混沌の使い魔   作:Freccia

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 月には兎が住んでいる――そんな言い伝えがある。

 そんな風に言われるようになった理由の一つには、月の模様がちょうど兎に見えるということがあるんだろう。

 もちろん、人によって見え方は様々。兎に見えるという人もいれば、少女や女性、はたまた、蟹に見えるという者だっている。月の模様はそんな風に、見る人々の想像力を誘ってくれる。

 ただし、一つだけ共通していることがある。月は常にその表だけを見せている。だから、月の裏側を見ることは決してできない。表と同じように美しい姿なのかもしれないし、はたまた、光の差さない深い深い闇の世界なのかもしれない。






第24話 Darkside of the Moon

 学院を後にするマチルダが、見送りに対して馬上から手を振る。ほんの数日前まではふさぎ込んだ様子だったが、心配ごとが解決したからか、晴れやかな表情で。動きやすい服装にマント、旅支度を整えたマチルダに続いて、ウリエル、その肩に留まったウラル、更にその後をケルベロスが続く。

 

 本来ならばウリエル一人でも十分すぎるほどだが、今回は子供たちを連れ帰るという目的がある。大所帯である以上、万が一ということだってある。見た目での抑止力という意味でも効果的だろう。

 

 それに、旅路の中でやって欲しいこともある。もっとも、それは俺だけが知っていればいいことだが。

 

 やがて、マチルダ達の姿もすっかり小さくなった。何度か振り返るが、それも見えなくなった。ほんの一時とはいえ、やはりもの寂しい。

 

 とはいえ、いつまでもそんなことを言ってはいられない。俺にもやるべきことはある。子供達を迎えると決めたからには、彼らが安心して暮らせるようにしなければいけない。

 

 マチルダは、妹と妹が世話をする子供たちを迎えに行った。今度は明るい顔で。

 

 そして、エレオノールは子供たちを引き取るための準備を進めている。今に限って言うならば別の国の孤児を引き入れることにそう大きな抵抗はない。だが、それでも国との調整は必要となる。そして資金。なにをするにしても、ある程度まとまった金が必要になる。本来なら国が出すべきものだろうが、簡単にそれができるというのならそもそもの問題がなかった。だから、彼女の実家の助力を得ることにした。エレオノールの仕事に俺が手伝う余地はほとんどない。

 

 だから、俺は俺なりにできることをする。

 

 

 

 

 

 一人、町へ来た。

 

 まとまった金を作る方法と、引き取った子供たちが将来的に身を立てる方法を探す、それが俺がやるべきことだと思っている。そもそも、この世界に来て全く考えていなかったわけでもない。

 

 差し迫った必要性がないせいで先延ばしにはなっていたが、いずれは自分にとっても必要だと思っていた。

 

 そして、一つ思うことがあった。この世界には科学技術といったものが発展していない。そもそも、話しを聞く中でも、驚くほど社会の進歩というものがない。地球ではほんの一時のものだった中世的な価値観というものが何百年、下手をしたら何千年も続いている。

 

 理由は、おそらく魔法。社会にしっかりと根付いたそれは、とても便利なものだ。

 

 一つ例を挙げるのなら、錬金。呪文一つで思い思いのものを作ることができ、科学技術的な知識の裏付けなしに基幹となる金属を作ることも可能となっている。非常に便利で社会の発展に寄与したのだろう。だが、現在ではそれが足かせになっているように思う。

 

 なぜなら、個人の能力に依存したそれは、あくまでその域からでることができないからだ。人という種は、協力すること、そうすることで一人が達成できること以上のものを作り出してきた。更にはそれを連綿と受け継ぐことで洗練させていった。夢であった空を飛ぶこと、更には宇宙という地球の外まで。

 

 個人の魔法という技術に頼りきったこの世界では、その壁を越えることができていない。もちろん、魔法という地球にはなかった技術を駆使することで、地球以上の発展を目指すことも可能かもしれない。だが、今の状況を見る限り、それには成功していないようだ。魔法を使える人間が貴族という特権階級になることで、この世界にはしっかりと線引きがされている。魔法とそれを使える貴族というものがすべての中心になっている。

 

 だから、科学技術をうまく取り入れることができれば、もしくは魔法と科学技術をうまく組み合わせることができれば、これまでになかった全く新しいものを作ることができるはずだ。それができれば、子供たちが身を立てる一助になるはずだ。

 

 町中へと歩みを進める。気にかけてみていけば、そこかしこに魔法の力が伺える。

 

 たとえば、食料。少し歩いただけでも魔法の影響がある。魔法で作った氷に、食料そのものに対する固定化。流通分野は面白いことをやっている。ただし、その結果として保存食といった考えはあまりないようだ。もちろん単純に干すといったことはやっているようだが、それまでだ。当然だろう。もっと簡単な方法があるのだから。

