混沌の使い魔   作:Freccia

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第47話 The Great War

 

 

 

 

 

 

 空へと昇る、穢れた太陽。

 

 空気を震わせる胎動に合わせて、どす黒い何かを垂れ流す。

 

 世界の中心となるが為に生まれるカグツチは、全ての可能性を内包した無色の存在。身の内に取り込んだあらゆる供物を糧に、その無色の力を育む。新たな世界の礎になることこそがカグツチの喜びであり、存在理由。

 

 しかし、カグツチは呪った。

 

 世界の可能性を奪った者を憎み、呪ってしまった。無色とは即ち、あらゆる色に染まるということ。その無色の力は、カグツチ自身の呪いに染まる。無尽蔵とも言える膨大な力は、呪いへと変わる。

 

 カグツチから溢れ落ち続ける、黒い何か。

 

 それらは蠢き、様々に形を取る。人や獣、あるいは、どちらとも取れない奇妙な姿へ。かつてカグツチに取り込まれたものの、成れの果てなのかもしれない。

 

 確かなのは、カグツチの呪いから生まれ、呪いそのものだということ。形を与えられたに過ぎないはずのそれらは、歩き出す。感情どころか知性すらないだろうそれは、しかし、一様の方向へと歩きだす。おそらくは、呪いの矛先へと。

 

 不意の浮遊感。体が中空へと投げ出され、ゴツゴツした硬い場所へ落ちた。目の前には、ジュリオの愛竜が首をもたげている。私は、竜の背にいた。そして、背後にはジュリオも。

 

 ジュリオは残った左手で、竜の手綱を握っている。真っ赤に染まったジュリオの服と、対して、土気色の顔。

 

 しかし、その目は諦めてはいない。ジュリオの手綱に合わせて竜が走り出し、飛び立つ。優美さの欠片も無い、我武者羅な飛び方。

 

 ジュリオが言う。

 

「……トリステインへ、行きましょう。それしか、ありません。止めるには、それしかありません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪い予感がした。

 

 ルイズとテファは、体を抱え、身を震わせる。理由は分からないのに、でも寒い、と。

 

 そして、外に空間の揺らぎと強い敵意。かつて感じたもの、呪いの言葉と共に向けられた憎悪。

 

  学院の外へと急ぐと、空には閉じかけた空間の穴。そこから舞い降りただろう竜の背には、血に汚れた教皇とその使い魔の二人きり。教皇は意識の無い使い魔を抱え、そして、ブリミルはいない。穴の奥には、ただただ憎悪の気配がある。

 

「──そこにいたか」

 

 遠く聞こえる、カグツチの声。くぐもった、かつての世界で聞いた声とは違う。違うはずなのに、分かる。憎悪と、そして、歓喜とも取れる感情も。

 

「止めてみせろ。我はもはや止まらぬ。我が内にある創世の力は、呪いへと変質した。そこなる愚か者共は、閉じ込めた我が呪いを溶かしてしまった。もはや、呪いが費えるまで止まらぬ」

 

 空の穴が、消える。

 

「──この呪いは、お前の罪だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人で抱え込まないと約束した。

 

 だから、何が起こったのかの話を聞くのにも、何が起きたのかを薄々感じ取っているルイズとテファだけでなく、エレオノールとマチルダも同席した。

 

 一様に、不安そうな表情を浮かべている。教皇自身は無事とはいえ、その使い魔は重症。何より、ブリミルがいない。良くない話だというのは、明らか。

 

 皆の視線が集まる中で、教皇は素直に話し始める。溢れる自信は無く、ただの人間として。

 

 ブリミルは、世界の特異点から二つの世界を繋いだ。創世の力と共に眠りについたカグツチを呼び出し、それを利用する。念を入れた準備の甲斐があり、悲願の成就は時間の問題だった。失敗する要素など、皆無。しかし、予想外の邪魔が入った。

 

 何をどうやったのか、なぜそんな選択したのかは分からない。死んだはずのジョセフが俺の姿を取ってその場へと現れ、カグツチを暴走させた。そして、暴走を始めるカグツチに、ブリミルを道連れとして食われた。

 

 もはや自ら止まることもできないカグツチは、時をおかずここへとやってくる。

 

「──最悪だな」

 

 率直な感想に、教皇は顔を背けず首肯する。

 

「その通りです。考えうる限り、最悪の形で失敗しまいました。しかし、こうなっては、もはやあなたしか対抗できない。あれは、全てを憎む呪いになっています。だから──」

 

 教皇は、地に額を擦りつける。

 

「どうか、この世界を救ってください」

 

 土下座するその姿は、血でうす汚れて見窄らしい。この頼みを聞く筋合いなどない。

出来うる限り全ての準備をしたとは言え、無様に失敗したのだ。だが、しかし、カグツチは俺の元へ必ず来る。カグツチは、必ず追ってくる。

 

「……あれは、俺のツケでもある」

 

 カグツチの敵意の矛先は、俺にこそ向いている。

 

 ジョセフがどこまで知っていたのか分からない。しかし、ジョセフはカグツチの呪いを目覚めさせた。あの天才的な狂人は、考えうる限り最悪の状態を作り出した。カグツチは、もはや止まらない。カグツチ自身が語る通り、自ら止まることすらできない。世界を創る力は、世界を破壊する力になりうる。

 

 集まる、不安げな視線。

 

「カグツチは、何としても止める」

 

 俺のせいで、皆の故郷を無くすわけにはいかない。今の俺には、愛する人こそが全て。生きる理由は、そこにしかない。

 

 教皇が、顔を上げる。その目は、死んでいない。

 

「──ありがとうございます。ならば私は、私がやれることをやりましょう」

 

 口元を引き締め、覚悟を決めた表情。教皇は、自らがやるべきことに気づいたのかもしれない。だから、尋ねる。

 

「今のお前に、何ができる? 信じる神はもはやいない。ブリミルの力とて、いずれは消える。カグツチが何かは、知っているんだろう?」

 

 今のカグツチは、世界そのものが災厄となったのと同じ。

 

「ロマリアの全て、影響の及ぶ全ての戦力をまとめてぶつけます。たとえ僅かであっても、この世界の為に戦いましょう」

 

  教皇は、戦うことを誓う。

 

「それができるのか? まとめていた神はいないというのに」

 

  問いに、ただ肯首する。

 

