ロマリアの、教皇からの返事が届いた。
曰く、虚無の目覚めを祝福し、最大限の敬意を払う。我ら始祖の御意思に従う。虚無の復活を共に祝おう、と。
そして、時をおかずして届いた報せ。
ロマリアの教皇とガリアのジョゼフ王、それぞれが大々的に発表した、自らが虚無の担い手であるという声明。
ロマリアに来てからこれ、世話になっているリカルド殿と共に、教皇庁へと召喚された。任意とは口では言うものの、有無を言わさぬ強引なもの。心当たりがないではないだけに、覚悟もした。ワルド子爵がいかに手練れとて、1人でできることには限りがある。だが、いざ教皇と面会すれば拍子抜け。
曰く、トリステインからの客人に万が一の事があってはならない。嵐が去るまでの数日、我慢して欲しいとのことだった。
そして、集められたのは私達だけではなかった。
教皇庁の中は、かつて見たどんな時よりも人でごった返していた。贅沢に着飾った者たちだけでなく、老若男女、恐らく教皇が私的に面倒を見ているだろう孤児達も。すっかり拝金主義がまかり通るここでは、決してあり得ないだろう光景。
年若い教皇が私達に宣言する。
自らが虚無の担い手であることを。これから数日、嵐が起こるが、始祖の加護が皆を必ず守る。そして、友人達が駆けつけてくれることを。
しかして、嵐は起きた。
教皇庁を囲む、聖堂騎士団。本来教皇を守ることこそが彼らの役割であるが、どうしたことか、その杖は、その守るべきものに向いている。
だが、それも宜なるかな。皇国の、本当の意味での実権は教皇にあるわけではない。教皇庁の闇は深く、たとえ最高権力者が教皇であっても、それはあくまで肩書きでのことでしかない。
歴史は、どうしても派閥というものを作る。表だっては出てこなくとも、それらの長が、良くも悪くも自らの利益の為に行動し皇国を運営する。
教皇が自らが虚無に担い手であることを宣言、全ての汚職を糾弾し、皇国を再生すると言った。いくらそれが正しいことであっても、表だってそんなことを言えば、普段は表に出てこない彼らとて表舞台に出ざるを得ない。そもそも、年若き教皇がその座についたのは、上手く立ち回り、それが派閥の長にとっても有益となるように動いてきたことこそが大きかったのだから。
──歌が、聞こえる。
幾人も重なる声。聖堂騎士団が誇る、賛美歌詠唱。力を重ね合わせ増幅する、個では無し得ない奇跡を実現する儀式魔法。彼らが最強の一画に名をあげられる由来である武力を背景に、団長らしきものが教皇へ退位を促す。
しかし、それが無駄であると彼らは知らない。口上は、腹に響く、巨大なものの声で遮られる。
竜の、何匹にも重なった竜の声。竜だけではない、様々な魔獣達の声。凶暴すぎて人には扱えないはずの獣の声も。恐れのない狂信者といえど、恐怖の具現の前では異なるか。
唸り声が止む。
そして、静寂の中、美麗な、年若い声。不思議なほどに通る声で、名乗りを上げる。ジュリオ・チェザーレ、そして、教皇に仕える虚無の使い魔ヴィンダールブとして。
外を伺えば、あり得ない光景がそこにある。ジュリオを守るように竜達が、獣達がいる。教皇の言った、頼りになる友人達がそこにいる。
例えば竜という生き物、これは幼生のころから教育をほどこして、才のある騎士だけがようやく生涯の相棒として飼いならすことができる。しかし、そんな彼らがただ一人の少年に従っている。それこそ、あらゆる獣を従えると唄われる始祖の使い魔、ヴィンダールブでしかありない光景。
聖堂騎士団の困惑は理解できる。彼らの信仰心は、歪んではいても紛れもない本物。だからこそ、彼らは混乱する。都合の良い駒となるよう、信仰心だけ植え付け、敢えて考えさせないように教育を施された彼らでも、いや、そんな彼らだからこそ、目の前の事実には動けない。
ジュリオの、歌うような声。
