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サイレンススズカとライバルの戦い。
1998年7月12日 阪神競馬場。
「いや、壮観だなあ」
北野オーナーは家族と一緒に阪神競馬場の馬主席に入って感嘆の息をついた。
満員で入場規制が敷かれた阪神競馬場の観客席も凄いが、馬主席の熱気も凄い。
「おお、これは北野さん。いらっしゃったんですか」
「これは、半田さん。お久しぶりです……ははは、今日は馬主特権使って観客ですわ」
「そちらもですか。私もなんですよ」
知人の馬主と会い談笑しながら、中央付近の席に着く。
「やはり、あの二頭のぶつかり合いですからね。年甲斐もなくワクワクしています」
「いや、楽しみですな。そちらのホワイトグリントも秋にはぶつかるでしょうし」
「本当に。と言いたいんですが、偵察なんて頭の欠片にも浮かびませんでしたわ。ただただ見たくて来ました」
「いや、全くその通り。私も同じなんです。今年の宝塚記念はすさまじいですわ。牝馬の身で秋の天皇賞を獲ったエアグルーヴや3連勝して春の天皇賞で2着になったメジロブライトですら、その他扱いですからな」
「いやはや、牧場で見かけたのですが、彼があそこまで強いとは」
「北野牧場で完治されたんですよね。ウチのグラスワンダーと同じく」
「ええ、その通りです。ウチの牧場の治療を受けてもらいましたよサニーブライアンには」
名馬たちですら霞む二頭の名。
一頭は、昨年皐月ダービー二冠馬となった後故障し復帰後有馬記念を制し年度代表馬となり。今年に入り産経大阪杯でエアグルーヴを、天皇賞春でメジロブライトを、それぞれ破って宝塚記念に歩を進めたサニーブライアン。
昨年の皐月賞から故障を挟んだ期間も含め、5戦5勝無敗で逃げ切った馬。
G1・4勝。誰も実力を疑わない最強古馬である。
「5連勝。紛れもなく最強古馬と断言すべきサニーブライアンが今のところ2番人気ですからね」
「ええ、信じられないくらいですよ。でも、仕方ないかもしれません。今年に入って覚醒したサイレンススズカはそれほどでしたから」
もう一頭は、サイレンススズカ。
去年こそ、精々世代上位に過ぎなかったが、暮れからコンビを組み始めた竹騎手の手腕で才能が開花。バレンタインS・中山記念・小倉大賞典・金鯱賞を4連勝。
レースの格ではサニーブライアンに劣っているものの、小倉大賞典と金鯱賞をレコード勝ちで逃げ切った。
特に金鯱賞では、道中大きく逃げてリードを作り更に直線で突き放すというサラブレッドの理想のような勝利をおさめ一気にスターダムへ伸し上がった。
「G1勝利が無い馬が、昨年年度代表馬のサニーブライアンを抑えて1番人気ですからね」
「やはり、竹騎手をエアグルーヴ陣営がサイレンススズカに委ねたのが大きいでしょうな
──あの二頭が居なければグラスワンダーも此処を復帰戦と考えていましたが、トレセンに戻ったばかりのまだ成長途上のあの子には厳しい相手だと先生と主戦の(強調)的羽騎手に言われまして。
札幌記念から再開させてもらいます」
その二頭が激突する。
最強の逃げ馬がどちらかを賭けて。
逃げ馬対決。それ以外に表しようがない二頭との争いに、観客は押し寄せ馬主席も埋まった。
「なるほど、グラスワンダーは札幌記念からですか」
「ええ、今年の夏は、じっくり涼しい北海道で調教させてもらいます」
「ほほう、それはそれは……それにしても、竹騎手を他に委ねるとは、馬主の吉野さんも豪儀なことをしますなあ。しかし──」
ここで北野は声を落として周りを見渡す。知人も心得たように頷く。
「バッチバチですな」
「懐かしいですよ。この空気。最近は余裕が無くて皆さん出来ませんでしたからね。これも競馬の醍醐味ですな」
「いやはや、実況の『関東の刺客ライスシャワー』などや皆さんから薄々聞いとりましたが、面白いですわ。ここまで皆さん感情を露にされるとは。普段は中々」
「競馬は趣味ですからな。ここでくらいは素をさらけ出したいと皆さん考えますし、許されてます」
「いやー、私もそうしようと思います。少し遠慮しとりましたわ」
横の北野夫人が『シロちゃんの応援に絶叫して、鏡や机何度も叩いてスーツ乱れさせているのにこの人何言ってるんだろ』という目を向けるのを気にすることなく北野は馬主席を見渡す。
『君もだろ』と突っ込まないのが夫婦円満の秘訣である。
入って右側にはサニーブライアンの馬主を中心とした今日出走馬が居る関東勢。
入って左側にはサイレンススズカの馬主を中心とした今日出走馬が居る関西勢。
それぞれ固まっている。
空白の中央部には、社大などどちらかにつくわけにはいかない者や、純粋にレースを見に来た北野のような者が固まっている。
そして、関東勢と関西勢はお互い顔も目も合わさずにバチバチと空気に火花を生んでいた。
開催日前から表には出ないが色々あった。
「悔しい限りだが、今のエアグルーヴでは今のサニーブライアンに、あの関東馬に勝てない。
君はサニーブライアンに勝てる馬、サイレンススズカに乗ってくれ。
そして、関西馬の誇りを守ってくれ! メジロブライトさえ京都でやられてしまった!
