一秒で投げる天才子役   作:優雅な都市伝説

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推しの子完結おめでとうございます!
連載当初から追ってきた身としては完結まで見届けられて幸運です!
今後の赤坂アカ先生と横槍メンゴ先生の活躍をお祈りしてます。


『有馬かなは何故カミキヒカルを殺さなかったのか』

TAKE【01】❚━━━━━━━━━

 

 ――有馬かなは、聡い。

 少なくとも同年代の人間と比べればそれは雲泥の差である。月とスッポン、並びにハンバーグとピーマンと言い換えてもいい位だ。

 その幼い肉体で大人顔負けのスケジュールを熟している有馬かなは、やはり大人からみたらどんぐりの背比べなのかもしれないが、少しばかり達観していた。

 

 ――有馬かなは、聡い。

 あの不気味な少年――確か、星野アクアといったっけ――に認めたくはないが、演技において完敗したと実感した瞬間から、何となく薄々感じ取っていた気味の悪い感覚。

 新陳代謝の激しいこの情報社会で、自分がじわじわと消費されていくという恐ろしい感覚だ。自分のキャリアにおいてピーマン体操は黒歴史と言わざるを得ないが、それに擬えれば“消化”、若しくは“腐敗”とでも言うのだろうか。全くもって悍ましい。

 

 ――有馬かなは、聡い。

 自分のマネージャー気取りで生活を管理している母親の態度は日に日に悪化していくばかりで、父はそんな母を見ても怒鳴り散らかし、自身は関係がないとでも言いたげな顔つきで遊び呆けるだけだ。

 …ああ、もうこの軋みは駄目だ。贔屓目に見てもこの家庭環境は劣悪と言わざるを得ない。この家が健全だなんて、演技()でも、演技(死ん)でも、決して言いたくはない。

 今の有馬かなにとっては身体も、心も休まる場所など無い。いや、嫌味な言い方にはなってしまうが、身体の方は最近休めている。……両親の喧嘩の原因も、仕事がないことに起因するのだが。

 

 有馬かなは――それでも弱い。

 いくら他の子供より経験を積んでいて、周囲より達観していたとして、少年は少年。少女は少女である。不老の存在を演じたとて、演者(アクター)は只の人間でしかないのだ。一説には、どんな子供も必ず親からの愛情を求めてしまうらしい。それは人間としての種の性であり、神童、天才子役とまで謳われた有馬かなにとってもそれは例外では無かった。

 

 両親には仲良くしていて欲しい。

 そんな普遍的な願いを役者が願っていはいけない道理があるとしたら、この社会の方が腐敗している。

 

 ……だから、普段なら絶対に受けないこんな仕事を受けたのだ。もとより仕事は選べない身ではあるが、いつも仕事を寄越せと様々な所に電話を掛けている母親も流石に困惑していた。

 

 ああ、この時間を過ごさなくたって良いなら五億年ボタンでも押したい気分だ。

 

「はぁい始まりました! 新番組『柔道of右往左往』! 今回はゲストにあのピーマン体操で一躍有名になった有馬かなちゃんをお呼びしました! かなちゃん、今の気持ちはどうかな?」

 

 知らねぇよ、と声を大にして言いたい。気持ちはどうかなって質問がアバウトすぎるだろ。ピーマン体操で有名になったと言われるのも、かなり屈辱的だ。私の儚げで一輪の花のような可憐なイメージに合わない気がする。

 

「はい! 柔道って、聞いたことはあるけど、どんなスポーツなのかなって、ドキドキしててワクワクしてます!」

 

 嘘だ。柔道というスポーツは良く知っている。あれだろ、互いに投げ合う野蛮なスポーツのことだろ。

 

「そうかぁ〜。柔道を習い始めるのって中学生からだもんねぇ〜。かなちゃんは知らないのも無理はないよね!」

 

 奇麗なタレ目のお姉さんが屈んで私に目線を合わせて微笑む。……この女、自分が一番可愛く見える角度を分かってるな。グラドル出身だからか知らないが、バラエティもイケる口か。

 

「今回は特別講師として、あの有名な選手をお呼びしてます!」

 

 奥の扉のドアノブが捻られるのが、下から見上げる形で鮮明に見える。それにしても、有名な選手か。まあ私は落ち目のアスリートがテレビに出たとしても対して驚かない。

 

 そういったケースは今まで死ぬほど見てきた。それに有名と言ってもなにせこんな番組だから……と言いたいが驚くことにこの番組が放送される時間帯はゴールデンである。

 

 家族団欒の時間に、柔道の番組を見るやつがどこに居るんだよ馬鹿。

 

 だから、きっとパッとしない選手だと思っていた。自分が知らないマイナーな選手だと、弱々しい人間だとも考えていた節があった。思えば、柔道というスポーツに対して私は舐め腐っていたのかもしれない。

 

「なんと十六歳にして柔道日本選手権を制覇してから破竹の勢いで三連覇を成し遂げたこの男が、テレビ番組にこの度初出演だぁ!」

 

 ――明確に、瞳孔が揺れた。誰の? 多分、私のだ。

 私が何人分必要かも分からないほど巨大な備え付けの扉を窮屈そうにして、少し屈みながら這入ってくる巨体は、ただっ広い道場であっても注目を惹くには十分すぎた。

 

「……嵐山十郎太と申します。テレビは始めての経験なので拙い部分もあるだろうが、大目に見て欲しいです」

 

 でっっっっっっか!!!!!???????

 道着の上からであってもくっきりと分かるほどに鍛え上げられた肉体美は、まだまだ子供の域を脱せていない私ではあるが、それでも人生一の衝撃を与えたと言えるかもしれない。全身から溢れる闘気に気圧されてしまいそうだ。……にしても拙い敬語だ。頑張って話そうとしてるのは伝わるけど。

 

「嵐山さんは三連覇を成し遂げてから、暫く公式戦などは出ていなかったようですが、何故この番組に出てくれたのですか?」

 

「はい。やはり今の若い世代に柔道の魅力を伝えたいという思いが強かった為です。後は……後進育成も兼ねてですね」

 

 ……少し、演技()の匂いがする。

 子供は匂いに敏感なのだ。

 

「つまり、嵐山さんに匹敵する選手を作り上げると?」

 

「私も人に教えるのはそこまで上手くないので、心配な所存ではありますが」

 

 嵐山さんは話している腰は低いのに、随分と傲岸不遜な印象を受けた。強さの現れだろうか。少なくとも睨むだけで虎とまではいかないが、サバンナ最速の猿、パタスモンキーぐらいなら殺せそうだ。動物愛護団体が怒りそうでもあるが。

 

「成程! それでは先ずはお笑いコンビ『シノミヤーズ』のツッコミ担当。酒場圭太さん相手にその実力を発揮してもらいましょう!」

 

「いやいやいや! 死に役やないですか!? ま、身体を張ってなんぼの芸人ですけどね!」

 

 ツッコミを入れつつも、今回私の他にも呼ばれたゲストであるお笑い芸人の片割れが場内に立つ。見るからに噛ませ犬だが……頑張れ!

 

「宜しく頼む」

 

「手加減しのうてでもええですよ! なんて言ったってボクはジム通いもしてますし結構鍛えてますからね!」

 

「...そうか」

 

 恭しく礼をする嵐山さんとは対象的に、気軽に挨拶をしてストレッチを熟す酒場さん。そんな二人の様子を見たお姉さんが大きく手を振り上げて肺に空気を詰め込んだ。

 

「はい、行きますよぉ。よーい……どん!」

 

 ……『始め』だろ、徒競走かよ。ぶりっ子カマしやがって。私も同じ穴の狢なのは否定しないけれど。

 

 だが、その気の抜けた試合開始の宣言を皮切りにして試合は始まった。お笑い芸人だという酒場さんは、嵐山さんに比べれば確かに見劣りするものの、確かな筋肉がついていた。流石、日曜八時の番組で体を張り続けているだけはある。

 

「まともにやって勝てるなんて思っとらんですからね。勝ちを狙いに行きますよ!」

 

 酒場さんは姿勢を低く構えて思いっきり体重を前方へと乗せ――って、おいおい! これは柔道というよりもはやレスリングだろ!? 流石に筋肉量が並の人より多い人間の全力タックルなんて―――は?

 小気味いい音が、鳴った。

 

「...えっ?」

 

 誰かの声が、木霊した。私の声かもしれない。

 

 次の瞬間には嵐山さんが酒場さんの袖を掴んで投げ飛ばしている光景がそこにはあった。……一体、何があったというんだ?

