目の前にいる亜人ではない異形の存在、いや、魔獣とでもいうべき存在に聖騎士達は畏怖の念を抱いていた。
全身が真っ白な鱗で覆われており、胸のあたりからは鋭い爪を持つ腕が生え、こちらを見下ろす目は真っ赤な宝石のようだ。亜人達はこの存在を『白蛇』と呼んでいたが、蛇と言うよりは
何故、聖騎士達はこのような場へ連れてこられることになったのか。
事の始まりは今から二週間ほど前、中火月に入った頃の事だった。
中火月は聖王国にとって重要な時期の一つだ。
それは聖王女、カルカ・ベサーレスの誕生を祝う生誕祭が執り行われるからだ。生誕祭の用意は一月以上前から進められ、各都市で盛大に聖王女の誕生を祝う。そのため、聖王国の各都市は普段よりも活気に満ちており、人々も生誕祭を楽しみにしていた。
そんな中、国境を守る城壁の守備隊から報告が入ったのだ。
「亜人達に動きあり。大軍を率いて進軍中。要塞へ到達までの見込みは数日」
聖王国の上層部は報告を受け、直ちに聖騎士や神官団を動員。要塞に向かわせる増援を組織すると共に、国家総動員令を発令し戦える全ての者の徴兵を開始した。
人々の祝賀気分は一変し、亜人との戦争に向けて体制が着々と整えられ、事の重大さを鑑みてカルカ自身も騎士団を率いて前線へと赴いていた。
要塞の一室では、軍議に用いられる地図が広げられており、地図上には亜人を示す駒が所狭しと置かれていた。それが示すことは、過去に例がないほどの大軍が聖王国に向けて押し寄せているということだ。
「これほどの亜人が……。万が一、ここが突破されれば、多くの民が傷つくことになるでしょう」
不安な心情を口にしたのは聖王女のカルカだ。
いつも身に着けている王家に伝わる王冠は外し、兵士達の士気を上げるためにと素顔が見える兜をかぶっていた。
「ずる賢い亜人共め!カルカ様の生誕祭に合わせて攻撃してくるなど!」
机に拳を叩きつけながら怒りをあらわにしている鎧姿の女性こそ、聖王国が誇る最強の聖騎士、レメディオス・カストディオだ。
「生誕祭に合わせて攻撃を仕掛ける知性があるかはともかく、時期が悪いのは事実ですね。今年の予算は使いきっていましたから。しかし、これを口実に南部の貴族達から戦費を巻き上げられたので、悪いことばかりではないですよ」
机に広げられていた地図上の駒を元に戻しながら、いやらしい笑みを浮かべる神官。彼女はレメディオスの妹であり、神殿の最高司祭兼神官団団長のケラルト・カストディオである。
二人はカルカを狂信的と言えるほど崇拝しており、カストディオの天才姉妹として長い間補佐し続けている。
「しかし、困ったものですね。この戦いに勝ったとしても、参加した兵士達に褒章を与える術がありません」
「今回攻めてくる亜人達は良質な武具を身に着けていると聞きました。それを売るなり、与えるなりすればいいのではないでしょうか」
「姉様の言う通り……とは言えませんね。兵士達に武具を与えたところで腹の足しにはなりませんよ。それにそれらの武具が南部にでも流れれば反乱の用意をさせるのと違いはありません。かといって、国外に売り払おうとしても、亜人達が着ていたものだと安く買いたたかれてしまうでしょうね」
「まぁ、そこはケラルトや大臣達に頑張ってもらおう。私はお金のことなどよく分からんからな」
いつものことでありながら、ケラルトは呆れた様子でため息をつく。
「ところで今回の戦いはどのように進めるのかしら?今後の予定を教えて、ケラルト」
兵達の下を訪問していたカルカは戦略会議に参加しておらず、詳細を知らなかった。
「はい、敵の軍勢はこの中央要塞以外に現れた様子はありません。したがって、当初から考えられていた作戦計画に則り、各要塞からも応援を集め、地の利を生かし迎え撃つことで対処は可能とのことです」
