いつの間にか寝ていたようで、朝日で目が覚めた。朝日と言っても、見上げればもうそれなりに日は昇っているようで、いつもに比べると随分と長く寝ていたのが分かる。警戒しなくていい、ただそれだけのことなのに、それだけでいつもよりも深く眠れた。起きて清々しいなどと感じることができたのも、何時以来のことだろうか。
ここは、本当に今までの世界とは違う。ここで静かに暮らすのも良いかもしれない、そんな考えも自然と浮かんでくる。ただ、同時に本当にそれでいいのかとも思う。何に対してだかもよく分からないが、罪悪感のようなものを感じる。自分だけが生き残ったことか、自分の行動の結果か、何にしても今更としか言いようがないことだが、素直に受け入れられない。
「……洗濯をするように言われていたな。」
昨日言われたことを思い出す。家事など進んでやりたいとは思わないが、何時までも答えの出ないようなことを考えていても仕方がない。それに、何もやることがないよりはずっといい。
昨日の夜来た道を通ってルイズの部屋に向かう。いちいち立派な建物だが、日が上ってはいても時間としては早いのか、人には会わなかった。
昨日のドアの前に立ちノックする。ドア一つとっても良い材料を使っているのか、心地の良い音が返ってくる。しかし、部屋の中からの返事はない。男の前で着替えるのも平気とはいえ、曲がりなりにも女の子の部屋。流石に了承もなしにというのは気が引けるが、仕方がない。一つ息をつき、扉に手をかける。
「入るぞ」
この部屋の主は、と探せばまだベッドの中。幸せそうに寝息を立てている。昨日は険のある表情をしていたが、寝顔は無邪気なものだ。むしろ、これが本来の表情なんだろう。昨日の様子を見た限りだが、他の生徒とはあまりうまくいっていない様子がうかがえた。もしかしたらそのせいかもしれない。あるいは、勝手な思い込みかもしれないが。
ひとまず目的の洗濯物はと見れば、脱がれたそのまま無造作に置かれている。デザインだとか、着けていた人間だとか他にも理由はあるかもしれないが、こうも無造作に置かれていると色気も何もあったものではない。これもまた、勝手な思い込みかもしれないと苦笑するばかりだが。
「そういえば……」
ふと気付く。洗濯はどうするんだろうか。まさか洗濯機なんてものはないだろう。歩きながら観察していたが、電気はおろか、水道も整備されている様子はなかった。文化的なレベルからしても、近代以前のレベルにしか見えない。とすると、手洗い、せいぜい洗濯板といったところだろうか。
――まあ、いつも通りか。
人が作った文明の残骸がかろうじて残るだけのあの世界には、洗濯機なんてものはなかった。探せばあったかもしれないが、まさか持ち歩くわけにもいかない。当然、洗濯は手洗いになる。仲魔にそんなことをさせるのも気が引けて、洗濯は自分でやっていた。すぐにぼろぼろになるということで使い捨てにも近かったが、いつでも手に入るというわけではなかったのだから。
どちらにしても水場だかがどこにあるのかは聞かないといけないが、ベッドの中で幸せそうに寝ている相手を起こすというのは気が引ける。それに、この学院程度の広さなら自分で回っても問題ない。
「洗濯に行ってくる」
返事がないのは分かっているが、一応伝えて部屋を後にする。水場だが、水道がないのなら多分外だろう。洗濯物を干すといったことを考えれば、大体の場所の予想はつく。
「……ないな」
建物から出た開けた中庭のような場所、予想をつけたあたりに来てみたのだが、どうやら当てが外れたようだ。が、見回してみれば人はいる。おあつらえ向きに、黒のワンピースに清潔感のある白のカチューシャとエプロン。ずいぶんと若いようではあるが、格好からするとメイドだろう。洗濯について聞く相手にはちょうど良い。
「ちょっといいか?」
「あ、は……い?」
黒髪の、少しそばかすのある少女だ。素朴ながら、笑顔とあいまってかなり魅力的だと思う。もっとも、その笑顔もすぐに曇ってしまったが。様子や、上から下へと移る視線から大体の理由は分かる。
