「さて──どうする」
JRA本部の一室では重苦しい空気が漂っていた。
オグリキャップのブームが終わり破滅が迫る中、ホワイトグリントのデビューにより払拭された重苦しい空気が。
ホワイトグリントが出ていても秋天の前年比馬券売上一割減、そんな絶望を味わった重苦しい空気が。
──ホワイトグリントがデビューした年である一昨年と比べて、三割増しの売上だったことを忘れてしまった重苦しい空気が。
「どうしよう。と申されましても、覚悟を決めなければならないのではないでしょうか──黄金世代のうち、ホワイトグリントしかジャパンカップに出れないという現実を受け入れる覚悟を。
このままでは八日前の秋天皇賞の如く、天覧競馬になったため制限した観客数は兎も角、競馬になってないからつまらないと激減した売上がジャパンカップでも起きるという落ちる覚悟を」
絶望。その一色に支配された妙齢の女性が声を絞り出すなか、神棚に目を向けた一同はそこに鎮座する葦毛馬像と白馬像に対して希望を与えてくれ! と願う。そんな中、責任者たる責務を果たさんとする声が上座から響いた。
「競馬にならなければ、強い馬が競走しなければ客は嫌になる。それを想定していたからこそ特例で検疫の短縮を認めたのに……何故だ? 何故誰も彼もジャパンカップに出ようとしないんだ? 前回から二週間経ったが何かいい報せはあるか」
悲哀。誰もが涙を誘うほどにその感情に支配されたJRA理事長は、職責として希望を探さずにはいられない。
「セイウンスカイは仕方ないでしょう。無事とはいえ、筋を痛めました。まだ治療中で帰国していないセイウンスカイは仕方ありません。有馬記念には、出れたら特例を使い出るということです──今年だけで90万個ものぬいぐるみを売り上げた馬が。オグリキャップとホワイトグリントを除いた馬の中で最もぬいぐるみを売り上げた馬が出れないのは仕方がないのですっ!?」
慟哭。欠片も仕方ないと思っていませんよ。という内心の悲鳴がついに口から出てしまった職員を責める者は此処にいない。居るはずが無い。みんな同じなのだから
「特例を使って検疫を短期で終えたグラスワンダーは──マイルカップにいきやがろうとしたところを、疲労のため回避し有馬記念に集中するとのことです。最初は香港行こうとしやがりましたが全力で止めました」
憤懣。何でジャパンカップじゃなくマイル走ろうとしてんだテメエ。BCマイルダートを制したマイラーの強い姿を日本の観客に見せる──何て綺麗ごと抜かすんじゃねえよ。カネと冠目当てだろ。楽に金も栄光も手に入るからってマイル行こうとするんじゃねえよ。弱い者苛めしたら興行としてつまんねえだろ。何よりも日本馬だろ、香港じゃなく日本走れよ。その意を腹の中で蜷局を回しながら、何とか有馬を選ばせた職員を称賛しつつ。これだから運営じゃない奴はよぉという空気が瞬時に蔓延した。
「エルコンドルパサーは引退──」
「「「何言ってんだあの馬鹿野郎ども。他の黄金世代と戦えよ。『春欧州で暴れまわって凱旋門賞をあと一歩で獲ることが出来た人気馬が、日本へ帰り最強の同世代と決戦する』。そんな美味しすぎるネタを。怪我もしてないのに──特例甘受して競馬学校で調教している分際で、客と銭引っ張ることが出来る興行の特ネタを捨てんなよ。興行に関して運営の私たちに全部ぶん投げるなら、せめて協力しろよ。赤い血が流れた人間ならよ。私たちがどれだけ苦労して運営してると思ってんだ。ただ乗りしやがって」」」
「最後まで聞いてください──引退する予定でしたが撤回しました。1勝1敗だから、ホワイトグリントとは引き分けですね。と言ったところ撤回して、有馬記念にでると」
安堵。エルコンドルパサー陣営のあまりの空気の読めなさに爆発しそうなほど熱が高まった室内の空気は、宿敵ホワイトグリントへの決着を優先したエルコンドルパサー陣営へと「「「赤い血が流れていたんだなあ」」」と安堵する。が、ジャパンカップには出ないことには変わりない事に曇る。
「お喜びください。スペシャルウィークは出るそうです。ホワイトグリントを倒して見せると、オーナーと調教師が断言しました」
「「「おおっ!!!」」」
希望。
ライバル対決! ダービー馬対三冠牝馬! 逆襲なるかダービー馬! 制するか三冠牝馬! サンデーサイレンスとオグリキャップ、日米顕彰馬どちらの子が勝つか! 日本総大将VS白雪姫! etcetc。
室内の全員の脳裏に速やかに次のジャパンカップの表題が流れる。
「──決まりだな。ジャパンカップでは、スペシャルウィークとホワイトグリントの対決を推すぞ」
それを見て取った理事長の宣言に理事たちは強く頷く。
散々蹂躙された欧州からのリベンジであるモンジュー参戦を「いや、だって、凱旋門賞馬といっても外国馬だろ。黄金世代ほど客と銭呼べないじゃないか──何よりも勝たせないように色々やっているし」と流すほど黄金世代に焼き尽くされた者たちは速やかに準備を始めた。
少し前までホワイトグリントが走ってくれれば客が呼べることに満足していたJRAは、名レースに熱狂した客が財布を緩めてグッズや馬券を買わないと満足できなくなってしまっていた。
人の欲望とは恐ろしいものである
「確か安定期の筈だ。万全の注意と誠意(大金)を払って北原牧場に居る母親ホーリックスを、旦那のオグリキャップと一緒に呼ぶんだっ。両親と仲の良い白馬を見るだけでも客が来る! 北海道まで行くのを面倒がる首都圏の連中を競馬場に呼びこめっ!」
本当に恐ろしいものである。
馬の健康何て欠片も気にしないのが運営である。彼らの職責ではありませんからね。当然です。
セントライト記念でゲート内で潜った様子の可笑しいファイアンクランツが人気馬だから、検査して異常アリの失格による馬券の払い戻しを嫌がり、馬体検査なしで直ぐにレース開始する。それが運営にして賭場の元締めの正しい姿です。
あんまりな鬼畜っぷりに私は飲んでいた茶を吹き出しましたが。
ファイアンクランツ、鼻出血していたけど無事でいて欲しいです。