 

 私は瞬きすらしていないというのに、事の一部始終が分からない。いや、投げ飛ばされた張本人である酒場さんも困惑している。まさか、あの一瞬でこんなにも綺麗に投げ飛ばしたとでもいうのか。だとしたらまさしく神業と呼べる絶技である。

 

 驚く暇もなく――それからは早かった。残りの芸人と、ドッキリを仕掛ける名目で来た現柔道王者も容易く伸したかと思えば、私の出番が回ってきた。最悪だ。さっき啖呵的なもの切った反面口が裂けても言えないが、こんな仕事受けなきゃよかった。オフレコでお願いします。勝手にオンレコしたら殺す。

 

「じゃあかなちゃんも挑戦してみよっか」

 

「……あ、は、はい」

 

 覚束ない返事をして畳の上に上がる。場内で対峙すると改めて実感させられる威圧感、眼の前で立ってるだけなのに足が竦む。誰がこんな悪趣味な番組考えたんだよ。死ねばいいのに。……流石に言い過ぎたけど、本音だから仕方ない。

 

「宜しく頼む」

 

「……はい」

 

 私に対しても態度は変わらず、無愛想なままだ。いや、強制するわけじゃないけどもっと歩み寄れよ。子供相手なんだから。

 

「緊張してるねぇ〜かなちゃん。じゃあいくよー! よーいどん!」

 

 お姉さんは快活にそう告げると、嵐山さんは猫背の姿勢をピンと正してお姉さんの方角に向き直った。

 

「…ちょっと待ってください。柔道では始めと言って試合を始めるのでそれでお願いできますか?」

 

 ……なんで今更? さっきは別にスルーしてたじゃないか。いまいち沸点が分からん。……いやこれそもそも怒ってるのか? その無表情で無機質な表情からは、何も読み取れない。

 

「えっ? あ、はい」

 

 お姉さんは困惑し、嵐山さんの注意を受けて少し慌てながらも姿勢を正して、胸を張った。……何カップくらいだろう。そう思っていたいくらいには、現実逃避していたかった。

 

「……『始め』ッ!」

 

 あーあ、試合が始まってしまった。私的には『終わりッ!』って言ってほしかったのだが、始まってしまった以上仕方が無い。何も、こんな少女に接戦を期待してる野蛮人は居ないだろう。そも、これはバラエティである。幼気な少女を甚振る趣味の輩は、まあ悲しいことに一定数居るのだろうが、私がそのニーズに答えてやる必要は無い。

 

「やあっ!」

 

 よちよちと歩いて、脚にしがみつき、精一杯踏ん張る姿勢だけを見せる。傍から見れば健気な子供を演じていられている筈だ。楽勝。こんな仕事は適当に力を抜いてやればいい。それよりも、これが次の仕事に繋がるのかが心配――――えっ?

 

「――がはっ!?」

 

 背中に激痛が駆け巡る。なんと嵐山さんは冷酷無比に私を投げたのだ。

 嘘だろ!? まだ中学生どころか、二分の一成人式すら迎えてない少女を投げた!?

 ……児童福祉が泣いて呆れるぞ。しかも結構痛いし。手加減はしてくれたのだろうが、その手加減の加減が分かっていない。

 

「あっ……えっと、え?」

 

 ほら、MCのお姉さんが絶句してるぞ。お姉さんだけじゃなくてその他の芸人も異常者を見る目で 嵐山さんを見ている。そりゃそうだ。こんな奴は正真正銘の異常者に他ならないのだから。それが正しい反応だ。

 

「…………」

 

 肝心の嵐山さんは何も言わない。弁解すら、謝罪すら無い。

 ――ふざけてんのか。馬鹿じゃないのか。いや馬鹿だ大馬鹿だ。綺麗に投げられたからいいものの、こちとら天才子役だぞ。……仕事がない人間を子役といっていいものかはさておき、常軌を逸している。

 どうしようもなく、腹が立ってきた。ムカついてきた。キレてきた。プッツンしそうだ。こんな仕事であれ、受けなきゃならない程に落ちぶれた自分に対して、怒りの感情しか湧いてこない。

 

「あのっ嵐山さん流石にこれは……」

 

「嵐山さん――」

 

 MCの発言を遮り嵐山さんへと声を掛ける。あいも変わらず何を考えているか分からない眼で私の事を凝視しているが、それでも少し目つきが変わったような気がする。それが驚いた表情の裏返しなら、少し気味がいいじゃないか。

 

「――もう一本、お願いします!」

 

 馬鹿め。

 私はあの有馬かなだぞ。他の人間なんて()に比べればシマウマみたいなものだ。

 

「……分かった」

 

 そう言って嵐山さんは再び私の前に立つ。

 改めて……なんでこんな馬鹿な事してんだ、私。こんなの築き上げたキャラじゃないだろ。イメージが、崩れる。怪我したらドラマに出れなくなるかも知れないのに。十秒で泣ける天才子役の名が廃ってしまうかもしれないのに。

 

「……始めッ!」

 

 なんでこんな事に一生懸命になってんだよ私は。

 ……ああ、そうだった。私――来週まで、予定無いんだった。次回も出演するためにアピールしておかなくちゃ。

 

「……」

 

 沈黙を貫きながらも構えたその時、嵐山は見た。幻覚かも知れない。だが確かに見えたのだ。有馬の眼にまるで()()のような模様が浮かんでいた事を――

 

「――さて、本日の講評です」

 

 一通り流れを終え、最後にみんなで正座をして嵐山さんの話を聞くことになった。……これは何を目的にした番組なんだ。講評とか聞きたくもないぞ。

 私はズタボロの身体でそう考えていた。結局、あれから私は投げられ続けただけだったし。……はぁ、これは次回は無理かな。あまりにも酷い絵面だったからな。仕事どっかにないかな。私は有馬かな。……これで一発芸人としてヒットできないかな。多分無理だ。

 

「えー、皆さん初心者にしてはかなり上手かったです」

 

 そしてその講評もどうせ当たり障りのないものだ。中身のない時間ほど苦痛なものはない。

 

「特に――有馬かな殿」

 

 不意に、私の名前が呼ばれた。見上げる形で視線を渡して、少し目を細めた。殿。まさかの殿呼びか。随分と古風だな。

 

「まだ子供なのに体幹の使い方や、足の運び方が卓越しているように感じました。非常に見込みがあります。このまま柔道を始めて続けたら、きっと将来は物凄い選手になると考えます」

 

「…はっ」と、その発言に私は笑うしか無かった。どうせお世辞だ。お世辞だと分かっていても――こんなにも嬉しい。今まで褒められる経験が殆どお金を稼ぐことでしか貰えなかったからかもしれない。……もし柔道を続けたら、か――

 

「はい! ありがとうございます!」

 

 ――続ける訳ねぇだろばーか!

 今後、学校の体育で柔道があっても絶対に欠席してやる。

 そう、私は心に誓った。

 ……まあ、結果から言えば、直ぐにその誓いは破られることになることを私はまだ知らない。

 

TAKE【02】━❚━━━━━━━━

 

「ちょっとあれはどういう事よ!」

 

 自分の母親が怒る瞬間というのは娘としては中々に気まずいものがある。それが、テレビ関係者となれば、ましてやお偉いさんのディレクターとなれば尚更である。

 

「ああ、事前に言ったじゃないですか。今更言われても困りますよ」

 

 そして自身の母親が軽くあしらわれている姿を見るのも結構くるものがある。母親が迷惑なマネージャー気取りとして有名な事は、娘の私でも知っているのだ。ディレクターは母親のことを軽蔑したような冷めた眼で見た後に、私を見ると目元までニコリと笑った後に大声で発言しだした。

 

「かなちゃんね、あの番組の視聴率25%超えたんだよ! これはうちのテレビ史上初の快挙だ!」

 

「……はぁ!??」

 

 びっくりしすぎて少し硬直してしまった。有名な連続朝ドラの視聴率が20%前後な事を考えると、この数値は異常だ。

 

 ていうか、家族で柔道の番組見る人がこんなに居るのかということに対しての驚きが勝つ。これは後から知ったことなのだが、嵐山さんは現役時代カルト的な人気があったそうだ。

 

 表舞台から姿を消してからというもの、その足取りが気になってるファンは多かったそうでこの結果らしい。……いや別に納得できないぞ!??

 

「それでね、嵐山さんが君さえ良ければレギュラーにどうかなって」

 

「……本当ですか?」

 

 ……自惚れと取られてしまうかもしれないが、あの嵐山さんの発言は真意であったという事だろうか。

 

「柔道なんて野蛮なスポーツ、かなにはもうやらせる訳無いでしょう!!」

 

「ああそう。かなちゃんはどうかな?」

 

 金切り声を上げる母親を無視してディレクターが私に問いかける。お母さんは私に幼少期の夢を自己投影して役者の道を進ませようとしているのだから、私が柔道の番組にレギュラーと出るのに納得できないだろう。子供とは、親の願いを一身に受け続ける無垢なる存在である。

 

「――やります」

 

「かな!??」

 

 ――私を除いて、だが。私は最早ただの子供ではない。打算まみれ演技まみれの芸能界を生き抜く理知的な天才子役だ。せっかく視聴率が25%もあるんだ。

 

 これを踏み台にして今度は天才女優として返り咲いてやろう。だからこれはそれまでの繋ぎだ。初速だけでどうせこんな番組長続きしないんだし、少なくとも私のキャリア育成にぐらいなら使わせてやるか。これを機にドラマの出演が一本でも来たら御の字だ。

 

 私は暫くご飯を食べるために、超短期間の間だけ柔道とかいうスポーツをやることにした。しかしそれは仮初の姿。芸能界でしぶとく生き残るには毒をも喰らうのだ。女の子は嘘という果実を呑み込む蛇となる。

 

 ……ところで、こんな言葉を知っているだろうか。

 『嘘から出た真』という言葉を。

 現在の私の、座右の銘だ。

 

TAKE【03】━━❚━━━━━━━

 

 結局の所、私はこの仕事を現在もズルズルと続けてしまっている。私以外のメンバーはちょくちょく変わってるのに、私と嵐山さんだけがレギュラーのままだ。

 

 いや、結果から言えばこの仕事のお陰でバラエティ番組には出ることが出来た。というか映画にも七本ほど出た。大躍進である。

 

 番組の視聴率は落ちることなく、聞いた話によると何故か少しずつ上がってるらしい。マジで何でだよ。この国は柔道に洗脳されてるだろ。

 

 私は融通の聞く私立の中学校に上がることになった。

 

 あまり授業は出ていないけど、この間、体育の先生が家に直接押しかけて「柔道の時間だけ出てくれないか」と必死に頼まれた。

 

 というかこの間の定期テストに私についての問題が出てきた。どういうことだよマジで。嘉納治五郎より崇められてるじゃないか。まあ、嬉しいけど。

 

「かな。今日は好きなだけ食べるといい」

 

 そして一昨日、私は全国中学女子の部にて優勝した。

 ……あれ、あれれ? 確かに番組以外の時間もちょくちょく嵐山さんに指導してもらってる分、自分でも強くなってる実感はあったけど、優勝かぁ。

 

