「…………予定とは巧く行きませんな」
「全くですね」
北野オーナーと瀬戸内調教師は、馬主席の最前列で、胃に穴が開きそうな思いでため息をついた。
彼らの視線の先、眼下に広がるパドックでは、熱狂的な歓声が地を揺らしている。
「お帰りなさい、ホワイトグリント!」「僕たちの白雪姫!」「オスカーを君に!」「マイケル! 素晴らしい歌だ!」
飛び交うのは、もはや競走馬に対する声援ではない。それは、一国の救世主、あるいは時代のアイドルに対する狂信的な喝采だった。
ホワイトグリントに乗ってから彼女の大ファンになったマイケル・ジャ◯ソンが、一切楽器使わずに新曲歌い上げているのが更に熱を過熱させている。
《一昨年大歓声をあび、夏に公開された映画の銀幕スターがステイツに帰ってきてくれました!》
場内実況が、マイクが割れんばかりの咆哮を上げる。
《春! ドバイワールドカップを制した白馬が! 夏! アメリカ史上の映画初動を尽く塗り替えた『HORSE』主役、オグリキャップの娘・ホワイトグリント! 9番のゼッケンをつけた彼女がついに! BCクラシックのゲートに足を踏み入れるのです!
帰って来てくれました!!!》
北野オーナーは頭を抱えた。
本来の予定では、ドバイでの激戦を終えたホワイトグリントは、北海道の涼しい風の中で弟のカーくんを愛でながら、ゆっくりと疲れを癒すはずだった。
秋にはフランス牝馬限定G1のヴェルメイユ賞走ってから、国内のジャパンカップダートを走り、年末、疲労の極致に達した覇王・テイエムオペラオーを、有馬記念で万全の状態から刺す。
それが、彼らが描いた「打倒・オペラオー」の完璧なシミュレーションだったのだ。
しかし、誤算は起こる。
夏に公開された西部劇映画『HORSE』が、アメリカ人の魂に刻まれたフロンティア・スピリットと家族愛を完膚なきまでに焼き尽くし、再構築してしまったのだ。
作品自体が素晴らしい事もあったが。
「草原(牧場)で仲睦まじく暮らす芦毛と白毛の馬の家族」という、馬の生態学を無視した奇跡のような映像美と、その家族がアメリカの誇り*1オグリキャップ·ホワイトグリント父娘の家族のものである事に全米の涙腺が崩壊したのだ。
「理想的なアメリカの家族を営む馬たちと共に家族で開拓する」キャッチコピーそのままの動画は、一切加工していないこともあり感動で観客のハートを鷲掴みにした。
そんな所に「なのに、ホワイトグリントは競馬改革したアメリカで走らない。フランスはヴェルメイユを走る*2。そう! 秋! 日本から海を渡るのに! ステイツではなくフランスなのだ!!!」という情報が流れた。
──当然、「「「ファァーッッックッ!!!」」」とアメリカンは激昂した。
結果、ホワイトハウスから「一昨年、あんな目に合わせてしまった彼女たちに、ぜひ我が国の競馬改革を見に来てほしい」という大統領直々の親書が届き、日本政府も「決定権はそちらにあるのは重々承知してますが──よろしくお願いします」と大臣直々による横槍(威圧)を入れた。
《パッツィ賞だけではありません! 父オグリキャップと共にオスカーを! ジャーマン・シェパードのスター犬リン・チン・チンさえ獲れなかったオスカーを確実視されている白雪姫が! 主演女優賞を確実視されている白雪姫が! ついにステイツに帰ってきました!!!
ああ! 大草原の小さな家! 我らの先達の家族はああして馬の家族と共に生きていたのです!!!》
賛同の大歓声が響き渡る。「映画に出ているあの一家を馬の基準にしないでくれ」という専門家の意見をゴミ箱に叩き込んだ大歓声が。
北野オーナーと瀬戸内調教師はあまりの盛り上がりに胃をおさえた。
《残念ながら、ホーリックスは南半球に生まれを合わせるために、次の産駒を交配したばかり。オグリキャップも、乳離れしたカーくんが離れてくれないため来れませんでした。代わりに生動画をご覧ください!》
スクリーンには、跳ね回る息子を優しく受け止めながら走りを教える父、その姿を優しく見守る胎内に子を宿したばかりの母が映る。
《これが、馬の家族です! ええ! そうです! 馬の家族とはこういうものなのです!
あぁ! ホワイトグリントッッッ! お姉ちゃん! 離れた家族の姿を見て喜ぶ! 映画は事実だけを撮ったのです! 馬の家族とはこういうものなのです!》
訂正。「映画に出ているあの一家を馬の基準にしないでくれ」という専門家の意見は、感涙しながら叫ぶ実況はもちろん、共感の大歓声を上げる観客の耳にさえ届いていない。届く見込みもない。
「お父さんとお母さんと弟だ!」とタッタとスクリーンに駆け寄り、ヒンヒン鼻を鳴らして喜ぶ白い姉。彼女の姿とスクリーンを同時に収めた映像こそが真実になるのだ。
「視聴率は? 60%! 勝ったぞ!!!」と咆哮している競馬局の上層部が、それを真実にしないはずがないのだから。
《弟は、イギリス女王陛下の所有馬です。誰にも手に入りません。
そして次に生まれてくる産駒も──ホーリックスのオーナーが、絶対に手放さないと断言しております》
言葉を言い終える前に、馬主席から凄まじいブーイングが轟いた。
「売れよ!」
怒号が飛び交う。
それは一人や二人ではない。居並ぶ全てのオーナーと調教師が、声を揃えて咆哮しているのだ。
「あんたら日本人は、ウチのホーリックスを日本馬だと思ってるんじゃないだろうな」
そうホーリックスのオーナーに言われた北野オーナーと瀬戸内調教師と一緒に。
もちろん、北野オーナーと瀬戸内調教師は日本の競馬ファンと同じくホーリックスは日本馬だと思っている。
ジャパンカップでオグリキャップとワン・ツーを決めた奥さん。
ホワイトグリントの母であり、最近は次子も産み、腹に三子もいる。家族揃って映画に出演するほど仲睦まじい。
日本馬だな。間違いない。
それが、彼らを含めたごく自然な日本人の認識だった。
「日本馬だから返してよ」とばかりに売買交渉を何度も持ちかけるも、ホーリックスを当然売らないグルシオーナーに、内々で「人でなし」呼ばわりしている
後年、ホワイトグリント産駒であったアレコレが規模を小さくして北米の地において前倒しで行われていた。
「主演女優賞確実視、なんて言われてる馬を、アメリカに行かせないなんて許されない雰囲気でしたからな……」
「アグネスデジタルがBCダートマイルを走ってくれるのが、せめてもの救いですよ……」
それはそれとして、北野オーナーと瀬戸内調教師は計画外れをぼやきながら見回した。
目の前には、不屈の闘士ティズナウ。アイアンホース、ジャイアンツコーズウェイ。そしてケンタッキーダービー馬フサイチペガサス。
アメリカが誇る、鋼鉄の筋肉をまとった怪物たちがそこにいた。
牡馬たちは、そのあまりの美しさに射抜かれたような、どこか恍惚とした視線を白い牝馬へ送っている。だが、その背に跨る騎手たちは違う。
「3つ目のステイツのG1を、東洋の白雪姫に獲らせてたまるか!」
剥き出しの殺気を込めた視線が、ホワイトグリントを、そして鞍上の沙藤を射抜く。
温いレースになど、なるはずがなかった