作:プロッター

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第2話∶道

 継続高校の校舎はかなり年季が入っている。立て付けが悪い扉は数あるし、ロッカーや机も一昔前の古いものだ。資金が潤沢なサンダース大学付属高校なんかは、鍵付きのロッカーが標準で、食堂や図書室、音楽室などの共用施設も過剰なほど揃っているらしい。文字通り、遠い世界の話だ。

 けれど、そんな味わい深い継続高校の設備を嘆く生徒は、実のところあまりいない。それは入学前の見学会で分かることだし、ここの持ち味はそんな校舎を含めた長閑な雰囲気だ。自然豊かで、穏やかで、おおらかだからこそ、生徒たちの気持ちも同じようそれになっていき、古い部分に高望みをしなくなる。それでもたまに、古さや質素さを嘆く者はいるが。

 

「よーし、それじゃあ今日はここまで」

 

 そんな継続高校に、昼休みの到来を告げる鐘の音が鳴り響く。

 数学の教師が授業を切り上げると、生徒たちは思い思いに気持ちを切り替えて、休み時間の安らぎを享受しだす。鞄から弁当箱を取り出したり、購買へと駆け出したり、クラスメイトと食堂へ向かったり、あるいは昼寝を始めたりと、継続高校限定とも言えないありふれた喧噪だ。

 

「だー、終わった……」

 

 リューリは、背中を逸らして授業の凝りを解す。苦手科目の授業とは、時間もコンディションも問わず疲れやすい。

 

「おつ~、リューリ~」

「サイマか」

 

 そんなリューリのもとへ、ひょこひょこと近づく男子が1人。入学してから一番最初に仲良くなった、駒方(こまがた)(さい)()だ。

 

「いやー、やっぱ数学は苦手だわ……」

「えー? 今日やったのなんて中学の発展形だよ。公式をちゃんと覚えて、状況に応じて数字を当てはめれば大丈夫なんだって」

「それができないから苦労してるんだよ、俺ぁ」

 

 リューリは理系科目が苦手だ。

 加減乗除や割合は、日常でも使う機会があるからまだいい。だが、方程式など捻ったものは見ているだけで頭が痛くなる。理科についても、植物や動物は嫌いではなく、物体の動きに関しては興味深いと思う機会があるものの、それを覚えろとなれば苦手意識が爆発する。理系科目が駄目なのはそういう理由だ。

 今までの授業は、中学生で習った範囲の延長線だったからまだついてこられた。しかし、今日からはサイマの言った通り、応用と発展的なものとなったために難しくなった。本格的な高校数学の始まりに、忌避感が一層強くなっている。

 一方のサイマは、リューリにアドバイスができるぐらいには数学ができる。自己紹介で数学が得意と豪語していただけのことはあった。

 

「ま、こういう時はご飯を食べるに限るよ。午後から選択科目だし」

「だなあ……」

 

 疲れた時は栄養を摂る。それに選択科目は体力と精神力も要る。全面的に同意して、リューリも席を立ち、食堂へ行こうとすると。

 

「……あ」

「?」

 

 何かに気づいたように、サイマがこちらを見ていた。

 いや、よく見るとそれは自分に対してではない、自分の後ろに向かっていた。リューリも、その視線の行きつく先を振り返ると。

 

「……ヨウコ?」

 

 リューリの後ろに、ヨウコが立っていた。音もなく、ひっそりと。顔にも声にも出していないが、無音で後ろに立たれることにひどく驚いた。

 そんな彼女は、視線を左右に2往復程揺らした末、リューリに視線を定める。

 

「あの、さ。この後、時間ある?」

「へ? ああ、まあ……」

「だったら、ちょっと付き合ってほしいんだけど……」

 

 思いがけない言葉に、変な声が出そうになるのを堪える。後ろにいるサイマが「どういうこと?」という疑問の表情を向けているのが、見なくても分かる。

 だが、リューリは先日ヨウコと多少打ち解けた身だ。もしかしたら、あちらにも心境の変化があったのかもしれない。それに、またヨウコと話せたらとも思っていたところだ。タイミングなどが合わず結局今まで声もかけられていなかったので、その申し出自体はかなり僥倖だ。

 

「分かった。何なら、昼食べながらでもいい?」

「うん」

「よし」

 

