混沌の使い魔   作:Freccia

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 少しばかり激しい運動をこなした後、いつもに比べれば随分と早い時間ではあるが、食事を取る前に汗を流すことにした。三人が三人とも汗をかいただけではなく埃まみれになってしまったので、着替えを取ると真っ直ぐに大浴場に向かった。

 日が暮れる前、とあまり人が利用する時間ではないが、貴族のための施設なので大浴場はいつでも利用できるようにと準備されている。湯は適温に保たれ、惜しげもなく使われた香水の香りが心身ともにリラックスさせてくれる。一度に何十人と入っても手狭になることはないが、時間が時間だけあって、自分達三人だけの貸切状態だ。今は大理石でできた浴槽に、それぞれ思い思いの場所に、といっても話ができるような距離でくつろいでいる。






第6話 Sympathizer

「汗をかいた後にというのは気持ちがいいものですね」

 

 ミスロングビルが浴槽の縁に腰掛け、足だけを湯船に浸しながら呟く。右手のタオルで胸などは隠しているが、その何気ない仕草が色気を感じさせる。上気した肌に加え、今は眼鏡もはずしており、普段とはまた違った雰囲気がある。

 

「そうですわね。本気でやったのなんか久しぶりだし、いい運動になりましたわ。……それに、あそこまで力の差があると悔しいなんて思う余地もありませんし」

 

 キュルケが苦笑する。こちらもミスロングビルと同じように浴槽に腰掛けてはいるが、仕草は反対で、隠すといった様子はない。ただ、色気を感じるという意味では違いがない。

 

 いつもと同じく、舞台での演技のようにいちいち芝居がかっているが、こいつの場合はそれが自然に見えてくる。その仕草の一つ一つが女を感じさせるもの、それでいて下品といったことがない。認めたくはないが、認めざるを得ない。

 

「ルイズ。あなたもそろそろ彼との付き合い方を考えないとね。いつまでも使い魔扱いなんかじゃ、そのうち愛想を尽かされちゃうわよ?」

 

 不意に視線をこちらに向け、からかうように言ってくる。

 

「……分かっているわよ」

 

 二人とは異なり、体を深く湯船につけたまま。言葉とともに表情も曇っていることは自分でも分かる。

 

 そんなこと、言われなくても自分が一番良く分かっている。ゼロの自分とあいつじゃ全然釣り合っていないことぐらい。強い使い魔さえ呼べれば誰も私のことを馬鹿になんかしなくなると思っていたけれど、私自身がゼロのままじゃ、意味がない。

 

 ……それに、二人に比べて色気もないし。隠すように湯船につけている自分の体と二人を見比べてみるが、全然違う。なんで自分は魔法だけでなく胸までゼロなのか。神様なんてものがいるのなら、呪いたくなる。

 

 湯船から身を起こした拍子に、派手な飛沫が上がった。

 

「あら、もう上がっちゃうの?」

 

 後ろからキュルケの声が聞こえる。

 

「……ええ、今日は疲れちゃったし」

 

 気のない返事を残して一人で先に脱衣場に向かう。

 

 

 

 

 

 

 

「……何だか元気がありませんね」

 

 ルイズに向けていた視線を戻し、ミスロングビルがこちらに声をかけてくる。若干心配しているような響きもある。

 

「まあ、自分とじゃ釣り合わないとか思っているんじゃないかしら?」

 

 ルイズとは学院に入学してすぐからの付き合いだ。何となく、考えることも分かる。いつものルイズならどんな時でも前向きに努力するものだけれど、今回ばかりはそういうわけにもいかないのかもしれない。

 

「そんなことを考えても仕方がないでしょうに……」

 

 呆れたように言うが、全く持ってその通りだ。釣り合いそうな相手といったら始祖ブリミルぐらいのものだろう。でもまあ、そんな風に考えられるのもあの子らしさなのかもしれない。普通ならどうにかしようなんて考えることもないのだから。

 

「多分、大丈夫ですよ。今までゼロと馬鹿にされながらも何だかんだで頑張ってきた子ですし。案外、彼の言うとおりに虚無にでも目覚めるかもしれませんよ?」

 

 もう姿は見えないが、ルイズが出て行った方向に視線を流す。

 

 いつもからかってばかりだったけれども、ルイズの失敗してもめげない姿勢は気に入っている。本人には言えないけれども、尊敬すらしているのかもしれない。自分がもしルイズと同じ立場だったら、多分諦めていた。もしあの子が本当に力に目覚めることがあったら素直に祝福してあげたい。

 

