「ちょうど、百味ビーンズを買ったのだよ」
ダンブルドアはそう言うと、帽子を取って椅子に腰掛ける俺の前にお菓子の袋を差し出した。一つつまんで口にいれる。
「ふむ……儂は粘土味を引いてしまった。昔から百味ビーンズにはいい思い出がない。君はどうかね?」
「これは、マヨネーズ……?」
なぜ粘土の味を知っているのだろうかとぼんやりと思いながら、酸味の強いビーンズを噛みしめる。
俺は今、ダンブルドアの誘いで彼の執務室に来ている。用件は恐らく、ラバスタン・レストレンジの襲撃だ。
端から見れば、あの事件への俺の関与の仕方は異常だった。俺はラバスタンが探している本をガブリエラが持っていたから様子を見に言った、と証言したが、闇祓い達もダンブルドアもその話をどれくらい信用しているかはわからない。
「さて、いきなりじゃが本題に入ろう」
「……はい」
「『深い闇の秘術』という本について、どれくらい知っておる?」
おっと、そうきたか。
ダンブルドアならばそこを一番聞きたいだろう。『深き闇の秘術』は、魔法界で唯一分霊箱の制作方法について細かく記述された書物だ。ラバスタン・レストレンジから「ヴォルデモートがこの本を回収している」という情報が得られた今、ダンブルドアはヴォルデモートが分霊箱を作成したと確信しているだろう。
「……そうですね、ラバスタンが闇の帝王の命令でそれを回収していたこと、中世に書かれた本で、内容が当時の最も危険な闇の魔術であったことと」
「ふむ」
「――分霊箱の、制作方法と破壊方法、そして蘇る方法が記載されていること」
「――ほう」
俺の発言に、ダンブルドアは目を細めた。
もしダンブルドアが開心術を使っていた場合、今みたいに閉心術を全力で発動していても、その圧倒的な技術力で突破され、心を読まれてしまうだろう。だから嘘はつかないことにした。もし嘘をついているとバレたらダンブルドアに疑われるだろう。ダンブルドアに危険視されることだけは避けなければいけない。彼が敵に回れば、俺を待つのは死喰い人として投獄されるか、死ぬかのどちらかだ。
「……校長先生は、闇の帝王が分霊箱を制作したと思っていらっしゃるんですよね」
「なぜ、そう思ったのかな?」
「力を得た人の行き着く先は全部同じです。全員、不老不死を目指しますから」
色んな作品を見ているとわかる。物語における敵役は、よほど崇高な目的を持っていない限り、だいたい不老不死を目指す。ヴォルデモートだってその一人だ。
「俺もその本を持っているので、分霊箱の存在は知ってます。そして、闇の帝王がこの本を回収しているとすれば、考えられる目的は一つ――分霊箱の知識を、この世から消すこと」
『深い闇の秘術』は、魔法界で唯一分霊箱の機能が書かれている本だ。つまり、この本さえ全て破壊してしまえば分霊箱がどのような存在なのか、そうやって破壊するかは誰にもわからなくなってしまう。そして、レストレンジ家ほどの力を持った一族を使えば、その本をすべて回収することも不可能ではないだろう。
自分一人が分霊箱の力で不死となり、時が経って敵対するものが全て寿命でいなくなれば、もはやヴォルデモートを脅かせるものはいない。
「……いかにも、儂は君の言う通りヴォルデモートが分霊箱を作成し、その知識を抹消しようと企てているのではないかと疑っておる」
ダンブルドアは少し俯いてからそう言った。
まぁ、今世紀最高の魔法使いとも呼ばれるダンブルドアなら、それくらい予想できるか。
「なら、逆に分霊箱の知識を広めれば、奴の企みを防げます!」
「すまないが、それはできぬ」
「え」
「そんなことをすれば、ヴォルデモートは一層警戒心を高めるじゃろう。魔法省などが分霊箱を捜索し始めれば、奴は儂でも見つけられんようなところに分霊箱を隠すやもしれぬ」
「――ッ」
くそ。
ダンブルドアの言う通りだ。もし、ここで分霊箱の存在を公表してしまえば、それこそ取り返しのつかないほどに原作から大きく流れが変わってしまう。分霊箱になる物体も、隠し場所も変わってしまうかもしれない。だからといって、黙ってこの事実を隠すしかないのか。
「ユマノ、焦ってはならぬ。焦りは破滅に通ずる」
「……わかっています」