「出来る、出来ないではありません。私は、この世界を愛しています。だからこそ、この世界の再誕を望みました。いつか必ず迎える滅びを避けたかった。始祖の願いだからというだけではありません。私自身の望みでもあるのです。私は、何をしてでも皆をまとめます。たとえ日々の不平不満があったとしても、皆、この世界に生きています。より良い生を求めて生きています。この世界を愛している皆ならば、それができると私は考えます」

 

「他人の全てを勝手に推し量るとは、随分と傲慢な考えだな」

 

「たとえ傲慢であっても、私は信じていますから」

 

 教皇は、何の疑いも無く言ってのけた。

 

「なら、やってみろ。俺は、俺ができることをやる」

 

「ありがとうございます」

 

  教皇はようやく笑って見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここでやるべきことは終わったと、教皇はようよう目覚めたジュリオと共にロマリアへと飛んだ。

 

 ロマリアをまとめていた、神という名の中心は無くなった。いくら口で言ってみせた所で、結局何も出来ないかもしれない。だが、絶望的な状況の中で自らを動くことを誓った。それは、英雄となるに十分な資質。期待はしない。しかし、可能性を自ら閉ざすことをしなかったことだけは、認めても良い。

 

「──必ず、俺がなんとかする。だから、待っていて欲しい」

 

 愛する人達の寝顔に、語りかける。ルイズ、テファ、エレオノール、そして、マチルダ。共に戦うという言葉は、素直に嬉しかった。しかし、危険な目に合わせるなど、俺自身が我慢できない。

 

 意思に反した眠りは、目元に涙を残した。目を覚ましたら、きっと怒り狂うだろう。あるいは、悲しむだろうか。口すら聞いてくれないかもしれないのは、恐ろしい。だが、もしも命を落とすようなことがあれば、それを考えることの方が何倍も恐ろしい。

 

 思考を切り替える。

 

「……さて、根比べになるな」

 

 ウリエルが応える。

 

「ええ。カグツチ──カグツチだったものの中には無尽蔵の力が眠っています。使い道が無いとなれば、出し惜しみも無い。正直、幾度殺せば尽きるのか、想像もつきません」

 

「それでも、無限ではない。百でも千でも、例え万となっても、いつかは尽きる」

 

 アルシエルが応える。

 

「それも道理ですねぇ。では、まあ、私が先行しましょう。向こうにはガルーダ、ジャターユと居たはずですね。やれるだけのことはやってみせましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようよう戻ったロマリアは、あれほどに満ちた熱が冷めようとしていた。聖地で何が起きたのかなど、知るはずがない。しかし、心に感じていたものが無くなったことは、分かるのかもしれない。そもそもが理屈の通じるものでは無かったのだから、これもまた同様ということだろうか。

 

 教皇庁で私達を迎えた者達も、職務には忠実ながら、言葉にできない何かは感じているようであった。何か言いたげな彼らを無視し、執務室へと戻る。誰も通さないようにと告げると、彼らは一様に不安げな表情を浮かべた。

 

 部屋でジュリオと二人きりになる。先に言葉を発したのは、ジュリオだった。

 

「──さて、現状を正しく認識しているのは僕たちだけです。これからどうしましょうか?」

 

 いつもの飄々とした口調に戻ったジュリオ、幾分、顔色も良くなったようだ。

 

 右腕こそ無くしたが、命に別状は無い。最初こそ軽くなった半身に戸惑いながらも、持ち前の運動神経の良さがそれを克服した。

 

 変わらないその様子に、少しばかり安堵する。1人では、私はきっと腑抜けたままだった。唯一の可能性にも気づかなかったことだろう。どんな時でも私を支えてくれるジュリオには、感謝しかない。

 

「約束、しましたからね。私は、いえ、私達ができることをやると」

 

 何もしないなどという選択肢など無い。もしそうなら、私はあの場で朽ちるべきだった。私には、自ら死を選んで逃げることも許されない。私の死で何か一つでも改善するのであれば、喜んでこの身を捧げよう。しかし、そんなことはあり得ない。もしそうであれば、どんなに楽なことだろう。

 

 ジュリオは、苦々しげな表情を浮かべている。

 

「まあ、それはそうなのですが……。僕のヴィンダールブとしての力はガタ落ち。手に負えそうもない獣はもとの住処へと返しました。他の獣とて、いずれは……。純粋な信者である騎士団こそ健在ですが、それだけではあの化け物共に一矢報いるにも戦力が足りません。いえ、拠り所が無ければ、そもそもアレに対峙する前に心が保たないでしょう」

 

「私に真に教皇としての器があるのか、試されますね」

 

 ジュリオが力無く笑う。

 

「今この時にも強くあれるあなた以外に、誰にその資格がありましょう。しかし、一人一人は弱いものです」

 

「それを導いてこその宗教でしょう。心の拠り所、それこそが本質です」

 

「それはそうですが……。と、誰か来たようですね?」

 

 ジュリオの言葉に遅れて届く、扉へのノック。

 

 人払いをした上での訪問、これは、誰だろうか。不測の事態にも備えながら、ジュリオが立ち上がる。

 

「どなたでしょうか?」

 

 返ってきたのは、しわがれた年嵩の声。

 

「私です。マザリーニです。お話したいことがあり、友人と共に来ました」

 

 思わぬ客に目を見合わせ、しかし、素性が素性なだけに招き入れる。マザリーニ卿の友人とは、果たして、リカルド卿であった。

 

 部屋に入るなり、リカルド卿は言う。

 

「どうにも、大変なことが起こったようですな」

 

 真意を測りかねる言葉に、そして、マザリーニ卿が言う。

 

「どうにも胸騒ぎがした所に、知らせがありましてな。そして、二人で腹を割って話した上でここにきました」

 

 マザリーニ卿のつながりは把握しているが、敢えて尋ねる。

 

「さて、どういった方から、どういった内容でしょうか」

 

 マザリーニ卿は皮肉気に笑い、頷く。

 

「あなたも良くご存知の取引相手から、世界の危機について。できることは手伝ってやれと」

 

「それはそれは。しかし、リカルド卿もですか?」

 

 私の問いに、リカルド卿は意味ありげに笑ってみせる。いつもの快活な笑みとは、少しばかり趣の違うもの。

 

