニングをおろそかにしてしまいそうだったから。

 

そんなわたしが恋愛なんかしてしまったら、もうトレーニングどころではないに決まってる。

レースとデートが重なったときでさえ、レースを放棄してデートの方を優先してしまうかもしれない。

 

そうなってしまう未来が容易に想像できたし……レースを蔑ろにする自分は嫌いになりそうだから、ここはきちんと断りを入れておくべきだと思った。

 

「そっか。エルサはしっかりと、レースというものに向き合っているのね」

 

うんうん、と頷きながら、イングリッドは自分の席に腰掛ける。

 

「じゃあ、あれね。しばらくはレースが恋人って感じ?」

「いや、さすがにそこまでは言わないけど。レースは友だちって感じかな」

「どこかのスポーツ漫画の主人公みたいなことを言うのね」

 

そう言ってイングリッドは小さく笑った。

この辺はネタが分かっている者同士の呼吸である。

 

「あ~あ、それにしても私ももっと頑張らないと……。この夏のうちにオープンに上がって、できることなら菊花賞か秋華賞へと思っていたけど、結局プレオープン卒業できなかったのよね」

 

彼女は席につくと、頬杖をついてため息をついた。

 

「確かに、惜しいレースが続いてただけに残念だったね」

 

イングリッドは合宿中も積極的に昇級に挑戦しており、7月に1回、8月に2回プレオープンのレースに出走している。

 

だが結果は残念なことに、3着、2着、3着と善戦までに終わってしまっていた。

 

「レースポイントはそれなりに稼げたから、菊花賞や秋華賞のトライアル重賞には出走できそうなのよ。出走権狙いでクラシック最終戦のトライアル重賞に挑戦するか、堅実に自己条件で走るか、悩ましいところなのよね。トレーナーさんはお前がしたいようにやれって言ってくれてるんだけど」

「そういうことなら、重賞にチャレンジしてみたほうがいいんじゃない?」

 

わたしは今まで、人の進路やレースのローテーションに口を挟んだことは一度もない。

仲間内でこの手の話になったときは『確かに、悩ましいよね~』とか玉虫色のことを言って、その娘に直接自分の考えを言う、ということはしたことがなかった。

 

ウマ娘は走るレースの一戦一戦に、人生を懸けて臨んでいる。

 

言ってみれば人生の一大時に、親でもトレーナーでもないわたしが口を挟むのは、明らかに出過ぎたマネだと思うのだ。

 

そのことを百も承知しつつも思わずそう言ってしまったのは、合コンに参加したことでレースへの思いを再認識できた、ということもあったし……切り替えられたつもりでも、わたし自身、心のどこかに『本当はクラシック競走に出走してみたかった』という気持ちが残っていたからかもしれない。

 

お母さんは菊花賞ウマ娘でもあることだしね。

 

「……どうして、そう思うの?」

 

合コンの話をしていたときと違って、真剣なまなざしでイングリッドは聞いてくる。

わたしの余計な口出しに怒ったというわけではなく、忌憚ない意見を聞きたいといった感じだった。

 

友人の繊細な部分に口出ししたのだ。

いい加減なことは言えない。

わたしは顎に手を当て、少しのあいだ目をつむって自分がなぜそう思ったのか、頭の中で慎重に言葉を選んだ。

 

「重賞に出られるということだけでも貴重な経験だと思うし、クラシック競走に挑戦できるのって一生に一度じゃない? せっかくチャレンジできる機会があったのにやらなかったというのは、それこそ一生後悔する……かどうかはわからないけど、ふと自分の競走人生を振り返った時に『やっぱり挑戦しておけばよかった』って思ってしまう可能性が高いと思うんだ」

 

言葉にすればありきたりなものになってしまったし、言い切る形にできなかったのはどこかに『自分の発言がイングリッドの競走生活に影響を与えてしまう』ということから逃げたい気持ちがあったのには違いない。

 

でもこれは友人に伝えたい、わたしの隠すところのない本音だった。

 

「やらずに後悔するより、やって後悔したほうがいい、って考え方ね。周りから『あの娘の実力と成績で重賞出走とか』って笑われたり、惨敗してほらやっぱりって言われるのが怖かったんだけど、エルサのいうことももっともね……。重賞挑戦、真剣に考えてみることにするわ」

「うん。周りは言うだけでイングリッドの競走生活に何の責任も取ってくれるわけではないし、きっとそうしたほうがいいと思うよ。わたしだって……」

 

言っても詮ないことが口から出る前に、予鈴が鳴ったのは幸いだった。

 

