綺麗だって、そう思った
ただただ真っ赤、ただただ真っ赤で
赤く染まった髪も、赤く染まった腕も、赤く染まった体も
ただ、どこか悲しくて、どこか恐ろしくて
それでも一歩近づく
一人にしちゃいけないって、そう思ったから
「テファお姉ちゃん達、遅いね」
窓から空を見上げたサムがつぶやく。小さな窓から差す光はまだまだオレンジ色にはほど遠い。日が落ちてしまうには時間があるかもしれないけれど、それでも、槇を集めに行ったのならそろそろ戻ってきてもいいような気がする。
ただ遅いだけ、それだけだとは思うけれど、今日の夕食の準備を始めていたサマンサが心配そうに顔をひそめる。それにつられて、ジャックも、最初に心配を口にしたサムもみんな。一番の年長者の僕が子供なんだから仕方がないんだけれど。何せ、僕も心配になってしまうぐらいだから。
ここウエストウッド村――本当は村というのはおかしいんだけれど――には、テファお姉ちゃんを含めて子供だけで住んでいる。いや、正確には住み着いているといった方がいいのかな。理由は知らないけれど、ウェストウッド村は廃村になっていて、そこに行くところのない僕たちが住むようになった。僕もジャックも、エマもサマンサも、みんな親が死んじゃったり、似たような境遇だ。本当だったらみんなとっくに飢え死にしていたんだろうけれど、テファお姉ちゃんと、そして、時々ここに戻ってくるマチルダお姉ちゃんが助けてくれた。
もともと村だから家はいっぱいあって、家はあるから基本的に僕らは分かれて住んでいるんだけれど、みんな自然にテファお姉ちゃんの家に集まる。テファお姉ちゃんはみんなのお姉ちゃんで、口には出さないけれど、みんなの――お母さん。だから、テファお姉ちゃんがいないとみんな不安になる。そんな時は僕がお兄ちゃんにならないといけない。本当は僕だってテファお姉ちゃんに甘えたいんだけれど、テファお姉ちゃんがいない時ばっかりはしょうがない。
「また、誰か怪我した人でも見つけたんじゃないかな?」
僕がそういうと、みんなそうかもとうなずく。だったら仕方ないよね、と。なにせ、前にも似たようなことがあったから。
そう、テファお姉ちゃんはそんな人を見かけると放っておけない。テファお姉ちゃんは優しいから、本当はそれが危ないことだと分かっていても、そうせずにはいられない。それはみんな分かっている。だって、ここにいる子のほとんどはテファお姉ちゃんに拾われんだから。
「もしかしたら運べなくて困っているかもしれないから行ってくるよ。そうだな、とりあえず、サムも一緒に行こう」
テファお姉ちゃんはすごい魔法の力を使えるけれど、お姉ちゃんだってなんでもできるわけじゃない。だから、そんな時は僕たちで助けてあげないといけない。今はこんなお手伝いしかできないけれど、いつか、いつかはテファお姉ちゃんにいい暮らしをさせてあげられるようになりたい。最近はそんなことを思うようになった。
それに、テファお姉ちゃんはすごくきれい。お姫様なんて見たこともないけれど、お姉ちゃんの方がずっと、ずっと綺麗。だから、大きくなったらお嫁さんにするって言えるぐらいになりたい。お姉ちゃんがお嫁さんなら、きっと毎日が楽しいと思う。
「槇を拾い行ったんだから、たぶんあっちかな?」
最近拾いに行っている方を指さす。そんなに木が生い茂っているわけじゃないけれど、ちょっと薄暗い。今まではもっと明るい場所で拾っていたんだけれど、そこにあるものはほとんど拾っちゃったから、別の場所で探している。
僕がもう少し大人だったら木を切り倒してもっと楽に集められると思う。でも、それができないから今は当番にしてみんなで集めている。今回はテファお姉ちゃんとエマ。槇拾い以外にも、もう少し力があればいろんなことができると思う。でも、それができないからやっぱり悔しい。だから、今はできることを頑張らないといけない。
「……こっちじゃないかな」
サムが何かを見つけたのか、声をかけてくる。そっちに目をやると、サムの指差す先に、大きく草をかき分けたあとがある。人ひとりが楽に通れるぐらいに草が倒れている。この森で大きな動物は見たことがないし、人が来ることはほとんどない。だったら、テファお姉ちゃん達かもしれない。
