何とも気が重い朝だ。
いつも通りの時間に、いつも通りのルートで学校へ向かうリューリ。しかし、内心では緊張と不安を取り繕うことができていない。
無理もないと、自分で思う。何せ昨日は、ヨウコに告白したのだから。それも時期尚早に、およそ「良い」とは言えない形で。
――リューリにとって……私はどんな人なのかな
ヨウコには、掛けられなかった言葉を言えた。それだけで十分だったけれど、ヨウコはそうではなかったらしい。あんな質問をされて、あんな状況で、嘘や誤魔化しを重ねるのはもう自分でできなかった。故に、理性を振り切って告白したのだから、全面的にリューリの責任である。誰も責められたものではない。
だからこそ、だ。
「やっちまったなぁ……」
雲交じりの青空を見上げてぼやく。
告白したことで、ほんの少しだけ胸のつかえは取れた。しかし、それ以上の後悔が心に押し寄せている。
ヨウコに言った通り、自分にとって初めての恋は今だ。だから、好意を持ったうえで「好き」と言った相手はヨウコが最初である。しかし、当のヨウコはメンタルが本調子とは言えなかったはずだ。そんな状態で告白してしまうなんて、弱みに付け入るような感じがしてならない。拘りに拘って告白するタイミングを逃してしまうのはともかく、それにしたって雰囲気というものは必要だろう。
「まあ過ぎたことはしょうがないか……」
考え事が頭の中に浮かびすぎて、独り言が自然に出てくる。近くにいたカラスが濁った鳴き声を上げて飛び去って行った。
どんな形であれ、告白はしてしまった。もう後戻りはできない。
そして、ヨウコは「必ず返事をする」と言ってくれた。彼女の性格的に、このままなあなあな形でなかったことにするつもりはないだろう。
返事がイエスだろうとノーだろうと、リューリは受け止める所存である。勿論、願わくばイエスであってほしいが、全てはヨウコ次第だ。ノーだったとしても責められないし、その際はひたすら泣き寝入りする予定だった。
そんな風に、後悔と浮足立った気持ちを抱えつつ、学校に到着する。
「……おはよ、リューリ」
そして教室に入れば、中には既にヨウコが席に着いていた。他のクラスメイトは、珍しいことにまだ誰も来ていない。
「……おはよう」
昨日告白した相手から挨拶をされるという、初めてであり奇妙な感覚。それに少し驚きながらも、リューリは挨拶を返して自分の席に座る。そして作業的に、学生鞄から教科書と筆箱を取り出して机に仕舞うが、周りに誰もいない以上、自分の動作全てが見られてはいないかと不安な気持ちにもなった。
そして、荷物の入れ替えが全て終わったところで。
「リューリ」
ヨウコの方から、話しかけてきた。
視線を向けてみる。昨日みたく落ち込んでいる様子はない。告白を受けての動揺も、一見しただけでは出ていないと見える。
「昨日のことなんだけど……」
背筋が自然と伸びる。
まさか、このタイミングで
だが、ここで「待った」は男が廃る。だからこそ、頷く。次に来る言葉を待ち、慎重に、冷静に判断をしなくては。
「……今週末、返事がしたい」
日付指定。その日に、行動に移すという宣言。律儀なヨウコらしい気がした。
「それで、次の日曜は学園艦が寄港するんだけど……」
「?」
そこでヨウコが、言葉を迷いだす。てっきり、用事は返事の宣言だけかと思ったから、こちらも困惑してしまう。
「……よければ、リューリと一緒に出掛けたい」
「へ」
そしてついに出てきた言葉は、外出の誘いだった。
「デート」と喜ぶことはできないが。
「いや、何か外せない用事があるとかだったら、それを優先してくれていいから。返事はまた――」
「いいや、大丈夫。空いているよ」
もともと、次の日曜が寄港日なんて事実は、完全に頭からすっぽ抜けていたのだ。予定なんてものも立っていない。完全なフリーだからこそ、ヨウコの申し出は快諾する。
「……じゃあ、その日お願い。詳しい話はまた、伝えるから」
「ああ」
話が一旦まとまったところで、別のクラスメイトが登校してきた。いいタイミングと言える。