それと同時に担任の先生が教室に入ってきて、朝のホームルームが始まった。

 

*

 

9月も半ばを過ぎたというのに、とにかく暑い。

今日も最高気温は普通に30度を超えていて、蒸し暑かった。

 

ウマ娘は基本的に寒さには強いが、暑さに弱い。

 

もうずいぶん昔のことになるが、熱中症のせいでトレーニング中にウマ娘が亡くなる、という痛ましい事故も起こっている。

 

近年では熱さ対策のために真夏に開催されるレースは時間をずらしたり、休止時間を設けるなどして工夫しているものの、夏の暑さがウマ娘の大敵であることは何も変わっていない。

 

「よーし、おつかれ。とにかく水分を補給して、これを食べろ」

 

二本目の坂路を終えたわたしに、坂の頂上で待っていたトレーナーがペットボトルに入った水と、いくつかの塩タブレットを手渡してくれた。

 

熱中症対策はとにかく水分を補給していればいい、と思われがちであるが、水ばかり摂って体内の水分と塩分のバランスが大きく崩れると、吐き気やめまいに襲われたり、ひどい場合は血圧低下などを引き起こして命の危険にさらされる場合もある。

 

塩のとりすぎは当然体に良くないが、わたしたちウマ娘のトレーニングのように大量に汗をかくようなことをしているときは、ミネラルの摂取が必要不可欠なのである。

 

もらった塩タブレットを口に放り込んでからボリボリと噛み砕き、そして水を一気に体内へ流し込む。

 

それにしたって、タブレットがやたらうまい。

ただの塩味のタブレッドの粒が、どうしてこんなに美味しく感じるのだろう。

 

「……ぷあ~! うめ~。なんでトレーニング中の塩タブレットと水ってこんなに美味しんだろう」

「それだけ体内から水分とミネラルが失われているってことだ。どっちもしっかり補給しておけよ」

「ん、わかった」

 

そう返事してわたしはペットボトルの中に残っていた水を、全部残らず飲み干した。

 

「ところで、タイムの方はどうだった?」

「ああ、悪くはなかったぞ。だが次走のオープン戦に向けて、もう少しタイムを縮めていきたいところだな」

「そうだね」

 

次走はいよいよ、オープン競走に挑戦する。

 

オープンともなれば少なくともわたしと同じようにひとつは勝ち上がってきた娘ばかりで、未勝利戦のときのようにモチベーションの低い娘たちが出走メンバーの半分を占めている、なんてこともないはずだ。

 

当然対戦相手のレベルも相当上がってくるだろうし、わたし自身、もっともっとレベルアップしてく必要がある。

 

「よし、補給が終わったんなら次は障害コースの方へ移るぞ。飛越の練習もしっかりしておかないとな」

 

わたしは平地から転向したばかりで、飛越の経験値という意味では先達に及ぶべくもない。

わたしの飛越は下手くそというほどではないにせよ、まだまだ改善の余地がある。

 

障害物の飛越の巧拙がレース結果に大きな影響を及ぼすのは、言うまでもないだろう。

 

その指示にうなずき、わたしも先に歩き出したトレーナーの後を追った。

 

*

 

10月に入り、残暑もようやく落ち着き始めてきた。

とりわけ新潟県は中部地方の中でも北の方に位置していることもあり、薄手の長袖では少し肌寒いぐらいだ。

 

「って言ってもレースじゃ半袖短パンで走るわけだから、気温を気にしても仕方ないって話なんだけどねぇ」

 

着替え終わってパドックでの顔見世まで時間を持て余していたわたしは、ノートパソコンとにらめっこしているトレーナーに話しかける。

 

今日わたしたちは新潟レース場で行われる10月前期・障害オープン戦に出走するために、東京から遠征してきていた。

 

「まぁウマ娘は寒さに強い娘が多いしな。反対に暑さには弱い娘が多い。今年も酷暑だったが、夏負けしなかったのは幸いだったな」

「だね。それはトレーナーが色々と気を配ってくれてたおかげだと思うよ」

 

せっかくわたしが持ち上げてあげてるのに、このトレーナー兼父親は返事もにこりともせず、ノートパソコンに向き合っているだけだった。

 

こんな感じで、実はお父さんは家の中でもあんまり笑ったり喋ったりしない。

さすがに昭和の頑固親父みたいに『風呂・メシ・寝る』しか言わない、なんてことはなかったけど、決して口数の多い父親ではなかった。

 