二人で呼びかけながら進む。進んだ後に草が倒れているから道には迷わない。そうして進んでいくと、男の人が倒れていた。思わずサムと顔を見合わせる。
「……どうしよう」
サムが不安そうな顔をする。でも、僕も同じような顔をしているんだと思う。だって、うつ伏せに倒れている人は頑丈そうな皮の鎧を着ている。だからたぶん、傭兵だとか、怖い人なのかもしれない。そういう人達に会った時はできるだけ近づかないようにってテファお姉ちゃんにも言われている。
「……怪我しているのかもしれないし、放っておけないよ」
そのままにするわけにはいかない。だから、恐る恐る近づく。怖いけれど、こんな時はお兄ちゃんの僕が頑張らないといけない。
「……大丈夫、ですか?」
どんな人か分からないから、いつでも逃げられる体勢のまま声をかける。でも、なんの反応もない。傭兵かもしれないから怖いけれど、そのまま放っておくというのはできない。僕だって、テファお姉ちゃんに助けてもらったんだから。でも、もしかしたら。
「……死んでる、のかな」
僕の肩越しに、サムが恐る恐るといった体でつぶやく。そんなサムの様子を見て、こんなんじゃいけないって思った。僕が怖がってばかりだから、サムも怖がっている。だから、なんでもないと勇気を出す。
とにかく確かめないといけないから近づいて、投げ出された手にゆっくりと触れる。思わず手を引いた。嫌な、冷たさだったから。
「……死んでる」
後ずさりながら、なんとかそれだけ口にする。触れた手をごしごしと服にこすり付ける。
「ど、どうしよう」
「とにかく、テファお姉ちゃんを探そう。テファお姉ちゃんに言わないと」
「う、うん」
本当は心臓が痛いぐらいにドクンドクンと暴れていたけれど、サムがいたから取り乱さずに済んだ。一人だったらすぐに逃げ出していたと思う。
「とにかく、さっきの場所に戻ろう」
サムがうなずくのを確認して、とにかく歩き出す。やっぱり怖いから。でも、どうしてだろう。どうしてあの人は死んでいたんだろう。血の跡もないから怪我したわけじゃないみたいなのに。本当は死体を調べれば分かるかもしれないけれど、それはやっぱり怖い。
「テファお姉ちゃん達、大丈夫かな」
サムが後ろを恐る恐る振り返りながら、口にする。向こうに死体があるというのが怖いんだと思う。その気持ちは分かるから、僕がしっかりしないといけない。
「テファお姉ちゃんがいれば大丈夫だよ。前だって、山賊を魔法で追い払っちゃったじゃないか」
「そ、そうだよね。テファお姉ちゃんなら山賊ぐらい返り討ちにできるしね」
サムがようやく安心した顔をしする。
「……そうだよ。だから、テファお姉ちゃんのところに行けば大丈夫」
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもない。とにかく急ごう」
本当になんでもない。返り討ち、それで変なことを考えちゃっただけだから。そんなこと、あるはずがないのに。
「とりあえず、あっちを探してみよう」
もとの場所に戻ってきて、指さした。たぶん男の人が来た方向を。どうしてそっちを探そうと思ったのかは分からない。
二人で声を張り上げてお姉ちゃんの名前を呼ぶ。一度かき分けられた場所を二人で進みながら。僕が足を止めると、サムも足を止めた。
「……ねえ、なんだか変な臭いがしない? 生臭いような、何の臭いだろう」
「……うん」
嫌な臭い。よく分からないけれど、どこかで嗅いだことがあるような気もする。
「とにかく行ってみよう」
行けば分かる。だから足を進める。なんとなく嫌な予感がして、どうしてか速足になった。臭いが強くなるにつれ、いつの間にか走っていた。
走って走って、ようやく見つけた。
優しくて、綺麗なおねえちゃん。贅沢な生活はできないけれど、いつでも笑顔で、きらきらとした金色の髪が本当に綺麗な。髪を、体を、腕を赤く染めていても、本当に綺麗。その赤いものが、なんであっても。
その腕に大切そうに抱いたエマが――生きていなくても。
優しくて、綺麗なおねえちゃん。
それなのに、足が震える。どうしてか、怖くて、怖くて。お姉ちゃんなのに。お姉ちゃんなのに、足がかってに、どこかへ行こうと。
「おねえ……ちゃん?」
サムの声が聞こえた。怯えたようなサムの声が。