そして、こうして話をしたことで、昨日よりもヨウコの調子は戻ってきたのだと感じた。それこそ昨日は、話しかけるのも憚られるほどに、目に見えて落ち込んでいたのだから。
だから、告白の返事がどう転ぶかはともかくとして、落ち込みから抜け出したヨウコを見ると、少しだけリューリも安心することができたのだ。
◆ ◇ ◇ ◇
それから寄港日の休日が来るまでの時間は、長く感じた気がする。1日の時間が伸びたわけでもないのに。
そう思ってしまうのは、その日に出掛けることが楽しみだから。
そして、その日がある意味で自分の人生の分岐点とも言えるから。
予め用意したものは忘れずに。ドアの前で身なりを整えて、鏡を3回ほどチェックし、外へ足を踏み出す。木々の合間から見える空は、晴れていた。出かけるには申し分ない。
学園艦は夜のうちに寄港したらしい。また、今回寄港したのはかなり規模が大きい港らしく、普段の継続高校からは聞こえないような街の喧騒がかすかに聞こえた。クラスメイトの誰かが、港町の違いを知りたくて寄港したらほぼ必ず街へ繰り出すと言っていた気がする。多分、こういう喧噪はどこも同じではないから、それを確かめるために出歩くのだろう。
さて、待ち合わせ場所は学園艦内ではない。艦を降りてすぐの場所にある、ターミナルビルの1階。寄港地とそこにあるターミナルの情報は、事前に学校の掲示板に貼り出されるため、検索ツールに乏しい継続高校でもすぐ分かる。
待ち合わせをそこに選んだのは、待ち合わせ場所として目立つから、だけではない。校内で自分たちの様子を誰かに見られたら困るからだ。自分はもちろん、相手もそうだろう。
やきもきしながら待ち合わせ場所に着く。先に待っている人はいなかった。流石に少し早すぎたかな、と時計を見てからしばらく待つことにする。暇つぶしの道具は持ち合わせていないが、目を閉じて心を落ち着かせることにした。
「おはよう」
そして、そこまでの時間を置かずに、声を掛けられた。
その人を見て。
「……おはよう、リューリ」
何となく、ヨウコはほっとした。
こちらに歩み寄るリューリからは、若干の緊張こそ感じられるものの、ぎくしゃくした感じはない。
ヨウコにとっても初めてのことだらけになるだろうこの日が、ぎこちないスタートでは心もとない。それに、妙な距離があっては伝えたいことも伝えられなくなる。
「ごめん、待たせた」
「いや、私の方が早く来すぎただけだから。リューリは時間通りだよ」
「でもなあ、こういう時に男が待たせるのはな……」
きまりが悪そうなリューリを見て、少しだけ笑う。リューリもそういうところを気にするらしい。
そんな新しい発見を見つけたところで、「それじゃ」と話を先へ進める。
「行こうか」
「ああ。どこへ行く?」
「小高い丘の上に、公園があるみたい」
「あ、そういえばさっき地図にあったな。じゃあ、そうしよう」
先にターミナルの地図を見ておき、めぼしい場所は見つけてある。様々なお店が並ぶプロムナードなども人気らしいが、ヨウコ個人として惹かれるのは、静かそうな場所だった。リューリも異論はないようで、提案に頷いてくれる。
そしてその公園がある方へと、歩を進めることにした。
「ヨウコは、地図を読むのに慣れてきた?」
港から伸びる大通りを歩きながら、リューリが尋ねてくる。普段なら、歩くときは黙っているものなのだが、リューリと一緒だとむしろ話を色々したいと思ってしまっていた。それでもやはり、まだ上手い話しかけ方が分からなくて、受け身になってしまっているが。
「まあ、多少は。でも試合中とか、焦るとすぐどこが北かも分からなくなる」
「やっぱり難しいよな、苦手なことってのは」
そのリューリの答えを受けて、気になっていたことを聞いてみる。
「リューリは、いつ頃から地図を読むのが得意になったの?」
「いつ頃……いつ頃だったかな……」
考え込んでしまうリューリ。難しい質問を投げたつもりではなかったが、どうやらリューリの地図を読める能力はかなり先天的なものだったらしい。
「リューリは気づいていないだろうけどさ……」
言葉にしてみる。頭には、今のリューリの様子と、先日のリューリからの告白、二つの情景が浮かんでいた。