「万が一、亜人が壁を突破した際にはどのような対応策を?」
「壁の一部が突破された場合は、姉様と聖騎士によって穴をふさぐ形になります。全体が突破された際には一度撤退して軍を立て直し、後方で編成された民兵と共に反撃に出る事になっています」
「カルカ様、お任せください!亜人など恐れるに足りません!私が全て追い払って見せましょう!」
胸に手を当てて答えるレメディオスに、二人はほっと安堵したような表情を浮かべる。
その言葉は能天気で状況を理解していない故に発せられたのでもなく、その実力から見栄を張っている訳ではないことも分かっていたからだ。レメディオスの実力であれば、そこらの亜人程度は一捻りにできることを良く知っていた。
その場に見張りの兵士が慌てた様子で駆け込んできた。
「お、お話し中に失礼します!敵の先触れと思われる亜人が現れました!」
三人は顔を見合わせ、すぐに部屋を飛び出し城壁へと向かう。
兵士の報告通り、敵の指揮官と思われる巨大な戦斧をもった獣姿の亜人が、数体の護衛と思われる亜人を率いて城塞から少し離れた場所まで来ていた。
『よく聞け、人間共よ!俺の名はヴィジャー・ラージャンダラー!アベリオン七大部族の長にして、聖地奪還の命を遂行するためにこうして軍勢を率いてきた!お前達が聖地を手放し、我々に返還すると言うならば、俺たちが寛大な心でお前達を受け入れてやろう!』
ヴィジャーの大声は魔法を使わずとも城壁にいるカルカ達の下まで響いた。空気が震えるような感覚を感じ、耳の奥までその声が響いたため、兵士達は動揺を隠せない。
カルカは要塞の将軍に命じて拡声の魔道具を持ってこさせると、落ち着いて息を吐き、重々しい口を開いた。
『お前達に問います。聖地とは何なのですか。なぜここまでしてその地を奪還しようとするのですか』
「カルカ様、聞くだけ無駄です。すぐに命じていただければあの亜人の首をとってきます」
「姉様、カルカ様は相手の情報を引き出そうとしているのです。少しだけ待っていてください」
直ぐにでも出撃しようとその場から離れようとしたレメディオスの肩を掴んだケラルトは、拡声の魔道具によって声が拾われないよう耳元で囁く。
レメディオスは不満を隠せなかったものの、黙って頷くと静かにその場を後にした。
『白々しいぞ!お前たちが我等が主より聖地を奪ったのは覆しようのない事実だ!何も知らないわけがないだろう!』
「ケラルト、神殿が何かしたの?」
「カルカ様、そんな目で私を見ないでください。確かに色々としてきましたが、亜人に対しては何もしていませんよ」
「他に色々とやっていたのは事実なのね……」
「あっ」とケラルトが声を漏らすも、咳払いをして何事もなかったかのようにふるまう。
聖地と言うからには神殿が何かしら関与しているとカルカは思ったが、どうやらそのあては外れのようだ。
となれば、考えられることは一つ。聖地とは亜人が聖王国を攻めるためにでっち上げた口実に違いない。
「周囲に他の亜人はいないようだけれど……。ケラルト、レメディオスの準備は?」
「姉様の方は問題なさそうです。敵の軍勢も偵察員から逐次報告が上がっていますので、あの者達以外の存在は無いと見て良いです」
カルカは頷くと、再び魔道具に魔力を流し起動する。
『お前達が聖王国を蹂躙したいがために来たと言うことが良く分かりました。ならば、この場でこれ以上話すことはありません!』
カルカの話が終わると同時に、門が開かれ戦闘の用意を整え終えていた聖騎士達がレメディオスを先頭に飛び出した。
「なっ、卑怯だぞ!全員撤退だ、ついてこい!」
ヴィジャーは慌てた素振りを見せながら、すぐに元の道へと引き返す。