――違う。
お姉ちゃんが怖いなんてことあるはずがない。お姉ちゃんをこのままにしちゃいけない。自分のものじゃないように動かない足をたたいて。それでも動かないから呼びかける。お姉ちゃん、と。何度も何度も呼びかける。
お姉ちゃんがゆるゆると顔を上げる。ようやく僕を見てくれた。宝石のように青い目で、宝石のように――冷たい目で。
「お姉ちゃん!」
今度は叫んでいた。お姉ちゃんはそんな冷たい目をするはずがないから。
「……ルシード? ルシード、だよね」
一度僕の名前を呼んで、もう一度確かめるようにつぶやいた。それでようやく、僕を見てくれた。ようやく動いてくれた足で駆け寄る。
このままじゃいけないと思った。どうしてかおねえちゃんが壊れちゃいそうに見えて。何があったのか分からない。でも、一人にしちゃいけないって、それだけは思った。そう思ったら、お姉ちゃんを抱きしめていた。
手を引かれている。ぐいぐいと、力強く。ルシードは私より身長はずっと低いのに。やっぱり男の子は強いね、そう思った。でも、なんでここにルシードとサムがいるんだろう。
「転ばないように気を付けて」
「――うん」
ルシードに手をひかれるまま、歩く。エマを抱いて、もう、冷たくなってしまったエマを抱いて。
小さな川がゆっくりと流れている。夕日に照らされて、オレンジ色にきらきらと光っている。
「……お姉ちゃん、体、洗おうよ」
「うん、そうだね」
私、真っ赤だ。みんな真っ赤。たぶん、夕日よりも真っ赤。これじゃ皆がびっくりしちゃう。
「エマは、僕が抱いているから」
体を水の中に沈める。小さな川だけれど、じゃぶじゃぶと歩いていけば、腰までくる場所だってある。今はまだ冷たいけれど、暑い時期にはよくみんなで遊びにも来た。目を閉じるとその時のことが浮かんでくる。
まだまだ冷たい水のおかげか、ぼんやりと霞がかっていたものが、ゆっくりゆっくり溶けてくる。何があったのか、ゆっくりゆっくり浮かんでくる。でも、私、あの子を抱えて、何をしていたのかな。
――あはは、分からないや。
水の中くるりと回って、ルシードとサムを見る。飛沫が、オレンジ色に光った。二人は心配そうに私を見ていた。ルシードがエマを抱いて、そうしているとまるで眠っているみたい。そんなことはないって分かっているのに、そう思いたい。
本当に私、何をしていたんだろう。エマが死んじゃって、私は何もできなくて。ルシードが私を引っ張ってくれなかったら、あのままどうしていたんだか。
さすがみんなのお兄ちゃん。私が守らなきゃと思っていたのに。こんなに情けない私じゃ、保護者失格だ。今だって、ルシードとサムを心配させている。悲しいのは、私だけじゃないのに。
「……テファお姉ちゃん、泣いているの?」
ルシードが心配そうに口にする。
「……ごめん、ね」
またルシードを心配させている。私、お姉ちゃんなのに。
「サム、エマを抱いていて」
「う、うん」
ルシードざぶざぶと水をかき分ける。
「大丈夫だよ。これからはテファお姉ちゃんも、みんなも僕が、俺が守るから。だから、テファお姉ちゃんだけが頑張らなくてもいいんだ」
「ルシードは、強いね。私、うれしいよ」
ルシードを抱きしめる。でも、私の胸の高さまでしかない。私よりずっと小さい。でも、こんなに強い。本当に強くて、本当にいい子。それなのに、こんないい子たちばっかりがつらい目に合うのは駄目だよ。私だけで十分。エルフの、私だけで十分。
「……頑張る、から。私、頑張るから」
みんなのことは、守る。たとえ何があっても、絶対に守るから。だから、そんなに悲しそうな顔をしないで。
みんなが泣いた。まだ小さいサマンサには「死ぬ」っていうことがよく分からなかったみたいだけれど、それでも、もう会えないっていうことは分かったみたい。
みんなでお別れをして、村のはずれ、日当たりの良い場所に小さなお墓を作った。お姉ちゃんも、それでようやく落ち着いた、落ち着いたんだと思う。
「――サム。あの男の人は、二人で埋めに行こう」
「え? でも……」
「二人で、大丈夫。なんでも、お姉ちゃんがやらなくていいんだから。これからは、俺とサムが頑張らないと。男なんだから」
