作:プロッター

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第9話∶デッド・レコニング

「おはよう」

「……おはよ」

 

 普段から愛想のいい方、とは言い切れないのがヨウコだ。しかしながら、今日はいつにもましてその雰囲気が重苦しい。他のクラスメイトも、それを分かっているのか遠巻きにちらちらとみている。

 挨拶をしたリューリ自身、そうなる理由はおおよそ見当がつく。昨日の黒森峰との試合で負けてしまったことだろう。試合の流れは詳しくは知らないが、負けたことは決して小さくない棘となったはずだ。

 むしろリューリも、まるで自分のことのように悔しい。コミュニティスペースで試合の結果を見てから、抜け殻のような足取りで自室に戻ったのを覚えている。溜息は何度吐いたかも知らない。

 

「……はぁ」

 

 そして、今も隣で溜息をついているヨウコが、大丈夫かと心配なのも確かだ。

 試合に臨む際は、あれだけ意気込んでいたのに。最近は戦車道でも力を上げてきたというのに。仲間たちと話す機会も増えたというのに。

 今回の敗北は、そんなヨウコの右肩上がりの気持ちを叩き落すかのようだった。

 だからこそ、リューリも何かしら声を掛けたいと思う。

 

「……」

 

 だが、それがおいそれとできない。

 ヨウコが好きなのは確かだし、何とかしたいと思っているのも事実。

 けれど、いかにヨウコの気持ちが痛いほど分かると言っても、リューリは戦車道を歩めない男。実際に試合に参加することはなく、戦車道に限っては完全に蚊帳の外だ。

 だからこそ、そんな自分がヨウコに声をかけたところで、何かの足しになるだろうか。どんな言葉を投げかけても、慰めにすらならないのではないだろうか。

 友達だから大丈夫、なんてことは希望的観測だ。ヨウコの性格は、友達として接してきた以上、多少は理解しているつもりである。ヨウコは冷徹でなければ自分勝手でもない。自分の欠点を理解し、そのうえで努力をするひたむきな性格だ。

 だから声をかけても、それはヨウコ自身の欠点に嫌でも触れてしまうのではないかと、リューリは考えている。それが原因で、ヨウコは傷ついてしまうかもしれない。

 だから結果として、話しかけることができなかった。

 

「……?」

 

 視線を感じて、横を見る。ほんの少しだけ、ヨウコと目が合った。

 ヨウコの目は、充血したりしてはいないし、涙に濡れてもいない。それでもやはり、いつもの垂れ目がより下がっているように見える。

 そして、リューリに何か声を掛けたりはせず、ヨウコは視線を黒板の方へ移した。いつか見たように、気だるげに頬杖を突く。

 せっかく隣同士の席に座っているのに、お互いの間には巨大な谷が横たわっているように感じた。

 

◆ ◇ ◇

 

「やけに落ち込んでるみたいじゃないの」

 

 その日の弓道の時間が終わると、肩を叩きながらサイマが話しかけてきた。道着から着替えようとしていたリューリは、気だるげに振り返る。

 

「そう見えるか?」

「そりゃ、久々に全ミスなんてすりゃあ異常だってわかるよ」

 

 努めてなんでもなさそうに答える。しかし、顔はどうしてもばつが悪そうなのが自分で分かった。

 その通りで、今日の弓道でリューリは一度も的に矢を当てられなかった。昨日初めて皆中したのだから、落差が激しい。というより、ここ一カ月ほどは最低でも一度は命中していたので、全部外すこと自体久々な気もする。

 

「……まあ、昨日の戦車道のことだろ?」

 

 そして、何か話す前に、サイマはそれを言い当てた。

 

「分かるよ、俺だってアリとはそれなりに仲がいいんだ。継続の戦車道の話は大体知ってるし、昨日の試合で負けたことも聞いた」

 

 実際には「仲が良い」なんてレベルじゃない。それをリューリは知っているが、論ずるのは今ではない。

 

「……それで、何で俺がそれで落ち込んでると?」

「ヨウコ」

 

 意味もないのに反論してみても、返ってきたのは一人の名前だけ。流石友人というべきか、これ以上ひとりで抱え込むのも億劫だったので、ため息をついてから話すことにした。

 