 ま、それまではついからかっちゃうかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事もそこそこに部屋へと戻ってきたが、何となく落ち着かない。部屋の様子はいつもと何の違いもない。いつものようにシキが部屋を整え、私はベッドの上に腰掛けているだけ。それなのに落ち着かない。

 

 今日のことで、シキがどれだけすごいのか分かった。私にはどれだけ不釣合いなのかも十分すぎるほどに良く分かった。それなのに、こいつは何も文句を言わない。文句を言うどころか、今まで押し付けていた雑用をいつも通り黙々とこなしている。

 

 こんな雑用のような真似だって、させるべきじゃないということも分かっている。でも、何も言えない。さっきから何度もそう言おうとしているけれど、言葉が出ない。今までの関係を変える様なことを言ったら、シキはいなくなってしまいそうで怖い。今もまた、口にしかけた言葉を飲み込んで、思わず俯いてしまった。

 

「ルイズ」

 

「な、何?」

 

 急に声をかけられて、思わずどもってしまった。考えていることが分かってしまったのかと不安になる。

 

「着替えだ」

 

 それだけ言うと、いつものように手渡してくる。

 

「……ありがとう」

 

 手を伸ばして受け取るが、何となく目を逸らしてしまう。

 

「さっきからどうしたんだ? 何か言いたいことでもあるんじゃないのか?」

 

 少しだけ間をおいて、そう声をかけてきた。うぬぼれじゃなければ、心配しているような響きも感じる。

 

「……別に」

 

 そっけなく返してしまう。どうして素直に言えないのか。

 

 こんな時に自分の性格が恨めしくなる。せっかく聞いてくれているんだから素直に言えばいいというのは分かっているの。なのに、それができない。シキもしばらくは待っていたけれど、短く、そうかとだけ言うといつものように部屋から出て行った。

 

 ゆっくりと閉じられるドアを追う。

 

 私が寝づらいと最初に言ってからずっと寝るまでの何時間かはそうしてくれているみたいだけれど、何でそこまでしてくれているんだろう。私には何の才能もないし、何もしてあげられていない。それどころか、外でというのは流石に止めにしたとはいえ、未だに床に寝させたりしているのに。

 

「……何で、私なんかの使い魔になってくれたんだろう」

 

 思わず口からこぼれる。聞いてみたい。でも、そんなこと怖くて聞けない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究室をかねた部屋の扉を叩く。本来ならもうとっくに日の落ちた時間であって人などいるはずもないのだが、この部屋の使用者に限ってはそんな心配はない。教師と言うよりは学者と言った方がしっくりくるタイプであり、学院長に調べるのを任された以上に、自分の興味でヴァリエールの持ってきた薬を調べているはずだ。

 

 

「……どなたですかー?」

 

 間を置いて、返事が聞こえる。少し声が遠いが、多分調べる手を休めずに返事をしているんだろう。

 

「学院長の秘書のロングビルです」

 

「す、すぐに開けます」

 

 ばたばたとした足音が扉まで近づいてきて、ガチャリと金属の擦れる音がした。

 

「こんな時間にすみません。……ご迷惑ではなかったでしょうか?」

 

 最後は上目遣いに、本当に申し訳ないといった様子を相手に見せる。

 

「そ、そんなことはありません。あなたならいつでも歓迎します」

 

 そう一気にまくし立てる。

 

 出てきた男は、お世辞にも二枚目と言えるようなものではない。年の頃はまだ30そこそこのはずだがそうは見えないし、今着ている白衣もよれよれと言った有様。まあ、言ってしまえば冴えない男と言った所。男としての興味はないが、私に惚れているようなので利用させてもらう。

 

「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

 

 営業用の笑顔を向ける。使い魔の彼には通じないかもしれないが、女っ気のない相手にはこれでも十分。これだけでも、既に表情を崩してしまっている。何を言ったって大抵のことは聞いてくれるだろう。

 

「ミス・ヴァリエールから預かった薬について興味があるんですが、とりあえずのことでいいので、分かったことについて教えていただけませんか?」

 

 今度もまた上目遣いに言ってみる。こういった相手は教えて欲しい、と言われることに弱い。案の定すぐに乗ってくる。

 

「もちろん構いませんとも。ささ、立ち話もなんですから中へどうぞ」

 

 そう言ってくるが、それは流石に遠慮したい。あとあとの面倒は避けたいものだ。

 

「いえ、研究の邪魔をしてはいけませんし、そんなにお時間は取らせませんので……」

 

 できるだけやんわりと断る。

 

「そうですか……」

 

 一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに言葉を続ける。

 

