次回からは一気に原作に入っていきます。
その場の勢いでつい鬼の血肉を喰らい始め、腹が膨れるぐらい満たされた事でふと我に返った時には既に日が昇り始め、鬼は陽の光によって跡形もなく消滅しかけていた。
「あっ……あっ……」
白目を剥き、完全に気を失った様子のまま塵へと姿を変えた鬼の姿を呆然と見つめていたが、やがて固まっていた思考は先程行ってしまった罪深い己の悪行に辿り着く。
いくら腹が減り、鬼の言葉にブチ切れていたとはいえ、鬼の血肉を喰ってしまった自分の行いに強い吐き気と嫌悪感を感じ、思わず胃の中の物を全て吐き出す勢いでその場で嘔吐した。
「うっ……はぁ、はぁ……」
俺はいったいなんてことをしてしまったんだ。鬼を食べるなんて正気じゃない。頭がイカれてるとしか思えない。あんなこと普通ではありえない。あっちゃいけないことだろうに。
俺の中で自責の念がグルグルと渦巻き、思考が上手くまとまらない。
「帰、ろう……」
今はとにかくもう休みたかった。家に帰ってゆっくり寝たかった。
返り血や吐瀉物に塗れた服と身体を近くの川で洗い落とした後、どれだけ嘔吐しても収まらない吐き気を抑えながら、フラフラとする足取りで何とか家へと向かう。
お館様や仲間達になんと言えばいいか……ただその事だけを心の中で思い巡らせながら俺は鬼殺隊へと帰投し───
「あぁ、お帰りなさいませ■■殿!任務ご苦労様です!」
「お疲れ様です■■さん。ちょうど僕らも任務終わりなんですよ」
「おぉ、■■!お前もちょうど帰ったか!それなら飯もまだだろう!一緒に食おう!」
ちょうど任務終わりで鉢合わせた数人の仲間達に出迎えられ、俺は彼らから向けられる信頼を宿した視線に何も言えなくなってしまった。
もしも鬼を喰ってしまった事を彼らに伝えてしまったら、きっと今向けられている信頼は無くなり、代わりに侮蔑や気色の悪い存在を見る目を俺に向けてくるだろう。
そう───それこそ鬼でも見るかのような目で。
「あ、あぁ……お前達もお疲れ様……俺は疲れてるから後で食うわ……」
鬼と同一視されるのが怖くて、真実を告げることが出来なくなった俺は震える声で無難に答えつつ、足早にその場を後にして自分の家へと駆け込んだ。
「うっ、ふぅ……!!」
玄関の戸を荒々しく閉め、そのまま戸にもたれ掛かりズルズルと座り込む。
胸が張り裂けそうなぐらいに苦しい。呼吸が乱れ、涙が止めどなく溢れてくる。
何をどうすればいいかなんて何も分からなくて、ただただ座り込むことしか出来ない自分が余計に惨めで情けなく思えた。
いったいどれだけの時間をそうしていたか。涙も枯れ果て頭もぼーっとして何も考えられなくなった頃、不意にぐぅぐぅと腹の虫が鳴る。
こんな時でも腹を空かせる自分の身体に嫌気を覚えた。あんな事をしでかしたというのに、なぜ腹なんか空くのだと。
「クソッ、なんなんだよ……!」
腹の虫を無視してそのままで居ても、時間が過ぎるにつれてどんどん腹の虫は大きく鳴り、空腹感でしんどくなる己の体に苛立つ。
今は何も食べたくないというのに、身体は何かを食べろと求めてくる。自分の身体なのに自分の思い通りにならないことに余計に腹が立ってくる。
「この───!」
ぐぅぐぅと鳴り続ける腹を黙らせるために拳を振り上げようとした瞬間、トントンと戸を叩かれ俺の身体はビクリとして固まった。
「■■殿居らっしゃいますかー!?」
戸のすぐ外から聞こえてくるのは見知った仲間の声。なんだってこんな時に限って人がやって来るんだ。
「おい、朝からそんな大声を出すな!■■さんがもし寝ていたらどうするんだ!」
「うぐっ……だからと言って朝餉の時間になっても来なかったらさすがに心配だろ?いつもは一番乗りで食堂に来てるのに……それに今日の■■殿は何か様子がおかしかったし」
「それはそうだが……単に任務で疲れてるだけの可能性もあるだろう」