 そしてリューリは、後ろにいたサイマを振り返る。

 

「ということで、悪いな」

「お、おぉ。ごゆっくり~」

 

 驚いた様子のサイマに詫びを入れ、ヨウコと共に食堂へ向かう。今まで、クラス内で親しげな人がいなさそうだったヨウコが、リューリに話しかけてきたのが意外なのだろう。サイマの驚きは無理もないとは思うし、実際リューリも驚いている。

 そして教室を出る時も、何人かのクラスメイトの視線を背中に感じた。

 

◆ ◇ ◇

 

 学食はそこまで広くなく、2学年分の生徒全員が座れるかどうか、という規模だ。メニューも豊富とは言えず、日替わりのセットが2種類と、常設のカレーライスだけである。それでもやはり、ここに文句をつける生徒はいない。食べられるだけ、用意してくれるだけでも十分というところだ。

 そんな食堂の一角で、リューリとヨウコは向かい合って座っていた。テーブルには、未だ手の付けられていないカレーライスが2人分。お互いに、自分の分は自分で買っている。

 

「えっと、急に呼び出して、ごめん」

 

 最初に沈黙を破ったのはヨウコだ。先日は、どちらかと言えばリューリの方から話しかけていたので、これも意外である。

 

「この間、案内してもらったお店で買ったキーホルダー……先輩への贈り物だったんだ」

「あ、そうだったのか」

 

 ものを買っているのは見えたが、それが何かは見えなかった。そして、それが誰かへのプレゼントというのも少し予想外だ。

 

「その人には、喜んでもらえた?」

「それは、まあ」

「へえ。それならよかったじゃん」

 

 誰に贈ったのかは多少興味があるが、むやみに掘り返す程でもない。相手の反応が良かったのなら、それを聞けただけでも満足だ。

 

「うん、だけど……」

 

 しかし、まだヨウコは気がかりなところがあるらしい。リューリの言葉にも素直には頷いてくれない。

 

「あの時、リューリには助けてもらったのに、その……よくない態度を取ったから」

「え」

 

 帽子のつばを掴んで、心苦しそうな声を洩らすヨウコ。

 態度、と言われて記憶を手繰り寄せる。いい悪いというか、打ち解けられなかった印象の方が強かったので、ヨウコに対して腹が立ったり不快感を抱いたりなどはしていない。

 

「よくないって……俺はそんな風に思わなかったけど……」

「いや、ほら……そっけない態度とか、質問されても気の利いた返事ができなくて」

「……ああ、あれね。いや、それは別に気にしてないよ」

 

 店の中でも帽子を取ろうとしなかったヨウコ。だが、それを指摘してもヨウコは帽子を取らなかった。それに、何か思うところがあったのか表情も曇っていた。事情があってのことだろうと理気付いたから、リューリはそれ以上は踏み込まなかったし、気に障ってもいない。

 だが、ヨウコは違うらしい。

 

「でも、謝らせてほしい。あの時は変な態度をとって、本当にごめん」

「……」

「そして、ありがとう。リューリが助けてくれなかったら、迷子になっていただろうし、プレゼントを贈って喜んでもらえることもなかった」

 

 頭を下げると、いつもの帽子が強調される。

 だけれども、リューリは頭を下げる直前のヨウコの真剣な表情が、とても印象に残った。普段目にする物憂げなものではなく、何というか、目に強い光が宿っているようだったから。

 心の底から「そうしたい」「そう思ってる」という、強い意志さえも感じさせるものだったから。

 

「……どういたしまして」

 

 だから今は、ヨウコのお礼を素直に受け取っておこう。

 そうして雰囲気が多少緩んだところで、2人はカレーを食べ始める。具材や味付けには、これといった特徴はない。それでもカレーというものは、標準的な味付けでも美味しいのだ。

 

「ヨウコって、結構真面目なんだな」

「え?」

「クラスじゃ全然話さないけど、こないだのお礼の時とか、今日みたいに改まって話すのとか……。普段はこう、近寄りがたい感じがしたから」

 

 食べ進める途中で、気になったことを少しだけ話しかけてみる。勿論そのタイミングは、ヨウコが一口を咀嚼し終えたタイミングで、だ。変な時に話しかけて咽させてしまうのは本意ではない。

 

