黄金世代の白雪姫   作:サリエリキキ

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1998/11/29 ジャパンカップ②

 パドックから返し馬にて、海老名はここ3ヶ月を思い返していた

 

(田柳先輩が、いや、田柳の野郎があんなこと言ったせいで色々あったな)

 

 3ヶ月。パシフィッククラシックステークスからそれだけ経った。

 ちょっと前までは、心の中ですら先輩付けだった相手である田柳の野郎が公共の電波でトンデモない発言をしてそれだけ経った。

 

 ──アレが出来る騎手は超一流です。審議に問われることなく、強い馬を潰して勝ちに行く。言葉では簡単ですが出来る騎手は一握りです。

 ──丘部騎手、竹騎手、大里騎手、的羽騎手の4人が確実にできます。

 ──海老名騎手はまだ腕が足りません。柴野騎手は精神が一皮剥ければ出来るでしょう。ノリは出来る時と出来ない時の波が激しすぎるので出来ないとしました。

 

 視聴率40%超えのHHK番組でこんな発言されてから本当に色々あった。

 好奇の視線や噂の的になり続けた。人の噂も七十五日は嘘だ。それ以上に続く。

 取材もあの発言をどう思うか? が主で胃が痛い思いをした。

 何よりも、騎乗技術に対する疑いの眼差しを向けられたのが堪えた。

 馬主から疑いの眼差しを向けられるのは仕方ないが、調教師や調教助手や厩務員からも疑いの眼差しを向けられたのは堪えた。

 

(田柳の野郎。自分の発言の威力ぐらい知っとけよ)

 

 あの田柳がまだ腕が足りないと評する騎乗技術。なら、ウチの大切に育ててる馬は他の騎手が良いんじゃないのか? とかなりの競馬関係者が考えた。

 結果を出したのでお手馬は死守したが、依頼は減った。どいつもこいつも疑いの目で見てくる。

 そして願うのだ。

 

 丘部、竹、的羽は手一杯だけど大里空いてるじゃないか。大里に乗ってもらえないかな。

 いや、乗ってもらおう。

 手が空いてるなら試しに乗ってもらおうぜ。

 9回。自分への依頼をそれまで出していた調教師が、そんな考えで大里騎手に乗り換えた3ヶ月での数である。

 怒りを覚えたことはある。嘆いたこともある。

 しかし、今では諦観している。

 

(それで結果出すんだものなあ大里さんさぁ!? いや、あの人が巧いって知ってたけどよぉっ!? あそこまで巧いと何も言えないよ。

 俺が大里さんより下手だとは、認めるしかないさ……口には絶対に出さないけどな)

 

 自分を含めた騎手たちの依頼を回された今日は中京に居る大里騎手は、昇級期限ギリギリの未勝利馬を勝たせたり、オープンになれても掲示板に載せられず昇格失敗と囁かれた馬を重賞勝たせたりした。

 今までとは違う馬質の依頼がたくさん来た上でのローカル期間中とはいえ、3ヶ月で40勝近い勝鞍稼いだのは尋常ではない。複勝率は7割を超えているのだから頭が痛い。

 馬主も調教師も調教助手も厩務員も「「「田柳先生の言う通りに本当に巧い!? もっと早く乗り替わりするんだった!」」」とニコニコだ。

 依頼やお手馬獲られてしまう! と青褪めている自分を含めた騎手たちと違って。

 相変わらずシャイで口下手だが、此処まで結果を出すと寡黙な仕事人としか思われない。

 逆に頼もしがられている。

 将来は調教師を志望している海老名にとっては、悔しい限りだが「そら依頼取られるわな」と諦観しかできない。

 自分が調教師なら、自分よりも大里騎手に依頼をするに決まってるもの。

 

(来年は間違いなく関東リーディングは大里さんか的羽さんに獲られるだろうな──短い栄光だった)

 

 今年初めて関東リーディングを獲り、やったー! と喜んでいた海老名にとって、悲しく危機感しか覚えられない状況だ。

 来年からは間違いなく依頼が減るのが目に見えている。

 が。

 

(ま、サニーブライアンが居てくれて良かった)

 

 最強クラスの逃げ馬に大里さん騎乗なんてどうするんだよ。と頭を抱えていたのは過去の話。

 どうしようもないから、とりあえず掲示板に入ろう。と秋天で4着に入ってサニーブライアンとグラスワンダーの強さにドン引きして絶望したのも過去の話。

 