「私からすれば、地図がすぐに読めるって言うのはすごい特技だと思う。ここみたいに、初めて来た場所で、地図を見たらすぐに地形や場所が頭に入るなんて、私にはできないから」
「いやー、でもなあ……」
「『何もない』なんてことは、ないよ」
告白する時、リューリは『自分には誇れるものが何もない』と卑下していた。だが、その特技こそヨウコからしてみれば誇れるものだ。
それ以外にも、リューリには長所があるのだが――
「あっ」
それを口にする前に、ヨウコは気づいた。
そして、リューリの袖をつまむようにして動きを緩めさせる。
「どうした?」
「……ごめん、この先に知り合いがいる」
「え?」
リューリは目を凝らして前方を見る。だが、その「知り合い」と面識があるのはヨウコだけだし、まだちゃんとくっきり視認できる距離にはいない。
知り合いの正体は、同じ戦車道チームのタミとトミ。T-26の乗員で、サウナでも一緒にいるのをよく目にする。それなりに親しいのは見て明らかだ。
そんな彼女たちとの距離は離れているので、変なくしゃみや悲鳴でも上げない限り気付かれないだろう。とはいえ、このまま歩いていると、見つかってしまいそうでならない。疚しいことは何一つしていないが、今の状況を誰かに見られるのには抵抗がある。
「……もし鉢合わせるのが嫌なら、ちょっとルートを変えるか」
「でも、どこを行けば……」
「そこの信号を左に行って、すぐに次の信号を右に行けばロスにはならないよ」
すぐそばに地図があるわけでなく、手元に持ってもいないのに、すらすらと別ルートを提案するリューリ。反論する余地はないので、ヨウコはおとなしくそれに従った。
「……本当、すごいことだよ」
呟くが、喧噪で聞こえないからかリューリは振り向かない。
そしていつの間にか、リューリの袖をつかんでいた指は、自然とリューリの手と絡まっていた。
◇ ◆ ◇ ◇
公園があるのは小高い丘と聞いていたが、まずターミナルから距離は少し離れていた。また、丘と言うよりちょっと標高が低い山みたいなもので、勾配もかなり厳しい。そして今は、夏の足音もかなり大きく聞こえてくる時節。
「はっ……ひぃ……」
後ろから聞こえるリューリの息遣いには、明らかに余裕がない。かくいうヨウコも、額に汗が浮かんでしまうのを止められなかった。
「ごめん、リューリ……まさか、こんな場所だとは、思わなくて……」
「いや、これくらい……どうってことは……」
足元に気をつけながら、後ろを振り向いて声を掛ける。リューリの返事は、明らかに強がりにしか聞こえないが、流石にここまで来て引き返そうとはならない。何せ、ヨウコの方からここへ来たいと言い出したのだから、この苦労も無駄にしたくない。
そんな風にして、その丘と言う名の山を登ること、およそ数十分。
「つ、着いた……」
頂上と思しき場所に着いた直後に、ヨウコは膝に手をつく。あとからリューリもやってきたが、自分と同じように息が荒い。
「いや、しかし……結構登ったんだな……」
見下ろす景色の細かさで、どれぐらい登ったのかが分かる。リューリが感慨深そうに言うが、まさにその通りだ。
普段は戦車に乗って高台へ移動することがあったものの、同じようにこうして景色を見下ろすことで、感情がこれだけ変化したことはなかった。これも自分の足で登ったからだろうか。
「あー……しんどい……」
深く息を吐いて、リューリは公園に来る途中の自動販売機で買ったミネラルウォーターを飲む。それを見て、ヨウコもまた同じように水分を摂りつつ、聞いてみた。
「リューリって、体力はあまりない感じ?」
「あー……そうだなぁ。体育もかなりギリだし、弓道を選んだのも動きが激しそうじゃなかったから、って理由もあったし」
設えてあるベンチに腰かけて、リューリはまた大きく息を吐く。どうやら、本当に身体を酷使したようだ。
「その点で言うと、ヨウコは結構体力ある方なんだな」
「まあ、戦車に乗ってると自然と基礎体力がつくみたいだし。それでも、装填手とかはまた求められる力が違うから」