「聖地と、その真意について継ぐのは教皇のみ──そう思っていましたかな? しかし、それだけではないのですよ。恐らくは、保険の意味もあるのでしょうな。まあ、平たく言えばその一つを私が握っていたということですよ。そして、マザリーニ卿の慌てぶりから、これはと直感しました。互いに意図せぬ奇妙な巡り合わせでしたが、これもまた、神の思し召しか。このようなことにならねば、お互い深入りはしなかったろうことを思えば、まこと、運命とは分からぬもの。しかし、こうなれば私も動かねばならないと理解した次第というわけです」

 

「つまりは、世界の危機を理解し、それをなんとかしたいといらっしゃったわけですね?」

 

 リカルド卿は、鷹揚に頷く。

 

「しかり。始祖の悲願成就が失敗し、形となった災厄がこの世界を滅ぼそうとしている。止められなければ、世界はただ破滅するのみ。縋れそうなものはあるとはいえ、それに頼り切るわけにはいかない。今この時こそ、戦うべき時。その為にやれることは、やらねばならない」

 

「例えば、どのような? 正直、どう手を打ったものかと、これから考える所だったのですよ。良い考えがいただけるなら、確かにありがたいですね」

 

 本当になにか出来ると言うのなら、どれほどありがたいものだろうか。

 

 今度は、マザリーニ卿が言う。

 

「まずは、国を、人々をまとめねばなりません」

 

 それは至極もっともな意見。

 

「しかし、それこそがまず難題ですね」

 

 私の言葉に、リカルド卿がどうにも腹立たしい笑みを浮かべる。

 

「でしょうな。となれば、できることを分担しましょう。我らに教皇殿のようなカリスマは無いが、ジジイにはジジイにしかできないこともあるのですよ」

 

「分担、とは? もしや、辻説法でもいただけると? 確かにリカルド卿も、マザリーニ卿も音に聞こえた素晴らしい方です。しかし、言っては難ですが、一宗教者でしかありません。私の教皇としての立場でも、恐らく難しいでしょう」

 

 リカルド卿が笑う。

 

 何であろうか。先ほどから垣間見える、人の良いものとは違う、陰のある表情。人格者を謳われ、裏表のない奔放さから慕われているという評判とは違う一面。

 

「むろん、常識的に考えればそうでしょう。しかし、今この状況だからこそ言いますがな、実は、私は腐りきったこの国の変革の準備をしていたのですよ。何年も、何代もかけて、人を繋いで」

 

 リカルド卿の表情に、冗談の色は一切見えない。むしろ、より一層真に迫っていく気迫がありありと浮かんでいる。

 

「……教皇殿。あなたが改革を行わねば、既に行動に移していたかもしれない。今は様子見としていますが、しかし、未来を担う若い世代が中心になった頃には改めて判断するつもりでした」

 

 リカルド卿の正体に、ようやく思い至る。

 

「この国に見え隠れしていた改革者の中心は、まさかあなたでしたか。そういった潮流があること、むろん私も認識していました。しかし、実態を掴めなかった」

 

 存在することが分かっているのに、どうしても見つけられなかった。だから、懸念であるというのに何の手立ても打てなかった。

 

 リカルド卿はまたも笑う。今度の笑みは、これまでのリカルド卿に相応しい、しかし、こうなるとそれこそが小憎らしいと思わざるを得ない。

 

「それはそうでしょう。実体があってないようなもの。見つけようと思って見つけられるものではない。この国を何とかしなければという想いでつながった、緩やかなつながり。そのつながりこそ深めるものの、実際の行動はまだ無かったのですからな」

 

「新教徒のことは、違うというのですか?」

 

 無謀な理想を掲げてこの国をかき回し、そして、私の母を誑かした思想。私が何を思っての言葉が理解したのだろう、リカルド卿は僅かに眉をひそめる。

 

「信じるかどうかは別だが、あれは違う。あれは、性急に過ぎる。自然発生的なものだからこそ、止められなかった。ロマリアに巣食う病巣は深く、あのような拙速な運動がうまくいくはずなどない。私は、私達は、だからこそ準備してきた。……むろん、うまくいくのであれば、それはそれで良しと思っていた。結果としてだが、その種を撒いたことは否定しない」

 

 リカルド卿の言葉がどこまで真実かは、分からない。しかし、問題はそこではない。

 

「……あなたの言葉、信じましょう。今ここで作り話をする必要はない。それで、あなたは何をしようというのですか?」

 

 リカルド卿は、得意気に頷く。

 

「宗教家としては、人を導く説法をしなくてはな」

 

 マザリーニ卿も。

 

「ええ、人の心を一つにまとめるために」

 

 二人の真意が、どうにも掴めない。

 

「それだけ、ですか? 私とて、ええ、表には出せない手段とて取るつもりではあります。しかし、それだけでは何ともならないと思っている次第で」

 

 マザリーニ卿が私に問う。

 

「それは、取れる手段全てですかな? 私達は、全ての手段を取るべきなのですよ。教皇派といった派閥を問わずにあらゆるつながりから、そして、大人から子供まで、全て」

 

 リカルド卿が言葉を引き継ぐ。

 

「例えば、学校など。手の内を明かすなら、我々の活動の中心の一つに学び舎があります。穏健な改革こそが我らの本懐ですからな。本来は学校を巻き込むというのは、下策。しかし、子供らから、大人と子供の境のものからの声というのは、中々に強い意味をもつものでしてな。良心的な思想の持ち主などは特に、子供が純粋に何とかしたいと声をあげられれば放って置けないと考えるものなのですよ。そして、未熟ながらに溢れる情熱というのは扱いやすいもの」

 

「そのようなやり方は、後の世で悪魔の所業と言われるでしょう」

 

 学生は中途半端に知識があり、自分のことを大人だと思っていて、情熱というエネルギーに溢れている。ちょっとした言葉でたやすく転ぶ。それが自分の意思だと疑いもしない。

 

 マザリーニ卿の表情は、いつもの生真面目そのもの。

 

「全ては、後の世があってこそ」

 

 諭すように口にする。果たして、このような考え方をする人物だっただろうか。

 

「甘い部分が教皇の座を逃した理由だったでしょうに、変わりましたね」

 

 マザリーニ卿は、困ったように眉をひそめる。

 

「朱に交われば、かね。しかし、世界を守る以上の大義などあるかね?」

 

「愚問でしたね。では、決行はいつに?」

 

 リカルド卿が重々しく頷く。

 

「今すぐに──と言いたいが、準備に1日待ってくれ。それまでに、素晴らしい演説を準備して欲しい。余計なことは、ジジイに任せてくれ。ただし、全てが片付いた後、別の教皇が就任するだろうことは了解して欲しい。むろん、行動が成功してこそだが、失敗すれば、それどころではない」