何をやればいいか分からなかったけれど、できることは何でもやった。槇を集めたり、魚を釣ったり、今まではやったことはなかったけれど、川に罠を作ってみたり。すこしずつ作り方を変えて、ようやく魚がかかるようになった。おかげで、全員分は難しいけれど、毎日一匹、二匹ぐらいは魚が並べられるようになった。
テファお姉ちゃんは一人で出かけるのを心配そうにしていたけれど、皆が喜んでくれて、それでようやくテファお姉ちゃんも喜んでくれるようになった。今はまだこんなことしかできないけれど、テファお姉ちゃんを、みんなを守れるようになりたい。テファお姉ちゃんに、今までみたいに笑ってほしい。サムも、……たぶんあの時から夜を怖がるようになったから、お兄ちゃんとして頑張らないといけない。
洗った食器をサムに渡す。布巾で一枚一枚、丁寧に拭いていく。皆が一生懸命手伝ってくれるから、今まではよりも準備も後片付けも楽になった。それに、ルシードが皆のお兄ちゃんとして頑張ってくれる。最近では魚を獲ってきてくれるようになったから、皆も喜んでくれる。
「サム、今日のお魚、美味しかったよね」
最後のお皿をサムに渡す。
「うん。ルシードお兄ちゃんが獲ってきてくれるお魚はみんな美味しい」
お皿を布巾で拭って、最後に布巾を軽く洗って絞る。
「そうだね。じゃあ、せっかくルシードが獲ってきてくれたお魚だから、料理も工夫しないとね。――じゃあ、もう遅いし、寝ようか」
「……うん」
サムが少しだけ目を伏せる。時々、サムはそんな仕草を見せる。特に夜は、何かこわいものがあるみたいに。初めてここに来た時も何かを怖がっていた。ここにいる子たちは、最初はみんなそうなんだけれど。
「サム、たまには一緒に寝ようか?」
「……いいの?」
「うん。私も、一人じゃ寂しいときがあるから」
私も、サムも寝間着に着替えてベッドに入る。一人用のベッドだから大きくはないけれど、私よりもずっと小さいサムと一緒なら大丈夫。サムに腕枕をして抱きしめるような形になるけれど、夜はちょっと肌寒いぐらいだから丁度良い。
「一緒に寝るのって久しぶりだね。サムがここに来た時以来かな?」
顔と顔がくっつくぐらいに近い。サムが小っちゃいのは分かっているけれど、こうしていると本当に小さい。
「うん。お父さんとお母さんがいなくなって怖かったけれど、テファお姉ちゃんが――お母さんみたいだったから怖くなくなった」
サムが抱き返す腕に力を込める。あの時もそうだった。
「サム、また何か怖いことがあったのかな? お姉ちゃんに言ってごらん。私ができることなら何だってするから」
私にできることなら、なんだってする。私にとっては、この子達が全てだから。
「……うん」
サムが私をじっと見る。だから、私も優しく微笑む。お母さんだって言ってくれるなら、私はお母さんでないといけないから。
「……えっとね。夜、一人でいるのが怖いの」
「うん」
「一人でいると、誰かがいるような気がして、それで……」
「そっか。でも、それならエマがいるのかもね。だったらきっと、サムのことが心配なんだよ」
サムの髪をなでる。できるだけ優しく。
「ううん。エマなら怖くないよ。でも……」
サムが目をそらす。もう一度私を見て、やっぱり目をそらす。
「でも?」
「……あのね。森で、男の人の死体を見つけたの」
「……そうなんだ」
どくんと、大きく心臓が動いた気がした。
「ルシードお兄ちゃんと一緒に埋めたんだけれど、その人の顔が忘れられなくて、それで……」
サムが毛布にくるまるように顔を隠す。
「大丈夫だよ。お墓を作ってくれたサムにはありがとうって思っているはずだから。だから怖いことなんて何もないよ」
「――うん」
サムが私に抱きつく腕に力を込める。
「しばらくは一緒に寝ようね。……ところで、その人って、兵隊さん、だったのかな?」
ひどく喉が渇く。つばを飲み込んでも、あとからあとから乾いていくように。
どうしてか、あの時のことが頭に浮かぶ。私は、あの人に消えてほしいと思った。ううん、そんなんじゃない。殺したいって、思った。でも、思っただけ、思っただけだから。だから……。
お姉ちゃんの元気がない。いつも目の下に隈を作っていて、夜眠れていないみたい。夜こっそり見に行った時もうなされていた。違う、違うって。朝はみんなにおはようって笑ってくれるけれど、なんだか壊れちゃいそうで。まるで、あの時みたいに。