「……まあ、そんなに言えるような事もありませんしな。恥ずかしながら、実際の所良く分からんのですよ。すぐに結果が出るようなものは試しましたが、そもそも水の秘薬なのかも良く分からないと言った有様で。少し時間をかけて調べてみるつもりですが、それで分からなかったらお手上げ。どうしても知りたければ王立研究所にでも持っていかねばならんでしょうな」

 

 苦笑して頭をかきながらそう言ってくる。

 

「そうですか……」

 

 小首をかしげ、考えるような仕草を見せる。

 

 まあ、少し残念だが、何も分からないのならそれはそれで構わない。それだけ大層なものだということなのだから。ただ、王立研究所に持っていかれるというのは困る。盗めないということはないが、流石に後が面倒だ。彼から盗むのが無理だと分かった以上、これはぜひとも手に入れたい。

 

 といっても、今の時点で盗むなんてことをすれば犯人を絞られてしまうので下手なことはできないが。

 

「……でしたら、何か分かったら教えていただけませんか? そんなにすごいものでしたら私も個人的に興味がありますし」

 

 今はこれだけ言っておけば十分だろう。チャンスならいくらでもある。

 

「もちろんですとも。何か分かったら真っ先に知らせますから」

 

 そう笑顔で言ってくる。

 

 私も笑顔で返す。とりあえず、今日のところはこれでいいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暖かい。目を開けると、カーテンからうっすらと漏れる太陽の光が顔にかかっていた。

 

「……朝か」

 

 警戒のためにいつのまにか癖になっていた、すぐに動ける座ったまま寝る体勢から体を起こす。この体になってからは別に寝なくともどうと言うことはないが、やはりゆっくり眠ると気分が良いものだ。加えて、昨日は久しぶりに体を動かしたので良く眠れた。殺しあうというのは好きになれないが、純粋に闘うといったことは嫌いではないのかもしれない。

 

 部屋の中を見渡し、ルイズのほうに視線を向けるが、まだ眠っているようだ。

 

「……起こすにはまだ早いな」

 

 改めて窓の外に目を向けるが、早朝といっても良い様な時間だ。いつものようにしばらくは外を散歩していればいいだろう。そうのんびりと過ごすのも嫌いではない。ルイズを起こさないようにできるだけ足音を立てないよう扉に向かう。

 

 ドアノブに触れ、鍵を開ける。

 

 「……どこに行くの」

 

 後ろから声をかけられる。いつもならこの程度の音では目を覚まさないのだが、今日は起こしてしまったようだ。もう少し注意した方がいいのかもしれない。

 

「まだ起こすには早いからな。外で散歩でもしていようかと思っただけだ」

 

 右手で扉を押さえながら振り返る。

 

「……そう」

 

 ベッドの上で上半身だけを起こし、少し考え込むようにしている。表情も、何となく冴えない。

 

 昨日からルイズは元気がない。何かを言いたそうにもしているが、聞いても答えようとしない。何とかするべきだとは思うのだが、こういったことはやはり苦手だ。表情を読んだりといったことできても、その後どうすべきかということまではなかなか思いつかない。人に頼ってばかりというのはどうかと思うが、またキュルケに頼んでみるのも良いのかもしれない。

 

「起こしておいて言うのもなんだが、まだ起きるには早いだろう。後でまた来るからのんびりしていたらどうだ?」

 

「……そうね」

 

 返事にもいまいち覇気がない。

 

「……昨日からどうしたんだ?」

 

 どうにも気になる。ほんの数日の付き合いとはいえ、人となりは分かる。やはりルイズらしくない。

 

「…………」

 

 聞いてはみたが、なかなか顔を上げない。

 

「……俺に言い辛いのならキュルケにでも言ってみれば良い。なんだかんだで助けになってくれるはずだ」

 

 ルイズの顔を見ながらしばらくは待ってみたが、言い辛いというのなら仕方がない。

 

「また後でな」

 

 そう言い残して部屋を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから部屋に戻って来たが、元気がないのは変わらない。着替えの準備をしている間もこちらの様子を伺っていたが、結局何も言ってくることはなかった。

 

「外に出ているからな」

 

 いつものように着替えを渡すと部屋の外に出た。

 

 

「――あら、おはよう」

 

 廊下にはキュルケがいて、声をかけてくる。ルイズの事を聞くには丁度いいのかもしれない。

 

「おはよう。……聞きたいことがあるんだが、いいか?」

 

「何?」

 

 軽い調子で返してくる。

 

「昨日からルイズが元気がないんだが、何か知らないか?」

 

「あー……、やっぱり?」

 