「逃げるな!おとなしくその首を置いていけ!」
「騎士とは名ばかりだな!俺一体にそれだけの人数で来るとはな!」
「黙れ!亜人に騎士道など必要ない!」
ヴィジャーは聖騎士が追い付くことができそうなぎりぎりの速度で、相手を煽りながらハリシャが指定した場所まで走り続ける。思惑通り、レメディオスは後先を考えずに少数で逃げ続けるヴィジャーの背を追いかけてきていた。
「団長、これ以上深追いしては危険です!一度戻りましょう!」
「何を言っている、奴は目の前だぞ!ここで討ち取らなければ聖騎士団長の名が廃る!黙ってついてこい!」
後を追うグスターボの進言も無視し、レメディオスは必死に追い続ける。
亜人の指揮官を討ち取ることができれば、勢いをそぎ今後の戦いを有利に進めることができる。そして、早期に決着をつけることができれば、例年通り生誕祭を行うことができるのだ。
生誕祭はレメディオス自身も毎年楽しみにしていることでもあり、この機会を逃すわけにはいかないと、手綱を握る手にも力が入る。
ヴィジャーの背にもうすぐ追いつきそうな距離まで詰めた時、突然、地面から砂埃が上がり自身が乗る馬ごと宙に浮く感覚を覚える。地面に隠されていた網が後を追っていた聖騎士達を、罠にかかった魚のように丸ごと吊り上げていたのだ。
「な、なんだこれは!」
「団長!やはり敵の罠です!」
「そんなことは分かっている!どけ!網が斬れないだろう!」
狭い網の中に押し付けられ合っていることで、剣も満足に振るうことができない。
罠に巻き込まれなかった聖騎士達は報告に戻る者と何とか罠を解除しようとする二手に分かれ行動を開始した。
「ヒッヒッヒッ。これは見事にかかったのう。それに大物を連れてくるとはな」
「ハリシャ!危うく俺まで巻き込むところだったぞ!」
「ヴィジャー、そう怒るな。結果は成功に終わったんだ」
道の脇からバザーやハリシャが姿を現した。弓や槍を構えた部下の亜人達もそれに続いて、罠にかかった聖騎士達を包囲する。
「我は“豪王”バザー。人間共よ、抵抗は無意味だ。おとなしくしていれば傷つかずに済むぞ」
「“豪王”バザー……!団長、奴で間違いありません、それにあの白い亜人も確か―――」
「バザーは知っている!だがあの白いやつは知らん!そんなことよりこの網を何とかせねば!」
「そこの女!それ以上暴れればお前の周りの者から殺していくぞ、おとなしくしていろ!」
罠をどうにかしようと試みていた聖騎士の一人が亜人によって捕まり地面に押し倒される。他の者も剣を構えて抵抗しようと試みるが、これだけの亜人に囲まれてはどうしようもない。
「バザー殿、殺してしまっては目的が果たせぬからな。ここはナスレネ殿より預かったこれを試してみましょうぞ」
「オイ、それを近づけるな!粉が漏れたらどうする」
「ヒッヒッヒッ、これは失敬、失敬。お前達、そこから離れるのじゃぞ?」
周囲にいた亜人達が避難を終えたのを見ると、ハリシャは取り出した袋を網の上へと投げ、的確に石で打ち抜いた。袋が破裂すると中から黄色に光る粉が飛び散り、下にいるレメディオスや聖騎士達へと降りかかる。
「な、なんひゃこれは!」
「ほう、この痺れ粉を浴びてまだ話ができるとはな。まぁいい。全員拘束しろ、特にあの女は厳重にな!」
身動き一つ取れなくなった聖騎士達は武装を解除され、次々と縄で縛られていく。
「さわるな!あひんども!」
触れてきた亜人に拳を振り抵抗し続けていたレメディオスも、数人がかりで抑え込まれるといつもの様な力を出すこともできずそのまま縛られた。おまけに口にも縄をかけられ、そのまま他の聖騎士達と共に連行される。
(くっ、このような事になるなど……!カルカ様、ケラルト……!)