 

 もし何かを考えるとすれば、ここにはない料理法を使うといったところだろうか。だが、残念なことにそんな知識はない。

 

 個人的な嗜好から和食を作ってみたいとは思っているが、まだできれば良いといった段階だ。調味料が見つかればなんとかできるかもしれないが、それまではいかんともしがたい。それに、特殊な調味料であるから、ここで作れるということが前提条件になる。条件としては厳しい。子供達と、あとは数人の大人だけで完結させるというのはなかなかに難しそうだ。

 

 ならば、食料以外のものを作るというのはどうだろう。科学技術といっても広すぎる。身近だった家電でいえば、テレビ、冷蔵庫、洗濯機――駄目だな。再現が難しすぎる。

 

 一足飛びに現代まで行くのではなく、地球の歴史で考えればどうだろうか。まずは、蒸気機関を中心とした産業革命。

 

 いや、最初は分業という概念だったか。人が集まって工場を作る。一人が一つの工程を担当することで効率的な生産を可能とする。そこに動力として蒸気機関の導入で更に効率化。製糸に始まり、大量に作ったものを遠くのマーケットまで運ぶ。そして更に離れた場所の知識を取り入れて発展。

 

 単純にやっても駄目だな。大がかり過ぎる上に、スパンが長すぎる。それは国単位でやるべき話だ。平民の地位向上といった意味では良いかもしれないが、今回は目的が違う。まだ工場という概念がない状態では時間がかかりすぎる。

 

 もしかしたらと服屋をのぞいてみたが、まだ個人の仕事からの脱却もできていない。布一つ取ってみても、織り目もムラがある。生地も綿か絹。化学繊維があれば面白いものが作れるだろうが、そんなものは手には入らない。もっとも、必要であれば生地に固定化という魔法を使えば、更に丈夫なものになるかもしれないが。

 

 鍋や釜といった金属製品でも、結局は同じだ。下手な工夫よりも魔法の方が手軽で効果が高い。それでは少々の工夫など意味がない。そもそも必要性を感じないのだろう。

 

 ため息が漏れる。身近な不便さというものは大概魔法で解決されてしまっている。必要は発明の母といったものだが、必要がなければ発明もなされない。それがここでは証明されてしまっている。ちょっとした工夫というものが何の価値も持ちそうにない。

 

 何か科学知識を使うヒントになるものがあればということで、町中を回ってみたがなかなか思いつかない。せいぜい、魔法がどれだけ万能であるかを再認識するだけだ。少し、アプローチの方法を変えてみる必要があるかもしれない。

 

 町外れの屋敷を訪ねる。

 

 屋敷といっても周りの家から比べれば大きいというだけで、それほど立派なものではない。あまり手入れが行き届いていないのか、よく分からないものがそこらに積んである。扉も最後に掃除をしたのはいつなのか、うっすらと土埃に汚れている。そんな扉を叩く。

 

 しばらく時間をおいて返事があり、扉をあけて髪も適当に切りそろえただけの偏屈そうな顔がでてきた。

 

 最初はいぶかしげな顔だったが、相手が俺だと分かると少しだけ表情を緩めた。少し前にある本のおかげで接点を持ったゼファーが、部屋に招き入れてくれる。

 

 外観に負けず壁には無造作に本が積み上げられているが、一応は応対用の部屋があり、ソファーに向かい合わせに座る。

 

「やあ、久しぶりだね。君の方から訪ねてくれるとはね」

 

 ゼファーが口を開く。少しだけ緩ませた表情を見せてくれるあたり、歓迎してくれているんだろう。どちらかといえば感情の薄い俺と同じで、分かりづらいものではあるが。まあ、そういった意味ではお互い気兼ねがなくていい。

 

「今日は頼みが有ってきた。ここにある本を見せて欲しくてな」

 

「君には世話になったからそれは構わないが、どんなものを探しているのかな?」

 

「どんなものを、というわけじゃないな。何か面白いものを見つけられればといったものだ」

 

「ふむ。まあ、君ならば構わないよ。好きに見ていてくれていい。代わりに、何か面白いものがあった時に私にも教えてくれればそれで十分だ」

 

 

 

 

 ぱらぱらと雑誌をめくる。そこに様々な色のバイクとが載っている。ものとしては面白いが、再現はたぶん無理だろう。あるページで手を止めたところで、尋ねるタイミングを待っていたんだろうゼファーが問いかけてきた。

 

「それはなんだい? 人が跨っているようだが」

 

 ああ、そうか。俺から見ればバイクとしか見えなくても、ただの写真であれば何なのか分からないようだ。

 

