混沌の使い魔   作:Freccia

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 「EL ELOHIM ELOHO ELOHIM SEBAOTH」

 暗闇の中、朗々と響き渡る。  

 「ELION EIECH ADIER EIECH ADONAI」

 闇の中、その言葉を紡いでいるのは一人の男だ。

 「JAH SADAI TETRAGRAMMATON SADAI」

 常人には意味が分からなくとも、その言葉には確かな力がある。

 「AGIOS O THEOS ICHIROS ATHAMATON」

 その証拠とばかりに、地面に六芒星が浮かび上がり、光を放つ。 

 「――AGLA AMEN」
 光は集まり、人の形となる。





第10話 Overprotection

 屈強なその体を血に染まったと見紛うような鎧と兜が覆い、更に左手には体の半分を隠すほどの巨大な盾、右手にはその身に比べても長大な槍を携えている。並みの者ならば動くことも困難な重さであろうが、この者に関してはそのような心配は無用だ。

 

 何せ、そもそも人ではないのだから。その証拠に、背中には翼がある。肌と同様、闇に溶け込むような紫の翼だ。紫の体、そして血に染まったような赤を示す武具。盾には曲がりくねった奇妙な文様まで描かれているが、それでもこの者には禍々しさだけでなく、ある種の神聖さをも持ち合わせている。

 

 おそらく、それはこの者の持つ空気がゆえだろう。戦士としてのそれ、この者が持つ信念さえも感じさせる。例え側にいたとしても、畏怖こそ感じこそすれ、恐怖を感じるということはないだろう。

 

 そのような者ではあるが、今は地面に膝を付き、目の前の男に恭順の意を示している。傍から見れば滑稽な様だ。なにせ、一見した所は傅く者こそが強者なのだから。 

 

 

 

 

「――頼めるか?」

 

 傅かれた男は、少しばかりのやり取りのあと、そう締めくくる。

 

「お任せを」

 

 その言葉に一切の迷いはない。言葉とともに膝を上げ、すぐに飛び立つ。一つ羽ばたくとともに速度を上げ、やがてその姿も闇に紛れる。

 

「用心するに越したことはない。さて、あとは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――嘘つき。一緒にいてくれるって……言ったのに」

 

 口からはそんな言葉が漏れる。だが、その声は自分でも驚くほど力がない。理由は、分かっている。

 

 まさかシキがあんなことを言うなんて思わなかった。姫様の頼み、冷静になって考えれば、戦争の真っ只中に行くということ。怖くないはずがない。でも、昨日はそんなことは露とも思わなかった。むしろ、姫様の役に立てるということが嬉しかったし、誇らしくもあった。

 

 ――でも、それはシキがいたから。

 

 たぶん、私のことを心配してのことだと思う。でも、シキだけは私のことを分かってくれると思っていた。私にとって、今までずっと馬鹿にされるだけだった私にとって、姫様が私を頼ってくれるというのは特別な意味があることだ。もちろん、シキの言いたいことも分かる。でも、シキなら分かってくれると思っていた。

 

 知らず、流れてきた涙を拭おうとして、指輪が目に入る。代々王家に受け継がれる宝だという、水のルビー。せめてもの信頼の証として、姫様が授けてくださった。

 

 

 そうだ。そもそも姫様は私を頼ってわざわざ私の部屋へ。だったら、シキがいなくても……

 

 

「――なあ、ルイズ。本当に君の使い魔は来ないのかい?」

 

 せっかく人が決心を固めているのに、横から呑気なギーシュの声が耳につく。姫様に良い所見せるためだけにわざわざ志願までして……。そちらには視線を向けず、苛立ち交じりの言葉を投げかける。

 

「来ないわよ。だいたい、昨日シキを見て悲鳴を上げていたのは誰よ」

 

 その言葉に押し黙る。自分でも情けなかったと思っているんだろう。見れば顔も赤い。身振りを交えて何やら言い訳がましいことを言っているが、その姿に少し気分が晴れる。八つ当たりじみていて大人気ないとは思うが、せめて今だけは許して欲しい。

 

 結局、今回の件にはギーシュもついてくることになった。あろうことか話を盗み聞きしていたのだ。シキを見て悲鳴を上げていたが、どうしても姫の役に立ちたいと志願してきた。情けないところを見せてすぐにそんなことを言えるのだから、それはそれで大したものだ。まあ、尊敬などはできないが。

 

「足手まといにはならないでよね」

 

 そんなギーシュを見ながら何となく口にしたが、その言葉が自分の胸にもチクリと刺さる。でも、そんなことは覆してみせる。私だって、いつまでもゼロのままじゃない。

 

 そう心に誓う中、耳に近づいてくる蹄の音が聞こえてくる。音のする方へと振り返る。

 

「あら、ルイズ。……彼も行くの?」

 

 旅装を整えたお姉さまが怪訝そうに尋ねてくる。しかし、そう思うのももっともだ。逆の立場なら私も同じことを尋ねただろうから。

 

「成り行きでそういうことになりました。でも、そのユニコーンは?」

 

 お姉さまが跨っているのは随分と立派なユニコーンだ。透き通るほどの白さ。そして、絹と見紛うほどの毛並みの美しさ。気高い聖獣であるユニコーンは王族の馬車を引くのにも用いられるほど。そして、良くは覚えていないけれど、姫様いらっしゃった時にも。

 

 しかし、このユニコーンはそれよりも更に美しく、一回りも、二回りも大きい。王族が用いるものは、選りすぐりであるはずにも関わらずだ。

 

「まあ、ちょっと、ね」

 

 少しばかり困った表情で言葉を濁す。まあ、お姉さまのことだ。どこかから無理やり調達したんだろう。そういったことを聞くのは薮蛇になる。それに、そんなお姉さまが来てくれるのはやっぱり心強い。あとはシキさえ――頭に浮かんだその考えを振り払う。ついさっき、シキには頼らずにと心に誓ったばかりなのだから。