「……人と話すのとか、少し苦手なんだ。だから、リューリに案内してもらった時も……」

「そういうことか……。でも、今はこうして話せてるじゃない」

「それは、一度話したからでもあるし……」

 

 確かに、初めての相手に話しかけるのは心理的なハードルがかなり高い。ヨウコのように、話す行為自体が苦手であればなおさらだ。だが、一度話してしまえば、二度目以降は最初と比べるとそこまで身構えないで済む。そうして話すのを続けていれば、友人知人の完成だ。

 そこでリューリは、スプーンを置いてヨウコを見る。

 

「それならさ、ヨウコ」

「?」

「もし、良ければなんだけど……これからも、こうして話したりしてもいいか?」

「え?」

 

 水を飲み終えたヨウコが、目を丸くしている。

 

「ヨウコとは同じクラスだし、こないだの休みの日のこととかもあるから、このままおさらばっていうのは……少し寂しくて。だからさ、普通の友達みたいな感じで、ヨウコとは話していきたい」

「……」

「もちろん、話すのが苦手ってヨウコのことは尊重する。話しかけてほしくなかったらそう言っていいし、この話自体断ってくれてもいいから」

 

 小学校の友達は、中学校に進学した際に何人か疎遠になってしまった。そして継続高校に入学する頃には、かなりの友達と連絡を取らなくなってしまったものだ。

 色々意見はあるだろうが、平穏な学校生活を送るにあたり、友達がいるに越したことはない。同じ継続高校で3年間過ごすからこそ、リューリはヨウコとこうしてできたつながりが、時の流れで希釈されてしまうのをそのままにできない。そのうえで、「友達みたいに」と申し出た。

 ただ、最初にヨウコは人と話すのが苦手と言っているので、無理にとは言わない。断られても、ヨウコに対する印象がマイナスに振れるつもりはなかった。

 

「……私、不愛想だよ? 気の利いたことも言えないし……」

「全然、構わない」

 

 躊躇、というより不安げにヨウコは問い返す。多分、こうも面と向かって「友達になりたい」など言われたことがないのだろう。自分のことを卑下してしまうあたりから、それが感じ取れる。

 だが、それでもリューリの気持ちに変わりはなかった。そもそも、友達だから愛想よく振舞ってほしいとか、気の利いたことを言ってほしいとか、そんなことばかり望んで押し付けては長続きしない。

 だからリューリは、ありのままのヨウコを受け入れるつもりだ。

 するとヨウコは、被っていた帽子の唾を掴んで、少しだけ目深に被る。

 

「……まあ、リューリが嫌じゃないなら」

「ありがとう」

 

 断らなかった。その反応だけで、友達になってくれると受け入れてくれただけで、今は十分だ。だから、お礼を言って、再びカレーライスを口に運ぶ。ぴりりとした辛さがアクセントになっていて、美味しい。

 

「でも、正直帽子はまだちょっと、外すのに抵抗があるというか」

「ああ、気にしなくていいって」

 

 ヨウコもまた、付け合わせのコールスローサラダを食べる。晴れて友達になれたとはいえ、やはり友達相手でも、できないことはできないらしい。そういうものは誰でもあると理解しているから、無理強いはしない。

 しかしながら、ヨウコは思うところがあるのか、口元がもごもごしていた。

 

「……中学の時はまだ、帽子を被ってなかったんだけど」

「?」

「クラスの男子に、『幽霊みたい』って言われて。私って、肌が生まれつき白くて、髪も同じ感じだから」

「そりゃひどいな」

 

 小・中学校は、容姿で人を揶揄うことが往々にしてある。リューリも耳にしたことが何度もあるが、当人にとってはたまったものではないだろう。

 クラスで初めてその姿を見た時も思ったが、ヨウコの肌の色はかなり薄い。新雪のように色白だ。そして、帽子から覗く髪もまた白っぽい。だからと言って「幽霊」は言い過ぎだし、ヨウコもそう言われることを喜んでいるようには到底見えない。

 

「でも、ここは帽子を被ってても怒られないから」

「だから教室でも被ったままだったんだな」

「うん。それで、あんまり人目に付かないところで帽子を脱いでる」

 

 生徒手帳にも載っている校則には、「過度な装飾品や化粧は罰則」と指定されている。だが学校案内などで、「帽子ぐらいなら自由」と説明は受けていた。だからヨウコは、その恩恵にあずかっているのだろう。そして、こっそりと帽子を脱いでいるわけだ。