 番組の徹底密着でリポートされ続けた私の試合はというと、悲しいほどに圧勝だった。

 

 この日は視聴率が32%を超えたらしい。なんなら私の決勝を見て泣いた人が続出したらしい。もう日本は終わりだよ。いや、柔道がこんだけ人気ということは寧ろ始まりかもしれない。……日本帝國の。

 

「私、今減量中なんですけど」

 

「遠慮することは無い。いつもご飯を作りに来てくれる礼だ」

 

 眼の前に出されたのは恐らくデリバリーしたであろう食べ物。満漢全席にピザに唐揚げに七面鳥に餅に鍋にローストチキンに寿司にパエリアに――ああもう疲れた。数えるのやめよう。というか満漢全席だけで良くないか。四つの漢字で表すには量が多すぎる。

 

「こんなに食べられませんよ」

 

「残してもいい。私の友達が食べに来る」

 

「友達を残飯処理に使うのね……」

 

「仕方ないだろう。かなの好みが分からなかったのだ」

 

 因みに私はテレビだと有馬かな殿か貴殿と呼ばれているが、プライベートだと『かな』と呼び捨てにされている。これがラブコメだったら垂涎ものだが、ちっとも私はそんな感情は沸かない。

 

 ……いや、一時の気の迷いでかっこいいと思ったことはあるが、断じて恋などではない。

 そもそもこんな髭面のおっさんに恋とかあり得ない。ご飯を作っていたのも家にお邪魔した時に、あまりにも食生活が偏っているからたまに作り置きしているだけだ。

 

 というか良くあの食生活でこんなに筋肉がついたものだ。

 

 ……筋肉、か。ジム通いしても簡単に筋肉はつかないと言われてはいるけど……私、少し腹筋割れてきてないか?

 

 ……いやいやいや、そんな事は無いな。よし、今日はどか食いしよう!

 

「かな、柔道を続けていてどうだ」

 

 ……やっぱりこんな髭面と恋愛はあり得ないな。

 嵐山さんの眼は、優しかった時のお父さんに少し似ているから。私は娘のような感覚なのかもしれないなと思う。

 

「まぁ、このお陰で仕事貰えているから文句は無いけど。……最近は、柔道も楽しいし」

 

「そうか」

 

 嵐山さんは少し笑った後に、語りだした。

 

「実は、テレビに出たのは気の迷いでな。テレビに出れば探し人が見つかるかと思ったのだ。故に直ぐに辞めるつもりであった」

 

「――――」

 

 ま、そうだろうな。この人のことだ。心のなかでは妙に納得していた。因みに私が今何も喋らなかったのは、決して驚嘆したのではなく、単純に足が早いお寿司を口に詰め込んでいたからである。美味しい。特にエビは尊い。推しだ。本日のイチオシでもある。

 

「しかし、君という才能の原石を見つけてしまったら、磨く以外に選択肢は無かった」

 

「……そーですか。その言葉、素直に嬉しいですよ」

 

 酢飯をコーラで流し込んで、そう告げた。食い合わせはかなり微妙だ。

 

「でもですね嵐山さん……投げ技以外私に教えてくれないのはどういう了見よ!?」

 

 そう、この男。

 投げ技以外に技を教えてくれないのだ。

 本当に柔道家か?

 

「かなは投げ技の才能が抜きん出ている。よって他の技は蛇足になるだろう」

 

 確かに、嵐山さんが試合で投げ技以外を使っている所は見たことがない。でもそれって嵐山さんがそれ以外教えられないんじゃ……まあこの話はやめておこう。嵐山さんの事だ。何か考えがあってのことだろう。手に持ったマグロを見て、寿司屋の教えを思い出す。嵐山さんが最初の十年は投げ技だけ。って思ってたら面白いな。

 

「……」

 

 無心で飯をかき込む嵐山さんを見ると、本当にちゃんと考えてんのかなこの髭面と思う。言い淀んでいた様子の嵐山さんは改めて此方を向き、慣れない笑顔を私に作った。

 

「……改めて、優勝、おめでとう。かな」

 

「――はい! 師匠!」

 

 それはどちらも演技ではない、本当の笑顔だった。

 

 その後、限界まで頑張ったが到底食べ尽くせない量を残した私ははち切れそうなお腹でタクシーに乗り帰宅した。嵐山はそんな有馬を見送り、微笑ましく口角を上げていた。

 

 その後、慣れない手つきでスマホを操作し、とある人物に電話をかける。

 

「……もしもし。ロロンか? 今から彼奴等を連れて私の道場に来れるか? 美味しい食事を振る舞いたいのだが」

 

「『無論、お前の頼みならいけるが……お前、最近少し変わったか?』」

 

「……む、そうだろうか。自分ではそういった実感は沸かないのだが」

 

「『ああ、最近のお前はどうもイキイキとして――――勿論、中華料理は用意してあるネ?』」

 

 切り替わった声色に、嵐山は少し懐かしさを覚えた。

 

「……ああ、満漢全席を用意して待っている」

 

 かくして嵐山の夜は、もう少し長く続いたのであった。

 

TAKE【04】━━━❚━━━━━━

 

 陽東高校。日本でも数少ない芸能科がある所だ。現在私は二年生。

 他に選択肢はあった、寧ろ豊富であったとも言える。なんやかんやで全国三連覇した私には柔道関連の推薦が日本の殆どの強豪校から来ていたが、丁重にお断りさせてもらった。私はあくまでも芸人だぞ。

 

 …違った、女優だぞ。ただでさえこの間柔道のせいで耳が潰れかけているのを手術したというのに自ら芸人になろうとしてどうする。

 

 私は偉大なる女優の道を歩むのだ。

 

 ……因みに去年、一般科の柔道部の強い要望で仕方なく大会に出場して、見事全国大会で優勝を果たした。果たしてしまった。

 

 ……階級? 言うわけ無いだろ。私は女子だぞ。

 

「…………」

 

 因みに学校に来るのは久しぶりだ。今日来たのは単なる気まぐれで、理由としてはやっぱりJKは青春を満喫してなんぼだからだ。それに、SNSのネタにもなる。……と思ってたのだが、何故か私が廊下を歩くと皆が道を開けていく。……おいおい、これはレッドカーペット代わりか? 参ったなぁ、高校に通学したと思ったらハリウッドに来ちゃったみたいだ。……コウメ太夫でもこんなギャグしねぇよバカヤロー。

 

「(おいあれってもしかして……)」

「(ああ、間違いない。死馬(デスホース)の有馬だ)」

「(あの大会のダークホースと呼ばれてた八雲を十秒で倒したあの有馬だよな。なんでこんな所に……?)」

「(しっ。聞こえるぞ)」

 

 聞こえてるわ。投げ飛ばすぞ。というかなんでって逆に何でだよ。去年受験して合格したからに決まってるだろうが。

 モーセのように割れていく人の波には、取り残された二人の美形兄妹がいた。

 

「それにしてもアクアは――ってうん?」

 

 ……うん? アクア? そういえばそんな特徴的な名前をした人に聞き覚えが――

 

「あっ! 有馬(じゅうそう)ちゃんだ! もしかして同じ高校なの? てか先輩? やばー!」

 

 金髪の兄妹の推定妹の方が目を輝かせて私を呼んでいた。……あれ、本当に呼ばれたの私だよな? なんか酸性汚れを中和する物質の名前で呼ばれた気がする。……いや、でもな。私以外の人は廊下の隅っこに居るしな。私以外に居ないよな。

 

「(おいおい、あの受験生死んだわ)」

 

 殺さねぇよ。お前から殺すぞ。

 

「……貴女、受験生の子?」

 

「……おい、有馬さんだろ。じゅうそうちゃんって何だ」

 

 私も知りたい。じゅうそうって、あの重曹? 風呂掃除とか料理とかスライム作りとかに使われるあの重曹か? どういう事だよ。もしかして陰口的なあだ名なのか? ……だとしたら、どんなネーミングセンスだ。

 

「共演した事あるのに知らないとかマジ非常識なんだけど! 柔道無双ちゃん。略して柔双ちゃんだよ!」

 

 ――そうか。星野アクアか。兄の方はかつてあの不気味な演技で私のプライドを粉々に砕いた星野アクアか。ようやく思い出した。これも全部柔道で記憶が飛んだせいだ。……てか待て待て待て!? 柔双ちゃん!?? そんなあだ名知らないぞ!?