「まあ、一言で行ってしまえば乗り物だ。この二つのタイヤ――車輪といえばいいか、それが回転して移動するためのものだ」

 

「それがねえ……。しかしどうやって動かすのかね? 曳くものが見えないから魔法かね」

 

 素直な感想につい笑みが漏れる。魔法以外に理解のあるゼファーでも、確かにそうとしか思えないだろう。魔法が生活の中にあるこの世界では、下手な工夫よりも魔法の方がずっと効果的なのだから。

 

「これはエンジンというものを利用した乗り物だ。なんと言えば分かりやすいか……。そうだな、爆発的に燃えあがる液体を燃料に、その爆発の力を車輪の回転に利用して動かすというものだ」

 

 ゼファーは今の説明に口の中で繰り返すが、やはりイメージできないようだ。首を傾げている。

 

「場違いな工芸品の知識というのは一筋縄では理解できないということかな。爆発の力を利用する。まあ、動かす力にはなりそうだが、どうやってそんなものを制御するのか、とんとイメージがわかないな。正直、そんな物騒なものは怖くて使えそうもない」

 

「そうだな。俺自身、概略的な理屈は分かっても、いざそれを作ろうとしてもどうすればいいのか分からない。残念なことに形にするための方法が分からない。でなければ言う通り、危なくて使えないだろうしな」

 

 そう、それが問題だ。科学の産物の使い方は分かっても、それがどうやって形になっているのか分からない。俺にとっては、それはもう既に生活の中に当然のものとして存在していたのだから。パタリと雑誌を閉じる、これはヒントにはならないだろう。

 

「なら、こうすればどうだろう」

 

 考えこんでいたゼファーが言う。雑誌から顔を上げ、続きを促す。

 

「君は知識の方向性は分かっているが、それを形にするための前提知識や技術がない。そうだね?」

 

 ゼファーの問いかけに軽くうなずく。

 

「私はもちろん、この国には新しい技術や知識を使うための土台がない。魔法至上主義といってもいいほどだからね。しかし、ゲルマニアなら違うかもしれない。私も人伝のものでしかないのだがね、かの国では実力さえあれば平民でも貴族になることができる。たとえば、質を高めた鉄を作る技術を考え出した者はそれに見合った待遇を得たそうだ。それはつまり、新しい技術を受け入れる土台と、それを使う為の環境が揃っているということだろう。ならば、かの国の技術者の協力を得るというのは? もちろん、ゲルマニアとの伝がなければ難しいし、トリステインとあまり仲の宜しくない国と協力というのはあまり良い顔をされないだろうがね」

 

 後者に関しては、変わり者の私達は気にする必要はない、と皮肉気に付け加える。

 

「協力者は必要かと思っていたが、ゲルマニアか……。心当たりがないでもないな」

 

 頭にルイズの友人の姿がよぎる。確か、ゲルマニアから留学生ということでルイズがいろいろと言っていたような覚えがある。ルイズの理解者である彼女なら、頼みさえすれば協力してくれるだろう。ルイズの実家と国を挟んで睨み合うことができるということは、家としてかなりの力を持っていることも伺える。

 

「羨ましいね。私も科学技術というものを活用するにはトリステインは難しいと思っていたところだ。何かやろうというのなら、私も一枚噛ませてて欲しいものだね」

 

「ああ、理解のある協力者がいるというのは俺としてもありがたい。準備ができたら、こちらから協力をお願いしたい」

 

 

 

 

 

 

 

「――ふうん。なるほどねぇ。確かに新しい技術ということなら、トリステインよりもゲルマニアの方がずっと懐が広いわ」

 

 話を聞いたキュルケが妖艶に足を組み替え、考える。

 

 ごくごく無意識に、肉付きの良い太股を強調する男を誘う仕草を見せられるというのは彼女の長所でもあり、欠点でもある。男には効果的であっても、ルイズなどはいらだたしく感じるようであるから。

 

 それともう一つ忘れてはいけない長所がある。色気といった意味でもルイズとほとんど変わらない年齢に見合わないものを持っているが、それに加えて、冷静に損得を考えられるだけの知性を持っている。もっとも、同時に快楽を何よりも優先させてしまうという全く正反対の性質も持っているのだが。

 

「うん、いいわ。協力してあげる。うまく当たれば面白いことができそうだし。それに」

 

 口もとに緩やかな弧をつくり、妖しく笑う。

 

「最初からトリステインではなく、ゲルマニアへというのがいいわ。やっぱり、誰から見てもトリステインの気質って古くさいものねぇ」

 

「まあ、それは、な」

 