 

「……リューリのことは、信用してないわけじゃない。だけど、ここは人が多すぎるから」

 

 それはつまり、人が少なければリューリの前で帽子を脱ぐつもりはある、ということだろう。

 

「大丈夫だよ、そんな無理に脱ごうとしなくても」

 

 リューリは、見てくれはごく普通だが、他人を嘲るような真似をしでかしたことはない。親から「人が悲しむようなことをするな」と何度も言われた賜物でもあるだろう。

 だから、ヨウコの髪がどうであれ、馬鹿にしたり揶揄ったりなどするつもりは毛頭なかった。

 そして、早く見せてほしいなどとせがむような真似もしない。何事にもペースというものが存在する。今日改めて友達宣言をしたばかりなのに、すぐにそんなことを言ってしまうのはタブーだ。

 

「ヨウコが、脱いでも大丈夫って思うまで、俺は待つからさ」

「……ありがと」

 

 リューリがそう告げると、ヨウコは少し小さめの声で答える。

 その口元をよく見ると、注意深く見てみなければ分からないほどだが、笑っていた。

 

「ところでさ」

 

 それに気づかれまいとしたのか、カレーを一口食べたヨウコが尋ねてくる。

 

「午後から選択科目だけど、リューリは何を受けるの?」

「俺? 弓道だ」

 

 互いのことについて、少しだけ話す。友達になれたから、そういう話をしたいと思ってくれているのかもしれない。こうして当たり前のこともできるようになれたと思うと、嬉しく思う。

 

「ヨウコは何を?」

「戦車道」

 

 同じ質問を返すと、端的な答えが返ってくる。

 戦車道は、戦車に乗ってドンパチ戦う乙女の武芸、ということしか知らない。それ以上の知識はリューリになかった。

 

「何というか、イメージに合ってる気がする」

「そう?」

「ああ。戦車道の戦うっていう雰囲気が、合っているように思えて」

 

 女子の選択科目は、他に茶道や書道があったはずだ。それらの、いわば静的な雰囲気もヨウコには合っていると思う。だが、戦車道は逆に動的で、言ってしまえば荒々しい。その中で「砲で狙い合い、撃ち合い、戦う」のが、何となくヨウコのイメージに合致しているとも思った。

 

「……そうなのかな」

「そうだとも」

 

 そう言われても実感が持てないのか、ヨウコは首を傾げてまたカレーを食べる。リューリが弓道をやっていることについて特にコメントはないらしい。別にコメントが欲しいわけではなかったので、リューリもまたカレーを食べるのを再開した。

 そしてその後、お互いにカレーを食べ終えるまで、会話らしい会話はなかった。

 けれど、この間感じたような気まずさや緊張がなかったのは、きっと友達になれたからなのだろう。

 

◇ ◆ ◇

 

 既に矢は3本放った。けれど、的にはただの1本も当たっていない。

 それでもリューリは焦らず、矢筒から最後の矢を取り出して番う。口が酸っぱくなるほど、先輩から「焦った時点で終わる」と言われた結果だ。

 小さく息を吐いて、弦を強くひき、狙いを定める。当然ながら、狙うのは的だ。

 何人もの視線を感じるが、その誰もが声を発さず、正座してリューリのことを見守っている。

 呼吸を挟み、リューリはこれまでの3本の矢の軌道から、位置を調整する。

 そして、矢を放ったのと、風が吹いたのは同時だった。

 

「……」

 

 鼻で息をつく。たった今放った矢は、的の左の端を掠めて()()()に突き刺さっていた。つまり、矢は4本とも外れてしまったわけだ。

 それでもリューリは、その場で悔しさを露にはせず、作法に則って射場を離れて、他の皆がいる場所まで戻る。公式の場ではなく、授業の一貫であるため、礼儀作法に関してはそこまで厳しくはない。ただ、できる部分は、感覚的にしっかりとやっておきたい。

 そして、次の射手が準備をする間に、隣に座るサイマが声を抑えて話しかけてきた。

 

「最後のは惜しかったねえ」

「風さえ吹かなきゃなあ」

 

 最後の1本を放ったのと同時に、右から風が吹いたのを感じた。矢は風の影響を受けやすいがために、狙いは左にずれてしまったのだ。あの風さえなければ、的には当たっていただろう。