みんな心配になって、みんなでできることは全部やろうとしても、お姉ちゃんは大丈夫だからというだけ。たぶん、みんなに心配をかけたくないって。でも、子供でも分かるぐらいに疲れ切っていて、みんななんとかしたいって思っていて。
それなのに、どうすればいいのか分からない。俺にはどうすればいいのか分からない。たとえ何があったとしても、テファおねえちゃんが悪いことなんてないのに。そんな日が続いた。
ある朝早くに、どうしてか目が覚めた。なんとなく外を見ていたら、お姉ちゃんがふらふらと歩いていくのが見えた。ふらふらと、ふらふらと、森へ歩いていく。気づいたら、お姉ちゃんを追っていた。
お姉ちゃんが歩いていく。ゆっくりゆっくり、でも、まっすぐに。ずっと歩いて、どこに向かっているか分かった。だって、サムと一緒に来たあの場所だったから。良くないことだと思うのに、それがどうしてか分からない。お姉ちゃんを止めないといけないと思ったのに、どうしてかそれができない。
ずっと歩いて、あの場所にしゃがみ込んだお姉ちゃんが、地面に触れる。まだ地面が柔らかいから、手でかき分けるだけで十分。二人で穴を掘るのにあんなに苦労したのに、それが嘘みたいに。しばらくして、湿った、嫌な臭いがしてきた。それでも、テファお姉ちゃんは手を止めない。掘って、掘って、やがてびちゃびちゃと水音がした。何度も何度も。それでも掘って、何度も咳き込んで、地面にへたりこんだままテファお姉ちゃんが嗤った。
「――あはは。私、エマの敵を討ってたんだ。しかた、ないよね。それでいいよね。だって私、エルフだもん。だって私、化け物だもん」
ひとしきり嗤って、いつの間にか嗤い声が泣き声になっていた。
「……う……ぇ。いや、だよ。なんで、私ばかり……。私……ただ……」
泣き声が空に流れる。
「……誰か、助けてよぅ」
「――俺が助けるよ」
今までずっと声が出なかったのに、気づいたら叫んでいた。跳ねるようにお姉ちゃんが俺を見た。涙と、吐いたもので顔をぐちゃぐちゃにしたままに。
「俺は、テファお姉ちゃんのことが好きだから。他の誰より好きだから。他の人なんて、どうだっていいんだから」
気づいたら、お姉ちゃんを抱きしめていた。お姉ちゃんが地面にへたり込んでいたから、お姉ちゃんの頭を抱きかかえるように。
「……あ……う……。……汚れちゃうよ?」
力いっぱい抱きしめたから、少しだけ苦しそうに。
「そんなの、どうでもいい」
本当に、どうでもいい。
「……私、エルフなんだよ。人を殺す、化け物なんだよ?」
「……そんなの、関係ない。テファお姉ちゃんは、テファお姉ちゃんだから」
ぎゅうっと、力を込めた。そうしないとテファお姉ちゃんがどこかに行ってしまいそうだったから。
「……うれしい、よ」
お姉ちゃんが僕を抱きしめる。
「……でも、ごめんね」
どうしてか、気が遠くなってきた。
「……私……怖いの。嫌われたくないの。……化け物なのに、あなたたちには、化け物って言われたくないの。……私には、あなたたちしかいないから」
頭がぼんやりとしてきて、分からなくなってきた。違うと言いたい。でも、何が違うんだろう。
「……私は、恨まれたっていい。あなた達を守るためなら、恨まれたっていい。私、なんだってするから。だから、ごめんね」
分からないのに、どうしてか違うと、そう言いたかった。
ティファお姉ちゃんは変わった。ずっと元気がなかったけれど、ようやく落ち着いたみたい。いつもみんなに優しい。優しく優しく笑っている
それなのに、どうしてか怖いと思う時がある。あの、真っ赤に染まった、人形のようなおねえちゃんを思い出す時がある。何か大切なことを忘れているような気がするのに、それがなにか、どうしても思い出せない。
「どうかしたの、ルシード?」
いつもの笑顔の、テファお姉ちゃん。
「――俺は、テファお姉ちゃんの味方だから」
テファお姉ちゃんの顔を見ていたら、どうしてかそんな言葉が出てきた。
「……どう、したの。……急に、そんなこと」
びくりと、怯えたような表情。
「よく、分からない。でも、どうしてか言いたくなったから」
「……そっか、そうなんだね。……うん。嬉しい、よ。私、ルシード達が幸せになれるなら、なんだってするから」
