信じられないかもしれませんが、こっちが主人公陣営です
前話の馬でなく、こちらが主人公です
スペシャルウィークが東京競馬場で人馬共に熱心に鍛錬して調子を上げている頃、瀬戸内厩舎事務室では。
「キッツイですわ」
「やはり、そうですか」
陛下から直接頂けた秋の盾──本物は回収するため、貰えるのはレプリカだが、それを知る陛下からは有難い事にレプリカの方も直接手渡しで賜る事が出来た──をウットリとした目で見ながら北野オーナーと瀬戸内調教師は会話していく。
やはり天皇賞は良い。
欲しくてたまらなかった盾を見ると痛感する。
ミホシンザン調教師が「天皇賞を獲るまでは台に登らない」と願掛け、引退間際にミホシンザンが天皇賞を制するまでは代わりに調教助手や厩務員を表彰台に立たせた意味がわかる。
「この心の衝動。キッツイとしか言えません。胸に迫って迫って」
「私もです。オグリキャップが、タマモクロスに敗北した日、スーパークリークにハナ差で破れた日、ヤエノムテキの勝利を見送った日。全て競馬場で見ました。
そして、決めたのです。馬主になり、オグリキャップの、オグリキャップとホーリックスの子にクラシックと天皇賞を獲らせる。と」
ああ、オグリキャップに魂を焼かれて傾いていた本業でありながら奮起して持ち直して馬主になれるだけの余裕を持ち──牧場を持つに至った日々が懐かしい。
あの苦難の日々はこの盾を、馬主に贈られた盾の方を北野牧場に展示して家族や仲間と見て、調教師に贈られた方を厩舎で調教師と共に見るためにあった。
「何で真っ先に牧場持つんです? そんな事をしたら身を崩しますよ。ウチで買って馬主になりましょうよ。牝馬を預託してくださるならオグリキャップ付けますから」社大代表吉沢氏のそんな誠意と疑問一杯の声と狂人を見る目さえ懐かしい。
わかっている。普通は既にある牧場を訪ねて庭先で買うか。牝馬を買って何処かの牧場に預けてオグリキャップの種を仕込むのが正常だとわかっている。
だが、どいつもこいつも「「「ホーリックスはニュージーランドのオーナーブリーダーが手放さないから無理ですよ」」」と後ろ向きな事しか言わないのだから仕方ないではないか。
ジャパンカップの二頭を見て「あの二頭の子が欲しい」と魂に誓ったのだから仕方ないではないか。
牧場作って地震の避難先にしてホーリックスへの種付けを許可して貰うのは仕方ないではないか。
だから、ただ一人だけ「面白いですね。夢とロマンを忘れるところでした」と言ってくれた錦田場長と共に牧場作るのは当たり前じゃないか!
「キッツイですな」
幸いな事に望外以上の望みを愛馬は叶えてくれた。
三冠牝馬、日本調教馬日本内国産馬初海外G1制覇、年度代表馬、日本初G1・10勝すなわち十冠馬。
この心を焼き付くしながら弾けさせる衝動はキッツイとしか言えない。
ただ一つ、今北野牧場にいるホーリックスの胎内で育まれている子が自分に売られない事も除いて。
口では「英国女王に贈られる馬を私どもの牧場で産み育てられるなんて光栄です」とは言っているが、内心は当然欲しい一色だ。
当たり前ではないか。
観光客が毎日訪れている状況では、無理矢理強奪や取替は不可能だろう。
ああ、世間体とは何て面倒臭いものよ。
そして、グルーシオーナーの義理ワンっぷりの酷さよ。俺の牧場に預けているのだから「女王陛下に献上する」などという契約を踏みにじって譲るくらいは──いや、せめて、話し合うくらいはすべきなのに話を向けても躱しつづけやがって。