 本来ならトリステインでできれば一番だったんだろうが、この国は魔法というものに凝り固まっている。町を回ってみても、魔法があるからか、何かを工夫しようという気概は伺えなかった。まだそれほと長くこの国に住んでいなくても、なんとなく感じることだった。俺が出せるのは方向性だけであるから、それを形にするだけの柔軟な思考ができる人物でなければ協力者として成り立たない。

 

「で、本当ならすぐにでもといいたいところだけれど、一応は手順を踏んでからにはなるわね。……そうね、まずは実家へ手紙での打診と、成果に対するもの分け前なんかをきちんと決めてからにはなるわね」

 

「ああ、そうでなければ後で面倒なことになるだけだからな。それにしても、ずいぶんとしっかりしたものだな」

 

 自分の立ち位置というものをきちんと理解している。加えて、利益というものの扱いはどうすれば良いのかも。

 

「そうかしら? それで言うのならあなたもずいぶんと落ち着いたものだと思うけれど。聞いたわよ、あなたの年齢。それと、それを聞いたあの二人の反応」

 

 やりとりを思い出したのか、くつくつと笑う。

 

「あの二人には禁句だからな」

 

 一度からかうのに使ったルイズがきっちりと制裁を受けていた。それこそ、代わる代わる二人からの制裁でしばらくうなされたほどに。

 

「ルイズみたいな馬鹿なことはしないわよ。私はもう少しうまく使うわ」

 

 まあ、キュルケというのはそういう人物だ。それでも、ルイズよりはうまくやるだろうから心配はいらないだろう。

 

「とばっちりは勘弁して欲しいな」

 

「努力はするわ」

 

 キュルケが楽しげに笑う。きっと、それはそれで面白いと思っているのだろう。

 

 さて、そう簡単には行かないが、目途はたった。しばらくは地道に稼ぐしかないが、今は将来的な心配さえ取り除ければいい。子供たちが自立するとき、何かの商売か、理想を言えば事業という形で形になっていれば十分。悪くとも、出所のはっきりとした資金ができればそれでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 カラカラと音をたてていた車輪が止まった。

 

 ウエストウッド村では珍しいことに、馬車で客人が訪れた。ああ、「客人」と一括りにするのは間違い。マチルダ姉さんは家族。だから、客人は一緒に来たちょっと変わった人たちだけ。

 

 優しげの微笑みを浮かべた、金髪の男の人。宗教衣のような体をすっぽりと覆うような不思議な服に、腰のところには剣。宗教は――怖いけれど、この人は大丈夫だと思う。だって、子供たちを見る目がとても優しげだから。それに、肩口には眠そうな梟がいて、なんだかアンバランスでおかしい。

 

 そして、その後ろにはすごく強そうな幻獣。鬣のある狼のような姿なのに、雄牛よりも大きいぐらい。堅そうな尾をゆらゆらと揺らしている。迫力に逃げ出したくなるぐらいだけれど、姉さんと一緒だから、きっと大丈夫。姉さんがウエストウッド村をあとにするときに、助けてくれる人達のところに行くと言っていた。だから、何の心配もいらないと思う。

 

 おっかなびっくり様子を伺っている子供たちと、私を守るように前に出てきたルシードに苦笑しながら、姉さんが紹介してくれた。

 

 一緒にいたのは、やっぱり私達を助けてくれるという人の仲間。

 

 金髪の男の人がウリエルさん。魔法も剣も得意なすごく頼りになる人。その肩口にいるのが、ウラルさん。梟の姿をしているけれど、実は人の姿にもなれるし、喋ることもできるとか。そして、その後ろにいるのがケルベロスさん。見た目通りすごく強くて頼りになる。子供達を連れての旅になるから、護衛として一緒に来てくれたと教えてくれた。

 

「――さあ。これから皆でトリステインに引っ越しだよ。もちろん準備は必要だから、明日にはでられるようにね」

 

 紹介が終わったところで姉さんが皆に向かって語りかける。でも、既に皆には話しているから、準備はほとんどできている。それに、持っていくものなんてそんなにないから。

 

 

 

 

 夜になると皆で食事を囲んだ。姉さん達が食材をたくさん買い込んできてくれていたから、すごく豪勢なもの。

ただし、旅の予行練習ということで、外で食事の準備をした。

 

 でも、準備はあっさり。ケルベロスさんが火を吐くと、あっと言う間に炊事用の火の準備ができた。

 

 それに、買ってきた食材に加えて、眠気がさめたらしいウラルさんが近くの川から魚を取ってきてくれた。並べた石の上に鉄板をおいてただ焼くだけだけれど、すごく美味しかった。

 

 美味しい食事はやっぱり幸せな気持ちになれるから、最初はおっかなびっくり見ていた子供達も、優しげなウリエルさんの誘いに加えて、今では興味が勝ったのか、ウラルさんとケルベロスさんに話しかけている。作った焚火の周りは賑やかだ。