「怪しくない、とは言わないが、そんなに警戒しないでくれ。別に何かしようというわけではないから」
言っていて逆に怪しいと思わなくもないが、他に思いつかないのだから仕方ない。
「……じゃあ、その手に持っているのは?」
警戒心は全く変わらないようで、そうおずおずと尋ねてくる。視線の先に目をやれば
「……パンツだな」
しかも女物の。言うと同時に大声で
「だ、誰か来……」
叫び声は続かなかった。声をあげようとした少女は腕の中でもがいている。しかし、思わず羽交い絞めにして口を押さえてしまったが、どうするべきか。
「……騒がないでくれ。本当に何もしないから」
できるだけ優しく言ってみるが、どう考えても説得力はない。傍から見てもそうだろうし、当事者にとっては言わずもがなだ。少女もただ涙目でコクコクと頷くばかりだ。
「……何から言うべきか。そうだな、俺はシキという名で、昨日ルイズという子に使い魔として呼び出されたんだ」
少女は変わらずひたすら頷くばかりだ。さっきよりも怯えている様な気もする。とはいえ離すわけにもいかない。
「それで、洗濯をするように言われたんだが、水場が分からないから聞こうと思って声をかけたんだ。それは、分かってくれるか?」
本当に分かってくれているのか分からないが、頷いている以上、手を離さないわけにはいかない。
手を離すと、少しだけ距離を取り、いぶかしげな視線を向ける。こちらを警戒するようにしばらく見ていたが、とりあえずは何もしないと分かってくれたようで、ようやく会話ができた。
「……あの、すみません。その、変わった格好なので驚いてしまって……」
「いや、こちらこそすまない。脅かすつもりはなかったんだが、自分の格好を忘れていたんだ」
「あ、ご自分でも変だって分かっているんですね
ようやく笑顔になったが、割と良い性格をしているようだ。遠慮がない。まあ、ルイズといい、それぐらい方がよっぽどいい。
「……まあ、好きでしていたわけじゃなくて、気付いたらこの姿になっていたんだ」
「もしかして、貴族の方が何か魔法を?」
そう何かに恐れるように尋ねてくる。ルイズもそうだったが、コロコロと表情の変わる子だ。
「貴族、かもしれない。魔法とは少し違うかもしれないが」
確かに貴族といえば、貴族かもしれない。本来の姿かどうかはともかく、10に届くかどうかという少年の姿ながら、将来をうかがわせる整った顔立ち、手入れの行き届いた金色の髪、そして、上に立つものの空気をまとっていた。カリスマというものなのかもしれないそれは、貴族というのにふさわしいように思う。
「まあ、ひどい……。そんな怪しい姿に」
対して目の前の少女は口元に手を当て、本当に同情しているようだ。しかし、それ以上に本当に良い性格をしている。本人を前にそうはっきりと言えるというのはたいしたものだ。
「それで、洗濯ができる場所を聞きたいんだが」
いくら変だと分かっていても、流石に何度も言われると傷つく。これ以上言われる前に本題に戻す。
「あ、洗濯の場所ですね。私も行きますからご案内しますよ」
「すまない。何かできることがあれば言ってくれ。できる限りのことはする」
「いえ、気にしないでください。変だって言ったお詫びです」
屈託のない笑顔を見せる。ただ、お詫びという自覚があるあたり、いい性格をしているというのは間違いないようだ。
洗濯場には先客がいて、大抵がこのシエスタという子と同じような反応をしたが、彼女がうまくとりなしてくれた。
「この人は貴族にこんな怪しい姿にされたんだそうで」
との彼女の言葉で、同情心が多分に含まれていたようだが、何とか受け入れてくれた。ただ、もう少し言い方というものがあっていいと思う。
「どこに行っていたの?」
部屋に戻ると、ルイズが不貞腐れた子供のような表情で待っていた。てっきり朝食を摂りに行っているかと思っていたのだが、まだ残っていたようだ。
「洗濯をしていたんだ」
「……そう。ちゃんと仕事をしていたのはいいけれど、主人を起こして、身支度を整えるのも仕事よ。明日からはそのことも覚えておいて」