 

「――でも、お似合いですよ」

 

 とりあえず、当たり障りのない言葉を口にする。しかし、これは正直な感想だ。純白とも表現すべきその姿は凛としていて、お姉さまには良く似合う。例えとしては少し攻撃的かもしれないけれど、戦乙女とでも。もしくは、噂に聞く若いころのお母様か。

 

 ちらりとお姉さまを見ると、眉間にしわを寄せ、こちらを睨んでいる。

 

「な、何でに睨むんですか!?」

 

 思わず後ずさる。いつもよりも更に鋭い、射抜くような目線だ。たぶん、ユニコーンに跨っていなかったらその場でつねり上げられていただろう。その剣幕に、未だに悶えていたギーシュも何事かと身構えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――連れて行くといい。護衛としても期待できるはずだ」

 

 朝方、私の所へシキさんが訪れた。わざわざルイズが部屋へと戻ってからだったが。そのまま外へと連れられたのだが、案内された先にはユニコーンが待っていた。王宮で見かけるものよりも大きく、それでいて美しい。ユニコーンは他の幻獣に比べて見た目が美しいが、強さと言った面では少々劣る。しかし、目の前のものは、その点でも全く引けをとらないように思える。

 

「随分と、立派ですね」

 

 素直な感想が口をつく。しかし、見れば見るほどそれが間違いではないと分かる。それに、振舞い方といい、知性さえも感じさせるほどだ。

 

「そこらのものどもと一緒にされては困りますね」

 

 不意に、目の前のユニコーンが口を開く。

 

「な、喋った!?」

 

 一瞬耳を疑ったが、確かに見た。間違いなく、今喋ったのは目の前の存在だ。あまつさえ、驚くばかりの私へ呆れたような仕草まで見せている。

 

 幻獣はもともと他の動物に比べてはるかに高い知能を持つ。使い魔となったのなら、人間の言葉も当然理解する。しかし、喋るということはない。そもそも、体のつくりが違うのだから。

 

「喋らないものなのか?」

 

 シキさんが不思議そうに尋ねてくる。喋るのがさも当然といった様子だ。

 

「ええ、まあ……」

 

 曖昧に答える。それに対して、シキさんが顎に手を当て、呟く。

 

「――この世界にもユニコーンがいるのなら目立たないと思ったんだが。なら、仕方がない。とりあえず、人前では喋らないでいてくれるか?」

 

 傍らのユニコーンに対して話かける。

 

「――畏まりました」

 

 恭しく――人のような動きではないのだが――心持ち頭を下げ、主に対する恭順の意を示す。

 

「そのユニコーンはあなたの使い魔ですか?」

 

 気になったので尋ねる。人語を使うユニコーンなど聞いたことがないので、そう考えるのが自然だ。そして、この世界のものではないと。対して、少し困ったように間をおいて答える。

 

「パートナーといった意味でなら、確かにそうだな。まあ、俺は仲魔と呼んでいたが」

 

 その言葉に、ユニコーンが自慢げな表情を見せる。さすがに人語を使うだけあって、表情もそれに近いものを浮かべている。見ていてなかなか興味深い。どれだけの知能があるのか、どういった生態なのか、興味は尽きない。

 

「――いいか?」

 

 その言葉に慌てて前のめりになっていた姿勢を戻し、向き直る。

 

「俺も後ろからついては行くが、見えないように少し距離をおく。だから、何かあった時にも、すぐにというわけにはいかない。その間の護衛を兼ねてと思ってくれ」

 

 その言葉に続いて、ユニコーンが私の方へと一歩踏み出す。そうして、普通のユニコーンとは違う、赤い目で私を見つめてくる。何となく、品定めをされているようで居心地が悪い。しばらく私を見た後、口を開く。

 

「――フム、確かに乙女。ならば我が背も許しましょう」

 

 もったいぶるように、やけに人間くさい仕草で呟く。それに気をとられて、一瞬言っていることが分からなかった。

 

「年齢を考えれば少し語弊がありますが、まあ、そこは主殿に免じて不問としましょう」

 

 そうしれっと付け加える。そうして、ようやく言っていることが飲み込めた。

 

「何なんですか、この失礼な馬は!?」

 

 同時に文句が出る。ユニコーンを指差し、シキさんに食って掛かる。

 

「……まあ、何だ、役には立つはずだ。そこは我慢してくれ」

 

 心持ち眉を下げ、私とユニコーンを交互に見ながら口にする。

 

 ――う、そう困ったように言われると、あまり強くは言えない。ちらりとユニコーンの方を見て、諦める。少なくとも、他の事に関しては文句のつけようがないのだから。ただ、人を食ったようなその表情が腹立たしい、それだけなのだ。口元まで出かかった文句を、無理やり飲み込む。

 

「それと……」

 

 シキさんが、懐から何かを取り出す。拳大の塊で、何かの結晶のようだ。宝石、ではないように思うが、鈍い光沢は何かの原石のように見えなくもない。

 

「何ですか、それは?」

 

 素直に尋ねる。

 

「役に立つと思って、昨日作ってみたんだ」

 

 差し出されたので、両手で受け取る。手のひらに載せて光にかざしてみるが、光を鈍く反射するばかりでよく分からない。触ってみても、確かな感触があるというだけだ。あえて挙げるとすれば、何となく温かいような気がするといったぐらいだろうか。

 

「それは――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ど、どうしました?」

 

 及び腰のまま恐る恐る尋ねてくるルイズの声で我に返る。

 

「いいわ。別に、悪気があったわけじゃないでしょうしね」

 

 自分が何かをしでかしたのではと心配そうなルイズを見て、大人気なかったと反省する。悪いのはこのユニコーンだ。跨っているユニコーンを睨み付ける。まあ、こちらはどこ吹く風といった様子だが。

 

「……えーと、確かギーシュ君ね? あなたも一緒に?」

 

 先ほどの質問を繰り返す。

 