やられてしまったんだ。あのメジロの馬が。関西の誇るスタミナ馬が!
関西の京都でやられてしまったんだ!
あの水も坂もろくに改善しない関東の連中に!
これ以上関西で、阪神の地で関東馬に好きにさせないでくれ!」
宴席で、竹騎手の肩を鷲掴みにしてエアグルーヴの馬主吉野氏が咆哮し、同席していたサイレンススズカ馬主と調教師が任せろと力強く頷く他方。
「たかだか坂路と良い水があるだけの関西にこれ以上でかい顔させないでくれ。
競馬ファンは圧倒的に関東の競馬場に来てくれてるし、G1だってほとんど関東なんだ。
なのに、なのに……西高東低だとぉ! 巫山戯るのも大概にしろ!
ホワイトグリント(関西馬だけど沢山客を呼んでくれるアイドル馬だから、オグリキャップと同じ特別枠。大好き)のお陰で水を含めて設備改革の目処はついた。
今こそ反撃の時だ!
その先鋒として! 京都競馬場だけじゃなく阪神競馬場でもトドメを刺してきてくれ!」
宴席で、大里騎手の肩を掴んで美浦トレセンの偉いさんが力強く念を押して、サニーブライアン馬主と調教師が何度も頷いたりしていたりした。
それ以外にも各トレセンは調教の時間や設備をサニーブライアンとサイレンススズカを優先させるなど、出来る限りのことをした。
つまりは──思いっきり東西で争っていた。
ここ最近では、絶望的な将来の悲観から互いに争う余裕がなくなり消滅していた競馬名物である東西争い。
ホワイトグリントのお陰で元気を取り戻した競馬界は、元気よく東西争いを再開していた。
そして、ここに来て最強クラスの関東馬サニーブライアンと同じく最強クラスの関西馬サイレンススズカが上半期を締めるグランプリ宝塚記念でぶつかる。
本質的に2000mがベストと思われるサイレンススズカと2400がベストと思われるサニーブライアンが、2200mでぶつかるのだ。
同い年の逃げ馬どっちが強いか。これほどお誂え向きなレースは無かった。
当然、東西争いに競馬界は盛り上がった。
『逃げ馬対決!』『関西の逃げか関東の逃げか、どっちだ!』『二冠馬か! レコード馬か!』『大逃げか! 巧緻の逃げか!』『西と東、どちらが逃げ切るのか!』『関東の誇りサニーブライアンが勝つ!』『関西一の逃げ馬サイレンススズカが日本一となる!』『昨年ダービー以来の逃げ馬対決!』
新聞もテレビもラジオも東西争いを煽りに煽った。
かくて、関西VS関東と化した二大逃げ馬の決戦が始まろうとしていた。
返し馬にて
「大里さん、勝たせてもらいますよ」
「おお、竹くんじゃないか。今日はよろしくな。最近、ほとんど話せなかったけど、俺もさ今日は逃げ」
「失礼します」
気さくに声を返しながら、番外勝負を仕掛けてくる大里から逃げるようにして竹はサイレンススズカを進ませる。
悔しいが、今の自分では大里と心理戦では敵わない。
いや、騎乗技術も劣っている。
それほどまでに大里は巧い。巧すぎると言いたくなるくらいに。
唯一上回っていたのは、大里に縁が無かった大レースの経験と勝負勘だったが、エアグルーヴで叩きのめされて痛感した。
(もう、そこでも敵わんかもな)
有馬記念と大阪杯で理解した。何より
(あんな、あにさん。初めてみたわ)
ステイヤーメジロブライトを駆り春天をサニーブライアンと競い、十中八九勝てると自信満々に笑っていた勝負に敗れた兄弟子を思えば。
「優。宝塚も俺はブライトに乗る。お前とは敵同士や。だから言ったらあかんのは分かっとる。でも言うわ。言わざるをえん」
──大里に気をつけろ。
青褪め小刻みに震えさえしていた兄弟子を思えば疑う余地は無い。
もはや大里に弱点は無い。
昨年から増えた騎乗依頼では、自分より質の悪い馬で自分よりも良い勝率を上げ、さらに依頼を呼んで中日新聞杯などの重賞にも勝っている。
(だが、負けん。負けたくない)
サイレンススズカに乗せてくれたエアグルーヴの馬主を含めた人たちから重い期待が集まってるし、何より勝たせたい。
サイレンススズカを勝たせてやりたい。
G1馬にさせてやりたい。
自身が乗った中でトップクラスのこの馬に相応しい肩書を与えてやりたい。
皆の期待通り、勝たせてやりたい。
だがマトモに逃げれば厳しいかもしれない。
逃げではなく、差し、いや、先行するか。