「君たちの信じるものはなんだい? 君たちの信仰は、始祖にこそ捧げたものじゃないのかい?」
広がる動揺の中、彼は続ける。
「そんな君たちは、今何をしているんだい?」
言葉にならない、呻き声。
「君たちは、始祖の後継者に杖を向けるのかい?」
カラン、カランと、何かが落ちる音。
「でも、分かっている。君たちが悪いわけじゃない。君たちは利用されていたんだ」
杖を向ける者は、もういない。
「さあ、一緒に行こう。今度こそ、本当に始祖の為に働こう。始祖は寛大だけれど、それに甘えてはいけない。一緒に罪を濯ごう。僕の友達が手伝ってくれるよ」
そして、力強い羽音がいくつも重なる。飛びたつ竜達の背には、さっきまではジュリオに杖を向けていた者たち。竜に乗ったことなどあるかないかといった所だろうに、各国の精鋭の竜騎士に負けないほど堂々としたもの。いや、竜達と、獣達とまさに一心同体、アルビオンが誇っていた騎士達にも勝る。
「さあ、行こう。聖堂騎士団──いや、聖獣騎士団の皆」
ハルケギニアで最強の兵種こそ、竜騎士。華々しく騎士団を率いるジュリオは、かつての覇王の名に勝るとも劣らない。まさしく、大王ジュリオ・チェザーレの再来。
時をおかずして、謀反を企てた者たちは、諦めの良いものは捕縛され、しかし、多くはその場で処刑された。逃げおおせたものはいない。
竜から逃げるには竜と、至極真っ当な考えをする者もいた。それは、正しい。しかし、誰が思うだろう。乗り物としか見ていなかった竜に食い殺されるなど。その無様な死に様に人々は噂する。ああ、やはりバチは当たるものだと。
結局、嵐は1日も経たずに過ぎて行った。ロマリアに長年すくってきた膿だけを綺麗さっぱり洗い流して。
ガリアの象徴であるヴェルサルテイル宮殿に、久方ぶりに人の息遣いがそこここにある。大舞台の準備となれば、人手が必要だ。
そんな中で、私も王女としての身嗜みを整える。
窮屈で仕方が無いコルセット。衣装係がこれまで使っていたものを諦め、恐々と新しいものを持ってくる。成長期だからとは、ものは言いようだ。そして、平均に辛うじて届くかという胸をこれでもかと持ち上げる。確かに、胸の開いたドレスで谷間すらないというのはいただけない。だが、泣きそうな顔でそんなことをするというのは何の冗談か。
そして、仕上げにやたらと重い冠をと。案の定、鏡に映る自分には、なんとも大きく、重い。
「──イザベラ王女様、いつにもましてお美しゅうございます」
衣装役は卑屈に微笑んで見せる。どうせ、首になんて出来ないというのに、健気な努力。使用人の大部分はガーゴイルに代えてしまったけれど、美意識なんか人形に期待なんてできないというのに。
「これでいい。後は、連れに相応の格好をさせてやりな。私の隣でも見劣りしないようにね」
タバサなら──シャルロットなら──私より立派なものになるだろうさ。
ガリアが誇る庭園を見下ろす、展覧台。
先頭に王が立ち、私は王女として右手に、シェフィールドという女が左手に立つ。私より汚れ仕事に染まり、影にどっぷりと浸かった女。私がそれをどうこう言うつもりはないが、自らの父に女としての視線を向ける相手というのは、どうにも困る。気まずさという意味ではお互い様ではあるが。そして、私の後ろにはタバサもいるのだから、我ながら大した肝の太さだ。すっかり感覚がおかしくなったらしい。
それはさておき、見下ろす先には国内の主要な貴族達が集まり、私達を見上げている。人、人、人、この国にはこれだけの貴族がいたのかと呆れる。当主に準じるものだけでこれだから、多すぎるのではと思えるほど。
彼らの表情は一様に困惑。そうだろう、狂王の突拍子もない命令にはすっかり慣れているとはいえ、今回の命令は一際奇妙なもの。有無を言わさずの強制参集。戦時下の総力戦もかくやという強権発令。そして、これから成される宣言はそれ以上の衝撃だろう。
