それは生まれて始めて『高揚』を感じていた。
女神の心臓を取り込んだ時、それは人と同等以上の知性を獲得した。
今までよりずっと鮮明な自己を感じるようになり、同時に理解した。
同じように女神の心臓を取り込んだ者たちを除いて、自分がこの惑星上に存在する全ての種族の頂点であるという事実に気が付いたのだ。
自分に
ただ、隠れた女神を見つけ出しそれを破壊しろ。
やり方も、やりようも、休みの有無も、暇な時間の過ごし方も、空の女神は指定しなかった。
だから、ナイアセラムは自由に生きた。
国を創ってみたり、知恵を与えてみたり、観察してみたり。
自由気ままに生きていた。
そんなナイアセラムが特に気になったのが『人間』という種族だった。
自分と同等の知性を持った種族。
それはすこぶるからかいがいがあった。
愛してみたこともあった。滅亡させたこともあった。
ナイアセラムはこの上なく自分主義で、自分が与えた影響で人が惑う姿が好きだった。
正直なところ、種の存続にはそれほど興味はない。
もうすでに長い年限を生きた。
生に執着する理由も、空の女神に協力する理由もない。
その行動原理は遊び半分。ただの惰性だった。
そのはずだったのに……
◆
始まりの剣聖アマツ。
女神の力を使い熟す獣人。
人の身を逸脱した龍人。
己が世界を構築するエルフ。
あぁ、楽しい……
この短時間で、今までに出会ったことがないような強度の人間が四人も現れるなんて思ってもみなかった。
人なんて龍と対等にもなれれば最高地点なはずなのに……
でも彼女たちは違うみたい。
片手か、指一本程度の力で龍など殺せるような突然変異。
「
それは呼吸を封じる真空の魔術。
断絶空創を展開した状態のその魔術の発動速度は驚異的だ。
いや、もうすでに
「けど、私の生命活動に呼吸は元から必要ない」
「チッ……」
私の『恐怖を植え付ける術式』は最早意味を成していない。
それほどまでの精神力。
それも、本来人間という種族には備わっていないはずの力だ。
生物である以上、克服できないはずの弱点であるはずだ。
なのに……
「
当たり前のように、最早恐怖など微塵も抱いていないように、攻撃の手に淀みはない。
「火力はそれなり」
私の肉体を滅却しようと迫るブレスに対して、私は伸ばした触手を扇状に開き、盾に変えて待ち受ける。
盾の形状をミクロ単位で操作し魔力を反射する構造へ、龍のブレスを跳ね返す。
「――!?」
自分のブレスで腕を消失させた龍は驚愕の表情でこちらを見る。
だけど、驚いてるのは私の方だ。
触手三十本を束ねた盾が、一撃で粉砕した。
失った触手はすぐに再生できる。
だけど、こんなことは今までなかった……
「聖鎧終奥【
女神の力。
それに別の術式を混ぜた運用。
しかも組み込まれた技はアマツが造り出した奥義の一つ。
そんなことをしてくる勇者も、今までいなかった。
「聖属性は結局魔力の差に打ち勝てない」
聖属性術式の魔力の対消滅は、その術式ごとに込められた上限量が存在する。
一撃にが私に到達する前に、触手を間に挟み込む。
二十本の触手を消し去ったところで、リンカの技は停止。
聖属性の飛ぶ拳撃を貫いた私の触手が、リンカの肩を突き刺した。
霊園を解放しているわけでもないのにこの威力……
今までにはなかった強さだ。
「だけど、聖属性によって破壊された遺伝子は再生できないは……?」
リンカの技で削られた触手を自分で根本から切断し、減った分を増殖させて補強する。
勇者とは何度も戦った。
そして何度も殺してきた。
けれどやはり、人間は面白い。
努力を積み重ね、できなかったことをできるようになっていく。
人の性能の限界を超えて成長していく。
きっと彼女たちはその完成形なのだろう。
これ以上の力が今後人間に芽生えることはないのだろう。
そう思わせるほどの奇跡。
だからこそ、失望は強くなっていく。
そんな奇跡でも、私と対等にはなれないという事実に……
「少しだけ本気を見せてあげる」
――神威解放。
私の身体が変化を始める。
黒く淀めく流動的な肉体が肥大化し、全身から大量の触手を伸ばす。
数百の触手と共に、数十メートルにまで巨大化した身体にはさっきまで模していた『人間的』な部分は一切残っていない。