お姉ちゃんの頬を涙が流れる。でも、何かが違う。何かが違うのに、言葉にできない。
テファお姉ちゃんは悪くないのに
テファお姉ちゃんは……
テファお姉ちゃんは……
俺は、テファお姉ちゃんを守りたいのに。俺が、子供だから。テファお姉ちゃんだけが苦しまなくていいのに。どうしたら、テファお姉ちゃんを助けられるのか、どうしても分からない。何から助けたいのかも、どうしても分からない。
「――余のミューズ。アルビオンの様子を教えてくれるかね」
ジョセフ様。私のジョセフ様。人の目に触れない、薄暗い、決して豪華とは言えない床も壁も石積みの殺風景な部屋でも、その美貌が損なわれることはない。それに、いつになく楽しそうにされて、私も嬉しい。今日は、きっと抱いていただける。あのたくましい腕、繊細な指で触れていただける。それだけで……違う、それ以外、私には何もいらない。だから私は、ジョセフ様が望むことならなんだってしてみせる。
「はい、ジョセフ様。レコンキスタは事実上消滅しました。ガリア、ゲルマニア、トリステインの艦隊が姿を見せるまでもなく、ほとんどの貴族派は投降。主だったもの達は土産替わりに差し出されるか、もしくは城に火を放って自害いたしました。一部逃げ出したもの達もおりますが、いずれ駆り出されることでしょう」
「うむ。賢い選択だね。人同士で争うなど、愚かしいことこの上ないからね。後始末だが、そちらはどうかね?」
「はい。ガリア、ゲルマニア、トリステイン、アルビオンの残党、加えて一部ロマリアの義勇軍が入っております。貴族派の残党と亜人の狩り出しを行っており、あと一週間もあれば片付くことでしょう」
「ほう。さすがに早い。一致団結して事にあたればそれだけのことができるということか。ふむ、素晴らしいね。では、それはそのまま維持することとしよう。あとは、誰だったか……。そう、クロムウェルだ。彼はどうしているかね?」
「……クロムウェルは、その……」
思わず目を伏せる。
「ん? まさか逃げおおせたのかね? だとしたら少々評価を改めなくてはならないが」
それならば、まだ良かった。
「申し訳ありません。……どうなったのか、分からないのです。ある日突然に姿を消しました。ただ、逃げたわけではないと思います」
「どうしてそう思うのかね? ああ、別に責めるつもりはない。それならそれで構わないのだから」
顎髭を撫で、予想が違ったということが楽しそうだ。予想が外れるということはほとんどないだけに、それが外れると本当に楽しそうにされる。だが、それはジョセフ様にとっては取るに足らないことだから。そして、それすらも満足にこなせなかったということだ。
「生きているのか死んでいるのかも分からないのですが、少なくとも無事ではないからです。彼が消えたあと、部屋には体の一部が残されていました。切り取られた手足と、ご丁寧に、はがされた顔の皮が残っておりました。すくなくとも顔の皮は本人のものです。目的も、誰が行ったのかも分からないのですが、おそらくは連れ去られのだと思います。あとは、見せしめでしょうか」
「まあ、彼は小物だからね。裏に誰がいるか怪しんでもおかしくはない。さて、彼はどこまで知っていたかね?」
「ほとんど、何も。私の正体も知りませんし、ガリアが味方であることは知っていても、誰が味方だったかということの確信は与えておりません。もともと切り捨てることも考えておりましたので」
「ならば、何も問題はない」
コツコツとジョセフ様が歩みをすすめ、手のひらで私の頬に触れる。嬉しいはずなのに、びくりと体が跳ねた。
「余のミューズ、君は良くやってくれている。だから、そのようなことは些末なことだよ。なんなら私のことが漏れても構わないのだから。君がいるかぎり、何の心配もないのだからね」
ジョセフ様の微笑みに、涙が流れる。
「……ジョセフ、様。あなた様のお心遣い、感謝いたします」
ジョセフ様の為ならなんだってやって見せる。それこそが私の喜びなのだから。全てはジョセフ様にとって単なる戯れだとしても。私なんて、ジョセフ様にとっては単なる駒だとしても。
「――ああ、そうだ。一つ頼まれてくれるかね。少々遠出をしてもらうことにはなるが、手紙を届けて欲しいのだよ」