「……ヨウコはさ、最近力を伸ばしてきて、試合も頑張るって張り切ってたんだよ。それなのに負けちゃって、落ち込んでるのが目に見えた」

「ふむ」

「でもさ、何か声をかけてやりたくても、俺は戦車道なんてほとんど知らない。乗ることもできない。そんな奴が励ましたところで、余計傷つけちゃうんじゃないかって」

「そこまで考えなくてもいいんじゃないか?」

 

 制服に着替えるサイマは、普段通りの軽い口調で答えた。その軽さに、リューリはそちらに顔ごと視線を向ける。

 

「リューリはヨウコと友達同士なんだろ?頑張ってるのをお前が知ってたんなら、ほんの少しの言葉だけでもヨウコは嬉しいと思うよ」

「……そうかな」

「ああ」

 

 言われて、リューリも小首を傾げつつも道着から着替える。

 そしてふと、サイマが教室ではなくここでこうして話しかけてくれたのは、ヨウコを気遣ったからだと気づいた。男子しかいないこの選択授業なら、ヨウコについて悩んでいることを聞かれないで済むから。その細かな気遣いに、リューリは心の中で感謝する。

 

「そういや、アリは何て? 話したんだろ」

「ああ。と言っても、あいつは3回戦から出るつもりだったらしくて、昨日の試合には出てないんだと。それでもやっぱり、自分のチームが負けるのは悔しいって、ちょっと不貞腐れてたよ」

 

 着替え終わり、荷物をまとめるサイマ。話し方も、表情も、そのことについて不満げな様子はない。きっとサイマも、アリのことが心配だったのだろう。

 

「それで『憂さ晴らしなら何でも付き合うよ』って俺が言ったら、今日の放課後ちょっと乗り回しに付き合うことになって」

「乗り回し?」

「ああ。あいつ、ペサパッロだけじゃなくてクルマにも興味あるらしくてさ。それでな」

 

 聞けば、アリは継続高校一速いと豪語するほどにクルマの扱いが上手いという。継続高校は、小規模だがモータースポーツにも力を入れているため、アリもその方面に傾倒しているのだろう。それに付き合うとは、中々ハードそうだ。

 

「……つまりサイマは、落ち込んでるアリにそう言ったってこと?」

「まあ、心が逆立ってるのは分かってたから、それを余計に逆なでするようなことはしない方がいいって思ってな」

 

 笑うサイマを見て、リューリはヨウコのことを思い出す。

 落ち込んでいるのは確かだったから、サイマのように気分転換を促すのはひとつの手だろう。だが、それももしかしたら、負けた現実から目を背けるだけ、と捉えられかねない。何せヨウコは、あれで結構真面目な性格なのだから。

 今だけは、サイマのようにそこまで物事を深く考えず、ストレートに考えられるのが羨ましかった。

 

◇ ◆ ◇

 

 うだうだ考えているうちに、夜になってしまった。

 ヨウコを励ましたいという気持ちは変わらない。だけど、方針が決められない。サイマが言ったように、気分転換を促してそれに付き合うのも有効だろう。けれど、アリは見るからにむしゃくしゃしているから気分転換を促した、ということなので、前提条件が異なる。何せ、ヨウコは落ち込んでいるようであり、苛ついているようではなかった。内心では噴火しているのかもしれないが、どちらにせよ迂闊な判断は避けたいところだ。

 

「……はぁ」

 

 溜息をついて、森の中を歩く。

 趣味、そして気分転換でもある散歩。ついでに歩いていれば、何かヨウコにかけられる言葉が見つかるかもしれないと思っていたのだが、結果はノーだった。フクロウの鳴く声も、風の音も何の役には立たず、自分の小ささを浮き彫りにしかしない。

 その場にうずくまって、頭を掻きむしりたい衝動が走る。けれど、誰の目があるとも知れないので、できない。

 木々の合間から覗く星空は、とても澄んで見える。それでもやはり、果て無く続く空を見上げると、悩みに悩む自分が情けなく思えてしまう。ここまで二進も三進も行かないことは、自分でも初めてな気がした。