少しは不機嫌さが和らいだように見える。
「ああ、分かった。ところで、朝食は摂ったのか?」
今は朝食の時間のはずだ。
「使い魔を放って置くわけにはいかないもの。今更行ったって授業に間に合わなくなるし、今日は諦めるわよ」
「……すまない」
「いいわ。あんただって食事抜きだもの。一食ぐらい構わないわ」
少しだけ大人びた表情を見せる。わがままな子供だと思っていたが、多少は大人の部分もあったようだ。ただ、そう笑顔で言ってくれるのはいいが
――悪い。賄いを分けてもらったんだ。
早めに教室に来ることになったのだが、大学の講義室のような部屋でなかなか立派なものだ。魔法に関するもののデザインは大抵変わっていると思っていたのだが、案外大差がないように見える。
早めに来たので他の生徒はいなかったのだが、時間が経つにつれて他の生徒もやってきた。入ってくる度にルイズと、その傍らに立っている俺をチラチラと見てきて、あまり居心地は良くない。例外は炎のようなと表現するのがふさわしい赤髪のキュルケとか言う少女で、ルイズとは悪友といった関係のようだ。キュルケのからかいからすぐに言い争いを始めたが、まさに喧嘩するほど仲が良いという風に見える。少なくとも、言葉の中にそこまでの悪意は見えないのだから。大人の容姿を持つキュルケが子供の容姿のルイズをということで、多少大人げなく見えなくはないが。
そのキュルケという子は、一言で言うのなら妖艶という言葉がふさわしい。周りを男が囲んでいる辺り間違っていないだろう。それと、胸が大きい。キュルケが胸を張ると、負けじとルイズも胸を張るので尚更その差が際立つ。ルイズの胸を張るという仕草は、多分胸に対するコンプレックスの表れなんだろうが、見ていて悲しいと指摘してあげるのが優しさか、それとも、あえて触れないのが優しさなのか迷う。
「ねえ」
そうキュルケとルイズのやり取りを観察していたら、不意にその本人から話しかけられた。
「なんだ?」
「あなたがルイズの使い魔?」
面白そうに見ている。からかう対象をこちらに移そうかと考えているのかもしれない。
「まあ、一応そうだな」
そう答えたのだが、そのご主人様は気に入らなかったようだ。
「何で『一応』なんてつけるのよ!!」
「なんとなくだ。気にするな」
「そうね。あんまり細かいことを気にしていると大きくなれないわよ? 胸なんてただでさえ『ゼロ』なんだから」
その言葉でもともと怒りやすいのに止めをさしてしまったようだ。さっき少しは大人かと思ったが、こういったところは見た目通り子供なんだろう。さっきの続きとばかりに、キュルケが楽しそうにからかい始めた。
「もう許さない……。ツェルプストー、今日こそ決着をつけてあげる!!」
そう指を突きつけて今にもつかみかかりそうな勢いだが、さすがにそろそろ止めないわけにはいかない。ちょうど教師らしき人物もやってきた。
「止めておけ。もう授業が始まるんじゃないのか?」
その言葉に多少は理性は残っていたようで、歯軋りをしながらも何とか引いてくれた。
「……命拾いしたわね。覚えてなさい!!」
悪役のような捨て台詞だが、キュルケの方は余裕だ。ヒラヒラと手を振っている。見た目通り、キュルケの方が精神的には上なんだろう。肉体的には比較対象にすらならないが。
なんとか落ち着いてくれたところで、少し太めの教師らしき中年の女性が入ってきた。にこやかな、どこにでもいそうな雰囲気だ。
「皆さん、春の使い魔召還は大成功のようですね。このシュヴルーズ、みなさんの使い魔を見るのを毎年、楽しみにしているのですよ」
そして教室を見渡すと、俺に眼をとめた。
「……ミス・ヴァリエールは変わった使い魔を呼び出しましたね」
先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、こちらに幾分警戒感を含んだ視線を向けてくる。