「は、はい。姫様のお役に立たせてください」

 

 拳を握り締め、熱っぽい目で見つめてくる。どうやって話を知ったのかは分からないけれど、事情を聞いているというのは間違いないようだ。

 

 一先ず、彼を見てみる。見るからに荒事には向いていなさそうな、特に鍛えているわけでもない典型的な貴族。といってもそれが普通なのだが。肝心の魔法は――ドットだったかしら? でも、錬金の精度なんかを見る限りは実力的にはラインぐらいに届くかというところかしらね。

 

 まあ、いいか。仮にも元帥の家系。そこそこは期待できるかもしれない。それに、私とて実戦経験があるわけではないのだから。先日のゴーレム騒ぎの時にも、結局はサポートに回っただけ。足手まといになるな、などとは私からは言えたことではない。

 

 それに、見えないところでしっかりシキさんが見ているはず。

 

 何とはなしにちらりと後ろを見てみるが、分からない。まあ、もともと気配を読むなんてことはできないのだが。そもそも、そう簡単に見つけられるとは思えない。

 

 でも、そこまでするのなら素直に出てくればいいのにとも思う。ルイズは半ば意地になっているようだが、無理してそれにあわせなくても良いようなものだ。

 

 ――まあ、あの人の何時もの様子を思い出して、そういうものなのかとも思う。何時もルイズとは一緒にいるけれど、引っ張っているのは決まってルイズだった。彼から何かを、ということはほとんどなかったはずだ。

 

 思えば、何かを伝えたり、感情を表したりというのは本当に不器用な人だ。ちょっと、微笑ましい。誰よりも強くて、それでいて優しいのに、そのどちらもぱっと見には分からない。本当に、人は見かけによらないって。

 

「どうしました?」

 

 ギーシュ君が怪訝そうにたずねてくる。どうやら、知らず笑っていたらしい

 

「――いえ。あなたにも期待していますね」

 

 そう微笑みかける。さっきのこともあって、自然に。

 

「も、もちろんです」

 

 目を伏せ、頬も少し赤い。もしかして照れているのかしら? 

 

 ――ふふ、色に長ける家系だって聞いていたけれど、まだまだ子供ということかしらね。頼りにはならないかもしれないけれど、微笑ましい。子ども相手にそういう反応をされると、私も捨てたものじゃないと満更ではないものだ。

 

「あ、あの……」

 

 そんな様子を微笑ましく見ていると、彼が思い出したように口を開く。

 

「ん? 何かしら?」

 

「できれば使い魔を連れて行きたいのですが……」

 

 心配そうな表情で続ける。使い魔――確か前に見たことがあったはずだ。

 

「……ええと、あなたの使い魔はジャイアントモール、だったかしら?」

 

 そうだ、人よりも大きなそれと抱き合っているのを見かけた。あまりにも絵になっていなかったので、逆に印象に残っている。

 

「はい。ジャイアントモールのヴェルダンディーです。――出ておいで」

 

 そう言うと、視線を地面へと向け、足を踏み鳴らす。すると、予め近くにはいたんだろう。モコモコと彼の足元の土が盛り上がり、茶色の小熊ほどの生き物が顔を出す。目などは小さいのだが、爪はかなり大きく、全体的になんともアンバランスだ。

 

「ヴェルダンデ! ああ! ぼくの可愛いヴェルダンデ!」

 

 姿を現すや否や、ギーシュ君は膝をつくと、その生き物を抱きしめた。まるで愛しい恋人でもあるかのように。

 

「……却下」

 

 つい正直な感想が口をつく。

 

「な、なぜですか!?」

 

 二人して、抱き合ったまま見上げてくる。しかし、見ていて本当に絵にならない。なんというか、いい年ををしてぬいぐるみを抱きかかえている男を見る心地かしら?

 

 でも、まあ使い魔は一心同体とも言うし……いいか。ジャイアントモールの地面を掘る能力は見た目に反してかなり高い。アルビオンに入った後、城に近づく際には役に立つかもしれない。包囲されているはずの城に近づくのが難題である以上、選択肢は多いほうがいい。細かいことは向こうの状況を見ないと分からないが。

 

「どうしてもというのなら、構わないわ。ただし、責任は自分で取りなさいね」

 

 それだけは釘を刺しておかなければならない。

 

「もちろんです」

 

 自信たっぷりに言い放つ。さっきの様子を見る限り、よっぽど溺愛しているんだろう。しかしながら、彼の横にいたジャイアントモールは鼻をひくつかせ、ルイズへと圧し掛かろうとする。

 

 ――とりあえず、氷の槍で、文字通り釘を刺す。目の前のそれに遮られ、圧し掛かろうとした姿勢のまま大人しくなる。

 

「……ちゃんと見ていなさいね? 手元が狂ったりしても――恨んじゃ駄目よ?」

 

 諭すように優しく言い放つ。全く、使い魔は主人に似るものとはいえこんな所まで。正直、呆れるわね。そういったことに関してグラモン家は筋金入りだと聞いたが、まさかここまでとは。これでは怒る気にもならない。

 

 すかさずギーシュ君がジャイアントモールを抱しめ、二人してコクコクとうなずく。

 

「まあ、のんびりしていたって仕方がないし、そろそろ向かいましょうか?」

 

 抱き合う二人から視線をルイズへと移し、出発を促す。もう私が来た時点で用意はできていたようだし、いつまでも出発しないわけにはいかない。

 

 そう言った所で、近づいてくる羽音が聞こえてきた。鳥にしてはずいぶんと大きなその音に、皆が視線を向ける。

 

「――待ってくれ!」

 

 朝もやの中から、少しずつ姿がはっきりとしてくる。グリフォンに跨り、羽帽子をかぶった男だ。遠目からでも鍛えていると分かり、ギーシュ君とは対照的だ。その姿がゆっくりと地面に降りると、帽子をとり、優雅に一礼する。

 

「女王陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ。姫殿下に同行を命じられてね」

 

 そう言うと、すぐに人懐こい笑みを浮かべ、まっすぐにルイズの元へ向かう。ワルド子爵のことは良く知っている。この国でも有数の実力者で、そういった面では確かに申し分ない。

 

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 

 実に嬉しそうにルイズへと言葉を投げかける。

 

「お久しぶりでございます。子爵様」

 

 さすがに真っ直ぐにそんな言葉をかけられては気恥ずかしさがあるんだろう。わずかに頬を染め、視線を落とす。

 

 でも、どういうこと? 