 

 ウラルさんが真っ黒なワンピースの可愛らしい女の子の姿になってみせると、同年代に見えるということからか、子供達も自分から話しかけるようになった。

 

 ケルベロスさんに子供達が近寄るのを見るのはちょっと怖かったけれど、触られるまま相手をしてくれているので安心した。

 

 明日からは長旅になるということで子供達には隠しきれない不安があったけれど、これならたぶん大丈夫。そして、子供達さえ安心できるのなら、私は大丈夫。

 

 ふと、隣に座っていた姉さんが私を見ていた。

 

「ねえ、テファ」

 

 優しげに皆を見ながら、姉さんが言った。

 

「トリステインには、この前話したシキさんがいる。だから何も心配しなくていいんだからね。テファのこともちゃんと守ってくれるから」

 

「うん」

 

 シキさん。姉さんが好きな人で、その人も姉さんのことを好きな人。シキさんのことを話す姉さんの顔は、とても幸せそう。ずっと昔、あんまり会えないお父さんのことを話すときのお母さんも、そんな表情を浮かべていたと思う。

 

 人を愛するっていうのはまだ私にはよく分からないけれど、きっと、その人のことを思うだけで幸せになれる、そういうことだと思う。

 

 でも、私には叶わない。私が誰かを好きになっても、きっとその人に迷惑をかける。だから誰かとそんな風になっちゃいけないんだと思う。

 

 ――そんな私だから

 

「私も一緒に行っていいのかな? 私がいたら」

 

 子供達の将来に――その言葉は最後まで続けられなかった。姉さんに思いっきり頬をつねられたから。

 

「にぇ、にぇえしゃん?」

 

「こーら、テファ。何馬鹿なこと言っているの? 私はテファが嫌だって言ったって連れていくんだからね」

 

 頬を引っ張る手を緩めると、それから姉さんはいたずらっぽく笑った。

 

「大丈夫。シキさんにはテファのことも含めてお願いしたんだから。たとえ、世界中の全てを敵に回したって大丈夫なんだからね。だから、テファは何も心配しなくていいの。今だって、トリステインの方で準備してくれているから、あとは何も心配しなくていいの」

 

 つねられた頬をひりひりと痛んだけれど、優しげな姉さんに見つめられるのは心地よかった。

 

「――ただ」

 

 姉さんがどこか沈んだ声色で言った。

 

「たぶん、ティファの貞操は守ってくれないというか、敵に回るんだろうけれど……」

 

 ああ、姉さんはこうも言っていたっけ。そのシキさん、恋人がもう一人いる上に、他にも愛人がいそう、と。

 

「ううん、いいの。子供達が幸せになってくれるのなら、私はそれでいいから。私が返せるものがあるなら、私はそうしたいの」

 

 姉さんは悲しそうで、どこか諦めたような不思議な顔だった。

 

 

 

 

 

 夜が明けて、皆が馬車の前に集まった。荷物なんてそんなにないと思っていたけれど、いざ馬車に積み込んでみると小さな小屋ぐらいはありそうな荷台の半分は埋まっている。

 

 そして、子供達は不安がるどころか、知らない国に行くということにわくわくしているようだった。この村に来て以来遠くに行くということはなかったから、皆、外の世界に行くことに憧れを持っていたのかもしれない。

 

 きっと、皆優しいから私のことを思って言わなかっただけで。

 

「――さあ、皆」

 

 姉さんが見渡しながら言った。

 

「お墓は後で動かすから、しばらくはエマとはお別れだよ。ちゃんと行ってきますって言わないとね」

 

 お墓には皆でお花を飾った。小さなお墓いっぱいに。赤、青、黄色とお墓が埋まってしまうぐらい。エマはお花が好きだったからきっと喜んでくれていると思う。生活が落ち着いたらきっと迎えにくるから、皆で少しの間だけのお別れを言った。

 

 

 

 

 

 

 旅は楽しかった。

 

 ゴトゴトと揺れる馬車。さすがに子供達皆が乗るスペースはないから、小さい子から順番に乗る。でも、次々に変わる景色に皆が目を輝かせていた。そんな様子を見て、私もうれしかった。姉さんもきっと同じだと思う。

 

 疲れてしまっても、ケルベロスさんが背中に乗せてくれた。はじめて見たときのケルベロスさんは怖かったけれど、子供達にはとても優しかった。

 

 そして夜、泊まるという宿を見てびっくりした。私達が住んでいた家の何倍も大きくて、思わず見上げてしまうぐらい。それに、建物の中にはいろんな置物がある。私にはよく分からないけれど、きっと高いんだろうといういこと、それぐらいは分かる。そして、そんなものが置いてある宿も同じだっていうことも。