 渋い表情になる。知っているのかもしれない。もしくは原因か。

 

「何か言ったのか?」

 

「まあ、言ったというか何と言うか……」

 

 言い辛いのか、少し考え込んでいたがすぐに続ける。

 

「私が言ったのは『いつまでも使い魔扱いじゃ愛想を尽かされちゃうわよ』ってことだけなんだけれど……」

 

「それがどうかしたのか?」

 

 思わず眉をひそめる。そんなことは今更だ。別に気にしていない。その様子からか、更にキュルケが続ける。

 

「あなた、昨日どれだけ自分に力があるかを見せたでしょう?」

 

 それに対して小さく頷く。確かにルイズに見せたのは初めてだ。そのせいか、今までは全く強いとも思っていなかったようだが。

 

「それで、多分なんだけれど、あの子、自分とあなたが釣り合っていないとか思っちゃったんじゃないかしら? ただでさえ魔法が使えないことを気にしているのに、あなたは見たこともないような魔法をあっさり使っちゃうんだもの。自分には過ぎた使い魔だとか思っているのかもしれないわ」

 

「そうか……。しかし、そんなことを考えても仕方がないだろう」

 

 ルイズは何だかんだでプライドが高い。そういうことを気にするということもあるのかもしれない。普段は努力するといった形でいい方向に働いているが、そればかりは努力でどうにかなるものでもない。力といった意味で俺を従えるということは、人間には不可能だ。そもそも、そんな相手に従うつもりはないのだから。

 

「そうなんだけれど……。いつもなら努力してどうにかしようとする子なんだけれど、あなた相手じゃねぇ。そこがあの子の良い所なのに」

 

 苦笑しながら言う。やはりルイズの一番の理解者はキュルケということだろう。

 

「そうだな。俺もそんなところが気に入っている。まあ、難しいな。言ってどうにかなるものでもない」

 

 なんだかんだで同じ考えだということに、つい苦笑してしまう。ルイズの長所が裏目に出ている訳だからなんともしがたい。

 

 後ろから、扉が開く気配があった。

 

 着替え終わったらしいルイズが顔を出してくる。

 

「キュルケもいたの。――私は先に行ってるわ」

 

 そう言うと、脇を抜けてすたすたと歩いていく。

 

「……本当に元気がないわね」

 

 ルイズの後姿を見ながらそう呟く。

 

 

「ああ。……もっと元気な方がらしいんだが」

 

 一人で行かせるわけにもいかないので追いかける。大丈夫だとは思うが、もしこのままなら何とかしないといけないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人で何を話していたんだろう。もしかして昨日言っていたことをあいつに話していたり……。

 

 頭を振ってそんな考えを追い出す。昨日からつい思考が悪い方に流れてしまうけれど、そんなんじゃ、私らしくない。

 

 

「……本当、私らしくないわね」

 

 魔法が使えないぐらい今更じゃない。使い魔はメイジの実力を表す。あいつが特別なら私にだって何かあるはずだ。あいつの言ったことを信じるわけじゃないけれど、放課後に虚無について調べてみよう。今までがゼロだったんだから、駄目でもともとだ。くよくよするのはやるべきことをやってからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なかなか見つからないものね」

 

 疲れもあるのか、自然とため息が出る。張り切っていた分、尚更。

 

 放課後、一人で図書館に来て調べているのだが、なかなか思うようなものが見つからない。もちろん始祖ブリミルについて書かれた本は沢山ある。今まで自分の系統を探すために散々読んだ本にも始祖ブリミルについての記述はあった。だが、肝心の虚無の魔法について書かれた本は見当たらない。たまに記述があっても、万能の力といった抽象的な記述ぐらいだ。あいつの使った魔法が虚無だったら私の属性も虚無といっていいのかもしれないけれど、これではそれすらも分からない。

 

「何を探しているの?」

 

 後ろからいきなり声をかけられる。あまり感情の込められていないその声には聞き覚えがある。

 

 振り向くと、立っていたのは青い髪の少女だ。私も年齢的にはかなり小柄な方だが、この子は更に小柄だ。加えて、無表情でまるで人形のようにも見えるその様子が余計に幼く見せる。あまり面識はないが、たまにキュルケと一緒にいるのを見かけたことがあった。対照的だったせいか印象に残っている。

 

 たしか、……名前はタバサといったはずだ。今までここで勉強しているときにも見かけていたが、今日もいたんだろう。しかし、声をかけてくるとは思わなかった。むしろ人とできるだけ関わりたくないように感じていたのだが。

 

