大本命のレース支配は既に完成した。
しかし、そんな中でもフサイチコンコルドは虎視眈々と機を伺いながらある作戦を遂行していた。
それは絶対的な強者に勝つための今回限りの大博打…。
「ほー、相変わらず、いやらしいポジションを取るのー。奈瀬大先生は。さて、ワシが気にした『あの子』はあの位置か…。その位置なら"まだ"何も起きないが…。まだ、1200以上は残っとる。油断は禁物やで、大先生…」
1000mは1分1秒台!
それほど早いペースではありません!
[相変わらず、レース展開は落ち着いている。楔打ちは完璧か…。デビューしてから10年。『ダービーを獲れない』とまで揶揄されるほどに今まで苦労したこのレースが、このまま何もなく獲れてしまうのは、それはそれで虚しいな…]
戦局を遠目から見守る奈瀬がダービーへの思いを馳せる。
デビューして10年。
スーパークリークによってもたらされた菊花賞を機に奈瀬は一気にスターダムへとのし上がる。
皐月賞・天皇賞(春)・天皇賞(秋)・桜花賞・オークス・スプリンターズステークス・宝塚記念など数々のタイトルを獲ってきた。
しかし、日本ダービーだけは何故か獲れない。
毎年のように選手を送り込み、大本命に支持されようと、対抗選手に挙げられようと、素晴らしい采配を振おうとも、何故か獲れない。
そうして、年が経つごとにこんな都市伝説が囁かれるようになってしまう。
奈瀬文乃はダービーを獲れない
強靭なメンタルを持つ奈瀬は、そんな都市伝説で心を乱す様な凡人ではないが、それはそれとしても、現役最強と称される彼女が『ダービートレーナー』の称号を得たいと思うのは当然だ。
そんな想いを胸に秘めている奈瀬。しかし、今年はその悲願が叶う可能性がかなり高いと奈瀬の期待は例年以上に膨らんでいた。
きっかけは2年前。大先輩トレーナーの橋本からこんな話をもらったことに遡る。
「おー、奈瀬大先生!相変わらず、風格があるの〜」
「なんですか、橋本先生?しつこい絡みは選手から嫌われますよ?」
「相変わらず、手厳し〜なぁ〜。まあ、ええわ。お前さん、ダービーを獲りたくないか?」
「はい?それはどういうことですか?」
「そのまんまの意味や。2年後のダービーを獲れる逸材をワシは見つけた。だから、今のうちにお前さんに譲ったろと思ってな!」
「いやいや、僕もダービーは獲っていませんが、橋本先生もまだでしょう?わざわざ僕みたいな若輩者にそんな逸材を譲る必要はないかと…」
「ええねん、ええねん。ワシみたいな下品なオヤジよりも、天下の大スターがダービーを獲ったほうが世の為やろ。その代わりにや!お前さんはマスコミに『橋本先生が見出して、僕に預けてくれた。本当に感謝しています。今回のダービー制覇は橋本先生のおかげです』とワシが死ぬまで大々的に宣伝さえしてくれたらええねん!」
「…。相変わらずのタヌキですね。とはいえ、名伯楽のあなたが言う逸材なら一度会ってはみたいですね」
「おう!じゃあ、仮交渉成立や!近々その子を連れて行くわ!楽しみにしといてや〜」
[橋本先生がおっしゃったようにダークはダービーを獲れる逸材だ。そして、その先も…]
奈瀬は観戦席からダービー戴冠後のその先のイメージまでも膨らませていた。
一方で、レースが少しずつ動き始める。
[よし!とりあえず、狙ったポジションには付けた…。あと、半分ある。ここからはあの子の走りのリズムを掴んで上手く"付いて行く"]
レースが淡々とした流れで流れる中、フサイチコンコルドがようやく狙い通りのポジションを確保する。
そのポジションは大本命のダンスインザダークの真後ろ。
普通であれば、そのポジションが取れたからといっても決して"勝てる"ポジションなわけではない。
ただ、シンジとフサイチコンコルドにとってはこのポジションがターゲットを打ち倒すための重要なポジションだった。
