パアンと心地よい音がほんの少しだけ遅れて届く。届くころには次が花開く。音も次々に重なっていく。
それに負けじと、人々からも歓声があがる。久々の祭りとあれば、それも当然。そして、そんな人々がいるとあれば、出店の数もこれ以上ないとばかりに。そこからの呼び声だって負けてはいない。
アンリエッタ王女とウェールズ皇太子との結婚。
――めでたい。
これ以上、めでたいことはそうそうないだろう。
トリステインという国が落ち目であるということは、皆がなんとなく肌で感じていたもの。加えて、見目麗しい姫はいても、国を率いるのは、あまり宜しくない鳥の骨。なんやかやと働いているんだろうが、所詮はトリステインの人間ではない。それに、結局のところは変わらなかったのだから。
それが、変わる。
戦争に勝ち、アルビオンから婿を迎え入れる。この国の未来に、もはやなんの憂いもない。めでたい、めでたいことだと皆が言う。
遠く城の檀上、真っ白なベールに身を包んだトリステインの白百合。一歩引いた場所に王子、更に奥に控える形で鳥の骨。それこそがあるべき姿。
ふと、桃色の髪の少女が歩いていく。
遠目であるということを差し引いても、随分と小柄だ。喧噪のせいで聞こえやしないが、大きな本を抱えて声をはりあげる。どうせ意味なんてわからないが、たいそう立派な文句なんだろう。それは、それだけで十分ってものだ。
トリステインがあるべき姿へ戻る。それが分かっているからこそ、皆がこんなに浮かれている。
――トリステイン万歳、ふとそんな声が聞こえた。
次から次へと止むことがない。
並々と注がれたエールを一息に煽る。心地良い刺激が体に染み渡る。
ああ、うまい。
これだけうまい酒はとんとなかった。
本当に、本当にめでたいことだ。
わあわあと止むことなく注がれる歓声。壇上から離れても、それが止むことはない。
この日の為にと準備した、今まででは考えられないほどに贅を尽くしたウェディングドレス。上等の絹だけで作ったそれは、羽のように軽いはずなのに、どうしてか沈むように重い。
「――王族の婚姻でこれだけの歓声とは。いやはや、どれだけ民に歓迎されているのか、これだけでも分かろうというものだ。さすがはトリステインの白百合。それほどに愛されるとはうらやましい限りだよ」
トリステインなどとは比べものにならいほどの強国、ガリアの王、ジョセフ。彼の声は意識してか良く響く。ガリア王族の印の青い髪に、中年に入る年に見合わぬ若々しく精悍なその姿。両手を投げ出したいかにも大仰な仕草は芝居じみているが、しきりに感心しているその様は本心からのものだろう。
「全く、同感ですな。我が婚姻の時など、これに比べれば葬式かとでも言うもの」
いくぶん自嘲が伺えるのはゲルマニア王。身内に対してすら言葉にしがたいことをやってきたというのもあるけれど、始祖の血を曳かないということで、他国はもちろん、自国内でも嘲るものがいる。なにより、本人がそれを一番良く分かっている。私を妻に迎えて始祖の血を入れたかっただろう彼にとっては、今日という日はさぞかし口惜しいものだろう。
「確かに、これだけ歓迎されるというのは、私が知る限りでもなかったことだ」
口数少ない、アルビオン王――近く、そこには元という字が冠される。息子の晴れの舞台というのに、表情にどこか陰りがある。その心情が分かってしまっただけに、心を締め付けられる。今となっては贅沢なことかもしれないけれど、この人には本心から祝福して欲しかった。私の義父ともなる、この人には。
「私も祝福にと参りましたが、これでは花を添える役にもたちませんね?」
打って変わって、柔らかく、若々しい声。優しげに微笑む教皇。腰元まで流した髪と見ほれるほどの美しい容姿に加えて、他のお歴々と違って私と年もそう変わらぬはずだというのに、その存在感は勝りこそすれ、劣るものではない。
ハルケギニア一番の強国であるガリアの王、勃興著しいゲルマニアの王、私の義父ともなるアルビオン王、ある意味では最大の影響力を持つブリミル教の教皇、そしてトリステインの女王となる私に、アルビオンの……
マザリーニと目が合うと、かすかにうなずきが返された。
「みなさま。本日は私達の婚礼の儀にご足労いただき、ありがとうございました。ささやかですが、宴の準備をしております。どうぞごゆるりとお過ごしいただきますよう」
ウェールズ様へと向きなおる。けれど、困ったように笑っただけだった。そして、そのことに対して誰も口を挟む者はいなかった。まるで、それが当然のことと。
国民へ向けた儀式が終わり、別の儀式が始まる。城へ招待されているのは国内外の王族と、それぞれの国を代表する貴族のみ。表面上は穏やかなパーティーではあっても、その内実は異なる。それぞれが、それぞれの思惑をもって臨むこととなる。