ドロドロとした塔のような黒い巨大スライム。
それが今の私の姿形だ。
このグロテスクな形態が私の本来の姿。
「嘘でしょ。まだ魔力量が増えるの……?」
「ッグ……」
「この程度だとは思ってませんでしたが、想像していたより奇怪な姿になりましたね……」
魔獣と畏怖されたことも、神と称えられたこともある。
いずれにしても同一だったのは、この姿を見た人間は例外なく戦意を失ったということだ。
「
無数の風の刃が私の身体を切り刻む。
しかし、攻撃力より再生力が勝っている。
「グラァァァ!」
叩き付けられた鉤爪は、その一本一本に彼女が使っていた槍と同じ『斥力』が付加されている。
引き裂く力は再生を許さない。
だけど、切断面を捨てて新しい肉を増殖させれば問題はない。
「何故、諦めないの?」
この姿を見た人間は、私に逆らうことを諦める。
それが常で、それが通常の人間の反応だ。
だから私は力を抑えて人間の姿をしていた。
人と戯れるのは楽しかったけど、それは長続きしなかった。
人を憎んでみたことも、人を愛してみたことも、人を飼ってみたことも、飼われたこともあったけれど、人と〝対等〟になることはなかった。
でも彼女たちは違う。
ほんの僅かな可能性ではあるけれど、彼女たちの力が合わされば私の命に手が届くかもしれない。
でもそれは、きっと、もっと、ずっと、先の話だ。
「「は?」」
「グ……」
私の触手は三人の身体を貫く。
単純なコトだ。
速度が違う。
私と人間とでは生きる時間の密度が違う。
神威解放は、【
この状態は速度もパワーも反応も、今までの比ではない。
貴女たちの力を見てみたかったから加減をしていた。
でも、もういい。もう大丈夫。もう分かった。
触手を伝い、より一層強い思念を送り込む。
私の力は『洗脳』。
視覚を伝うそれは特定の感情を与えるくらいの力しかない。
でも触手を伝って直に魔力を流し込めば、その思考を自由にできる。
「眠っていいよ。千年待ってあげる。あの子にそうしたように」
アマツの力の向上は、私の願いを果たしてはくれなかったけれど、想定は超えていた。
千年前は他の人間と大差ない凡人だったアマツが、千年であそこまで強くなった。
だったらこの三人に時間を与えれば、それ以上に強くなれるかもしれない。
そうすれば、私は人と対等に関われるかもしれないから……
「っの、覚えてなさいよ……ナイアセラム……」
エルフの女がそう言うと同時に、三人は意識を失った。
結界術式が解除されていく。
空が森に変化する。
「リンカちゃん!」
「ヨスナさま!」
「……まずいねこれは」
たしか、ヤミ、アル、ネオンという名前だった。
倒れた三人を見て、焦ったような三人の表情は、私を見て恐怖に移り変わる。
そうだ。まだ神威解放をしたままだった。
この状態だと視神経からの感情操作の力も強化される。
「「「ッ……」」」
三人が息を呑む。
彼らにはすこし刺激が強すぎるか。
「「「……プハ」」」
銀髪の人型に戻ると、三人は止まっていた呼吸を再開した。
「逃げてもいいよ」
私がそう声を掛けると、意外にも三人は武器を構えた。
カタカタと震える両手で剣と杖を私に向ける。
意外だ。
「でも、アマツやあの三人ほどの期待感は湧かないな」
地中に忍ばせた触手を彼らの背後に回り込ませ、背中を貫く。
腹と肩と腰を貫いた触手から睡魔を流し込む。
殺すか生かすか、少し悩む。
弱くはない、でもやっぱりこの三人にどれだけの時間を与えたところで、私に勝てるようになるとは思えない。
面白くない。
引き抜いた触手を再度、気絶した三人へ向ける。
「死んでいいよ」
三人の頭に向けて、触手を落とす。
その瞬間――目の前を稲妻が走った。
「悪いけど、それはダメだ」
私が三人に放った触手は、稲妻の如き剣術によって全て引き裂かれた。
「たしか、ミラエルだったっけ?」
黄金の髪を雷と風で逆立たせた彼は、明らかに屋敷で会った時とは雰囲気が違った。
「そうだけど、君誰?」
「……ナイアセラム」
「よろしくナイアセラムちゃん。なんとなく状況は分かるよ。ここに転がってる人たちは全員君に倒されたんだね」
「そうだね」
辺りを見渡し、最後にアマツの死体に目をやった彼は小さく笑みを浮かべる。
あれ、首が治ってる……?