「…。よし、ギャンブル要素は強いが、これはどうだろうか?まずは、レースが始まったらポジションを最内に取ろう」
「ポジションは最内っスね。それで、次は?」
「スタート直後でなくてもいいんだが、ダンスインザダークの真後ろに出来るだけ早く付こう」
「ダンスインザダークの真後ろに付く。それから?」
「以上だ」
「わかりました。以上っスね!……それだけ!?」
シンジが芸人顔負けの流れるようなノリツッコミをする。
「ああ、それだけだ」
驚くシンジに対して宮下は驚くほど淡々と答える。
「いやいや、もう少し、真剣に考えてくださいよ!ただ単にダンスインザダークを『徹底マーク』するだけじゃないっスか!そんなことで、勝てたら誰も苦労しないっスよ!」
冷静すぎる宮下にシンジがさらにツッコむ。
「言いたいことはわかるが、とりあえず、シンジ。君の担当はダンスインザダークに付いて行くことが出来るかい?」
「まあ、基礎スペックは怪物級っスからね。ただ付いて行くだけならたぶん問題ないッス」
宮下の冷静な態度に戸惑うシンジだが、フサイチコンコルドの才能には自信を持って迷いなく答える。
「それが出来るならこの作戦はイケるね。恐らく、ダンスインザダークの作戦は十中八九『横綱相撲』だ。オーソドックスなスタイルだから、走りのリズムさえ掴めれば、付いて行くだけなら難しくはないだろう」
シンジの自信を持った回答に満足そうな表情をする宮下が、作戦の遂行自体は問題ないと判断する。
「確かにダンスインザダークが『横綱相撲』でレースを展開するのは目に見えてるっス。そんなのバカでもわかるっス。でも、理想的なレーススタイルって言ったらそうですけど、ハイレベルな総合力と相当な頭の良さがないとあんなレース、無理じゃないっスか…」
自信ありげな宮下に対して、シンジはまだ引っかかる部分があるようだ。
「だから、『出来るか?』と聞いたんだ。実際に君の担当には出来そうな総合力と頭の良さがあるんだろ?」
「まあ、総合力も頭の良さもあるはあるっスよ…。でも、『実践経験の差』は補えないっスよ…」
「確かに『横綱相撲』に持っていくには緻密なラップ管理とコース取りが重要だ。それはたくさんの経験によって導き出されるものですぐ出来るものじゃない」
「ほら、やっぱりそうじゃないっスか。流石に今からは無理っス。かなり上手くいって来年の春っスよ」
予想通りの宮下の回答にシンジは諦め顔で結論付ける。
「シンジ。思考を止めるのが早い。君の昔からの悪い癖だ。実践経験が"ない"からついて行くんだ。道中のペースやコース取りは実践経験豊富な彼女を"真似る"んだ」
宮下がシンジの悪い癖に釘を指す。その光景は明らかに師匠と弟子のやり取りだ。
「いやいや、真似だけなら出来なくはないっスけど、『徹底マーク』だって駆け引きとか仕掛けのタイミングとかの経験値が必要っスよ…」
「シンジ。話をよく聞くんだ。僕は『マーク』なんて言ってない。ただ『付いて行く』と言っている。その違いがわかるか?」
「すんません…。わかんないっス…」
頭が回らないシンジが申し訳なさそうに謝る。
「なら、麻雀に例えたらわかるかい?君と『麻雀経験者』2人と『麻雀初心者』1人の4人で卓を囲んだ場合、君はどうやって対局を進めていくかな?」
宮下がシンジの思考が停止しないようにわかりやすい例え話を切り出す。
「とりあえず、経験者2人を警戒しながら対局を進めます。初心者は基本無視っス」
「まあ、妥当な考えだね。何をするかわからない初心者に対処していたら、自分の勝ち筋を無くすかもしれないから、誰だって初心者は捨て置くよね」
「そりゃ、そうっスよ。初心者の対処なんて普通は考えないっスよ。だって、初心者なんスから。対局中の勝ち負けは全部"たまたま"な可能性が高いっスから予測・対策するだけ無駄っス」