「……虚無の魔法について書かれた本を探しているんだけれど、具体的な記述がある本が見つからないのよ」

 

 隠すことでもないので、素直に答える。

 

 それを聞いて何やら考え込んでいたようだが、すぐに一言「手伝う」と言ってきた。

 

「……どうして?」

 

 いきなりそんなことを言ってくる理由が分からない。

 

「……私も興味があるから」

 

 そうぽつりと言うと、踵を返してフライの魔法を唱えると、浮かび上がって私の背丈よりも上の本棚へと近づいていく。

 

「よく、分からない子ね。確かにフライが使えるのなら助かるけれど……」

 

 高い所にある本は探すのに苦労するので、正直ありがたい。ただ、そんな初歩の魔法すら使えない自分が情けなくもあるけれど……。

 

 

 

 

 

 

 

「これ」

 

 そう言うと、私の前に何冊かの本を並べていく。

 

「あ、ありがとう」

 

「別に構わない。私はこれを読んでみる」

 

 そう無表情に言うと、手に持った別の本と一緒に、空いている席にすたすたと歩いていく。

 

 本当に、良く分からない子だ。感情が伺えないから何を考えているのか良く分からないし、そもそも何で手伝ってくれるのかも良く分からない。

 

「ね、ねえ」

 

 声をかけてみる。

 

「……何?」

 

 本を読む手はそのままに、視線だけをこちらに向けてくる。

 

「何で手伝ってくれるの?」

 

 それぐらいは聞いておかないといけない。

 

「興味があるから」

 

 さっきと同じ答えが返ってくる。だが、それだけではないはずだ。なんとなくだが、それだけで声をかけてくるとは思えない。

 

「それだけじゃないでしょう?」

 

「…………」

 

 こちらを見ながら考え込んでいたようだが、しばらくして口を開く。

 

「……あなたの使い魔にも興味がある」

 

 少しばかり目を逸らしながら言ってくる。

 

「あいつの何に?」

 

 どうして興味を持つのだろうか。あまり意識していなかったが、恐れている人間はいても、キュルケやミスロングビル以外には特に接点を持っている相手はいなかったはずだ。……もしかしたら知らないだけなのかもしれないけれど。

 

「…………」

 

 私をじっと見つめて何やら考えているようだが、何かを納得したのか、言葉を続ける。

 

「彼は見たこともないような魔法を使っていた。何か普通の人間が知らないことを知っているかもしれない」

 

 淡々と言う。が、それがどうしたんだろうか。続きを促す。

 

「……色々あって、先住魔法の毒の解毒法を探している。彼がそういったことを知らないか聞いてみたかった」

 

 何やら言い辛そうにしていたが、そう言葉を続ける。

 

「……どうかしら? そういえばどんな傷でも治るとかいう薬を持っていたし、そんなものも持っているかもしれないけれど……、どうしたの?」

 

 見てみると随分と驚いたような表情をしている。さっきまでの無表情とは随分と違って、ああ、こんな表情もできたんだと、妙な感想を持ってしまう。

 

「その薬について教えて欲しい」

 

 鬼気迫るといった表情で私の肩をつかんでくる。まさかそんなに感情を表すようなことをするとは思わなかった。思わず後ずさってしまう。

 

「え、ええと……。その薬が本当にそんなものなのかは分からないわよ? 実際に試したわけじゃないし……」

 

「構わない」

 

 今までとは打って変わって、その口調にも感情が現れている。

 

「昨日までは私が持っていたんだけれど……『今はどこに?』……学院長に預けたわ」

 

 言葉を遮ってまで言ってくる。もしかしたら、よっぽど大切な人がその毒とやらに侵されているのかもしれない。

 

「そう」

 

 ゆっくりと肩をつかんでいた手を離す。

 

「……そんなに必要なら、戻ってきたらあげるわよ?」

 

 私が持っているよりは、その方がいいかもしれない。

 

 見ると、一瞬驚いたような顔をしていたが、すぐに深々と頭を下げる。まるで神様相手にでもするように。

 

「ありがとう。私にできることなら何でもする」

 

 本当に嬉しそうに言う。表情はぎこちない。でも、その嬉しいという感情がよく分かる。

 

 ……もしかしたら、本当は感情豊かな子だったのかもしれない。多分、その大切な人が毒とやらに侵されたせいで隠れてしまっただけで。もしそうだとしたら、私もこの子にできることをしてあげたい。一瞬薬が惜しいかとも思ったけれど、今はそんな気持ちは綺麗さっぱりなくなった。

 

 

 

 

 