わたしが中学生の時、トレセン学園に進路を決めたときも『そうか、がんばれよ』しか言わなかったし、お父さんがわたしを担当するようになったのも、『お前ぐらいのウマ娘だったらスカウトしてくれるトレーナーがいるかわからんから(まぁ、補欠入学だったからそう言われても仕方ないけど)、とりあえず俺が見ることにした』ってわりと淡白な感じだったんだよね。

 

ついでに進学に関していうと、お母さんも『エルサがどんな進路を選んでも、わたしは応援するからね』とだけ言って、わたしの進路に口出しするようなこともなかった。

 

うちの両親は子どものやることに対して、あまり興味のないタイプらしい。

 

別にだからといって父親が嫌いとか、両親に苦手意識があるってわけでもないんだけどね。

 

そんな感じでうちのお父さんは取り立てて話がうまいわけでもないし、イケメンってわけでもない。

たまに、『お母さんはお父さんのどこが良くて結婚したんだろう?』なんて思ってしまう。

 

娘のわたしが言うのもなんであるが、若い頃のお母さんはカワイイ系の顔をした女の子で、きっとそれなりにモテただろう。

 

引く手あまただったかどうか分からないけど、アプローチしてきた男性がお父さんだけだったとは考えにくい。

なにか惹かれるところがあったからこそ、お父さんを結婚相手に選んで一緒になったはずである。

 

……いや、あのお母さんのことだから担当してもらった流れから付き合って、それで『まぁもう長い付き合いだし』みたいな感じで、なんとなく結婚しただけかもしれない。

 

「うむ。今日のレース、注意すべきは前走のオープン戦を勝っているインペリアルダンスと、お前と同じように平地から転向して障害デビュー戦を大差勝ちしているアクサナデイジーだな。特にアクサナデイジーは、平地でもオープンまで勝ち上がった実績のあるウマ娘だ。この娘と直線のスピード勝負になったら厳しいだろうから、障害の飛越で差をつけておきたいところだな」

 

わたしが益体もないことを考えているうちに、どうやら今日出走するレースメンバーの分析が終わったらしい。

こちらに視線をよこしながら、パタン、とノートPCを畳む。

 

「一応わたしは今日4番人気になってるけど、どうだろう。トレーナーから見て、入着ぐらい狙えると思う?」

 

わたしの質問に、トレーナーはそうだな、と言ってうなずいた。

 

「最終追い切りのタイムは悪くなかったし、体の方もそれなりに仕上げたつもりだ。勝ち負けは別にして、掲示板ぐらいまでなら十分あり得ると思うぞ」

 

トレーナーによっては、たとえ勝ち目が薄くてもレース前に『今日のお前なら必ず勝てる!』みたいなことを言ってウマ娘の闘志を鼓舞する人もいるようだけど、うちのトレーナーはあまり楽観的なことは言わない。

 

今の状況をできるだけ客観的に、淡々と伝えてくるタイプのトレーナーだ。

 

お母さんの現役時代の話を聞いていると、昔はお父さんも叱咤激励タイプだったらしいが、キャリアを積んでいく中でなにか心境の変化があったのかもしれない。

 

「じゃあもしわたしが勝ったら、結構な金星だね。今日のレース優勝したらさ、お寿司食べに連れて行ってよ」

 

新潟県といえば日本有数の米どころであり、日本海からもたらされる豊富な海の幸もある。

そんな地域のお寿司、絶対に一度は食べてみたいではないか。

 

「寿司なぁ……」

 

唐突なわたしのおねだりに、トレーナーは顔をしかめた。

 

「わかった。じゃあ、勝ったらな」

「よしっ! トレーナーに二言はないよね?」

「ああ」

 

気のない生返事をしてきたあたり、どうせ勝てっこないに決まってる、と思ってるな。

 

うし、気合が入ったぞ。

今日は初めてのオープン戦だし、オープンクラスのレースの流れと相手のレベルをつかめればそれでいいや、と思ってたけど、保守的に走らずに積極的に攻めていこう。

 

それで大きく負けてしまったら、わたしの力が足りなかった、というだけである。

 

「じゃあ、そろそろパドックへ行くね。勝ったら、お寿司だからねっ!」

「わかったわかった。取らぬ狸の皮算用してる暇があったら、目前のレースに集中しろ」

 

そりゃ正論だ。

トレーナーの指示を受けて、わたしは控室の扉を開けながらひとつ大きく深呼吸をした。

この時ただ息を吸って吐くだけでなく、呼吸とお腹に入ってくる空気に意識を向けるのが集中力を上げるコツである。

 

わたしの体の中に流れ込んできた新潟レース場の風は、もう完全に秋のものだった。

 

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