主役である私たちのもとへは国内、国外とを問わず有力とされる貴族達がやってくる。我先にとに祝辞を述べに来る彼らも、その肚はどうであろう。何しろ、彼らが見ているのはウェールズ様ではなく、私だけなのだから。
政治は綺麗事だけでない。籠の鳥であった私にもようやく分かってきた。それは、施政者としては成長なんだろう。こういった場では決して離れなかったマザリーニが、リッシュモン卿に呼ばれて席をはずすことができる程度には。ほんの少しも、嬉しくはないけれど。
ふと、ひっきりなしにやってきたそれが止んだ。目に入った者も、どこかこちらを窺うようにして見ている。見渡してみて、合点がいった。ガリア王ジョセフと年若いヴィットーリオ教皇が二人してこちらに歩いてくる。正確にはもう二人。
ガリア王の後ろには、妙齢の、蠱惑的なまでの色気を湛えた女性。珍しい、腰元まで伸ばされた艶やかな黒髪は彼女にこそふさわしいと思わせるだけの何かがある。
教皇の後ろには、私と同じほどだろうか、まだ少年らしさを残した男性。どこか挑発的な微笑みがとても印象的だ。そして、珍しいことに、両の目の色が異なる月目であるらしい。
後継者でもないものをここで連れているということは、従者であろうか。しかしながら、どちらも従者にしては不必要なほど、その存在感を主張している。
四人が目の前で足を止める。ガリア王が快活に笑った。私とは父ほども年が離れているというのに、どこか子供じみた笑い方だった。
「主役というのはなかなかに辛いものだね。主役は常に表舞台に立たなければならない。今日という日は心休まる時もないだろう」
決して嫌みではないのだが、王族としては型破りなその様子、それが無能王との嘲りの理由の一つなのかもしれない。そばに佇む教皇とて困ったように笑っている。
「今日だけ、ではありませんわ。トリステインとアルビオンの民の為にも、しばらくは馬車馬のように働かなければなりませんもの」
くくと、こらえ切れぬとばかりにガリア王が声をあげて笑った。
「――おお、確かにその通りだ。国というものは民があってのものだからね。年若い姫に、ああ、いや、失礼。女王陛下に教えられてしまいましたな。全く持ってその通りだ」
彼が同意を求めるように教皇へと笑いかけると、今度ばかりは確かにと頷く。
「それに、始祖の血をひく正当なる王家が結びつきを強めるというのは素晴らしいことです」
ちらと私を見て、ほんの少しだけ硬い表情を見せた。。
「――いずれ今までにない困難が訪れることでしょう。その為にも、とても重要なことです」
「何のこと、でしょうか?」
嫌に確信めいた言葉だった。あたりを見渡すと声を潜めて言った。
「ここで話すには……。夜に時間を作っていただけますか? 私達だけで話したいことがあります。あなたにも、いえ、この国にとっても、とても大切なことです」
有力な貴族ということで、トリステイン貴族の筆頭であるヴァリエール家には当然招待があった。公爵であるお父様に、公爵夫人であるお母様。そしてその令嬢である、エレオノール姉様に、途中で具合を悪くしないかと心配ではあるけれど、今日という日ばかりはと無理を押して来たちい姉様、そして、祝詞を読むという大役を授かった私。
更に、もう二人。
本来であれば招かれることはなかったけれど、主役の一人であるウェールズ王子からのたっての願いということで、私の使い魔であるシキに、言葉では言い表しがたい関係のマチルダ――もとい、ロングビルさん。私たちが集まった一角は、一種、異様な空気が漂っていた。
お父様が難しい顔で、歯を食いしばるようにしてシキへ言った。
「――君のことは、話には聞いているよ。娘も、世話になっているようだね。妻からも、色々と聞いているよ」
シキも、いつも以上に難しい顔で言った。
「――こちらこそ二人には、世話になって……います」
シキが敬語――敬語だろう、を使うのは初めて聞いた。いや、どうでもいい話なんだけれど。
そうして、一言交わしたきり無言でにらみ合う二人。我関せずとばかりのお母様。珍しくおろおろとうろたえるエレオノール姉様に、にこにこと笑みを絶やさないちい姉様。
私は、たぶん意地悪く笑っていることだろう。ただ、それ以上は何も言わない。一度死ぬ目にあったから。理屈は良く分からないけれど、ウリエルさんがいなかったら本当にどこか遠いところに行くことになっていた。まあ、それは――あんまり良くないけれど、良い。
そして、ロングビルさんはと見れば、巻き込まないで欲しいと泣き出しそうだ。とばっちりではあるかもしれないけれど、前回同様当事者ではある。
いつものパーティーのように、有力貴族であるお父様のもとへは誰かしら挨拶へと近づくけれど、そのたびにお父様とシキ、二人の視線が突き刺さる。物理的な力でもあるのだろうか、その視線に耐えられずに場違いであるということを嫌というほどに思い知らされ、そそくさと去っていく。だから、遠巻きにする人間は一人、二人と増えていき、異様な空気は増していく。いつの間にか、そこへワルドも混ざっていた。思い出は美化されていて、案外へたれなのかもしれない。