城内が慌ただしい。掃除を行うもの、調度品を運び込むもの達、あちらこちらと行き来している。そして、王女である私もすべての使用人を把握してはいないとはいえ、今日は見覚えのないものが特に多い。大方、臨時で動員した者達がそれだけいるということでしょう。警備を考えれば問題があるかもしれませんが、それも仕方がないというもの。なにせ、いつものこととはいえ、分に合わない見栄を張らねばなないのですから。
諸国会議の場として、トリステインが選ばれた。ガリアやゲルマニアの王城を訪れた身としてはどうあっても見劣りするのは分かっていますが、それでも何もしないよりはましでしょう。ガリア、ロマリアからの推挙となれば仕方がありません。
それに、今回の会議はアルビオンの行く末を決めるのですから。本来はアルビオンで行うのが順当。しかしながら、片付くのは時間の問題とはいえ、まだあそこは戦場。となれば地理的にも近く、「アルビオンの王族」が逗留するトリステインが会議の場にふさわしいというのも、もっとなこと。
いつ以来かも分からない諸国会議、各国の王族が集まるなど、特に今回はロマリアの教皇自らこのトリステインを訪れるというのは名誉なことなのでしょうが、どうしても気が重い。なにせ今回の目的は、トリステインという「国」にとってはご馳走を食べるようなことであっても、私自身にとってはこの身を引き裂かれるようなものなのだから。溜息ばかりになるのも仕方がないというもの。
「姫様。お気持ちは察しますが、これも国を率いるものの責務です。分かっておりますな?」
マザリーニの言うことはいつも正しい。正しいとは分かっていても、この国のことを本当に考えてくれているとは分かっていても、本当にこの国を守ってきたのは彼だと分かっていても、受け入れがたいものはある。しょせん私は、まだまだ政治のことを分かっていない小娘だということでしょう。
ただの小娘なら、本当に良かった。愛する人の、愛するものを引き裂くことなどせずとも良いのですから。
「……分かっています。要は、腑分けでしょう? 働きに見合った対価を得るための、ね」
言葉にして、改めて実感する。どんなにおぞましいことか、どんなに残酷なことか。なんとか死なずにすんだ病人を更に痛めつけるようなもの。愛する人に、そんなことをしなくてはならないのだから。
「――分かっていただけているのなら結構です。政治と感情とは、切り離さなければならないのですから」
ああ、マザリーニの言うことは正しい。本当に正しい。でも、これ以上は言わないで欲しい。実感すればするほど逃げ出したくなる。
「姫様。恐れながら申し上げます」
今まで直立不動だったワルド子爵が口にする。魔法衛士隊の隊長服に身を包んだその身は頼もしいが、今回ばかりは頼りになりそうもない。
「トリステインがアルビオンを切り取ることは、避け得ない必要なことです」
「……分かっています」
「姫様がそれを気に病んでおられるのは分かります。しかしながら、それがアルビオンにとっても最良なのです。今のアルビオンを狙っているのは、何を考えているのか分からないガリアに、恥知らずのゲルマニア。ロマリアとて、全てが心清き者達ばかりではありません。であるならば、トリステインこそが先頭に立つべきなのです。姫様ならば、アルビオンのこともよりよく導けることでしょう。――差し出がましいことを申し上げましたが、お許しください」
子爵が深々と頭を下げる。確かに、子爵の言うことも正しいのだろう。詭弁に過ぎなくても、そう思えば少しは心が救われる。
「……いえ、子爵のおっしゃる通りです。アルビオンのことを思うのなら、そうすべきなのでしょうね。あなたのおかげで、少しは気が楽になりました」
皆が、ワルド子爵のように本当に貴族に足る人物ばかりならば良いのに。体を張ってまで王子を助けてくれた、本当の忠臣たる者であれば。私の本当の味方はこの二人だけです。――いえ、ルイズもいましたね。親友のことを忘れるなんてどうかしていました。でも、本当に少ない。国を動かしていくには、本当に少ない。私はこの国を導くことなどできるのでしょうか。