「悪いんだけど、ちょっと付き合ってくれるかい? お寝坊さんがいるみたいだから」
「何を言っているの?」
「君は知らなくていいさ。起きる前に終わらせてあげるから」
この男、恐怖を感じていない……?
いや、術式が作動している感覚はある。
なのにこの飄々とした雰囲気は、まるで恐怖という感情そのものを喪失しているかのように……
「あぁ間違えた。僕
ゾロゾロと草木の中から影色の人型が現れる。
「殺す」
「死ね」
「汚す」
「蝕む」
そのシルエットはすべてミラエルと同じ形をしている。
「これは何?」
「影属性の分身術式だよ。悪感情を一つずつ与えているせいで口が悪いのが玉に瑕だね」
「へぇ」
感情を与える……
よく見れば一際怯えている分身がいる。
あれが恐怖を一身に引き受けているせいで、本体まで恐怖が届いていないのか。
「君さ、友達が欲しいんでしょ? 僕がなってあげようか? だからやめてよこんなこと」
「……」
「あれ違った? シルヴィア姉さんの属性はちょっと抽象的過ぎて使い難いな……」
「友達になりたいなら条件を教えてあげる。私を殺せる力を持っていること」
私がそう言うと、ミラエルは少年のような笑みを浮かべた。
そして、視界から消えた。
「ハロー」
目の前に現れたミラエルは、そのまま私の顔を蹴り飛ばす。
腕を上げて受けると、雷に打たれたような衝撃が全身を伝った。
なんだ、この速度……
「術式売買。それは術式を受け渡す術式だ。それによって僕は【愛】【影】【願望】の固有属性を同時に持ってる。そして僕自身の固有属性も……」
言い終えると同時に姿が掻き消える。
まただ、圧倒的な初速。
これは……
風と雷の複合術式……
いや、複合属性は一番得意な属性だけを使った術式よりも効率が落ちるはず。
無論、単一の属性術式よりはパワーがあるだろうけど、ここまでの速度を出せるのはおかしい。
ってことは……
「固有属性?」
「そう、僕の固有属性は雷と風の両方の性質を持つ【嵐】の属性。単一の属性術式で起動する【疾風迅雷】には誰にも追い付けないよ。そして僕の影は、僕と同一の性能を持っている」
今まで見ていただけだった影の兵団が一斉に動き始める。
私も触手を伸ばして対抗するが、数が多く速度も負ける。
すごい。分身を依り代にして感情の操作を無効化。
電光石火の移動速度に圧倒的な反射神経。
それに私の目的を察知しているかのような回避性能。
そして、人外な運動の継続を可能とする基礎的な身体能力。
すべてにおいて、さっきの三人より強い。アマツより強い。
「たしかに瞬間的な能力で見れば、最強かも」
腕を断ち斬られた次の瞬間に流れてくる電撃が傷口を焼く。
けれど焼かれた程度で私の細胞は死滅しない。切り離す必要すらなく即座に再生する。
「けど、まぁ、期待するほどじゃない」
というか、この攻撃能力じゃ何をどうしたって私を死へは追いやれない。
彼の拳が私の臓物ごと身体を吹き飛ばす。
彼の電撃が全身を焼く。
分身による連撃が私の身体を斬り刻む。
けれどそれは、私を死へは追いやれない。
守る必要もない剣戟だ。
風の領域は、私の再生能力を上回る無尽の攻撃を可能とする。
龍の息吹は、私の肉体を一撃で蒸発させる可能性があった。
聖なる拳は、私の再生能力を阻害し魔術的な作用を弱める。
それらはすべて、私の喉笛を斬り飛ばせるかもしれない刃物だった。
けれど彼の力は違う。
電撃を纏おうとが、風を纏おうが、嵐を体現しようが、それは所詮単なる『斬撃』と『電撃』でしかない。
その力は、私に到達しない。
それに、なによりも……
「っ……」
「終わり?」
その力は人が扱うにはバランスが悪すぎる。
「肉体の能力を底上げしすぎてるんだよね。私の攻撃を先読みする力と反射神経を強化する力は、脳の機能をオーバーヒートさせてる。そんな力を無理矢理使って、死にたいの?」
「……はは、死ぬのは怖いよ。でも、大切なものを守るために、命を賭けることができないのなら、生きてる意味なんかないじゃないか」