その異様とも思える空気が、人垣ごと割れた。ふとのぞく特徴的な青い髪はガリア王。なぜだか教皇様も一緒であるようだ。
「主役を差し置いて注目を集めているのはどなたかな?」
そのおどけた様子に、強国であるガリアの王であるというのにも関わらず、幾人かは顔をしかめている。なるほど、空気を読まないという他国にまで響く評判は伊達ではなかったようだ。だからこそ、この空気を一瞬でなかったものとしてしまった。もう少しシキを追いつめたかったのに残念だ。
ふと、ガリア王と目があった。ニヤリと笑うと、軽い足取りでこちらへと来る。考えていたことが表に出ていないかと慌てて気を引き締める。ガリア王が目の前まで来て、楽しげに笑う。
「やあ、壇上での口上、大したものだね。あの堂々とした様子はなかなかのものだったよ」
手放しの褒め言葉に、思わず固まってしまう。助け船は、もう一人の同行者からだった。
「――いきなり、他国の王からそんな風に言われては困ってしまうでしょう」
教皇様が困ったように笑っていた。それでようやく我に返ることができた。
「お褒めにあずかり、光栄です。他国の王からお褒めの言葉をいただけたとあれば、推薦していただいたアンリエッタ女王へも顔向けができます」
ひざまずき、体が覚えていた最敬礼の形を取る。体が覚えていたものだからこそ、内心の震えを出さずに済んだ。
「ああ、そんなに畏まらなくてもいいとも。余はただ思った通りのことを言ったまでなのだから」
「――そこまで言われては、恐縮するばかりでございます」
教皇様がくすりと笑う。ある意味ではガリア王以上の影響力を持つ方であるというのに、その微笑みは人を落ち着かせるものだった。
「その気持ちは分かりますが、あなたは誇ってもいいのですよ? 彼の言う通り、あなたの口上はすばらしいものでしたし、あなたの手にあった始祖の祈祷書は、まさにあなたのものかと見紛うほどでした。あなたの年であれだけのことができたのは十分に賞賛に値することです」
ただひたすらに私は恐縮するばかりだった。それに、これだけ誉められるというこそばゆさを内心で抑えるのに精一杯だった。頬は熱を持ったように熱くて、それが分かってしまわないかと恐くて、まともに顔をあげることができなくなった。
「――顔をあげてください」
教皇様の声は優しかった。優しく、心にしみ入るような声。その声を聞いて、一つ息をすると、少しだけ落ち着いた。見上げた教皇様は、やっぱり優しく笑っていた。
「ふふ。あなたはとても素直な人ですね。いずれ大きなことを成し遂げるでしょう」
何のことだろうと、思わず首を傾げてしまった。なぜ一介の貴族の末娘に過ぎない私にそんなことまで……。トリステイン内であればともかく、この方はもっとずっと遠くを見られるような方のはずだ。
教皇様が表情をゆるめ、いたずらっぽく笑う。そんな表情もできるんだと、随分と場違いなことを思った。
「今は、分からなくとも良いのです。いずれ自分でその時を知るでしょうから」
そういって、ゆっくりと視線をずらすと、そこにはシキがいた。
「……そうそう、ちょうどあなたの使い魔がいるのなら紹介しておきましょう」
教皇様が振り返ると、一人、綺麗な顔立ちをした青年が一歩踏み出す。
「私の使い魔――というのは、少しばかり言葉として正しいのか悩みますが、ジュリオといいます」
「……人?」
思わず、そんな言葉が口をついた。教皇様の言葉に合わせて前に出たのは、どう見ても人間。整った顔で、月目というのは珍しいけれど、どうみても人だった。
私の戸惑った様子に教皇様が笑う。
「ええ、あなたと同じように、ね。今言っても混乱するだけかもしれませんが、私達には大切な役割があるのです。それはまた、語るべき時に、そのための場を設けるとしましょう」
教皇様がガリア王を見る。
「私の方も紹介しておこう」
ガリア王の視線に合わせて、一人の女性が前に出てきた。
「シェフィールドと申します。以後、お見知り置きを」
恭しく頭を下げた。こちらも間違いなく人だった。随分と色気を湛えた女性。ただし、感情が伺えず、それだけが惜しいと思った。
「私達はそれぞれ人を使い魔にしているというわけだ。なんとも不可思議な偶然ではないかね。それと、ルイズで良かったかね? 私の娘、イザベラはちょうど君と同年代だ。君にはぜひ良き友人となって欲しい。なかなか同年代の友人とは得難いものだからね。ああ、もちろん、国外だ。正式な形で招待させてもらうよ。城の花園は――自賛ではあるが、ちょっとしたものだ。きっと君も気に入ってくれるだろう」
驚く私と皆を残して、言うべきことは言ったとばかりに、ガリア王に教皇様、そしてその使い魔だという二人は離れていった。
二人は、そんなことはあり得ないとは思うけれど、わざわざ私に会いに来たということ……だろうか?