 

 子供達も同じこと思っていたみたいだったけれど、ウリエルさんが笑って言った。

 

「お金のことは心配しなくても大丈夫ですよ。せっかくの長旅ですからね、こういうところに泊まるのもいいでしょう」

 

 子供達は、私もそうだけれど、宿に入ってからはきょろきょろと落ち着かなかった。宿の人はそんな私たちをいぶかしげに見ていたけれど、ウリエルさんが何かを渡すと、とたんに笑顔で出迎えてくれた。

 

 宿は、こんな場所もあるんだって驚くぐらいに快適だった。部屋は広くて豪華だし、ベッドはふかふか。食事も沢山のお皿で分かれてでてきて、豪華すぎて味が分からないぐらい。ううん、やっぱりそれは嘘。ついお代わりまでしちゃったし。

 

 とにかく、すごく幸せだった。子供達も同じみたいで、だからなおさら。そんな私たちを、姉さんもウリエルさんも優しげに見ていた。

 

 みんなお腹が空いていたからか、楽しい時間はあっと言う間にすぎた。満腹のせいか、子供達もうつらうつらとし始めたので、ちょっと早いけれど部屋に戻ることにした。旅が楽しくて疲れるなんてことはなかったけれど、明日も歩かないといけないから。

 

 部屋へと戻る中、ウリエルさんが思い出したように言った。

 

「私とウラルは少し外出しますが、彼がいるので安心してくださいね」

 

 ケルベロスさんが軽くしっぽを揺らして答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇の中、ちらちらと炎が揺れる。

 

 あたり一面を照らしていた炎もすっかり小さくなった。消えないうちにと、手近にあった木の枝を適当に投げ入れる。まだ乾ききっていなかったのか、くすぶるばかりでなかなか火がつかない。くすぶるばかりで何の役にも立たない。まるで俺達みたいだ。

 

 ひょいと後ろを振り返る。明かりがのぞく洞窟からは下卑た声と、くぐもった女の声が聞こえる。暇なのは分かるが、まったく、よく飽きないものだ。

 

 あの女をさらってきたのはいつだったか。飼うための女を適当に調達してきて、もう一月にはなるか。特に見目の良い女ではないが、使い捨てるとなればまあ、それで良いのだろう。見目が良ければ売ってしまう。

 

 俺とて最初は世話になったが、そのうちにろくな反応もしなくなった女に飽きてしまった。もう、あの女の抱くのは偏屈なやつらばかり。壊れた女でもかまわないというようなやつらだ。まあ、よくよくもってあと一月か。

 

 見上げれば、空一面に星が広がっていた。星を見て喜ぶような感性は持ち合わせていないが、暇つぶし程度にはなる。じっと見ていれば、不意に何か別のものように見えてくるから不思議なものだ。

 

 ああ、星座なんて考えたやつらも、きっと俺のように暇だったんだろう。でなけりゃ、すぐに飽きてしまいそうなものだ。普段の俺なら5分と持たずに飽きてしまっていることだろう。

 

 ふと視線を落とすと、また火が小さくなっていた。適当に枝を投げ入れる。

 

 こうやって暇を持て余すと考えることがある。俺は何をしているんだろうか、と。

 

 山賊なんてものになったのは成り行きだ。ただ、楽をして、食いっぱぐれないようになりたいと思ったら、いつの間にかこの集団にいるようになった。最初は食い物なんかをちょろまかした程度だったのが、気づけば戻れなくなっていた。

 

 自業自得といえばそれまでだし、今更真面目に働こうなんて思わない。それでも今の生活には嫌気がさしてきた。

 

 平民は金を持っていない。金を持っている貴族はおっかない。だから、金を持っていない平民から奪い続けなければいけない。罪悪感なんて殊勝なものは持ち合わせていないが、俺は何をしているんだ、それぐらいはときたま思うものだ。

 

 洞窟からは変わらず声が聞こえる。毎日楽しくやっているあいつらがおかしいのか、それとも、今更こんなことを考えるような俺がおかしいのか。ああ、世間一般からすればどっちもはずれたやつらだ。どっちだってかわりはしないか。

 

 軽く頭をふると、いつの間にか目の前に子供がいた。綺麗な顔だと思ったときには、胸に何かを突き立てられていた。

 

 何が起こったのか分からなかった。気づいた時には地面に倒れていて、口を開けると、ゴボゴボと嫌な音が聞こえた。

 

 子供は無表情に俺を見下ろしていた。子供のそばには男がいた。

 

 男は言った。子供に対して、よくできました、と。

 

 にこにこと嬉しそうに笑っていた。ずっと昔、子供に頃に褒めてくれた親父がそんな風に笑っていた。なぜかそんなことを思い出して、消えた。

 