 

「他にも沢山あるよ! 死馬(デスホース)とか人間砲丸とか破壊者(デストロイヤー)とかね。ニュースとかでもやってたし」

 

「えぇ……」

 

 アクアが困惑の声を上げるが……いや私が一番困惑してるんだが。どれも初耳だぞ。マスコミはまず私にこれを報道しろよ。報道しない自由は個人に適応しちゃ不味いだろ。

 

「あっ、でも一番有名なのはやっぱりこれかも――『十秒で泣かす天才子役』!」

 

「なんか不名誉じゃない!??」

 

「えー。そんな事無いですよ。八雲さんが十秒で敗けて泣いたことから起因してつけられたあだ名ですし。勝者の名誉ある称号です」

 

 さっきから八雲って誰だよ。多分私が倒した人なんだろうけど。ずっと敗けたこと語り継がれるの可哀想過ぎないか。にしてもヤンキーマンガの噛ませ犬みたいな通り名だな。そもそも今の私は子役なのか? 天才なのは敢えて否定しないけど。

 

 ……後、この妹の方滅茶苦茶さっきから私の腕を揉んでくる。痴漢で訴えたい。

 

「筋肉すごー!」

 

 投げるぞ。地味に私が気にしてる事をズケズケと大声で晒すな。

 

「この間もコメント欄で悟空とサイタマどっちが強いかレスバしてるの見たんですけど、最終的に勝者は惑星を投げられる柔双ちゃんになってました!」

 

「私ってそんな吉田沙保里みたいな扱い受けてるの!? てか柔双ちゃん呼びやめて?」

 

「……ほんとすいません。ウチの妹が」

 

「もーお兄ちゃんもいい加減にシスコン卒業してよ!」

 

 アクアが深々と謝罪するのを見たルビーは頬を膨らませて、アクアの過保護ぶりに腹を立てていた。仲睦まじいな。昔共演した仲良しで有名な姉妹は楽屋では一言も喋ってなかったというのに。

 

「…………ま、いいわ。貴女がルビーで、貴方がアクア、よね? ふふん、いいじゃない! ここに来たってことは演技続けてるんでしょ?」

 

「いや普通科受けたけど」

 

「何で!???」

 

 本当に何でだ。せっかく共演出来ると思ったのに……イケメン兄妹とか話題性の塊なのに……私を柔道キャラから開放する足がかりになったかもしれないのに……。

 

「ほら、お兄ちゃんシスコンだからさ」

 

「……えっ、きも」

 

 もしかして妹の為にわざわざ同じ高校を受けたのかコイツ。シスコンだからの一言で言い表せる兄って嫌だな……。

 

 結局、そんなファーストコンタクトを得て私はこの兄妹と深い関わりを持っていく事になった。その間、色々な事があったがそれは諸々割愛しよう。

 

 とはいっても、予定が入ってない時は一緒にご飯を食べに行く程度の仲である。たった高校三年間で縁は切れる相手だと思っていたことは否めない。

 

 この兄妹の妹の方に人生を変えられるだなんて、子役時代の私が見たらどう思っただろうか。

 

TAKE【05】━━━━❚━━━━━

 

 私の人生に興味がある人が居るかどうかはさておき、私ほど奇妙な芸能生活を送ってきた人はおるまい。今の私は、贔屓目に見ても人気女優と言わざるを得ない。自惚れでは無く、柔道に芸能人生を変えられた人間など私くらいではないか。

 

 一年前、『柔道of右往左往』という番組が終了した。その理由は悲しい事に視聴率の低迷からきた結果では無く、嵐山さんからの申し出で終わることになった。なんでも、他に専念したい事が出来たそうである。最終回の視聴率は40%。私個人としては、この番組を見なかった60%の人達に敬意を払いたい所存だ。ディレクターは私個人で第二部をやってみないかと言われたが、嵐山さんがいないこの番組に価値は無いと回答した。

 

 そこから時は少し進み、八ヶ月前の事。

 月に一度ある私と嵐山さんの本気の試合。

 私は――嵐山さんに一本を取った。取って、しまった。

 完全に勝利した訳でも無い、只の一度の一本を私は喜べなかった。

 敗けたというのに嵐山さんは笑っていた。

 私は、笑えなかった。

 

 それから三日間、私を連れて嵐山さんは色々な所を回った。辺境の美味しいレストランとか、海を一望できる高台とか。嵐山さんにしては、まあ、乙女心を分かってるんじゃないかと褒めてやりたかった。私が強調したいのは『()()()』である。

 

 なんとこの髭面、私を裏格闘技場に連れて行きやがった。女の子を格闘施設に連れて行く奴がどこに居るよ。しかも裏。表でもどうかとは思うけど。施設の名前は確か――――『戦乙女(ヴァルキュリア)』。

 ――――しかも、私は選手側だ。

 

「かなちゃん頑張れ〜!!」

 

 妙に聞いたことのある黄色い声援を受けて試合場に立った時は、緊張で頭がおかしくなりそうだった。てかなんでいんだよアイツ。本名を晒すのは忍びないので、ブラックリバーあかねとでもぼかしておこう。

 あぁ、試合の内容は思い出したくもないぞ。

 私が闘う相手は嵐山さんから聞く所によると私と同じ女子高生らしい。

 名前は確か――“革命姫”『本郷姫奈』。

 

『んー? おかしいな? 触っただけで投げ飛ばされちゃうのなんて初めてです』

 

『かなちゃんは私が今まで闘った中で一番“速い”ですね☆』

 

『楽しい。楽しいなぁ。楽しいねかなちゃん。まだ死んじゃイヤですよ☆』

 

『……あは☆ まさか私が挑戦者側になるとは☆』

 

『うん……うん! かなちゃんにだったら使っても大丈夫だよね☆』

 

 ――少女の蜜月の時間に対しても時間というのは残酷なもので、いつかは終わりが来る。

 結論から述べるとすれば――勝者は、有馬かなだった。

 

「――終幕の時間よ、姫奈。もう演り飽きたわ」

 

 ――無数の星屑を集めた蹄鉄のような模様を眼に宿した有馬かなによる完璧な巴投げによって勝敗は決した。勝ったにも関わらず、しかし有馬かながその出来事を思い出したくないのは偏に実戦の恐怖を思い知ったからである。

 

 只の女子高生があのレベルの実力とか怖すぎる。手強すぎる、と。…だが、有馬かなは、本郷姫奈が『戦乙女(ヴァルキュリア)』において最強格の選手である事を知らない。

 

「……嵐山さん? これはどういう事か説明できる?」

 

 急に戦わされた私は顔に青筋を立て、丁寧な敬語口調で嵐山さんに詰め寄る。あれから大変だった。『戦乙女(ヴァルキュリア)』のオーナーに猛烈なアプローチを受けたり、本郷姫奈に追いかけ回されたりした。私は気が狂いそうなほど大変だったというのに。こんな時でも、相変わらずの無表情に苛立ちそうになる。

 

 しかもちゃんと私の柔道着を持ってくるという用意周到ぶりだ。オーダーメイドで仕立てたから結構値が張るらしい。ありがたいが、ありがたいけども、なんで私のスリーサイズ知ってんだこの髭面。

 

 嵐山さんは、公園のベンチに腰掛けながら、髭を少し触った。嵐山さんは口を開き、私が聞きたくない言葉を綴った。

 

「――私は、暫く修行に励もうと思う」

 

「……そう。嵐山さんなら、まあそう言うと思ってたわ」

 

 この三日間の旅はまるで、嵐山さん自身の為の旅のようにも思えた。

 決別するための、助走とも。

 

「人間いつかは別れが来るものね」

 

 涙は、流したくない。

 番組に出ることになってからは、親より一緒に居た時間が長いのだ。嵐山さんは私の師匠であると共に憧れの人でもあった。しかし人間とは出会いと別れを繰り返さずには前には進めない生き物である。難儀なことに、『別れ』と別れる事は出来ない。生き別れ。生きながらも、別れていくしか無いのだ。

 

「ご飯はちゃんと食べなさい。洗濯物はちゃんと畳むのよ」

 

 何だよ私。これじゃお母さんみたいだ。

 実際の所、母親っぽい活動はそこそこしたけど、本当に学ばせてもらったのは私の方だというのに。

 

「山籠りをする予定だ」

 

 この人は本気で自分を追い込む気だ。ストイックが留まることを知らない。そんな人だからこそ、憧れたのかもしれない。

 …………私が、弱くしたのかもしれない。

 

「そう。じゃあ尚更怪しいきのことか食べちゃ駄目よ。動物とかの血抜きとかしっかりしなさいよ」

 

 言いたくないな。でも、言わなきゃな。

 柔道とは礼に始まり礼に終わるスポーツだから。

 『尽己竢成(おのれをつくしてなるをまつ)』。かの嘉納治五郎の格言だ。意味は、自身の全力を尽くして成功に期待べきであるという言葉。私も尽くさねばならない。全力は勿論、筆舌にも尽くすべきだ。

 

 呼吸が肺をいややかに満たす。演技なんてせずとも、私はちゃんと言える筈だ。

 本音を、晒せ。

 

「行ってらっしゃい――師匠」

 

「……ああ。行ってくる」

 

 この日を最後に、嵐山十郎太は姿を消した。私は未だに、あの日の背中を追い続けている。

 

TAKE【06】━━━━━❚━━━━

 

 

「有馬かなさん――私と一緒にアイドルをやってくれませんか?」

 

 アイドル。

 それは、夢を与える職業だ。

 I doll。

 それは、偶像崇拝であり、人形に徹する事を意味する。

 愛$。

 それは、お金を何よりも愛する拝金主義の事だ。

 

「……ふぅん。何かと思えば、そんな事ね。じゃ、私帰るわ」

 

 アイドル。

 総じて、私には関係のないことである。

 馬鹿かこの子。アイドルのユニットをわざわざ芸能科のある高校で募集するかよ普通。ここに居る人間は何かしらの事務所に属しているのだから、アイドル活動に精を出す暇は無いということは馬鹿でも分かりそうな事だ。

 

 私は有馬だけど。……これで一発芸人になるのは……っていやこれ前にもやったな。

 

「待ってください!」

 

「待たないわよ。勝手にやってなさいな」

 

「有馬」

 

 私が席を立とうとすると、此処に呼び出した張本人でもある星野アクアが私の事を呼び止めた。というか私も忙しい中、わざわざ時間を作ってるというのに不躾である。……別に、面の良いイケメンと遊べるかも、なんて淡い期待を抱いていたわけでは無いが妹の方の案件がメインとは想定外だ。

 

「頼む、有馬かな。妹と一緒にアイドルやってくれないか」

 

 膝をついて、上目遣いで私の事をじっと見つめる星野アクア。そのポーズも一級のイケメンがすれば様になる。

 

「……無理よ。私、こんなに筋肉ついちゃってるし。そんなに可愛くないし……」

 

「いや、有馬は可愛いだろ」

 

「……ふぇ!?」

 

 無自覚なのか、星野アクアはそんな事を平然に、判然に、率直に言い放つ。恥知らずかこいつ。しかし悔しいことに女の子には効果覿面だ。

 