「あの■■が?よっぽどの鬼でもなけりゃ、そりゃありえんだろ。この前なんて隊士を何十人も喰らった鬼をたった1人で滅しておきながら、傷1つ負わなかった所か涼しい顔して疲れた様子すら無かったんだぞ」
戸の外からわぁわぁと聞こえてくる声を耳にしつつ、俺は静かに息を繰り返して気持ちを落ち着かせる。
彼らは俺の事を心配して来てくれただけだ。イラつくな俺、と自分に言い聞かせながら立ち上がり、顔が見られない程度に戸を少しだけ開ける。
「おはよう……」
「あ、おはようございます■■殿!朝餉の時間になっても食堂に居らっしゃらなかったので心配して様子を見に来ました!」
「すみません■■さん、僕は疲れてるだろうからって止めたんですけどコイツがどうしてもと言うので仕方なく……」
「おいおい、嘘はいかんぞ。お前も朝餉の時間になっても来ない■■の事を心配そうにしてたじゃないか。だからこうして様子を見に来るのにも自分から着いてきただろ?」
「なっ、それは───!!」
目の前で当人をほったらかして和気藹々と騒ぐ仲間達に、俺はただ苦笑するしかなかった。
「はは……それは心配をかけてしまったな。ちょっと任務で疲れただけだから気にしなくていい。少し休んだら自分で何か勝手に食べるさ」
本当の事を伝える勇気を持てず、俺は咄嗟に適当な嘘をついた。
「そうでしたか、すみません■■さん……ほら、僕の言った通りだったじゃないか」
「うっ……お休み中の所を邪魔して申し訳ございません■■殿」
「すまんな■■、お前も人間ならばそりゃ疲れる時もあるわな……」
俺の嘘を信じ、疑おうともせず言葉通りのまま受け入れた仲間達の様子に俺は内心ホッとしたものの、彼らから向けられる全幅の信頼を裏切っていることに対して胸が締め付けられるように痛かった。
「いや、大丈夫だ……要件がそれだけならもういいか?」
「あ、でしたら一応これをどうぞ!■■殿の分のおにぎりを持ってきましたので、腹が空きましたらお食べ下さい!」
「あぁ、ありがとう。後で食べるよ」
そう言って1人の仲間が持っていたおにぎりの入った包みを戸の隙間から手を出して受け取ると、彼らは直ぐに俺の家から立ち去って行った。
その後ろ姿を見送った後、俺は戸を閉めて自分の部屋へと入る。
「はぁ……」
何とかやり過ごせたという安心感。仲間に隠し事をしている罪悪感。色んな感情がごちゃ混ぜになって複雑になっている心を表すかのように、自然と重たい溜め息が口から出た。
「……どうするべきか」
鬼を喰ってしまった事。それをお館様や仲間に伝えるべきか否か。
……本当ならば伝えるべきなのだろう。だが、伝えようにも身体が震えてしまう。
「俺は……」
いったいどうすればいいんだ。答えの見えない自問自答にただただ時間ばかりが過ぎていく。
「……とりあえず飯だけでも食べるか」
思考は全然固まらず、食欲もさほどある訳ではないが、俺のことを心配して仲間達が態々持ってきた飯を食わない訳にもいかず、俺は包みを開けおにぎりを頬張り───気付く。
「米が……美味くない」
昨日まであんなに美味いと思っていた飯。それが何も美味くない。それ所かむしろ不味くまである。
「……これならあの鬼の方がよほど───」
そこまで呟き、ハッと我に返る。
「俺は今……何を言おうとした……?」
震える俺の手から、食いかけのおにぎりが床へと転がった。
◆◆◆
「『鬼喰い』……それが貴方の名だと?」
「あぁ、昔はもっと違う名でも呼ばれていたが、1番呼ばれていた名はそれだ」
木格子を挟んで向かい合う私と『鬼喰い』。跪き、目線を私と合わせながら『鬼喰い』はさっきまでの丁寧な口調とは打って代わり、ぶっきらぼうな口調で話す。恐らくこれが『鬼喰い』の本来の口調なのだろう。
「『鬼喰い』、貴方は何故ここに囚われて居る?先程の母と貴方の話、それが真実とするならば異形と成っても鬼を倒そうとする貴方は紛れもなく鬼殺隊の