 

「簡単そうに見えて、全然当たらないんだよな」

「まったくだね」

 

 ため息交じりのリューリの言葉に、サイマは全面的に同意している。

 選択科目を受けるのは、真面目に学生生活を送るうえで避けては通れない道だ。そして男子と女子では選べる科目が異なり、加えて継続高校は資金面に乏しいため、種類もさほど多くはない。

 そんな継続高校で、男子が選べる選択科目は、剣道、柔道、弓道の3つ。女子は華道、茶道、そして戦車道だ。

 リューリが弓道を選んだ理由は、人を殴ったり投げ飛ばしたり叩いたりすることに抵抗があるから、という消去法である。それにリューリは、親や中学の先生や「良くも悪くもマイペース」と評価され、集中力や乱れない心を要する弓道が合っていると思い、それを選んだ。

 しかしながら、弓道も簡単ではない。最初に見た時は簡単そうだと思ったが、矢を番えて弦を引くのは力がいるし、固い床の上で正座をし続けるのは非常につらい。それに矢を的に当てるのは思った以上に難しく、1か月以上経った今もリューリは矢が命中したことがない。せいぜいが先ほどのように、的の横を掠めるのだけだ。

 

「ま、仕方ないか」

 

 それでもリューリは、大して落ち込みはしない。

 これもマイペース故のものだが、自分が失敗することについては苛立たず、自分を許すようにリューリはしていた。癇癪を起したり、感情を露にしても、大体はいいことに繋がらない。だから、あまりかっかせずにしている。

 リューリがそう言ったところで、サイマが「おっ」と声を上げた。

 

「イルタだ」

 

 射場で弓を構えているのは、2年生の平櫛(ひらぐし)(いる)()だ。サイマがイルタに注目しているのには訳がある。

 それは。

 

「……ッ!」

 

 矢を放つ。それは真っ直ぐに、ブレることなく的へと直進し、的の中央に命中する。リューリは息を呑んだ。

 そして、リューリたちが見守る中で、イルタは全く動揺せず、姿勢を崩さず、残り3本の矢も放つ。

 それらの矢は、全てが的に命中した。

 

「……やっぱすげえなあ」

 

 サイマが感心したように言う。リューリも頷き、拍手をした。ちなみに拍手は、矢を全て命中させた時……皆中の時しかもらえない。

 

「あんな風にはなれないな」

「だなあ」

 

 何とも腑抜けみたいなことを言うリューリだが、サイマも同じ考えらしい。何せ、自分たちとイルタは積み重ねた経験が違う。既に先を行く人と同じようになるには、相応の経験と努力が必要だ。自分で選んだ以上真剣に取り組んではいるものの、なんとしてでも皆中させてやる、というほどの野心や熱意までは持ち合わせていない。

 

「そういえばリューリ、昼はあのヨウコと一緒だったんだよね」

「ああ」

 

 「あの」というサイマの言葉で、ヨウコがクラスでどう思われているかが分かる気がする。

 

「何話してたん?」

「別に何でもない、普通の雑談だよ」

「いつの間に仲良くなったんだ?」

「まあ、この間停泊していた時に偶然会って、それで」

 

 本当の意味で仲良くなれたのは、今日の昼休みからだ。けれど、いくら友達とはいえそこまで明かす必要はないだろう。サイマも一応納得したようで、感嘆の息を洩らしながら腕を組んでいた。

 

「そういや、ヨウコって選択科目は何してるんだろう」

「戦車道だって言ってた」

 

 明確に聞いた意図はなかったのだろうが、リューリが答えるとサイマは目を丸くする。

 

「戦車道か。でもなんかイメージに合ってるかも」

「な」

 

 感想は同じだったらしく、サイマは頷く。さらにサイマは、リューリを見て続けた。

 

「戦車道の……何やってるんだ?」

「何って……」

 

 戦車道については、戦車に乗って戦うということぐらいしか知らない。もちろん戦車は1人で動かせる代物でないことは想像がつくが、戦車の中でどんな役割があるのか、までは知らなかった。

 だから、ヨウコがどんな役目を担っているのか、リューリも知らない。

 

(せっかくだし、今度聞いてみるかな)

 

