作:プロッター

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第6話∶休息地

 戦車道の訓練も、射撃訓練や走行訓練に加え、模擬戦が始まった。これまでのように、お手本に沿ってやるべきことをやるのとは違い、常に緊迫感がついて回るし、常にものを考えなければならなくなる。

 ヨウコの乗るⅢ号突撃砲は、ヨウコ自身の砲手の腕の関係で、高所から長距離狙撃をしたり、待ち伏せで敵を狙うことが多かった。

 

「……よし」

 

 砲撃し、狙っていたT-26が撃破判定を受けたのを見て、ヨウコは頷く。今いる場所は小高い丘の上で、敵側からは双眼鏡なしでは気づかれないほど距離が離れている。これだけ離れた場所から狙撃されるのは、相手にとっても不意打ちだろう。

 

「すごいすごい、この距離で当てられるなんて!」

 

 様子を窺っていた通信手のエルノが、喜びの感情を声に全面的に乗せて話しかけてくる。それに対してヨウコは微笑んで見せた。同じ戦車に乗る仲間とは、少しだけ打ち解けてきた気がする。

 しかし今は、それについて感慨に浸る場合ではない。

 

「まだ試合は終わってないから、喜ぶのはあと。装填急いで」

「了解」

 

 手短に指示を出すと、サミは頷いて次の砲弾を装填する。確かに自分たちはT-26を1両撃破したが、この模擬戦はフラッグ戦。相手チームのフラッグ車はアリのT-34だ。長距離狙撃が成功したこと自体はヨウコも嬉しいが、気は抜けない。

 サミが装填したところでスピーカーから弦楽器の音が聞こえてくる。ミカの奏でるカンテレだ。

 

「フラッグ車を倒すのはみんなに任せるって」

「分かった、移動しよう」

 

 通信手のエルノが通訳する。ヨウコは頷き、操縦手のトニに指示すると、Ⅲ号突撃砲は向きを変えて稜線を走りだす。ミカが言葉でなくカンテレで指示を出すのは今に始まったことではないが、エルノはどうやってそれを理解しているんだろうか。まあ、感覚で分かるから通信手の適性が出たのだろう。

 今回、ミカのいるBT-42はヨウコたちと同じチームだが、率先して戦う様子は今までなかった。遠目に見ているだけだったが、戦車の動きこそ良いものの砲撃に関してはどこかちぐはぐな印象がする。もしかしたら、操縦手と車長以外の役割を全て負っているアキが、どこか調子が悪いのかもしれない。だから、この模擬戦ではとどめを他に譲ったのか。

 ともかく、今は自分たちの仕事をすべきだ。別のポイント移動して、敵チームの車両を狙う。今度は、フラッグ車だ。

 スコープで狙いを定めようと覗いていると、木の枝や木の葉を戦車に乗せて近くの林に身を潜めていたT-26が姿を現し、逃げていたT-34の前に躍り出る。それをみて、一緒に逃げていた敵側のT-26が前に出て応戦し、混戦状態になった。

 

「やるしかない」

 

 だからヨウコは、T-34が戦いで足止めしている間に狙いを定め、引き金を引く。発砲した直後、味方のT-26がT-34の返り討ちにされてしまったが、それからすぐにヨウコの撃った弾がT-34の上部装甲を撃ち抜き、白旗を揚げさせる。

 

「……やった」

 

 小さく呟くと、後ろに控えていたサミが肩を叩いてくれる。トニも振り返って頷く。

 

「やったね!」

 

 そしてエルノは、声を弾ませて笑いかけてくれた。自分が、自分たちがフィニッシャーになれることが嬉しいのは、誰しも同じらしい。

 さて、フラッグ車が撃破されたことで、今回はヨウコたちのチームが勝ちとなった。模擬戦も終わりのため、Ⅲ号突撃砲も車庫へと方向転換する。

 

「やっぱり模擬戦は緊張するね~」

「でも、勝ててよかった」

 

 エルノとサミが気軽そうに話しているのを聞きつつ、ヨウコは今日の試合の流れを思い出す。開始してからしばらくは本隊と一緒にいたが、平地で動かず狙うよりも、高地から狙った方がやりやすいという旨をエルノからミカヘ伝えてもらい、高台へと移動した。それから撃破できたのは、T-26とフラッグ車のT-34だ。