こんな中でも一切の気負いのない王。
「──やあ、諸君。突然の招集にも快く参集してくれた事、まずは心より感謝する」
拡声の魔法など使っていないというのに、隅々にまで届く、よくよく通る声。演劇の技法をも駆使したそれは、一朝一夕ではなし得ぬもの。魔法の才あるものであれば、失笑ものだろう。理解のできない無駄な努力であるからには。
王は続ける。
「余の奇行には慣れっこであろう貴君らではあるが、今回はさぞ扱いに困ったであろう。王としての強権を十二分に使っての招集であるからには。しかし、理解して欲しい。何せ、事が事。戴冠と同様に、いや、それ以上に扱わねばなら重大事であるからには、余の口より語るが筋というもの」
動揺と困惑が広がる。この王がそこまで言うほどの重大事とは何事か。次々に増幅され、熱はこれでもかと広がる。
その最高潮の中に、王は言葉を投げ込む。
「──余は、虚無の担い手であった」
耳が痛くなるほどの静寂。
貴族達は一様に間抜け面を晒し、ようよう理解しただろう1人が吹き出す。そして、爆発する笑い。腹を抱え、涙を流し、呼吸すら儘ならぬほどの笑い。階下からのそれで、空気が震えるほど。
誰かが言った、ついに王が狂った、と。
しかし、そんな中でも、一際よく通る王の声。道化役が戯けて見せるような、大仰な響き。
「──喜びを共有したいのであるが、儘ならぬな」
しかし、笑いがぴたりと止む。なぜだろう、なぜ、王が階下に、彼らの目の前にいるのだろうか。皆の視線が集まり、またもや静寂が包む。なぜ、どうやってと、一様に混乱が伺える。
王はこれまた大仰に両手を広げ、芝居がかった仕草で演説を続ける。
「これは虚無の魔法の一つで、加速というものらしい。文字通り、目に捉えられぬほど早く動けるようになるものだ。便利ではあるが、使いこなすというのは難儀であるな」
誰かが叫ぶ。偏在だ、偽物だ、と。
しかして、どうしたことか、その彼の後ろに王がいる。友人にするように肩に手をおく。
「うむ、君の意見ももっともだ。たしかに、虚無の技を見せるというのは難しい。何せ誰も見たことがないのだから。恐らく、今頃はロマリアの教皇も同じ悩みに直面していることだろうよ」
クツクツと笑い、だが、彼が振り返る前に王の姿がかき消える。そして、王の姿はまた壇上へ。
「──まあ、虚無というのは無駄遣いできるものではないようでな。もっと効率よくいきたいと思う」
王は、左手の人物を、取って置きだとエスコートする。
「紹介しよう。我が使い魔、ミョズニトニルン。神の頭脳という二つ名の通り、魔道具の扱いは随一。ちょっとした人形劇をお見せしたいと思う」
王城の扉が開き、金属のこすれ合う音が響き渡る。歩み出すのは人型、それに何かをつけたしたもの、巨大な車輪のついた不恰好な馬車のようなもの。嫌悪感を沸き立たせるようなものが、ワラワラと、それでいて整然と溢れ出してくる。どこか人型を保っているというのが、グロテスクな気味の悪さをなお一層かきたてる。
そんな中に、ドオンと爆発音。
人形達の元で煙が上がっている。どうやら、さっきの王を侮辱した男が火球で放ったらしい。なんとも、正気とは思えない表情。どうにも、思慮の足りない人物だったらしい。愚行が過ぎれば、本人だけの処刑だけで済まなくなるというのに。そして、男の顔は更なる間抜け面を晒す。煙が晴れると、人形がそのままにあった。
「君は行儀が悪いな。しかし、どうかね。なかなか頑丈なものだろう? 技術のつてがあってね。少々の魔法では傷一つつかない自信作だ。実戦での運用もそれなりに形なってきてね。なかなかに面白いことができるようになったよ。1小隊で砦ぐらいなら十分に落とせる」
男はもう一度、火球をぶつけた。