 そうして空を見上げて、また一つ溜息を零しそうになったところで、何かが聞こえた。

 

「……ギター?」

 

 それは、弦楽器と思しき音。

 そう口にしたのは、聞こえてきた音の感じと自分が知っている弦楽器とで、マッチしていると思ったからだ。しかし、よく耳を澄ませてみると、クラシックギターともまた音が違う。

 どうやら、こんな夜に外でギターを弾くもの好きが継続高校にはいるらしい。どうせなら、とこの音をBGMにもう少し散歩を続けることにした。

 今いる正確な場所は分からないが、先ほど見た艦の地図と歩いてきた道のりから、すぐ近くに湖があるのは分かっている。そこを目指して森の中を歩いていると、次第にそのギターの音は大きくなってきた。どうやら、謎の演奏家は湖畔で演奏と洒落込んでいるらしい。

 それからほどなくして、湖のほとりに出てきた。雲もないので、本当に星が輝いて見える。

 

「……」

 

 そこに、謎の演奏家はいた。

 まず弾いているのはギターではなかった。頭の中の知識をほじくり返して、その楽器が確かカンテレというフィンランドのものだったと思い出す。それを膝の上に載せて、石に腰かけているその人物は、継続高校の制服を着ている女子だった。さらに、頭にはなぜかサウナハットを被っている。

 そんな謎の女子は、さほど距離は離れていないが、リューリに気づいた様子はない。ずっとカンテレを弾き続けている。

 演奏家の正体が知れたところで、リューリも散歩を続けても良かった。

 だけど、何故かそのカンテレの音色は、リューリの足をその場に縛り付けるかのような、惹きつける何かを感じる。何の曲は知らないが、素人ながら優しい旋律の曲だと思う。

 

「……やあ、こんばんは。風に乗ってやってきたのかな」

 

 唐突に、声が聞こえた。それも、明確に自分に話しかけている。

 演奏に耳を傾けていたので、余計驚いた。見れば、サウナハットの女子がこちらを見ている。今の曲は弾き慣れているのか、手元を見もしない。

 

「……あなたは?」

「みんなからはミカって呼ばれている」

 

 どう返せばいいかもわからない質問だったので、とりあえず名前を聞く。返事はどうも含みがあるものだったが、「ミカ」という名前は聞いたことがある。噂で聞いた、謎めいた美人な先輩だ。

 

「こんな夜更けに散歩かい?」

「……まあ、そんなところで」

 

 カンテレを奏でながら、ミカが話しかけてくる。夜更けに出歩いているのはミカも同じだろうが、そこは自由人が多い継続高校だ。

 ともかく、リューリは確かに散歩に出張っていた。けれどその実は、気持ちの整理のためであり、またヨウコに掛ける言葉を見つけるためでもある。理由はひどく負の方向だが。

 

「何か悩みでもあるのかな」

「え……」

「君からは、そんな風を感じる」

 

 そんなリューリの心の内を見抜いたかのように、ミカの片目がこちらを見据えている。

 なんというか、ミカからは奇妙な雰囲気がする。最初に知り合った時のヨウコとはまた違う、妙な近寄りがたさを感じた。

 その視線に、射すくめられたというべきか、このまま沈黙しているのが難しくなる。

 

「……ちょっと、友達のことで悩んでいて」

 

 もちろん、ヨウコの名前を口にはしない。何かの足しになるかもしれないという感じで、話してみる。ミカは、続きを促すようにこちらを見たままだった。

 

「その友達は、スポーツをやっているんですが、俺はやったことがないやつで。でも、友達が真剣にそれに取り組んでいるのは知ってるんです」

「……」

「でも……そいつが張り切って挑んだ大会では、結果を出せずに負けたようで。落ち込んでるんです」

 

 脳裏にヨウコの姿が思い浮かぶ。見ていて、とてもつらい表情を浮かべていた。

 

「何とか励ましたいとは思っているんです。けど、そのスポーツを齧ってもいない俺が何か言葉をかけたところで、意味なんてあるのかなって」

「……」

「むしろ、無神経な言葉でその友達を傷つけて、嫌われるのが怖くて」

「実に人間らしい悩みだね」

 