戦車を動かすと、とにかく車内は揺れる。特殊カーボンで守られているとはいえ、試合によっては激しい撃ち合いに巻き込まれることもある。そうした状況下に身を置くことが多いから、戦車道をやっていると自然と体力が向上すると、先輩たちは言っていた。事実、ヨウコも戦車道を始める前と比べると、体力がついてきた気がする。
「そのあたりも、追いつきたいな……」
息を吐きながら、リューリがそう告げる。
ヨウコの身体に、自然と力が入った。
リューリは、ヨウコに追いつこうと勉強や武芸を頑張ったと言った。それらはすべて、ヨウコの「隣」に立つために、と。
そしてリューリは、今日また新たに「目標」を見出したようだ。
だがそこで、腹の虫が鳴いた。その主はヨウコのものではない。
「……すまん、俺だ」
申し訳なさそうに、恥ずかしそうに片手を上げるリューリ。時間はまだ昼前だが、想定外の登山でエネルギーを消費してしまったのだろう。かくいうヨウコも、少しばかり小腹が空いた気分だ。
「お昼ご飯はどうする?」
「あ、それなんだけど……」
リューリが問うてくる。
そこでヨウコは、若干不安になりながらも、手に持っていた小ぶりのトートバッグを掲げて見せた。白い鳥のデザインが気に入っている。
「一応、簡単なものを作ってきた、んだけど……」
「え、マジ?」
「うん」
リューリの隣に腰を下ろし、トートバッグの中身を取り出す。中は保温・保冷素材で覆われているため、作ってきたものもまだ冷めていない。
「もし、よければ……食べる?」
「食べる。食べます」
差し出した包みを躊躇なく受け取るリューリ。まだ中身が何かを聞いてもいないのに、ヨウコの手作りと分かるとすぐに手にする。
気持ちは既に分かっているが、それだけヨウコのことを好きで、信頼しているということなのだろう。手ずから作った料理に魅力を感じているのだろう。
それはヨウコにとって、確かに嬉しいことだ。
「おぉ、おにぎりか」
「色気も何もないけど……」
「全然、こういうのでいいんだよ」
そして、包みを解いたリューリは、中身を見て嬉しそうに笑ってくれた。
継続高校において、寮暮らしではない生徒にとっての食料はかなり限られている。そんな中で、ヨウコが何とか用意できないかと悩んだ末が、おにぎりだ。具材は塩と鮭フレークだけ、シンプルもシンプルな代物。正直、いくら今まで色恋の沙汰に無縁だったヨウコでも、手作り料理としては時代遅れ甚だしいと自覚している。
しかし、それでも。
「ん、美味い」
自分の横でおにぎりを頬張るリューリを見ると、そんな自分の過小評価も薄まっていく。
「丁度汗かいてたから、塩っ気があるのが嬉しいな」
「……そっか」
「それと悪いな……わざわざ作ってくれるなんて」
「私がしたかったことだから、謝らなくていい」
言いながら、ヨウコも自分のおにぎりを取り出して一口食べる。我ながら、悪くない出来だ。
そうして、頂上でわずかな風を感じながら、眼下に広がる景色を見下ろしつつ、2人並んでおにぎりを食べる。
特別な会話もない、実に静かな時間。
だけどヨウコは、満たされたような感覚になれた。
◇ ◇ ◆ ◇
おにぎりを食べた後は、登山道を戻ることにした。そこで、上りの際は気づかなかったが、この公園は山頂周辺を一周するコースがあるらしい。
「どうする?」
「そうだね……回ってみようかな」
設置されている標識を指さし、リューリが尋ねてくる。少し悩んだが、まだ時間はあったのでヨウコは頷いて回ることにした。
ここに来るまでの険しい階段などとは違って、起伏はあるものの緩やかな地形が続いている。これなら、運動不足でも疲れることはそうそうない。
「静かでいい場所だな」
「うん」
歩きながら、景色を眺めつつリューリが呟く。それにヨウコが頷くと、リューリがこちらに目をやってくる。
「ヨウコってさ、にぎやかな場所より静かな方が好き?」
「どちらかと言えば、そうかな。でも、なんで?」
「場所のチョイスとか、かな」
隠しているわけでもなかったが、自分が惹かれる場所、好む場所というものは知られてしまうものらしい。
「あ、いや。別にバカにしてるわけじゃない」
「うん、それは分かってるけど……」