何故こんな所に幽閉されているのか。そう問いかける私に『鬼喰い』は優しく微笑んだ。
「あぁ、どの代であってもお館様はお優しい……こんな姿に成り果てた俺を見ても、何百年経とうと鬼殺隊の一員であると認めてくださる」
そう呟く『鬼喰い』の顔はとても嬉しそうであり、けれど悲しさを滲ませた瞳をしていた。
「お館様、俺は囚われているのではありません。ここには自らの意思で入ったのです」
「何だって……?」
何を思ってか先程のように畏まって語る『鬼喰い』の言葉を聞き、思わず母の方を見上げれば、母は静かに頷き肯定した。
「俺がこの場に居る理由は大きく分けて3つあります。まず1つ目は俺が鬼のような化け物の見た目をしていることで鬼と勘違いされ、他の鬼殺隊の隊士から狙われる危険性を減らし、隊の和を乱さないようにするため」
指を1つ立たせてそう語る『鬼喰い』。確かに人に近い姿をしてるとは言え、2本の角が生えている姿は紛うことなき異形。そんな姿をしていては鬼と間違えられてもおかしくなかった。
「2つ目は俺が鬼舞辻無惨に狙われていること。鬼を喰らう事で化け物に成り果てたせいなのか、何故か俺は鬼と違って陽の光を浴びても消滅しません。そのためか、鬼舞辻無惨から俺は太陽を克服した鬼と思われているらしく、何百年とこの身を狙われており、過去一度だけ奴と対峙したことがあります」
「何だって!?」
『鬼喰い』から語られた2つ目の理由。それはとんでもない爆弾だった。
その話が本当ならば、『鬼喰い』は鬼殺隊にとって鬼舞辻無惨に繋がる唯一の手がかりになるだろう。失う訳には決していかない。
……あぁ、だから産屋敷家は代々『鬼喰い』の存在を秘匿し、引き継いできたのだと、この時理解した。
「そして最期の3つ目ですが───」
最後の理由を『鬼喰い』が語ろうとした瞬間、まるで時が止まったかのように『鬼喰い』の動きが止まった。
「『鬼喰い』……?」
「耀哉様!いけませんッ!!」
突然動きを止めた『鬼喰い』の様子に心配し、1歩木格子の方へ近付いた私を母が慌てて引き戻そうとした瞬間───『鬼喰い』の身体から陽炎のように揺らめく青白い光が溢れ出す。
「うっ、ぐっ……!」
「なっ、『鬼喰い』!?」
動きを止めたかと思えば今度は突然苦しみ出した『鬼喰い』の様子に私が驚くと同時に、母が私の身体を掴み『鬼喰い』から距離を取った。
「母上、『鬼喰い』に何が!?」
突然の事態に驚き困惑する私の言葉に母は何も答えることなく、汗を一筋頬に伝わらせながらも鋭い視線を『鬼喰い』へと向けていた。
「ふぅ……ふぅ……!」
何が起きているのかさっぱり理解出来ない中、暫くすると『鬼喰い』の身体から出ていた青白い光は『鬼喰い』の身体の中へと戻るようにして消え去り、『鬼喰い』は荒い息を吐いて深呼吸を繰り返す。
「ふぅ……失礼しました、お館様。先程見えた青白い光こそが、俺がこの場所に居る最後の理由であり、最大の理由でございます」
「えっ……?」
先程『鬼喰い』の身体から溢れ出た青白い光。鬼舞辻無惨に狙われていることよりも何故それの方が大きいのか。その答えは直ぐに齎された。
「鬼を沢山喰らった故か、俺は異能の鬼が持つ力を有しております。それこそが先程の青白い光であり───その光に触れた物は何であろうと溶けて無くなります」
『鬼喰い』が語った内容に私は絶句するしか無かった。
人を多く喰らい、力を身につけた鬼が異能の力を得ることは知っていたが、それにしたって『鬼喰い』のような強力な異能は聞いたことが無かった。
「そして困ったことに、その光は俺の任意で使う使わないを選ぶことが出来ないのです。勝手に我が身から溢れ出ようとし、周囲全てを灼き尽くそうとする。今でこそこうして抑えることは出来るようになりましたが、それも限界はあります」
そう言って申し訳なさそうに頭を下げる『鬼喰い』に、私は何故母がここに来る時に顔を強ばらせてたのか理解した。