会議は進む。当然のごとく、ハルケギニア最強国たるガリアの王ジョセフと、ハルケギニア最高権威の象徴であるロマリアの教皇ヴィットーリオを中心にして。形だけの主催者とはいえ、ここまであからさまであれば、いっそ清々しい。
さて、この二人の言い分だけれど、実に素晴らしい。始祖の血を汚してはならない。この世界が正しくあるために、始祖の血を中心としてこの危機に当たらなければならない。
まったくもって正しいこと。ふふ、始祖の血を直接はひかないゲルマニアは苦々しい顔をしているけれど。でも、内心は、目的は何なのかしらね。政治のことをまだ分かっていない私でもロマリアの目的は分かる。でも、ガリアの、いいえ、ジョセフ王の考えが分からない。教皇と連名での話だから、目的は同じだと思うのだけれど。でも、ジョセフ王が、言ってはなんだけれど、そんなことに興味を持つのかしら。それがよく分からない。マザリーニですら分からないのだから、小娘である私が分かるはずはないんだけれど。
そしてウェールズ王子は、仕方……ありませんね。何せ、国の存亡の危機。そして、私自身もその危機を構成するものの一つなのだから。
今のアルビオンは、まったくもって丸裸に等しい。ハルキゲニア最強と言われた空軍は過去のもの。多くの船は「事故」でなくしたから、再編するまではどれだけかかるのやら。そもそも、その費用をどこから調達するのか。どれだけかかるのかなんて全く分かりませんが、今のアルビオンがどうにかできる金額などではないでしょう。
それに、国内の貴族。信頼できる、そもそも王党派だった者達はごくわずか。貴族派だった者達の多くは降伏しましたが、どこまで信頼できることでしょう。それでも使わざるを得ないのだから、よからぬことを考える者が出てきてもおかしくはありません。
外に対しても、内に対しても丸裸といって良い状況。加えて、諸外国にこれだけ大きな借りを作り、これから更にそれが上乗せされるのです。私でもアルビオンの状況がどれだけまずいのかが分かります。アルビオンという国は、少なくとも、今のアルビオンはなくなるのでしょうね。
悲しいことに、それを行うのはトリステイン、私かもしれません。なぜ、このようなことになったのでしょう。私は、ウェールズ王子が生きていてくれるだけで良かった。それだけで良かった。ウェールズ王子との結婚なんて、諦めていた。でも、今ならそれができる。でも、それは、アルビオンという国にとどめをさすことに等しい。どうして、こんなことになったのか。
――何か一つ、何か一つでも逆転の切り札となるものがあれば違うのでしょうが、そんな都合の良いものはないでしょう。
ジョセフ様と私、二人だけでトリステインの城内を歩いている。歩くのには困らない程度の間隔で壁にろうそくの明かりが灯されているが、のんきな見張りは皆寝ている。それで近衛が務まるのかと言ってやりたいところだが、眠らせた張本人は私なのだから、あえて言うまい。
「――ジョセフ様。本当にあの者達にお会いになるのですか? 恐れながら、信用できるとは思えないのですが」
「余のミューズ。確かに君の言う通り。あの者達は信用ならん。余が障害になるとなれば、全力で排除にかかるであろうよ」
ジョセフ様が楽しげに笑う。この方にとっては危険も娯楽の一つなのかもしれない。楽しんでいただけるのは嬉しい。でも、それがジョセフ様を危険に晒すことだというのはいかんとも承服しがたい。
「……ならば」
「なに、障害になるならば、だよ。彼らは虚無の担い手を必要としてしている。そして聖戦をね。余としてもそれは、望ましいことだ。人間すべてが一致団結して、素晴らしいことではないかね」
いっそう楽しげに笑い、扉を開く。相手はもう来ている。
「おまたせして悪かったね」
ジョセフ様が部屋の中をゆっくりと見回す。先客は二人。一人は動きやすさなど皆無の、体をすっぽりと覆う豪奢な貫頭衣をまとった男。もう一人は少々気障ったらしいが、動きやすさを重視したような恰好。ただ、暗くて分かりづらいが、珍しいことに月目であるらしい。
「さて、親愛なるヴィットーリオ教皇殿。まあ、必要はないだろうが、一応名乗っておくこととしよう。余がガリアの虚無の担い手、そして……」
ジョセフ様が私を抱き寄せる。この場でなければ、その喜びに打ち震えていたことだろう。
「紹介しよう。彼女が神の頭脳、ミョズニトニルンだ」