「頑丈ではあるが、ここが王城であることを忘れてもらっては困る」
いつの間やら男のそばにいた人型の爪が振るわれ、男の首が落ちる。もはや、王を馬鹿にしようという者はいない。
「さて、君達にはこれから退場いただく──なぁんて言うと思ったかね?」
ざわめきに、カカと王は笑う。
「いやいや、余にそんなつもりはないとも。余としても彼のことは残念だ。もう少し思慮深いと思ったのだがね、あんなはしたない真似をされては、ああせざるを得ない。誠に残念だとも。余はただ、玩具を見せびらかしたかったのと、ただ、先日地図から消えた城があったと言いたかっただけだというのに。いや、誠に残念」
一昼夜でおちた城のことは、皆知っている。きれいさっぱり皆殺しだった場所のことは。
「──貴君らが混乱するのはよく分かる。これまでも余は余なりに考えての行動をしてきた。しかし、はたから見れば突拍子もないと言われても仕方がない。であるからには、この場での、これまでの不敬は問題としない。良く良く考えて欲しい。余は、貴君らが他国に誇る優秀な者たちであることを知っているのだから」
反乱は、起こった。
しかし、それも予定調和の小規模なもの。暗殺された王弟を信奉していた、謂わばオルレアン派の残滓。正しい血筋に戻そうと燻っていた者たちが中心ではあったが、所詮は内部の扇動者によってなし崩しに動いただけの烏合の衆。そもそも、肝心の神輿が無ければ片手落ちも良いところだ。
唯一の望みであったであろう、追従する者たちは皆無。現王が虚無の担い手であるという、突拍子もない言説には半信半疑ではあっても、それと思しきものを見て、そして、同じく虚無の担い手であることを宣言した教皇の追認。四つの四の一こそジョセフ王であると、教皇が言った。それは、皆を黙らせる十分な効果があった。何せ、教皇自身が伝説にあるヴィンダールブでなければ不可能であろう規模の竜騎士団を組織、瞬く間に真の意味で皇国を統一したのだから。
そして、それと同じことを王は、父は行っている。虚無の使い魔、ミョズニトニルン、その名に相応しい大量のガーゴイルと人との混成部隊を連れて。
私は、兵法なんてものは分からない。
上空からの爆撃や、画期的な制圧兵力と言われても、恐らく有効だろうということしか分からない。しかし、報せを聞く限り、被害はほとんど無しに砦に篭った反乱軍を1日で落としたというのだから、大したものなんだろう。恐らく、もう反乱を起こそうなどという者はいない。
部屋に控えさせていたタバサに、小瓶を投げ渡す。
「──それをやるよ。ビダーシャルに作らせた、あんたが欲しがっていたものだ。だから、バカなことは考えないことだ。誰にも、身の丈にあった幸せというものがある。欲をかけば、全部を無くす。それは、私からの餞別だよ、……シャルロット」
ロマリアとガリアからの、自分達は虚無の担い手であるという報せ。それはゲルマニアに届いた。
直系ではなくとも知る資格があると、なんとも親切なもの。奴らにとって私は、ゲルマニアの王などはその程度のものらしい。
「……い、いかがされました」
親書を持ってきた男の引きつった顔。細面のなまっちろい見た目に相応しい、びくびくとした様子。事務方の才能に優れるだけに、惜しい。いや、だからこその慎重さ、だからこそ安心して下における。それを考えれば、真に稀有な存在だと言える。
「お前がどうこうということではない。それよりも、試作品の出来の方が重要だ。前回のもので出土品とほぼ同等だったはず、ならば今回のものは完全であろう?」
男が取り出す、黒光りする銃身。これまでの銃と全く異なる、場違いな工芸品の再現品。銃と言えば単発式で、実戦では使い物にならない困った代物。
しかし、これは違う。
初弾こそ引き金を引く必要があるが、あとはその際に発生する力、ガス圧というものを使用して自動的に次弾を装弾、連射し続けるという、芸術的なまでの一品。