会うたびにホーリックスオーナー・グルーシ氏が「ホワイトグリントを返してくれ。引退してからで良いから。アイツはホーリックスの、俺の愛娘の娘なんだ」と冗談1割・本気9割で言ってくる発言を躱しつづける自分を棚に上げた北野オーナーは渡世の義理薄さに嘆く。
そんな馬主が直前の対話の話題にしていた、馬主を志したオグリキャップの敗北の無念に対して、オグリキャップのライバルはただ一頭タマモクロスだけだとかつていった調教師は答えた。
オグリキャップは力負けしてなかった、と。
「タマモクロスはオグリが成長途上だったからですわ。
スーパークリークはマークが厳しすぎました。鞍上が手があっていた丘部か竹なら勝ててました。南田には悪いですが、あいつはタマモクロスの乗り味に心臓を鷲掴みされてからタマモクロスへの乗り方を強豪馬にさせている時期でしたからオグリとは今一つでしたな。ナリタブライアンの頃の乗り方をしとったら違いました。
タマモクロスに勝てたほど相性が良い丘部を主戦に確保できてたらホンマに。本人も乗りたいと乗り気だったのに、馬主さんとのゴタゴタが
オホン。
手があっていた竹を、ラストランの有馬記念の鞍上に確保できて良かったですわ。そうでなければ出走させずに引退を話し合ってましたから、ホンマに。
ヤエノムテキと最後のジャパンカップはマスコミのせいです……オグリに密着取材して絶不調にした連中の頭をかち割ろうとして止められた事に後悔してました。
あの日、北野牧場で、ホワイトグリントに出会うまでは」
「その通りです。オグリキャップは力負けしていません。そして、全て先生と沙藤騎手のお陰です。ドマゾなシロにレースで走って勝つことを教えてくださりました」
「はは、こちらこそ。そういえばオグリキャップもホーリックスと一緒に東京競馬場までくるとか」
「グルーシーオーナーと大栗オーナーが許可してくださったので来ます。錦田場長曰く、安定期に入ったので長距離輸送も大丈夫だとか。勿論、触れ合いは駄目ですが見学なら大丈夫です」
「ほう、そうなのですか。いや、現役馬は兎も角、妊娠した繁殖牝馬の取り扱いは詳しくなく大丈夫かと思っていましたが、プロが許可するならば問題ありませんわ……両親の前でのジャパンカップ。勝ちましょう」
「ええ、勝ちましょう」
オグリキャップとホワイトグリント父娘に魂まで焼きつくされさた男たちの無言がもたらす熱だけが高まる室内に
ひぃぃぃんっ♪ (この為に生きてるよぉぉぉっ♪)
ドマゾの歓声が響いた。
「お前は本当に笹針やりがいがある奴だなぁ」
ふぅいいいんっ♪ (ブスブスいいよぉっ♪)
人目がない厩舎奥にて、サックサックと、ナイフくらいの大きさの笹針を肌に刺されて真っ白な馬体を紅く染めた満面の笑顔になった白馬の歓声が響く。
ごすずんがプランを立てごしゅじんが乗って実行してくれたレース前仕上げハードトレーニング後の、痛みマシマシ特注笹針を受けるドマゾの歓声が響く。
ふいいぃんっ♪ (ああああ素敵いいいい♪)
普通より長めの特注笹針による痛みマシマシということは、出血も増えるということ、つまりは鬱血した黒みがかった血塗れ白馬となるドマゾの歓喜の嘶きが響く。
ほひいいいいん♪ (たっまんねえええ♪)
血塗れになって歓声を上げる白馬を、医師が笹針で更に血塗れにして歓声を上げさせ粗塩塗り込んで更なる歓声を上げさせて笑顔を深めさせていく。
最早、怪しい儀式と呼ぶべき常人が絶対受け入れられない光景が、何時も通り厩舎で繰り広げられていた。
ふひ! (は! そういえば!)