 

「まさか、あなたが? 異論など、私に言う資格はありませんが……」

 

 リカルド卿は、カカと笑う。

 

「それこそ、まさかだ。私のようなジジイが今更教皇になどになって、何となる。まだ絞りきれていないが、うまく片付く頃には頭角を現すだろうさ。未来は若人が作るものだ。ジジイはその為の手伝いだけで良い。まあ、余計なお節介は存分にするがね」

 

「全く、食えない方ですね」

 

 しかし、それでこそ頼もしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔の門に、異形の軍勢が現れた。これこそが、私達エルフに伝わる予言の実現かと思われたが、しかし、確証には欠けた。

 

 多くの同胞の命が失われるという予言と異なり、現時点ではエルフに対する直接の脅威となってはいない。事実として、現れたものがエルフの国を素通りしていることの確認が取れている。通り道には文字通りに何も残らなかったという結果こそあるも、それ自体は偶発的なものと捉えることも出来なくはない。

 

 結果、首都を中心に軍が再編成こそされるも、現時点では様子を見るという意見が大勢。攻勢に入るという意見は、極少数の戯言という扱い。辺境の軍は、そもそも、その地の防衛の為に手離さないという強い力が働いている。とはいえ、数だけは十分に膨らんだ首都防衛戦力は、一部の眷属のみ残してガルーダ様方が抜けた穴だけは塞いではいる。

 

 ただ、そのガルーダ様方の様子は芳しくない。

 

 この国に連れてこられた戦力と共に移動、攻勢に入った。しかし、効果が出ているかどうかの判断がつかない。エルフの魔法を遥かに凌駕する攻撃魔法で薙ぎはらうも、敵の進軍状況に大きな影響が見られない。直接の確認ができないので予想となるが、敵は強力な再生能力を備えていると思われる。

 

 加えて、敵の反撃もある。特に、中心にある黒い球体の攻撃は苛烈。空を薙ぎはらう超広範囲の光は、触れるもの全てを蒸発させるだけの想像を絶するもの。見知った山の稜線が、奇怪に変化していた。

 

 そんな戦いなどという言葉で括って良いのか分からない現象は、速度をわずかに落とすのみで西へと移っていく。つまりは、人の国であるトリステインへと。

 

「──で、アリー。誇り高いエルフの軍人として、あなた達は何をしているのかしら?」

 

 私は、婚約者であり、軍に直接の籍を置くアリーを詰問する。アリーは不満げに眉根を寄せる。

 

「なかなか俺達、軍が直接どうこうするというわけにはいかないんだよ。まずは、自分達のよって立つ場所を守らないと」

 

「だからって、アレをそのままにして良いはずがないでしょう」

 

 アリーは目を伏せるも、一瞬のこと。

 

「それは、もちろん分かっている。俺だけじゃない、若手は悪魔だけに任せるわけにはいかないと思っている。蛮族の軍が準備をしていても、そんなものは頼りにならない。このまま放置できないとなれば、今こそエルフの底力をと。ただね──」

 

「口だけなら、要らないのよ」

 

 私は、言い訳を繰り返すだけのアリーの言葉を遮る。

 

「アレは良くないもの。未だ大きな被害は出ていないとはいえ、予言にあった災厄がアレではないと考えるなんて楽観的に過ぎるわ。そもそも、これまで守っていただいてそれでお終いなんて、誇り高いエルフの矜持にもとると、どうして思わないの」

 

 アリーは、苦々しげに呻くばかり。 とても、残念だ。

 

「あなたがそんな日和見なら、私が行くわ」

 

 部屋を出ようとすれ違う私の肩を、アリーが掴む。

 

「行くって、どこへ行くつもりだよ」

 

「あなたが頼りにならないから、私が説得しに行くの」

 

「いや、しかし、上が……」

 

 アリーの手を振り払う。

 

「そんなことは、どうでも良いの。上と言ったって、結局の所は緊急事態に急遽出てきた繰り上がり。まともな判断なんか期待できないわ。最悪、まとも判断ができている若手だけでも動くべきだわ。当てにならない命令なんて、あってもしょうがないでしょうが」

 

「そんなことをしたら、クーデターじゃないか」

 

「だから、何? 何もせず、滅びを待つのが良いの? アレは決して良くないもの。人の国だけで済むものではないわ。だからこそ、ガルーダ様方がああやって戦っているんでしょう」

 

 アリーは、ただ私を睨みつける。

 

「私は、私がやるべきだと信じることをやるわ。あなたは、あなたが最善だと思うままに行動すれば良い。だから、邪魔をしないで」

 

 アリーは視線を逸らさず、しかし、口の端を上げる。

 

「全く、君は困った婚約者だな。──分かった。君の言う通りだ。だから、1人じゃ行かせない。俺も行く。君だけじゃどうにも危なっかしい。そもそも、君はどこに行けば良いかなんて分からないだろう?」

 

「あら、私も色々とあってね、議長とは親しいのよ?」

 

「それはそれで大切なルートの一つではあるけれど、君は何というか……。まあ、良い。とにかく行こう。決めたのなら、時間を無駄にする必要はない」

 

 アリーの顔には、もう迷いは見えない。

 

「少しは良い顔をするじゃない。後で可愛がってあげてもいいわ。もちろん、あなたが役に立ったらだけれどね。ちゃんと、男らしい所を見せてよね。情けない男なんて嫌いなんだから」

 

「まったく、君は……。俺が、君を、可愛がるんだよ」

 

 照れた笑いは、生意気な彼の可愛い所。

 

「あら、言うじゃない。口先だけの男だったら、願い下げよ? それに、他の男はどうかしら。本当に骨のある男なら良いけれど」

 

 アリーは口元を引き結ぶ。

 

「大丈夫。皆、何とかしたいとは思っているんだ。今までは正しいと思ってもできなかったことが多かったけれど、何だかんだで以前より風通しは良くなっている。だから、必ず何とかしてみせるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガリアに、二つの知らせが入った。ガリアの女王となった私に、面倒な手続きやら儀礼やらをすっ飛ばして直接届けるという、ふざけたやり方で。平時なら少しばかり言ってやりたいことがあるが、それはさて置く。

 

 一つは、トリステインにいるあの男から。偉大なるブリミルがバカをやらかしたという事実と、現れた厄介な敵に出血を強いつつ、最終的にトリステインで迎え撃つということ。淡々と事実が書かれたもので、どう行動するかの判断は私に任せるといったところだろう。