 あれから数日、図書館に入り浸って探したのだが、なかなか目的のものが見つからない。タバサが手伝ってくれるおかげで随分とはかどってはいるのだが、それでもだ。こうなると学院の図書館以外の蔵書を調べるということも考える必要があるかもしれない。そうなると思いつくのは――

 

「ちょっと出かけてくるけれど、今日も付いて来てもらわなくても大丈夫だから」

 

 そうシキに言う。大丈夫なのかと念を押してくるが、問題ない。別に未開の地へ行くというわけではないのだから。

 

「タバサが風竜で送ってくれるから心配ないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「久しぶりね。ちびルイズ。わざわざここにまで来るなんて、何の用?」

 

 部屋の中の椅子に足を組みながら腰掛け、肘掛に置いた手の甲を顎に当てるポーズのまま尋ねてくる。

 

 私とちい姉様とは異なる、緩くウエーブした父様譲りの金糸のような長い髪。鋭利な印象のメガネから覗く、凛とした眼差し。正に理想の貴族を体現するような高貴さがある。同じぐらい威圧感もあるのだが。

 

 ……うう。やっぱりエレオノール姉さまは苦手だ。ちい姉さまと違って、前にいるだけでプレッシャーを感じる。思わず後ずさっていた。

 

 ここは王立研究所の中にある研究室の中の一室。私の目の前にいる人物、エレオノール姉さまの仕事場ということになる。研究室といっても別に変な実験器具があるといったことはない。こちらは主にレポートをまとめたりといった、むしろ書斎といった役割の場所だ。であるから、机と、資料や文献をしまった本棚が部屋の大部分を占めている。もちろん誰でもこういった部屋が与えられるわけではなく、それだけでも姉さまの優秀さが分かる。

 

「……あの、エレオノール姉さまに相談したいことがあって」

 

 緊張しながらも口を開く。

 

「……珍しいわね。いつもならカトレアの方に行くのに。……まあ、いいわ。言ってみなさいな」

 

 考え込む仕草も優雅に、促してくる。

 

 そういえば、エレオノール姉さまに相談なんてするのは初めてかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、あなたの使い魔によると、あなたの属性が虚無かもしれない。だから、確かめるために虚無について知りたい。それと、そう言ったあなたの使い魔は人の姿をしていながらスクエア以上の魔力を持っていて、見たこともないような魔法を使って、しかもドラゴン並みのブレスを吐く。そちらについても調べて欲しい、そういうことね?」

 

 思わず目頭を押さえる。

 

「は、はい……」

 

 心なしか声が震えているようだ。

 

 椅子から立ち上がり、ルイズに近付くと頬を両方から引っ張る。

 

「あなた、馬鹿? というか、馬鹿よね? どうせ嘘をつくのならもう少しマシなものにしてくださるかしら?」

 

 つい、何時もよりも力が入る。この子はわざわざここにまで来て何を言っているのだろうか。

 

「いひゃい。いひゃいです。おにぇえさま――」

 

 目には既に大粒の涙を浮かべている。だが、今回ばかりは手加減できない。何時もよりも念入りに引っ張る。

 

 ……うん。久しぶりだけれど、ルイズの頬は良く伸びる。少しは気も晴れた。

 

 

 

 

「……さて、もう一度聞こうかしら。あなたはどんな使い魔を呼んだの? そもそも、呼べたのかしら?」

 

 できるだけ優しく声をかける。この子には優しく言う方が怒っているという事が良く伝わる。

 

「うう……。本当なんです。信じてください。お姉さまー」

 

 涙目で縋るように訴えかけてくる。

 

「…………」

 

 思わず考え込んでしまう。……おかしいわね。ここまで言っても謝らないなんて。こんなことは今まで一度もなかったのに。

 

「あなた……」

 

 声のトーンを少しだけ下げる。

 

「は、はい……」

 

 震えながらもきちんと向き合う。

 

「使い魔は、ちゃんと呼べたのよね?」

 

「……はい」

 

 声によどみはない。少なくとも、これに関しては嘘じゃないはず。

 

「そう……」

 

 使い魔を呼べたということなら、この子が初めて魔法を使えたということになる。虚無云々はさておいて、この子が魔法を使えたというのには興味がある。

 

 そもそも、ヴァリエール家の者が魔法を使えないということはありえない。魔法を使えるのは王家に連なる貴族のみ。その中でも、ヴァリエール家は特に濃い血の繋がりを持つ。であるならば、その血を受け継ぐはずのルイズが魔法を使えないというのはありえないはずだ。今までも何とかしてあげたいとは思っていたのだが、結局分からなかった。もしルイズが魔法を使えるようになるヒントがあるのなら、何とかしてあげたい。