 これが初めての模擬戦、つまり戦闘なので何とも言えないが、高台から狙う方がヨウコはやりやすい気もする。車高が低いから、平地でも待ち伏せや不意打ちはできるかもしれないが、高い場所から見下ろした方が戦車の位置を把握しやすい。それに、周りが静かだから集中もしやすかった。

 であれば、この先の試合も同じようにするべきか。それなら、ミカやユリにこのことは伝えるべきだが……。

 

「今日はサウナが気持ちいぞ~」

 

 トニの言葉に、エルノとサミは大きく頷いている。

 継続高校戦車隊は、1日の終わりにサウナに入るのが常だった。試合の疲れをサウナで汗と共に流し、また仲間たちとその日の振り返りをする。サウナは戦車道に限らず、継続高校の交流の場でもあった。

 そして。

 

「ヨウコは? 今日サウナどうする?」

「……遠慮しとく」

「そっかー、残念」

 

 エルノの誘いにヨウコは首を横に振る。

 ヨウコは、戦車道の付き合いでサウナに入ったのは最初の一度きりだ。ヨウコ自身があまり人と話すのが苦手なのと、自分の髪を見られることに未だ抵抗を抱いているからだ。帽子は被り続けているが、合間から覗く髪の毛は隠しきれていないから、きっとどういう髪色かは想像がついているのだろう。それでも、帽子を脱ぐのは心情的に割り切れない。

 そして、この行動が結果として、仲間との交流の機会を自分で減らしていることも理解している。だから、完全に打ち解けるのもままならない。まさに悪循環だ。

 何とかしたい。特に、こうして模擬戦で成果を挙げられたから、交流を深めるいい機会かもしれない。だけど、すぐには踏み切れない。

 なら、ここはひとつ頼ってみるべきか。友達を。

 

◆ ◇

 

 ある日の放課後。

 黙々とサウナの準備をしている間、リューリの気持ちは嬉しさと不安と疑問とでごちゃ混ぜだった。

 そうなってしまった原因は、今日の朝のホームルーム前にある。

 

――放課後、選択授業が終わったらさ……一緒にサウナに入ってくれない? 2人で

 

 照れよりも真剣みの方が上回っているような、ヨウコの申し出。それにリューリは戸惑いつつも頷いたし、そのやり取りを他のクラスメイトに聞かれなかったのは奇跡と言っていい。朝の予習も、普段より捗った気がした。

 サウナと言えば、継続高校を代表する文化のひとつ。放課後だったり寝る前だったりあるいは休みの日だったり、とかく継続高校でサウナは日常に溶け込んでいる。リューリもここに入学するまでサウナなど入ったことが全くと言っていいほどなかったが、それも今や過去のことだ。

 そのサウナだが、大体は何かの集まり――選択科目のメンバーや友達同士など――で入るか、あるいはひとりで静かに入ることが基本だ。

 しかし、男女が2人きりで、となれば少々事情は変わる。

 友達同士なら何の問題もない。同性でも大いに結構。けれど、リューリにとってのヨウコは、大切な友達であり、同時に意中の人でもある。だから、サイマや弓道の仲間と一緒に入るのとは、心情的な意味での勝手が違う。

 もちろん、継続高校のサウナは何か不埒なことをするためにある場ではない。それに、過去そういったことをした輩は皆無ではないものの、厳しく罰せられたらしい。

 そういう前例の有無に関わらず、リューリは2人きりでもヨウコに手は出すまいと心に決めていた。ヨウコが何を思って自分をサウナに誘ったかは知らないが、少なくともリューリを信用してのこととは思っている。それを棒に振るような真似はしたくない。

 

「よし、こんなもんか」

 

 サウナの準備を終えて、汗をぬぐう。サウナ用の小屋は、継続高校の生徒であれば無料でレンタルできるし、数も多いため困りはしない。最初の準備と最後の片づけをする必要はあるが、大した労力とは言えないだろう。一人で準備をするのは初めてだったが、マニュアルがあって助かった。そして、普段弓道の授業後に率先して準備をしてくれる先輩たちの苦労も、ちょっとは分かった気がする。

 

「……おまたせ」

 

 サウナ小屋を一度出たところで、声をかけられた。

 そこに、バスタオルを体に巻いたヨウコがいた。肩の部分を見るに、タオルの下は授業用の水着らしい。

 

「準備任せちゃってごめん」

「いや、そんな手間でもないから大丈夫」

 