 

 ルイズの話から大体の事情は把握した。現在トリステインはゲルマニアと是が非でも同盟を結ばなければならない。しかしながら、姫の認めた手紙が公になってはその障害となる。だから、これからその手紙を回収しなければならない。

 

 もちろん、それだけならばしかるべき者に任せれば良い。だが、それができなかったからわざわざルイズを頼ったのではないのか? 現在の最高権力は、少なくとも名目上は王家にある。だが、実情は異なる。

 

 政治の実権といったものは宰相が握っているし、各機関に関しても似たようなものだ。加えて、ヴァリエール家のような古参の貴族はともかく、その他の貴族については、王家に対する忠誠心が薄れ始めている。だから、これ以上の権威の失墜は避けなければならず、表立って動かすこともできなかったのではないのか? 

 

 件のものは完全に姫の個人的な手紙。そんなものが国を危機に晒すなどということは、これ以上ないスキャンダル。アルビオンで貴族の反乱が起こった以上、臣下といえどもこのことに関しては簡単に助けを求めることはできない。

 

 そうであればこそ、危険な任務であっても、名誉でありこそすれ、断る理由がなかった。加えて、国の存亡がかかっているという任務の重要性もある。

 

 しかし、ワルド子爵のような者に依頼できるとなると話が別になる。彼ならば実力的にも申し分がないし、グリフォン隊の隊長ということならば――確かに信頼できるだろう。

 

 後で心配になったというのも分かるが……

 

「相変わらず軽いねきみは!まるで羽のようだね!」

 

「……お恥ずかしいですわ」

 

 子爵がルイズを抱きかかえ、抱きかかえられたルイズはさっき以上に頬を赤くしている。

 

 ――とりあえず、二人とも私は無視かしら?

 

「お久しぶりですわね。子爵殿」

 

「あ、ああ。これは失礼しました。ミス・エレオノール」

 

 慌てて抱き上げたルイズを地面へとおろし、こちらへと向き直る。狼狽えるぐらいなら最初から無視しなければいいものを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――正直、苦手なんだが。不機嫌そうなエレオノールを見て、内心ため息をつく。が、仕方がない。ルイズを手に入れるつもりならば、どの道避けては通れなかった道だ。

 

 改めてルイズ以外にも目を移す。さっきまでルイズの側にいたのは、同級生だろう。シャツの胸元が大きく開いたデザインの、いかにも気障ったらしい奇抜なセンスをしているのが嫌でも目に付く。まさかルイズの恋人という事もないだろう。まあ、たとえそうだとしても、取り戻す自信ならばあるが。

 

 そして、ユニコーンに跨ったエレオノール。さっきのこと根に持っているのか不機嫌そうだ。あまり触れないほうがいいだろう。そうでなくても、年上ということもあって、昔から頭が上がらなかった。三つ子の魂百までとは良く言ったものだ。どうにも苦手意識が消えない。

 

 そして、傍らのルイズ。再び目を移すが、昔とほとんど変わっていない。相変わらず小さいままだ。まあ、それはいい。そんなことは持っている力には関係がない。

 

 ――しかし、ルイズの使い魔は? 予想通りならルイズは虚無の使い魔を呼び出しているはずだ。改めて辺りを見渡す。

 

 ジャイアントモールは、同級生の使い魔のはず。さっきから抱き合っているのを見る限り、それは間違いない。エレオノールが跨るユニコーンは――なるほど、確かに見事なものだ。しかし、ユニコーンには違いがない。それに、ルイズの使い魔ならば、ルイズが跨っているはずだ。それならば……ルイズが呼び出したものは?

 

「ところで、僕のルイズ。一つ聞いていいかい?」

 

 できるだけ目線の高さになるように腰を落とし、努めて優しく問いかける。

 

「何ですか? 子爵様?」

 

 遠慮がちに答える。照れている――そう言えなくもないが、どこか距離を感じる。記憶の中のルイズは、もっと全面的に頼るような視線を向けてきたはずだが。

 

 だが、まあそれも仕方がないのかもしれない。ルイズの力については半ば確信していたが、ずっと連絡も取っていなかった。この旅の中、何としてもルイズの信頼を得なければならない。それには――再びルイズにとっての白馬の王子にならなければ。

 

「君の使い魔はどこだい? 姿が見えないようだが」

 

 努めて優しく問いかけたのだが、ルイズは眉をしかめ、目をそらす。不機嫌になったというのがその様子からもありありと分かる。

 

 しかし、なぜだ? ルイズが使い魔を呼び出したというのは間違いない。それが進級の条件なのだから、もしできなかったのなら話ぐらいは耳に入るはずだ。

 

「どうかしたのかい? 君が呼んだのなら、きっと素晴らしい使い魔のはずだが」

 

 そう、想像通りならば呼び出されたのは虚無の使い魔。それならば、誇るべきもののはずだ。しかし、少なくとも今のルイズの表情からはそういった様子が見て取れない。

 

「――まあ、確かに並ぶものはないでしょうね」

 

 さっきから大人しかった同級生がポツリと呟く。随分と実感のこもった口調だ。やはり、虚無の使い魔ということだろうか?