難点は、それを実現する為の加工が高度過ぎ、そもそも銃弾一つ一つが芸術品とも言えるほど高度なものになること。いっそ、金貨を打ち出した方がよほど安上がりかもしれない。だが、生産さえできれば平民を主力にできるだけの代物でもある。
男が言う。
「前回の反省を踏まえ、無理に劣ったレベルで材質を揃えるのではなく、要求を満たせるだろう別のものに置き換えました。総合的に判断すれば──」
「──よい」
いつまでも喋りそうな男を押しとどめる。
「細かい理屈よりも、大切なのは実際に使えるかどうかだ。その為には、だ」
両手で銃を構える。
脇で挟み、右手をトリガーに。そして、左手を添える。ただそれだけで安定する、これまた芸術的に考えれ尽くされたフォルム。
ダダン──ダンッと銃声、扉の穴からは煙が上がる。
さすがに鉄を仕込んだ扉を貫通するまではいかないが、対人用としては十分過ぎるほど。少々の魔法壁であれば、容易く貫通するであろう。
感動を邪魔する、慌てて扉から飛び込んで来た護衛は下がらせる。少しばかり軽率だったことは、反省しよう。
口を開けたまま間抜けヅラをさらしている男。
「──合格だ。工房へ行くぞ」
城の地下、100人は詰め込めるほどの工房。
十分に余裕を持って、整然と何列にも並べた机の男達が、ただひたすらに金属の加工を行う。監督役の男だけが行き来して確認作業を行う。これまでは実験段階だったが、ようやく本腰を入れられる。
「──分業体制というのは効率的です。1人に複数の行程をさせるよりも、はるかに作業効率が高く、それに、調整も容易になりました。ただ……、これは……」
「なんだ、始祖がお許しにならない──か?」
男は口ごもる。根が善良であるだけに、この男には受け入れ難いか。
個人であればそれで良くとも、国はそんな単純なものではないというのに。
「下らぬ良心など捨てろ。それに、大した違いなどあるまいよ。平民を道具として使うか、本当の道具に作り変えてから使うか。同じ道具であるならば、より性能を引き出せるようにすることの何がおかしい。事実、これまで複製すら不可能だったことを実現しただろうが」
「……その通りでございます」
男は項垂れる。頭では分かっても、心が受け入れないか。生きた人間を材料にした生産特化ゴーレム、ただそれだけのことだろうに。
ああ、認めよう、認めようじゃないか。確かに始祖の影響は大きなものであると。神として、道徳として人を深く縛っていると。
しかし、エルフに追われたという事実はどうだろうか? 始祖とて全能ではないということだろう。
私は、その先を行く。駆逐した先住の魔法とて、なかなかのものだ。使えるものは、全てを利用する、それこそが人の強みだ。
「──ああ、そうだ。休ませなかったものはどうなった?」
「……一週間しか、持ちませんでした。そのまま、死にましたよ」
「そう、か。ならば、6時間の睡眠を取り入れろ。生産性は落ちるが、なに、その分は数で補えば良い。ただし、最適解は引き続き探せ。何事も、一朝一夕にはいかぬからな。それと、死んだのではない、壊れたのだ。人だと思うから悩むのだ」
昏い、昏い道。
寒々しい影の道を抜けた先は、随分と手の込んだ、百合の意匠が編まれた絨毯の部屋。
部屋には1人の年若い男。窓際でワインのグラスを傾けたまま、間抜けな顔でこちらを見ている。暗がりのせいか、前に会った時よりも顔色は良くない、そんな気がする。
ウェールズ・チューダー、謳われほどの美男子の面影はどこへやら。
影のある男が好きなんて女なら別かもしれないが、頼りがいがない男なんて、私はごめんだ。こんな軟禁状態を良しとして、姑息な小細工しかできないような男は。
私は決して好意的な視線など向けていないというのに、男は微笑む。