(お陰でエルコンドルパサーに乗れたからな。サニーブライアンが居なけりゃ大里さんに持っていかれた。

 こいつに乗れたなら何もかも構うこと無いさ)

 

 海老名は割と色々あったが、ホワイトグリントに馬立ちしてるエルコンドルパサーの強さにどうでも良くなっていた。

 

(海老名騎手はまだ腕が足りません。か。ああ、言っておけよ。

 巧くなって田柳の野郎に「お願いします。乗ってください」って言わせてみせる。

 その為に田柳厩舎に顔出して色々学んでいるんだからな)

 

 リーディングジョッキーとして、より前を向いていた。

 

 

 

 

 

 

(さて、遂にか)

 

 真の畜生田柳により、パシフィックステークスで全国に刻まれたド畜生評価を、何とか──(騎乗馬質が上がった大里騎手とほぼ全ての開催日のレースでぶつかるという悪夢と比べることで)辛うじて受け止めた竹優はある種の感慨を噛み締めていた。

 

(遂にホワイトグリントと本当の意味で戦うのか)

 

 トップジョッキーとしてG1レースの殆どに顔を出す竹優である。ホワイトグリントは何度も、いや牝馬G1戦線全てで戦った。

 そして痛感した。

 

(エイシンシンシアナもファレノプシスも良い馬だけど、ホワイトグリントと戦える馬じゃない。良い馬じゃホワイトグリントには、もう届かないんだ)

 

 せめてエアグルーヴがピークなら話は違うのに! とエリザベス女王杯で嘆いたが、たとえピークでも緊張しきっていたから無理だったろう。

 色々な意味で、今日漸くホワイトグリントと戦える馬に乗ることが出来るのだ。

 

(スペシャルウィークでどう挑むかだな──どう挑むかだって? ダービー馬なんだぞスペシャルウィークは。これじゃあまるで)

 

 オグリキャップの時と同じだ。

 思わず手綱を握りしめた。

 思い返すのは有馬記念。菊花賞馬スーパークリークに乗って当時無冠のオグリキャップや天皇賞春秋馬タマモクロスに挑んだレースだった。

 菊花賞馬のスーパークリークが4番人気。

 無冠馬オグリキャップは2番人気。無冠馬より菊花賞馬は下の評価。

 決して許せない評価だった。

 

 勝利への執念。

 

 ただそれだけで勝ちにいった。

「審議を取られるとは思っていた。でも、あそこを通らないと勝てないと思った」言葉通りに審議覚悟で勝ちにいった。

 結果は3着入線。失格。

 失格は悔しかった。しかし、スーパークリークで失格をとられるほどの強引な仕掛けをしても、なお届かなかった馬が2頭もいた方が若き竹優には衝撃だった。

 そのレースで引退するタマモクロスではなく、同年代にそんな馬がいるのが衝撃だった。

 何よりも、レース前に内心自分が挑戦だとみなしていたと失格を通告された時に理解したのが衝撃だった。

 

 オグリキャップにスーパークリークは劣る。そう認識していたから挑むと考えていたことが──

 

(止めよう縁起でもない。スペシャルウィークとスーパークリークを重ねるなんてどっちにも失礼だ)

 

 過去を振り払うと竹優は現在を見据える。

 

 ──牝馬限定戦が殆どとはいえ無敗の七冠馬だよ! 怪物の中の怪物じゃないか!? ダービー馬とはいえG1一勝馬は完璧な挑戦者だろ! どうすんだよ!? 何で同年代にあんなのが居るんだよ!? オグリの時と同じじゃないか! 何よりもどうして俺は乗れないんだよ!!?? オグリキャップの娘なんだから乗せてくれよ!!!??? 

 

 見据えた結果、響き渡る現在の悲鳴を振り払うために独りごちる。

 

「しかし、牝馬に興味ないと思ってたけど違ったんだな」

「ですよね優さん。スペもちゃんと牡でしたよ」

「本当ですよね。いや、ひょっとして、ダービー馬なのに繁殖厳しいんじゃないかと焦ってました」

「はは、私らもです。いやはや馬よりも人間に懐く子ですからね。手がかからないし可愛くて仕方ないんですが、繁殖行ったらどうするんだろ? と考えてました。何の心配もいりませんわ」

 

 自分の独り言に合わせてくれた厩務員と談笑して返し馬に向かう。

 

 スペシャルウィーク。

 人間に育てられたが故に馬社会に馴染めず牝馬に発情しなかった彼は、ホワイトグリントを見て初めて馬立ちしていた。

 