 

 ――もし嘘だったなら今度こそ容赦しないけれど。

 

「まずはあなたの使い魔とやらに会ってからね。今から学園に行くわ。案内なさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「彼が……私の使い魔のシキです。そしてこちらが私の姉のエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールよ。今は王立魔法研究所の研究員をなさっているわ」

 

 ルイズの紹介のもと、お互い簡単に挨拶を交わす。

 

 場所は食堂の外のカフェ席。円形テーブルに私と彼が向かい合い、その間にルイズが座っている。今はアフタヌーンティーには少々早すぎる時間なので、周りの席にも人はいない。

 

 私の目の前に座っている人物を観察する。確かに、見た目には変わった刺青のようなものがあるぐらいで人と違いはない。でも、根本的な部分で違う。こっそりディテクトマジックで探ってみたけれど、魔力が桁外れに大きい。最高純度の魔石を更に凝縮したとしてもこうはならないだろう。見た目には分からなかったが、確かにルイズの言うような存在なのかもしれない。しかし、それならば尚更ルイズの使い魔ということに納得ができない。

 

「……いきなりで不躾ですが、質問をしてよろしいかしら?」

 

 まずは、そのことについて確かめなければならない。

 

「何だ?」

 

 無視するということはなさそうだが、表情が読み取れない。何時ものように会話の主導権を握るというのは難しそうだ。

 

「あなたは本当にルイズの使い魔なのですか? ……正直に言って、あなたの方がはるかに上の存在でしょう」

 

 ルイズに一瞬視線を向けるが、目が合うとすぐに俯いてしまう。理解はしているのだろう。ルイズでは、というよりも、そもそも使い魔となるような存在ではない。

 

「……力は、そうだな。だが、ルイズは使い魔として呼び出すことができた。俺も、それで構わないと思っている」

 

 答える声に淀みはない。

 

「ルイズを、主人として認めると言うことですか?」

 

 なぜだろうか。分からない。思わず眉をひそめてしまう。

 

「ああ。ルイズのことは気に入っている。……まあ、どちらかといえば可愛い妹を心配する姉と同じ心境だな」

 

 声に若干からかうような、そんな響きがある。

 

 思わず体が跳ねて、見つめ返してしまう。ほんの少しだが、彼の表情が緩んでいる。

 

 ――からかわれた?

 

 ……うふふふふふ。上等じゃないの。私に対してそんなことする相手なんて久々よ。後で、覚えてなさいね。テーブルの下で拳を握り締める。

 

「……お姉さま、怖い……」

 

 とりあえずこっちを見ていたルイズを睨みつけて黙らせておく。そのやり取りを微笑ましそうに見ていたのが何となく気に食わないけれど、まあ、今は、いいわ。軽く咳払いする。

 

「そうですか。では、もう一つ。ルイズの属性が虚無かもしれないというのはどういうことですか?」

 

 さっきのことは置いておいて、使い魔としての契約を結んだのならとりあえずの心配はない。彼に対して使い魔のルーンの効果があるのかは別としても、何となくだがルイズに害意を持っていないのは分かる。ならば聞くべきことはもう一つ。ルイズのことだ。

 

「……それについては俺が言えることはあまりないな。ルイズの起こす爆発がもしかしたら虚無と呼ばれるものなのかもしれない、そう思っただけだ。あれは明らかに普通の魔法とは違うらしいからな。それに、俺が使う魔法と似ていた」

 

「あなたが使う魔法、ですか?」

 

 思わず眉をひそめる。そういえば、ルイズが見たこともないような魔法を使うと言っていた。どういったものなのだろうか?

 

「説明するのは、難しいな。……ルイズ、お前は見てどう思った?」

 

 ルイズへと話を振る。それにならって私もルイズに視線を向ける。

 

「どうなの?」

 

 魔法の研究者という立場柄、そういったものには興味がある。

 

 

「どうと言われても……。確かに似ているとは感じましたが、火とも、水とも、土とも、風とも違う。先住魔法であるにしても全く違う、初めて見るものでした。実際に見ないと、あれは分からないと思います」

 

 要領を得ない。先住魔法も根本的には系統魔法と近い部分がある。それから外れるような魔法と言うのは聞いたことがない。確かに、全く違うというのなら虚無という可能性もあるのかもしれないが……。

 

「なんなら、一度見せようか?」

 

 不意に声をかけてくる。

 

「……たしかに見てみたいですが、なぜそこまでしてくれるんですか?」

 

 私にまで親切にする必要はないはずだ。

 