「スラッとついた筋肉はスタイルの良さが押し出されてるし、それに対しての童顔はギャップがあって可愛いぞ。有馬だったら、妹を預けられると思うし、有馬より信頼できる奴は居ないと断言できる」

 

「〜〜〜〜ッ!!!!???」

 

 ここで追い打ちとかヤバすぎる、完全に私を堕とす気だこの男。そして恥ずかしいことに私も堕とされても構わないと思ってしまっている。流石に殺し文句にも程があるな。こんなの殆どの女の子は敗けてしまうだろうに。

 

「えっと……じゃあ、エスコートしてくれますか?」

 

 立ち上がり、眼の前に跪くアクアに手を差し伸べる。恋する乙女のように、心に纏う全てを脱ぎ捨てて、無垢な少女に変貌する。

 私は敗けたのだ。魔性の男に。

 

「ああ。勿論――――え?」

 

 ――アクアに有馬の指先が触れた刹那――星野アクアは人生で初、宙を舞った。

 私が投げたからだ。私がこんな色男に敗ける訳無いだろ。公式戦無敗だぞ、私は。色欲どころか七つの大罪全てをひっくるめて投げてやるつもりだ。

 

「アクアが投げ飛ばされた〜!?? あ、あの姿勢からどうやって!??」

 

「……痛ってぇ」

 

 ――地面に打ち付けられたアクアは空ではなく覗き込む有馬の顔がよく見えた。手加減されたのだろうが、それでも痛いものは痛かった。投げられる時にスカートも捲れて……いや、やめておこう。因みにスパッツだった。有馬はそれに気づいてか否か、アクアを見下して侮蔑するように吐き捨てる。

 

「アクア。貴方からは演技(嘘つき)の匂いがするわ。この業界が長いとそういうの分かっちゃうのよね」

 

「俺は、嘘なんて……」

 

 ――アクアは弁解するように、そう告げようとした。嘘つきのレッテルを張られることほど不名誉な事はこの世にない。

 

「いや、私への褒め言葉は嬉しいことに本音のようだけど。そうじゃなくて、その表情()は誰にも明かせない嘘にずっと苦しめられてるって顔よ」

 

「…………」

 

「……アクア?」

 

 ――何も喋らないアクアを見てルビーは心配するように声をかけた。

 ――お兄ちゃん。アクア。と星野アクアに対する固有名詞が定まらない星野ルビーではあるが、血を分けた双子であるアクアがこんな気難しそうな顔をしているのが純粋に、ルビーにとっては新鮮であった。

 

「…図星ね、まあいいわ。私は負けず嫌いなのよ。意趣返しは出来たけど、思えばアクアに演技で敗北を喫してから私の仕事は減って、挙句の果てに柔道の番組をやる羽目になったのよね。……だったらこんなもんじゃ済まないわ」

 

 ――アクアにジリジリと詰め寄った有馬に少し怯えた様子を見せたアクアではあるが、有馬が近寄ったのはなんとルビーの方だった。

 

「いいわ――アイドル、やってあげるわよ」

 

 私がそう言うと、ルビーはミニガンを喰らった鳩のように驚いて私を凝視した。おお、表情豊かだな、この子。リアクションが見てて面白い人というのは貴重だ。

 

「……えっ!? でも誘っておいて何だけど仕事の都合とか……」

 

「入って欲しいのか欲しくないのかどっちよ。これからの新規の仕事は全部キャンセルするわ。こう見えても私、億り人だから」

 

「億って……!??」

 

 そうだ、恐れ慄け。有馬かなはハイパー高額納税者である。私生活で使う暇がなくて余ったお金で適当に投資してたら貯金の額が限界突破していた。

 

「喜びなさい。この有馬かなが、B小町に入ってあげるわ」

 

「やった〜〜!!! 良くわからないけどお兄ちゃんが投げられたお陰でかなちゃんが入ってくれた!」

 

 ……ルビーからしたらそういう見方か。流石に女優に柔道にアイドルはハードスケジュールだからな。二足の草鞋どころではない。だから、女優と()()の仕事はキャンセルだ。一意専心を貫く。……どっちみち、嵐山さんはもういないのだから。

 

「……ありがとう、有馬」

 

「……ま、あんたの驚く顔が見たかっただけよ。これで、ようやくあの日の借りは返せたわ」

 

 アクアには恨み以上に、借りがある。今後の人生全てを捧げても返しきれない程の借りがあるのだ。それを今、一括返済した。私のキャリアを新興のアイドル事務所に全ベッドすることで、プラマイゼロだ。

 

「……借り?」

 

「ああ――柔道を始めさせてくれたお礼よ」

 

 なんやかんやあったが、今の私が形作られた要因は間違いなく柔道だ。それだけは否定したくない。

 

TAKE【07】━━━━━━❚━━━

 

 死中に活を求む。

 私はそうは思わない。人は争わずとも幸せを掴めるのだから、死中でなくとも活はあるのだ。

 しかし、人間には時として争わねばならない日が来る。

 

 前提として、武術とは殺しのために用いられる物だ。今でこそ、スポーツとして大きく普及してはいるが、武術とは元来そういうものだ。だからこそ、私は柔術を人を護る為に振るいたい。私の背中で、人を奮わせたい。

 

 あれから月日は流れ、明後日に東京ドームで公演を控えた私は、今日は身体を休める休暇である事を知りながらも三つの県境にある倉庫に来ていた。人の気配を全く感じさせない、閑散とした場所だ。

 

 此処は――――カミキヒカルの根城だ。カミキヒカルは、私達の命を狙っている。

 

 そこに私は単身一人で乗り込もうとしていた。

 命知らずな行為だとは自分でも思うし、警察に通報すれば良いのは分かっている。だが、警察に通報するには情報が曖昧な上に、私達の公演が大きく遠のく事可能性がある。

 

 何より、ファンはせっかくその日のために時間を作ったのだから、次の公演に来れない可能性を鑑みれば、私が決着を着けに行く他ないのではないか。

 

 なんて、御託を並べてみたものの、結局は我儘な私の独りよがりに他ならない。公演までにルビーに知られずに、安全にライブを終えたい私の我儘だ。

 

 因みに情報源は、嵐山さん繋がりで得た“裏”の情報屋だ。

 

 情報を仕入れて私がなにより許せないのは、ルビーの母親である星野アイと同様にルビーの命を奪おうとしている所だ。星野アイに子供がいる、それだけでも驚愕の真実だが、なんとルビーとアクアはカミキヒカルと星野アイの子供らしい。

 

 ……つまりは自分の子供を殺害しようと目論んでいたわけだ。下衆が。反吐が出る。いや、文字通り反吐を吐かせてやる。

 

 私は何トンかはありそうな鋼鉄で閉じられたドアを無理やりこじ開けて、一步踏み出した。

 

「……やぁ。これは予想外のお客さんだ。今日は何の用かな?」

 

 胡散臭い笑顔を携えた男が、そこにはいた。ガラクタの山の頂上に優雅に腰掛けて、ただただ笑っていた。この男が、カミキヒカル。

 

 カミキヒカルの他にも武装した人間が五十人を優に超えるほど存在している。男女比はおおよそ半分くらいだろうか。どうやってテロを起こすつもりかは分からないが、人海戦術にかまけて集団殺人でもするつもりか? まったく、日常離れし過ぎていてディストピア映画のエキストラでも見てる気分だ。

 

 私はジャケットを脱ぎ捨てて、柔道着の姿で面と向かった。

 何の用かな――だと? 笑わせる。

 それは私の鉄板ギャグだ。

 

「有馬かな――貴方達に天誅を下しに演ってきた者よ」

 

「へぇ。それは結構な事だね。かっこいいよ。でも――この人数相手に?」

 

 ぞろぞろと武装した傭兵崩れが私の前へと立ち塞がる。無双ゲームを想起させる光景ではあるが、この中の何人かは確実に猛者だ。たかが雑魚相手と、高を括れない。

 

「君は知らないようだけど、多勢に無勢って言葉がこの世にはあるんだよ。どんな武術の達人も、現実では簡単に死んじゃうんだ」

 

「あら、あんたこそ知らないみたいね。この世には一騎当千って言葉があるのよ。ま、覚えなくても別にいいわ。直ぐにあの世に行くんだから」

 

「あはは……元気だね。――やれ」

 

 カミキの合図を待たずに、真っ先に名をあげようと先走る者がいた

 

「うらぁ!!――あっ」

 

 メリケンサックを嵌めた大男が我先にと勢いよく私目掛けて殴りかかってくる。しかし愚鈍だ。止まってすら見える拳を容易く避けて襟を鷲掴みして遠くへと投げ捨てる。

 

 大男の襲撃を皮切りにして、大勢のならず者が私の命を狙おうと武器を握り締めて向かってくる。多勢に無勢か。ならその言葉ごとひっくり返して一本にしてやろう。

 

「一番槍、覚悟!」

 

「あなたそれ薙刀よ。しかも二番目だし」

 

 薙刀を持った細身の男の突きを、首を捻って最小限の動きで躱す。距離を素早く詰めて、袴の裾を握り、逆方向に足のふくらはぎ同士を引っ掛けて宙へと舞わせる。細身の男は頭から墜落し、気絶した。

 

「ふッ!」

 

 それでも数の多さとは有利さに直結する。ムエタイ。ブラジリアン柔術。バリツ。フルコンタクト空手。相撲。ボクシング。タイ捨流剣術。夢想神伝流居合術――これ以上上げてもキリがない。とにかく、私はこの達人達に勝たねばならないのだ。触れれば、投げられる。摩擦が存在すれば私は柔道家で居られるのだ。

 

「なんだこの女ァ! 化物かよ!」

 

「ひぃっ! 触っただけで飛ばされちまうよぉ!」

 

「有馬様、我が万生館合気道を―」

 

「――邪魔」

 

 眼の前に立ちはだかる男の髪を掴んで地面へと叩きつける。ブチブチッと嫌な音がした。残念なことにもう生えてこないだろう。南無三。

 

「...じゃ、後は頑張ってね」

 

「ッ!待てカミキ!」

 

 カミキヒカルは一瞬でも自分が投げられる未来を想像したのか足早に倉庫の裏口から逃げ出ていった。女の子と真正面から戦う勇気すらもないとかどんだけ姑息で弱虫なんだ。――その怒りが、熱が周囲を見えなくしていた。

 

「てめぇさっきは良くも俺様のことを投げてくれたよなぁ?」

 

 ――ミスった、失敗した……! カミキに気を取られたせいで、一番最初に投げた大男が私の背後に居る事に気づけなかった。いや、大丈夫だ。触れた瞬間に“振り”の応用で投げることくらい出来るはずだ。此処でミスる訳には――ッ!