――まさか、ね。
「可愛らしいお嬢さんでしたね」
「まだ、子供であったな」
「トリステインの虚無は彼女に、そして、そばにいた彼がガンダールブでしょう。結局誰も戻りませんし、警戒心が強くて直接に確かめられないのは残念ですが、ほぼ間違いないでしょうね。アルビオンも正当とされる王家には現れなかったようですし、ガリア以外では血筋が変わったということでしょうか。……おや? どうかしましたか?」
「……いや、大したことではない」
「時代とは移り変わるものなのでしょうね。残るアルビオンの虚無の担い手は傍流のどこか……。魔法が使えないなどという話もありませんし、どこかに埋もれているとなると難しい。ですが、最後の鍵、なんとしてでも見つけなければいけません」
「ふん、雲をつかむような話だな」
「そう悲観することはありませんよ。此度は全てが揃う時代。私たちは必ず引かれ合うのですから。案外、もう既に出会っているかもしれませんね。私達の近くにいるのかもしれないし、あの少女のそばにいるのかもしれない。何にせよ、全ては既に決まったことなのです」
広々としたホールには、要所要所に並べられたテーブルがあり、ぞれぞれにどっさりと料理が載せられている。皆が皆メインをはれるほどに立派なものばかりだが、きっとほとんどは無駄になるんだろう。無駄にするのなら、孤児院の予算に少しでも回せばいいのに。でも、そんなことは貴族にとってはどうでもいいんだろう。そんなことよりは、見栄をはる方がずっと、ずっと大切なんだから。
ふう、と息を吐いて、肩の力を抜く。
まあ、そんなことを思っても仕方がない。何にせよ、トリステインにしては頑張った。私はどうせ場違いだし、今日はシキさんのそばにいると危ない目に合いかねない。だったら、料理だけでも楽しむとしよう。話しかけられないと思えば気楽なものだ。
テーブルの上にこんがりと揚げられた海老は、丸々として美味しそうだ。無駄になると料理人も分かってはいても、手を抜くということはない。もったいないから、トレイに一尾、二尾と載せていく。ふわりと漂う、揚げたネギの香ばしい匂いが食欲を誘う。どうせ余るのなら、お土産としてでも持ち帰りたいものだ。きっと、喜んでくれるだろうなぁ。
「――迷惑かとは思ったが、料理は楽しんでくれているようだね」
ふと、声をかけられた。振り返ると主役の一人であるはずのウェールズ皇太子だった。
「……せっかく、招待していただきましたから」
声が――硬い。我が事ながら、もう少し愛想があっても良いかもしれない。たとえ嫌いな相手でも、なんと言ったって王族なのだから。実質は、どうあれ。
「……そうか。それは良かった。君には、感謝しても感謝しきれないからね。本当に、感謝しているんだ」
ふっと、寂しげに笑う。
「亡命者の方のことでしたら、仕事ですから当然のことです。それより、今日の主役が私如きに構っていて良いのですか?」
「主役……、ああ、主役と言えば主役なのかな? まあ、周りがどう思っているのかは分からないけれどね」
両手を広げておどけて見せる。そういえば、王子がいるというのに誰も挨拶にもこない。こちらを伺っているものはいても、それだけだ。
ああ、いや、その必要を感じないとあれば、そういうものなのかもしれない。そういうのは、損得それだけというのはなんとなく……嫌だけれど。
私が考えていることでも分かったのか、王子が困った様に笑う。
「……変な話をしてしまったね。まあ、好きにのんびりできるとあれば、そう悪いことばかりでもないさ。ところで、君に一つだけお願いをしたいんだが」
「何でしょう? 私にできることなんて、そう多くはありませんが」
「少し、話をしたいんだ。ここでは何だから、後で少し時間をもらえないかな?」
「話、ですか? 貴族でもない私とですか?」
思わず眉を顰める。わざわざ私のところなんかに来たり、目的が分からない。
「なんと言えば分かってくれるかな。――うん、僕の従姉妹について、といえば分かるかな? ……ああ、そんなに恐い顔をしないでくれ。今更僕たちがどうこうしようというわけじゃないんだ。そんなことできないし、そもそも、そんなことをしたって意味がないからね」
「……何が、目的ですか?」
知らず、奥歯がギシリと音を立てる。テファのことを知っているはずなんて、ないのに。
「恨まれているの分かっている。でも、話だけはさせて欲しい。もし、その気があるのなら、二つ時が進んだ後に、この塔の二階に来て欲しい。借り物の場所で申し訳ないけれどね。来てくれるなら、君は通れるようにしておくから」
私がただ睨むように見ていると、王子は待っているとだけ言って歩いていった。
ゲルマニアの王であるというのに、他国から私の元へ訪れるものは少ない。その国のトップがそうであるように、一介の貴族ですら同様であるようだ。
分かりきったこととはいえ、やはり、面白くはない。
それに、ガリア王と教皇はなにやらたくらんでいるようだ。トリステイン女王に何やら囁いて、何を考えている? あのような小娘、手玉に取るのなどたやすいことだろうに、わざわざ回りくどい真似を……。
そして、私はそのたくらみからはのけ者というわけだ。
まったく、始祖の血がなんだというのだ。古くさいしきたりだけを守ることに何の価値がある。貴族とて、見合った能力がなければ腐っていくだけだ。そもそもをたどればメイジというのは皆、始祖の血を引くものだろうに。ガリアとロマリアさえ邪魔しなければ……
――まあ、それはいい。
しかし、あいつらは何を考えている?