 カンテレを弾く手を止めて、ミカはそう告げた。

 相変わらず、涼やかな微笑を浮かべているミカ。けれど、演奏が終わったことで、静けさが前面に出てきている。妙な寒気がリューリの背中に走った。

 

「嫌われたくないと思うのは、それだけ相手のことを大切に思っているからでもある。だけど、それを恐れて『友達』に寄り添うのを迷うとなると、何のための友達だろうね?」

「……」

 

 友達、という存在についてリューリは改めて考える。

 よく話したり、一緒に遊んだり、同じことを経験して、一緒に楽しいと思う存在。時にぶつかり合うことはあるが、雨降って地固まると言うか、それさえも友情の糧になる。脳裏に浮かんだのは、ヨウコやサイマだ。

 落ち込んでいる今という時に、友達という存在は重要になる。ミカの言い分はよく分かった。

 だが、ミカには告げてないこととして、リューリがその友達――ヨウコを好きというところがある。だから、余計嫌われるのを避けたかったのだ。

 

「そして君は、意外と薄情者らしい」

「え?」

 

 続けて、やけに辛辣な言葉が飛んできた。たまらず疑問がそのまま口から突いて出てくる。

 

「その友達との関係が崩れるのを恐れて、相手を傷つけてしまうかもしれないから、何もしない。それは確かにひとつの手段とも言える。でも……」

「……?」

「恐れていると思っているのは自分だけで、その友達は、君の言葉を待っているのかもしれない」

 

 ヨウコがどんな思いで今いるのかは、正直分からない。悔しいだろう、落ち込んでいるだろうことは予想できても、実際はどうなんだろう。話していないから、憶測の域は出なかった。

 そして、もしかしたら、リューリに励ましてもらえるのを待っているのだろうか――。

 

「なのに怖くて何もしないということは、それは()()()()()()()()()()()()()ということ。今、君の中で優先順位が上なのは、君自身ということだね」

 

 言葉が出なくなった。

 どう言葉を掛けたらいいのか分からなかったのは確かだ。傷つけてしまうかもしれない、と思ったのも事実だ。そして、リューリは今に至るまで何もしていない。

 だが、ミカに言われてはっきりとした。

 今のリューリは、自分とヨウコの関係が壊れてしまうことを恐れていた。

 ヨウコという人を心配しているのではない。

 

「……」

 

 無意識に、拳に力が入る。自分で自分を殴ってやりたくなる。

 そして、やらなければならないことができた。

 

「……やるべきことは、決まったかな」

 

 内心を見透かしたかのようなミカの言葉。再びカンテレを奏で始めて、静寂は静かに崩れていく。

 

「多くを言ったけれど、君と私は知り合って小一時間も経っていない。君とそのお友達の関係が具体的にどうなのかも分からない。だから、色々と好きにものを言わせてもらった。もしも君の癪に障ったのなら謝るよ」

「……いいえ」

 

 ミカに対して苛立ってはいない。

 むしろ苛立っているのは、自分自身に対してだ。

 

「こうして偶然会ったのも何かの縁だ。アドバイスらしいアドバイスもひとつしておこうかな」

 

 湖を眺めながら、ミカはさらにカンテレを奏で続ける。

 

「君は、友達にどんな言葉を掛けたらいいか分からないと言ったね。そして、友達がどれだけ真剣だったかは知っているとも」

「……はい」

 

 頷いて見せる。

 

「その君が知っていることが、種火になる」

 

 アドバイス、と言うよりもヒントという意味が強いその言葉。

 だけどそれで、見えなくなっていたリューリのやるべきことが、はっきりと分かるようになった。

 

「人は過去よりも今が、未来が大切と言う。でも、時として過去とは、見えなくなってしまった今や未来を導き出すためにあるんだよ」

「……ありがとうございます」

 

 リューリは、深々と頭を下げた。

 そして、やるべきことを成すために、森の方へと足を向ける。

 

◇ ◇ ◆

 