 

 背後で――炸裂音が響いた。地面を揺らすような、大地を轟かせるような、地球を回すような、そんな音だ。この有馬かながこの世界で最も好ましいと思える音でもある。この音は聞き慣れすぎている。

 

 この柔道の場内より狭い世界において、地面と私だけがその音をキスでもしそうな程の距離で聞いていたのだから。こんな音を出せる人間を、私はこの生涯において一人しか知らない。

 私は彼が居ると信じて、後ろを振り向いた。 

 

「――助太刀に参った」

 

「……はっ」

 

 あの時、始めて私が褒められた時と同じ、乾いた笑いが出た。感動の再開、と銘打つにはあまりに早すぎる。いや、そんな事はないな。女の子がこんなにも体を張ってるんだから、寧ろ遅すぎるというものだ。

 

「もう、もっと早く来てくださいよ――師匠」

 

「……ああ、すまない」 

 

 巷では私が柔道無双なる異名で呼ばれているらしいが、それでも私は真の強さを持つ者を知っている。

 ずっと目指し続けた最強を、知り尽くしている。

 その名は――嵐山十郎太。

 

「こいつも化け物かよぉ!?」

 

「囲め! 柔道は対一の武術、一斉攻撃には対応できないはずだ!」

 

 四方八方から飛び出した荒くれ者たちは呼吸を合わせて、一斉に襲いかかる。しかし呆れたものだ。この期に及んで、まだ嵐山さんを並の武闘家と混同してるとは。嵐山さんは、力量を示すかのように()()()()()

 

 武器や素手を問わず、嵐山さんに触れた全ての物体がその勢いを失い、強制的に力のベクトルを変更させられる。……凄い。柔術にそんな境地があったとは。人がまるでロケットのように打ち上げられていく。

 

「何が柔道だ! 馬鹿はあの世で稽古でもしてろや!」

 

 目を瞑っている今がチャンスと思ったのか、棒術を扱うであろう気性の荒い女性が姿勢を低く屈み、突貫の予備動作を終える。

 

 地面を蹴り上げ、獲物を刈り取らんと駆け出そうとした瞬間――視界の隅に『()()()()()』が駆け巡った。女性の顔面を弾丸のような拳が打ち砕き、鈍い音と女性の喉から漏れた声だけが響いた。相手の初速を一方的に潰せる程の思考と脚力の“速さ”に、その蝶にも見える可憐な後ろ姿を私はまたもや、一人しか知らないのであった。

 

「――こんな面白い事をしてるなら呼んでよ。かなちゃん☆」

 

 “革命姫”本郷姫奈。

 制服姿の彼女が、そこには居た。

 姫奈もまた、“星の眼”を有す人間である。

 有馬の中での最強が嵐山十郎太ならば、最凶の称号は彼女にこそ相応しい。

 頼もしい。こんな状況では本当に頼もしいのだが……。

 

「……何で居るのよ。はっ! まさか嵐山さんが呼んで……!?」

 

「…………?」

 

 あ、なんか駄目そうだぞ。この髭面がJKに対して助けを呼べる訳が無かった。

 

「町中で偶然かなちゃんが見えたから追い掛けてきちゃった☆」

 

「えぇ……」

 

 ナチュラルなストーカー行為である。このお嬢様は学校の授業も放りだして友達のストーキングをするつもりか? 姫奈の事だから、ここで助ける代わりに何か条件をつけてきそうな気もする。

 

「ねぇかなちゃん。私も力を貸すから『戦乙女(ヴァルキュリア)』に加入してくれないかな?」

 

「……えー」

 

 案の定無理なお願いだった。少なくともここでする話ではない。それに、闘技場であんな思いするのは二度とゴメンだ……とは別に思ってないんだよなぁ。ただ、表の世界でアイドル、裏の世界ではファイターっていうのはかなり惹かれる設定ではあるけれど、顔面の傷とかついたら大問題だしなぁ。

 

「じゃあもう一回だけ試合をやろうよ☆」

 

 ……あ、絶対最初からこれが狙いだろ。最初に高いハードルを提示して、その後に自分の望む所まで下げる技法をドアインザフェイスというらしい。でも、助力をしてくれるんだ。これくらいは返すのが礼儀か。

 

「ま、まぁそれくらいなら……」

 

「やった!」

 

 ……気を取り直して、この二人が味方という事実だけで頼もしい。しかし、それでも敵の軍勢は大群と言わざるを得ない。

 

 一人一人が戦術級の私達三人だったら多分、簡単に倒せる。しかしそれはそれとして、時間がかかってしまう事は明白だ。

 

 カミキヒカルが逃げるには十分な時間を与えてしまう事になる。考えろ。この二人だけに此処を任せる訳には――――

 

「てめぇ何を――ぶげぇ!!」

 

 ――――腰が曲がったお婆さんが、屈強な男を10m程殴り飛ばした。見た目に反して凄い怪力だ……っていやいや、そうじゃなくて、私が驚いたのはそこではなく、あのお婆さんは乱入者ではなく、敵軍の一人ということだ。

 

 テロ組織に老人が居るというのは遠目に見てもその光景は異常であったし、老体とは思えない程の強者の風格がありながらも攻めてこないのが不思議ではあったが。

 

 ……えっ? 仲間割れ? この状況で?

 

 お婆さんはこちらを向いて、自身の皮を摘んで――()()()()()

 

 ……あ、もういいや。なんか分かったわ。

 バキバキバキッと木の幹が折れる音にも似た音が倉庫に反響する。皮は完全に裂かれ、脱皮を終え羽化して飛び立つが如く、蝶はそのベールを脱ぐ。骨の音が鳴り響き、それは斯くして実像を結ぶ。

 

 老人程の背丈から――女子高生が花開いた。

 役者としては自身を遥かに超えうる才能を有する女性。彼女もまた、有馬と同じ“天才”である。演技(酸い)演技(甘い)も知り尽くした彼女に神は二物以上を与え続けた。そんな彼女の得意分野は変装、成り切りだ。

 

 ここまでの精度を誇る女性を、私は一人しか知らない。というか何人もいてたまるかよこんな奴。

 

「――私はあかね」

 

 天真爛漫な笑みで、良く見知った顔がそこに立っていた。良く言えば私の熱狂的なファンではあるが、そのオブラートを葬ってしまえば単なるストーカーだ。熱狂的な? いや狂信的だ。

 

「――黒川あかねだよ!」

 

「…………何であかねがここに居るのよ」

 

「私かなちゃんの事なら何でも知ってるからね!」

 

 怖いよ。なんなんだよこいつ。私が事前に来る事が分かっていて変装してたっていうのか? てかこれ変装って言って良いのか? 骨格ごと変化してるんだけど。私って体内にGPS埋め込まれてるのかな……。

 

 私と黒川あかねの関係に対する説明は簡潔に終わらせよう。そんなに長引かせたいものでも無い。そもそも、黒川あかねは天才子役と名高い同年代の私の演技に対してちょっとした憧れを持っていた可愛い少女であった。

 

 しかし黒川あかねに纏わりつくストーカーを私が一瞬にして投げ飛ばしてから、異常に懐かれた。懐かれてしまった。寧ろコイツが私のストーカーになってしまった。ミイラ取りがミイラ専門の異常性欲者になってしまった。

 

 黒川あかねの頭のイカレ具合に関するエピソードについては事欠かないが、一部抜粋してお届けしよう。

 

 まず、私が務めてるラジオ番組に乱入してくる。

 ドラマの撮影で私がキスをすることになったら、テレビ局に抗議文を山程送り、結果的に原作者が悪ノリしてあかねと私がキスすることになる。

 私が出演した作品のレビュー操作。

 私に対する誹謗中傷のアンチコメントに対する粘着行為。

 高級ブランドのベレー帽を自宅に送りつけてくる。

 私の住居に侵入して勝手に作り置きをする。

 出待ち。私とのインスタでの匂わせ。

 急遽決まった私の裏格闘技の試合に何故か観客として参加している。etc。

 

 ぶっちゃけ、私が訴えてないだけの異常者だ。しかし何故だろう。訴えてもあかねを言い負かせる気がしない。悪い所ばかり言ってしまったので、良いところも言って中和しよう。

 

 私は重曹だからね。あかねの良い所は私が本当に嫌がる一線は踏み越えない所だ。……あれ、本当にそうかな。ライン超えを連発してる気がする。

 

 あかねは最狂の称号を与えよう。頂点三人衆(トップ・スリー)揃い踏みだ。

 

「あかね、流石のあんたでも危ないわよ」

 

 こんな変態ではあるが、同時に私の大切な友達でもあるのだ。争いの中に身を投じさせるのは流石に罪悪感に駆られる。黒川あかねはシャドーボクシングの真似事を口で「しゅっ、しゅっ」と言いながら此方を向いてドヤ顔をした。

 

「大丈夫。私は幻の拳法“暴殺拳”が使えるからね」

 

「何その物騒な拳法!??」

 