なぜあいつらが手を結ぶ?
ガリアの無能王。意図は読み切れぬが、何らかの考えがあるはず。人としては欠陥品ではあるが、能力だけは本物だ。それだけは認めざるをえん。恐らく、純粋な能力であれば世界でも有数のものだ。
ロマリアの教皇。欲に塗れた坊主どもの国。そこのトップに立ったということは、見た目通りの優男ではあるまい。だが、賢しい真似はしても政治には口を出さないというのがあの国だったはずだ。わざわざ表舞台にでてきて何を考えている。なぜ、ガリアと手を結び、トリステインとアルビオンを結びつける。そこに何の利益がある。今更始祖の血のつながりを強めて、何が変わる。国をまとめて聖戦でも始めようとでもいうのか。
――分からん。それぐらいしか思いつかぬが、だとしたらなぜ、今そんなことをする。なぜ今更になってそんなことをする。何か状況を変えるものがあったのか。
しかし、今確実なのは、このまま座してみている訳にはいかんということだ。
トリステインを飲み込むのはもはや不可能だろう。そして、アルビオンとあわせて勢力を盛り返すことは間違いない。あの無能ぞろいのトリステインとはいえ、それをみすみす見逃すなどということはあるまい。切り崩すにも邪魔が入るであろうし、正攻法の国力増強では間に合わん。
なんとか、手を打たねば。
「――マザリーニ枢機卿殿。お呼びだてして申し訳ございませんが、主がお待ちしておりますので」
使いの者に案内される。リッシュモン卿はパーティの会場とは別の部屋にいるということだ。
珍しいことに、リッシュモン卿が直接私を指名し、内密に話したいことがあるということだった。はっきり言って、不可解なことではある。彼は私のことをもっとも疎んじているものの一人であるからだ。
恐らく、彼は多くの不正を行っている。残念なことに証拠は掴めていないが、まず間違いない。だからこそ、私は彼の動向に目を配っている。不正を見つけることはできていないが、何らかの効果はあるのだろう。少なくとも、彼が私を追い落とそうと躍起になるほどには。
だから今回の話、悩むところではある。だが、証拠を全く残さないほどの者だ。自分の直属の配下を使いにして人の見える場所で私を呼んだ。何らかの形で私を害するにしても、誰が見てもリッシュモン卿の関与を疑わざるを得ない。それこそが罠という可能性もあるが、本当に内密の話があると考える方が自然だろう。
ある部屋の前に来て、使いの者が立ち止まる。
「――リッシュモン卿、マザリーニ枢機卿殿ををお連れしました」
ややあって返事が返ってきた。
「部屋へお通ししろ」
リッシュモン卿の声。案内の者が扉を開き、部屋に招き入れられる。
部屋には二人の男がいた。
一人はリッシュモン卿。職を示す、豪奢な衣装を身にまとっている。中年をとうに越えた年ではあるが、野心を伺わせるぎらついた雰囲気はその姿を遙かに若く見せる。今日という日ばかりは分をわきまえているようではあるが。
そしてもう一人。こちらは知らない顔だった。
リッシュモン卿とは正反対。優しげな表情と清涼な空気をたたえた青年。ブリミル教とは違うものではあるようだが、宗教衣とも思える赤と銀を基調とした貫頭衣を身につけている。聖職者とはかくあるべき、そんな青年だった。
リッシュモン卿が顎で示すと、ここまで案内してきた者は部屋から出ていった。後ろで扉がゆっくりと閉じる。それを確認して、リッシュモン卿が言った。
「内密にというのは他でもない。ご紹介したい方がいるのだ」
彼の視線の先にはさきほどの青年、その青年が一歩踏み出す。
「初めまして。私の名はウリエルと申します。名前は知らないでしょうが……」
くすりと青年が笑みを浮かべた。まるで最初からそこにあったように、青年の背に純白の羽が現れる。
「アルビオンで船を焼いた翼人――自分で言うのは違和感がありますねぇ。まあ、それはいいでしょう。とにかくそれが私だと言えば分かりますか?」
青年は楽しげに私を見ている。
アルビオンでの話、事実を確認する術はないが、この国で、ある意味最大の禁忌。触れてはならない者、いや、者達。
アルビオンの艦隊はすべからく燃え落ちた。奪われた――いや、あるべきところへ戻った国の象徴であったそれを除いて。
そこ居た者達は言った。強力な炎の魔法を扱う翼人が片端から船を焼いていったと。不意を打ったとはいえ、空で最強の名を欲しいままにしていたアルビオンが誇る艦隊を。
「……いきなり、だな。それを信じろと?」
「まあ、そうですねぇ。なんなら、この城ごと焼いて見せましょうか?」
青年は変わらず笑っている。
だが、はっきりと部屋の空気が変わった。ただ見られている、それだけで息苦しいと感じるほどに。寒気が体中を走りまわり、背中を汗が伝う。
「――ふふ、冗談ですよ。だから、そんな怖い顔をしないでください。今日はただ、良い機会なのであなたに会っておこうと思っただけですから」
「私に、何のようだ? それに、なぜリッシュモン卿と一緒なのだ」