 

 もう一つは、ロマリアから。世界の危機に対する協力の要請と、父の仕出かしたことに対する責任をと鬱陶しく書かれたもの。言いたいことは分からないでもないが、それこそ、お前が言うなというものだ。もっとも、そもそもが表に出せる話ではないのだから、これもどう判断するかは私次第と言える。

 

 私は、ガリアに取っての最善を選ばねばならない。

 

 私とて、いくつかの事実は把握している。ゲルマニアとガリアの間を、「世界の敵」が移動しているという現実。そして、複数回に渡る大規模な悪魔の軍勢との衝突。

 

 一帯を更地にする大規模な暴風、夜を昼空に変える光の奔流、何百リーグ先にも衝撃が届くほどの爆発、空を黒く染める怖気の走る蝗害なんてものまであった。どれを取っても

、歴史に残るような災害レベルのありえない現象。

 

 しかし、何よりあり得ないのは、敵の軍勢が尽きずに健在だということ。ついには、ある時を境に、ぱったりと大規模な攻撃が無くなった。状況を鑑みるに、悪魔の軍勢を率いていた大物が敗北したものだと思われる。事実、それからは衝突そのものが無くなり、敵の軍勢は変わらず西へと向かっていく。

 

 これまでの状況からすれば、敵はガリアを素通りしてトリステインへと進むのだろう。その可能性はかなり高いと思われ、ガリアとしてはこのまま何もしないというのも考え方ではある。

 

 実際、戦いの最中にエルフのものだと思われる軍艦が一隻、遠くに待機しているのを確認できた。おそらくは様子見だろう。状況の確認は必要だが、無闇に手を出して藪蛇を避けるというのは、理にかなう選択。

 

 だが、通り道にあった集落などは、軒並み消滅している。たまたまそこにあっただけで、運が悪かったと捉えることもできるだろう。しかし、そのような人の敵を放置して安心できるというのは、いかにも楽観的に過ぎるのでは無いだろうか。

 

 あの男は、トリステインで本命と共に迎え撃つつもりだという。そして、ロマリアもそこに合流する為に動いていることが確認できている。となれば、国土の外であるトリステインに援軍として送ることこそがまだマシな選択ではないだろうか。敵の軍勢の中心はともかく、それ以外は全く手の出せないものでは無いということの確認が取れている。ならば、援護にも意味があるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「──と私は考えていますが、あなたはいかがでしょうか?」

 

 相対するはゲルマニアの王であり、そして、私の夫となるというアルブレヒト王。お互いに状況は確認しており、国境で会合を持った。互いに直接の被害はわずかと言えるが、だからといって座してはいられない。

 

 アルブレヒト王は、しかめ面で髭を撫でる。父と同じだけの年齢で、夫になるというのはどうにも実感が湧かない。だから、今はただ同盟国の王として対峙する。

 

「火中の栗を拾うのは、あまり賢いとは言えないな」

 

「そう、ですか」

 

 今はあえて、無理に関わら無いと判断するのも道理。私は、多少なりとも責任のようなものを感じているが、アルブレヒト王には全くあずかり知らぬ所で起こった災害のようなもの。それもまた、王として正しい判断だと思う。

 

「──しかし」

 

 アルブレヒト王の、ギラつく笑み。

 

「このままでは、何も残ら無い可能性がある。手に入れるものが無くなっては元も子もない。イザベラ女王の言う通り、トリステインに援軍として送るのが最善であろう。ああ、私は自身が赴くべきかと考えるが、女王殿下は残っていても良い。男として、女の身は守るべきであるからにな」

 

 私を試す、か。

 

「冗談はやめて欲しいものです。私を誰だと? あの底意地の悪いジョセフの娘です。厄介事こそ、自分で何とかしてみせましょう」

 

 アルブレヒト王は、喉の奥で笑う。

 

「結構。さすがはあのジョセフ王の娘だ。私は、気の強い女は嫌いでは無い。気の強い女を屈服させるのは、従順な女をただ組み敷くよりもずっと滾るものでね」

 

「そのような趣味の悪い言葉を吐くだけの結果、見せてくれるのでしょうね?」

 

 アルブレヒト王のギラつく笑みは、より一層激しいものに変わる。

 

「見せよう、最後に勝つのは私、いや、私達だと」

 

「では、いかがしますか? ガリアは、両用艦隊を全て出撃させます。今回ばかりは出し惜しみ無しに、ガーゴイルも全て。少しばかり艦隊が足りませんが、運搬だけなら商用船でも十分。父は何を考えていたのか、必要だと思われるものは既に増産してあった上に、風石の在庫までもが有り余るほどありますから」

 

「豪勢なことだ。うちは、第一陣として新装備の機甲兵団を派兵しよう。一部の武器には余裕があるから、そちらにも融通しよう。ただ、運搬は手伝ってもらうとしようか。全軍輸送できるほどには手が回っていなくてね」

 

「問題有りません。父も、そのつもりだったのでしょう。両国で合わせれば、1000万近い軍勢になるでしょうか」

 

「正面にあの者が立つとすれば、援護ということでは十分と見るね。ただ、そうするとエルフのことが気にかかる。そうそう自由に動けるとは思え無いが、人の様子を伺っているというのは気に入らない。面白く無い動きをしている者もいるからな」

 

「それは、私の方で何とかしましょう」

 

 アルブレヒト王は、満足気に頷く。

 

「さて、人の持つ底力というものの見せ場だ。知れば知るほど、人とは大したものでね。この身を持って、改めて実感するよ」

 

 野心溢れるその在り方は、今この時においては頼もしくある。野心は、国の活力ともなる。飼い慣らせなければ、その身を焼かれるのだけの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トリステインに、「敵」が押し寄せようとしている。

 

 だが、娘婿からは言われた。国としての助力は不要、娘達も必ず守る、と。既に整いつつある陣容と、要塞と化し、そして、出ることのできなくなった「学院」だったものを見るに、それは事実だろう。負けん気の強い娘達には、それぐらいでなければならない。つくづくカリーヌの血を色濃く受け継ぐ娘達には。

 

 しかし、だからといって国を守る役目を放棄するわけにはいかない。公爵たるヴァリエール家に何もしないという選択肢はない。国を守ることは、公爵という位から切り離すことのできない責務。今回に限っては妻もやる気で、共に軍会議に臨んだ。