『鬼喰い』に近付くということは、それ即ちいつ爆発するかも分からない爆弾に近付くことと同義なのだ。それでは顔を強ばらせるのも当然と言えた。
「つまりです、俺は鬼舞辻無惨に狙われており、外に出ればこの見た目も相俟って他の鬼殺隊の隊士の和を乱しかねない所か、むしろ逆に丸ごと灼き尽くしかねない危険性を秘めている物騒な存在ということです」
簡潔に分かりやすく話をまとめた『鬼喰い』は、諦観を多分に含んだ笑みを浮かべていた。
「だからこそ、歴代のお館様は皆俺の境遇に悲しみながらも、鬼舞辻無惨を討ち取るための武器としてこの場所に秘匿される事を選びました。俺を撒き餌とすることで鬼舞辻無惨を釣り、そしてノコノコとやって来た鬼舞辻無惨を俺の異能で以てして灼き尽くし、呪いの因果を断つことで鬼に襲われる無辜の人々を救う。そう───」
───全ては悪鬼滅殺のため。その為に俺はこの身を尽くす。
そう言って話を締めくくった『鬼喰い』に、私は何と言うべきか言葉が見つからなかった。
『鬼喰い』は……とても優しい
何百年もこの地下に1人で暮らし、気が狂うこともなく、顔も知らぬ鬼殺隊の隊士の事や無辜の人々の事を思いやり、ただ悪鬼滅殺を信条にこれまで生きてきたのだろう。
その覚悟、その献身……700年近くも色褪せず変わらぬその心が、どれほど凄く、美しいことか。
「ありがとう、『鬼喰い』。貴方のような素晴らしい
自然と口に出たのは『鬼喰い』への感謝の言葉。ずっと鬼殺隊へと仕えてきてくれた『鬼喰い』にはそう伝えるべきだと、頭ではなく心でそう思ったのだ。
「いえ、俺はお館様からそのようなお褒めの言葉を頂ける者ではありません。むしろ、長い月日を掛けておきながら未だ自身の異能を掌握しきれていない未熟者です。俺がこの異能を掌握することで、いつでも作戦を行動に移して鬼舞辻無惨を灼き尽くす事が出来るというのに……」
恥じ入るように顔を伏せ、強く拳を握りしめる『鬼喰い』に、思わず私は身を捩って母の手から抜け出し、木格子へと駆け寄る。
「耀哉様!」
「私がッ!!」
私の身を引き戻そうとする母を押し留めるのと共に、この優しい
「貴方と共に戦える鬼殺隊を作る!!貴方だけに頼らず、鍛え上げた皆の力で鬼舞辻無惨を討つ!!」
それが出来るかどうかは分からない。荒唐無稽なのかもしれない。だからこそ、これは宣誓である。
「───貴方を独りで戦わせないッ!!」
息を大きく吸い込み、これまでの人生で一度も出したことの無いような大声でそう叫ぶ。
『鬼喰い』1人に任せるのではなく、共に戦い、悪鬼滅殺を成す。それこそが私の全てを掛けて成すべきことであり、使命なのだと。
「ふはっ、く、くく、クカカカカカカ!!」
最初、私の言葉を聞いた『鬼喰い』はポカンとした顔で呆けて居たが、暫く経つと吹き出すようにして突然大きな声で笑い始めた。
「クク……あ〜失礼。そんな事を言ってきたお館様は初めてだったもんで、ついつい笑ってしまったぜ」
目に涙を浮かべ、可笑しくって仕方がないと言わんばかりに笑みを浮かべる『鬼喰い』の口調は本来の元へと戻っていた。
「ありがとう、今代の産屋敷当主よ。俺はアンタの事が気に入った。歴代のお館様と違って優しいだけじゃねぇ、立派な芯が1本ちゃんと通った良い漢だ。アンタにならこの身だけでなく、俺の魂すら預けられる」
『鬼喰い』の中で何が琴線に触れたのかは分からない。だが、それでも私の言葉が『鬼喰い』の心に届いた事は理解出来た。
「今代の産屋敷当主、アンタの名を知りたい。是非とも教えちゃくれねぇか?」
「あぁ、良いとも。私の名は耀哉。産屋敷家九十七代目当主、産屋敷耀哉だ」
「耀哉……アンタに似合った良い名だ」
そう言って心からの笑みを浮かべる『鬼喰い』の顔を、私は忘れることは無いだろう。
あの救われたと言わんばかりの笑みを。