 笑って手を横に振るが、リューリは心臓がひと際強く脈動したのを実感している。

 普段見るヨウコは、大体が制服かジャージで、私服は片手で数えられる程度しか見ていない。

 だから、今のようにやや無防備とも言えて、コンプレックスの髪まで全部見える格好を目にするのは初めてで、かつ心を揺さぶるほどに刺激が強い。

 咳払いをして下心は自分の中で圧殺し、リューリはサウナ小屋の近くに置いておいた水のペットボトルを手渡す。ヨウコはきょとんとした感じでそれを受け取った。

 

「サウナに入る前は水分補給な」

「分かった」

「シャワーは?」

「浴びてきた」

 

 事前にヨウコは、あまりサウナに入ったことがないと聞いている。リューリもヘビーユーザーとまではいかないが、基本的なことなら教えられるし、危険が伴う真似もさせるつもりはない。自分が経験者である以上、ヨウコの安全は自分に託されたといっても過言ではないだろう。

 2人で水を飲んでから、サウナの中に招き入れる。

 

「よし、じゃあ入ろうか」

「うん」

 

 今回使うサウナ小屋は、普段リューリが生活しているバンガローより少し小さめのログハウス型で、少人数で使うためのものだ。この他にも、どこかの国の絵本に出てきそうな小屋型や、誰が持ってきたのか廃棄処分になった列車やバスを改築したもの、果ては軍用車のサウナまである。貧乏だからこそ使えるものは使う、そしてサウナが好きという継続高校の特徴を大いに表現していた。

 さて、今いるサウナは全体が木でできており、座る場所も階段状になっている。その適当な場所にリューリが腰を下ろすと、ヨウコも並ぶように座ってきた。まだサウナに入って間もないのに、もう体温の上昇を感じる。

 

「……ひとつ、聞いていいか?」

「?」

「なんで、俺をサウナに?」

 

 狭く熱いこの空間でだんまりは色々な意味でつらいので、一番気になったことを聞いてみる。ヨウコは、前髪を指でいじりながら、口を開いた。まだサウナの熱気にやられた様子はない。

 

「……戦車道はさ、終わった後でいつもみんなでサウナに入るんだけど、私は最初に一回行ったきりで」

 

 理由は聞くまでもないだろう。コンプレックスに思っているその髪と、性格だ。

 

「でもここ最近、私の乗る戦車も結果を出しつつあって、士気も上がってて。それで、一緒にサウナに入ったらもっと仲良くなれると思ったんだけど……まだ、やっぱり私は怖くて」

「……そのために俺と入って練習しよう、と」

「うん」

 

 要するに、リューリはお試し要員というわけだ。種が分かれば幾分気も楽になる。リューリは、汗が若干にじみつつある腕を組んで息を吐いた。

 

「そもそも、ヨウコはサウナに入ったことがほとんどないんだっけ」

「うん……。大浴場のサウナはちょっとだけ使ったことがあるけど、いまいち好きになれなくて」

 

 継続高校の学園艦には至る所にサウナハウスがあり、大浴場にも普通のスーパー銭湯みたいなサウナ室がある。リューリもたまに使うことがあるが、あれはあれでサウナハウスとは違った趣があると考えていた。

 

「だったら、今日は最初は短めに、それからちょっとずつ時間を伸ばしていくか」

「そうする」

 

 方針が決まったところで、ヨウコはそっと目を閉じた。どうやらサウナの効果に集中するつもりらしい。

 リューリも一度目を閉じると、瞼に汗の雫が垂れてきたのを感じる。

 聞こえてくるのは、スチームジェネレータが発する蒸気の音、そしてそれよりもはるかに小さいけれど確かに聞こえてくるヨウコの息遣い。自分の周りを大きく支配するのが純粋な熱気というのもあって、不思議な感覚がしてくる。

 そうしてジッとしつつ、頃合いを見てリューリは目を開ける。壁に掛けられていた時計は、ちょうど入ってから5分ほど経っているところだった。リューリの腕や足は汗で濡れている。

 

「ヨウコ、一旦出よう」

「……分かった」

 

 声をかけると、ヨウコも目を開けてリューリを見る。熱さの影響を少なからず受けているのか、目は少しとろんとしている。けれど驚いたことに、ヨウコの白い肌は全くもって色合いが変わった様子がない。汗は浮かんでいるものの、肌のハリが良いのかすぐに滴り落ちている。

 

「……何?」

「いや」

 