 自分は男だから、戦車道は歩めない。

 それでも興味がほんのひとかけらだけでも湧いたのは、やはりヨウコと仲良くなれたからだ。仲良くなった人のことを知りたいと思うのは、ごく自然なことだった。

 

◇ ◇ ◆

 

 弾は既に装填されている。

 ヨウコはスコープを覗き込み、深呼吸をして自分の心を落ち着かせる。今は試合中ではない、猶予はある。焦りそうになってしまうが、焦らなくて大丈夫だと何度も言われている。それを改めて何度も自分に言い聞かせ、引き金にかけた指に力を入れて、引く。

 

「ッ!」

 

 瞬間、戦車の中が轟音と衝撃で支配され、ヨウコの意識を否が応でも揺さぶる。1か月程度では到底慣れないものだ。

 だがそれよりも、ヨウコが気にすべきは今自分が撃った弾が命中したかどうかだ。

 

「……くっ」

「あ~、惜しかったねぇ」

 

 スコープ越しに結果を目の当たりにして、ヨウコは唇を噛む。車長のレイノにもそれは見えていたはずだが、大して落ち込んだ様子はない。それは、まだヨウコが砲手として未熟だから、こうなることも分かっていたからなのか、それとも元からのんびりしているからか。

 だが今は、目標の的を撃ち抜くことが重要だ。装填手が砲弾を装填したのを聞き、もう一度狙いを定める。今の一発は、的の随分と上の方を通り過ぎてしまった。だから、仰角を少し下げて、的の上辺よりも気持ち下あたりに狙いを定める。

 そしてもう一度、引き金を引く。再び車内が激しく揺さぶられ、反射的にヨウコは片目を瞑る。だが、それでも自分の撃った弾が的のど真ん中を撃ち抜いたのだけは、確かに見届けられた。

 

「お~、やったね」

 

 手を叩いて褒めてくれるレイノ。

 しかしながら、ヨウコはいまいち釈然としなかった。

 そこで、通信機から何かの音が聞こえてくる。弦楽器と思しきものが鳴らすその音は、継続高校で戦車道を始めてからかなり聞き慣れたものだ。

 

「時間だね、それじゃあ帰ろう」

 

 レイノが仕切ると、操縦手はエンジンを再始動させて、T-34/76を発進させる。

 ヨウコはスコープから顔を離し、息を深く吐いて肩の力を抜こうとした。そこへ、ぽんぽんと肩を叩いてきたのはレイノだ。

 

「射撃の腕はよくなってきてるね。2射目で当てられるんなら十分だよ」

「……ありがと」

 

 評価してくれるのはありがたい。が、ヨウコ個人としては一発目から命中ないし至近弾を撃ちたかった。今回も一発目は的から大きく外れてしまったので、まだまだ理想とする結果には程遠い。

 

「で、どう? こっちの戦車はそろそろ合う感じがした?」

 

 レイノに聞かれるが、少し悩んだ末に首を横に振る。

 

「やっぱりちょっと……合わないかも」

「そっかー。残念」

 

 肩をすくめるレイノに、ヨウコは申し訳ない気持ちになる。

 今乗っているT-34/76だが、ヨウコはこの車両の正式な乗員ではない。そもそも、ヨウコはまだどの車両に乗るかが決まっていなかった。

 戦車道を始める際に、まず全員がそれぞれ戦車乗員のポジション……車長、砲手、操縦手、装填手、通信手のどれに適性があるかを見極められる。それはヨウコとて例外ではなく、結果として適性ありと判断されたのは砲手だった。

 その次の段階で、どの戦車に乗るかが決められる。これは適性などでなく、「特例」のない限りは自由に選ぶことができるものだ。特に希望がなければ、保有数が一番多いT-26という軽戦車に配属される。

 

――自由なら、何かひとつ自分に合った戦車を見つけて乗りたい

 

 ヨウコはそう考えて、まずはいろいろ乗ってみて、自分の性に合う戦車があればそれにすることに決めた。この考え方は特に珍しくないようで、過去に同じような決め方をする人は数いたらしい。

 ただヨウコは、戦車道を始めて1か月ほどが経った今でも、どの戦車にするかまだ決められていない。T-26には最初の半月ほど乗ったが、しっくりきていない。T-34/76にもほぼ同じ期間だけ乗ったものの、まだピンと来なかった。自分以外の同期は、もうほとんどどの戦車か決めたというのに。