これまでの付き合いで、リューリがヨウコを傷つけるためにあれこれ聞いているのではないことは知っている。わざわざ自分の口から否定しなくても、それは分かっていた。
「ただもし、これから一緒に……遊びに行く時とかに、そういう場所は避けようかって」
「……ありがとう」
気遣いの言葉を若干言い淀んだのは、まだヨウコがリューリの告白に対し返事をしていないからだろう。
そして、「もし」と付けたのは、この先ヨウコとの関係がどのようになるのか、リューリ自身分からないからだ。告白が成功するにしても失敗するにしても、今までのようなつかず離れずの関係ではなくなってしまう。それを考えるのは心が苦しいだろうことは、ヨウコにもよく分かる。それでもなお、ヨウコのことを気遣ってくれるのは、とても嬉しかった。
ただ。
「でも、リューリが逆にそういう場所が好きなら、私はそれに付き合ってもいい」
「いや、そういうわけでもないんだけど、さ……」
自分に気遣って、リューリ自身が行きたい場所ややりたいことを二の次にするのは不本意だ。リューリも希望があるのなら遠慮なく言ってほしい。
そういう意図で言ってもなお、リューリは違うようだった。
「仮に、ヨウコと一緒に出掛けたとして、俺が行きたい場所――ヨウコが苦手な、少し人が多い場所とかに行ったとしてだ。ヨウコに無理をさせていることになるから、俺はそこを素直に楽しめない」
「……」
「俺だって、こういう静かな場所は結構好きだし。だからヨウコに、というか他人に無理させてまで、俺は自分の希望を通したりはしないよ」
目を見てそう言われて、ヨウコもそれ以上の遠慮が難しくなる。
やっぱりリューリは、自分を過小評価しがちだと思う。
自分を好きでいてくれていることもあるだろう。けれど、最初に港町で案内してもらった時から、今日貰った言葉も含めて、リューリはこちらのことを気遣ってくれる。それもまた、立派な美徳だ。
「リューリ――」
そんなリューリに声をかけようとしたところで、気づく。多分、リューリも気づいただろう。
遊歩道の途中には、休憩用または景色を楽しむ用のベンチがいくつもある。その中の一つに、一組のカップルが座っていた。外見からして大学生ぐらいだろうか。そのカップルは、まさに「イチャイチャ」と評するに値するほど距離が近く、スキンシップを交わしている。
「「……」」
一瞬だけリューリと視線を合わせ、方針が合致する。
そのカップルが座るベンチを避けるように、遠回りをしてその場を通り過ぎた。向こうは向こうで2人きりの世界にいるのか、こちらに気づいた様子もない。
「……まあ、仲がいいのは良いことだけどさ」
100メートルほど歩いたところで、リューリが零す。確かに、あれが喧嘩しているさなかだったとしたら、そっちの方がよほど気まずい。というか、ああいう場面をリューリと一緒に見てしまったことも気まずい。
まるで、サイマとアリのワンシーンを学園艦で目撃してしまった時のような気分だ。仲睦まじいカップルをリューリと見てしまって、その場を離れたら今度は自分たちが2人きり。どうしても、そのリューリの存在を強く感じてしまう。
「もうちょっと場所はわきまえてほしいとは思うなあ」
「それは、そう」
ここもあまり人が来ない場所に入るのだろう。だからああして、あのカップルは堂々とイチャついていた。しかしながら、どれだけ可能性が低くても、人が来ることは考えられる。それを常に考えながらだなんて、ヨウコは嫌だった。
「私だったら、もっと人が来なさそうな場所でするかな」
「え」
疑問丸出しなリューリの返事を聞いて、ヨウコは気づく。ナチュラルに、
そしてヨウコさえも、とんでもない状況でとんでもないことを宣ったと理解した。
「……あくまで、たとえ話」
「あ、ああ……」
苦しすぎる注釈に、リューリは曖昧な返事をする。
イレギュラーな場面に直面すると思考が急にブレてしまうのは、戦車道と同じだった。
けれどヨウコは、「そう」したいと思っていることに変わりはない。
◇ ◇ ◇ ◆