 

 

 

 

 

(ルドルフを超えさせないと言ったもののキツイな)

 

 丘部は悲しみさえ覚えていた。

 エアグルーヴは良い馬だ。本当に良い馬だ。少し衰え始めたが良い馬だ。

 

 だからといって、無敗の三冠牝馬にしてアメリカクラシック馬に勝てるかと言えば次元が違う問題だ。

 

(ルドルフなら勝てるんだがな)

 

 問題なく勝てる。

 自負ではなく客観的な視点で、万全のシンボリルドルフならホワイトグリントに勝てる。

 

(──あの訳わからん伸びさえなければだが)

 

《天使の笑顔と飛躍》《白雪姫の奇跡の一歩》《最後の直線に生まれる芸術》《神秘の末脚》こんな呼び方されているひと伸び。

 

(なに、アレ???)

 

 40年近い年月を馬に乗って過ごした丘部幸夫にもさっぱり分からない。

 ただ有ると認識しなければならないのだ。

 そう、末脚が尽きても更にもうひと伸びしてくると認識しなければならない。

 勝った! と鞍上が確信した時に、もうひと伸びされて負けると認識しなければならないのだが。

 人間にはそんなの無理だ。馬にしてもらうしかない。

 ホワイトグリントに勝つには、人間の勝利の確信を否定して自分で勝ちに行くような馬でなければならない。

 人間の愚かさをフォローしてくれる馬でなければならない。

 シンボリルドルフのように。

 

(やっぱり、ルドルフじゃないと無理だな)

 

 ピークのシンボリルドルフがルドルフの系譜でもう一度来てくれないかな。そしたらトップジョッキーとして圧かけるなり何なりして、人でなし呼ばわりされようとも主戦になるのに。と日々捧げている祈りを丘部はレース場で何時ものように捧げた。

 

 祈り続けたピークのシンボリルドルフことトウカイステージが、トウカイテイオー✕ホワイトグリント産駒として自身が騎手を引退した後でデビューするという、競馬の神のサディスティックっぷりが際立つ残酷な未来を想像さえ出来ない丘部は祈る。

 

 

 

 

 

 

(コイツら相手で、2400は短いわ。本当に)

 

 川内はメジロブライトのステイヤーっぷりに天を仰ぎたかった。

 勝ち目はほぼ無い。

 

(エンジンかかり始めるのがそのくらいやからなあ。最低でも3000欲しいわ。そのくらいだとエンジンかかるし。

 それでも全力使い切れへんけどな。3200でも割と短いんやで。一番ありがたいのは3600からや)

 

 ステイヤーズステークスの大差勝ちが示すようにメジロブライトは完璧なステイヤーだった。

 それも3200ですら足りない本物のステイヤー。

 

(その辺見抜いとった大里に春天でやられたくらいのステイヤーなのにな)

 

 なのにジャパンカップに出てる。

 2400で最強クラスの馬たちと戦おうとしている。

 ホワイトグリントと戦うために。

 紛れもなく最強クラスの白馬と戦うために。

 

(アイツどう考えても距離オグリと同じやろうしなあ。此処でないと戦えへんやろうし仕方ないか)

 

 父オグリキャップに乗った川内は、似たような体型のホワイトグリントには春天長いだろう。と思っていた。

 瀬戸内調教師は回避させるだろうとも。

 時代は変わった。マイラーやスプリンターが長距離走らなくても悪く言われることはない。

 北野オーナーは瀬戸内調教師の進言に頷くだろう。あの馬主さんは愛馬に無茶をさせても無理はさせない。

 オグリキャップの2代目と3代目馬主とは違う、北野オーナーは「馬好きの馬主さん」だ。

 オグリの初代馬主の大栗氏と同じく、馬のもたらす栄光よりも馬そのものを愛しているタイプの馬主。

 自分たち騎手を含めた競馬関係者にとって、親しみやすく交流しやすい馬主さんだ。

 オグリキャップブームで来て、オグリの子らが活躍しないのを見て悲しんで去ってホワイトグリントブームで戻ってきてくれた馬主さんたちと同じく。

 

(オグリの時もあんな馬主さんなら儂が最後まで乗れたかもな)

 

 寂しさを覚えるが振り払う。

 

(良いレースを、いやホワイトグリントと戦うレースをするんや。そうしたらメジロブライトはステイヤーとして戦える。本当の意味で戦える)

 

 欧州へ行こう。

 言われて胸が高鳴った。

 イギリスはゴールドカップとグッドウッドカップとフランスはカドラン賞を目指す。

 賞金は低いが夢を追う。

 

(メジロの夢やな──あぁ、あかんわ……勝ちたくなる)

 

 川内は不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

(さて、どうするかな)

 

 ホワイトグリントに跨った沙藤徹三はレース展開に頭を悩ませていた。

 

(今日は大丈夫や。鞭も打ってやれる。相手も強い。痛苦の限りを味わえるでグリント!)