このまま卒業間近まで待てば、ハリー・ポッターの前の最後の分霊箱であるロケットが洞窟に隠され、それをレギュラス・ブラックが自らの命を犠牲にして奪取する。洞窟の確かな位置がわからない今、派手に動くと分霊箱を別の場所に隠されかねない。
「君が今すぐに行動したい気持ちはわかる。この事件に君が関与していることがバレてしまえば、君は家族共々死喰い人に狙われてしまう」
「心配してるのはそこではありませんよ」
別に両親が狙われたってどうだっていい。魔法が使えるなら、一人で生きていく術もないわけではない。ただ、ラバスタン・レストレンジの逮捕という、原作の流れを大きく歪めかねないことをしてしまった以上、未来が不確かなものになってしまった。ヴォルデモートがハリー・ポッターの手によって死ぬ、という結末は、もはや可能性の一つに成り下がってしまった。
俺は、焦っているのかもしれない。咄嗟に、死ぬはずだった人間を二人も救ってしまったことで、ヴォルデモートが勝利する世界を作り出してしまったのではないかと。
「結局、今回の事件で魔法省はどのみち分霊箱について知るのでは?」
「ラバスタン・レストレンジの証言によれば、彼に課されていた役目は『深い闇の秘術』だけでなく、複数の闇の書物の買い占めじゃった。ヴォルデモートによる、ラバスタンや彼を捕らえた者が分霊箱に辿り着かないようにする防止策じゃろう。ヴォルデモートは自身の行為について絶対の自信を持つ傲慢な人物じゃ。魔法省が分霊箱の正体を知ったとはおもわぬはずであろう」
たしかに、ヴォルデモートはやや分霊箱の管理が雑なところがある。レイブンクローのダイアデムなんかがいい例だ。彼は必要の部屋を自分以外が見つけることはないと過信して、何の守りもかけずにそこに放置した。
魔法省も魔法省でかなり杜撰だ。明らかに欠陥がある、未成年の魔法使用を検知するシステムを長年改善せず放置し、犯罪者を冤罪かどうか確かめる裁判も行わずに終身刑に課したりもする。前者は魔法省の中に、そのシステムの欠陥によって利益を得ている純血一族に対する忖度が存在することが主な理由だが、それはつまり魔法省に対して死喰い人がある程度影響を及ぼすことができるということだ。父親がレストレンジ家の努力で無罪になったのがいい例だ。
きっと、魔法省はラバスタンの集めていた書物に禄に目を通さず、闇の帝王が闇の魔術に関する知識を自らのコミュニティ――即ち死喰い人の中だけで独占しようとしていると考えるだろう。ヴォルデモートが魔法省の杜撰さを知っているのならば、適当に対策をしておけばなんとかなると考えてもおかしくはない。だが、
「それは、楽観的すぎませんか?」
「そうやもしれぬな」
「じゃあやっぱり、俺があの日したことは間違いだったんじゃ――」
「ならば君は、あの二人を助けたことを、後悔しているのかね?」
「……いえ」
それだけは確証を持って言える。たとえ、この判断が闇の帝王の繁栄につながるとしても、俺はラバスタンの逮捕と引き換えに二人の命を救ったことを公開することはないだろう。
「なら、君が案ずることはなにもない。もし君が儂らの側につくというのならば、この後始末は儂ら大人が行う」
……とてもハリー・ポッターを対ヴォルデモート用の兵器に仕立て上げる男の言葉とは思えないな。
忘れかけていたが、ダンブルドアは基本的に善良な人間なのだ。魔法界で虐げられている半巨人やスクイブに職を与え、人狼にも入学を許可し、自分に杖を向ける死喰い人のドラコ・マルフォイにも手を差し伸べた。
「俺は、責任を取らなくていいと?」
「君は、無実の命を救おうとした。そのことについては何も責任を追うべきではない」
「たとえそれが闇の帝王の不死性を強めるものでも?」
「君がホグワーツ生である限り、君は儂の監督下にある。責任を追うべきは、力不足だった儂の役目じゃよ」
……厳密には、休暇中だったから監督責任は保護者である両親にあると思われる。だが、自分の責任としているのは、両親の庇護を受けなければ生きていけない俺への配慮であろう。