 

「どんな使い魔なんだい? ぜひとも見てみたいのだが……」

 

 学生の方へと向き直る。どうにもルイズは口が重い。ならば、それを知るものに聞けばいい。ルイズは嫌がりそうだが、こればかりは見ておきたい。

 

「どんなと言われても……」

 

 言葉に迷っているのか、考え込んでしまっている。やはり、普通とは違うということだろう。俄然興味も沸く。しかし、更に促そうとした所でエレオノールに遮られる。

 

「今はいいでしょう?」

 

「しかし……」

 

 食い下がる。だが……

 

「何か、問題でも?」

 

 じっとこちらを見据え、有無を言わさぬ口調だ。昔からこういう人だった。こうと決めたのなら梃子でも動かない。今回も引く気などないだろう。

 

 ――仕方がない、ここは素直に自分が引くとしよう。代わりに、傍らのルイズに問いかける。

 

「ルイズ。何時かは見せてくれるんだろう?」

 

「……ええ」

 

 目を伏せたまま答える。さっきから、使い魔の事となるとどうにも歯切れが悪い。いったいどういうことなのか。使い魔ならばこのような任務には連れて行くはず。並ぶものがないというぐらいだから、実力的にも相当なものがありそうだ。ならばなぜここにはいないのか。

 

 もちろん目的の邪魔をされる心配がないというのはありがたい。しかし、虚無の使い魔というものにも興味があったのだが。

 

 ――まあ、全てを終わらせてからでもいい。急いては事を仕損じる。信頼は一朝一夕に得られるものではない。ならば、今はまずやるべきことから片付けるべきだ。それからでも遅くはない。

 

「さて、それではいつまでも出発しないわけにはいかない。そろそろ向かうとしよう」

 

 順番に見渡すが異論はないようだ。

 

「ルイズは僕と」

 

 ルイズの方へと手を差し伸べる。姫に対するように、理想の王子となるために。

 

「……ええ」

 

 微笑を浮かべゆっくりと手をとる。しかし、ルイズはこんな笑い方だったろうか? もっと屈託のないような……。

 

 まあ、いい。この旅の中で再び信頼を得ればいいのだから。ルイズをグリフォンへと抱え上げ、抱しめるような形で手綱を取る。

 

「――さあ、行こうか」

 

 腕の中のルイズの耳元に囁く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発した後、少しばかり離れた場所の茂みが揺れた。

 

「――さて、俺も行くとするか」

 

 そして、誰にとはなしにそんな声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――今日の宿はここにしましょう」

 

 エレオノールがユニコーンの歩みを止め、宿を見上げる。最高級の、とまではいえないが、街道沿いにあるものとしては文句の付けようのないレベルである。実際、途中で見かけたものの中では最上のものであろう。

 

「そうですね。ミス・エレオノール」

 

 こちらもグリフォンの歩みをとめ、答える。

 

 ここはちょうどアルビオンへの港町であるラ・ロシェールとの中間点。本来ならすでにラ・ロシェールへとたどり着いていたはずだった。しかし、予定通りに進むことができなかった。

 

 当初の予定としては今日中にラ・ロシェールへと向かい、その入り口で傭兵に襲われるはずだった。ルイズに自分を印象付けるためのちょっとした演出だ。しかし、急いだところで船は出ないとのエレオノールの言葉に、台無しになってしまった。

 

 急ぐのだから金で船を出させればいいと説得しようとはした。しかし、そんなことをすれば目立ってしまって逆に危険だとの言葉に反論できなかった。

 

 全くもって正しい。正論なだけに従うしかない。全くもって厄介だ。おかげで予定を変更せざるを得なくなってしまった。

 

「ルイズ、疲れてはいないかい?」

 

 ルイズの頬に手を触れ、優しく問いかける。予定が狂った以上、少しでもポイントを稼がなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そうね。私とルイズが相部屋、子爵とギーシュ君が一緒、でいいかしら?」

 

 言葉尻は尋ねる形になっている。しかし、これはただの確認だ。

 

 ルイズと話をしようと、相部屋を提案した。しかし、「婚約者だから」との言葉に、「婚約者であっても婚姻前は」と、あっさり否定されてしまった。ルイズも納得してしまい、強くは言えない。全く、ここまで妨害されるとは思ってもみなかった……。つい恨めし気に見てしまえば、ギラリと睨みつけられた。それで引いてしまうとは我ながら情けない。

 

「ルイズ、食事の後にでもラウンジに来てくれないか?」

 

 ルイズにそっと耳打ちする。時間は有限だ。この旅の間に、何としてもルイズの信頼を得なければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なん……こ……き……」

 

 ラウンジへと向かう途中、何やら聞こえてくる。それなりに離れているので声など聞こえるはずがないのだが、よほど声を張り上げているのか、漏れ聞こえてくる。そして、その声には聞き覚えがある。これから会いに行く相手、ルイズだろう。このような場所で声を張り合げるなどまさしく子供のすることだが、それならばそれでやりやすい。

 

 声のする方へと進み、ドアを開ける。

 

「どうしたんだい、ルイズ?」

 

 部屋の真ん中で声を張り上げていたが、こちらに気づくとまずいところを見られたと思ったのか、突き出していたんだろう手が所在無さげに揺れている。

 

 部屋の様子を見渡してみる。ルイズの他には二人だけだ。一人は赤毛の、ルイズとは全てが正反対の女。もう一人はやけに表情の乏しい、この国では珍しい青い髪の少女。こちらはルイズと同様、いや、ルイズよりも華奢に見える。ルイズの知り合いということを考えると、ギーシュとやらと同様、二人とも同級生だろうか? 