 自然と、リューリは森の中を走っていた。

 ミカと別れた直後は歩いていたが、「こうしたい」と思い始めてからは、走り出すまであっという間だ。

 言葉を掛けたい相手が……ヨウコが今の時間出歩いているかは知らない。どこにいるかもわからない。けれど、また明日と先送りにするのが嫌だった。ただでさえ、ヨウコを励ましたい気持ちを二の次にしてしまっていたのだから。これ以上、後回しにしたくない。

 夜の森の中を明かり無しで走るのは正直怖い。だが、それでもヨウコの姿を求めて駆ける。点在する野外調理スペースや、森林マップの明かりを頼りに、転ばないように走り回る。

 

「……!」

 

 夜の森に目が慣れてきたためか、それは明かりがなくてもすぐに見ることができた。

 切り株に、誰かが腰かけている。後ろ姿だけだが、継続高校の女子制服を着て、頭には見覚えのある帽子を被っている。さらに、クリーム色のショートヘアが見える。

 

「……ヨウコ」

 

 万に一つの見間違いの可能性が頭を過って、掛ける声が控えめになってしまう。けれど、その声は届いたようで、帽子の少女は振り向いてくれた。

 

「……リューリ、どうしたの。肩で息して」

 

 ヨウコは、普段――件の全国大会前――のような感じで応えてくれた。少なくとも、完全に人とのかかわりを拒絶しているわけではなさそうだ。

 とは言え、走って探していたし、体力は人並みだから息が上がっているのは事実。深呼吸をして、咳払いをしてから、リューリは近くにある石に腰を下ろす。

 

「今、少し話がしたいんだけどいいか」

「……まあ、いいけど」

 

 息を整えて話しかけても、緊張は感じられてしまうらしい。ほんの少し、ヨウコに警戒感が生じたのを肌で理解した。

 

「実は、伝えたいことがあってさ……」

「……っ」

 

 ヨウコが息を呑むのを感じる。

 見れば、何故かヨウコの白い頬がわずかに赤くなっている。まだ何を伝えるかも明かしてないのに、どうしたことか。

 だがすぐに、状況的にリューリが告白しようとしているのではないかと、誤認されたのだと気づく。

 

「戦車道の大会のことで」

「ああ……うん」

 

 だからすぐに誤解を解こうと、本題を早めに切りだす。

 案の定だが、ヨウコは思うところがあったらしく、表情が翳った。そういう表情は見るだけで自分も胸が痛むが、それで引き返すわけにもいかない。

 

「……結果は見たよ。残念だったね」

「……」

 

 ヨウコの顔が、前に傾ぐ。リューリの言うような陳腐な感想など、嫌と言うほど自覚しているだろう。だからこそ、リューリはそれ以外の言葉を伝えたい。

 

「だけど――」

「悔しいよ、すごく」

 

 けれど、リューリの声にヨウコが言葉を重ねてきた。そして、その短い言葉に、どれだけの感情が詰まっているのかと思うと、リューリは言葉を続けられなくなる。

 だから代わりに、今はヨウコの言いたいことを、全て言わせてあげようと決めた。

 

「目標が、あったんだ。大会に出て、結果を残して、やりたいことが」

「……」

「それを目指して頑張ったけど、あの通りで」

 

 頷く。今だけは、試合に参加できないリューリは、黙って聞くことしかできない。

 

「ユリに――先輩に、大会に私を出したいって声をかけてもらって、私はそれに『うん』って答えた……いや、『出させてほしい』って答えた」

 

 ヨウコが全国大会に出た詳しい経緯は知らない。だが、その『ユリ』という先輩が最初に声をかけたことを聞き、リューリの中にひとつの可能性が生まれた。けれど、それは後回しだ。

 

「だからこそ……私は、私が不甲斐なさすぎて許せない」

 

 ヨウコの膝の上で、小さな拳が強く握りしめられている。よくよく見てみると、震えていた。

 

「やっと力がついてきたと思ったのに……自分から出たいって言ったのに……何もできなくて。私は何のために、今まで……」

 

 きっとヨウコは、その悔しさをずっと胸に押さえつけていたのだろう。試合が終わってから、ずっと、今この時まで。

 ますます、すぐに声を掛けなかった自分を恥じる。

 