息を切らしながらそう言った
その無呼吸運動が、彼の内臓にどれだけの負荷を与えているのか。
その苦しさは本人が一番分かっているはずだ。
なのにその黄金は、影を携え、笑みを浮かべて疾走する。
「あぁ、これだから人間を揶揄うのはやめられない」
仕込みは終えた。
地中に潜らせた触手の数は五十本以上。
その全てを一斉に解き放つ。
「無駄だよ。触手が何本あろうが僕の兵士は
「全員殺す必要なんてないよ。一人でいい」
「
ほら、さっきより一歩遅い。
目的を読み切る力への反応が遅れてる。
「もう脳は限界?」
「違う……僕じゃなくて――」
影には不要と判断された感情が一つずつ入っている。
そして、影を壊すことでその感情は主人の元へ戻る。
私の狙いはたった一つ。
影の中で、唯一私に一度も攻撃していない――オマエだ。
「その子が恐怖」
本体は影によって守られている。
だけど、五十本の触手を影一体だけに向ければ、いくら回避性能が高かろうと全ての道を潰して、追い込める。
「怖い、嫌だ……」
そう呟きながら、その分身は三本の触手に貫かれた。
そして恐怖は再び侵食を始める。
恐怖の中で、術式を継続することはできない。
けど、どうしてか影の術式は消えなかった。
「ん?」
でも、攻撃してくる気配もない。
術式は解除されないけど、術式の操作は失われている?
「あぁ、やっぱり貴方の力じゃなかったってわけ。別にこの術式を発動させてる人がいて、貴方がしてたのはその指示だけ」
「クソ……なんで動かない……」
「それは貴方が一番分かっているでしょう?」
震える手足は、もう私に勝利することを諦めている。
膝を付いた彼の前まで、私は歩いて近付く。
横を通り過ぎても、影たちはピタリと止まったまま動かない。
「生物の生存本能は恐怖には逆らえないようにできている」
だからこそ、あの三人は特別だ。
だからこそ、貴方はただの凡人だ。
「恐怖か、そうだね。怖かったんだ。
気合を込めて、彼は剣を薙ぐ。
「分かってる。何度も見せられたんだから、そうかもしれないとは思ってたよ」
人が恐怖を乗り越える瞬間を、こうも立て続けに見せられたんだ。
警戒しないわけもない。
「だからね、喜びも与えておいた」
私の首元で刃先は止まる。
「けど、仮にその剣が私の首を刎ねたとしても、再生するから私は死んだりしない。そもそも恐怖の影を壊さなくても喜びや他の感情を与えて、君を止めることはできた」
「じゃあなんで、最初からそうしなかったんだよ?」
「その方が面白いものを見れると思ったから」
これは生物として格の違い。
「でも期待外れ。君が何をしたとしても、私を殺せる未来は存在しない」
掌を彼の頭に向け、その中から触手を生み出す。
その先端を槍のように尖らせていく。
「その力は確かに強かった。でもそれは君一人の力じゃない。だから、君が生きてても死んでても関係ないよね」
本当に強かったのは他人の術式を転写できる術者の方だ。
それは断じて、君の性能ではない。
だからもういいよ。
君に期待するものは何もない。
「じゃあね」
触手を射出する。
私の攻撃は彼にとって喜んで受け入れるべきものだ。
だから、彼には回避や防御の選択肢は存在しない。
これで終わり。
そのはずだった。
ズルリ――
気が付くと、私の肘から先が斬り落とされていたた。
アレ、なんで……?
その斬撃を放った男は、私に隣に立っていた。
白髪に同色の髭、皺くちゃの肌に、しわがれた声、そして長い耳……
「なんで生きてるの? アマ……ツ……?」
「さぁ、
「違うね、貴方はアマツじゃない」
「流石、年季の入ったストーカーは違うね。けど実際、
立ち上がったエルフの老人は、生前の気品を失ったような粗野で狂暴な笑みを浮かべていて――
「今からテメェをブッタ斬る」
それは、私がこの姿で初めて見る、恐怖など微塵も感じていない人間の表情だった。