あんまりにショッキングな光景故に、絶対に関係者以外には見せない光景の中で歓声の嘶きを上げて居た白馬が笑顔を消し目を回して周囲を探る。
あまりにも無粋すぎる邪魔物が無いかを探る。
「ああ、そんな警戒せんでも麻酔はもう持って来とらんぞ。尽く注射器だけ綺麗に蹴飛ばして壊しおって……高いんやぞ。注射器も麻酔も」
ふぉぉぉんっ♪ (お塩が揉み込まれてきもちいー♪)
「無いことがわかってから更にリラックスしおってぇ」
ふひぃぃぃんっ♪ (生きてるってすばらしいっ♪)
無粋な麻酔が無いことを医師が手を振る姿を見て確信した血塗れの白馬は満面の笑顔で堪能する。
苦笑いしながらサクサク鬱血した箇所を笹針で刺して血を出させ粗塩を塗り込む医師。
その度に血塗れが増す白馬。
その度に冒涜的美しさが増す白馬。
その度に牡馬の性癖を鷲掴みにする嘶きを満面の笑顔で上げる白馬。
その度に人間にさえ美しいと感じる嘶きと光景のあまりの落差で常人の感性を壊してしまう度合いが増す白馬。
重度のマゾヒストを責め立て喜ばせるとはこういうことだ。そう表すしかない光景があった。
ひいいいいんっ♪ (きっもちいいいいっ♪)
その中にいる白馬のドマゾは背中の鬱血した箇所をプスリとされて達した。
ふひぃふひぃ♪ (幸せえ幸せええ♪)
歓声ではなくふひーふひーと、達した後の気怠さを堪能する白馬。
幸せな。
幸せな時間。
幸せすぎる最上の時間。
大大大好きなごすずんとこじゅじんに責め立てられた後の仕上げの笹針。
最上にして最高。
つまりは、これ以降は落ちるというか、傷口ふさいで飯食ってシャワーして貰って休む時間である。
医師は、速やかかつ静かに笹針と粗塩から傷口をふさぐ道具に切り替え
ふひっ! (えっ! もう!)
ドマゾが意識揺蕩ってるうちに仕上げんとした医師の思いは耳聡い白馬に遮られた。
この後どうなるかを諦観しつつプロとしての意地で言葉を重ねる。
「いや、もうアカン。鬱血しとるとこ終わったわ。あとは傷口ふさいで終わりや。お前が痛いのがす」
いいいん! ぶひいいいいんっ!!! (いやあああああああ! もっとおっ!!!)
「なんつう声で嘶くんやお前って奴は。嘶きに悲哀と絶望と快楽を混ぜんな。悲哀と絶望と快楽を。
お姫様扱いされとるアイドルホースの幻想を破壊しつくしおってぇ」
慣れてはいても何時もながらに諦観を込めた溜め息をつく医師。
昨日、娘にホワイトグリントの抜けた鬣をプレゼントして、今までの誕生日プレゼントより喜ばれた切なさを噛み締めながら。
そんな医師が感じているような切なさなど、遥か昔に克服して個性への愛情へと昇華した馬主と調教師はサディスティックな笑みを浮かべる。
「しかし、シロは」
「ええ」
ひいいいいいんっ!!! (私にもっとブスブスしてえええええええ!!!)
「「絶好調ですな」」
輝かんばかりの白毛を血に染めた白馬が、足りないと甘えきった嘶きを上げる姿を、頼もしげに満面の笑顔で見るオーナーと調教師。
「何時もながら。良い感じにマゾヒズムを堪能しつつも物足りなさが溜っている状態……絶好調ですわ。後はレースで爆発すれば良いだけです」
「沙藤騎手ならば全てやってくれます。レースで完璧にサディスティックに責め立てて、マゾヒズムを爆発させ勝利してくれますとも……今まで通りに」
ひいいいいいんっ!!! (もっとしてえええ!!!)
「「ふっ、ふふっ……はーぁっ! はぁっはぁっ!」」
悲痛に嘶く血塗れ白馬を見ながら高笑いする馬主と調教師。
ホワイトグリント陣営以外の誰もが動物虐待と判断して通報する所業を、受け入れるどころか頼もしげに笑顔を浮かべて声を出して笑いあってのける。
ふひっんっ♪ (あ、オーナーさんとごすずんがサディスティックに笑ってる。なら、もうすぐレースなんだ。なら、我慢しよう。すぐにごしゅじんが、もっと気持ち良くさせてくれるもの♪)
そんな大大大好きな二人を見たホワイトグリントは、マゾヒズムのマゾヒストによる調教されきったドマゾだけが行き着いた心境で、何時も通りに大人しくなった。
真なるサディストと真なるマゾヒストで構成されているホワイトグリント陣営は、何時も通り常人が見てはならない世界を展開して、人馬ともにレースの準備を整えていた。
後年、こんなことで確実に絶好調になる白馬のことを知った他陣営が妬み嫉みと殺意と、何よりも(自分には無理だ)と諦観させる陣営は次なるレースジャパンカップへと向かう。
勝つために。
かくて、事前入場券だけで15万人分売れたため22万人の入場制限を実施するほど大人気となった一戦。白雪姫と日本総大将の決戦の日が訪れんとしていた。