「……ヨウコ」

 

 話すなら、今しかない。ヨウコは未だ顔を上げないが、リューリは続けることにする。

 

「話してくれてありがとう。そして、ごめん」

 

 見えないとしても、頭を下げる。けれど、わずかな音でヨウコがこちらをに向けて顔を上げてくれたのは分かった。

 

「なんで……リューリが謝るの?」

「その試合の当日、夕方に俺は学校のテレビで結果を知った。だけど、結局今までヨウコに声を掛けられなかった」

 

 再びヨウコの顔を見る。困惑した表情だが、目尻がほんの少し紅くなっていた。

 

「励ましたかったし、何か慰めでもしたかった。それでも、俺は戦車道ができない男だから……何言っても、何やってもヨウコの力にはなれないって思って」

「……」

「そして……もしもヨウコに嫌われたらって、怖くなった」

 

 息を吐く。こんなにも、人に嫌われることを恐れていたのを告げるのは、勇気が要ることだったのか。

 

「だから、ヨウコがそうして自分を責めるぐらいに落ち込んでいることに気づけなかった。そこまで自分を追い詰めているとも、知らなかった」

「……」

「本当に、ごめん」

 

 もう一度頭を下げる。

 ヨウコは何も答えない。愛想を尽かされてしまったかもしれないが、そんな予想は後でいくらでもできる。

 

「それで……もう少し話したい」

「……」

 

 ヨウコは、一度だけゆっくりと瞬きをする。了承の返事と受け取らせてもらった。

 

「試合のことは、本当に残念だと思う。だけど、ヨウコがそうして試合に出ることができたのは、やっぱりそれだけ力があってのことなんだと思う。じゃなきゃ、そのユリって先輩も、試合に出ないか、なんて言ってこなかったんじゃないかな」

 

 今までのヨウコのことを思い出す。戦車道のことを話してくれたヨウコは、脚色などせずに出来栄えを話してくれた。自画自賛はせず、ストイックに自らを評価していた。それを信じて、続ける。

 

「今までだって、ヨウコは決して今の自分に満足しないで、できることややれることを精いっぱい頑張ってきた。変わりたいと自分で思い立って、行動に移してきた。それで結果として、先輩にも実力を認められて、練習でも成果を発揮できた。それだけで、十分ヨウコは立派だよ」

 

 ヨウコの視線が、振り子のように左右に揺れる。リューリの言葉を正面から受け取ってよいものかと、考えあぐねているのだろう。

 

「……でも実際、私は試合でしくじった」

「だけどヨウコは、今年戦車道を始めたばかりなんだろ? それに全国大会の空気が学校の練習と違うってのは、俺にも想像がつく。しかも相手は、何か強そうな学校だったって話だ。そんな状況で、緊張でミスしても、誰も責められやしない」

 

 リューリが今嗜んでいる弓道にも全国大会はある。だが、今年リューリには声がかからなかったし、もし出場できたとしても碌な結果は出せなかっただろうことが想像できた。

それだけ、多くの生徒たちが鎬を削る「大会」という場は恐ろしいものだ。特に、ストイックな性格のヨウコにとっては、余計プレッシャーがかかるものだろう。そんな状況下で失敗しても、仕方ないのだ。

 

「……俺は、ヨウコが頑張っているのを知ってる。話してくれたし、見せてくれた」

 

 以前、休日にリューリが弓道の練習の一環として、アーチェリーをやっていた時。ヨウコもまた、停まって撃つ戦車のスタイルの練習になるかもしれないと、同じようにアーチェリーをやってみていた。

 平日の夜に、地図を見る練習として、甲板の森の中を歩いていた。

 ヨウコは、決して努力を欠かさなかった。

 

「だから……本当にヨウコは、立派だよ」

 

 友達として、ヨウコと接してきたからこそ言える。それが伝えたかった。

 ヨウコの唇が、歪んだへの字に変わったと思うと、右腕で目を押さえる。嗚咽はほとんど聞こえないし、せいぜいが鼻を啜る音ぐらいだ。

 それをリューリは、黙って見守った。

 

 

「……ねえ、リューリ」

 