「──まさか、マチルダ殿、君から尋ねて来てくれるなんてね。そして、君の後ろにいるのは……」
私の後ろで、テファが息を飲むのが分かる。テファも、言いたいことは沢山あるだろう。でも、テファは恨み言なんて言わない、そういう子だ。
「……はい、私がテファです。私達、従兄妹になるんですね。それなのに、初めまして、なんですね」
ウェールズが微笑む。恐らく、作ったものではなく、心から喜んで。
「本当に、会えて嬉しいよ。私達のことを恨んでいるだろうし、それは当然のこと。だから、会ってくれることはないと思っていたから。私達の身勝手な思いにも巻き込んでしまったしね」
「──いえ、私にも必要なことでしたから。私は私の、私達の国を作ります。たとえ人でなくても、安心して暮らせる国を」
「そうか……。うん、私はそれで良いと思うよ。何せ、君こそが始祖が選んだ後継者だったんだから。それがあるべき形なんだよ。それがきっと、アルビオンの本当にあるべき形だったんだよ」
ウェールズは満足気な顔をしているけれど、私達はこいつの為に来たんじゃない。
「不本意ながら、結局はあんたらの思惑通りさ。でも、あとは私達の好きにやらせてもらう。本当は会いに来る必要はないけれど、仕方なく、こんな所まで来たんだ。最後の責任ってものを取ってもらう為にね」
ウェールズは困った顔を見せる。
「何だろうか。私にできることなら何でもしよう。死ねと言うのなら、それでも良いが」
「今更あんたの命に価値なんてないよ。ただ、最後の勤めを果たせというだけだよ。古臭い儀式やらはどうでも良いけれど、受け継がなければならない知識はあるはず。無駄に長く続いた歴史があるから。教えてくれるような私達の家族は、もういないから」
「……なるほど。それは確かに、私達の責任だ。しかし、私だけでは心許ない。すまないが、父とパリーも呼んでくれないか? なにぶん、不自由な身でね。自由には動けないんだ。本当に、情けない限りなんだがね」
公爵である、私の父。常に威厳のある表情で、尊敬はしていても、やっぱり怖かった。
しかし、その父は今、困ったように眉尻を下げ、ましてや、私を見るなりため息をつく始末。娘に対するものとしてはいかがであろうか。
そして、カトレアも楽しそうに笑うんじゃない。
「──お父様。言いたいことがあるのなら、はっきりおっしゃってくださいな。それともなんですか、まだ私とシキさんとの婚約に何か言うつもりですか?」
父は、途端に苦々しい表情。
「いいや、今更何も言うことはない。アルビオンは、私も蔑ろにしたくはなかった。単なる損得で考えればそのまま取り込むべきだが、独立した王家があることにも、意味がある。トリステインが誇りを忘れ好き放題をということがあれば、将来の禍根にもなりかねない。感情というのは、厄介だからな。それに、他の貴族共を黙らせる方策も自分で考えて、自分で話もつけた」
父はなお一層に困った、そして、どこか情けなさすら感じさせる表情。
「……ただ、文句を言うようならお前の婚約者とカリーヌが話し合いに行くなど、悪質な脅しにもほどがある。本当に、無茶を押し通してくれる」
「あら、お母様の子ですもの。結婚の為ならそれぐらいしますわ。お母様の武勇伝は、聞いていますよ。結婚を認めさせるために相当無茶をしたそうですね?」
「む……、それはそうだが……。しかし、ならば尚更、独占欲は強いだろうに。あいつは他の女の記憶を消すぐらいに考えていたぞ。むろん、あいつなりの優しさだったんだろうがな」
父は困りながらも、どこか嬉しそう。
父の、かつての想い人。詳しいことは知らない。でも、死人に想いを寄せるのは──やはり、悲しい。ずっと縛ることは、その人だって望まないと思う。