 じろじろ見ているのが気になったかヨウコが聞いてくるも、リューリは首を横に振る。

 

「さて、それじゃクールダウンとしますか」

 

 サウナハウスの目の前には湖が広がっている。ここに限らず、サウナハウスは湖のほとりに建てられており、その理由はサウナから出てすぐに湖で汗を流すことができるからだ。温浴施設などでは、サウナと水風呂が併設されていることがほとんどだが、湖がその代わりとなる。解放感があるため、今のところこの湖兼水風呂に不満を漏らす者はいない。

 リューリもサウナを出ると、目の前の湖に掛けられている桟橋に歩を進め、小さな階段を下りてそのまま湖へ入る。

 

「くううううああああああ……」

 

 体が急激に冷やされて、腹の奥から変な声が出る。

 すると、くすくすと笑い声が後ろから聞こえてきた。

 

「そんな声、出すんだね……リューリって」

「そういうものなんだよ……」

 

 可笑しそうなヨウコを見ているのは気分がいいが、こういう時は自分でも想像できないような声が出てしまうものだ。

 続いて、ヨウコもまた階段を下りて湖に足をつける。

 

「~~~~~……っ!」

 

 そして肩まで浸かったところで、ヨウコは目をぎゅっと閉じ、肩を竦める。冷たいのがよく分かった。

 

「ヨウコもそういう顔するんだな……」

「……」

 

 さっきのお返しのように言ってやると、恥ずかしそうに顔を背けるヨウコ。既に今日のサウナで、リューリはヨウコの知らない顔を2~3見ているし、その仕草さえも目新しい。

 そうして湖で2分ほどクールダウンをした後、桟橋に上がって外気浴を10分ほど挟み、もう一度サウナに入る。ヨウコはこのサイクルのだけでギブアップとはならず、2サイクル目を始めることにした。

 

「戦車道のみんなって、どういう感じなんだ?」

 

 サウナに戻り、また隣に座ったヨウコに雑談を振ってみる。ヨウコは、天井を見上げて少し間をおいてから口を開いた。

 

「……みんな、いい人たちだよ。私なんかにも気さくに話しかけてくれるし」

「……そっか。よかったじゃない」

「うん。ちょっと見た目が変な人もいるけど、それでも仲良くやれてると、私的には思う」

「見た目が変……」

 

 人間関係が全然ダメだとか、誰かから嫌がらせを受けているとかだったら憤懣やるかたない。だが、少なくともそうではなさそうだから安心だ。というより、戦車は協力しなければ動かすこともままならないだろうし、そんな集団の中で孤立していないようであれば十分であろう。

 見てくれに関しては、ノーコメントを貫いておきたい。

 

「でも、それならさ……」

 

 そこでリューリは、一つだけ思ったことを伝えてみる。

 

「……そうしてヨウコによくしてくれたり、仲良くできてる人がいるんなら……ヨウコの髪や肌でバカにしたりしないんじゃないか?」

 

 ヨウコの視線が、こちらに向いた。リューリもまた、熱気でぼやけつつある天井を見上げて続ける。

 

「前にヨウコが、どんな言われ方でその髪をバカにされたのかは俺は知らない。だけど、それで傷ついているんだからきっと、ひどい言い方をされたのは分かるよ」

「……」

「でも、ヨウコが継続高校でこうして戦車道を続けられるってことは……ひとりでできない戦車道を今もやれてるってことは、周りがみんなヨウコのことをいろいろな形で信頼したり、支えてくれてるからなんだと思う」

 

 ヨウコは何も答えない。

 

「そうしてそばにいてくれる人って、ちょっとやそっとのことでヨウコを傷つけたりはしないと思うよ、俺は」

 

 人付き合いが苦手だとヨウコは言う。だが、それでもなおヨウコと向き合って仲良くしてくれているのは、それだけヨウコに気を許しており、そして打ち解けたいと思っているからだろう。そんな人たちが、髪や肌の色だけでヨウコを揶揄ったり馬鹿にしたりするとは考えにくい。

 もちろん、これはあくまで推測でしかないから、この言葉をどう捉えるかもヨウコの自由だ。

 けれど。

 

「ん……」

 

 ヨウコが寄りかかってくる反応は予想できなかった。

 電撃の如き勢いでヨウコへ視線を向ける。右肩に汗ばんだ髪の感触が直接伝わってくることへの耐性など、持ち合わせてはいなかった。

 