「お墨付きを頂いてるよ」

 

「誰からよ!???」

 

 どこで学べるんだよそんな危険な武術。そりゃ幻にもなるわ。……しかし、“天才”黒川あかねは通信教育で空手を習っても黒帯に到達しそうと感じさせる程の才覚の持ち主だ。強ち嘘だと断じることも出来ない。

 

「それに私はこう見えてもかなちゃんを護るために千の武術を極めた女だよ――」

 

「クソ女がぁっ!」

 

 あかねの前方5m以内にそれぞれバットを持った五人の刺客が潜り込み、裏切り者であるあかねを制圧しようと目を血走らせて武器を振り上げる。彼女は最初から計算ずくと言わんばかりに何も無い虚空に手を重ねて当ててから口元を歪ませ――空気を穿った。

 

「――“風当身”ッ!」

 

「なッ――――!」

 

 濁流のように勢い良く放たれた烈風が空間を劈き、その五人衆の背後にある鋼鉄の扉をも大きく凹ませる。五人衆は散り散りとなり、それぞれが全身を強く打って暴風の前に倒れる。

 完膚なきまでの勝利――それは敗北へと繋がる旅路である。

 

「囮だクソ野郎……!」

 

「うん。だろうね」

 

 四人を犠牲にすることによってあかねの背後へと忍び込んだ一人があかねの顎目掛けてハイキックをするも、折り込み済みであると言わんばかりにあかねは背中を後方へと反らせて回避、すかさず懐へと潜り込む。メキメキと鳴らし続けている拳を、大きく構えて。

 

「じゃあね」

 

「おい待て――ガァッ!?????」

 

 あかねが思い切り拳を殴り下ろすと、一度地面に叩きつけられた筈の人間がスーパーボールの様に再び大きくリバウンドをして倉庫の棚へと吹き飛ばされる。これが……あかねの暴殺拳…! …あれ、死んでないよな?

 

 ……まぁいいか。あかねのことだから考えてやってるだろう。あかねは私の方を振り向くとダブルピースを満面の笑みで見せて、言った。

 

「――かなちゃん。ここは私達に任せて行って!」

 

「……!」

 

 ――ああ、そうだ。なんだかんだ私があかねと縁を切らないのは、あかねが良いやつだということを知っているからだ。

 

 私のことを何にも知らないようで、私以上に私という存在を良く分かっている。カミキヒカルの倉庫で単独で行くと知っていたなら、まずそんな軽率な行動を起こした私を責めるべきであったのに。誰にも相談しなかった私を糾弾すべきであったのに。

 

 不安になる気持ちを押し殺して私の背中を押そうとしている。推している私の背中を、押している。姫奈ちゃんも、嵐山さんも私の方を見て、力強く笑った。

 

「――みんな、ありがとう!」

 

 私には仲間がいる。

 倉庫の裏口から出て、あかねに貰った追跡器でカミキヒカルを追い掛ける。本当に、日頃から常々思うのだがあかねは有能すぎるな。これはもう少しストーカー行為を認めてやってもいいかもしれない。そう思いながら、有馬かなは駆けていった。

 

 有馬かなの後を追われないように、三人は此処でこの人数を食い止めなければならない。しかし、それには語弊がある―― 

 

「さて、かなちゃんが戻って来るまでにさっさと倒しちゃおっか。まだ試してない技はたくさんあるんだよね!」

 

「私もかなちゃんとの試合の前に身体温めないと☆」

 

「……参ろうか、()()殿()

 

 食い止めるのではなく――喰い()()()

 最強と最凶と最狂による蹂躙が始まろうとしていた。

 

TAKE【08】━━━━━━━❚━━

 

 カミキヒカルが逃げ込んだのはこの路地裏か。ここでやり過ごそうとしていたのかもしれないが、まさか自身に発信機が付いてるだなんて思いよらないだろう。やけに入り組んだ路地ではあるものの、それだけだ。襲撃は想定外だったせいか、逃走経路も杜撰と言わざるを得ない。この分ではあっさりと決着が――ッ!

 

 顔面へと飛来する飛び膝蹴りを、一度掌で衝撃を緩和してから脚の裾を掴んで叩きつける……も、敵ながら見事と言わざるを得ない美しい受け身を取られた。

 

「……私、今急いでるんだけど?」

 

 ムクリと立ち上がった長身の女性は、右眼に眼帯を装着し、黄金の長髪を靡かせていた。その佇まいからは強者の風格が滲み出ており、恐らく“裏”の人間であることを想起させる。

 

「……ああ、依頼人から有馬かなを潰せと命令を承っている。いきなり失礼。私は縦鉾(たてほこ) 浅葱(あさぎ)。悪いが、お引き取り願おう。これでもキックボクシングを嗜んでいてね、安全に君を返せる保証はない」

 

「はぁ? そんな事言われて大人しく引き下がれる訳――チッ!」

 

 瞬きをしたら、次の瞬間には既に眼の前に拳が置かれていた。そう錯覚させるほどに素早いジャブであった。しかし、速さで言えば、本郷姫奈の方が遥かに格上である。襲い来る拳を流れる水のように絡め取り、すぐさま固いアスファルトへ激突させる……が、やはり直ぐに起き上がる。どんなタフネスだ。

 

「……むぅ。手強い。ならば手数で勝負しかないな。手だけに」

 

 またもや縦鉾はパンチを繰り出すも――すぐに投げられる。しかし間髪入れずに起き上がり、再び攻撃を仕掛けて、投げられる。

 

 掛り稽古なんて生温いものではなく、まるで決まった行動しか取らないゾンビのように執拗に攻撃に専念している姿は不気味であった。

 

 拳と拳が触れた瞬間――次には宙を舞っているのだ。縦鉾には防ぎようがない。だが、抜け穴がないかと問われたらそれは違うと答えられる。頭から血を垂らしつつも、縦鉾は反撃のチャンスを虎視眈々と狙っていた。

 

「――――くッ!」

 

 左胸部に放たれた打撃を、これまでの攻防で幾度も繰り返した投げる為の予備動作に組み込もうとした瞬間――腕がありえない方向へと折れ曲がって蛇の様にうねり、私の顔面へと直撃した。倒れはしなかったし、受け身の応用で後ずさったからそこまで大きい怪我では無いのが不幸中の幸いか。 

 

「おっ、当たった。腕の関節を全部外してから戻す技。蛇拳、とでも名付けようかな」

 

 大きな怪我ではない。

 しかし――アイドルの顔面を殴るなど国が国なら死罪になってもおかしくはない。

 良く考えたら、私には時間がなかった。ならば決着は、一瞬でつけよう。

 

「……おい。乙女の顔を殴りやがってこの野蛮人が」

 

「ん?」

 

「――もう手加減は出来ないわよ」

 

「……おお。こりゃ無理だ。君、()()()()側か」

 

 有馬の瞳に星屑で出来た蹄鉄が浮かび上がる。縦鉾が苦し紛れに放ったジャブは完全に見切られ、瞬く()()()()()裾と袖をガッチリと掴まれる。既にこの時点で黄金パターンに極まっている事を察した縦鉾は鼻を鳴らして溜息をつく。

 

「一応抵抗はしとこうか」

 

 硬直状態を崩そうと縦鉾は足払いを仕掛けるも、その行動も有馬の計算の内である。キックボクシングの出であるならば、打撃は勿論蹴撃にも自信があるということ。左足に向けて放たれる足蹴りを躱しつつも、蹴りをスカした縦鉾のふくらはぎに左足を乗せて、重心を操る――――この技を『燕返』と呼ぶ。

 

「……やさしく頼む」

 

「善処するわ」

 

 燕返。

 かの佐々木小次郎の絶技に起因する大層な名前の割に地味なこの技を有馬は疑問に思っていた。燕とは鳥だ。鳥とは優雅に空を飛行する生き物である。

 ならば、よりアクロバティックに。

 地面へ落とす姿勢から――更にそこから捻りを加えて、回転の力を味方につける。遠心力をだけでない、柔道とは物理法則を背に闘うスポーツである。

 

「難儀なものだ――ッ!? ……嘘つき。優しく、するって……言ったのに」

 

「覚えておきなさい――芸能界において嘘は武器よ」

 

 縦鉾は空中を巡った後、頭から叩きつけられて全身が脱力した。思えば、最初から勝負にすらなっていなかった。有馬は持ってきていたジャケットを縦鉾に被せると、全てを終わらせに行く決意を宿して一歩を踏み出した。

 

TAKE【FINAL】━━━━━━━━❚━

 

 「――はぁ! はぁ!」

 

 一人の男が暗い路地を駆け巡っている。汗を垂らし、這いつくばるようにして“何か”から逃げ回っている。これがホラー映画であれば阿鼻叫喚間違いなしの臨場感に溢れたシーンだが、その“何か”の正体が只の少女だとは観客の誰もが思わないだろう。

 

「あっ……」

 

 男性が行き着いた先は、断崖絶壁。行き止まりである。それはこれからの人生の暗示のようでもあり、少女に対する恐怖の表れにも良く似ていた。

 

「……もう観念しなさい」

 

 私こと有馬かなは慈悲深い。故に降伏の機会を与える。どんな相手にも、だ。

 たとえそれが――こいつのような下衆野郎でも。

 

「ふ……ふふふ」

 

 カミキヒカルは不敵に笑う。だが、敵は眼の前にいる。

 私という天敵が、確かに存在していた。

 カミキヒカルは眼に浮かぶ黒い星を暗澹と輝かせて、懐から短刀を取り出して此方に向ける。

 

「決めたよ。君のシナリオはこの凶刃に倒れることだ。どんな武術家も、凶器の前には倒れるしかないだろう?」

 

「やってみれば? 多分、あんたは私が闘った中で一番弱いから」

 

