アベリオン丘陵は東はスレイン法国、西はローブル聖王国と境を接し、両国の間に広がる巨大な丘陵地帯である。様々な亜人種が存在し、以前は自分達の領域をめぐって激しい戦いを繰り広げていたが、土地神や白蛇と呼ばれる『主』の登場によって戦いは収まった。
主は各亜人種の持つ特技や特性を生かした産業の知恵を与え、争わずに協力して暮らすことができるよう求めると、亜人達は偉大な主を崇め、その御心に従うようになったのだ。
とはいえ、今までのような体制では主の御心を叶えることができるわけがない。そう考えた亜人達は、特に影響力を持っていた七大部族の長を中心とし、各部族から代表者を集め調整を行う『部族会議』を創設した。これによって、国家まではいかないものの、一種の共同体の様な体制を整えたのだ。
部族会議の優先事項はただ一つ。
それは、『主』の意向を最優先とする悲願の達成であり、現在の部族会議を率いる七大部族の長は、創設当初の面子から入れ替わった、二代目と言える者達だ。
彼らは先代から伝えられている悲願を自分達の代で達成しようと、積極的に行動を起こしていた。
その悲願とは、ローブル聖王国に奪われた『聖地』の奪還だ。
聖地奪還のためには、まず足場を固めておく必要があり、先代の部族会議は内政に重点を置いていた。その成果が実り、二代目である彼らは遂に行動を起こすことができるようになったのだ。それまでの小規模な偵察や攻撃を行う形から、本格的な奪還に向けた軍勢を組織する大規模な侵攻へと。
丘陵の一部にある練兵場、そこには様々な亜人達が集まっていた。各々が自分の身に合った武器を持ち、目の前に置かれている敵に見立てた藁の人形に対して、斬撃や刺突を繰り返す訓練を行っていた。
その亜人達を周辺の土地より少し高くなった場から見守っているのは、軍勢の組織を任されているヘクトワイゼスだ。
彼自身も部隊を率い、バザーやヴィジャー、ハリシャ達と共に戦場へと向かいたいと思っていた。しかし、会議の長を指す『首領』のロケシュより任せられた任務を放棄するわけにもいかず、与えられた任を淡々とこなしている。
「調子はどうだ?ヘクトワイゼス」
背後から聞こえる声に反応し振り返ると、マジックアイテムである両手持ちの戦斧『
「随分早い帰りだな。それに血の匂いがしないが」
「俺は報告のため一足先に戻って来たんだ。それより、聞いてくれ!ハリシャとバザーの野郎が攻撃を仕掛けなかったんだ。それどころか、俺を囮にして敵の情報を引き出すとほざいてな」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず」
ヘクワイトゼスの発した言葉の意味が分からず、ヴィジャーは首をかしげる。
「ハリシャとバザーは正しい。それで、結果はどうだったんだ」
「おう!作戦通りに事は進んだぞ。それどころか、捕まえたのが聖騎士共だったからな!大戦果だ!」
「ほう、聖騎士か。それは素晴らしいが……、問題もあるな」
自分が参加した作戦で、予想以上の戦果を挙げれたことに満足したヴィジャーは笑い声を上げていた。しかし、ヘクワイトゼスの言葉を聞くと、「あ?どういうことだ」と少し不機嫌そうな態度になる。
「奴らの戦力を減らすという目的からすれば大戦果だ。しかし、情報収集という目的からすれば戦果はないだろう。聖騎士が簡単に口を割るわけもない」
「何だそんなことか。奴らの一人や二人を見せしめにすれば、すぐに口を開くだろう」
「そんなことをしていては直ぐに次の人間を捕まえてくることになるだろう」
「ヘクワイトゼス、随分と説教じみた話をするな。さては俺の戦果を羨ましがっているんだろう?」
ヘクワイトゼスはため息をついた。
確かに、戦果を聞いて自分の中にある欲がうずいていない訳ではない。だが、伝えたい本心がヴィジャーに伝わり切らない事、いや、それすら読み取れない彼に呆れてしまったのだ。
ヴィジャーは七大部族の長の中では最も若く、唯一の三代目である。彼の父であるヴァージュ・サンディックナラは、不運にも不治の病にかかり早くして命を落とした。
丘陵と聖王国で長く恐れられ続けた偉大な父の後継者として恥ずかしくない姿を見せようと、部族会議でも積極的に意見を示し、何かあれば率先して行うなど姿勢はヘクワイトゼス自身も高く評価していた。だが、ヴィジャーにはいくつか性格的な問題があった。
その中で、最も致命的なのが慢心だ。七大部族の長はこの丘陵において大きな影響力を持つ。故にその発言や行動の一つをとっても、迂闊な行為は避けなければならない。しかし、彼はまだ若いためそれらの機微を感じ取ることができず、驕り高ぶった態度を部族長に対してだけでなく、他の部族の者達へもとっている。これはヴァージュが次期族長としての教育を行っていなかったのが問題なのだが。
(白蛇様に対する態度は問題ないが、早く矯正してやらねば……)
内心では頭を抱えていてたへクワイトゼスの下に、部下の
「ヘクワイトゼス様!白蛇様が全ての部族長に直ちに集まるよう、御命令を下されました!」
「白蛇様が!?分かった、すぐに向かう!」
先代達の頃を含め、今までで一度も主が部族長を呼び出したことは無かった。急な呼び出しが行われたということは、これまでには無かった不測の事態が発生しているということだ。
「ヴィジャー!お前はハリシャとバザーの下へ走り、すぐ戻るよう伝えるのだ!何があってもだ!」
「わ、分かった!」
ヴィジャーは鬼気迫るヘクワイトゼスの声に驚きながらも、すぐに指示を伝えるために二人の下へ走り出した。
『白蛇様が全ての部族長を呼び出した』
この事実は丘陵を大いに動揺させた。
報告を受けた部族長達は今手を付けている全ての事を放棄して、主がおわす丘陵奥地の神域へ先を争って向かう。部族長以外の亜人達にも噂は広がり、状況が理解できないことから何事かと不安に襲われていた。
(まったく、なんという奴らだ!我の平穏を壊すとは!知らずにおれば一生を後悔するところであったぞ!)