山を下りた後、ヨウコが『少しやりたいことがある』と告げたので、リューリはおとなしくそれに従い学園艦へ戻ることにした。ただ、往路のように知り合いに会う可能性を考慮し、来た道とは少しルートを変えて、途中でアーケード街を通過するルートを取る。
ヨウコは人が多い場所が苦手だと言っていたし、それは前から薄々感づいていた。その性格によるものであり、自分の容姿で視線を集めることも好きではない。髪を見られたくなくてサウナに入らなかったし、今もお馴染みの帽子を被ったままだ。
そんな今日のヨウコだが、白のシャツとスキニージーンズと、シンプルなマニッシュ系のファッションだ。そこに、被っている帽子が、輪をかけて男性的な印象を強めている。
そんなヨウコの、女性寄りのファッションが見たくないと言えば、正直嘘になる。だから、アーケード街にはアパレル系のお店が散見されたので、もしかしたら、と淡い希望を抱いた。けれどヨウコは、洋服店や雑貨屋などのお店には目もくれない。
「大丈夫?」
「これくらいなら」
そんなリューリの希望は胸の奥の奥に秘め、ヨウコのことを気にかける。休日なのもあって人通りが多く、知人がいたとしても簡単には見つけられない。それでも、賑やかな場所が少し苦手だと言っていたから、ヨウコのことは常に見守っておく。
今のようなやむを得ない場合を除いて、ヨウコが苦手な場所やものに触れることを無理強いはしない。それは、相手が誰であっても大切にすべきことだ。だから、ここに長い間留まるのは悪手である。希望は希望のままにしておいて、アーケード街を後にした。
そして、帰り道でリューリは、「返事」のことも気にしていた。今日必ずあると思っていたのだが、先ほど山を登りに行ってから帰る今まで、それらしき言葉はない。であれば、恐らくは学園艦に帰ってから告げるのだろう。
その答えを急かすことはしないし、どうであっても受け入れる。その覚悟は決まっていた。
それでもやはり、不安はぬぐえない。フラれるにしたって、今後どのように接すればいいのかが一番不安だ。
「リューリ」
そしてヨウコが足を止めたのは、学園艦にある湖の一角。サウナハウスが集中する区域からかなり離れており、辺りには調理場やトイレ、ベンチのひとつもない。聞こえるのは木々のざわめきと鳥の鳴き声、水面が揺れる音。人の発する音は何もなく、人が寄り付きそうな場所ではなかった。
「ちょっと、座ろうか」
ヨウコに促されて、リューリは湖のほとりにある少し大きめの岩に腰かける。ヨウコもまたその隣に腰を下ろした。一緒にサウナに入った時と同じぐらい、距離が近くなる。
「今日はありがとう。付き合ってくれて」
「こちらこそ」
ヨウコは、リューリの方を見ずに告げる。横目に見るが、変わった様子は今のところ見受けられなかった。
何となく、今日一日を締める感じの切り出し方だ。まだ日はそこまで傾いていないのだが。
「今日は、まあ……リューリと一緒に出かけたかったのもあるけど……。少し、確かめたいことがあって」
「?」
「リューリと一緒にいることが、どういう感じなのかなって」
思わず身体が強張る。
自分と一緒にいること。それはただ「友達同士で1日過ごす」という意味で言ったのではないと、すぐに分かった。
よく考えたら、1日ヨウコと一緒に行動したことはほどんどなかった気がする。学校も選択科目は別になるし、休日だって会う機会はあまりない。
そしてヨウコは、それがどういう感覚かを「確かめる」と言った。つまり今日は、ある種のシミュレーションのつもりだったのだろう。
「私は言った通り、人付き合いとか苦手だし、口が上手いわけでもなくて。戦車道の試合でもないのに……誰かに1日付き合うなんてこともなかった」
「……ああ」
「……
ヨウコと同じように、湖に目を向ける。水面の近くをカモが飛んでいくのが見えた。
「だけど今日、リューリと一緒にいて、怖い気持ちになることはなかった。むしろ、嬉しいことが多かったし、楽しくもあった」
それに関しては、リューリも同じだ。まさか登山をする羽目になるとは思わなかったが、おかげで良い景色を一緒に見ることができた。ヨウコ謹製のおにぎりを味わうこともできた。そして、またヨウコに追いつけるようにと目標も見つかった。