 ほんの少し時間を挟んで、ヨウコは顔を上げた。まだ鼻の頭と目元は紅いが、少し落ち着いたらしい。

 

「……話ついでに、ひとつ質問をしてもいい?」

 

 リューリは頷く。

 

「私はリューリのことを……大切な友達だと思ってる」

 

 大切な、の前に妙な間があったが、そう思ってくれているのは嬉しい。同時に、まだ自分は恋愛対象とは見なされていないのかな、とも少し残念に思う。

 

「それはリューリも、同じなのかな」

 

 簡単なようで、難しい質問だった。

 もちろん、ヨウコのことは友達だと思っている。そして、それ以上にどう思っているのか、それを自分で今更疑いはしない。けれど、伝えるのは正直いまではないと思った。

 

「……」

 

 けれど、ヨウコの目は、泣いた後でも真剣に答えを求めているのが分かる。誤魔化しなどは通じなさそうだし、それにヨウコのことを後回しにしてしまった自分もいる。この期に及んで、のらくらはぐらかすのが許されないと自分で思った。

 

「……ヨウコは俺にとっても、大切な友達だ」

「……そう」

「そして……」

 

 だから。

 

「初恋の人でもある」

 

 ヨウコの垂れ目が、大きく見開かれた。細かいことなど言わずとも、それがどういう意味かはよく分かるだろう。

 リューリは、観念して続けることにする。

 

「最初にあの港町でヨウコに話しかけた時は、正直怖さ半分だった。何せ、クラスにいる時はちょっとぶっきらぼうで、話しかけるのも緊張したから。だけど、クラスメイトとして話してみたら、本当は律儀で、ストイックで、真面目なんだって分かった」

「……」

「それで、戦車道にも真剣に取り組んで、やっと命中させられたって、笑顔で報告された時、俺まで嬉しくなった」

 

 正確に言えば、その時が感情が芽生えた時だ。

 

「だけど同時、自分のことが情けなくもなった。何せ、俺には誇れるものなんて何もなかったから」

「……」

「だからまずは、苦手だった勉強を何とかしようとした。それで、ヨウコの戦車道と同じ武芸を、弓道を上達させようとした」

 

 ないものを補うために。

 自分に自信をつけるために。

 ヨウコと並んで歩けるように。

 

「ヨウコの隣に、自信を持って立てるようになりたかった。だから俺にとって、ヨウコは友達であって……目標でもあったんだ」

 

 自分にそれだけの力がついたのかは分からない。ヨウコの隣に立つ資格があるかは、自分でも分からない。

 そして今は、リューリが励ましたと言えど、ヨウコは大会で負けた直後だ。

 だから、言うべきは今ではないのだろう。

 

「真面目で、努力家で、自分にできることは何でも挑戦して、真剣に取り組む……」

 

 最後の自分の理性が、抵抗しようと口を固く閉ざしにかかってきた。

 それでも。

 

「ヨウコ。俺はそんな君のことが好きだ」

 

 最後にそう告げたのは、自分の意志だ。

 

「……え……ぁ」

 

 呆けたように、出来損ないの声がヨウコの口から洩れ出る。

 驚いてしまっただろう、緊張させてしまっただろう、また負担を抱えさせてしまっただろう。後悔交じりの予想が、リューリの頭の中で円を描き始めた。

 

「……ええと、リューリ」

 

 だが、意外にもヨウコがまともに言葉を紡ぐのは早かった。

 

「……その、ありがとう。すごく嬉しい」

 

 まだどちらに転ぶかは分からないが、その言葉が聞けただけで今のリューリは十分だ。

 

「だけど、その……返事は、少し待ってほしい。今日は、ほら……」

「ああ、待つよ。ずっと」

 

 もちろん、今日だけで色々あった。戦車道の試合のこともある。今すぐに返事を聞かなければ居ても立っても居られない、なんてことはない。全てはヨウコ優先だ。

 

「でも、約束する」

 

 切り株から立ち上がり、お尻を手で払ってゴミを落とすヨウコ。

 その言葉は、いつものように芯のある語調だ。

 

「絶対、返事はするから」

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