前へと集まり始めた亜人達に目を合わせることもなく、いつものように体を巻いて寝ている時の姿勢のまま、怒りのあまり振り下ろしそうな尻尾を抑える。
亜人達に対しこれまで何かしらの要請をすることは一度もなかった。それは、余計な事に首を突っ込み、静穏を壊さないようにするためだったが、事ここに至ってはそのような姿勢を貫く必要もない。
「は、白蛇様!お待たせいたしました!」
他の亜人達よりも前へ歩み寄った、蛇に鱗の生えた体と腕が生えた様な外見を持つ亜人は深々と頭を下げる。
この者こそ、亜人達の実質的なまとめ役であるロケシュだ。自身と外見が似ていることも重なり、他の亜人よりも何かと優遇した過去がある。その結果、我の恩恵を受けた部族として一目置かれ、周辺の警備や何かあれば代表して報告に来るなど、他の部族長に比べつながりも深い。
「ロケシュ、私に何か言うことはないか」
「何かお気に触れることがありましたでしょうか。丘陵の事で問題があったのであれば直ちに対処を……」
「我が言っておるのはこの丘陵の中ではなく外の事だ!知らぬとは言わせんぞ!」
我の放った圧によって、意識を保てなかった亜人が倒れていく。
訳が分からないと言った様子のロケシュは震えたまま頭を下げていた。
「我の古い友より話を聞いた。お前達、人間の国を攻めているそうだな」
「その通りでございます。白蛇様の願いを叶えるためにも、日々尽力しております」
「我の願い?なんだそれは」
「先代よりも伝えられております。人間共に奪われた『聖地』の奪還は白蛇様の願いであると……」
ロケシュの言葉に我は混乱した。
(聖地の奪還?我がいつ願ったのだ?いや、そもそも聖地とは何だ?)
過去の記憶を振り返るも、直近で思い出せた記憶はこの地に移動してきた際に先代の部族長達に知恵を与えた時だけだった。だが、その時にも願いを口にしたことは無く、何時からこの誤解が続いているのか全く理解できない。
我は閉じていた目をゆっくりと開け、頭を下げていたロケシュを見下ろす。
「ロケシュ、お主と他の七大部族の長を残し、他の長は全員下がらせよ」
ロケシュは「ははっー!」と言うと、立ち上がって後ろで頭を下げている部族長達に我の言葉をそのまま伝えた。亜人達は頭を下げたまま、我が居座る丘陵から下がっていくと、周囲を囲む天幕の外へと出る。
「さて、ロケシュ。どうやら我とお主達の間には誤解があるようだな」
「ご、誤解でございますか。無知な我々にどうか御身の御心をお教えください」
「その誤解を解く前にまず教えてほしい。お前たちの言う『聖地』とはどこを指す。そして、我がいつその地の奪還を命じた」
気まずそうな様子を見せたロケシュは、ゆっくりと顔を上げおもむろに口を開く。
「先代から伝え聞いている話になりますが……。『聖地』とはかの聖王国の内部にある台地であり、白蛇様は常々『あの地は寝心地が良かった。可能ならば戻りたいものだ』とおっしゃられていたと……」
「我がそう言っていたと……。あぁ……、うむ。そうか」
『あの地は寝心地が良かった。可能ならば戻りたいものだ』という言葉によって過去の記憶が蘇る。
ロケシュの父に当たる先代の部族長と暇を潰すために雑談をしていた際、過去の体験を語った中で同じことを話した記憶があった。とすれば、この誤解はおよそ200年続いていたということだ。
「お前達は我の願いを叶えるために行ったというのだな」
「もちろんでございます。御身の願いを叶えるため、先代より我々はこの丘陵を預かってまいりました。悲願の達成は我々が御身に報いる唯一のものであります」
(ま、まさかここまで崇拝されていたとは……。この者達の心意気は嬉しく思うが、そうであれば我の平穏を守ってくれるだけでいいのだ!どうしてこうなった!)