そのどれもが、リューリにとっては嬉しいことであり、楽しいことでもある。
「それで……リューリがどういう人なのかも、改めて分かった」
「え?」
「自分には何も無いなんて言ってたけど、それは違う。地図がぱっと頭に入ることはすごいし、私のことを何度も気遣ってくれた」
自分ではなんてことはないと思っていたこと。こうしようと意識さえしていなかったことを、ヨウコは褒めてくれた。少しどころじゃなく照れくさい。
「そして、私に相応しくなれるようにって、自分を変えようと行動に移した。それでリューリは、弓道も、勉強も、前と比べて格段に変わっている」
「……」
「変えようと思って、実際に自分を変えられるのが、私からすれば本当にすごいよ」
それが十分なラインに達しているかは、自分でも自信がない。
だけどヨウコは、今の時点で出した結果に、心を打たれているようだった。
「……戦車道の大会、本当に勝ちたかった。勝って、リューリに胸を張って報告したかった」
「……どうして、俺に?」
戦車道の話を今掘り返すのは、どうしてだろう。戦車道を歩めない自分と、何か関係があるのだろうか。
「私はリューリに、伝えたいことがあった。だけど、私は言った通り不器用で、何度もリューリに迷惑をかけてきたから、それはすぐ伝えられなかった」
「いや、それは――」
「リューリがそう思ってなくても、私は自分でそれを良しとすることができなかった」
迷惑だなんて思ったことは一度もない。だけど、やっぱりヨウコは自分に厳しくて、ストイックだ。
「結果として、また私はリューリの優しさに甘えちゃうことになって、本当自分でもどうにかしたいって思う……」
「……」
「だけど、この言葉は、この気持ちは……今日、今、伝えたい」
初めてヨウコは、リューリの方を向いた。
頬が赤く染まっている。決して、陽の光によるものではない。
「リューリ」
「うん」
「私のことを好きになってくれて、ありがとう。そして……私の返事は、ひとつだけ」
一度目を閉じて、小さく息を吐くヨウコ。
その次に告げられる言葉を、静かに待つ。
やがて、目を開いたヨウコは。
「私もリューリのことが好き」
十二分の答えを貰った。
ヨウコの姿が、一層輝いているように錯覚する。
「だから、私でよければ……喜んでリューリと付き合うよ」
けれどそれは、ヨウコが微笑んでいるからこそそう見えたのだ。
嬉しさが、喜びが、身体の奥から血肉を破って溢れ出そうだ。
「……ありがとう、ヨウコ」
少しだけ、頭を下げる。
そうして顔を上げたら、改めて思ったことを。
「俺も、ヨウコのことが好きだ」
言った直後、ヨウコの顔がさらに紅くなり、帽子のつばを指で摘む。顔の紅さは隠れていない。
「……なんで、また言うのさ」
「大事なことだから。それに……最初に告白した時は、こう……雰囲気が」
告白は2回目だ。けれど、最初に告白した時は、ヨウコが落ち込んでいた直後だったから、いまいち雰囲気とタイミングが足りていなかったところはある。
だから改めて、ここで気持ちを伝えたかった。今度こそ、憂いも、後腐れもない、ヨウコの気持ちがちゃんと整ったこのタイミングで。
すると、ヨウコが少し唸ったかと思うと。
「……っ」
「わっ」
突如としてヨウコの姿が見えなくなった。
だが、直前に見えたわずかな動きからして、ヨウコが自分の帽子をリューリに被せてきたのだと察する。
「いきなり何を――」
つばを上げて抗議しようとしたが、それはついぞ叶わなかった。
ヨウコの方から、キスをしてきたから。
「……」
数秒の後、唇を離すヨウコ。
その視線は、わずかに湖の方を向いていた。
その顔は、リンゴの如く紅い。
「……2回も言われたから、これで相子」
「それ」に相子も何もないとは思うけれど、やはりそこは律儀なヨウコらしい。
くつくつと笑ってしまうが、置いていた右手を抓られたのでそれぐらいにしておいた。
そうしてそれからは、陽が沈むまで2人で静かに湖を眺めながら、時々会話を交わして時間を過ごした。
お互いに、手を重ね合わせたままで。