「そう思うのも妥当だ。じゃあ、もしその初心者が実は『プロ』で、初心者を"装っている"だけだとしたら、その『プロ』は1位になるためにどんなことを考えているだろうか?」
「んー。とりあえず、初心者っぽいミスを出しまくって、自分がプロだってバレないように打つっス。ただ、トップとの点差は常に気にしながら打って、挽回できる点差の範囲内で負けときます。で、ラスト2、3局くらいから捲って、最後のオーラスで……あっ!」
思案するシンジが何かに気付く。
「さて、話を戻そう。僕が持ち込みたい状況はそれだ。道中のレースプランはダンスインザダークに付いて行くだけだ。余計なことは考えない。本当に"付いて行くだけ"でいい。そこから
シンジの気付きに宮下は笑いながら話を戻す。
そして、自身が考える作戦の全容を話していく。
「マジっスか…。まあ、理には適ってますよ。でも、それを誰にも邪魔されずに出来ますかね…」
シンジは宮下の作戦に理解を示すが、まだ半信半疑だ。
「確約はできないが、可能性はそこそこある。考えてみてほしい。君の担当はキャリア2戦しかない上に、前哨戦も体調不良で回避していて、ダービー出場だって他人次第だったんだ。誰が戦前からマークするんだい?それに今年は『四天王旋風』が巻き起こっていて、いつになくその他大勢への注目度が薄くなっている。果たしてそんな状況で君の担当を注意する人がいるだろうか?」
「確かに…。なんかやれる気がしてきました!いきますよ!その作戦で!」
宮下の冷静ながらも力強い言葉にシンジの心が動く。
「まあ、これ以上の名案が浮かべば、やる必要はないから、気楽に考えてくれ。しかし、こんな状況の在り方は"奇跡的"だな」
「奇跡的?そうっスか?」
「普通に考えて、もし君の担当が順調なキャリアを送れていたら、絶対に注目選手として、マーク対象になるだろう。しかも、『四天王』全員にだ。その他大勢のマークですら、複数あるとキツいと言うのに、実力者が複数マークしたら、『思い通りのレース』なんてものは出来ない」
「まあ、言われてみれば…」
「注目選手はこんな出し抜きなんて出来ない。でも、今回はそれが出来るかもしれないから奇跡的なのさ。実力的に劣る者の不意の一撃すら脅威なのに、実力者がそれをしたら、それはもう"ズル"でしかない。間違いなく今年の君はツイているよ。まるで神様が"味方についている"みたいだ」
「なるほど…神様が大嫌いでもツイてる時はツイてるってことか…」
「?それはどういう意味だい?」
「いや、コッチの"事情"の話っス!」
さて、3・4コーナーの中間にまもなく差し掛かりますが、先頭は依然としてサクラスピードオー。
そして、8番のトピカルコレクターと続いています。
大欅の向こうを越えていく。
そろそろ歓声が沸き起こってきます!!
「いい位置だぜ!コンコルド。もう少し、もう少しだけの我慢だ…。まだ、悟られるなよ…」
本来であれば、もっと華々しく、眩く輝くべき才能はずっと泥に塗れていた。
まもなく、その輝きが大衆を驚かせる。
でも、今はまだその輝きを誰にも見せてはいけない。
その輝きを見せるのはターゲットの喉元に辿り着いた瞬間なのだから…
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/keiba/keiba/2015/09/10/post_445/
https://retsuden.com/horse_information/2024/15/1194/7/
ダービーのレースの詳細は上記のリンクをもとにしています。
時間があれば読んでみてください。
この物語ではかなり大袈裟に作戦を表現していますが、実際のレースではシンプルな指示と騎手の度胸溢れる判断によって勝利への"流れ"を掴み取ったようです。
流石にここまで捻りのない勝ち筋だと、もはやこのダービー制覇は『運命付けられていた』と言っても過言ではないように感じますね。