昨日の話ではあるが、ミス・ヴァリエールの呼び出した使い魔をどうするかという名目で教師達が集められた。その場にいたコルベールの話からすれば並みのメイジでは、ましてや学生などにはとても従えられるものではない。しかし、使い魔になった以上、下手に手を出すわけにもいかない。
加えて、力尽くでどうにかなるような相手でもない。ならばどうするかというということで出た結論は、とにかく様子を見るということだった。現状では暴れるといった様子もなく、時間が経てば使い魔のルーンの効果で完全に危険はなくなるはず。ならば、下手に手を出すよりは様子を見るのが得策だということになった。それは教師だけしか知らないことではあったが。
「ゼロのルイズにはその変なのがお似合いだ!!」
ある生徒がルイズを指さして笑う。その言葉にルイズも言い返そうとするが、それよりも早く教師の方が対応した。
「黙りなさい!!」
シュヴルーズと名乗った女性が魔法をつかい、その生徒の口を何かでふさいだ。口からはみ出している赤い塊は粘土だろう。温厚そうだと感じた印象は少し間違いだったようだ。ただ、唖然とした表情を見せる他の生徒の様子を見るに、普段とは違うのかもしれないが。
「……ええと、お友達の使い魔を馬鹿にするようなことを言ってはいけませんよ。……ああ、もちろんお友達もです。分かりましたか?」
努めて明るく振る舞っているが、生徒達はただ頷くばかりだ。
授業が始まったが、さっきの教師の行動のおかげか、なかなか静かなものだ。無駄口をたたくような生徒はいない。その授業の中身はと言えば、今までの魔法というものに関する知識との違いがあり、それなりに面白い。
例えば、こちらには土、水、火、風、虚無の五つの属性があるらしい。今までの知識に当てはめて考えるならば、水は氷結、風は衝撃、火はそのままといった所だろうか。土というのはなかったが大体の想像はつく。残りの虚無だが、それは他のものとは明らかに違うように思う。話ぶりから考えても、何か特別なものなんだろう。
授業が進み、シュヴルーズが錬金とやらで石を金属に変えて見せたが、これも面白い。自分が使えるものは基本的には戦闘に関するものばかりで、そんな日常でも使えるような便利な術はほとんどない。単純に俺が使えないだけかもしれないが、改めて世界の違いを感じる。ましては、魔法を教える学校があるなど。
生徒にも実践させてみるということでルイズが選ばれたが、周りの様子がおかしい。先ほどのシュヴルーズの行動のせいか、表立って何かを言う生徒はいないが。
ルイズもなにやら渋っていたが、「あなたならゴールドも錬金できるかもしれませんね。」とのシュヴルーズの言葉に決心したようだ。金というのは難しいもの、それができるかもしれないと言われてやる気になったんだろう。
ルイズが前に出て、目を閉じ、何やら熱心に呟いている。ルイズが魔法を使うのを見るのは初めてかもしれない。
ルイズにとってみれば、彼女は教師に諦めの目で見られることは多くても、そこまで期待されるということはここ数年なかった。だから、いつもよりもずっと張り切っていて、いつもの何倍も力を込めた。そして、その結果もきちんと現れた。
――いつもよりも大規模な爆発として
教室の、特に爆心地の周りは特にひどい状態で、原型をとどめていない部分もそこかしこにある。死人が出てもおかしくなさそうな惨状だが、どうやら人間にはあまり被害がでなかったようだ。飛び散った破片で怪我をしている生徒はいるようだが、比較的軽症と呼べるものばかりのようだ。一番ひどそうなのはルイズの側にいたシュヴルーズだが、壁に強かに打ちつけらて目を回してはいるものの、命に別状はなさそうだ。
改めて室内を見渡してみると、今意識があるのは自分とこの惨状を引き起こしたルイズと、何時の間にやらちゃっかり外に逃げ出していたらしい青い髪の少女だけだ。
「ルイズ、万能魔法が使えるなんてたいしたものだ」
虚無の使い手はいないとかいう話だったのだが、たぶんこれが虚無なんだろう。褒めたつもりだったのだがルイズはそれどころではないようだ。
「……すごく、失敗したみたいね……」
ルイズは引きつった顔でただそう言うだけだった。