「今のところ、用というほどのものはありませんね。ただ一言、私たちに余計な干渉をしないようにと釘を指すために。なに、私達もそう大きなことをしようというわけではありませんし、わざわざ敵対するつもりもありません。ただ学院周りは不干渉としていただければそれで十分です。それと、リッシュモン卿についてですか。あなたの方が私よりもはるかに良くご存じでしょうが、あまりよろしくない人物だったようですね」
青年の視線がリッシュモン卿に向けられる。
「――我が事ながらお恥ずかしい話です」
おかしなことに、自分のことだというのにまるで他人事のようだった。それがなんとも奇妙だった。
青年が言葉を続ける。
「私達も多少資金が必要だったので、てっとり早く彼の財産を利用することにしたんですよ。ああ、正規の予算などには手を出していませんよ? 不正に流用していた分なので、国の運営には支障は出ないでしょう。もともと消えていたものですからね」
「……リッシュモン卿が自ら協力するということか?」
「自らというのは語弊がありますね。本当はそれが一番良いのでしょうが、そのまま使うには少々使い辛かったもので」
青年は変わらず笑っている。淡々としたその様子が、どこか人ではないものを見ているようだった。
「本当は居なくなった方が良い人物なのでしょうが、それなりに重要な仕事を任されていたようなので、殻はそのまま使うことにしたんですよ。そうすれば仕事に支障は出ないでしょう?」
青年は、何を言っているのだろうか。
「あなたは知っていも良いですから、もう少し分かりやすく言いましょうか? リッシュモン卿という人物は始末して、その抜け殻を再利用して仕事をさせているということです。それすれば仕事に穴は空きませんし、わざわざ抜け殻が仕事以外の不正をやる必要はありません。国にとっては良い方向に進むし、私たちはその報酬として不正に蓄財したものの一部を受け取る。ほら、いいことづくめだとは思いませんか?」
理解できない、だが、何かおぞましいことが行われているということ、それだけは理解できた。
睨みつけると、青年が肩をすくめて言った。まるで子供に言い聞かせるように。
「あなたは真面目すぎるんですよ。本当はあなただって分かっているんでしょう? 人が皆が正しくあることはできません。だから、時には荒療治も必要となるのです。もちろん、それが全てだとは言いません。あなたの清廉な心は私としても好ましいものですし、あなたが本当に国を思っているというのは、私は理解しています。ですが、それを皆が分かってくれていますか? 国を立て直そうとするあなたに協力しようとしていますか?」
青年は変わらず笑う。まるで引き込まれるほどの微笑みを浮かべながら
「私はあなたのことを理解しています。だから、あなたに力を貸すことだってやぶさかではありませんよ?」
蝋燭の明かりに照らされて、青年の影がゆらゆらと揺れる。壁一面に広がる翼のそれは、神々しくも、全てを押しつぶすようで、まるで悪魔のように恐ろしかった。
そっと触れた扉はひんやりと冷たい。目を閉じると、テファのことが頭をよぎる。
ウェールズ王子の従姉妹。それは紛れもない事実。
この国、いや、この世界で忌むべきものであるハーフエルフであると同時に、純粋な血筋で言うのなら、王位継承権の一端を担うほど濃い王家の血を引いている。だからこそ、その存在すらも消されようとした。関わったサウスゴーダ家の者すべてをあわせてでも。
本当は、今更関わりたくなんかない。
ずっと復讐したいと思っていたけれど、今はもう、自分でも分からないものなのだから。私達はただ、静かに暮らせれば、それで十分。もう、それだって難しくなってしまったんだから。
でも、わざわざ私のことを呼んだのはテファのことを話すため。無視は――できない。
大きく息を吸う。
扉の中には人の気配。私が来たことは、もう分かっているのかもしれない。ほんの少しだけ力を込めると、扉は音も立てずに開いていく。
「――来てくれたこと、感謝する」
声をかけたのは、ウェールズ王子ではなく、ジェームズ王だった。壮健さはすっかりなりを顰めている。そばに控えたウェールズ王子も、そういう意味では同じではあるが。
「まだ、パーティは終わっていませんよ」
知らず、言葉には皮肉が混じる。
かすかに顔を歪ませ、ウェールズ王子は笑う。
「別にいなくとも問題はないさ。事実、誰も探しになどこないのだからね」
「愚痴になんて、つきあうつもりはありませんが」
二人して力なく笑う。見ていて、どうしてかいらいらとする。
私のそんな様子に気づいたのか、ウェールズ王子が言う。
「済まなかった。確かに、君と話したかったことはそんなことではない。僕の従姉妹、そうだ、名前は何というんだい? 女の子だということは分かっているんだが、それだけしか知らなくてね」
「……ティファニア。姓はない、ただのティファニアです」
父と母がつけた名前は大切でも、それ以外はテファに必要ない。そもそも、既に表舞台からは消されたものだ。
ジェームズ王が、そうかと噛みしめるように呟いた。