「……大丈夫?」

 

 そしてその顔を見た途端に、不安や心配が襲い掛かってくる。

 ヨウコの目は、普段の垂れ気味なそれよりもさらにとろんとしており、呼吸がわずかに乱れている。サウナの熱に当てられてしまったのだろうか。

 

「ヨウコ、いったん出よう。歩ける?」

「……ちょっと、難しいかも」

「肩貸して」

 

 こうなってはこれ以上この場にいるわけにもいかない。すぐに外へ連れ出さなければと立ち上がる。ヨウコもひとりで歩けなさそうだったので、今だけは恋慕の感情を頭の外へたたき出し、ヨウコに肩を貸して外へ出る。

 地肌が白いのでわかりにくいが、意識がまだ保てているだけで、もしかしたら重症かもしれない。そうだとしたら、それはリューリの責任だ。だから何とかする義務が自分にはある。

 桟橋まで移動し、次はどうやって湖でクールダウンさせようかを悩む。安全に入るには階段を下りる必要があるが、ヨウコには難しいかもしれない。かといって背中を押して湖に突き落とすなど論外だ。

 しかし悩んでいる間にも、事態は急変する。

 ふらっと、ヨウコが体勢を崩した。

 

「ヨウコ――」

 

 そして、それを支えきれずに、リューリはヨウコともども湖に落ちた。

 一瞬で体が冷やされ、聞こえてくる全ての音が籠る。驚きのあまり、ごぼごぼと身体の中から空気を吐き出すしかなくなり、上下左右の感覚も不明瞭になってきた。

 それでもどうにか、目を開けて今の自分の状況を把握しようとすると。

 

「――」

 

 水の中で、ヨウコと目が合った。

 その瞬間だけは、湖に落ちた衝撃のおかげか、向こうも意識がはっきりしたようでこちらを見据えている。

 そして今、自分たちの間の距離は、ともすればサウナで並んで座っていた時よりも近い。

 けれど、身体の中の酸素は有限なため、まずは水面から顔を出すことが先決だ。

 ざばっ、と顔を上げると新鮮な空気を体の中に吸い込む。ヨウコも、同じようにすぐ目の前で大きく呼吸を繰り返していた。

 

「……大丈夫か?」

「……うん、なんとか……」

 

 返事をちゃんとできるあたり、先ほどのような状態からは脱することができたらしい。

 そして落ち着いたら、桟橋に上がって水分補給をちゃんとした方がいい。

 

「……」

 

 だというのに、ヨウコは黙ってリューリのことを見つめていた。

 そしてその視線を受けて、リューリもまた動けなくなってしまった。

 至近距離で見つめ合ったことがないからこそ、この状況に頭の処理が追いつけずにいる。サウナの熱は湖で抜けたはずなのに、サウナではほとんど変わらなかったヨウコの白い頬は、わずかながら紅くなっている。

 その原因は、何なのか。

 まさか、自分とこうして近い距離にいるからなのか。

 

「おやまあ、お熱いようで」

 

 そんなことを考え始めたリューリの頭上から、茶化す声を浴びせられた。

 陸を見ると、ジャージ姿のサイマがいるではないか。そして隣には、以前食堂で顔を合わせたアリという女子もいる。

 そして、その姿を認識したと同時、傍にいたヨウコが隠れるようにリューリの後ろへ移動する。

 

「あ、ヨウコ?」

 

 だが、その様子を見逃さなかったのはアリだった。サイマも気づいてはいるだろうが、言及してこない。隠れる理由は言わずもがなだ。

 そして、名前を呼ばれたヨウコは、リューリの両肩に手を置くと、控えめにそっと顔を出す。

 

「2人ともサウナ?」

「うん……」

「そっかー、そっか。さっきの音はサウナから湖に飛び込んだ音? やっぱり気持ちいいもんね~」

 

 気さくに話しかけるアリと裏腹に、恐れるような受け答えをするヨウコ。会話を聞くに、どうやらヨウコとアリは同じコミュニティ――恐らくは戦車隊――に所属しているそうだ。そして、アリはヨウコがこうして人見知りなのを十分把握しているらしく、気を悪くした様子はない。

 一方のサイマ、リューリの方を見ては何か悪い笑みを浮かべている。碌なことは考えていなさそうだ。

 そして頷くと、アリの肩を叩く。

 