「私だって、独占はしたいです。ずっと、ずっと一緒にいたいです。でも、難しいことは最初から分かっていましたから。それぐらいは、我慢します。この国とアルビオンにとっても、その方が良いと思いますし。力には責任が伴う──ですよね?」
「ああ、そうだ。魔法という、始祖から託された力。権力という、人を率いる為に託された力。……国をまとめる王権は、その最たるものだ」
「姫様から、話があったんですよね」
「ああ、誰に入れ知恵されたのか、虚無の血筋に託すのは、あるべき姿へ正すこと。そして、何もできない自分には御輿になる資格もない、とな」
お父様は俯く。かつてなく、迷い、弱々しく、そして無力を嘆くように。
「……正直に言えば、私もどうすべきかは分からなくなってきた。ロマリアとガリア、そしてアルビオンが虚無の担い手に率いられるとなってはな。卑怯かもしれないが、私はルイズの選択に任せようと思う。猶予は、多くないがな。ロマリアでの虚無の復活祭というのは、大きな岐路になる」
父は、真剣なな表情で私達を見つめる。
「エレオノール、カトレア、お前達は何があってもルイズの味方であって欲しい」
私とカトレアは、深くうなづく。
ロマリアから招待された、虚無の復活祭。失われた虚無の復活を喜び、国をあげて大々的に執り行うという。
そして、招待はもう一つ。
関係者だけで行うという前夜祭。始祖の秘宝とやらの持参を求められ、ご丁寧にも、テファへは二つの指輪の指定まであった。テファがそうであると知ってからは時間も無かったろうに、大した情報収集能力。浸透した宗教の強みというものを存分に見せつけてくれた。何千年もの歴史というのは、伊達ではないと。
不安気なテファには、ただ心配ないとだけ伝える。
ロマリアでは、和やかな教皇の微笑みで迎えられた。ただただ恐縮する、ルイズにテファ、そして、エレオノールとマチルダ。挨拶もそこそこに、教皇はテファへと向き直る。
「──テファさん。私は、始祖があなたが選ばれたことには深い意味があると思います。あなたの理想こそ、始祖が望んでいるということでしょう。ロマリアから失われ、行方不明になっていた火のルビー。それがあなたのもとにあるというのはなんとも示唆深い。強い意志は、強い運命を引き寄せると」
テファは逡巡し、指から、赤い石のルビーを抜き取る。そして、教皇へと差し出す。
「これは、教皇様の持ち物だったということですよね? 私にこれをくれた人は、自分はこれを持ち主に返すことはできないからと言っていました。だから、私からお返しします」
教皇の、きょとんとした表情。そして、笑う。
「──感謝します。あなたにも持つ資格があると思いますが、おかげで私も格好が付きますよ」
部屋の中心にはテファ。
100メートル四方のただただ広いだけの部屋。四つの四の最後の一つ、テファの使い魔を呼び出すための舞台。それぞれの国からの者が囲み、使い魔召喚の儀式を見守る。
テファが、使い魔召喚の呪文を口ずさむ。
ロマリアの、教皇とその使い魔はただ静かにテファを見守る。教皇の指には赤い指輪。使い魔の男の手には、古ぼけた鏡。
ガリアの、ジョセフ王と使い魔の女は対照的。茶色の指輪をはめたジョセフ王はただただ楽しげ。使い魔の女は、静かに古びた香炉を持っている。
ゲルマニアは、王と、どこにでもいそうな気弱気な男。観覧者として、ただ見ている。
トリステインは、アンリエッタ王女と、ロマリアに滞在していたマザリーニ枢機卿。心ここにあらずの姫に、マザリーニだけが真剣な表情である。
アルビオンは、王子──いずれ元王子になる者と、執事であるパリーとが観覧者として。執事はテファに仕えることになったからには、これが最後の務めとなるのだろう。
俺は、テファから預かったオルゴールをもて余すマチルダを、不安げなエレオノールを、そして、古びた本と水色の指輪を携えたルイズを庇うように立つ。
