「ちゃんと約束、守ってくれたのね」
目の前で微笑んでいる少女は、マシロちゃんだった。
自称、不死身なだけで幻想体として収容されてしまった普通の女の子。見た目は全身の色素が薄くて、本当に真っ白に見える以外は普通の女の子。
でも、その瞳の輝きは、私と同じ人間とは思えなかった。
言葉では言い表せない、同じに見えるのに、どこか違和感のある、奇妙な感覚……
言ってしまえば、不気味な谷? ていうのかな。なんか、そんな感じがするような……
「な、なんで……?」
私は、その瞳に見つめられて、思わずそんな言葉をつぶやいてしまった。
そもそも、ここは『森林エリア』、この子がいたはずの『お出迎えエリア』とは全く違う場所である。
それなのに、なぜ彼女はここにいるのだろうか?
「ふふっ、なんでも何も、自分で来てくれたんじゃない。約束を守るために……」
そういう意味じゃない、だけどそれを指摘してもはぐらかされるだけだろう。
それよりも、ここにいるのはまずいと思い後ろ手に扉を開いてここから逃げ出そうとする。
「えっ!?」
しかし、どれだけ頑張っても、収容室から出ることはできなかった。
「うふふっ、作業が終わらないとここからは出られないわ。作業で満足させる前に退出したら幻想体がどう動くかわからないって建前があったみたいよ」
そんな必死な私の姿を見て、マシロちゃんはクスクスと笑いながらそんなことを教えてくれた。
……そのことが本当なら、ここから出るには作業をするしかない。私は覚悟を決めて彼女の方に振り向いた。
「ひどいわ、私はただ貴女とお話したかっただけなのに……」
「……そもそも、貴女がいたのは『お出迎えエリア』だったよね? なんで『森林エリア』にいるの?」
「そうだったかしら? うふふ……」
私の問いに、彼女はクスクスと笑うだけだった。
そんな彼女に警戒のまなざしを向けていると、ようやく笑い終わり息を整えてからこちらに向き直った。
「さて、それじゃあ約束通り、いっぱいお話しましょ」
「……そうだね、お話しよっか」
そこで、私は覚悟を決めて彼女に作業することにした。
最初にあったときは特に違和感を覚えなかった。でも、こっちに来て何度も幻想体と関わるにつれて、彼女の異常性に気が付いてきた。
なんというか、幻想体にまともな人の形をした存在なんて、今のところ見たことがないのだ。
それに、他の幻想体と対面した時に感じる恐怖を、彼女からは全く感じない。それなのに、幻想体から採れるエンケファリンを彼女は生産するのだ。
まだこの世界に来て日が浅い私でも、その異常性は分かる。
それに、まだ彼女は全貌を隠している。そんな気がするの……
「うふふっ、大丈夫! 取って食ったりとかはしないわ、今の私じゃ無理だもの」
「そう、それで……」
「うふふ……」
結局、私は彼女と一緒におしゃべりをすることになった。
とはいえ、以前のように楽しくおしゃべりなんてできなかった。
彼女は好奇心旺盛で、様々な質問をしてくるので私もなるべく堪えられる範囲で回答した。特に返答に困る話でもなかったからよかったけど、これで外の話とかされたら困ってたなぁ……
そんな風にお話をしていたところ、突然彼女は顔を上げて収容室の扉の方に顔を向けた。
「あら、お客さんみたいね?」
「お客? アントニオさんかな……」
「いいえ、これは……」
彼女が言い切るよりも先に、扉が勢いよくこじ開けられた。
勢いよくなだれ込む黄色い塊。テカテカと光る粘液を纏ったそれは、一か所に集まり大きな塊に変貌していく。
「これって……」
「来たのね、『スネイルレイン』」
それは、巨大なナメクジだった。
数々の手のひらサイズのナメクジが寄り集まり、私よりも大きな一体のナメクジとなって目の前に現れる。
目の前にした瞬間、恐怖の感情が私を支配する。
今、私は防具のE.G.O.を装備しているものの、武器に関してはいまだに持っていない。そのE.G.O.にしても、『教育用ダルマロボ』から抽出された『基礎教育用疑似E.G.O.』、つまりあまり良い装備とは言えないものだ。
そんな状態なのに、脱走した幻想体が目の前に、しかも逃げ場のない収容室で対面する。それは、絶望的な状況であることを意味していた。
「……大丈夫よ。あいつの狙いは、私」
「マシロちゃん?」
「今の私じゃあいつにはどうしようもないけれど、あいつを引き付けて貴女がここから逃げる隙を作ることくらいはできるわ」
「そんな……」
彼女は巨大なナメクジ…… いや、『スネイルレイン』に向き合いながら私にそう伝える。
その表情は、まるで決死の覚悟を決めているかのように見えた。
「でも、それだと貴女は……」
「大丈夫よ! 私、不死身だから……」
違う、そういう問題じゃない。
私の頭の中で、警鐘が鳴り響く。
それは、目の前にいる『スネイルレイン』に対してではない。
この少女、『真っ白な少女』に対してであった。
……きっと、ここで逃げたら後悔する。どうなるかは、わからない。けれど、私はきっと今、とてつもない選択を迫られている気がするのだ。
「……私が戦う」
「えっ?」
私の言葉に、彼女は素っ頓狂な声を上げた。
……意外、そんな顔もできたんだ。
まぁ、わからなくもない。私だって、この選択をしたことに驚いているのだ。
そもそも、私に勝ち目なんてない。ただ、彼女の元にこのナメクジを到達させたらいけないって思ったのだ。
たとえ命に代えても。死への恐怖を十分に感じているにもかかわらず、そんな覚悟を決めてしまうくらい、私の直感がそうしろと訴えかけてくる。
こんなこと、今まで一度もなかったのに……
「貴女、武器は持っているの?」
「ううん、持ってない」
「じゃぁ、戦いの経験は?」
「ない」
「……そう」
私の返答を聞いて、彼女は少しの間悩むそぶりをしてから笑みを浮かべた。
その笑みは、今までと違って少し人間味を感じるものであった。
「わかったわ、それなら私が力を貸してあげる」
「……えっ?」
気が付けば、彼女の手には一つの武器が握られていた。
まるですべてを吸い込むように、どこまでも真っ黒な刀身をした、剣。
ナイフと言うには大きすぎる、短剣と言うには刀身の幅が広すぎる。ガラスの破片のような刀身と、いくつかの小さなガラスの破片のようなものが並んで宙に浮き、柄の部分に追従して動いている。
それを見て、私はそれが何かなんとなく理解した。
「これって、もしかして……」
「そう、私のE.G.O.。これなら、戦いの経験のない貴女でも、きっと戦えるわ」
『E.G.O.』 それは、幻想体から抽出された、心の武器。
聞いた話によると、これを手にしたものは戦闘経験がなくても武器の扱い方がわかり、ちゃんと戦えるとのこと。
確かに、それであれば戦えるかもしれない。
「……ありがとう」
「お礼なんていらないわ、だって友達でしょう?」
彼女のまぶしいほどの笑顔がこちらに向く。そこには、先ほど感じた人間味なんて微塵もなかった。
そんなことを感じながら、彼女からE.G.O.を受け取る。
そして、手にした瞬間に武器の使い方を理解する。これが、E.G.O.……
「サクラちゃん、お願いね」
「……任せて」
手に持つE.G.O.を構えて、『スネイルレイン』に向き直る。
私の、初めての戦いが始まる……