「じゃあアリ、そろそろ行こうか。2人で水入らずっぽいし」

「あー、そうだね。それじゃあヨウコもリューリも、ごゆっくり~」

 

 サイマに促されて、アリたちは森の奥へと言ってしまった。2人は2人で散歩の最中だったそうだ。かなり仲がいいらしい。

 そして2人が去った後、自分たちの周りで聞こえるのは、草木や湖の水面が風に揺られる音だけだ。静寂が訪れたことで、リューリは改めて自分の肩に置かれているヨウコの手の存在を、温かさを再認識する。

 

「……ヨウコ、上がろう。体が冷える」

「……分かった」

 

 冷静を保ちつつ、桟橋に上がる。さらにリューリはタオルを2人分持ってきて、ヨウコに手渡ししお互いに水分をよく拭く。

 

「……髪も肌も、見られちゃった」

 

 髪を拭き終えたヨウコがぼそりとつぶやく。

 やはり、リューリに隠れるようにしていたのは、自分の髪をアリやサイマに見られたくなかったからだろう。

 だが、リューリは少し考える。

 

「でも、2人とも全然それに触れなかったよな?」

 

 アリは普通に雑談を振ってきたし、サイマはヨウコよりも一緒にいるリューリの方に興味津々だった(それはそれで問題だが)。ヨウコが気にしているほど、2人もヨウコの髪に目を引かれた様子はなかったのだ。そもそも、アリもまたヨウコと同じく髪が白系だから、気にしなかったのかもしれない。

 

「ありがとう、リューリ」

 

 タオルを肩にかけて、ヨウコがリューリの方を見る。

 

「私のこと、助けてくれて」

「……さっきのこと? あれは、俺の配慮が足らなかったから、むしろ悪かったと……」

「でも、ちゃんと私のことを助けようとしてくれたから」

 

 もっとリューリが気を配っていれば、ヨウコも熱にやられることはなかっただろうに。だから責任をもって救護措置を取ったのだから、当然のことをしたまでだ。

 それでもヨウコは、目をそらさない。

 

「今日、リューリとサウナに入って、ちょっとだけ自信が持てたかもしれない」

「……」

「だから、今度は戦車隊のみんなとサウナに入ってみる。リューリの言ってた通り、こんな私にも優しくしてくれたり、話しかけてくれる人が多いから、信じてみたい」

 

 その言葉に、リューリは自分の言葉ながらも不安になってくる。

 

「でも、あくまで俺の意見だから……」

「それでも信じたいよ」

 

 そして、リューリと目を合わせたまま、前髪を軽くつまんで、ヨウコは笑ってくれた。

 

「だってリューリは、私のことを笑わなかったから」

 

 さっきまで湖の中にいたのに、身体の熱がまた再燃してきた。

 それほどまでに、ヨウコの笑顔は眩しくて、かわいらしくて。

 愛おしい気持ちをとめどなく生み出させる。

 

◇ ◆

 

 その日の戦車隊の訓練で、ヨウコたちの乗るⅢ号突撃砲は参加しなかった。というのも、燃料費の節約と、練度がまだ足りていないメンバーの練習を兼ねて、一定の戦果を挙げた戦車は次の模擬戦は休みという方式らしい。ヨウコたちの戦車は、先の模擬戦で長距離狙撃で敵側の車両を撃破したので、今日の訓練は見学ということになっている。

 ただ、見学だからぼーっと見ているわけではない。ほかの戦車の動きを見るに徹することで、戦術眼を養うことができるし、ゲリラ戦法を基本戦術とする側としてはどう戦車を配置すればいいかのシミュレーションにもなる。

 

「あそこにいたらよかったんじゃない?」

「いや、だけどそれじゃおびき寄せるのには火力がちょっと足りないか……」

「ヨウコの長距離狙撃で調整するとかできるかな」

「それだと後で不意打ちが難しくなる」

 

 ヨウコたちⅢ号突撃砲の全員で、訓練を見学しつつどうすればいいかを考える。いくら自分たちが長距離狙撃で結果を出したからと言って、自分たちは優秀だとまでは思っていない。だから真面目に戦車道には取り組むし、自分たちでやれるだけの考えを張り巡らせる。それが正解かどうかは分からないが、座視しているだけではいられなかった。

 そして、訓練が終わった後は、()()()でサウナに入ることになる。

 

「……」

 