ウェールズ王子は父親と私とを交互に見やる。悲しげに一度だけ目を伏せ、そうして私を見上げた目は、まっすぐなものだった。今までの全てを諦めたようなものとは違った。
「もう一度モード大公の姓を、いや、それは正確じゃないな。新しい名、そして、アルビオンの新しい王朝となってくれないか?」
意味が分からずに眉を潜めた私に、ウェールズ王子が訥々と語った。
自分達はすでに形だけの王家になっている。だがそれでも、アルビオンの正統な血筋であり、アンリエッタとの婚姻に併せていずれアルビオンという国が無くなるであろうこと。目的は分からずとも、ガリアとロマリアがそのように動いている。アルビオンという国を残すため、親子共々殺そうとしたテファに新しい王朝を興させ、負の遺産は自分達が引き受けて消える。そして、アルビオンという国を守って欲しい、と。
ぐつぐつと胸の奥が煮えたぎる。
「随分と、勝手な言いぐさですね? エルフだからとテファの両親を殺しておいて。私の家族を殺しておいて。だったら、最初からそんなことをしなければいいのに。そんなにアルビオンという国が大切なんですか?」
私の声は自分でも驚くほど平坦だった。怒りがすぎると、返って声から感情が消えるらしい。
ウェールズ王子は唇を噛みしめ、臆面もなく口にする。
「ああ、大切だよ。それが私たちの義務だし、その為に私たちは存在しているのだから。たとえ自分達がどうなろうとも、ね」
まっすぐな瞳に、私の方が息を飲んだ。
「――私達には、関係のないことです。恨みはあっても、恩なんてないんだから。そんなに大切なら自分達でなんとかすればいいでしょう。そんなことを私にいいたかったというのなら、話はこれで終わりです」
扉を乱暴に押しあけて部屋を出る。私には、私達には関係のないことだから。
――だから、逃げるわけじゃない。
開かれた扉から、ウェールズ様が姿を見せた。
「……これでようやく話を始められますね。待っていたんですよ」
教皇様がウェールズ様を席へと促す。
「わざわざ私を待っていてくれたのですか。結果だけでも、良かったのですがね」
ウェールズ様らしくない、皮肉気な言葉だった。いや、今までのウェールズ様だったら、なのかもしれない。
ウェールズ様が席につくと、教皇様とジョセフ王は笑った。特に気分を害した様子はなかった。もしくは、本当にどうでも良かったのか。待っていたのは、私がそうお願いしたから、それだけだったのか。二人に付き従う男と女、従者らしきその者も、特に興味はないようだった。私が、私だけがおかしいのだろうか。
「これから話すことは他言無用。ですが、今すぐにでも対策を打たねばならない、重要なことなのです」
教皇様が普段の超然とした空気を消し、切々と語り始めたた。
「言葉だけでは信じられないかもしれません。ですが、これから確実に起こる災厄は、国だけではなく、我々すべての生存を脅かすほどのものなのです」
私はちらりとガリア王を見やる。教皇様の言葉に表情を変える様子もない。ガリア王にはすでに話しているということだろうか。
「何が、起こるというのですか?」
「――大隆起です。そのために、私達は力を併せて聖地を目指さなければならないのです」
大隆起という言葉に眉を顰める。今まで聞いたこともない言葉だ。
教皇様が顔を伏せ、ゆっくりと語り始める。
教皇様の言うことは、不敬を恐れなければ馬鹿げているとしか言いようのないことだった。
曰く、もうすぐハルケギニアの大地のほとんどがアルビオンの様に空へと浮かび上がり、人が暮らせる大地が無くなってしまう、と。
船を空へと浮かべる風の力の結晶である風石。膨大な量のそれが地下深くで作られ、臨界に達すると同時に大地が空へと押し上げられる、その限界が近いと。そうなれば残った土地を奪い合う世界規模の戦争になってしまうだろうと教皇様が言った。
だが、一つだけ希望がある。それが聖地。かつて始祖が光臨した聖地には大隆起を防ぐため、始祖が残した装置が眠っている。その力を使えば大隆起を防ぐことができると。
「――まさか」
思わず、私はそう口にしていた。教皇様の言葉を真っ向から否定する、すなわちブリミル教を否定する。それは本来ならばあってはならないこと。
それでも、教皇様は何も咎めなかった。
「そうでしょう。確かにあなたの言うとおり、とても信じられるものではありません。私とて、今すぐに信じろとは言いません。ですが、もうすぐ現実として起こることです。その時には私の言葉が真実として分かるはずですが、それでは残された貴重な時間を無駄にしてしまう。地下深くにはその証拠があります。すでにこの大地の底には膨大な量の風石の眠っているのです。それを見れば私の言葉が真実であると理解できるでしょう」
教皇様が断言する。
でも、たとえそれが真実だとしても、希望となる聖地にはエルフがいる。エルフを退けるなど、何千年繰り返してもできなかったことだ。
「――アリエッタ王女。あなたが心配しているのはエルフのことですね?」
私の表情から理解したんだろう、そのことをはっきりと口にする。