 確かに武器の有無は勝敗に大きく影響することは否めない。剣道三倍段、という言葉も存在するくらいだ。剣道家に対して徒手で拮抗するためには、段換算で三倍ほどの差が必要になる。それほど、武器には優位性がある。短気であることは分かっているのだが、どうしてもこれを聞くと苛ついてしまう自分がいる。

 

 否定は出来ない――けれど否定してみたい。

 

 少なくとも、人を護ろうとすら思った事の無い奴には敗ける気がしない。

 

「…くっ、あぁぁ!!!」

 

 カミキヒカルは己を勇気づけるかのように叫んで、短刀を振り翳して――――カランと金属音が鳴った。カミキの手を私が捻って武器を落とさせたのだ。どんなに鋭い日本刀であっても、使い手に心得がなければ肉斬り包丁を乱雑に振り回しているのと相違ない。

 

 ――カミキは袖と胸ぐらを掴まれていた。抵抗しようと藻掻こうにも、有馬の前では蛇に睨まれた蛙のようにピクリとも動けない。金縛り、とは少し違う。例えるのならまるで筋肉が怯えているかのようだ。脳の命令さえ退けるほどに。

 

「最後に言い残す事はある?」

 

 カミキは眼に涙を浮かべていた。それは、見るものを蠱惑する誘惑の瞳。吸い込まれるような瞳孔であった。その整った顔面も相まって、世の中の女性は庇護欲に駆られること間違いなしだろう。か細い声で、カミキは言葉を紡ぎ出した。

 

「……反省してます。ごめんなさい。二度としません。だから――がッ!???」

 

 私はカミキを思い切り背負投げで地面へと叩きつけた。これ以上臭い演技()も、思ってもない芝居(詭弁)も、聞き続けるに値しなかった。ルビーの肉親ということもあり、せめてもの温情として一撃で気絶させたのは私なりの優しさだ。

 

 ……もしかしたらこの男にも哀しい過去はあったかもしれない。しかしこの事実を、自分の実の父親が命を狙っていたと知った時に一番悲しむのはルビーだ。私はただ、先輩としてケジメをつけたまでである。

 

「――そ、刑務所ではもうやらないことね」

 

 ――こうして私達とカミキヒカルとの因果は断ち斬られた。

 ……とカッコつけて言って終わるのも味気ないので最後に私なりの持論を展開させてもらおう。

 

 昨今、精神論は否定される傾向にある。だが私はどうも精神論というものを嫌いにはなれない。圧倒的な実力とは、強靭な精神に由来する。天才子役と持て囃されていた私が最高のパフォーマンスを発揮し続けられたように、精神に裏付けされた自信とは演技においても効果を発揮するのだ。

 

 まあ、こんな事を言っておいて何だが、だからといって肩の力を入れすぎるのも考えものだ。自分の肉体を追い詰めるのはいい。だけど精神を追い詰めすぎるのは身体に毒だ。メリハリ、中々にいい言葉だと思う。特に響きがいい。

 

 人は皆、社会に出たら演技()まみれの中で呼吸をするしかない。自身のキャラはこうあるべきだと決めつけて、自分によく似た自分の演技をしているのだ。説教臭くなってしまったが、私が言いたいことは一つ。

 もし、自分が自分らしく過ごせる場所があるのなら大切にしたほうがいい、とだけ。

 

 ――私にとってその場所は、ルビーとMEMちょと立つステージだ。

 この業界において、嘘は最大の武器ではあるけれど。

 それと同じくらいに、本音も人を惹きつけるのだ。

 

TAKE【エピローグ】━━━━━━━━━❚

 

 さて、ひとまず此処までが私の人生な訳だけど。……貴方が私について小説を書きたいって言うから赤裸々に語ってあげたっていうのに何よ、その顔は。……その後、ライブはどうなったのかって? はぁ、訊く必要ある? それ。

 

 ――大成功に決まってるじゃない。この私が居るのよ、既に栄誉は確定されてるわ。……まぁ、当日誰よりも観客の心を鷲掴みにしたのは悔しいけどルビーだったけどね。これも遺伝……いや、これは負け惜しみね。完全にルビーの実力だわ。

 

 ……その時の様子が知りたい? ブルーレイが売ってるからそれ買いなさいよ。少し値は張るけど。……高額転売されてて手が出せない? 全く、おんぶに抱っこね。分かったわよ。私の物を貸してあげるから焼きなさい。目にもね。

 

 カミキヒカルについて? 確かテロ等準備罪で向こう20年は出れないって話だったけど、もっと刑期が増えてる可能性もあるわね。まぁ私から言わせれば刑務所の中のほうが安全だけどね。なんでも最近は『処刑人』っていうのが幅を利かせてるみたいだし。

 

 ……カミキヒカルは変われると思うか? 知らないわよそんなの。――ただ、人間とは変わろうと思えば変われるものよ。

 

『速報です。カミキヒカルによる片寄ゆら殺害の件が――――』

 

 ……あっ、やっぱ無理そうね。今のことは忘れて頂戴。

 他に聞きたいことはある? ……ああ、『戦乙女(ヴァルキュリア)』についてね。たまに顔を出してるわよ。

 

 ……選手側としてだけど。あそこは厳重に撮影やSNSでの情報漏洩が禁止されてて、身バレの心配がないから気楽でいいわ。姫奈は闘うたびにどんどん成長してってるけど、今のところ私の全勝ね。……でも最近リング上から落ちたら負けの特殊ルールの試合で、あかねに敗けたわ。

 

 ……なんで主演女優賞を総ナメにしてる今をときめく大女優が裏格闘技に出てるのか、考えたら負けな気がしてきた。最近のあかねは「高潔なる鷹に成る」って意味不明なことを連呼してるし。

 

 ……後、あかねのストーカー度は増したわ。言葉や態度に出さないだけでカミキヒカルとの一件を滅茶苦茶怒ってるみたいで、この間は私のベッドに潜り込んでてびっくりしたわよ。

 

 …おい、セコムとオートロックは仕事をしろよ。

 

 ……嵐山さんについて?

 山籠りの武者修行に戻るのかと思ったら、実戦を意識したいみたいで最近団体を移籍して頑張ってるわね。その時は私も毎回セコンドについてるわ。本当にメキメキ強くなってるんだから、あの人。この間も加納アギトっていう人を一方的に倒しちゃったのよ。……恋愛感情? ……だーかーら、私と嵐山さんはそういうのじゃないんですけど。もうこの話は終わりね。

 

 ……アクアについて?

 アイツ、とある日を境に自暴自棄になっていた所を暮石光世って人に拾ってもらったみたいよ。整骨院で何故か豊富な人体への知識を活かしつつ、格闘技をやって、そんでもって俳優もしてるらしいわ。三足の草鞋ね。あかねから聞いた話によると、アクアはかなりセンスある方らしいわ。……恋愛? ……私は、私より強い男じゃないと付き合わないわ。……アクアの将来が楽しみね。

 

 ……この本が完成したらタイトルはどうすればいいか?

 好きにしなさい、貴方が決めた題名なら口出しはしないわ。にしても意外ね。……何がって? いや微笑ましいなと思っただけ。小説を書きたいっていう素敵な夢が出来てよかったわね。せっかくだから『戦乙女(ヴァルキュリア)』にも顔を出しなさいよ。この間の中華娘との試合、柚巴・リーちゃんだっけ? あれ惜しかったじゃない。

 

 ……もう帰るの? 分かったわ。それじゃ元気でね。

 私の事、かっこよく書きなさいよね――――

 

「――――縦鉾浅葱ちゃん」

 

「……ああ、任せてくれ。有馬さんの活躍を向こう百年は伝えてみせるさ」

 

 後に彼女が出版した本は、有馬かなの活躍が世に轟くにつれて度々重版を達成することになる。

 

 有馬かなが世界大会を三連覇をして柔道を引退するまでに、柔双ちゃん(じゅうそうちゃん)という異名は、柔道で相手を葬るという意味での柔葬ちゃん(じゅうそうちゃん)に変化したりしていた。

 

 また、もう記憶の彼方に押しやられているかもしれないが、有馬に負けた八雲と呼ばれていた人物もちゃっかり階級を変えて金メダルを獲得していた。時間は人を変えていく。変わらなければならないのだ。

 

 だが変化を嘆いてはいけない。そこにはきっと新たな楽しみが待っている。

 

 実を言うと、この本を縦鉾が執筆するにあたって最も頭を悩ませたのはタイトルである。どんな素晴らしい書物があるとして、最初に目に入るのはタイトルだ。

 

 つまり、人はタイトルに惹かれて物語と邂逅を果たす。今まで本というものを、執筆というものを知らない縦鉾は、その一手に慎重にならざるを得なかった。

 

 ゲームの主人公の名前でさえ散々悩んでしまい、最終的に本名をつけてしまう縦鉾にとってこれは難題だ。いくら悩めど答えは出ず、意を決して嵐山十郎太に意見を訊きに行った時――天啓を得た。

 

 成程、有馬かなの子供時代からずっと面識がある彼らしい発想だ。もっと言えば、彼の中での有馬かなに対する認識とユーモアが上手く融合している。

 

 いつか、この本を読んだ人の頭の片隅に有馬かなという存在が一瞬でも残ればそれでいい。

 この本に出会った人が、有馬かなを知ってくれればそれでいい。

 

 タイトルは――――『一秒で投げる天才子役』。

 

 完璧ではない。究極でもない。

 それでも、彼女は推して参った。

 この嘘まみれの芸能界に裸足で、人の悩みを投げ飛ばして、常に挑戦者であり続けた。

 初めて地球からの寵愛を受けた人間として、有馬かなは後世でこう語り継がれている。

 

 ――――“推しの子”と。




もう(時系列)滅茶苦茶だな……。
黒川あかね推理モノと有馬かな柔道モノどっちを書くか迷ってこっちにしました。
後悔はないです。
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