 ヨウコもまた、今日は戦車隊のみんなと一緒にサウナに入っている。

 リューリの時とは違い、自分が身に着けているのはバスタオル1枚きり。戦車隊は全員女子だから水着の必要はない、というルールによるものだが、それよりもヨウコは自分に突き刺さる視線が気になった。

 仕方ないことだろう。最初の一回以来、今までヨウコは他のみんなと一緒にサウナに入ったことがない。それに、戦車道は基本上下ジャージで帽子を被っていたからこそ、今はヨウコの白い髪と白い肌がより目立ってしまう。Ⅲ突の乗員も、それ以外のメンバーも、大体肌の色は普通だから余計に浮いてしまう。

 

「お、珍しいな」

 

 そんなヨウコに気さくに話しかけてきたのはユリだ。サウナであってもトレードマークのポンパドールはそのままだし、アコーディオンまで持ち込んでいる。色々ツッコみたいところはあるが、皆が皆自分を一歩引いたところから見ていたので、いつものように気軽に話しかけてくれるユリがありがたかった。

 

「どうした、いつもはサウナに来ないのに」

「……今日はそういう気分で」

「なるほどな~」

 

 そう言ってユリは、ヨウコの隣に腰かけるとアコーディオンを警戒に奏で始める。

 積極的に話しかけるでもなく、かといってヨウコに気を遣う様子もない。やはりユリは、見た目だけで言えばかなりワルなものの、人との距離の測り方や気遣いが上手いとヨウコは内心で思っている。

 

「珍しい風が吹いていると思ったら、来ていたんだね。ヨウコ」

 

 そして今度は、カンテレを手にミカがやってきた。そばにはアキとミッコもいる。

 ヨウコがこくりと頷くと、ユリの反対側にミカが腰かける。そして膝の上でカンテレを奏で始めた。ユリのアコーディオンを邪魔しないように上乗せする風だったが、果たしてサウナの熱気と湿気は大丈夫なのだろうか。

 

「わあ、ヨウコってお肌白くて綺麗だね~」

「ホントな。ちゃんと食べてるのか心配になるよ」

「わ、しかも柔らかい! 羨ましいなー」

 

 すると、アキとミッコが興味ありげにヨウコの近くに寄る。ヨウコとしては、スキンケアの類などはほどんどしていないし、食事もちゃんと摂っているので特別なことは本当に何もしていなかった。それでも、そんな肌をこうしてまじまじと見つめられると照れくさい。

 するとアキは、ヨウコの前に立って自らの髪を指先でつまむ。普段の短いおさげは下ろしてあった。

 

「そっか、ヨウコって本当に髪が真っ白なんだね」

 

 揶揄う感じではなく、感心したかのような物言いなのはわかった。

 それでもヨウコの頭の中には、かつて自分の髪を馬鹿した男子の言葉がフラッシュバックする。

 

「なんだか、雪の妖精みたいだね」

「……え?」

「だって、真っ白な肌に真っ白な髪だよ? 雪の中で見つけたら、そう思っちゃうって」

 

 話したことがあまりなかったから知らなかったが、アキは純朴な性格をしているらしい。隣のミッコは腕を組んでいるものの、概ねアキの意見に同意している感じらしい。

 だがそこで、隣のユリが「んー?」と異を唱えたげに唸った。

 

「妖精って、遠くから戦車を撃ち抜けるような腕で『妖精』は可愛すぎやしないか?」

「いいんじゃない? そういう妖精もまたオツってやつでしょ」

 

 ヨウコの頭をぽんぽんと優しく叩くユリに対し、ミッコはにししと笑う。

 

「じゃあ、『魔女』だね」

 

 そこで沈黙を保っていたミカが、そう告げる。カンテレを爪弾きながら。

 その言葉に、ヨウコは魔女呼ばわりされることへ不安などを抜きにして、惹かれるようにそちらを見た。

 

「魔女の中には、悪さをする魔女もいれば、人々を導いたり救ったりする魔女もいる。古い歴史や言い伝えの中で、魔女とは前者のイメージが強くなってしまったけれど……」

 

 ミカは、カンテレを弾く手を一度止めて、ヨウコのことを見る。片目は瞑ったままで。

 

「ヨウコは私たちの力になってくれる、優しい魔女だと思っているよ」

 

 何を根拠に、とか、やっぱり魔女呼ばわりは、とかそういうことを普段のヨウコは言えただろう。

 だけれど、ミカのその言葉には、何故だか不思議な力があるように思えてしまって、反論できなかった。

 