「確かにその通りです。今まではいくら血を流しても実現できませんでした。ですが、今までとは違います。はっきり言いましょう。この危機に、伝説のものだった虚無が目覚めたのです。あなたにも――そうですね、ウェールズ王子にも心あたりがあるのではないですか? 常識外の力の体現者に。アルビオンでのクーデターをたやすく退けた存在に。私達も知らないではありません」
思わず息を飲む。
思い浮かぶ存在は一つ。決して触れてはならない、不可侵の存在とした常識外の使い魔。そして、私の幼なじみであるその主人のルイズ。確かにあの力があればエルフとて……
「ご理解いただけたようですね? 彼らこそがトリステインの虚無の担い手なのです。虚無の担い手はある特徴から識別することが可能です。虚無は始祖の血を色濃く引くものだけがその担い手足り得ます。そして、その者達は始祖の血を色濃く継いでいるはずなのに、通常のメイジならば使える魔法が全く使えない。――そう、あなたの良く知る、今日巫女としての大役を果たした彼女のように。まだ完全には目覚めていないようですが、始祖のルビーと祈祷書の二つを渡せば分かることです。始祖の遺産、それが虚無を完全に目覚めさせる鍵となるのです」
教皇様は私をじっと見ている。その目にはいささかの揺るぎはなかった。
教皇様の言葉は、突拍子もないこと。でもそうとは断じきれないだけの説得力がある。おののく私の様子に、表情をゆるめた教皇様がくすりと笑う。いつもの、見るもの全ての心を溶かすような微笑みだった。
「もう一つ言いましょう。目覚める虚無は一つではありません。4つの4が目覚める時、真の虚無が目覚める。つまり、彼女以外にも、三人の担い手がいるのです。すなわち、トリステイン、ガリア、ロマリア、そしてアルビオン。もう少し分かりやすく言いましょう。ロマリアとガリアの虚無の担い手は私とジョセフ王です」
思わずガリア王を見やると、皮肉気な笑みが返された。
そして思い出す。
ガリアの無能王――ドットの魔法すら使えない落ちこぼれ。まさに、どんな魔法でも爆発させてしまうルイズのように。
驚く様に満足したように教皇様が笑う。
「4つの4のうち、3つは既に目覚めているのです。最後の一つ、アルビオンの虚無さえ目覚めれば、真の虚無、すなわち始祖の虚無が復活します。そうすれば今度こそ聖地を取り戻すことが可能となるでしょう。私達があなたがたにお願いしたいことは一つ。最後の鍵であるアルビオンの虚無を目覚めさせること。最後の虚無は必ずアルビオンの縁者の誰かに現れます。私たちは必ずそれを見つけなければなりません。この世界を生きる為、私達が協力して事に当たらねばならないのです」
真の虚無の目覚め、確かにそうなれば聖地を取り戻すことも……
もし、あの強大な力が始祖の虚無の一部だとすれば、真の虚無はどれほどのものとなるのだろうか。文字通り、世界すらも変えてしまうほどの……
「――ジョセフ様。これで良かったのですか? あれではまるで、ガリアはロマリアの使い……」
「ミューズ」
「……申し訳ありません。差し出がましいことを申しました」
「いや、責めるつもりはない。言うことはもっともだ。だが、ロマリアの若造、あれで大したものだ。花を譲ったところで惜しくはない」
「ジョセフ様は、あの者の言うこと信じておられるのですか?」
「それこそまさかだ。ロマリアの言う言葉を全て信用するなどできぬよ。まあ、性分でもあるがね。宗教にどっぷりと浸かった者の言うことなど信用できぬ。信仰などと言えば聞こえは良いが、本質的にはだましているのと変わりないのだから。それが善意から出たものであれ、欲望を隠した善意かは別だがな。まあ、お互いに真からは信用などしていないのは了承済みだ」
「――私は何をすればよろしいのでしょうか?」
「そうだな。まずは聖地に何があるのかを調べる。大隆起を防ぐ、本当にそんなに都合の良いものがあるのか。その上であいつらが何をしたいのかを調べる。そうそう、調べるのならエルフの知識も役に立つだろう。何せ、今聖地を確保しているのはあいつ等なのだから。土地などに執着を見せないあいつ等が、さんざん見下す蛮族である余に接触するほどだ。何かそれに見合った意味があるのであろうよ。おそらく、あやつらにとっても都合の悪い事実があるはずだ」
「――ガリアの虚無を味方にできるというのは良いのですが、本当にあの者は信用できるのですか?」
「それこそまさかですね。それに、あちらとて私達の言うことを完全に鵜呑みにするということはないでしょう。彼は人が言う様な無能者ではありません。純粋な能力で言うのなら、私よりも上でしょう。ですから、いずれはすべての真実にたどり着くでしょう」
「だったら、もっと与しやすい者に……」
「ふふ。あなたの懸念はもっともです。ですが、それは大した問題ではないないのです。結局のところ、私たちと行動を共にすることになるでしょうから。それに……」
「……それに?」
「――真の虚無が目覚めれば、真実を知ったところで変わらないのですから」