 

 しかし、この二人は魔法の才といった意味ではなかなかのものだ。身にまとう魔力、少なくともトライアングル以上だろう。しかも、青い髪の方は、見た目に反して相当場慣れしていそうだ。学生であるならば驚嘆すべきほどのものだ。

 

「ルイズ、こちらの二人は?」

 

 何時ものように顔に微笑を貼り付け、話しかける。しかし、ルイズよりも先に赤毛の女の方が先に口を開く。

 

「あら、いい男じゃない」

 

 無意識なんだろうが、胸を強調した、いちいちこちらを誘惑するような仕草が目に付く。

 

「ツェルプストー!! 何いきなり色目を使っているのよ!! 大体、何をしに来たのよ!?」

 

 すぐに横からルイズが噛み付く。

 

 しかし、なるほど。ツェルプストーということはゲルマニアの……。それではこの様子も頷ける。ヴァリエール家とツェルプストー家は犬猿の仲。加えて、これだけスタイルの差があれば、家云々とは関係無しにそうなるのかもしれない。

 

「何をしにって、朝からあなた達が出かけていくのが見えたから、タバサに頼んで追いかけてきたのよ」

 

 あっけらかんと言い放つ。それに対して、ルイズは再び噛み付いていく。

 

「だからって……、だいたいお忍びなのよ!!」

 

 まあ、確かにその通りなのだが。すでに学生が二人いる現状、加えて、自分で言うのもなんだが、すでに筒抜けだ。聞いていて滑稽ですらある。

 

「ワルドからも何か言って!!」

 

 自分で言っても効果がないと感じたのか、こちらに話を振ってくる。

 

「――まあ、いいじゃないか。見たところ、二人ともそれなりの実力があるんだろう?」

 

 二人を見渡し、口にする。

 

「だからって……」

 

 ルイズは納得いかないようだが、それに対して青い髪の少女が口を開く。

 

「私は手伝いたい」

 

 さっきまでと同様、感情は見せない。しかし、純粋に手伝いたいんだろうということは、ルイズに向ける視線で察しがつく。ルイズとはどういう関係か知らないが、こちらに対してはルイズも何も言えないようで、困ったように助けを求めてくる。

 

 ただし、さっきまでとは違って幾分嬉しそうだというのが見て取れる。少なくとも、青い髪の少女とはいい関係なんだろう。ならば、それなりの扱いをしなくては。

 

「心配ないさ。いざとなったなら、ルイズだけでなく皆を僕が守るよ」

 

 二人っきりで話をするというのは難しそうだが、こういう展開なら、まあ最初のステップとしては悪くはない。

 

「――あらあら、あなたにはシキ以外にも頼りになる人がいるのね」

 

 赤毛の女が楽しそうに口にする。

 

「シキっていうのは誰だい?」

 

 初めて聞く名だ。

 

「誰って、……ルイズの保護者?」

 

 小首を傾げ、ルイズに対して少しばかりからかうような口調だ。ルイズは横を向いて、「そんなんじゃ……」と、小さく呟く。この様子は朝にも見た。使い魔の話になった時だ。

 

「そのシキと言うのは、ルイズの使い魔のことかい?」

 

 ルイズではなく、赤毛の女に尋ねる。今はエレオノールもいないし、ちょうどいい。せっかくだ。

 

「まあ、使い魔といえばそうですね。傍から見たらお兄さんみたいですけれど……」

 

 相変わらず不機嫌そうなルイズを見ながら、苦笑しつつ口にする。

 

 しかし、使い魔でありながら兄のような? どういう意味だ?

 

「どんな使い魔なんだい? 随分と普通とは違うようだが……」

 

 その質問に少しばかり考え込み、ゆっくりと答える。

 

「そうですね……、たぶん亜人、なんでしょうね」

 

 

 ――ふむ。ガンダールブの伝承では武器を使うとある。知能が高いものは使い魔とはならないものだが、虚無の使い魔ともなれば別なのかもしれない。それに、エルフの英雄にガンダールブらしき伝承があったはず。亜人であってもおかしくはない。むしろ、他ではそういったことがない以上、虚無の、少なくとも普通とは違う才能の証明にはなる。

 

「――あと、見たこともない魔法を使っていましたね。魔力なんかは、スクエアクラスが束になってもかなわないはず……」

 

 

 ――見たこともない魔法か……。先住魔法には何があってもおかしくはない。魔力に関しても、エルフならば十分にありえることだ。

 

「――それに、ゴーレムは素手で砕くし。この前なんかは30メイルはありそうなゴーレムを爪で切り裂いていましたね」

 

 ……素手? ……爪? ……何だ?

 

 エルフ――ではないな。魔法の使い手としてはエルフ以上のものは存在しない。しかし、その分純粋な肉体的な強さでは人間にも劣る。ゴーレムを素手で砕くとなると相当の膂力の持ち主。それも、30メイルのということはそれに匹敵する巨体のはず。

 

 となるとエルフではない。どちらかというとオーガーといったもの……。普通ならたいした知能を持たないが、神話には高度な魔法を扱うようなものが存在したはずだ。いや、そういったものならば巨人というものもある。数ある神話の中には巨人とも呼ぶべきものが存在する。加えて、巨人が作ったという遺跡だってあったはずだ。虚無自体が神話のようなもの。それに一つや二つ伝説が加わったところで不思議はない。

 

「――あ、そうだ」

 

 ……まだ、あるのか?

 

「口からブレスまで吐いていましたね。あれって下手なドラゴンよりもよっぽどすごいんじゃないかしら?」

 

 表情を見てもからかっているといった様子ではなく、目を閉じ、ただ思い出したことを喋っているだけのようだ。少なくとも、そこに誇張といったものは一切見られない。

 

「……正真正銘の化け物か」

 

 正直な感想がもれる。これを化け物と言わずに、何を化け物と言うのか。

 

「シキのことを悪く言わないで!!」

 

 ルイズの、聞いたことのないような強い口調に思わず振り向く。拳を握り締め、敵を見るような目だ。すぐにそれは消え、謝罪の言葉を口にするが、今のはルイズの本心、なんだろう。

 

 ――迂闊だった。どんな化け物であってもルイズの使い魔。そして、俺が手に入れるルイズの力の一つだ。

 

「――すまない、ルイズ。メイジにとって使い魔は一心同体。今のは君に対する侮辱も同然だ。この通りだ。どうか許して欲しい」

 

