──僕の姉はどこにでもいる、至って真面目な女子だった。
眼鏡をかけて、教室の席では授業の予習をするか、本を読む様な大人しい女子高生。
あ、ロックバンドも好きだったか。
それが、僕が姉に抱いている印象だった。
「ここが姉さんのバンドがライブする場所かあ……」
僕の姉が急にライブチケットを寄越してきた。
自分を変えたいとベースを始めたとは聞いていたけれど、まさかバンドを組むまでに至っているとは思わなかった。
薄暗いライブハウスの空間は、小学四年生には少し不気味だ。
周囲の大人たちは居心地の悪そうな僕を遠巻き見るが、話しかけてくることは無い。
背伸びしたガキが少ない小遣いでインディーズバンドを見に来ることはたまにあるらしい。
そんな感じで彼らが僕にかかわりを持つことは無い。それが僕には酷く助かった。
せっかくライブハウスに来たのだからと今ライブをしているバンドの音楽に耳を傾ける。
それは所謂コピーバンドというやつで、メジャーどころの名曲や、アニソンなんかをかき鳴らしている。
しかし、盛り上がることは無い。それどころか、周囲の空気は今ではなく『その先』を待ち望んでいるようで……
「ありがとうございましたー! 」
彼らの演奏も早々に終わり、撤収していく。
(なんだ、ライブとはいってもピンからキリか)
テレビで見るような大盛り上がりのライブは一握りの存在。結局のところ、僕が心の片隅で妄想したそんな景色との違いに内心がっかりした。
どうせ、姉さんが組んだバンドもこんなものだろう。あの大人しい姉のことだ、案外ジャズを演奏するかもしれない。
総スカンを喰らう未来の姉の姿を妄想し僕は顔を顰める。
──しかしそんな事には決してならなかった。
「新宿サイコォーーーー!! マザー●●●●●ッッー!! 」
その次のバンドが出てきて空気は一変。惰性で音を聞き流していた現代人は、一音一音聴き逃すことを許さない敬虔な信徒へと変貌を遂げた。
怠惰な空間は狂気に満ち、けだるげな地雷ファッションのお姉さんが隣で、ヘドバンを繰り返す。
……無論、それは僕も同じだった。
この愚かな信徒を束ねる教祖たるバンドこそ、僕の姉『廣井 きくり』が率いる『SICK HACK』だ。
僕は音楽をよく知らない。
『このベースラインが』だとか『コードが』どうだとか。そんな詳しい話なんて、できるわけがない。
それでも、今日この日。姉さんが、姉さんたちが奏でる音楽に──。
「うおおおおあああああ!! YEAHHHHHHHHH!! 」
僕は、変えられてしまった。
「責任取ってよ」
独り暮らしの姉さんが久々に家に帰ってきた日。
僕は開口一番姉さんにそう恨み節を効かせた。
「せ、責任ってなにさ。らん君……」
普段は細めた目を見開いて、姉さんは驚いたように僕を見る。
僕こと『廣井 蘭丸』はそんな姉さんをみて遺憾の意を表明したかった。
あの日──姉さんのライブを見に行った日──から、僕が今まで聞いていた音楽がどことなく退屈に聞こえてしまっていた。
流行りのバンドの恋愛ソングも、青と春が交わる青春ドラマの主題歌も。いままでは楽しく、胸を張ってサイコーの曲だと言えていたのに。
「姉さんのせいだ」
「いやー私たちのライブにそこまでご執心になってくれるなんて……。姉さん嬉しいなあ」
「っぐぅ……」
姉さんの言葉に顔が熱くなる。
身内の音楽に心を奪われたなんて、思春期の僕には恥以外の何物でもない。
僕は声にならない声を喚いて姉さんを叩いた。
「うわあ痛い痛い。でもらん君、君の聴く私たち以外の音楽は本当に退屈? 」
「え? 」
姉さんの瞳が僕を見据える。
ここで嘘を言ってはいけない。取り繕ってはいけない空気が辺りを埋め尽くす。
そういわれても、最初の言葉は本心だ。嘘は言っていない。
あれ以来姉さんたちが奏でる音楽は退屈で、中身が無いような、ただ売れるために聞かされているような。
そんな感じがする。姉さんたちが僕の正解なら、彼らは不正解だ。
「違うよ、らん君。音楽に正解は無い。いや、正解しかないんだ。私たちだって正解だし、テレビのバンドも正解」
「正解しかない」
姉さんの言葉を反芻する。
「そう。だから、君たちがあの音楽が正解でこの音楽は間違っているなんて。そんな決めつけは──」
──ただの傲慢だよ。
叱られていると、今わかった。
姉さんに叱られるなんていつぶりだろうか? 数えたほどしかない経験に、僕は狼狽する。
「ご、ごめんなさい」
「んーん。いいのいいの。でさ、もしらん君が私たちの正解のように自分の正解を表現したいのなら……」
姉さんはカバンを漁って一枚のCDを取り出した。
それはこの前のライブハウスでも売られていた姉さんたち【SICK HACK】のCD。
「始めて見る? 君のロック」
試す様に見つめる姉さんの瞳に僕は……。
◆◆◆
姉さんの差し出したCDを手に取ったあの日から四年後。
中学文化祭が終わった振替日。誰もいない校舎の中、僕は忘れ物を取りに教室へ訪れていた。
「危ない危ない。宿題を学校に忘れるとは……これでも優等生で通ってるから気を付けなきゃ」
机の中のファイルを片手に僕は帰路に就こうとする。
しかし、それをさせない音色が、体育館の方向から聞こえてきた。
おかしい。今日は部活を含めた全生徒が休みの日の筈。
人の気配など、ある筈がない。
だが聞こえる、
微かに、しかししっかりと存在感を放つその音色は、僕の足を体育館に運ばせるには十分すぎるものだった。
「あれは……後藤さん……? 」
そこにいたのは同級生の『後藤 ひとり』。
クラスでも目立たない彼女が、一心不乱にギターをかき鳴らす姿が、そこにはあった。
誰もいない、文化祭ライブの後、片付けられてもいない体育館で、彼女のギターが響き渡る。
「アイツ、ギター弾けたのか……というより」
彼女のギターは、とてつもなく上手かった。
繊細な指裁き、巧みな音作り、そしてなにより……
「なんだよ。このビブラート」
歌うように震わせるビブラート。
ギター自身が歌っているかのように錯覚させるテクニックの数々に、僕は感心せざるを得ない。
同い年であそこまでの技術力、眠れない夜もあっただろう。
こんなロックを聴かせられて、自分の中のロックが黙っちゃいない。
ちょうどこの後バンドの練習がある故に、ベースは自分の背にある。
僕はずかずかと彼女の隣へと歩いていき徐にベースを取り出し、アンプへと繋げた。
「へ? ちょ……! 誰? 」
後藤が戸惑うように演奏を止めるが僕はそれを許さない。
姉を真似たように、ベースをバチで「ベン」と鳴らす。
──少し遊ぼうぜ、後藤さん。せっかくそんな立派なロックを持ってるならさ、一緒に楽しませてよ。
にやりと笑って彼女を挑発するように見れば、彼女はそれに応えるように僕のベースにギターを乗せてきた。
こうして、僕と彼女の二人きりのセッションが始まるのだった。