 

 会議とはいっても、面倒なことははない。やるべきことは既に決まっており、主要な者達は凡そ、その準備を済ませている。会議は、顔を合わせての詰めの作業。なんといっても、命のやり取りであるからには。

 

 予定外といえば、アンリエッタ女王のこと。今この時にこそ、王権を譲りたいという。しかし、それは承諾できない。今この時だからこそ、できない。このような時には、美姫こそが神輿に相応しい。

 

 会議には、アルビオンも参加した。王子はトリステインに合流する形で自国の兵を出したいとのこと。最期の仕事とするに、悪い選択ではない。トリステインへの借りを減らし、力を誇示するというのは、アルビオンだけでなく、将来のトリステインにとっても好ましい。

 

 

 

 

 

 

 そして、戦いの準備は整った。過去の聖戦にもこれほどの戦力が揃ったことは無いだろう。

 

 トリステインとアルビオンの混成部隊。魔法を使える我ら貴族を中心に、それぞれが平民の部隊を纏める。魔法の強みを発揮できることを何より重視した在り方。今回はアルビオンが温存してきた竜騎士が加わったおかげで、空から援護を十分に期待できる、かつてなく汎用性の高い陣を組むことができた。

 

 ロマリアは、一見すれば統一性の無い部隊。聖獣騎士団と名乗るに至った魔獣混成の部隊に、年齢どころか性別すらもバラバラの集団。しかし、宗教を中心に一つにまとまった集団。何をどうしたのか、今この時においても始祖の悲願を成就する為にとまとめること

ができたらしい。それにはマザリーニ卿も絡んでいるらしく、つくづく大した男だと認めざるを得ない。野心さえあれば、王ともなる男だったということだろう。トリステインの外でなら、それも良い。

 

 ガリアは、ゲルマニアとの連合部隊を作っている。地形を選ばない即時展開能力を誇る両用艦隊、それに商用船と見受けられるものが、夥しい数の戦力を運んできた。新兵器と思しき銃で武装した兵だけでなく、大量のガーゴイルらしきものを交えて。

 

 全体の陣容は、複雑なものではない。トリステインとアルビオン、ロマリアが右翼に、ガリアとゲルマニアが左翼に。全てを合わせれば2000万からなる軍勢となろう。

 

 しかし、特筆すべきは中央にある悪魔の軍勢。数こそ人に大きく劣るも、その戦闘能力ともなれば、何倍になるのか分からない。

 

 空には、武装化した翼人と思しき集団、竜種、魔獣。地には、オーガの集団と魔獣の数々。それぞれが将と思しき悪魔に率いられている。それらが文字通り空気を、地を震わせる雄叫びをあげ、駆ける。

 

 ──向かう先に、見える。

 

 視線を遮るもののなき平原の先にあるは、聖地から現れ、始祖を喰らったというカグツチ。球体というには歪に過ぎる。張り付く巨大な憤怒の貌と、瘤の如く並ぶ数多の顔と顔。黒い波としか言いようのない、夥しい数の何かが向かってくる。

 

 初撃は、悪魔達。

 

 空を覆うは、あらゆる色が混ざり合った極彩色の光。悪魔達の作り出した魔法がカグツチの軍勢へと降り注ぐ。黒い波は揺らぐも健在、勢いそのままに向かってくる。

 

 地が、大きく揺れる。これまでのものとは違う。大地が砕け、地の裂け目から溢れ出す光の奔流に、黒い波が割れる。

 

 カグツチも砕け──否、意思を持ったパズルのように形を変えていく。

 

 巨大な顎が四方に引き裂け、禍々しい赤色が溢れる。溢れ出した光の奔流は、しかし、別の光に立ち割られる。

 

 光の槍はカグツチの一部を貫くも、カグツチもさしもの。赤色の先にあった悪魔達を蒸発させる。全体からは一部でも、それでも千に届こう。

 

 カグツチは、その場で時が遡るように再生する。戦場に一際響く、カグツチの咆哮。

 

「──我が憎しみ、その身を持って知れ」

 

 カグツチの呪いの言葉は、既に相対する男に向けられたもの。巨大なカグツチには比べるべくもない矮小に見える。しかし、その拳がガグツチを穿つ。ただ殴りつけるようだというのに、波状鎚もかくやとの一撃。そも、遠く離れたこの距離でも理解できる戦闘というものが尋常ではない。

 

 悪魔とカグツチ、軍勢同士の戦闘も始まった。

 

 空には、一際荘厳な姿の翼人が、オーケストラの指揮者の如く剣を振るう。空の翼人達より降り注ぐ光に、黒い軍勢は蒸発するように崩れ落ちる。残ったものにも、炎が、風が、雷が襲う。そして、重厚な陣を組んだ兵団が、その槍を持って余さず穿っていく。

 

 竜種や魔獣達は、空と地と、縦横無尽にその巨体と力を持って、敵をひきつぶしていく。それぞれが、自らの力を持って敵と相対していく。少々の反撃などは、その強靭な肉体を持って受け止めてのける。

 

 地のオーガは、魔法をも駆使する将が率いていく。いくつもの偏在を従え、それぞれが鉄塊にて触れる敵全てを薙ぎはらう黒のオーガ。その身に受ける攻撃を意に返さず、逆に捻り潰していく黄のオーガ。敵を氷像へと変え、嬉々として砕いていく紫のオーガ。風にてなぎ払い、自らも風に乗って暴れまわる青のオーガ。続くオーガ達も、その有り余るほどの力を持って陣形の穴を広げていく。

 

 瞬く間に極限化した戦闘に、人だけが乗り遅れている。人知をはるかに凌駕する化け物どもの争いに、萎縮している。兵の動揺がありありと伝わってくる。

 

 しかし、命じねばならない。これは、我らの戦いでもあるのだから。だからこそ、私は声を張り上げる。これほどの戦いは、妻と共に戦場を駆けた時にも無かった。

 

「──全軍、突撃せよ! トリステインの底力を見せてくれる! 他国に遅れなど取るな!」

 

 

 

 

 

 

 右翼にて、先陣がぶつかる。

 

 悪魔の勢いには及ばぬも、我らも戦果をあげていく。黒い泥のような人形は奇怪なるも、主敵を我らと見ていない。そも、猛威を振るう悪魔には比ぶべきも無く、あの悪魔達が今この時において味方であるということは、それ即ち我らの勢いにつながる。戦における勢いは、往往にして戦の趨勢を決する。