 深く頭を下げる。立場からすればありえないほどに。

 

「そ、そんな! 頭を上げてください! 今のは私も声を……、なんで……あんなに……」

 

 なぜかルイズが戸惑っている。なぜ自分があんなに声を荒げたのか、と。

 

 それにしても、一体どんな使い魔なのか、そしてどういった関係なのか。まあ、ルイズと、いや人間と恋愛関係になることはありえないだろうが、何としても使い魔以上に自分を印象付けなければならない。しかし、今日は本当にうまくいかないものだ。ラ・ロシェールについてからはうまくやらなくては……

 

 

 

 

 

 

 

 

「――じゃあ、タバサ、私は外に行くけれどあなたはどうする?」

 

 ルイズと、そのルイズの婚約者だというワルドと分かれて部屋へと戻る途中、隣を歩くタバサに問いかける。

 

「私も行く」

 

 淀みなく返事が返ってくる。

 

「そう? なら行きましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そろそろ暗くなり始めた中、木の上から辺りを見渡す。ここは割合見通しのいい場所で、かなり遠くまで見渡せる。それぐらいには開けた場所だ。その中心にある道も、少なくとも馬車が通れる程度には均されている。

 

 しかし、それだけだ。道から少し離れてしまえば、まだそこかしこが木々に覆われている。そこからは、時たま獣の遠吠えも響いてくる。日が落ちてしまえば全てが闇に包まれ、人の気配などというものはほとんど感じられない。唯一の例外は、外にまで光を落としている宿だけだ。特にすることもないので、ただぼんやりとその様子を見ている。

 

 ふと、そこから見覚えのある二つの影が出てきたので、今までいた木の上から下り、そちらへと向かう。

 

「――あら、どうやって呼ぼうかと思ったんだけれど、すぐに気づいちゃったのね。それとも、待ち遠しかった?」

 

 声には少しからかうような響きがある。そういえば、この人物は普段からそういったところがある。だが、不思議と誰もそれを嫌がることはない。もちろん、それは俺も例外ではない。むしろ、好ましくすらある。

 

「他にすることもなかったからな」

 

 反して、こちらはそっけなく答える。キュルケのような言い方は俺にはできない。キュルケの様子を好ましく感じるのは、俺にはできないということもあるのかもしれない。

 

 そして、それはルイズに対しても言える。感情を隠すことなく表に出す、子供だからと言ってしまえばそれまでだが、少なくとも俺には難しい。

 

「とりあえず、ルイズ達とは合流することになったから。――それで、あなたはこのまま後ろからついていくの?」

 

「ああ」

 

 簡潔に答える。少なくとも、今日、明日は合流しないだろう。

 

「……ねえ?」

 

 幾分声を潜め、珍しく遠慮がちに尋ねてくる。

 

「何だ?」

 

「ルイズとは喧嘩でもしたの? こんな風に隠れてついて行くぐらいなら一緒に行けばいいじゃない」

 

 至極当然の疑問だ。しかし答えには困る。

 

「別に喧嘩をしたというわけじゃないんだが……。まあ、似たようなものかもしれないな」

 

 曖昧に答える。――喧嘩、というわけではない。ただ、ああ言った手前顔を出し辛いだけだ。

 

 友人を助けたい。もちろん、それはよく分かる。例え利用されているとしても、例えそれが分かっていても助けたいということは。それがはっきりと目の前に示されるまでは、信じたくはない。例え誰に言われてもそれは変らないだろう。自分がそうだったのだから。

 

 もちろん、ルイズにははっきりとそう伝えるべきだろう事は分かっている。だが、なかなか伝える決心がつかない。ルイズの悲しむ顔は見たくない。昨日のルイズの泣き顔が目にちらついて、どうにも躊躇ってしまう。

 

「――それより、二人ともアルビオンにまで行くつもりなのか? 二人にはわざわざ危険な場所に行く理由はないだろう?」

 

 そう。二人には関係のない話のはずだ。聞いた話では、そもそも二人ともこの国の人間ではないらしい。それなのに、ここに来る途中で会った時に口は堅いだろうということで大まかな部分は話したのだが、そのままついてきてしまった。港町までは心配ないだろうが、アルビオンとやらに入る前には言っておかなければならない。

 

「――恩があるから」

 

 タバサが淀みなく答える。

 

 そういえば、何かとルイズを助けていたはずだ。理由は知らないが、様子を見る限りそれは曲げないだろう。

 

 

「――まあ、友人だし、ほっとけないわよ」

 

 頬に指を当て、珍しくキュルケが照れたように口にする。

 

 そうだ。キュルケも何かとルイズのことは気にかけていた。普段はからかうということが多くても、何かあったときには必ずルイズの助けになるようにと動いていた。そんなことは聞かなくても分かっていたことだ。

 

「……そうか」

 

 二人とも、純粋にルイズを助けたいということだろう。だったら俺から言うことはない。危険からは、俺が守ればいいだけのことだ。俺にはそれができるし、それぐらいしかできない。

 

「だったら、俺から言うことはないな。俺は今日と同じように後ろからついて行く。二人はルイズ達と一緒にいてやってくれ」

 

 そう言って踵を返し、歩き出す。

 

「ねえ、別に宿に泊まったっていいんじゃないの?」

 

 後ろかのキュルケの言葉に、振り返らずに答える。

 

「……もし、出くわしたら気まずいだろう?」

 

 言い残すと、そのまま木々の間へと戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もう少し急ぐなりすれば良かったね」

 

 すっかり暗くなってしまった中、周りを見て呟く。久しぶりにテファに会いに行こうと休みを取ったのだが、ちょっと寄り道をしたおかげで、ラ・ロシェールに入る前にすっかり日が落ちてしまった。まあ、盗賊家業なんてものをやっていた手前、暗闇が怖いということは全くないのだが。

 

 

 

 

 ……ィン……

 

 

 

 

「……ん?」

 