「なぜということでもないだろう? ルイズが魔法を使えるようになるヒントを見つけてくれるかもしれないからな」

 

 さも当然とばかりの様子だ。それに誤魔化しだとかいったものは感じられない。ルイズのことを思ってくれているのは、本当なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 見せてもらった魔法は確かにルイズの言う通り、他の系統とは違うもののように感じた。実際に器具を使って測定したわけではないので詳しいことは分からないが、確かに虚無と言う可能性もあるかもしれない。しかし、今はそれよりも重要な問題がある。

 

 

 

「学院長殿。お久しぶりでございます」

 

 久方ぶりにお会いした学院長に、スカートの裾を持ち上げ挨拶をする。

 

「おお。久しぶりじゃのう。ここを卒業して以来じゃから、何年ぶりかの。そろそろ結婚は……いや、なんでもない。……じゃからそう青筋をたてんでくれ。で、王立魔法研究所の研究員ともなれば忙しい身。何の用かの?」

 

 ……まあ、細かい事は、今回は置いておこう。

 

「妹が無事に使い魔を呼び出すことができたと言うことを聞きましたので、様子を見に来たのです。あの子は魔法が苦手で、こちらでも随分とご迷惑をおかけしているでしょう?」

 

 これは事実。きっと色々なものを壊しているはずだ。

 

「なに、努力するいい生徒じゃよ。まあ、ちっとばかり備品を壊したりすることも多いがの。それもまた努力した結果じゃよ」

 

 苦笑している。これに対しては私もそうせざるを得ない。

 

 その後も社交辞令的に言葉をいくつか交わすが、次からが本題だ。

 

「そういえば、そのルイズの呼び出した使い魔に会ってきました。また、変わった使い魔でしたが」

 

「そうじゃな」

 

 表情に変化はない。

 

「ですが、随分と強力な使い魔。しかし、そんな話は聞いていませんね。あれほどのものともなれば王宮に報告すべきではありませんか?」

 

 学院長に若干強い視線を向ける。

 

「あの子の為になるとは限らんからの」

 

 飄々としたものだ。

 

「王家への報告は義務では?」

 

 こちらも更に語気を強める。

 

「生徒のことを考えることの方が重要じゃよ。少なくとも、ここは学院じゃからな」

 

 嘘や、戸惑いといった様子は全くない。

 

 流石に年の功。大したものだ。こういったことには自信があるのだが、勝てる気がしない。でもまあ、これは確かめようとしなくても本心だろう。私も貼り付けていた表情を緩める。

 

「――ふふっ。試すようなことを言って申し訳ありません。やはり私も妹のことは大切ですから」

 

 思わず笑みがこぼれる。普段の行動はともかく、こういった部分では信用できる。私も素直に謝罪する。

 

「何、構わんよ」

 

「妹のこと、お願いできますか?」

 

「もちろんじゃよ。まあ、君にも手伝ってもらうかもしれんがの」

 

 学院長が笑う。いつものおちゃらけた笑い方とは違う、本当に優しい笑みだ。

 

「ええ、私もできる限りのことはさせていただきますわ」

 

 同じように返す。学院長のもとにいれば、ルイズのことは安心だろう。さて、私は私でやるべきことをやらないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、お姉さま。その荷物は?」

 

 ルイズが指差すのは私の後ろの馬車に積み込んだ荷物の山。

 

「しばらくはこっちにいようと思ってね」

 

 笑顔で答える。

 

「え、えーと、なんでそんなことに?」

 

 対してルイズは随分と慌てている。麗しいお姉さまが来るのは不満なんだろうか?

 

「あなたのためよ。感謝なさいな。まあ、研究対象としても面白いしね。ということでしばらくは毎日会えるわね」

 

 ルイズに対して飛び切りの笑顔を向ける。

 

「…………」

 

 あからさまに嫌そうに眉をひそめている。

 

 随分と失礼な子だ。またちゃんと教育してあげないと。

 

「……何かしらその嫌そうな顔は?」

 

 ルイズの側まで歩いていって柔らかな頬を引っ張り上げる。

 

 

「いひゃい。いひゃいでひゅ。おにぇーひゃまー」

 

 涙目で訴えているけれど止めてあげない。うん。やっぱりルイズの頬を引っ張るのはいいわね。

 

 ふと、ルイズの後ろの方では使い魔の彼がかすかに笑っているけれど、ルイズと一緒の時は割と良く笑うみたいね。

 

 ――使い魔の儀式ではお互いの利害が一致して初めて呼び出されるとか。彼が応じたのは、何でなのかしらね。


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