 

 勢いに乗ったからには、雑兵でもそれぞれが協力することで力を発揮する。これは、魔獣退治と同じだ。個で劣る人は、人の力たる数を持って対抗する。戦慣れしていない平民とて、後ろに我ら貴族が、竜騎士がいるとなれば、前を進むことを躊躇しない。それでこそ、我らも魔法の力も存分に発揮できるというもの。そして、アルビオンとの連携もうまくいっている。先王の時代以前より持ってきた軍同士の交流も、なかなかどうして、馬鹿にできないものだったといえる。

 

 

 

 

 

 他国も、それぞれの戦を始めている。

 

 同じ右翼のロマリアは、再精鋭である聖獣騎士団を中心に刃を進め、討ち漏らしを他の兵がうまく処理していく。有象無象の練度の低さについて完全に割り切った、ある意味でロマリアらしいと言える戦い方。

 

 左翼であるガリアとゲルマニアの連合は、これまでの戦い方と異なる。ジョセフ王の試行の結果か、これまで数合わせ的な使われ方しかされてこなかったガーゴイルが戦陣の中で機能している。ガーゴイルと人の連携が、攻撃にも防御にも活用されている。亀のような奇怪なガーゴイルなどは、塹壕的な意味もあるらしい。加えて、多様な砲台がそこここで火を吹いている。着弾場所の様子を見るに、砲弾に魔法的な細工がされているようだ。着弾地が凍るなど、普通の弾丸ではありえない。ガリアとゲルマニアは、厄介な形で結びついていると思われる。むろん、この戦が終わってこその心配ではあるが。

 

 

 

 

 

 半日が過ぎ、人には疲れが見えるも、それぞれ交代して凌ぐ。しかし、悪魔は見た目通りの化け物。無尽蔵かと思える体力で、夜となっても勢い変わらずに戦い続ける。我らとて魔法の炎やらで灯りには困らないが、そもそも、あれらにとっては灯の有無などは関係ないのかもしれない。

 

 夜が過ぎても、戦いは続く。しかし、2日目において何もかもが変わらないことには違和感を感じる。陣として崩れることは無くとも、敵の圧力は変わらない。つまりは、疲労だけが蓄積していく。再生する敵をとにかく潰し続ける必要があるということは分かっている。分かってはいても、終わりが見えないという事実そのものが疲労に繋がる。

 

 3日目になると、悪魔にも変化がある。カグツチそのものとの、激しい戦いは変わらない。軍勢を率いている、将たる悪魔も健在。一騎当千という言葉すら足りないだろう力を持って、敵を薙ぎはらう。傷つこうともたちまち再生するというのは、何たる化け物か。

 

 しかし、それ以外の悪魔は減っているのではないだろうか。増えゆく人の損耗は、疲労だけではなく、その結果なのではないだろうか。あの男からは、上位の悪魔とて不死では無く、カグツチも例外ではないと聞いている。しかし、ここのまま戦い続けて終わるのか、不安はどうしても募る。私は、トリステインの将として兵を鼓舞しなければならないというのに。

 

 

 

 

 

 

 ガリアの陣幕の中、タバサが何かを言いたげに私を見ている。身の丈に合わない大きな杖を抱えるその姿は幼く、それこそ子供のように錯覚する。

 

「言いたいことがあるなら言いな」

 

「イザベラ、必要なら私も戦う。私なら1人でも戦える」

 

 やる気があるのは結構だが、それは私が求めているものではない。思わずついたため息に、タバサはムッとした表情を見せる。表情豊かになったのは、それはそれで結構なことではあるが。

 

「今のあんたの役目は、ビダーシャルの代わりに私を護衛することだ。それ以外のことは気にしなくて良い。だからこそ、敢えて軍服も渡さなかったんだ」

 

「分かっている。でも、私も前線で戦える」

 

 実力に裏打ちされた言葉は勇ましく、しかし、ゆらゆらと揺れる大きな杖は、不満げな子猫のように愛らしい。

 

「あんたが兵を心配する気持ちは、私も分かる。私だって同じさ。だから、効率もあるけれど、兵の被害を抑えることも考えてガーゴイルを配置して陣を組んでいる。父の残したガーゴイルというかゴーレムというか……、正直余り使いたく無いものだって、その為には使っている。型にはまった戦術のトリステインなんかより遥かに被害が少ないし、総合的に見て継戦能力も高い。つまり、……まあ、なんだ、あんただけが無理をすることは無いってことさ」

 

 揺れていた杖の動きが止まる。

 

「イザベラは、民想いの良い王様になれる」

 

「──無駄口もいらない。そうだ、暇ならお前も来い。ゲルマニアの第二陣が到着したらしい」

 

 ゲルマニアという言葉に、タバサは眉根を寄せる。

 

「アルブレヒト王、あの人は信用し過ぎてはいけないと感じる」

 

 タバサの言葉は、純粋に私のことを案じたもの。

 

「……だろうね。だから、あんたも連れて行くのさ」

 

 ──結局、王とはそういうもの。自国の利益を最大化することこそが、その責務。外道と言われるような真似も、その為にならば正当化される。いや、それができない王こそ、王たる資格が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──お疲れ様です、ジュリオ」

 

 一旦戻った僕を迎える、教皇様の言葉。しかし、その声に、表情に、疲労は隠しきれていない。

 

「あなたも、休まなければ持ちませんよ」

 

 教皇様は、困ったように笑うのみ。

 

「私は、直接戦えるわけではないですから、民の死を悼むことしかできません。直接戦争に役立つ魔法の一つでも使えれば、良かったのですが。そうすれば、民の死を減らすことが出来たでしょうに、残念でなりません」

 

 民の死亡率は、恐らく他国よりもロマリアこそが多い。正真正銘の素人の集団であるからには。しかし、これでも過去の聖戦に比べればマシだ。過去においては文字通り使い捨てるつもりで信徒を前面に出していたのだから。幸か不幸か、あらゆる手を尽くして掻き集めた信徒達は、ある意味不安定で、そのようなことはできない。

 

「人には、それぞれの領分というものが有りますから。ここに兵を連れてくることで、あなたは役目を十二分に果たしました。性悪老人2人の活躍も、もちろんありますが。そして、ここで戦うことこそが僕の役目。幸い、ワルド子爵は魔獣の扱いにも長けていて、僕が休む間の代わりを問題無く果たしてくれています。彼がいなければ、本当に烏合の勢になりかねなかった所ですよ」