ドラコ・マルフォイの場合、ダンブルドアは彼に完全に死喰い人を裏切るよう促した。それは、ドラコが既にOWL試験を受けた後で、戦争が終わった後でも一人でやっていけるだろうと見越したからだろう。だが俺の場合、これから六年間スリザリン寮の中で過ごさねばならない。俺が死喰い人から逃げてしまえば、エバン・ロジエールを始めとした死喰い人の子息たちに殺される可能性がある。退学するのも一手だが、戦後になったときにホグワーツを卒業していない、OWL試験も通過していないと碌な仕事に就けないだろう。ホームスクーリングがマグル界よりも一般的なイギリス魔法界だが、それでもホグワーツに対する信用は絶大だ。死喰い人を裏切ったとなれば、純血コミュニティからも爪弾きにされて、ダンブルドアの庇護下にいなければ生きていけなくなってしまう。
ダンブルドアも、俺が望めばそれを良しとするだろう。ドラコ・マルフォイの場合は、それ以外の選択肢がなかったが、今の俺にはまだなんとかする道がある、とダンブルドアは考えているのだろう。
「儂は今日、君に2つの頼みがあってここに来た」
「……なんでしょうか」
「一つは、先程訊いたことじゃ。君がこの事件についてどれくらい理解しているかを教えてもらった。もう一つは、この事件のことを、誰にも口外しないでほしいということ。その願い、聞いてくれるかのう?」
「できますが……」
この事件について余計なことを話せば、分霊箱の存在が外部にバレると思ったのだろう。だが、
「俺が、信用できるんですか?」
普通ならば、死喰い人の息子である俺に対しては破れぬ誓いを結ばせるのが妥当だろう。しかし、彼はそれをしようとしない。
「少し考えればわかることじゃ。もし君がヴォルデモートの命で動いているのであれば、ラバスタン・レストレンジと『深い闇の秘術』に関する知識を魔法省に渡すはずがない」
「あなたの信頼を得るために、ラバスタンを犠牲にしたという考えは?」
「聖28族であるレストレンジ家の持つ影響力は魔法界では大きなものじゃ。ヴォルデモートとて、他に差し出せる駒がある状態でわざわざ彼を選ぶことはない」
「俺が闇の帝王とは関係なく、独自に動いたという可能性は?」
「君の後見人はレストレンジ家の人間じゃったな。例えば、死喰い人内で派閥争いがあったとしても、ラバスタンは君の敵ではないだろう。儂の信頼を得ようとするのが君の狙いならば、この事件以外を利用すればよかったのじゃ。悲しきことながら、類似した事件は昨今とても多いからのう」
別に派閥争いが起きているわけではない。そもそも死喰い人同士では統率が取れていなさすぎて、派閥すら存在しないのだ。裏切り者が出たときに魔法省に内部の情報を告発されないように、闇の帝王自身が相当な幹部以外の死喰い人個人同士の交流を妨げている節さえある。
「さて、もう夜も遅い。君の友人も待っていることじゃろう。今夜はこれで終いじゃ」
ダンブルドアは百味ビーンズをもう一つつまむと、顔を顰めた。
「……残りは、君にあげよう。どうやら儂にはこの手の菓子でハズレを引きやすいらしい」
「え、何引いたんですか?」
「……吐瀉物やもしれん」
誰だよこの菓子売ってるやつ。正気か?
俺は恐る恐るビーンズを受け取ると、帽子を被って立ち上がった。
「君には、感謝している」
「……いきなりなんですか」
校長室から出ようとしたその時、後ろから呼び止められた。
「あの二人、ガブリエラ・オリバンダーとパグナックスは儂では救えなかった。君がいなければ、彼らはラバスタンの手にかかっていただろう」
それは、ダンブルドア校長の本心からの言葉であるらしかった。
ダンブルドアと、二人の関係を俺は知らない。だが、彼なりに思い入れがあるのは確かだった。今日の真の本題、俺をここに招待した本当の目的は、これだったのだろう。
俺はどう返事をするかわからず、しばらく間を置いてから言った。
「あなたに礼を言われるようなことはしていませんよ。自分のための行為だったんで」
ダンブルドアは小さく頷いた。
「それでは、ごきげんよう、アルバス・パーシヴァル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア校長先生」
「おやすみなさい、セルウィン君。良い夢を」