ぷるるる
「おっ、スズカ──そうだな。ああ、そうだ」
そうだ。サイレンススズカに出来る事は逃げて差すしかない。
大逃げしか出来ないのがサイレンススズカだ。
「お前、不器用だものな」
ぷるる
首を傾げるサイレンススズカに笑みが漏れる。
強い。紛れもなく強い。サニーブライアンと大里は。
エアグルーヴと自分では歯が立たなかった。
だが
(サイレンススズカならいけるさ)
竹はプレッシャーに余裕のない内面でも笑みを浮かべた。
(可愛いなあ。竹くんは。余裕ないのが丸わかりだ)
あっさりと、こちらに背を向けた竹の内面状態を把握した大里。
ホワイトグリントとのアレコレ。G1馬でもないのに1番人気。加えて、馬主の主導でサイレンススズカに乗らせてもらった。特に、そんな、周りの偉いさんからのプレッシャーを自然と受け止めるには竹優はまだ若かった。
幾らでも付け入る隙が本来はあるのだが、悲しいことに今回はそこまで無い。
(だが、あいつと組み合わせると欠片も可愛くないんだよな)
竹に余裕が無いのは有り難いが、見て見ろサイレンススズカを。
竹に余裕が無いなと察し、ぷるると鳴いて竹に余裕を僅かと言え取り戻させた。
強い。
馬として強い。
競走馬と理想的と言えるほど強い。
(俺には絶対に縁のない馬だな)
寂しささえ感じるが、競馬で飯を食って痛感したことだ。
関西馬というだけではない。一流馬と呼ばれる馬自体に縁がないのが大里だ。
この世界に全く縁のない生まれで、口下手な大里は営業が全くできなかった。
そんな大里に、サイレンススズカのような超一流馬の依頼など絶対に来るはずが無かった。
今の竹のような知人なら兎も角、初対面の人間や大勢の相手ではどうしても上がってしまうのだ。
それでも、競馬に縁がある人物の子供や弟なら甘く見てもらえるが、大里にはそんなものは無かった。
だから、腕を見込んで愛してくれている師匠と、師匠の知り合いしか依頼は来てなかった。
最低クラスの年間200を下回る依頼。
二桁に届かないどころか年に1回しか勝てない年もあった。
だから、調教の手伝いで食いつないだ。
そして、一生懸命調教した馬が他の騎手で勝つのを見届けた。
毎年、ダービーだけは競馬場に行った。騎手としてではなく、観客として観た。
ダービーの日なんて目立つ日に、14年以上も重賞に勝っていない忘れられた騎手の自分に乗鞍なんて無かったから。
それでも、騎手として特別なダービーにまたでたかったから、諦められなかった。
サニースワローと出た思い出が忘れられず、諦めきれなかった。
それが何年も、何年も続いていた。
──そして四捨五入すれば40になる歳に諦めた。
引退して調教師になるか。いや、それでは今までと同じく口下手が足を引っ張る。調教助手になるか。そう思っていた。
ぷるる
「おっ、ああ、分かってるよ。お前も、本来は俺には絶対に縁が無かった馬だ
──最強馬だ」
考え込むこちらに気を使ってくれたサニーブライアンに微笑む。
そうだ。
数少ない依頼の中で巡り合えたサニーブライアン。
騎手を諦めた時に巡り合ったサニーブライアン。
こいつは最強馬だ。
紛れもなく最強だ。
疑われていた皐月やダービー、そして有馬記念。それらを尽く弾き返した。
そして、大阪杯と天皇賞春では遂に一番人気になり、人気に応えた。
もはや、その強さを疑う者はない。
伏兵なんてもう誰にも呼ばれない。
フロックだと誰も言うことは無い。
だから
「2番人気か。実力以下の人気は久しぶりで、何時も通りだな。サニーブライアン」
勝とう。
何時も通り、人気を覆して勝とう。
ちょっとばかり周りの期待が重いが、何時も通り走って勝とうじゃないか。
俺とこいつならそれが出来る。
だって、それをやり続けてきたのだから。
「いこうか。獲りに」
そうだ。
こいつとなら負ける気がしない。
だって、こいつはサニーブライアンなのだから。
俺をダービージョッキーにしてくれた愛馬なのだから。
のぼせてウイニングランをした俺のミスで故障させ、さらに強くなって帰ってきてくれた愛馬なのだから。
「さあ、1着を獲りに行こうサニーブライアン」
1番人気なんて要らない。1着だけが欲しい。
大里はゆったりとした笑みを浮かべた。