 男の声だけが聞こえた。

 

 さあ、考えましょうか。死んでしまっては持ち帰るのが面倒ですから、残りもできれば殺さずに、その為にはどうすればいいか。もちろん、誰か一人でも逃がすようなことがあれば駄目ですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝は皆、寝坊した。

 

 目を擦りながら食堂に集まったときには、他に泊まっていた人たちは朝食もとっくに食べ終わっていたみたいだった。でも、仕方ないのかも。

 

 昨日はずっと歩いてばっかりだし、夕食はおいしくて皆お代わりして満腹、それでふかふかのベッドに入ったらなかなか出られなくなっちゃう。私がそうだったから、今日ばかりは子供達に言えない。私自身、ウリエルさん達に笑われちゃったし。

 

 私が起きてきた時には、もうウリエルさんも、ウラルさんも、ケルベロスさんも先に食事は食べちゃったって言っていた。満腹なのか、気持ちよさそうにウラルさんもケルベロスさんも丸くなっていた。

 

 ウラルさんはともかく、ちょっぴり怖いケルベロスさんが丸くなっているのはおかしかった。すっかりケルベロスさんに慣れた子供達もじゃれついていたし。

 

 あはは。

 

 皆優しい人だし、シキさんも優しい人なんだろうな。子供達を大切にしてくれるのなら、私は――

 

「――おはよう。皆早いね」

 

 あくびをかみ殺しながら、一番最後に姉さんが食堂にやってきた。自分達も寝坊したのを忘れて子供達も、私もくすりと笑う。本当に、仕方ないなぁ。でも、私も気をつけないと。こんな贅沢な旅に慣れきっちゃだめだと思うから。

 

 知らないところへ行く旅というのは今まで考えたこともなかったけれど、楽しい。頼りになる人がいて心配することがないから、何の不安もないし。

 

 空を飛ぶ船から見下ろす世界はすごかったし、外から見るアルビオンはすごく綺麗だった。国そのものが空に浮いていて、周りを包む雲に光が反射してきらきらと輝いていた。

 

 アルビオンではいいことばかりじゃなかったけれど、本当に綺麗だと思う。子供達だって楽しいことばかりじゃなかったと思うけれど、じっと見上げていた。

 

 地上に降りると、また馬車での旅が始まった。

 

 いろんなところに寄り道をして、その地域地域の名産を食べたり。チーズが名産の場所では、大きなハンバーグにたっぷりのチーズを乗せて焼いたものを食べたり、野いちごが美味しいという場所ではそれを使ったジャムをたっぷりと載せたパンケーキを食べたり。

 

 楽しくて楽しくて、本当にこんなに楽しんでいいのかと不安になるぐらい。子供達が心から楽しんでくれていて、私は本当に幸せだった。

 

 そんな楽しい旅もようやくゴール。

 

 遠くに大きな塔が見える。いくつも大きな塔が並んでいて、その周りをぐるりと壁が囲んでいる。本当に大きくて、それだけで一つの町みたい。

 

 近くにくると、待っている人達が見えた。

 

 門のところに男の人と、女の人、それに私と同じ年ぐらいの女の子。男の人がシキさんで、女の人がエレオノールさん。女の子がきっとルイズさんかな。

 

 門の前に来て、姉さんが言った。

 

「わざわざ出迎えていただいてありがとうございます。紹介しますね。この子が私の妹のテファです。それから他の子たちが――」

 

 シキさんは子供達のことも心配はいらないと笑ってくれた。本当に子供達のことを思ってくれていると分かって、すごくうれしかった。もう大丈夫だって、思わず涙が出たぐらい。

 

 エレオノールさんとルイズさんは、驚いたように私をみていたけれど仕方がない。だって私は、エルフだから。怖がったりされないだけでも私には十分。

 

 でも、何でだろう。何で二人とも私の耳じゃなくて、胸をみているんだろう。やっぱりおかしいのかな。二人とも小さいみたいだし、私がおかしいのかも。姉さんもおかしいって言っていたし。私は、どうすればここで暮らせるのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――遠くまで、済まなかったな」

 

「いえ。あれはあれで楽しかったですからね。純粋な子供達というのは可愛らしいものです。子供ながら、姉のことを想うだけの優しさも持っていましたから」

 

 ウリエルがふわりと微笑む。

 

「それに、ウラルには良い経験になったでしょうし、役得もありました。私も、ウラルも、ケルベロスにも。質はともかく、それなりの量にはなりましたから。ただ……」

 

 同じ微笑みを浮かべながら続けるが、最後に言葉を濁す。

 

「何か問題があるのか?」

 