 

「戦場でも、ワルド子爵に皆は従っているのですか?」

 

 新参者だからという教皇様の心配は、もっとも。しかし、それは杞憂というもの。

 

「何と言っても、今は命のかかった戦の真っ最中ですから。実力こそが何より大切です。彼は、トリステインのグリフォン隊の隊長だった男。本来であればトリステインで主力を率いて戦うはずの男ですから、獣の扱いにおいて付け焼き刃の我らとは違います。実力差が分かるからこそ、皆が彼を認めます。それに、トリステインとの連携を示すのにあれほど分かりやすいシンボルも無い。実体は、マザリーニ卿と合わせてなし崩しに我らの陣営に入ったということであってもね。皆がこの世界の為に戦う、真の意味での聖戦であることを実感していますよ」

 

「皆、良くやってくれています」

 

 教皇様は、目を閉じる。

 

「しかし、私達にできるのは、ここまでなのでしょうね。真に勝てるかは彼ら──いいえ、彼次第」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──オオオオォォォォォッ」

 

 

 殴りつけた先、カグツチの顔の一つが吹き飛ぶ。破片が飛び散った大穴は、蠢き、乱杭歯の不細工な口に変わる。それが閉じる前に、右に跳ぶ。

 

 跳んだ先のカグツチの表面に、腕程の触覚が離れて2本、突き出していく。1本を、力任せに引き千切る。残る1本が帯電するが、それだけで何も起こらない。揃って初めて機能することは、既に理解した。

 

 遠く、何かが引き攣れ、弾ける音。カグツチの、奇妙にねじくれた新しい顔。目玉だけがギョロリとこちらを向く。口元が蠢くが、遠い。だから、足元の瓦礫を力任せに投げつける。出来たばかり顔は、顎から下が消失する。魔法を使うなら、使う前に潰せば良い。

 

 カグツチの、一際巨大な正面の顔に回り込む。両手に、魔力の剣。振り抜き、何度も振り下ろす。カグツチの赤い光の力は絶大だが、それだけに、そうやすやすと使えるものではない。ならば、使わせない。下顎が、崩れ落ちる。

 

 カグツチが動き出す前に、更に回り込む。崩れた顔が盛り上がって再生していくのが見えるが、それで良い。未だに城ほど巨大であっても、最初に比べれば、一回りも二回りも小さくなっている。カグツチの再生も、無限ではない。再生し、更に溢れてくる汚泥の軍勢も、勢いが落ちた。

 

 正面の顔が、壊れたままの顔で無理やりに嫌らしい笑みを模る。

 

「──さすがは、混沌王」

 

 取り合う必要は無い。両手を魔力剣を振り下ろし、魔力として叩きつける。カグツチの表面が剥がれ落ちるも、それでも嫌らしい表情は変わらない。

 

「──いずれは、我が負けるだろう」

 

 奇妙な様子のカグツチから跳んで離れるが、変化は見えない。顔も増えていない、触手が増えているわけでもない。

 

 いや、一回り、更に小さくなっている。代わりに、離れた場所、戦場の真っ只中に大きな力を感じる。

 

 カグツチは、声をあげて笑う。破片をこぼしながら、それを気にも止めずに笑う。

 

「──我は、世界の礎。無様な敗者は、我が供物となるが責務。朽ちた守護は、最高の馳走よ」

 

 覚えがある気配。かつての世界で下した、アーリマン、ノア、バール。守護として絶大な力を誇った3柱。

 

「アレを使うというなら、また倒すだけだ」

 

 カグツチは、一層愉快気に笑う。

 

「確かに、お前なら出来るだろう。我も彼も、全てを破壊するだろう。理解しているとも。だが、お前の大切なものまで、守り切れるか?」

 

 カグツチの表面が一斉に蠢き、鱗の様に顔で覆われていく。ただひたすらに醜悪な姿。

カグツチそのものが動くに、引き潰れる顔までもがある。

 

「──お前は、大切なものを手元からこぼした。今度は、我こそが奪って見せようぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──地に満ちた汚泥。

 

 それらが集まり、死体も、何もかもを喰らう。汚泥は膨張し、赤褐色の何かが溢れ出す。

 

 見上げるほどに巨大なその姿。甲殻類を思わせる上半身に、白い触手に包まれた座禅を組む下半身。ただひたすらに異形なるも、瞑目するその貌は静謐。

 

 その巨大な口から発せられる声が、戦場に響く。

 

「静寂たるシジマの世界は潰え、我は走狗となるか。──しかし、良かろう。敗者には相応しかろうよ」

 

 怪物が、その目を開く。

 

 触手が蠢き、外殻のこすれ合う耳障りな音と共に、上半身が解けていく。強固な外骨格のうちから現れた二本の腕が地を砕く。名状しがたいその姿、背中に現れた甲虫の羽、体をくまなく覆う鱗。四つ足の怪物は、咆哮を上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い汚泥から現れた、その対極の白は、ある意味で荘厳。

 

 しかし、冠を頂いた女神には、何かが足りない。たおやかなる右腕はあるも、対となる左腕はない。宝玉の輝く右翅はあるも、対となる左翅はない。だが、それをもって神聖さを減じることはない。むしろ、あるべきものが無いというその姿は、より一層神秘的なものを感じさせる。

 

 女神の声が、戦場に響きわたる。

 

「──力のヨスガは潰えた。より強い力に負けたのだから、我は認めよう。しかし、我は力こそを信じる。我が前に倒れる力無きものなど、不要」

 

 女神の右手が掲げられる。

 

 地に降りる二条の光が、ヒトガタを取る。剣を携えた、獣頭の戦士。女神に従う、2人の戦士。

 

 

 

 

 

 

 

 

 汚泥より浮かび上がる、人間大の赤い玉。周りの空気が歪んでいる理由は、すぐに知れる。

 

 赤い玉を中心に、ひたすらに巨大な河馬の如き四足獣の姿が浮かび上がる。半透明の体表面には、びっしりと奇怪な文様が浮かんでいる。

 

 巨体が身をよじると、その姿はより奇怪に変質する。

 

 頭頂部がコブのように盛り上がり、ついで、その下に憤怒に歪み切った少年の顔が現れる。背中には丸太の如き棘が林立し、醜悪さをいや増す。その体の周りに何層にも揺れる光のカーテンは、美しくも、不吉。

 

 

 






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