皆でテファを見守る。テファは、最後の一節を歌いあげる。
「──我の運命に従いし、使い魔を召喚せよ」
そして、いつか見た、鏡のようなものが現れる。なぜだか俺の前に。
混乱するテファに、教皇が言う。饒舌に、本当に楽しげに。
「いや、まさかとは思いましたが、こうなるとは。実は、あまり知られてはいないのですが、始祖の使い魔も二つ役割を兼ねていたのです。まさか、まさか、それが再現されるとは。あなた方を強い想いが結びつけたのでしょう。かつては愛情だったと聞きますが、あなた方にもそれに負けずとも劣らない深い絆があるのでしょう」
「──テファと契約をということか」
俺の問いに、教皇がうなずく。
「あなたに不服がなければ」
テファは、不安げな表情。鏡をくぐると、目の前に。
振り返る。エレオノールも、マチルダも、そしてルイズも何も言わない。ただ、じっと見ている。
テファは、震えている。
「──俺では、嫌か?」
「そんなこと、そんなこと……ない。シキさんが、いい。でも、でも……」
テファの頬に手を。
「最後の呪文は、覚えているな?」
「……はい」
テファはマチルダとエレオノールとルイズを振り返り、そして、決意したように向き直る。
「……我が名は、ティファニア・ウエストウッド。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の、使い魔となせ」
目を閉じたテファに、口付ける。
離れると、涙ぐんだテファの顔。
ルイズの時と同じ痛みが、胸にある。使い魔としてのルーンを刻むという。使い魔としての、祝福と…………
──違う、これは、呪い。支配、利用、作り変える呪い。
「おおおおぉぉっっ」
胸ごと、引き裂く。溢れる、久方ぶりの、自分の血。テファが血に濡れる。ほうけた様子に構わず、テファを抱えてルイズ達の元へ跳ぶ。
「──アルシエル、オンギョウキ」
闇が、影が、本来の姿を持ってルイズ達を守る。事によっては、教皇はこの場で消えてもらう。
教皇の焦った表情。だが、こいつは、知っているはずだ。
「──貴様、何を仕組んだ?」
答えず、狼狽えた表情。ただ、唸るように繰り返す。
「そんな、これは……、四つの四が揃わなくては……」
「──いいや、問題ない。確かに、揃った」
部屋の中央に、誰かの声。
光が、部屋の中央に集まる。テファの指輪、ルイズの指輪からも。そして、秘宝と呼ばれていたものが、役目は果たしたと崩れ落ちる。
部屋の中央には黒い影、ローブをかぶったような姿で様子は伺えない。ただ、顔と思しき場所からは、呟きが漏れる。
「──予想とは違ったが、四つの四は、確かに、揃った」
影は、形がはっきりとしない。しかし、分かる。これは──守護クラス。強い信仰とが集まったもの。この世界で信仰を集めたもの。話が本当であれば、8000年の信仰の結果。
「……そうか、お前がブリミルか」
男の影は、答えない。
代わりに、アルシエルが言う。いざという時の為の、足元の闇を広げながら。
「少しばかり、厄介そうですねぇ」
男の影が、首を振る。
「争うつもりは、ない。ルイズにテファ、お前達からも止めて欲しい」
「なにっ!?」
テファは、虚ろな瞳。ルイズも、意思のない人形のような瞳。空気を求めるように、パクパクと何かを訴える。
男の影は、ただ口にする。
「──娘達に庇われるとは、情けなくはあるがね」
復活する真の虚無といえばやっぱりこれだろうと考えていた設定がようやく出せました。
ありきたりかもしれませんが、少なくとも自分が知る限り描いている人はいないはず……。
そもそもゼロの使い魔のSSを今でも続けている人はすっかり減りましたが、できるだけ原作の設定を活かして、それでいて真女神転生のテイストを加えた形でラストまで続けたいと思っています。