 今、何か音が聞こえたような気がする。気のせいかと思ったが、今もまた聞こえた。耳を澄ませて音が聞こえてきた方向へと意識を向ける。

 

 

 ……金属がぶつかる様な高い音が、断続的に……これは、戦い? 状況を掴もうと更に意識を向けるが、すぐに聞こえなくなる。

 

「……何だったんだい?」

 

 まあ、全く想像がつかないというものでもない。ラ・ロシェールは全てが岩でできている。全体が岩をくり貫いて作られた町なのだ。もともとが巨大な岩山で、町の周りも似たようなものだ。だから、町への入り口までの道も四方八方を岩壁で覆われた狭い峡谷のようになっている。

 

 実際、今いる道の両端は崖のようになっていて、所々には人一人が入れるような窪みがあったりもする。

 

 だから、物盗りに取ってはこの上なくやり易い場所だ。加えて、アルビオンへの玄関口ということで旅人も多く、通商の玄関口であることもあってか、実入りも悪くない。そんな場所だ。もちろん、巡回も行われ、特別に警備されている。しかし、どうせ危険を冒すのならと考える者は度々出てくる。

 

 今のもそういうことかもしれない。もう少し様子を見るのが安全なのだが、町へと向かうにはどの道この道を通らなければならない。まあ、これでもトライアングル、しかも盗賊としてそれなりに名の知れた。注意して進めばそう大した危険はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――拍子抜けだね」

 

 注意して進んできたのだが、結局何もなかった。死体どころか、争った様子というのも見当たらなかった。ちょうど音が聞こえてきた辺りにまで来たのだが、何も見当たらない。もう一度辺りを見渡してみるが――

 

「……羽?」

 

 月明かりに照らされて、一枚の羽が落ちている。普通の鳥にしては随分大きい、暗闇の中で分かりづらいが、紫という変わった色だ。何となく気になったので見てみようと馬から下り、手を伸ばす。

 

 

「……あれ?」

 

 首をかしげる。確かに手に取ったと思ったのに、手の中には何もない。掴んだ感触はあったのだがどういうことだろうか。しばらく地面と自分の手を見比べていたのだが、いくら考えても分からない。諦めてラ・ロシェールへと入ることにした。気にはなるが、いくら考えても分からないものは分からない。それに、物盗りやらが出ては面倒だ。再び馬に跨り、この狭い道を歩かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お姉さま、起きていますか?」

 

 ベッドから起き上がり、寝ているのなら気づかない程度に、起きているのなら聞こえるぐらいの大きさで問いかける。お姉さまも起きていたようで、すぐに閉じられていた目が開く。窓からは月明かりが漏れていて、ちょうどお姉さまと私の表情が伺えるぐらいには明るい。

 

「……眠れないの?」

 

 もう遅いのにも関わらず、嫌な様子はない。むしろ、純粋に私を心配するような気遣いを感じる。

 

「……一つ、聞いてもいいですか?」

 

 どうしても声には遠慮が混じってしまう。

 

「……なあに?」

 

 聞くという姿勢を示すためだろう、お姉さまもベッドから体を起こす。緩やかなウエーブがかかった髪がさらりと後ろへと流れる。月明かりに照らされて、素直に綺麗だと思う。月と同じように輝いて見える。

 

「……何で、シキは来てくれなかったんでしょう?」

 

 昨日は泣き疲れてしまって、そのまま寝てしまった。今思えば恥ずかしいような気がしなくもないが、今はいい。

 

「……そうね」

 

 お姉さまはちょっと困ったような表情だ。

 

「……嫌いになっちゃった、とか」

 

 自分でもそんなことはない、と思う。でも、なんとなくそんな弱気な言葉が出てしまう。

 

「それは絶対にないわよ」

 

 きっぱりと否定する。その言葉にお姉さまを見つめる。

 

「昨日のことは、あなたのこと思ってのことよ」

 

 それは、分かっては、いる。

 

「私は……姫様のために……」

 

 半分は――自分の誇りのために

 

「……そうね。この任務は誰にでも言えるものではないし、同盟のためには必要なこと。貴族としては正しいわ。ただ……」

 

 俯いて、続く言葉を待つ。

 

「私だってあなたに危険なことはして欲しくないし、あの人もそれは一緒。ただ、あの人はそういうことを伝えるのが不器用なだけよ。あなたの方が一緒にいる時間が長いんだから、よく分かるでしょう?」

 

 少しだけからかいの入った言葉に、私もほんの少しだけ笑みが漏れる。

 

「シキさんに会ったら、あなたから言ってみなさい。あの人は――不器用だから。今もきっと、どうやって会えばいいのかなんて考えているはずよ」

 

「……はい」

 

 その後も月明かりの中、一緒に話した。今までの学園生活でどんなことがあったかだとか。魔法の失敗で色々なものを壊してきたことも、恥ずかしいけれど正直に話した。呆れられるかと思ったけれど、そんなことはなかった。まあ、ちょっと笑っていたけれど。

 

 でも、お姉さまとこんな風に話したのは初めてかもしれない。こんな風に話していたのはちい姉さまとばかりで、エレオノール姉さまとはなかった。今までは思わなかったけれど、エレオノール姉さまもちい姉さまとは違った温かさがある。一晩続くかと思うぐらい長く話していたけれど、明日も早いからということでお開きになった。そして、シキは今どうしているのかという疑問がふと頭に浮かんだ。

 

 ――今頃、シキは何をしているのかな? 私のことを心配してくれているんなら、嬉しいな。

 

 ついと視線を窓の外へと向ける。

 

 もう二つの月がほとんど重なっている。もうすぐ、スヴェルの月夜。月が一つに見える不思議な日。そういえば、シキが元いた世界は月が一つだって言ってたっけ。シキが見たら、やっぱり懐かしいって思うのかな。

 

 今、窓の外にシキがいたような気がしたけれど、私、そんなに会いたがっているのかな? 会ったら、なんて言えばいいんだろう。


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