「魔女かどうかはともかくとして、最近ヨウコは頑張ってるからな。確かに、ウチの新星だ」

 

 にっと笑ってユリが背中を叩く。ヨウコが動揺しているのを見越してのことなのかは知らないが、期待してくれているのは分かる。それは嬉しかった。

 

「これからも精進してくれよ?」

「……うん、精進してく」

 

 ユリの言葉に、ヨウコは自分でできる限りの笑顔で答える。

 すると。

 

「あーあ、羨ましいなあ、ヨウコが」

 

 アキが残念そうに声を上げた。

 

「私なんて、模擬戦になったらやることたくさんあっててんてこ舞いなのに」

「……でも、アキもミッコも1年なのに、隊長車の乗員に選ばれたから。それは十分すごいことじゃない?」

「それはそうなんだけどさー?」

 

 ヨウコは、今まで思っていた称賛の気持ちを伝えるが、アキが不満そうにミカを見る。ミカはまたカンテレを奏で始めていた。明確な答えは期待できそうもない。

 聞けば、アキは隊長車・BT-42の車長と操縦手以外の全ての役割を兼任しているという。今までの訓練では砲撃に専念すればよかったのだが、模擬戦となると他の車両との協力などでやることが一気に増えるから、オーバーフロー気味らしい。この前や今日の模擬戦で動きがややぎこちなかったのはそのせいか。

 そしてミッコは、頭の後ろに手をやると、ヨウコを見て。

 

「でもヨウコはここ最近すごくなったよな、何かいいことでもあった?」

 

 言われて、自分の記憶が自動的につい最近のことを遡り始める。

 あったことと言えば、同じクラスの友達のリューリとの交流か。アーチェリーの練習を体験させてくれたから、試合の砲撃でコツが掴めたし、『停まって撃つ』という行為にも抵抗はほとんどなくなった。

 そして、サウナに一緒に入ってくれたことで、こうして戦車隊のみんなと一緒にサウナに入ることに対する自信も貰った。

 何よりあの時は――

 

「それなんだけどねえ」

 

 滑り込むようにアリが話しかけてきた。その表情が実に嬉しそうなので、ヨウコの中で嫌な予感が走る。

 

「ついこないだ、ヨウコが男子と二人でサウナを楽しんでるところを見つけちゃってさあ」

「えっ、そうなの?」

「お?」

 

 アリのタレコミに反応したのはアキとユリ。ミッコはまだあまりどういうことか分からないらしく、ミカもカンテレを弾くのを止めない。

 そしてヨウコは、当人だからこそ、アリが何を言おうとしているのかは理解できた。

 

「そりゃあ張り切っちゃうよね。男子とそんな――」

「リューリはそんなんじゃない、ただの友達」

 

 ゆえに、余計なことを言われる前に、先制攻撃をしておく。

 アリはヨウコを見て、肩を竦めて笑う。

 

「ま、そういうことにしといたげるよ」

 

 絶対納得していない言い方だったが、ヨウコはこれ以上否定すると逆に怪しまれてしまうと察知して、一息つくことにする。

 

「……で、実際どうなの?」

 

 割と興味津々な感じでユリが尋ねてきたので、ヨウコはクールダウンという名目でその場を逃げることにした。

 サウナハウスを出て、すぐ目の前にある桟橋の上でバスタオルを取って畳み、湖に降りる。完全に一糸纏わない状態だが、この周囲にあるサウナハウスはすべて戦車隊が所有しているもので、男子は使うことはもちろんエリア一帯に立ち入ることができない決まりになっている。

 体を刺すような冷たさだが、サウナの熱気と、『別の熱』が浮かんだ自分には丁度いい頃合いだ。

 熱にやられて、リューリに支えられつつも湖に落ちてしまった時。

 水の中でも、水面から顔を出した後も、リューリと目が合った。

 その時の自分は、なんだか不思議な感覚になっていた気がする。

 友達としてリューリと接する機会は多かったけれど、改めてあれほど近い距離でリューリと見つめ合うのは初めてだったから。

 不器用で色々と足りていない自分にちゃんと向き合ってくれたから。

 自分のことを助けてくれたから。

 ずっと自分を支えてくれたから。

 

「……」

 

 頭を横に振る。

 これでは本当にアリの言った通りになってしまうではないか。

 

 まるで、自分がリューリのことを好きでいるみたいではないか。

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