亜人に捕まるくらいなら死を選ぶ。それが聖騎士として生きてきた自身の心構えの一つであったのに、いまやそれすらもできない。この期に待つ展開は間違いなく、亜人に犯されるか、解体され奴らの腹に入るに違いないと。
恐怖ではなく、どうしようもない自身の哀れな現状に怒りを覚え、身が震えた。
そうして今に至る。
痺れが無くなった時から隙を見て聖騎士達と共に逃亡を図っていたが、目の前に居座る蛇の目を掻い潜っていくのは困難だろう。
「そうか、お主がこの者達の代表者か。名を聞いておこう」
「レメディオス・カストディオだ」
「名前が長い、お前の事はレメと呼ぶ」
「駄目だ!その名で呼んでいいのは……!」
そう言いかけた矢先、グスターボがレメディオスの肩を掴み振り向かせる。
「何だグスターボ!今は奴と話している際中……」
「団長、今はおとなしく応じ続けてください!相手の不興を買うような真似は絶対に避けるべきです!」
「分かっている、あの化け物がどれほど強いのかも……。だがあの名で呼んでいいのはカルカ様とケラルト、それに両親だけだ!それ以外の者に呼ばれるのは―――」
「それでもです!頼みますから、どうか承諾してください!」
蛇に聞こえない程度の声で話しているつもりの二人だったが、我はどのような声の大きさでも一定の範囲内であれば聞き逃すことは無く、全て筒抜けであった。
「話をしている所すまないが、全て聞こえておるぞ。そう呼んでほしくないのであれば、我も無理に呼ぼうとは思わぬ。長い名を呼ぶのは面倒であった故、何時もこうしてあだ名をつけて回るのだ」
驚いた表情のグスターボを背に、レメディオスは先程の様な鋭い視線で我を見る。
「ならば、私の名はレメディオスと呼んでいただきたい」
「うむ、良いだろう。それでレメディオスよ、お主等の今後についてだが―――」
「その件、どうか私の命でもって、彼らを見逃していただけないでしょうか」
「ん、主の命?どういうことだ?」
誰の命を奪う気もなかったが、それを言おうとしていた矢先に思わぬ提案が飛び込んできたことで、続きが気になってしまった。
「私は聖騎士団長だ。私の命は彼ら全員に匹敵すると思っている」
「団長、何を言っているんですか!私達の命で団長が生きて帰れるのであれば我々は喜んで―――」
「駄目だ!お前達もカルカ様が大事になさっている民の一人だ。それではカルカ様が大事にしてきた民の命を損なってしまう。私は一人でも多くの民を救わなければならないのだ!」
聖騎士達の様子から見ても、この展開は予想していなかったのか、慌てた様子でレメディオスを諫めていた。
人間とはやはり面白いと、劇団を鑑賞し終えた様な感想を持った後、大きな咳ばらいをして場の雰囲気を元に戻す。
「話を遮ってすまないが安心するがよい。先も言った通り、我は誰の命を奪うこともしない。ただお前達を黙って帰すには問題があるのだ。このまま帰しては、報復のために我等に攻撃を仕掛けてこないとも限らないだろう?」
「ではどうすると?」
「主は聖騎士団長なのだろう。なればそれなりの地位を持つということだ。この場で、今後我らに手を出さないと誓うのだ。我もお主等に手を出さないと誓うぞ」
「飲まなければどうなる」
「お主達には悪いが、しばらくはここに留まってもらおう。代わりとなる者を派遣させ、再度約束を結ばせるだけだ。最後の手段としては、我が直接赴いて話をしても良いのだが」
この化け物が聖王国に乗り込む。
レメディオスの額に汗が流れた。
この化け物はこれまで相手してきた亜人など比べようもないほどの力を持っている。それはこの化け物が放つ圧倒的な圧が物語っていた。無垢な赤ん坊でさえ、この者の前にくれば泣くのを止めるだろう。
それでも、主であるカルカを軽んじるようなことをするのはできなかった。
「私は聖騎士団長に過ぎない。私の一存で聖王国の行く末を決めるなど……」
「……それもそうだな。いや無理を言って悪かった、ひとまず今日の所は休むがよい。我の考えであればもうじきお主達から動きがあるはずだからな。必要な物があれば何なりと申すがよいぞ」
我は話を終えると再び体を埋めた。
その後、良かれと思って用意させた生魚は不評だった。どうやら生魚を食する文化はないようだ。
(生肉がダメなのは知っていたが……、生魚もダメなのか……。好き嫌いが多いのだな)