「白蛇様、如何なさいましたか」
「ロケシュ、いや、この場にいる部族長に伝えよう。皆、頭を挙げよ。先代から伝えられてきたその話は嘘ではないが真実でもない。我はあの地に戻れれば良いと思っていたが、今はこの地が気に入っているのだ。故に、我はこの地で平穏に暮らせればよい」
我の話を聞いた亜人達は最初のあたりは混乱していたが、この地に留まるという言葉を聞いた瞬間、感激したのか体を震わせ、更に深く頭を下げた。もはや地面にめり込んでいるのだが、あえて突っ込まずにいる。
「白蛇様それでは……」
「うむ。我がこの地で平穏に暮らせるよう努力せよ。これが我の願いだ。聖王国に対する攻撃……、いや、こちらに攻め込んできた者達以外に攻撃をするのはもう止めよ。それから、丘陵の中だけでなく外に対する報告も持ってくるようにするのだ。いらぬ誤解を生み続けるのは良くないと我も反省した」
「全ては我々の失態であるというのに……、ありがとうございます白蛇様」
ひとまずこれで問題はないだろう。再び我の下に平穏が訪れるはずだ。
そう思い話を終えて亜人達を帰そうとしたとき、麓の天幕が騒々しくなった。
「何事だ!白蛇様の前だぞ!」
ヘクワイトゼスが天幕の外にいる亜人達に向かって叫ぶと、天幕を勢いよく開け、ハリシャとバザー、ヴィジャーが姿を現した。三人は他の部族長と同様に我の前に来ると、遅れたことを謝罪しながら深々と頭を下げる。
「ロケシュ、我の話したことをこの者達にも伝えるのだ」
「白蛇様、その前にご報告したいことがございます!」
説明をしようと立ち上がったロケシュを遮るように、バザーが声を上げた。
「なんだ。それほど重大な報告か」
「はい!白蛇様の悲願達成に向けた第一歩を踏み始めることができたため、戦利品と共に参りました!」
「バザー殿、その件については―――」
「待てロケシュ。バザーよ、話を続けてみよ」
戦利品と言う言葉に嫌な予感がした我は、ロケシュが話をする前にバザーに話させる。
願わくば、これ以上余計な問題を持ち込まないでほしいと思っているのだが。
「申し上げます!本日の作戦で我々は敵の聖騎士の一団を捕虜としました!この後、情報を集め聖地奪還を開始するつもりです!」
「聖騎士……?捕虜……?」
「その通りでございます!連れてこい!」
天幕の外から縄で縛られた人間達が引きずられるようにして我の前へと連れてこられる。中でも特に暴れている女性には口にも縄がかけられ、厳重に縛られていた。
我の想いはこの時をもって完全に崩壊を迎えた。
微かに震えている我の姿に気づいたロケシュがすぐに耳元へ手を当てる。それに気づいたヘクワイトゼスや遅れてきた三人の部族長を除く者達も瞬時に耳を塞ぐ。
「こ……、こ……、この馬鹿者共がぁぁぁぁああ!」
我の咆哮が直撃した三人はその場に倒れ、完全に動かなくなる。爪でつつくとかすかに反応があったため、少なくとも死んではいないようだ。
「ロケシュ、この馬鹿共も含め後程、話をしよう。後の事はこちらで何とかするが……、調整役としてお前を供にしよう」
「か、かしこまりました。捕えた人間共はいかがしましょうか」
ロケシュの言葉に聖騎士達は警戒する様子を見せた。彼らからすれば亜人は自分達を食べようとするのではなどと考えたのだろう。
「この者達の処遇は我が決める。人間達よ、安心するがよい。お前達を取って食おうとはせぬ故な。ロケシュ、縄を解いてやるのだ。お前達も暴れるのではないぞ」
「それでは御身が危険に―――」
「なるわけなかろう。この者達は我に挑む資格さえ持っておらぬからな。いいからほどくのだ」
ロケシュが呼び出した亜人によって、聖騎士達は直ぐに縄をほどかれた。そしてその視線は全て我に向けられていた。このような状況の中、亜人達に指示を出す我の存在を不思議に思っているのは間違いない。
(さてさて、この後はどうしたものか……)
厄介な物を持ち込んだ三人の処遇はさておき、持ち込まれた人間達を見下ろしながらため息をつく。
この者達を帰すのは決定しているが、このような強硬策に出た以上、人間達が報復してこないとも限らない。以前、我に攻撃を仕掛けてきた法国の者達のように、理解がある者達であればよいのだが……。
「人間達よ。馬鹿共に代わって謝罪させてもらおう。我は
「わ、私だ」
聖騎士達の中から先ほどまで暴れていた女性が前へと名乗り出た。
その目は我を睨みつけており、我を前にしてここまで勇ましい人間を過去に見たことは……あったな。
この種の人間はある意味、厄介な部類だ。ともかく、穏便に事を済ませれればよいのだが……。
(女性の聖騎士とは珍しいが……。後ろの男は何をそんなに焦っておるのだ?まぁ良いか)