 

 いや、普段はパドックで乗ってから自分に色々な所に身体ぶつけたいと強請るのに、つーん、としてしまったホワイトグリントを振り向かせようとしていた。

 

(今日こそは今日こそは大丈夫や! 今日こそは大丈夫なんや! ……だからもうちょいコッチ意識向けてくれ

 頼む! グリントっ!?)

 

 誠心誠意を持って頼むと、チラリと視線を向けてくれた。

 鞭へと。

 物凄く期待した熱視線が注がれている。

 ホワイトグリントのあまりの美しさに、色気を感じたエルコンドルパサーとスペシャルウィークの挙動が怪しくなる。

 

(いや、鞭は駄目や。まだレー)

 

 プイ、つーん

 

(グリントっっっ!!!???)

 

 愛馬とは女房よりも気難しく厄介。

 騎手の中で謳われる格言を沙藤哲三は一身に味わっていた。

 

 

 

 

 

 そんな愛馬を瀬戸内調教師と並んでパドックで見る北野オーナーは「全くシロは変わらないなぁ。いつも通りだ」と周りに聞こえるように呟きながらホッコリした笑みを浮かべていた。

 愛馬こそが最強である。

 その確信を持つからだろう。ホワイトグリント産駒に関する社大や渡辺オーナーからの要望を断固として断った北野オーナーには、同じ笑みを浮かべる瀬戸内調教師と同じく余裕さえある。と周りから見られていた。

 

((今日こそは! 今日こそはレースで気持ちよくなってくれっ! シロっっっ!! 引退は、引退はまだ嫌なんだぁ!!! もっとレースで走る姿見せてぇぇっ!!! お願いっっ!!!))

 

 余裕さえあるとみられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、ヨンマのナンでもダービー特別編の時間です。えー、今日はね。ジャパンカップに合わせての特別編になりますわ。で、オグリ。あの、ハリウッドデビューするオグリキャップも東京競馬場に来てくれてるというのでカメラ合わせとるんですが……何処や?」

 

 馬場内エリア。コース内にあるエリアである。普段は芝生エリアとなっている場所がオグリキャップとの触れ合い場となっているのだが。

 

「オグリキャップ居ませんね」

「子供たちは居るんですけど?」

「親御さんたちがカメラ構えてる先と違います? ほら、あそこ?」

「あそこかぁ~。ちょっと、ズームして貰って良いですか?」

 

 パシャパシャとフラッシュ無しで数百人の親がカメラを撮り続ける先の子供の塊に

 

「あっ、居た」

「おったな頭だけ出とる」

「また、埋もれとるがな」

「寝そべった姿勢で子供に埋もれて頭だけ出てますね」

「あ、キスされとる」

「他の子もみんな顔にキスし始めた」

「目を細めるだけで動じてないですね」

「係員も止めていない。子供も消毒してるとはいえ此処まで許すなんて凄いですね」

「かわいー」

「オグリかわいいですね」

「あ、転びそうになった女の子助けたわ──顔で」

「顔だけひょっこりだして子供の相手しとるなあ」

「ですね、もう顔以外は動かせないんでしょうね。ほかは子供が貼り付いてる」

「いや、凄いですよ。こんな事、殆どの馬には出来ないです」

「そうなんですか森保騎手?」

「えぇ、馬は割と神経質な所がありますからね。此処まで人が密集して貼り付かれると心に来ます。流石です」

「流石はオグリキャップですなぁ」

「ホワイトグリントと目が合った時には笑ってましたね」

「グリントは甘えた顔になって近寄ろうとして沙藤騎手に止められましたな」

「相変わらず仲いいなぁ父娘」

「オグリに張り付いた子たちも手ぇ振って、いいですな」

「良いですよね」

「──あ、ホワイトグリント武者震いしてますね」

「お、ほんまや。武者震いしとるわ」

「アメリカの時以来ですね」

「こら凄いレースになりそうやな」

 

 

 

 ヨンマのナンでもダービー特別編は、好調な視聴率でスタートした

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