 

「じゃ、後はⅢ突かな」

「そうなる」

「まあ、ゆっくり決めていいよ。戦車は逃げないから」

 

 レイノは暢気にそう告げる。ヨウコの方針が未だ決まっていないことにやきもきした感じはない。

 しかし、当のヨウコは焦りを抱いているのも事実だ。早いところ自分の性に合う戦車に乗って、成果を挙げなければならないと。そう思っているのには、理由があった。

 

「よし、到着っと」

 

 戦車の倉庫に到着し、操縦手がエンジンを切ると各々が降りていく。ヨウコも同じようにT-34/76から降りると、ちょうど目の前に別の戦車が停止したところだった。

 

「もうちょっと走りたかったのにな~」

「ダメだよ、今日は砲撃の練習だったし、燃料だって高いんだもの」

 

 普通の戦車と比べて背の高い戦車から降りてきた2人の女子。頭の後ろで腕を組んでいる赤毛の方がミッコ、そのミッコを嗜めるクリーム色の髪の子はアキだ。

 そしてもう1人、その戦車から降りる者が1人。

 

「感情のままに行動するのは時として大切だよ。でも、多くの場合は良い結果を招かないのさ」

「んー……つまり我慢すれば次はもっと走れるってことか!」

「いや、多分違うと思うけど……」

 

 やや薄めの黒いロングヘアーにサウナハットを被り、弦楽器(カンテレと言うらしい)を抱え諭すようなことを告げたのはミカ。継続高校戦車隊の隊長だ。つまり、彼女たちが乗っていた戦車・BT-42突撃砲は、隊長車である。

 

「そういやアキ、今日は全弾命中できたね、いい感じじゃん」

「うん、今日はかなり集中できた気がする。このまま試合でも頑張りたいなー」

「できるって、アキなら」

 

 ミッコは操縦手、アキは砲手と装填手、さらに通信手を兼任している。そんな2人はヨウコと同じ1年生で、その2人の存在が、ヨウコを焦らせる原因のひとつでもあった。

 2人とも戦車道を今年から始めたのだが、適性を確かめる段階で素質があるとのことで、たまたま空きがあったミカの駆るBT-42への搭乗が決まった。そして今、ミッコの操縦技術は先輩たちとほぼ互角かそれ以上のキレを持ち、アキも砲手として申し分ない実力をつけている。今のヨウコとは、大きく違った。

 だからこそ、ヨウコは焦っている。もっと頑張らなければと、意気込んでいる。

 

「ヨウコ」

 

 名前を呼ばれると同時、背中をポンと叩かれる。振り向いてみれば、いたのはユリだった。

 

「レイノから聞いたぞ。2射目は安定して当てられるようになったって」

「うん……でも、やっぱり1射目は駄目だから。もっとできるようにならないと」

 

 ユリは褒めてくれていると分かっている。評価はりがたく受け取るが、研鑽は怠るわけにもいかない。

 

「今日はどうする? この後みんなでサウナだけど」

「……遠慮しとく」

「そうか」

 

 継続高校の学園艦は、フィンランドをイメージして造られたと聞いている。それもあって、サウナ文化が根強い。休日だったり、寝る前だったり、何もない日にもサウナに入るという具合だ。そして戦車道が終わった後に入るのも恒例で、こうして誘われることも少なくない。

 しかしながら、ヨウコはサウナに入ることがほとんどなかった。前に一度、戦車隊のみんなで入ったことはあったが、大人数だと妙に落ち着かなくて、それきり戦車隊のメンバーとサウナに入ったことはない。どころか、誰かとサウナに入ってもなかった。

 だからと言って、戦車隊の皆から邪険に扱われているわけではない。それに、ヨウコと同じくサウナにあまり入らない人もいる。

 だからこそヨウコは、現状をあまり気にしていなかった。早めに上がって、もっと砲手としての腕が上がるように、勉強する。その方が自分の身になると思っているから。

 

「……?」

 

 その時、誰かの視線を感じて、周囲に目を巡らせる。

 ふと、ミカと視線が合った気がした。

 けれどすぐに、ミカは視線をそらして、アキたちと一緒に更衣室の方へと向かっていく。気のせいかな、とヨウコは思った。

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