「ええ、資金についてです。あまり芳しくないですね。この国は滅びへと向かっています。山賊やらの標的は生活に余裕のない民ばかり。大したものは所持していませんでした。もちろん、駆除はこの国にとっても、私達にとっても悪い話ではないで良いのですが。ただ、手っとり早く進めるなら、問題のある貴族やらを見つける方が面倒がないかと」

 

「そうかもしれないな」

 

 この国は魔法を使えるという貴族が全てを握っている。魔法という優位は、この国では思った以上に大きい。町を回って改めて実感した。

 

「ただ、曲がりなりにも施政者を兼ねているから無闇にという訳にはいかないな」

 

 全くの空白になれば、そこは無法地帯となる。それは、悪政よりも性質が悪い。人々が互いに食い合うということにもなりかねないのだから。

 

「ええ、分かっております。ですので、いっそ国と取引するのも良いかと。王族は話にならないようですが、この国の政治を取り仕切っている枢機卿。彼は一角の人物ではあります。宗教家にありがちな理念だけでなく、この国の為に改革を考えております。ただ、残念ながら、己の利しか考えない輩が多いようで……」

 

 ウリエルが視線で伺う。今までなら国というものに近づく気はなかったが、今は違う。

 

「分かった。ただ、あまり肩入れし過ぎない程度にな。あまりあてにされすぎても、この国にとって良くはない」

 

「承知しました。では、結果はまた改めて。――ああ、そうそう」

 

 ウリエルが何かを思い出したと呟く。

 

「直接確認したのは私ではないのですが、この国の孤児院もあまり宜しくないようですね」

 

「……そうか」

 

 あまり期待はしていなかったが、予想通りということだろう。

 

「上をすげ替えるのはもちろんですが、さし当たっては世話役にも手を入れる必要があります。まあ、それなりに時間はかかるでしょうが、彼ならうまくやるでしょう。『影に潜むもの』の名は伊達ではないですからね」

 

 ふと、ウリエルが壁へ、部屋の外へと視線を向ける。

 

「そろそろ戻ることにします。ルイズさんがこちらに来ているようですし。万が一にも子供に聞かせるような話ではないですからね」

 

 

 

 

 

 扉を開けて、ウリエルさんが出てきた。私に気づいたのか、優しい顔で笑いかけてくれた。軽く手を振ると、子供達がまだ慣れない場所で不安だろうからとそのまま立ち去った。裏表のない、本当に優しい人。ああいう人こそ、ロマリアの神官として相応しいんだと思う。

 

 ウリエルさんが出てきた扉から、ひょいとのぞき込む。シキが難しい顔をして椅子に座っていた。カーテンは開いているけれど、すっかり外も暗くなったみたいで、少しだけ薄暗かった。

 

「ルイズ、どうかしたのか?」

 

 私に気づいたシキが、少しだけ表情を緩めた。

 

「ううん、ウリエルさんが部屋から出てきたから、何をしていたのかなって。シキも難しい顔をしていたけれど、二人で何を話してたの?」

 

「いや、大した話じゃない。ただ、少し金を稼ごうかと思ってな」

 

「ふうん。で、うまくいきそうなの?」

 

「なかなか難しいな。まあ、なんとかなるだろう。なんとかするさ」

 

 また、シキが難しい顔になった。

 

「何だったら、お父様に相談する? シキの能力だったらいろいろな使い道があるだろうし。もちろん、お姉様のこととか、ロングビルさんのこととかきちんとしてからだけれどね」

 

「……それは、難しいな」

 

 シキが困ったように笑った。

 

「まあ、今更そんなこと期待していないけれどね。……更に増えそうな気もするし。さ、シキもこんな薄暗い部屋にいないで、皆がいるところに行きましょう」

 

 部屋に入ってシキの手を取る。窓の外には、まんまるい月が二つあった。

 

「どうした?」

 

 立ち上がったシキがかすかに首をかしげた。

 

「ううん、そういえば今日は満月だなって思って」

 

 まだ真っ暗にはなっていないからぼんやりとだけれど、二つの月が空に輝いていた。

 

「ああ、そうだな。もうそんな時間か」

 

「そういえば、さ」

 

「うん?」

 

「月っていつも同じ模様だよね? いつも同じ方ばかり見えているっていうことだと思うけれど、裏側ってどうなっているんだろうね」

 

「ああ、確かに裏側は見えないな。でも、だからいいんじゃないか。どんな風になっているのか、分からないからこそいろんな想像ができる。それに、もしかしたら、見なければ良かったと思うかもしれないしな」

 

 どうしてかシキが困ったように言う。

 

「ふうん。そういうものかな? でも、それを含めて月だと思うし、やっぱり見てみたいと思うけれど」

 

「――そうか」

 

 ルイズらしいな、そう言ってシキは笑った。


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